第25話 咲きかけのスズラン

 二月の頭。

 寒さは相変わらずだ。

 三年生は受験ということで、学校にいない。学校はいつもより静かだ。

「暇だな」

「そうだなあ」

 今は昼休み。俺の席の周りでは、薫と深瀬と江口が座りながら、思い思いに過ごしている。

「もぐもぐ……」

 薫は弁当を食べたのにもかかわらず、チョコを食べている。

「薫、一個ちょうだい」

 俺は薫に言った。

「ん」

 薫は、俺に食べているチョコの箱を差し出してきた。

 俺は、そこからチョコを一個取る。

「サンキュー」

 チョコはあんまり甘くなくて、少しさっぱりしていた。

「二人にもあげるぞ」

 薫は、江口と深瀬にもチョコをあげた。

「どうも~」

 二人もチョコを一つとる。

 俺は適当にスマホを取り出して、天気をサラッと見る。

 どうやら明日から寒いらしい。

「うわ、明日くそさみぃらしいぞ」

「らしいな。朝のニュースでやってたぞ」

 薫がチョコをカバンに片付けながら言った。

「マジかよ、今も寒いのに」

「やだな~」

 深瀬と江口は、嫌そうな声で言う。

「パス痛いんだよな、寒いと」

「ああ、わかるわ。あと床冷たい」

 深瀬が言っていることに、俺は同調する。マジで痛いんだよな。特に一年の冬の頃に受ける、先輩のパスが痛いのなんの……。

「キーパーはどうなんだ? ハンドボールって早いしやばいだろ」

 深瀬は、江口に尋ねた。

「やべえよ。ちなみに」

 江口はハンド部のキーパーだ。普段はお調子者だし、あんまりイメージ無いけど意外とかっこいいし、結構な実力との噂だ。

「あとつけるとしても軍手だしな……たまに素手だし……」

「ええ! 素手なの?」

 俺は、江口に尋ねた。

 あんなに速いボールを、素手で受け止めるなんて大変だろう。

「ああ。痛いんだけど……素手じゃないと、どうしてもボール握りにくいからさ」

「ああ、そっか」

「ハンドは片手だもんな~」

 深瀬はそう言いながら、伸びをした。そしてまた深瀬は口を開いた。

「薫くんは部活やんなかったの?」

「そうだな。そういえば、これといってスポーツはしたことないな……」

 薫は、人差し指を頬にあてながら言った。

「もったいなかったな。足早いし、やればなんかできそうなのに」

 俺は薫に言った。

 まあ昔の事情もあったけど、薫の運動神経なら、何かしら才能が有りそうなスポーツの一つぐらいある気がする。

 というか、陸上とかやったら、絶対伸びるだろうな。

「まあ、別に運動はそんなに好きじゃないし……ゲームとか勉強とかの方が好きだし、続かなそうだけどね」

 薫は言う。

「薫くんってインドアなんだな。運動できるし、アウトドアだと思ってた」

 深瀬が言った。

「うちの人が、みんなインドアだからなあ」

 確かに、薫の家の人たちって、みんなインドア寄りの人たちが多そうだ。

 弥生はゲーム大好きだし、武さんもそんなに遊んでる感じもない。

 徹さんもそんな雰囲気もない。黛の両親のことを考えると……意外とアウトドアかもだが、黛自体はインドアだからな。インドア派かもしれないし、可能性は半々といったところか。

 まゆちゃんは……わかんないけど。

「あ、そういえば……薫くんのチョコ食べて思い出したけど、そろそろバレンタインだぞお前ら!」

 江口は、急に声を大きくして言う。

「ああ、そうだな」

「そういえばそうだね~」

「もうそんな季節か」

 俺と薫、深瀬はあんまり大きく反応しない。

 だって反応したら、なんかこう……モテない男感……出ちゃうじゃん? 

