第26話 自尊心は不羈奔放と肯定とともに

 二月の中旬。

 バレンタインも終わり、また静かな日々が始まった……と思ったが。

「なんで来たんだよ、お前ら」

「さあ。私は薫さんに呼ばれましたけど」

「ぼくも、薫に呼ばれたぞ」

 薫に呼ばれた俺、三島、黛の三人は、屋上に呼び出されていた。

 ちょっと寒い。でも、日がしっかりと出ているおかげか、少し暖かい。

 しかし、今は放課後。すぐに日が落ちて、寒くなるだろう。

「わ! 待たせたなみんな!」

 屋上に入る入り口から、薫が走ってきた。

「いや~集まってくれてありがとう」

「まあ、集まるのはいいですが、いったい何の用で呼んだんですか?」

 三島は、低い声で薫に尋ねる。

 相変わらず三島は背が高く、身体も大きい。

 マッチョって感じだ。

 体が小さな黛と並んでいると、より体の大きさが際立つ。

「実は相談があって……」

 薫はもじもじとしたあと、話を続けた。

「もっと……男らしくなりたいんだ!」

 薫は言った。

「……」

 俺たちは目を合わせる。

 ここにいる俺を含めた、薫以外の三人は、薫が結構女の子っぽいところがあることを知っているだろう。

 だから俺たちを呼んだんだろうけど、なぜいきなり男らしくなりたい! なんて言い出したんだろうか。

「なんで男らしくなりたいんだ?」

 黛が、薫に尋ねた。

「……よいちゃんと……釣り合う男になりたくてさ……」

 薫はぼそぼそと言う。

「と、とりあえず筋トレでもしようって思って……比較的ガタイのいい三島と進を呼んだんだ……いろいろ教わりたくて」

「なるほどな」

「確かに。それなら私たちが呼ばれた理由も納得が出来ますね」

 三島と俺は、顔を見合わせる。

 俺も中学の頃は筋トレしてたが……今はほとんどしていない。

 それでも、筋肉が少し落ちたぐらいだとは思うけど。

「おいおい、じゃあなんでぼくが呼ばれたんだ?」

 黛は、薫に疑問を投げかけた。

 確かに、黛は運動があまり好きではない。できないってわけじゃないけど、体力がないしな。

「ああ、黛は女の子役で呼んだんだ。なんかこう……男らしい行動とかを考えて、黛をよいちゃんだと思って練習しようかなと」

「ああ、なるほど」

「それなら適任ですね」

 俺と三島は薫の話を聞いて、また顔を見合わせた。

「いや! そうならないだろ! なんでだよ!」

「だってほかに適任がいなかったし……」

 薫はもじもじしながら言う。

「いただろ! 若葉とか!」

「若葉を女の子だと見たことないし……」

「じゃあ蜜柑は! 演技してくれるだろ!」

「いや、よいちゃんそんなに身長高くないし……」

「ああもう……もうぼくでいいよ……」

 いいのか。黛。

「それで? まずは何するんだ? 筋トレか?」

 俺は薫に尋ねる。

「そうだな。今すぐムキムキマッチョになれる方法を教えてくれ!」

 薫は、俺と三島に少し大きな声で言った。

「甘い!」

「わあ! なんだ急に大きな声出して!」

 三島は、腕を組みながら、大きな声で薫に言った。

「筋肉は一朝一夕で身に着くものではありません! 思う念力岩をも通す、そんな精神で毎日コツコツ身に着けていくものです! 一瞬で身に着けることなどできません」

 三島は腕を組み、仁王立ちをして言う。

 まあ、わかる。

 継続しないと、筋肉はつかない。体は大きくならないからな。

「そうだな。そんな急にムキムキにはなれないぞ」

 俺は薫に言う。

「そうかあ……」

「でも、薫さんなら継続してやることくらいできると思うので、ラインで私がやってるメニューの少し軽くしたものを教えておきます。また鍛えたい部位が出来たら、私に教えてください」

 そういうと三島はスマホを取り出して、ポチポチと画面を押し始めた。

「ありがとう」

 薫はスマホを取り出し、連絡を受け取った。

「じゃあ、次はどうする?」

「次はよいちゃんにするイケメンムーブを練習したいぞ! せっかく黛を呼んだしな!」

 薫は元気よく言った。

「じゃあ俺たちで考えるか」

「そうですね」

 俺と三島は腕を組む。

「……ああもう! しょうがないなあ……」

 弥生役をやるであろう黛も、しぶしぶ考え始めた。

 そして、俺たちは様々なイケメンムーブを薫に提案し、弥生役の黛に実行していった。

「よいちゃん! 今日はグットなナイトだから、忘れられないデイにしよう!」

「あらうれしいわ! 忘れられないデイにしてくれるなんて、ミーはハッピーよ!」

 ちょっと英語交じりで話すことを提案してみた。

「なんか教育テレビでやってる洋画みたいになってませんか?」

「やっぱ英語はダメか?」

 俺と三島は、真剣に考える。

「まあ私に案があります。任せてください」

 三島はそう言うと、薫と弥生……ではなく弥生役の黛に何かを伝えた。

「我はさうざうしく、袖を濡らせば、月の映りぬるほどなりき。けふは寝かさねば」

「我が袖を、きみの涙に満たしたまへ」

 薫と黛の二人は真剣な顔で、古典に出てきそうな口調で語り合った。

「ぶっ」

 あまりにも滑稽だったので、俺は噴き出してしまう。

「いや三島。僕もこれはおかしいと思うぞ」

 薫もジト目で三島をにらみつける。

「う~ん。そうですか」

「古典的には正しいが、現代的には間違ってるな。それに弥生は、古典の文化なんてわかんないだろ」

「確かに……」

 黛と三島は話し合う。

 三島は結構本を読んでいるようだし、黛も国語あたりの事には詳しいから、古典の事がわかるのだろう。

 ちなみに俺はさっぱりだ。

「あ! 今度は僕が思いついたやつをやってもいいか?」

 薫が俺たちを見回しながら、元気よく言う。

「お、やってみろ」

 俺が薫に言うと、薫は黛と何やら話し出した。

「よいちゃ~ん、今日はボトルいれてくんないの~? お嬢様なのに~?」

「え~どうしようかしら~。今日はいいことしてくれるの~」

 二人はノリノリで演じている。いや、練習している。

「はい! 中止です!」

 三島が急いで、二人を止めに入る。

「どうしたんだよ三島」

 薫は三島を見る。

「どこでそんな悪いことを習ったんですか! そんなホストみたいな立ち振る舞いをどこで習ったんですか!」

「え、ま、漫画だよ。漫画の中のイケメンがこうやってやってた」

「没収です! 今から小鳥居先輩に連絡して、処分してもらいます!」

「よいちゃんがおもしろいから、読みなさいって言ってたんだもん」

「そんな……きれいで純粋になった薫さんが……」

 三島は、その場で這いつくばって落ち込む。

 ……なんだかんだで三島って、薫の事大好きだよな……。

 この中で一番付き合いが長いし、昔の薫だって見てきている。

 こんなに明るくなった薫を見て、喜んでいるのかもしれない。

「う~ん」

 黛は腕を組んで考えている。

「どうしたんだ弥生」

 俺は黛を弥生と呼び、声をかける。

「進、こんなイケメンムーブを薫がして、弥生の心が動くと思うかしら……ってやらせるなよ」

「お前がやってんだよノリノリで……」

 でもまあ確かに、弥生が薫のイケメンムーブで心躍っているところは、あんまり想像できない。

「まあ、確かにそうかもな」

「だろ? 薫に口説かれたり、そんなことで弥生が喜んだり、惚れたり照れたりしないと思うんだよな」

 確かに、弥生が照れることなんてめったにない。

 俺とよく遊んでた時も、照れたりしてることなんて見たことないかもしれない。

「た、確かに……」

「小鳥居先輩ならそうかもですね……」

 三島も薫も納得したようだ。

「う~……まあ、今日のところは筋トレ開始の第一歩を踏み出せたし、解散でいいかな……」

 薫は、納得してなさそうな表情で言った。

「付き合ってくれたし、商店街のミス・ドーナツで少しお茶して帰ろう。奢るぞ」

「お! マジかよ!」

 奢りって言葉を聞いただけで、テンションが上がるぜ。

「それはいい。ぼくも行くぞ」

 黛も少しうれしそうだ。

「私は遠慮します。今日はもうご飯が出来ているようで……」

「そっか。ならそっちに行ったほうがいい。家族は……大切にした方がいいからな」

 家にご飯があると言う三島に、薫は言った。

「お気遣い、ありがとうございます」

 ……孤児だったこの二人が言うと、ちょっと思うところがあるな。

 あんなことがあったのに、家族を大切にした方がいいって言える薫。

 薫も成長したし、こうやって思わせるまでに大切に育てている、小鳥居家もすごいんだなあと思う。

「じゃあ、各自校門前集合でいいな」

 薫は言う。

「おう」

「じゃあ、戻ろうか」

 薫はそう言うと、屋上を後にしようとした。

 俺たちも後に続いた。



「じゃあ、いただきます」

「いただきま~す」

 俺と薫と黛は、商店街のミス・ドーナツというドーナツ屋さんにいる。

 目の前には、いくつもドーナツがある。

 黛はコーヒー、俺と薫はお茶を手元に置き、ドーナツを食べている。

「最近、弥生の勉強の様子はどんな感じだ?」

 黛は、薫を見て言った。

「ん?」

 薫は話す前に、ドーナツを口いっぱいに詰めてしまったようで、ハムスターみたいに頬が膨れていた。

「ああ、食べてからでいい」

「ん」

 薫は、一生懸命咀嚼する。

「ふ~」

 薫はドーナツを飲み込むと、お茶を一口飲んでから話し始めた。

「相変わらず、苦戦しているみたい。授業にぎりぎりついていけるくらいだから、このままだとどうしようもないかも……お医者さんになるのは難しいっぽい」

「そうか……」

 黛は一口ドーナツを食べる。

「そういや、最近、黛は弥生に勉強教えなくなったよな」

「ああ」

 黛の家に行っても、弥生が黛に勉強を教わっていることは少なくなった。

 弥生に勉強を教えていた蜜柑も、最近は演劇に力を入れているようで、帰ってくるのが遅く、弥生に勉強を教えるどころの話じゃない。

「ぼくもちょっと成績が落ち込んできてな。教えるどころじゃないし、成績トップの薫が一緒の家に居んだから、薫に教わった方がいいと思ってな。だから弥生の様子を聞いたわけだ」

