――境乃切那・表――

1 転入生と新たな日常


 僕・伏世ふくせゆうはゆっくりと通学路を進んでいた。

 朝食を簡単に済ませたので、時間的には若干余裕が出来てしまったのだ。

 この間、裏通りを進んだように、どこかに寄るのも悪くないけれど――。


「まぁ今日はいいかな」 


 分かれ道で少しだけ足を止めたけれど、結局僕はいつもどおりの道を進む事にした。

 ちょっとした非日常ならこの間の出会いで十分お釣りがくる、というものだ。

 それに、あんな事が錚々何度も起こるはずもないしね。


 ただ、少し朝食を簡単に済ませ過ぎてお腹が空いてきたんだけど……まぁ我慢しよう。

 欲しい漫画の新刊も今度出るし、無駄遣いはしたくなかった。

 

 そうして僕はごく普通に表門から学園に入っていった。


「おはよう伏世。今日は早いな」


 教室に入ると道杖どうじょうくんが声を掛けてきた。


「普通だよ普通。

 こないだはたまたま遅かっただけだよ」

「ふむ、そんなもんか」


 そうして男子二人で話していると。


「おはよう、ふーくん」


 いつのまにやら教室に入ってきていた境乃さかいの切那きりなさんこと切那せつなさんが声を掛けてくれた。

 正直、週末を挟んだ事で呼ばれ方を忘れられていたらどうしようかと心配だったのでホッとする。

 ――切那さんは、なんというか……ちょっと天然めいた所があったので、うん。


 という考えはひとまず胸の内に仕舞って、僕は挨拶を返した。


「おはよう、切那せつなさん」

「……今何か不安そうな顔してなかった?」


 鋭い。細やかな変化に気付けるヒトなんだなぁと再認識。

 ――でも、それだけに何故僕がクラスメートである事を認識していなかったのか、そんなに僕は没個性的なのか、とついネガティブな思考が浮かんだり。

 

「いや、その、切那さんに僕という存在を忘れられてないか不安になって。

 でも安心したよ」

「――そう」

「なんか大仰な言い方になってるぞ、伏世。

 コイツは少しネガティブな所があってな。

 それゆえのおかしな言動もするが悪い奴じゃないから許してやってくれ」

「こっちの彼は、こういう上から目線な所があるけど、悪い人じゃないから許してやってね」

「はっはっは、言うじゃないか」

「はっはっは、お互いさまという事で」

「ああ、そうだな――と、すまないな、挨拶を忘れていた。おはよう境乃嬢」

「……おはよう道杖君」

「ほう?