 いや、まあモテないけどね。俺は。

「なんだお前ら! テンション上がらないのか……ってそうか、そうだよな……」

「どうした江口」

 俺は、江口に尋ねる。

「多分、この二人はバレンタイン困らないからさ……」

 江口は、パッパッと軽く二人を交互に指さした。

「ああ……」

 薫は言わずもがな、めっちゃモテる。

 なんなら、最近彼女と別れただの、明るくなっただの、そういったことの影響もあり、前より薫の話をあちこちで聞く。

 深瀬は生徒会副会長だし、バスケ部だし、顔もいいし、男らしいところもある。深瀬もモテるんだ。

「ま、元気出せよ江口」

 深瀬は、ニヤつきながら言う。

「くそ~!」

 江口は悔しがる。

「薫は去年、どれくらいチョコ貰ったんだ?」

 俺は薫に聞く。

「わからん。いっぱい貰ったぞ」

「だろうな……」

 薫はきょとんとした顔で言う。

「噂だと、サイン会みたいな列が出来てたらしいな」

 深瀬は言った。

「え? 薫さんほんとですかそれは」

 俺は薫を見る。

「ああ、そんな感じだった気がする」

「マジかよ」

「うわ~見てみてえなそれ……」

 俺と江口は驚愕し、頭を抱える。

 もう芸能人みたいなもんじゃん。それは。

「でも進ももらえるだろう。今年は」

「ああ……そうだといいんだけどさ」

 薫が俺に言ってくれたように、今年はもらえるといいんだけど。

 去年はバレンタインを楽しめる状況じゃなかったからな。

 今年はもらえるといいんだけど。

「江口くんももらえるよ。なんなら僕が作ってこようか?」

「マジ! もういっそのこと薫くんでもいいか!」

 江口は両手を上げて喜ぶ。

「馬鹿たれ。一番倍率高いだろ薫くんは」

「そうだぞ、モテモテなんだから薫は」

 深瀬と俺は、順番に江口にツッコむ。

「そうだわ……」

 江口は、ハッとしたような表情で言う。

 その時、授業が始まる前のチャイムが鳴った。

「やべやべ、日本史日本史」

 深瀬は、席に戻る。

「資料集ロッカーだ」

「あ、俺も」

 薫と俺は、ロッカーに行くために立ち上がった。

 その後、席に戻り、授業の準備をしていると先生が入ってきて、授業が始まった。



 放課後。

 最近、黛と蜜柑の家に遊びに行っていなかったと思ったので、黛に連絡を取り、遊びに行く連絡をした。

 校門を出てから、すぐに向かう。外はポケットから手が出せないほど寒かった。

 そして黛と蜜柑の家に着く。本当に学校から近くて便利だ。

 インターホンを押すと、エプロン姿の黛が出てきた。

「よお」

「どうも」

 黛は、中に通してくれる。

「なんか作ってたのか?」

 俺はエプロンを着ている黛を見て、思ったことを尋ねた。

「……ああ、ちょうど練習してるとこだ」

「練習?」

 黛はそう言いながら、玄関から廊下へ向かう。廊下の先にはリビングがある。

「ああ、バレンタインの……」

 黛はそこまで言うと、俺の顔を見て、「やっちまった……」と言いたげな顔をした。

「……な、なに?」

「……な、何でもない。今更帰れとも言えないしな」

「……だから、なんでそんな困ってるんだよ」

「まあ……杞憂ならそれでいいんだけどな。ほら、早くリビング来いよ」

「うん」

 そう言うと俺は、黛に続いてリビングに入っていく。

 リビングに入る前にあるキッチンを見ると、蜜柑と若葉と未来がいた。

 三人ともエプロンを着て、何かを作っているようだ。

「なんだ、揃いも揃って」

 俺は、三人を見て言う。

「どうも~進さん」

 蜜柑は、笑顔で挨拶をしてくれる。

「今、チョコの試作をしてるんですよ」

「あ、そうなの」

 俺は荷物を適当なところに置くと、キッチンに様子を見に行く。

「ああ! ダメ進は来ちゃ!」

 キッチンに近づくと、若葉が通せんぼをしてきた。

「ええ、なんでさ」

「だって……ね」

 若葉は、後ろのキッチンにいる未来を見た。

 ……ああ……なんとなく言わんとしてることはわかった。

 若葉は多分、未来は俺のチョコを作っているから、気を使って入っちゃダメだって言っているんだろう。

 黛が少しやっちまったなって顔をしていたのも、そのせいだろう。

「女の子と黛くん以外、入っちゃだめだってさ」

 未来はチョコから目を離さずに言う。

「わ、わかりました」

 俺はキッチンの前から引き返し、リビングに戻った。

 黛もチョコ作りの指導で忙しそうだったので、せっかくだし課題でもやろうと思い、課題に取り掛かった。

 少しすると、若葉はチョコ作りが終わったようで、エプロンを脱いで、ソファに座った。