「そうなのか」

「まあ、まだ進よりは成績いいけどな」

「どうだかな、俺は最近、成績伸びてんだ」

「へえ~、まあ期待している」

 黛は、にやにやしながら言う。

 俺は最近、成績がいい。

 この前の年明けの学力テストでも、偏差値は右肩上がりだった。

 考え事が減ったからかなあ。

「薫、それ一口貰っていいか?」

 黛は、カラフルなチョコが乗っているドーナツを指差して言った。

「ああ、いいぞ」

 そういうと薫は、そのドーナツをちぎると、手で黛の口元までもっていく。

「ありがとう」

 黛は、持ってこられたドーナツを口で直接受け取る。

 それから少しの間、話しているうちにドーナツは残り少なくなっていた。

「それで結局は筋トレをするわけだけど、プロテインとかあったほうがいいのか?」

 薫は、俺を見て言う。

「そうだな。あった方がいい。運動後とか、寝る前とか朝飯と一緒に飲むといいぞ」

「そうか! メモしておかないと」

 薫はメモ帳を取り出し、メモをする。

 メモをしている間、俺は少し離れた席にいる女子二人組の学生の話が耳に入ってきた。

 かなり大きな声だった。

「前の彼氏さ、男のくせにメイクとか服装とかも女の子ぽくてきもくてさ~」

「マジ? 何で付き合ったのよ」

「顔は良かったの! でも性格も女みたいだったし、ないわ! ってなって別れちゃった!」

 俺は、ふと薫を見る。

 結構しょんぼりしていた。

 恐らく、今日薫が俺たちを集めた理由を考えると、今女の子が言っていたことは、結構、薫が気にしていることなのだろう。

 弥生のために男らしくなりたい。それが薫の思いだったはずだから、裏を返すと自分が女の子っぽく振る舞ってしまっていると、薫は考えているはずだしな。

「……」

 俺は身体が勝手に動き出し、立ち上がりそうになる。

 どんな人がいてもいいし、それを否定する権利なんて、誰にもないはずだ。

 それを伝えないと。

 しかし、肩を強い力で押された。

 黛に立ち上がるのを阻止された。

「……気持ちはわかる。だが、彼女らに悪気はない。それに今ここで議論して、話して解決しようとしてどうする。こういうのは時間をかけて形成されてる考えがあるからこそ、彼女らはああいった考えをしている。今お前がどうにかしようとして、すぐ変わるもんじゃない」

「……」

 その通りだと思った。

 こればっかりは正しい。

 見知らぬ男に、自分たちが知りもしない男が傷ついているから、やめてくださいって言われても、知ったこっちゃないもんな。

 誰ですかアンタは、となるはずだ。

「僕も気にしてないから平気だぞ。ありがとう進」

「いや、感謝されるほどじゃない。俺ももっと落ち着くべきだな」

 薫は綺麗な笑顔で笑う。

「……ん」

 俺は、黛が少し腕を組み、何かを考えていることに気が付いた。

 薫も気が付いたようで、黛が何を言うのか待っているようだった。

「薫」

「なにかな?」

 黛は薫を見る。

 薫は黛を見た。

「筋トレをするのは、自分のためじゃないんだな」

「ああ、よいちゃんのため……少しでもいい男になるためだ」

「それは弥生のための、いい男になりたいってことだな?」

「うん」

「……なら、弥生にもう一度、どんな人になればいいか、聞いてみるといい」

「……あ。確かに……」

 薫は、目を大きく見開いて行った。

 確かに弥生のために、いい男になるんだった別に筋トレをして、男らしくなることだけが正解じゃないかもしれない。

「筋トレをすることを、弥生が望んでないかもしれないしな」

「そうだ。ありがとう黛。大事なことを見落としてたよ」

「うんうん」

 黛は笑顔で頷く。

「若葉を見てるとな……いやでも思うことなんだ」

 黛は少し苦笑いしながら言う。

 確かに若葉は、黛のために、直接黛の好みや希望を聞いて、黛の好みになれるように、行動を実行してきた。

 その若葉を一番近くで見て、それを実感している黛だからこそ、気が付けたことなのかもな。

「……そっか~。ねえ、黛って若葉の事好き?」

「な!」

 薫はニヤつきながら、黛に尋ねた。

「あ~俺も気になる」

「おい」

 俺も薫に便乗して、黛を問い詰める。

 黛が弱っているところなんて、めったに見られない。

 ここで便乗しないでどうする。

「……べ、別に……友達……」

「好きかどうかを聞いてるんだけど、黛」

 薫は、容赦なく黛を説き伏せていく。

「……くそ~」

 黛は頭を抱える。

「まあ……好き」

「まあ?」

「まあだってよ、薫どうする?」

 黛が「まあ……」と言ったところを、俺と薫はもっと問い詰める。

 俺はやれやれと言った感じで、薫に視線を送る。

「若葉に言っちゃうか! まあ! 好きだって」

「ああ待て待て! 普通に好き!」

「普通?」

 薫は、ずっとニヤニヤしている。

「……ああもう! ほらそろそろ食べ終わっただろ! 帰るぞ!」

「ああ! 待ってよ!」

 黛は荷物を持ち、ばっと立ち上がる。

 確かに、もう机にはドーナツも残っていないし、飲み物もない。

「三十六計逃げるに如かず!」

 黛は、誰にも迷惑をかけないようにふわっと、そして素早く店外へ出て行ってしまう。

「ああ! 逃がすな!」

「待ってよ黛~」

 俺と薫も店外へ出て、黛の背中を追いかけた。

 その後、薫の俊敏性と持久力のおかげで、俊敏性はあるが持久力はない黛が、俺たちに追いつかれるのは、言われるまでもない。

 ただ、俺と薫の話術じゃ、黛にうまくかわされて、若葉への本心を聞けなかった。



「よいしょっと……」

 入浴や歯磨きを終えて、今は寝る前。

 今日はとても寒かったので、白湯を淹れて、今は飲んでいるところ。

「よいちゃん」

 ドアの向こうから、私を呼ぶ声がする。

 このアルトボイスは、薫だ。

「入っていいわよ」

 私は少し大きな声で、ドアの前の薫に言う。

 少しすると薫が入ってきた。

「なにかしら……とりあえず、ほら。私の隣に来なさい」

「うん」

 私は座っているベッドをトントンとして、薫を呼ぶ。

 薫は、私の隣にちょこんと座った。

「それで? なにかしら? 一緒に寝たい?」

「いや……えっと……」

 私は、しっかり薫を見る。

 薫は両方の人差し指をツンツンして、気まずそうしている。

 髪は下ろしていて綺麗で、足も腕もお人形さんみたいに細くてきれい。

 いつ見ても、目の保養ね。

「聞きたいことがあってね?」

「うん」

「僕はよいちゃんのために、もっといい男になりたいんだ」

「うん」

 薫は一生懸命話してくれる。

「だから、そのために筋トレを始めようと思うんだけど……」

「うん」

「それは、よいちゃんのためになっているかなって……」

「なるほどね」

 本当に、素直でいい子。

「薫自身は筋トレをしたいの?」

「……えっと」

 薫は少し考える。

 少ししてから、薫はまた口を開いた。

「僕はよいちゃんのためになるなら、したいだけで……そんなにしたいってわけじゃ……」

「そう」

 私の願いはこの子が自分のしたいように、のびのびと生きること。

 だから、薫がしたいって思うならいい。

 でも、私のために変わろうとしているなら、無理をしないでほしい。

「じゃあ、無理してすることはないわ」

「そっか……うーん……でもよいちゃんのために良い男になるには、どうしたらいい? 僕は何をすればいいんだ?」

「そうね……うん。薫はなんでいい男になりたいの?」

「え? それはよいちゃんのため……」

 薫は自信なさそうな声で言う。

 いい男になりたいって言っているのはたぶん、自分が女の子っぽいことを気にしているってことだと思う。

 でも、別に私はそんな女の子っぽい薫が好き。

 だから。

「別にいい男になる必要はないわ」

「え?」

 私は、薫を撫でる。

「薫らしい、薫でいてほしい。そのままでいてほしいなんて言わないけど、とにかく薫らしく自然にいてくれればいい。私のために、変わる必要なんてないんだから」

 私は、しっかり薫の目を見て言う。

「やりたいことを、やりたいようにどうぞ。それが私のためになるわ」

「うん」

 薫は私に撫でられながら、頷いてくれる。

「じゃあ、寝るから。バイバイ。また明日ね。よいちゃん」

「うん。ゆっくりお休みなさい」

 私は、ゆっくり部屋を後にする薫を見送る。

「あ……」

 私は、ベッドの横にある小さなテーブルに、置いておいた白湯が入っていたコップを見る。

 白湯が冷めちゃったわね。

 でもまあ、薫が部屋に来てくれたおかげで、寒くなくなっちゃったし……。

「ま、いっか」

 私は、コップにティッシュだけかけて、ベッドに入る。

 さて、明日もいい日になるといいのだけど。



 二月の中旬。

 今は昼休み。俺と薫は珍しく、黛たちがいる二組の教室に来ていた。

「暇だな~」

 黛の友達で、バスケ部の樋口は伸びをした。

「バスケでもしに行けばいいじゃん」

 菊池は樋口に言う。

 菊池は相変わらず、ちょっといかつい雰囲気だ。

 そう言う菊池も、暇そうに座っているけど。

「体育館、今日は使えないんだよ~」

「それは残念だな」

 黛は、体育館にいけない樋口をなだめる。

「まあ僕たちも、暇だからここに来たわけで……」

「そうだな……深瀬も江口もどっか行っちまったし」

 そう。俺も薫も暇なんだ。

「そうだ。薫くん」

「なにかな?」

 樋口は薫に話しかけた。

「薫くん。インスタとかやってないの?」

「ああ! 最近始めたんだ!」

「お~じゃあフォローさせてよ~」

「いいよ~」

 薫と樋口は、スマホを取り出す。

「インスタなんてやってたんだな」

 俺は、独り言のように言う。

「写真撮れるようにもなったしな。ぼくが薫に始めるように言ったんだ」

 そう黛が言った瞬間に、遠くの席から、すごい勢いで薫に近寄ってきた女の子がいた。

「写真撮れるようになったって本当?」

 川端さんだった。薫の顔と、川端さんの顔の距離は、拳一つ分くらいだ。

 相変わらず三つ編みおさげを垂らして、少し不思議な雰囲気だ。

「あ、ああ……。き、君は誰なんだ?」

 薫は結構、困惑しているようだった。

「私は川端。演劇部の衣装担当。薫くんが写真撮れるようになったのならお願い。写真撮らせて」

「ええ……」

 川端さんは、相変わらず一切変わらない表情で言う。

 そう川端さんに詰められる、薫の表情は、ちょっと困っていそうだった。

「ああ、薫。こいつは衣装担当でもあるけど、写真も趣味なんだ。たま~に蜜柑も被写体になっていたりするぞ」

「ああ、そうなのか……」

 黛は、薫に川端さんの説明をしてくれる。

 樋口や菊池もこういった川端さんには慣れているのか、自然に川端さんが話しているのを聞いている感じだ。

「薫くんが好きそうなかわいいお洋服……いいえ。私がいつか、薫くんに渡そうと思ってた服がいっぱいあるの」

「かわいい服……」

 薫は、目をキラキラさせる。

 ちょっと待て……。

 いつか、薫くんに渡そうと思ってた服がいっぱいって……。

「なあ川端さん」

「なに? 橘くん」

「薫くんに渡そうと思ってた服って……」

「薫くんにいつかお願いして、被写体になってもらいたかった。でも写真が駄目だって聞いていてね」

 川端さんは、薫を見ながら言う。

「薫くんに無理させるわけにはいかないでしょ? それに無理させて撮った写真なんて、ただの紙切れ。ただのデータ。いつか写真を撮れるようになったら、最高の状態の薫くんを撮れるように、中村さんに薫くんの服の好みを聞いて、何着も服を作った」

