3 放課後と迷子とありがとうの行先
ホームルームが終わり、先生が教室から立ち去ると、そこは一瞬にしてクラスメートたちの活気で満ち溢れた。
僕・
「よーし……っ」
机の中の教科書の三分の一を鞄に突っ込んで、僕は席を立った。
さて、これからどうしようか……?
「ん、ふぁぁ……」
などと考えていると思わずあくびが出た。
宿題のせいやらで妙に緊張して疲れたから、当然といえば当然なのかもしれない。
折角放課後パワーで身が軽くなったはずなのに、一度眠気を感じてしまったせいかそれが拡散されていくようだった。
「……むぅ、仕方がない、今日は帰ってゆっくりしよう」
逆らって大はしゃぎするのも悪くはないけれど、そういうエネルギーはそうしたいと思った時に取っておこう。
それに昨日買いそびれた新刊も買いに行かなきゃだし。
僕は一人頷いて教室を後にした。
廊下に出ると、他の教室から次々と生徒が溢れかえり、放課後の学校はいつもどおりの喧騒を見せていた。
そんな流れの一つに乗って、僕は下駄箱に向かう。
その中で、見覚えのある後ろ姿が視界に入った。
「おーい、
その声に立ち止まった
かといってその動きが大きく目立ったりはしているわけじゃない。
動きの全てに無駄がなくて周囲に溶け込んでいる……いや、世界の流れの上を沿って自然に振舞っている――そういう流麗な動きだと僕は感じた。
差し込む夕焼けの光もあって、一瞬だけ幻想的な世界に入り込んだような、そんな気持ちになった。
「……ふーくん」
そんな切那さんに見惚れつつ歩み寄ると、彼女はそんな僕に対し不思議そうに小さく首を傾げていた。
「? 何か、変な事でもあったの?」
「……あるけど、ないわ」
「そ、そう。
えっと、切那さんも今から帰るの?」
「ええ。今日は学園での調べ事はないから……ふーくんも?」
「うん、そのつもりだけど……」
そこで僕は暫し悩んだ。
折角の機会なので可能な所まで一緒に帰ろうとか、何処かに遊びに行かないかとか……言いたいこと、訊きたいこと、やりたいことが頭を駆け巡っていたからだ。
さっきまで家に帰る気満々だったが、もしも切那さんと何処かに行けるのならまさにエネルギーの使い所だと思う。
勿論、ただ楽しい時間を共有したいだけだ。
僕が道杖くん達や部活の人達とかといつもそうするように。
他意は、ない……と思う。
少なくともやましい事を考えているつもりはない。
「あー、えっと」
ないのだけど――だとするなら、どうして僕はこう若干緊張してしまっているのだろうか。
一緒に帰ろう、一緒に遊ぼう、それを言おうとしているだけで、どうして思考がグルグル回ってしまっているのだろうか。
いつも友達に言うように誘えばいいだけだと分かっているのに、どう言ったら印象が良くなるかとか、そんな事が頭を過ぎり続けている。
だけど、こうして悩んでいる間にも時間が過ぎていく。
会話の途中だって言うのに―――とにかく、何か言わないと……!
