8 分岐前の、ささやかな日常

 切那せつなさんとも名残惜しくも別れた僕・伏世ふくせゆうは、ぼんやりと歩いて帰った。

 いつもならコンビニに寄ったりするところだけど、今日は――なんとなく感じているこの余韻を大事にしたかった。


 そうして家に帰ると、いつものように玄関先の植木鉢の下から鍵を取り出した。

 無用心と思われるかもしれないが、この街ではこれで十分に通る。

 この街に生まれ育って十数年、ずっと同じ隠し場所なのだが何かが起こったことはない。


 それだけ平和で穏やかな街だった――最近起こっている、妙な殺人事件が起こるまでは。


「――鍵の隠し場所、変えた方が良いかもね」


 なんとなく呟きながら取り出した鍵を差し込み、回す。

 鍵が開く馴染みの音を確認しつつ、僕は今時ドア式ではない扉を横にガラッと開けて家の中に入っていった。


「……ただいま」


 誰もいないのを知りつつも、僕はその言葉を呟いた。


 この時間、兄さんは兄さん曰くのバイトに出かけている。

 出張中の父さんも、気になるネタがあると飛び出している母さんも帰ってきてはいない。

 兄さんはともかく、特に両親に関してはいつ帰ってきていつ出て行くのかさえさっぱり分からなかったり。


「――ホント、父さんも母さんもいい大人なんだから報連相は大事にしてほしいなぁ」


 そんな事をなんとなく呟きながら僕は靴を脱ぎ、二階にある自分の部屋に直行した。


 僕の部屋は殺風景……というほどでもないが、何処か寂しげである。


 少し前遊びに行った友達の家にはアニメのポスターやら、自分のお気に入りのアイドルグループやバンドのポスターが貼ってあったりしたのが思い出される。


 自分でそう思うのなら工夫しろよと言われそうだが、それは気が進まなかった。

寂しげではあるが……これで僕は満足だったからだ。落ち着く、と言ってもいいのかもしれない。


 僕はその寂しげな部屋で普段着に着替え、この間買ったばかりの漫画を棚から出して、ベットに横になり暫し読みふけった。


 満足するまで読み終えると、なんとなく手持無沙汰だったのでベッドの下からあるものを取り出してみた。


 黒く光るボディのソレは……僕がこの間買ったモデルガンだ。

 グロック17という、少し前に読んだネット投稿小説の主人公が持っていた銃で、その作品内での扱いが、使いこなすキャラクターがかっこよかったから、なんとなく購入したものだったり。


 こういう玩具の銃器には推奨年齢がちゃんとあるのだけど、これは推奨年齢10歳以上となっている品物なので、その年齢をとうに越している僕が持つ事に問題はない。


 ただ、今の所ただ持っているだけで未だ試射すらした事がなかったので、近いうちに何処か人に迷惑のかからない場所で試してみようと思っている。


 そうやって僕がなんとはなしにモデルガンを構えてみたりで遊んでいると、微かにガラッと玄関が開く音がした。


 ……多分、兄さんだ。

 僕はグロック17をベッドに置いて、部屋を出た。

 階下に下りて玄関に向かうと、そこには想像どおりに兄さんが立っていた。


「おかえり」

「……ああ」


 兄さんの手に握られていたのは近くの弁当屋の袋。

 どうやら適当に見繕ってくれたようだ。


 伏世家の夕飯はランダム仕様だ。

 兄さんのバイトが遅くなり、六時半を過ぎても家に僕だけしかいない時は僕が夕食を準備する。

 母さんが家にいる時はどの場合にせよ母さんが作ってくれる。

 そして、兄さんが時間通りにバイトを終え、母さんがいない場合は今日のように弁当という事になる。

 パーセンテージで言えば僕飯が30%、母さん飯が20%、弁当が50%といったところだろうか。


 ――僕は料理がそう上手くないので、できればもう少しパーセンテージが下がってくれるとありがたいんだけどなぁ。


 何はともあれ、僕らはそんな感じでいつもどおりにテレビを――正確にはテレビを通じてネットの様々な動画を観ながら弁当を頬張っていく。

 ……ちなみに僕は唐揚げ弁当で、兄さんはハンバーグカレー弁当である。


『……なんでやねん!』

 

 テレビ画面では天然ボケの女性タレントにその番組の司会者MCが突っ込みを入れていた。


「なんでやねん」


 昼間道杖くんに素人突込みと評された事を思い出して、改めてその動作を真似てみる。

 ……上手く突っ込めているつもりなのだが、これでも素人っぽく見えるのだろうか?