「そういうことか……」

 確かに、蜜柑経由で薫の事を聞いているなら、薫をいつか撮りたいから服を作っていたというのもおかしくはない……ことはないな。おかしいかもしれない。

 でも、川端さんなりに、真摯に薫に気持ちを伝えていることは明らかだ。

「お願い薫くん。綺麗なあなたを、さらに綺麗に撮って見せるから、被写体になってもらいたいの」

 川端さんは、相変わらず真顔だ。

 でも、声は少しだけ大きくなっている。

 一生懸命気持ちを伝えているんだろう。

「ああ! もちろんいいぞ! かわいい服が着れるんだろう?」

 薫は、川端さんをしっかりと見て頷く。

「ありがとう。じゃあ今日とか……」

 川端さんがそこまで言うと、川端さんをバックハグする誰かが来た。

「話は聞かせてもらったわよ」

 弥生だった。

「小鳥居さん」

「どうも。ツイッターではよく見るけど、話すのは初めてかしら?」

「そう。初めて」

 二人は何やら、仲良さそうだった。

「川端。ツイッターなんてやってたんだな」

 菊池は川端に言う。

「私の絵とか、服とか作品とかを見てもらいたいからやってる」

「そうか。それはいいことだな!」

「そうだね~」

 菊池と樋口はにこにこしながら言う。

「え~っと。それで話によると、薫を撮りたいってことよね?」

 弥生は、川端さんに尋ねた。

「そう」

「ふふ。なら私も行くわ。私も手伝えることがあれば手伝いたいの」

 川端さんの手を、弥生がサッと両手で取る。

「それは助かる。小鳥居さんの色彩センス、薫くんへの理解度があれば、もっといい写真が撮れる」

 川端さんも表情は変わらないけど、嬉しそうなのは伝わってくる。

「日程はどうするの?」

「そう。私は今日空いてる。薫くんは?」

 弥生と川端さんは、日程について話し出した。

 川端さんは、薫の予定が空いているかどうかを尋ねた。

「空いてるぞ。多分、よいちゃんも空いてるんじゃないか?」

「私も空いてるわ」

 薫と弥生は、隣り合って楽しそうに言う。

「みんなも来る?」

 川端さんは、俺や黛たちにも尋ねた。

「行きます」

 黛は即答だった。

 ……こいつはずっとこうだ。

 薫が着飾ったりするときは、絶対見ようとするよな。

「俺も行きたいな」

 まあ俺も行くんだけど。

「俺はいけないや! 今日はバンド練があるんだ」

「俺も~。放課後は練習がある~」

 菊池と樋口は、来れないようだ。

「じゃあ薫くんと小鳥居さんと私。あとは凪くんと橘くんね」

 川端さんは、俺たちを一人一人確認した。

「じゃあ放課後。校門前で。私の家まで案内するから、そこで集合」

「了解よ」

 川端さんがそう言うと、授業前のチャイムが鳴った。

「やべ、おい二人とも、戻るぞ」

「ええ」

「うん」

 俺は、薫と弥生を連れて教室に戻った。



 放課後。校門前。

 日が少し傾き始めたころ、俺と弥生と薫は、校門前で川端さんと黛を待っていた。

「う~寒い」

 薫は寒そうに手を擦っている。

「ほら、カイロ」

 弥生は、薫にカイロを渡す。

「わ! ありがとう」

 薫は遠慮なくカイロを受け取る。

 ……前までの薫なら、遠慮して受け取らなかったような気もする。

 やっぱり、今は執事なんじゃなくて、薫は弥生と対等なんだなと、こういうところを見ていて思う。

「お、いたいた」

 声がした先を見ると、川端さんと黛がいた。

「お待たせ。じゃあついてきて」

 川端さんはそう言うと、そのまま一緒に来た黛と先頭を歩き始めた。

 俺と弥生と薫は、後に続いた。

 川端さんの家までの道のりでは、弥生と薫は仲良く話をしていた。

 どうやら俺が知らないゲームの話をしているようで、俺は静観を決め込んでいたが、もう本当に薫に遠慮する様子や、暗いような様子はなかった。

 川端さんと黛は、目を合わせたりとかはなかったけれど、話は結構しているようで、仲は結構いいようだ。

 テンションとかは結構似ているところがあるから、疲れなさそうだし、話していて楽なんだろうな。

 ただ黛と川端さんは結構マイペースなようで、歩く速度が遅く、どんどんほかの生徒や、近所のおじいちゃんやおばあちゃんにも追い抜かれるぐらいの速度だった。

 歩き始めてから十五分。川端さんは歩くのをやめて、後ろにいる俺たちの方を向いた。

「ここ。両親は今いないし、家に人を上げる許可も取ってる。遠慮しないで上がって」

 川端さんが指しているであろう家は、立派な一軒家だった。

 黛と蜜柑の家と、同じくらいの大きさだ。

 川端さんはスッと家に入っていく。

 俺たちも後に続いた。

 家に入り、まずは玄関で順番に靴を脱いでいった。

「飲み物とかいるなら、冷蔵庫にオレンジジュースがあるから、好きに飲んでね」

 川端さんはそう言いながら、玄関からリビングの横にある、下の階へ続く階段へ案内してくれた。川端さんは、階段の前で止まっている。

「ほ~おしゃれな家だな~」

 薫は、階段までの家の内装を見ながら言う。

