第2話
移動して、新しくテントを張った頃には、日はもうすっかり落ちていた。
一日中歩いて疲れていたのに、さっきの熊騒動がダメ押しになり、全員ヘトヘト。夕飯を簡単にすませると、全員テントの中で眠りにつく。
こうして自然の中で寝ていると、風や虫の鳴き声等、たくさんの音が聞こえてくる。それらを子守唄にして、男は眠っていた。
しかし、そんな時間は唐突に終わりを迎える。
突然、テントが大きく揺れる。そして──
「うわあぁぁぁぁぁっ!」
誰かの叫び声で、男は目を覚ます。
するとそこには、怪物の姿があった。
全身を黒い毛で覆われ、鋭い爪と牙を持った化け物。
寝ぼけていた男は、最初それがヒグマだとは分からなかった。
だけど寝ぼけていても、本能が告げる。逃げなきゃ殺されると。
「逃げろっ!」
それを言ったのは自分だったのか、それとも他の誰かだったのか。
暴れるヒグマの足元をすり抜け、命からがらテントから飛び出し、全力で走った。
隣では、リーダーも同じように走っている。二人とも言葉を交わすことなく、一心不乱に走り続ける。
どれくらい走っただろう。
二人とも息が上がり、星の見える暗い山の中でへたりこむ。
しかし幸いにも、熊が追ってくる気配は無い。
「に、逃げられたか?」
「たぶん。俺達は、な」
一緒に逃げてきたのは、登山チームのリーダー。
しかし仲間はあと二人いたが、周囲にその姿は無かった。
「後の二人は、ちゃんと逃げられたか?」
「分かりません。逃げるのに必死でしたから」
「俺もだ。クソ、リーダーなのに情けない」
そうは言うが、あの状況だ。自分の身を守るだけで手一杯。
しかしこのリーダーは、チームを任させた責任感があった。
「アイツらが心配だ。少ししたら戻ってみるよ」
「そんな、本気ですか!? だって、あそこには熊が」
「今すぐじゃない、少ししてからだ。それでまだ熊がいたら、迷わず引き返す。俺だって怖いけど、もしかしたらアイツら、戻ってるかもしれないからな。お前は、ここに残っとけ」
「いえ、俺も行きますよ」
そう答えたのは、仲間の事が心配というのが半分。そしてもう半分は、一人になるのが不安だったから。
結局しばらく待った後、二人してテントへと引き返していく。木の陰に隠れながら、慎重に。
テントに近づくにつれ、ヒグマがいないのは分かった。
だけど安堵することはできなかった。気持ちの悪い鉄のような匂いが、鼻をついたからだ。
テントの中。そこは地獄と言う言葉が生温いと思えるほど、凄惨だった。
中には血が、肉変が飛び散っていて、気持ちの悪い臭いが充満していた。そして隅には、今日一日共に歩き、つい数時間前まで楽しく喋っていた仲間だったものの成れの果てが、無惨に転がっていた。
「うぷっ……うえぇぇっ」
友の亡骸を前に、悲しむよりも先に吐き気が込み上げてきて、寝る前に食べた夕飯をその場にぶちまけた。
リーダーも呆然としていたけど、やがてハッとしたように我に反り、自分のリュックを抱える。
「行くぞ。もたもたしてたら、奴が戻ってくるかもしれない」
「で、でも。コイツをこのままにして行くんですか?」
「俺だって辛いさ! けど、俺達だけでも生きて帰らなきゃならないんだ!」
冷たいかもしれないけど、リーダーの言うことは正しい。
男も自分のリュックを背負うと、仲間の亡骸を一瞥し、テントを去る。
(ゴメンよ。連れていってあげられなくて)
しかし歩き出したはいいものの、辺りはもう真っ暗。そして体力的にも精神的にも、二人は追い詰められていた。
だけど早く離れなくては、いつまたヒグマに襲われるか分からない。
なにしろもう二度もヒグマに遭遇し、仲間も殺されたのだ。
楽観視など、できるはずがなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます