2 宿題忘れが繋ぐ共感

 時間は流れて、放課後――僕・伏世ふくせゆうは部活を終えて帰路に着く。

 他に特にやる事もなく、しかも財布を忘れてお金がないとなれば行きつけの本屋に寄る事もできない。

 続き気になりまくりの漫画の新刊欲しかったなぁ――!


 さておき、そんなわけで僕は素直に家に帰る事にした。


 今日も家にはまだ誰もいなかった。

 夕食までは十分余裕がある――つまり暇だ。

 

 仕方がないので、僕は部屋で読みかけのマンガを拾い上げた。

 今日買うつもりだったの新刊の前を読む事で気持ちを上げておくのだ――うん、余計に欲しくなって、今から買いに行こうかと思うだけだね、コレ。


 遅くなったから外出それも難しくなったのが悲しくなっただけだった――虚しい。


 そうして漫画に夢中になっていると、いつの間にか外が薄暗くなっていた。

 梅雨の日々は雨にせよ曇天にせよ、なんとも時間の変化が分かりにくくてしょうがない。


 お腹も空いてきたし……何か作ってみることにしよう。


 冷蔵庫を開ける――すると、そこにはちょっと残っている野菜や肉がある。

 賞味期限は……大丈夫っぽい。


 これだけあれば、そこそこ豪華な夕食ができる――かもしれない。僕次第で。


 フライパンに油を引く――香ばしいかおりが鼻腔を擽った。

 良い感じの大きさに切った肉と野菜を放り込んで炒めていく。


 今日は兄さんの帰りは遅いようで一人分だけで良いから、そんなに時間もかからないし、出来もほどほどでいいので、気楽に進めていく。


 そうして料理をしながら、さっき読んだばかりの漫画……いわゆるバトルモノだ……の展開を思い出し、胸が熱くなる。

 主人公もかっこよくて好きだけど、主人公に力及ばずとも追い付け追い越せとそれぞれのやり方で強くなっていくそれぞれのキャラクターも魅力的なのである。


 そうして修行していくキャラクター達のように強くなれたら、とは思う。

 剣撃をエネルギー状にして放ったり、空を縦横無尽に駆け抜けたり――できたら爽快だろうなと思う。


 でも、そのために日常の全てを犠牲にできるか、と言われると正直できない。


 そういう技術や技はそれが必要な世界だからこそ生まれた訳なので、

 それを身に付けられるという事はは平和な世界ではないという事に他ならないだろう。


 つまり彼らは平和や安全、そういう平穏的なものを犠牲にする代わりに、超常的な強さを身につけているのだ、と改めて思うわけで。


 そして、それはバトル漫画に限った話ではないのだと気付く。

 アクション映画における登場人物達の時に人外とさえ思えるアクションや、ミステリー映画などにおける洞察・推理力などもあてはまるだろう。


 ――その活躍の代価はやはり日常であり、親しい、近しい人間の死や危機だ。


 こうしてみると、やはりフィクションというものの本質はどれもさして変わらないのかもしれない。


 そんな偉そうな事を考えながら、料理を調整していく。

 ちなみに、味も偉そうな事など言えないしょっぱい出来だったことは言うまでもない――悲しい。




 そんなこんなで夜も更けて。


 時計の二つの針が両方とも12を指す様な時刻になってくると、ネットニュースを眺めていた瞼も落ちてくる。

 明日の準備は万端だし、今日はもう特にやる事もないので眠ってもいい……


「あ」


 と、そこでやる事は大いにあった事を、忘れていた事を思い当たって僕は思わず声を上げた。


 宿題をすっかり忘れ去っていたのだ。

 あんなに帰ってきてから時間があったのに、もったいない事をしてしまった。

 明日の準備が万端なんてよくもまぁ言えたもんだな、僕よ。


「……しかしなー」


 いい感じで眠くなってきている今、宿題に手を付ける気にはならなかった。