 確かに俺の家と比べると、かなりおしゃれだ。

 なんていうか、色使いが雑多ではなく、ちゃんと計算されてインテリアなどが置かれているような印象を受ける。

「ありがとう。でも、こっから先のアトリエ……撮影所はちょっとごたごたしてるかも。ほら、ここから地下に行けばアトリエだから。階段気を付けて」

 川端さんは、地下に続く階段を下りていく。

「地下なんてワクワクするな」

 黛は、珍しくテンションが上がっているようだった。

「ああ。地下室っていいよな」

 俺も黛に言う。

 薫と弥生の二人は、そうでもなさそうだ。

 まあ、二人の家には地下室あるもんな。

 階段を下りると、かなり立派なアトリエがあった。

 グリーンバックもあり、照明なども揃っていた。

 また絵もここで描けるようで、筆やキャンバスもあった。

 また、かなり広く学校の一教室の大きさぐらいはある。

「すごいわ! なにこれ~!」

 弥生はたったったと軽く走り回り、アトリエにあるものを片っ端から見ていく。

「うちの父は写真家、母は画家。だからこうやって立派なアトリエがある」

 川端さんは、奥にある扉へ向かっている。

「仕事場だから。立派にもなる」

 川端さんは、扉の奥へ消えていった。

「グリーンバックとか初めて見たかもな」

「確かに。これが透過されて編集されて、いろいろされるんだろ?」

 黛は、ゆっくりとアトリエにあるものを触らないように、グリーンバックに近づいて行った。

 俺も、黛についていく。

「これ! すごいレアな画材よ! お父様と私で一生懸命探したのに、全然見つからなかった奴よこれ!」

「わ! 下手に触ったらやばいよ!」

 黛について行きながら、弥生と薫を見てみると、二人はなんだかわちゃわちゃしている。

 見ててちょっとドキドキする。

 下手なことしないでくれよ……。

「みんな、楽しんでいるところ悪いけど、薫くん……というかみんな、こっちに来て」

 川端さんの方を見ると、先ほど消えていった扉の奥には、たくさんの衣装が見えた。

 俺たち四人は、川端さんのいる部屋に入る。

「おお! おお!」

「すごい……すごいわ!」

 薫と弥生は、すごい勢いで衣装を見て回り始めた。

 部屋中に服が丁寧に掛けられており、一部の服はマネキンに着せられている。

 和洋中、さまざまなジャンルの服があり、目が回る。

「ここにある服のうち、半分くらいは薫くんのサイズにあっているはずだから、着たいものがあったら言って」

「ええ! いいのか! どれにしようかな~」

 川端さんは、薫に服を好きに選ぶように言う。

 薫は、どれを着るかを少しの間悩んでいた。

 少しすると着る服を決めたようで、着替えることになった。

 薫は、大事そうに服を持っている。

「そういえば、薫くんは中村さんとは違って、男の子だったね」

「ん? なにか問題なのか?」

 川端さんは薫に言う。薫はそれに疑問を持ったようだ。

 俺と黛は、その様子を服がある部屋から出て、アトリエから見ていた。

「中村さんだったら、着替えるの手伝えるけど、薫くんは男の子だから手伝えないって思って。薫くんがいいならいいけど」

「ああ……それもそうか……」

 川端さんは恐らく、蜜柑のために衣装を作っているから、着替えとかメイクとかも手伝っているのだろう。

 しかし、薫は男だ。

 いくら見た目が中性的とはいえ、ちょっと考えないといけないかもしれない。

「なら私か……進か黛が手伝えばいいかしら?」

 弥生が提案する。

「というか! 別に僕は平気だぞ! う、上くらいなら別にみられても……」

 薫は一生懸命主張する。

「だめ。多分私、薫くんの身体見たら死ぬと思うから」

 川端さんは表情を動かさず、真顔で言う。

 ……なんとも限界オタクっぽいことを言っているのに、表情が変わらないから、なんだかシュールで面白い。

「じゃあ、私が手伝うわ。二人は?」

 弥生は俺と黛を見る。

「ぼくがメイクなんてわかるわけないだろ」

「俺も」

 男どもは、堂々と宣言する。

 生まれてから、一度もメイクなんてしたことないし、必要以上におしゃれを意識したこともない。

「じゃあ、更衣室はあっちだから」

 川端さんは、アトリエにあるもう一つのドアを指さす。

「ありがとう。じゃあ、行きましょ。薫」

「うん」

 二人は、その後更衣室に消えていった。

 それから更衣室にいる二人を待っている間、黛が川端さんに話を振った。

「川端」

「なに?」

「お前はどうして服を作るようになったんだ? 両親は確かに、芸術に関しての仕事をしているみたいだが、服を作るようになることとは、あんまり関係がないように思えてな」

 確かに、黛の言うとおりだ。

 写真家と画家の娘が、服を作り始めたというのは少し気になる。

「写真が好きで、綺麗な人の写真が撮りたくて、どうしようって考えた。綺麗な人を綺麗に撮るなら服が必要だと思ったから、服を作り始めた。その過程で絵とかも描けるようになった」