 若葉はその後、アニメをテレビで見始めたので、俺もソファに向かってアニメを見ることにした。

「そういやさ」

「なに?」

 若葉はアニメを見る視線は動かさずに、返事をした。

「いいのか? 黛にチョコ見られているけど」

「ああ。うん。だって黛に渡すことぐらい、もうバレてるし、す、好きなのもバレてるしさ……」

「あ、そっか」

 いっそのこと、バレてもいいから、料理がうまい黛に教わってやろうって感じなんだろうな。

 適当にアニメを見ながら、雑談やらなんやらをしていると、時刻は夜の七時。

 そろそろ帰らないとって思っていたところ、未来がエプロンを脱ぎ、帰り支度を始めていたので、ちょうどいいし、一緒に帰ることにした。

「未来、帰るの?」

「ん? そう。進も帰る?」

「うん。帰ろうぜ」

「うん」

 そう言いながら、俺は荷物を持つ。

 そして未来とリビングの出入り口辺りまで行き、キッチンの後片付けをしていた黛と、アニメに夢中な蜜柑と若葉に挨拶をする。

「じゃあな」

「おう。また来いよ。暇ならさ」

 洗い物をしながら、黛は言う。

「ありがとね黛くん」

「いいんだ。得意分野だしな。頑張れよ」

「うん」

 未来も黛に挨拶する。

「じゃあね! 二人とも~」

「さよなら~」

 アニメを見ていた蜜柑と若葉も、挨拶をしながら手を振ってくれる。

 俺たちは「またね~」と言いながら、手を振り返す。

 そのまま俺たちは、玄関から外に出て、駅に向かった。

 特に話し続けるわけでもないが、適当な会話をしながら、電車に乗り、俺たちの最寄りに着いた。

 もう八時近いこともあり、駅前には社会人も多く、とても寒くて暗かった。

 駅の改札から出ると、すぐに目の前にパチンコ屋があり、そこを左に曲がる。

 次を右に曲がり、その次の分かれ道で左に向かうと、階段がある。

 そこを降りると高架下。あとは川沿いをまっすぐ進むだけだ。

 未来は、途中で大通りから逸れて、山登りして家に向かわないといけないけどな。

「さぶ」

「寒いな」

 未来は、高架下のコンビニが近くにある信号を待ちながら、寒さに震えていた。

 確かに寒い。

「コンビニ! コンビニよっていい? なんかあったかい飲み物飲みながら帰ろうよ」

「ああ、うんいいよ」

 そういうと俺たちは、信号が青になってから信号を渡り、コンビニに入る。

 あったかい飲み物が置いてある場所に向かう。

「俺はミルクティーかな」

「私は……ストレートでいいや」

 隣り合っているミルクティーとストレートティーを、俺たちは手に取る。

「じゃんけんで負けた方奢りっていうのは?」

 俺はちょっと提案してみた。左手を俺は構える。

「悪くないね。じゃんけん……ぽん」

 未来も左手を構えて、じゃんけんをした。

 結果は俺の負けだった。

「あ」

「じゃ、よろしく~」

「くっそ……」

「外で待ってるから、早くしてよね」

「はいはい」

 そう言うと未来は、外へ向かっていった。

 俺は、手早くレジに飲み物を通す。

 そして外で待っている未来の元へ向かった。

「どうぞ」

「どうも」

 俺は、持っているストレートティーを渡す。

「ちょっと飲んでからいく? 歩きながらでもいいよ?」

 未来は尋ねてきた。

「ちょっと飲んでこうか」

「うん」

 俺たちは、コンビニの前に座る。

 もちろん、他の人の邪魔にならないように。

 俺はボトルの蓋を開けて、ミルクティーを飲む。

 甘くてあったかくて、いい匂いがした。とても安心する。

「……ふう……」

「はあ……」

 俺と未来は息をつく。

「……私、変わった?」

「……変わったってどの辺が?」

「いや、なんかなんとなく……雰囲気とか」

「う~ん」

 咲としての記憶を取り戻しても、特に変わっている様子はないような気がする。

「見た目ぐらいだな」

「そっか……」

 未来はしゃがみながら、下を見る。

「なんか気になってることでもあんの?」

「……ん~」

 未来は立ち上がり、少しストレートティーを一口飲んだ。

「薫くんさ、明るくなったじゃん。変わったじゃん」

「そうだな」

「薫くんはあんなに変わったのにさ、私は変わらないなって」

 未来はまっすぐ前を見ている。

「ちょっと思うんだよね。進は私を助けてくれて、記憶も思い出させてくれた」

 少し未来は下を向いた。

「でも私は変わらなかった。進は私を見つけ出してくれたのに、私に良いことをしてくれたのに、もう咲の性格をしている私はいない。見つかったのは、助かったのは、咲の顔をした未来だった」