 そして―――――――――……うう。駄目だ。


 正直、この眠気には勝てそうになかった。


 よし、今から即座に寝て、明日早く起きてから宿題をしよう。

 それなら睡眠欲も宿題も解決だ……なんか矛盾を感じるが、もう、これ以上は考えられないっぽい。


「よし寝よ寝よ」


 思考が限界に達した僕は携帯のアラームををセットしてさっさとベッドに潜り込んだ。

 ほどよい感じで、僕の思考はそれと気付かない内に黒に塗り潰されていった――。





 ……窓から差し込む光を感じる。朝になったようだ。


「ふあ……」


 枕元に置いていた携帯をほぼ意識せずに引き寄せて、時刻を見た。

 表示された数字はセットした時刻よりも二分前を指していた。


 ……出来れば二度寝したい所だが、ここで二度寝しようものなら遅刻は確定だろう。


 諦めて僕はむっくりと身を起こした。

 朝を告げる小鳥のさえずりなどという風流なものは聞こえてこないが、爽やかな朝だった……ん?


 なんか忘れているような気が。


「って、ああああああああっ! 宿題!」


 違和感に気付いて携帯を確認する……直視したくないが、目を背けたい現実はそこにあった


「何でいつも通りの時間にセットするかな、僕は……」


 自分の間抜けさに涙が出る。

 かといって今から宿題をやる訳にはいかない。

 仮に朝食抜きで挑んでも、一問解けるかどうかも怪しい。


 そして、もう一つ忘れていた事があった。


「……今日、当てられる番だった……」


 日付と出席番号……それは大体の授業において、挙手がなかった場合に教師が生徒を指定する要素。


 今日は僕の出席番号と同一の日付だった。

 そして、今回宿題を出している数学の先生はその法則にすごく律儀なのである。


 その上、その先生はやや小難しい人で、宿題を忘れて十分間説教などは当たり前だったりする。

 ひどい時は暫く罰としての宿題増加もあり得る。


「やばい……やばすぎる……」


 学生の自由な青春時代を宿題によって一時でも過剰に奪われるのはどうにか避けたい。

 考えを巡らせるが――超特急で朝食をかっ食らって学校でやるか、誰かに見せてもらうぐらいしか思いつかなかった。


「くうううううう……昨日やっとけばよかったぁ……」


 後悔先に立たず。

 腹水盆に帰らず。

 後の祭り。


 そんな言葉の羅列が頭をよぎるが、それに気を取られているうちに時間は流れていく。

 時は金なりだが、金で時間は買えないんだなぁ――悲しいね。


「ああ、もうっ!考えるな!行くぞ!」


 言葉で何とか自分を奮い立たせて……誤魔化して、とも言う……僕は制服にさっさと着替えて階下に降りた。


 その勢いで居間に行くと、夜の内に帰宅していた兄さんが簡単に準備した朝食が並んでいた。

 今日は徹ゲーでうたたね&寝坊でもしたのか、トーストと崩れた目玉焼きのツーセット・簡単メニューだった。


「……」


 その兄さんはというと虚ろな目で機械的に……いやゾンビ的にトーストを口に運んでいた。


 いつもならそんな兄さんに突込みでも入れている所だけど、今日は生憎と絡んでいる暇はない。

 新聞を読む暇も無ければ、テレビを見る暇もない。


 目玉焼きをほぼ一口で食べて、トーストを半分に割り、その半分を牛乳に浸す事で柔らかくして一気に食べる。

 これが伏世式朝食速攻法である(今命名)。


 量が足りないが、今はそんな事は言ってられない。


 数学は二時限目。

 ホームルームまでの時間、ホームルームと一時限目の始まりまでの間、そして一時限目の後の休み、その数十分足らずしか時間がないのだ。


「ごちそーさま! 時間無いからもう行くね!」

「……? ……ああ、行って……」


 寝ぼけ気味に兄さんが返す言葉を最後まで聞かず、僕は席を立ち、猛然と家を出た……!