「そうか。だから蜜柑の衣装も」

「そう。初めて彼女を見た時は、初めて薫くんを見た時くらい衝撃を受けた」

 川端さんは、淡々と話す。

「初めて近くでこんなに綺麗なものを見た。そう思った。中村さんや薫くんのために、服を作ってあげたいって思った」

 ってことはつまりだ……。

「川端さんは、いつか薫を撮るかもしれないから、薫のために服を作ってたってことか? 本当に撮れるかもわからないのに」

 俺は川端さんに尋ねた。

「そう。いつか写真に慣れて、私の被写体になってくれると、私は信じてた」

 川端さんは少し上を向く。

「なるほどな。俺たちは軽い気持ちでついてきたわけだけど」

 俺は黛を見る。

「川端にとっては、とんでもないくらい一大イベントだったわけだ。目標の一つだったわけだ」

「そういうこと。内心、ちょードキドキしてた」

 川端さんは、少し笑う。

 初めて川端さんが、少し柔らかい表情をしたところを見た気がする。

 その後も話していると、薫が更衣室から出てきた。

 薫の姿が、明らかになる。

「おお……」

「ああ……」

「っ……」

 俺と黛、川端さんは息を飲む。

「ど、どうだ?」

 薫は少し恥ずかしがりながら聞いてくる。

 薫は黒のジャケットを、白シャツを着ている腕を通さず羽織っており、ぴっちりとした細くて黒いスラックスを着ている。

 ネクタイは少し緩めに占められていて、胸元は少し空いている。

 中性的で、薫にぴったりな服だ。

 メイクも薄く施されており、眉はいつもより薄く、よくわからないが、目元もいつもと違う気がする。普段より、女の子みたいだ。

「似合ってるぞ薫!」

 俺は、薫を褒める。

「いい」

 黛は言う。

「尊い」

 川端さんは言う。

 見惚れていると、更衣室からフラフラしながら、弥生が出てきた。

「は、早く撮りなさい……私はとんでもない化け物を生み出してしまったのかもしれないわ……こんなに……かわいい子が……うっ」

 弥生は、その場でばたんと倒れた。

「よし! 今すぐ撮影だ! 川端! なにか出来ることはあるか!」

 黛はテンションが明らかに上がっており、川端さんに指示を促す。

「照明! 私の指定した通りに動かして」

 川端さんは、小走りでカメラをセッティングし始めた。

「はい! ほら進も」

「おう!」

 俺と黛も、薫を撮影する準備を始めた。

 それからは、薫は撮影しては、次の衣装。撮影しては次の衣装と言った感じで、撮影は続いて行った。

「あ、メイド服もあるぞ! 黛、着た方がいいか?」

「ああ! もちろん!」

 という流れでメイド服を着て……。

「ぐはあ!」

 そんな薫のミニスカメイド姿を見て、黛がノックアウトしたり。

「薫くん。女子高生にはなりたい?」

「なりたいかも……」

「よし、じゃあ次はこれね」

 と川端さんが薫をそそのかし、萌袖ミニスカセーター女子高生になった薫を見て……。

「ぐは!」

 更衣室から倒れた弥生が、なぜか吹き飛ばされながら出てきたりした。

「いい! いい! 薫くん! まだまだ着たい服があったら着ていいよ」

「ええ~……じゃあ~」

 川端さんのシャッターを押す指は止まらず、薫もあれやこれやと好みの服を着ていった。

 俺はというと、黛や弥生のテンションの高さを見て、逆に冷静になった。

 周りにおかしい人がいると、冷静になったりするよね。

 薫はというと、ずっと楽しそうに、女の子っぽい仕草をしながら、撮影に臨んでいた。

 前にメイド喫茶でバイトした時も、嬉しそうにメイド服を着てたから、本当はこうやってかわいい格好をしたかったんだろうな。

 その後、少しテンションも落ち着いて、あと二着ぐらいかな~と薫が言って、そろそろ撮影会も終わりそうになった頃。

 外は、すっかり暗くなっている。

 俺は、照明の前で座って休憩している。

 黛は、はしゃぎ疲れたのか、アトリエの端っこに座って休憩している。

「川端さん」

「なに?」

 弥生が、更衣室からチラッと顔を出して、川端さんを呼ぶ。

「この服、結構胸元が余るのだけれど」

 弥生は、川端さんに服を見せる。

 川端さんはそれを受け取り、見た。

「ああ。これは中村さんの衣装」

「だから、胸元が余るのね」

「そう。多分更衣室の棚に胸パッドがあるから、薫くんがもし嫌がらないなら使って」

「そう。ありがとう」

 そう言うと弥生は、更衣室に戻っていった。

 そっか、蜜柑の衣装もあるよな。

「蜜柑もたまにここで写真撮るのか?」

 俺は川端さんに尋ねる。

「そう。撮る」

「だから蜜柑の衣装があるのか」

「そう」

 川端さんは、カメラの調整を始めた。

 よくよく考えたら、蜜柑と薫の服のサイズは同じだから、今まで着た服の中には、蜜柑のために作った服もあったのかもな。

 その後、撮影が終わり、それぞれ帰り支度をし始めた。

「薫くん」

「ん? なにかな?」

 川端さんは、薫に話しかけた。

「良ければ、ここにある服持っていって」

「え、いいのか?」

「うん。ここにあるだけじゃ、服は輝かないし、喜ばない。薫くんみたいに綺麗な人が着てこそ、服は輝く」

 川端さんは、相変わらず真顔で言う。