「切那さん、あのさ……」
と、僕が顔を上げるとそこにはもう切那さんはいなかった。
慌てて辺りを見回すと、少し離れた所を彼女は歩いていた。
うう、呆れられたんだろうな……と僕が思っていた時。
さっきと同じくの流れるような動きで顔をこっちに向けると――
「一緒に、帰るんじゃないの?」
そう、穏やかな声音で切那さんは告げた。
それを告げた彼女の表情は……形容し難いものだった。
問い掛けているようにも、不思議そうにしているようにも、寂しそうにも見える。
ただ、夕焼けを受けて煌めきその眼はすごく綺麗で、僕は思わず一瞬呆けてしまった――だけど、この機会を逃したくないと慌てて首を縦に振った。
傍から見れば関節が壊れた人形ではないかと思われるくらいに何度も。
切那さんはそれを見て、微かに頷くと再び歩き出した。
情けない自分に溜息を吐きつつも、僕は思わず小さく笑みを浮かべながらその後を追った。
赤く染まった晴れた空の下。
いつもは一人で歩く道を二人で歩く。
ただそれだけの事なのに、何故か少し緊張してしまう。
まぁ、僕は女の子が嫌いじゃないけど苦手だから不思議ではないんだけど――男子が女子に変わっただけでこんなにも違うとは……。
そんな感情を誤魔化すためにポリポリと頭を掻いてから口を開いた。
「そういえばさ、切那さんどうしてこっちに転校して来たの?」
そうして思いきって口にしたのは、少し気になっていた事について。
時期的に中途半端な転入だったので、どうしてかなぁとは思っていたのだ。
もし話したくなさげなら別の話題を考えねば、と思っていたのだが、切那さんはあっさりと淡々と答えた。
「……お休み、だったから。だから来る事ができた」
「お休み……って、何が?」
「仕事」
何度か話していて感じていた事だが、切那さんの言葉は基本端的、かつストレートだ。
それゆえに分かり易い時はすごく分かり易いのだけど、逆に主語などをすっ飛ばしている為に分かり辛い時もある。
そんな言葉について、顎に手を当てて必死に思考した末、僕なりに推測を述べてみた。
「えーと、お父さんとかご家族の仕事がお休みだった。
だから、こっちに来る事ができた――ってことは、仕事って色んな所に行くような職種なのかな」
そう呟くと、切那さんは暫し虚空を見詰める――いつもの思考時間だ。
ややあって、彼女は首を縦に振った。
「うん、大体はそんなところ」
「そっか。そういうのって、大変じゃない?」
もっと詳しく訊いてみたくはあったが、これ以上は不躾になるかな、と堪える。
またいつか尋ねる機会もあるかもしれないしね。
そんな抑え目の質問に、彼女は静かに答えてくれた。
「大変だったかもだけど――生まれた時からだから、慣れた」
呟く彼女の表情は変わらず、動かなかった。。
それはつまり『本当に慣れている』ということなのだろう。
僕の両親もあちこちに赴く仕事をしているので、もし少し何かが違っていたら僕も切那さんと同じような生活をしていたのかもしれない。
でも、正直彼女のように慣れる事は僕には難しいかもしれない。
両親が家を空けてばかりいる事にすら、未だ慣れていないのだから。
「そうなんだ……。えと、そういえば……」
折角だからその事について話してみようかと思って言葉を続けていた、その時だった。
『うわああああああああんっ』
突然、何処からか、そんな泣き声が聞こえてきた。
「……」
「子供の泣き声?」
二人して、声のした方に顔を向けてみた。
そこにあったのは小さな公園。
住宅街の真ん中に申し訳なさそうに存在しているそこは、昔の僕にとっての遊び場だった。
金網で囲まれているその公園の片隅に小さな男の子が座り込んで大声で泣いていた。
母親とはぐれたのか、いじめられたのか……考えられる事はそれこそいくらでもあった。
だが、いずれの場合にせよ、今現在の男の子は大きな怪我を負っているなどの様子はなく、緊急の事態には見えかった。
下手に関わり合いになると、このご時世、かえって疑われるかもしれない。
ここは黙って立ち去るべきだ。
「……」
でも……気にはなる。
こんな所で一人でいる所を放って置くべきだろうか……?
特に今は未解決の殺人事件が起きている状況だ。
昨日だってこの近くで死者が出ているとネットニュースで見た。
もし疑われてしまったとしても――
「……」
「――あ」
そんな事を考えている僕を置いて、切那さんはその男の子の所に歩み寄っていった。
それを目の当たりにして、僕は居たたまれない思いでただそこに立ち尽くす事しかできなかった。
切那さんは男の子と二、三言葉を交わし、その子を伴ってこっちに戻ってくると、じっと僕の顔を見詰めた。
その姿が、動けなかった僕を問い詰めているようで。
「えと、その……」
気がつくと言い訳を考えようとしている自分がそこにいた。
そんな自分に嫌気がさして、言い訳する事を捨てて顔を俯かせた。
……恥ずかしい奴だな、僕は。
そうして言葉を失っている僕に切那さんは言った。
「ふーくん、この辺にある交番って何処か分かる?