 とにかくがむしゃらに走る。

 雨ではない今日の天気がありがたく思えた事は無い。

 傘を差すような状態だったならばおそらく到着までの数分の誤差が出たはずだ。


 そうして駆け抜けた末、学園の下駄箱に到着するやいなや靴を履き替えて、教室へと向かう。

 だが、そうして廊下を急いでいたせいか、僕は不注意にも人とぶつかってしまった。


「あっと……すみません……!」

「いえいえ……伏世くんじゃないですか。おはようございます」

「え……? って部長……?」


 そこで僕は、自分がぶつかってしまった人が、僕が所属する理科部の部長、鈴歌すずか迂月うつきさんだと気付いた。


「あ、そのおはようございます――ぶつかってしまってすみません」

「いいんですよ」


 しどろもどろに頭を下げる僕に、部長はニッコリと微笑んだ――眩しい――綺麗過ぎて眩しい――!


 春先のあたたかな陽だまりの中にいるかのような、あたたかほんわか気分な僕だったが、今はそんな陽だまりに留まっている場合ではなかった。

 

 今は危急の時。

 一分一秒を争う事態なのだ。

 悲しいけど、この陽だまりを出て曇天もしくは雨天の元に駆け出さねばならないのである。


「す……すみません、今は急ぐので……失礼しますっ」

「あ、伏世くん?」


 首を傾げる部長を置いて、僕は教室へと猛ダッシュ。

 廊下を走りたくはなかったが、そうも言っていられない事に心で涙しつつ教室に到着する。

 戸を開くのにさえ思わず力が入ってしまったが……まあ、些事としておこう。


「おはようさん、伏世」

「伏世くん、おはようー」

「おはよっ!」


 声を掛けてくれるクラスメート達へ返す言葉が焦りからかつい大きくなる。

 皆は不思議そうな顔をしていたが、特に何も言わなかった――すみません、緊急事態なんです。


 そうして席につくやいなや、僕は鞄から数学の教科書とノートを取り出し、ペンを掲げた。


(さぁ――片付けてやる……!!)  





「……と、勢いがいいのは心だけだったわけだな」


 道杖どうじょうくんにかけられたその言葉を聞きながら、僕は机に突っ伏していた。


 すでにホームルーム、一時限目が終わり、ラストチャンスの10分休み。

 しかし、解けた問題は約半分のみ。


「ちくしょぉ……何で今日に限って難しいんだよぉ……」

「そうでもないと思うが。気が焦りすぎているのではないか?」


 先程からと同じ、腕を組んだままの体勢で道杖くんは言った。

 その言い分は正しいのかもしれないが、実際解く事が出来ない今、その真実はどうでもいい事だった。

 今は正解だけが欲しかった――でも正解は見当たらなかった。


「焦るなって方が無理なんだよなぁ――」

「いつになく、危機的状況のようだな」


 目が虚ろ気味なのが、悲壮感を漂わせているらしい。

 道杖くんは、いつになく哀れみを込めて僕を眺めていた。


 何故、昨日の僕はあんなにも余裕だったのだろう?

 今になって、自分の愚かな行動に疑問が出る。

 しかし、現状はそんな余裕すらない事を思い返し、さらに焦る。


「ぐううう……っ」

「伏世くん?」

「……どうかしたの?」


 突っ伏しながら頭を抱える僕に、二つの声が聞こえてきた。

 顔を上げると、羽代はねしろ守深架すみかさんと切那きりなさんが立っていた。


「真面目なコイツには珍しく宿題を忘れるという失態でな。

 しかも今日の日付からして当てられるのは確実……普段真面目ゆえに恐怖感が倍になっているようだ」

「ストレートに言わないでほしいなぁ……泣けるから」

「うーん……ひょっとして、かなりピンチ?」

「……」


 僕の様子を見て、羽代さんと切那さんはそれぞれに不憫なものへと向ける表情を浮かべていた。

 うう、痛い、心が痛すぎる。


 そうして、僕がそんな場合でもないのに更に頭を抱えていると――思わぬ救いが差し伸べられた。


「しかたがない、我々の内の誰かが見せてやるしかないな」

「うーん。そうだよね……河渡先生厳しいから見過ごせないよね、うん。

 私、数学苦手だけど、それでよければ」

「そうね。正直見るに耐えないし」


 うぐぐ、辛辣なお言葉が胸に刺さるがそれはそれとして。


「うう、それは助かるよ……!」

「その代わり、礼に昼飯を奢ってもらうとしよう」

「そのぐらいならいくらでもっ!」


 背に腹は変えられない。

 そう思い、声を上げる僕に道杖くんは静かに告げた。


「それで?