「じゃあ好きなのを、一つか二つくらいもらいましょうか。ね、薫」

 それを聞いた弥生は、薫に言う。

「うん。じゃあ最初に着たやつと……女子高生のやつをもらおうかな」

「了解。じゃあ、包装するから、上で待ってて」

 そう言うと川端さんは、服が置かれている部屋に入る。

 薫と弥生、黛は上の階へ行った。

 ちょっと大変そうだし、川端さんを手伝おうかなと思った俺は、川端さんのいる部屋に向かう。

「おーい、手伝おうか?」

「……」

 川端さんは少し俺を見た。

 特に表情は変わらない。

「じゃあ、この畳んである服を、この紙袋に丁寧に入れて。器用だし、出来るでしょ」

「おう」

 俺は、川端さんに言われた通りの事をしようと、服を丁寧に扱う。

「川端さんは、綺麗な人の写真が撮りたいのか?」

「そう」

 俺は、適当に話を振る。

「それは男でも女でも?」

「性別なんて関係ない。私が、綺麗と思ったものを撮りたい。だって、人によって、綺麗だって思うものなんて違うから」

「そっか、それもそうだ」

 確かに何を綺麗に思うかなんて、人によって違う。

「そんな綺麗な人を撮りたいから、私はその人が喜びそうな服を作る。似合う服を作る。それが一応の対価のつもり。だから薫くんにも服を持っていって、って言った」

 川端さんは、服を紙袋に詰めながら言う。

「本当に、川端さんから見た、綺麗な人が好きなんだな」

「うん」

 川端さんは小さく頷く。

 好きなもののために頑張る……。

 形は違うし、川端さんは恋愛心なんて、一つもないだろうけど、好きなもののために頑張るのは、若葉に少し似ているかもな。

「あなたはどんな人が好き?」

「え、俺?」

「そう」

 川端さんは手元の作業を止めて聞いて来た。

「俺はう~ん」

 そう言われると難しい。

 どんな人って言われると、言葉にするのは難しい。

 それでも俺はなんとなく思ったことを、なんとなく言葉にする。

「よくわかんねえけど、なんか守ってやりてえな~って思うやつと、一緒に居るうちに……好きになるな」

「そう」

 川端さんはまた、手元を動かす。

 しかし、川端さんの口が動くことはなかった。

 ただ、少し手元が浮ついているような、楽しそうに動いているような、そんな感じがした。



 帰り道。

 すっかり辺りは暗くなり、残業帰りの社会人なども多くいる。

 周りの人は、みんな寒そうにしている。

 駅前まで、俺と黛と弥生と薫は、一緒に商店街を通り、帰ることになった。

 黛と薫は、俺と弥生の少し前を歩きながら、楽しそうに話している。

 薫は貰った服が入った大きな紙袋を、大事そうに抱えている。

「よかった。薫が楽しそうで」

 弥生は嬉しそうに、まるで息子を見るような目で言う。

「そうだな」

 そんな嬉しそうな弥生を見て、俺もなんだか嬉しそうになる。

 幸せを分けてもらった気分だ。

「ねね、聞いてほしいのだけれど」

「はいはい、なんですか」

 弥生は、楽しそうに俺をしたから見上げる。

「今日面と向かって、川端さんみたいな、服とか絵とかが上手な人と話して思ったのだけど、私やっぱりデザインとか絵とか、そういったものが好きみたい」

「ふんふん」

「で、そろそろ進路を決めないといけないじゃない?」

「そうだな」

「デザインとか、そっちの道もいいなって思った。お父様みたいに医者になるのもいいけど、改めていいなって思っちゃった。また一つ悩み事が増えちゃった」

「……まあ、まだ何とかなるだろ。あと一年無いくらいか。あとちょっとだけ考えてもいいんじゃないか?」

「ふふ、そうね」

 弥生は、口に手を添えて上品に笑う。

 話していると、駅前にたどり着いていた。

「お~い。よいちゃん~。徹さんが迎えに来てくれているぞ~」

 薫が、少し遠くから呼んでいる。

 薫の後ろには車があった。

 よく見ると徹さんが車の窓から顔を出し、黛と話している。

 俺と弥生は、少し速足で車へ向かう。

「お迎え、ありがとうございます」

「別にいいんだ。寒いだろう、早く乗りなさい」

 弥生に感謝を伝えられると、徹さんは、にこやかに言った。

 薫と弥生は、車に乗り込む。

 薫は前の助手席に。弥生は後ろに乗る。

「黛は歩きでいいかな」

「うん。さすがに歩いたほうが早いし」

「わかった……進くんは乗っていくかい?」

 徹さんは、俺に尋ねてきた。

「え! いやクソ遠いし、いいですよ」

「そうか。じゃあ気を付けて帰るんだぞ」

 徹さんは、優しそうな声で言う。

「はい」

 俺は返事をした。

「じゃあな進」

「またね」

 薫と弥生は、挨拶をしてくれる。

「ああ、またな二人とも」

 俺がそう言うと、車は静かにエンジンがかかり、ゆっくりと走り出した。

 俺と黛は、軽く車を見送る。

「そんじゃ、寒いしサクッと帰るわ」

 俺は黛に言う。

「おう。またね」

「うす」

 俺と黛はそう言って、駅前で別れる。

 ……ああ、寒い。暗い。

 でも、今日はいいものが見られた。

 みんな楽しそうだったし、俺も楽しかったな。

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