 名前を覚えてくれたのか」

「この間ふーくんと昼食を取った後で、もう少し周囲を認識しておくべきだと判断したから。

 とりあえずクラスの人達の顔と苗字は一致させたわ」


 小さくグッと親指を立てるサムズアップする切那さん。

 ……なんか、無表情とのギャップが可愛いんですけど。


「ふむ。……中々予想以上に興味深そうな人物のようだな」

「道杖くん、興味を持つなとは言う権利無いけど……あまり迷惑を掛けないようにね」

「ほう」

「なに、その不敵な笑みと面白そうなものを発見したような目は」

「まさにその通りなのだが」

「……同じ事を二度言わせる気?」

「安心しろ。迷惑をかけるつもりは基本ない。

 ……ふふ、これは暫く退屈しないかもな」

「いや、だからさ……」

「……私も退屈しないかも」

「え?」

「あ、その、境乃さん、伏世くん、道杖くん、お、おはよう」


 そうしてやりとりをしていたからか、僕は彼女――羽代はねしろ守深架すみかさんの接近に気付いていなかった。

 慌てて、という程ではないけれど、少しだけそういう心地で振り向いて、挨拶を返す。


「おはよう、羽代さん」


 羽代さんの様子は特に変わりなく、少なくとも見た感じは体調や顔色が悪いということはなさそうだった。

 この間の事があったので、引きずってはないかと週末の間も時折気になっていたので安堵する。


「おはよう。……風邪とか引いてない?」


 次いで穏やかに声を掛ける切那さん……彼女も僕と同様の気持ちだったようだ。

 ――うまく言えないけど、なんとなく嬉しくなる。


「あ、うん、大丈夫。

 ありがとう、心配してくれて」


 羽代さんの言葉に、切那さんは了解の意味なのか、何も言わず首を一つ縦に振った。


「ふむ。

 事情は知らんが、風邪は引き時治り時が重要だぞ。

 気をつけた方がいい」

「う、うん。道杖くんもありがとう。気をつけるよ」

「ぬぅ。言おうと思ってた事言われちゃったよ……」

「少し昔のネット風に言えば、言うべき事が思いつかなかった言い訳乙、と言ったところか」

「おつ?」

「お疲れ様の事で……って、そうじゃなくて道杖くん、あのねぇ」

「意味は合ってるぞ」

「いや、だから……さっきからこんなんばっかりじゃないか、僕」

「無限ループって怖くね?」

「……突っ込みって難しいなぁ」

「む、難しいね」

「ふむ……よく分からないわ」


 そうして四人で会話を交わしている内に先生がやってきて――今日の学園生活が始まった。 





 基本的に授業というのは静かに淡々と進むもので、そんな時間は当然眠くなる。

 もちろん僕も例外ではない。


 ただ、そろそろ期末テストを控えているのだ。

 ここで気を抜いたら、悲惨な――青春のせの字もないような、悲しみに溢れた夏が待っているに違いない。


 よく老け顔呼ばわりされている僕もそれなりに若者だ。そのつもりだ――うん、そのはずだ。

 そんな思いで気持ちを持ち上げて、どうにかこうにか先生による数式の説明を聞く。


 ――が、近くで聞こえる寝息が、その集中を若干散らしてくれている。


 多分、というか十中八九、道杖くんだ。


 今眠ってても所で問題ないんだろうなぁ。

 友人(勿論僕含む)にちゃっかりノートを貸してもらう腹積もりなんだろう。


 まぁ、それはそれとして、授業中に堂々寝ていられるのは流石というかなんというか……そういう部分は小心者の僕からすれば羨ましい。

 良い意味での図太さと要領の良さを少し分けてもらいたいなぁ。


 ……まぁ、そんな事を言っても仕方がないのは分かっている。


 道杖くんは道杖くんで、僕は僕だ。

 ここは僕なりに僕らしく、捻りなく真面目に聞く事にしよう。


 それに――さっきまでの眠気が今は思いっきり冴えてきているのもある。

 正直な所を言えば……お腹が空いているのだ。


 やっぱり朝物足りないと思っていたのは気のせいじゃなかったかー――我ながら見通しが甘かった。

 コンビニでパン買っとけばよかったなぁ。


 そうして僕は空腹と激闘を繰り広げながら授業を潜り抜け――どうにか昼休みを迎える事が出来たのだった、


「あー……辛かったぁ」


 腹が減っては戦はできないのだ。

 なので僕は席を立って、学食へ向かおうとした。

 どのくらい資金が残ってたかな――そう思って僕はポケットの中をまさぐった……が、そこにあるはずの感触がなかった。


「……やば」


 どうやら財布を忘れてしまったらしい。