……この子、迷子らしいから」
「えっ……?」
さっきと変わらない声音に顔を上げると、いつもと変わらない表情の切那さんがそこにはいた。
――それは今の僕にとっては救いだった。
少なくとも嫌悪されてはいないと思い込むことができ、そのお陰で冷静に返事が出来た。
「――交番は、すぐ近くにあるよ、うん。ついてきて」
二人の顔を見る事もままならず、二人に背を向けて僕はすたすたと歩き出した。
切那さんと男の子は何も言うことなく、ただ黙って僕の後ろに付き従ってくれた……。
「……」
「……」
日がより傾いて、僕らを同じ色に、赤く染めている。
交番からの帰り道の中、僕らは無言だった。
あの後交番へと向かったのだけど、そこにはちょうどその子のお母さんがいて、警官に捜索を頼もうとしていた所だった。
そこへ、僕らが……というより男の子がやってきたのでお母さんはこれ以上は無いほどの安堵の表情を浮かべて、喜んでいた。
お母さんは僕らの手を交互にとって”ありがとう、ありがとう”としきりに言っていた。
その手をじっと見る。
僕は、あの熱の籠った”ありがとう”に見合うような事は何もしていないのに。
「……え、と、ここでお別れだったね」
自分の中で漂う不快な雲を、とりあえず無視して切那さんに告げた。
いつの間にか、なんとなく、僕らは向き合っていた。
彼女の顔はいつもと変わらないように思える。
さっきとは逆で、今度はそれが却って辛かった。
何も言う事はないのかと問い掛けられているようで。
――言いたい事はあった。
でも、それはきっと言い訳になるから、僕は何も言わない事にした。
「それじゃ……」
「……待って、ふーくん」
彼女の制止の声で、動かそうとしていた足が止まる。
オレンジ色に染まった彼女の顔は……いつもよりも穏やかに見えた。
「……ありがとう」
「え?」
予想もしなかった言葉に僕は目を見開いた。
彼女は特に気にした風もなく、言葉を繋いだ。
「ふーくんがあそこで立ち止まっていてくれてたから、私、あの子を助けてあげられた。
いつもの私なら、気にも留めなかったかもしれないから」
「でも僕は……僕は何もできなかったよ。
あの子を交番に連れて行ったのは切那さんだよ」
情けなくて言葉に出来なかった気持ちを形にする。
すると切那さんは頭を横に振ってから、静かだけど迷いのない言葉で言った。
「違うわ。
あなたが、真剣な顔で考えていたから、そうできたの」
「僕が?」
「うん。
すごく真剣な顔だった。
まるで、あの子本人になっているように」
「……」
「多分、私が何もしなかったら、ふーくんはきっと自分から動いていたと思う」
そんな事はない。
そう言いたくて、言えない僕がそこにいた。
それは見栄とか、彼女に良く思われたいとかじゃない。
切那さんの曇りなくこちらを見据える顔を、眼を見ていると、何も言えなくなっていた。
彼女がそう思う事を、そう思ってくれる自分のカタチを信じたい……そう思いたくなっていく。
「だから、ありがとう。……そう言わせて」
有無を言わせない調子で頭を下げられると、もう僕に言える事は何もなかった。
顔を上げた彼女はそんな僕に、穏やかな表情のままで告げる。
「それじゃ。また、明日」
「――――うん、また明日」
何気無い、その言葉に僕はどうしようもなく胸が詰まってしまい。鸚鵡返しに返事をすることしか出来なかった。
僕がそんな情けない自分自身を罵っている間に――彼女の姿は消え去っていた。
それがあまりにもあっという間で、まるで魔法みたいだと、そんな場違いな事を……僕は、思った。
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