 このおいしい権利は誰に委ねられるのかな?」

「……そ、それは……」


 思考をフル回転させたうえで、僕は彼女の名を呼んだ。


「切那さん……! 何卒お願いしますー!」


 東条君に助けを乞うてとんでもないメニュー(主に数量的な意味で)を奢る羽目になったりするかもしれないのでそれは避けたい。

 羽代さんは数学系が少し苦手らしいので、気持ちは凄まじくありがたいんだけど、今回は切那さんにお願いする事を僕は選んだ。


「……」


 切那さんは溜息をつくような、呆れているような表情で自分の机に戻ると、ノートを開いて差し出してくれた。

 ……いろいろと痛むものはあるが、今は耐えよう。背に腹は代えられないのだ。


「ありがとうっ!!」


 僕は一言そう言ってノートを受け取ると、猛スピードでそれを書き写していった……。





「……本当に助かったよ。改めてありがとう」


 そんな瀬戸際クライシスな状況を越えて数時間後。

 学食でBランチのメインおかずであるハンバーグを箸で切り分けながら僕は言った。


 数学の時間。

 予定通りに当てられた僕だったが、切那さんの正確な……模範的な解答のおかげでどうにか事無きを得た。


 文字もそうだったけど、数式もすごく綺麗で大いに学ばせていただきました。


 そうしてかろうじて危機を脱した僕は、約束どおりに雪那さんに昼食を奢っているわけなのである。


 食堂は相変わらず五月蝿過ぎるほどの喧騒に満ちている。

 そんな中で、僕の言葉を受けた切那さんはクール――と表現するには少し違う、穏やかで静かな表情のまま答えた。


「別に気にしないで。これは正当な取引だから」


 透き通るような、小さいながらもよく響く声で呟くように言って、切那さんは正当な報酬である所のミートソーススパゲティを巻き取って口に入れた。


 ……こうやって見る分には普通なのに、全体としての食べるスピードが速いのは何故だろう。

 僕が半分食べている間に、彼女はもう殆ど食べ終わっている。謎だ。


「まあ、そう言ってもらうと助かるけど……」


 切那さんの言葉に僕は溜息交じりに頷いた。

 そんな僕を見て、切那さんは不思議そうな顔をした。


「どうしたの? 何か、不満があるの?」

「え? それは……」


 そんな切那さんの問い掛けに僕はつい苦笑を零していた。


「……そりゃ、あるよ」

「なに? 私が何かした?」

「いや、そう言うんじゃなくて……その、僕自身への不満というかなんというか」

「……?」


 虚空に視線を送り、小首を傾げつつにして考え込む切那さん。

 それだけでも絵になる姿に少し見惚れつつも、こんな事で考えさせるのは申し訳ないと、僕は慌てて説明した。


「えとね、僕は結果として君に頼らざるを得なかったから……それが悔しいやら情けないやらで」

「……どうして?」

「まあ、その、なんというか――プライドというか、なんというか……

 いや、そんな大層なものじゃないかもだけど、やっぱりちゃんと為すべき事ができてないのは、不甲斐無くて。

 しかもその結果他の人の力も借りちゃってたから、ますますお恥ずかしい限りと言いますか」


 ついつい言い訳染みた長文になる自分が恥ずかしい。

 うん、こういうのを避ける為にも、為すべき事はしっかり為さねばならないなぁと痛感する。


「……ああ、なるほど」


 そんな僕の情けない言葉に、切那さんは真っ直ぐ向き合ってくれていた。

 理解を深めるようにうなずいてから、彼女は言った。


「プライド――うん、そういう感じよね。うん、わかる」

「……そう?」

「私にも、似たようなとこ、多分あるから。

 為すべき事、ちゃんと責任もって為し遂げたいよね――他でもない自分の力で」


 そう呟いた彼女の顔は、先程から変わっていない。

 明確な感情の色がない、そんな表情のまま。

 

 だけど僕には、同じじゃないような……何処か楽しそうな表情を浮かべているような、そんな気がした――。

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