 落とした……という可能性もあるが、今日財布をポケットに入れた覚えがない事から察すると、忘れたというのが妥当だろう。


 仕方がない……ここは道杖くんにお金を借りる事にしよう。


 午後からはまた体育があるのに、この空腹状態では乗り切れそうにない。

 道杖君は携帯でなにやらニュースか何かを流し読みしているようだった。

 折角の昼休みを邪魔するのは気が少し引けるが止むを得ない。

 僕は背中をポン、と軽く叩いて、呼びかけた。


「……どうした、伏世」

「いや、その……悪いんだけど、お金を少し貸してくれないかな。

 財布忘れちゃって……勿論明日には返すよ」


 道杖くんはしばし僕の顔を眺めていたが、ふむと呟いて、ポケットから財布を取り出した。

 さらにその中から千円札を一枚取り出して、僕に渡す。


「細かい貸し借りするのは嫌いでな。釣りはいらんから明日千円返してくれ。

 本来なら友人が少ない、ぼっちのお前の為に学食に付き合ってやりたいところだが、今日は面白い書き込みがあってな。そっちに集中したいんで、一人で昼食を堪能するといい」

「いや、別に少なくはないから。ぼっちじゃないから」

「ほう? なら何故昼時は一人か、俺との同席が多いんだ?」

「単純に大人数が落ち着かないだけだよ」


 他のクラスメート達はある程度の人数で食事する事が多く、僕的にそれは合わなかった。

 騒いだりお喋りが嫌いなわけじゃないけど、食事時はそこそこ落ち着いてたいんだよね、うん。


「それをぼっちというんじゃないのか?」

「ぼっち気質とぼっちは違うと思うけど?」

「――ふむ、まぁそういうことにしてやろう」

「論破されたのを偉そうな態度で誤魔化すのはどうかと思うよ、僕は。

 まぁいいや、ともあれお金ありがと」

「うむ」


 そう言って再び端末の画面に向き合う道杖くんを残して、僕は学食へと向かう――とそこで切那さんの姿が視界に入った。

 この間の、初めて食事を一緒にした時の光景が思い浮かぶ――所謂既視感というものだ。


 ただ違うのは――僕達が『初めて』ではなくなっている事だ。

 

「あー、切那さん」

「……ふーくん」

「えと。あの、その。もしよかったら……よかったらでいいんだけど、一緒にお昼、食べない?」


 まぁ、初めてではなくても緊張する事には変わりないんだけどね。

 我ながら恥ずかしく情けない。


「うん。いいけど」


 なので、切那さんが表情を大きく動かさず頷いてくれた事がありがたかった。

 少なくとも、僕の醜態を深く捉えてくれていないという事――にしておきたいです、はい。 




 学食での激闘を越えた後の、テーブルの上。

 切那さんの前にあるのは、見た事のある――前回と同じ食べ物だった。


「……好きなんだね」

「うん、すごく」

「もしかして毎日食べてたりする?」

「毎日じゃないけど、それに限りなく近い位」

「――飽きない?」

「全然。

 許されるなら毎日……ううん、毎食食べても問題ない位に飽きないから」


 そう言って、切那さんはフォークを恭しく手に取った。

 まるで伝説の剣でも手にしたかのような風情である――かわいい。


 そんな切那さんの目の前にあるのは、ミートソーススパゲティ。

 きっと本当に大好物なんだろうなぁと分かる位に食事に集中している。


「じゃあ、僕もいただきます」


 僕は僕で頼んだ親子丼を、ゆっくり味わいながら食を進めていく。

 会話はあまりないけれど――それでいいというか、それがいいというか。


「――ふーくん。話とか、大丈夫?」

「え?」

「私、食べるのに集中してばかりだけど、いいのかなって」


 ちょうど思考していた事柄に近しい事を切那さんが口にする。

 だから僕は、なんとなく小さく笑いながら、こう答えた。


「いいのいいの。食事は落ち着いてる方が好きだから。

 話すのも食事も基本的には静かめがいいかな」


 周囲の喧騒はともかくとして、自分達はそこそこに落ち着いている、そんな食事が僕的には好ましいのです。

 そんな答に切那さんが――


「……ん。私も、その方が好き」 

 

 そう言って食事を静かに再開した姿に、思わず「だよね」と返してから、僕もまた食事を再開した。

 時折言葉を交わしながらの穏やかな昼食は――静かだけど、僕的にはすごく楽しかった。


 切那さんにとってもそうだったらいいな、うん。


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