 そんな事を思っているとテーブルを挟んだ向こう側から兄さんがポソリと呟いた。


「型としての練度が低い。というか、角度が甘い」

「……さいですか」


 ……どうやらこの世界は僕が思っているよりも遥かに奥が深いらしい。

 

 さておき、夕食を終え、弁当の入っていた容器を水で軽く洗うと暫くはのんびりとした時間が流れる。


 バラエティの動画が終わり、ちょうどいいタイミングになったので毎週見ていたドラマの最終回へと――動画からテレビ番組へと切り替える。


 制作した人達には大変申し訳ないんだけど、正直に言えば素直に面白いと言えるほどにはハマってなかったり。

 でも、ここまでなんとはなしでも欠かさず見てしまった以上最終回は気になってしまったのだ。


 兄さんはこの時間帯自分の部屋にこもってゲームをしているので、今この時は今のテレビのチャンネル権は僕にある。

 ……まあ、一人なのだからチャンネル権も糞も無いだろといわれればそれまでだけど。


 というわけで、一時間の間僕はひたすら画面に見入った。


 最終回の恋愛ドラマの展開としては良くある類のものだと思う。


 前回で決定的な破局を迎えてしまった主人公とヒロイン。

 追い討ちをかけるような距離的な別れ。

 だが、やりきれない。

 このままではいられない。

 友人達や色々な状況が後押しする。

 その中、2人はギリギリで再会し、本当の気持ちを告げる。

 ……大団円。

 登場人物のその後が断片的に描かれて、END。


 多分、展開的にはありきたり、そう言っていいんだと思う。

 ……だけれども。


「うう……感動したぁ……」


 当たり前の事だが、そう客観的に理解する事と心の機微は別だったりする。

 人間とは複雑ですね、ええ。

 ティッシュの箱から何枚か取り出して、僕は少し滲んだ目を拭いた。


「……こういう恋愛いいよな」


 次回から始まるドラマの予告を見ながらも、心は先程の最終回を思い返しながら僕は呟いていた。


 恋愛というのは人が子孫を残すために作り上げた幻想だという説がある。

 自己存在保存を最優先する人間が種の保存として子孫を残すためには自己を脅かす他人を信頼してその身を預けなければならない。

 その矛盾を無くすために恋愛感情というものがある……そういう事だ。


 その説を何処かの小説で読んだ時、僕は成る程なと納得する反面、何か哀しさを覚えた。

 理解は出来るがそうあっては欲しくない……そう思った。


 でも、その辺りについて僕が本当に知る日は遠いと思う。

 少なくとも、今はそんな相手がいないからだ。

 非常に残念な事だが。いや、マジで。


「彼女なんて出来る気がしないよなぁ――」


 僕は重いような軽いような息を吐きつつテレビの電源を切って、自分の部屋へと帰っていった。


 そのまま自室でなんとなくの日常を重ねた後、僕は布団に潜り込んだ。

 

 微睡みながら、ぼんやりと今日を思い返す。

 切那さんとの出会いから始まった――日常ではあるけれど、どことなく非日常な一日。


 何かが大きく変わったような、そうでもないような。

 その何かさえよく分かりもしないのに、と思わず苦笑う。

 

 でも、そのよく分からないものが――なんとなく僕の心を騒めかせていた。

 梅雨の日々の朝に響く……時に心地良く、時に鬱陶しい雨音のように。


 そんな事を考えているうちに、僕の意識はそのまま闇に吸い込まれていった――。







 連休明けの月曜日――その日も、また雨が降っている。


 特に何事もなく過ぎ去ったので、切那さんと出会ったあの日のざわめきの特別感が薄れていくようで、少し悲しかったり。

 その上雨が降っているのは――正直、気分がよろしくなかった 


 うんざりしつつも準備して階下に降りるも――兄さんは起きてきていなかった。

 また徹夜でゲームしてたんだろうなぁ。


 そんな兄さんが当てに出来ないので、簡単な朝食を自分で用意してささっと片付ける。


「行ってきます」


 誰もいないリビングに声をかけ、今日も黒い傘を持って、僕はいつものように家を出た。

 

 ――――――ここから始まる日々の先に、何が待っているかも知らずに。

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