 未来はぼそぼそとした声で話す。

「咲を助けるのが目的なのに、その目的の咲の性格が変わり果てていた……っていうのは、ちょっと進に申し訳ないなって思うんだ。私が咲の性格に戻らないで、未来でいるのがさ」

 未来は眉を下げて、申し訳なさそうな顔をする。

「別に気にしてねーよ」

 俺はぶっきらぼうに言った。

 別に気にするほどでもない。

 俺の事を思い出してくれただけでもうれしいし、それ以前に記憶を失っているなんて、思いもしていなかった。

 未来は少しだけ、咲に見た目を寄せてくれたし、それだけで、いや……それすらなくても、良かったと思う。

「咲の性格は残ってないかもだけどさ、見た目は咲だし、たま~に咲の性格の雰囲気も感じるからさ、今のままでいいと思うぞ」

 俺は未来を軽く見ながら言う。

「ま、たまに出かけたりとか、それくらいしてくれるだけでうれしいさ」

「そ……っか」

 未来は小さい声で返事をした。

 寒いせいか、未来の顔は赤くなっていた。

「さ、そろそろ行こう」

「うん、帰ろうか」

 俺が帰ろうと提案すると、未来はすぐに頷いた。

 隣り合って歩き出した俺たちの肩は、今までよりも近くなっているような気がした。



 バレンタイン当日。

 今は駅から学校までの道のりを歩いている。

 相変わらず、交差点から学校側の道は狭く、駅に向かう社会人と学校に向かううちの生徒が、道を譲り合って歩いている。

 今日もかなり寒く、ポケットから手を出すことはやっぱり億劫だ。

 学校に着き、下駄箱の前まで来る。

 下駄箱を開けると、そこには小さい綺麗に包装された箱があった。

 見ればわかる、絶対バレンタインのチョコレートだ!

「……っ」

 俺は周りに誰か見ている人がいないか確認しようと、恐る恐る周りを見渡した。

 まだ朝早いこともあり、人は少ない。

 俺は一度手に持った箱を、バッグの中にサッとしまう。

「やあどうも、グットモーニング進くん」

「わあ!」

 バッグにしまうと同時に、柏木さんが話しかけてきた。

「……そんなに驚かなくてもいいのに~」

「……ああ、そうだな。おはよう柏木さん」

 柏木さんは、にこにこ笑顔で話している。

 今日も、ふわふわショートヘアーを揺らしている。

「あ、ちなみにそれ私のね」

「え! ええ!」

 柏木さんは、俺のバッグを指差しながら言った。

「ほんとはもっとちゃんと渡そうと思ったんだけど、でも私は主役じゃなさそうだなって思ってさ」

 柏木さんは、ニヤつきながら言う。

「感謝してくれたまえよ~結構気合い入れて作ったんだから~」

「あ、うん。ありがとう」

 俺は、柏木さんに感謝の意を伝える。

 もう去年のチョコの数は超えた。

 こんなあっさりと。

「じゃあ、また教室で……」

「あ、待って」

「ん?」

 俺は柏木さんを呼び止める。

「これ、義理?」

「……」

 柏木さんは、少しだけ微笑みながら俺を見た。

「そういうこと、聞いちゃうんだ~」

「あ! わ、悪い!」

 柏木さんは、またニヤついた。

「まあいいよ。義理か本命かは言わないけど~」

 柏木さんは、俺に背を向け、教室側を向く。

 そのまま、顔だけを少しこっちに向けて言った。

「進くん以外に渡す予定はないかも……ってことだけ言っておこうかな! じゃね! また教室で!」

 柏木さんはウインクをしながら、顔の横で伸ばした人差し指を振りながら言った。

「……」

 俺はまあ、ドキドキしていなかったと言ったら、嘘になる。

 ただ、一つ思ったことがあった。

 渡し方……うますぎだろ……。

「男」ってのを、理解してる! あの女!

 俺はそのまま、少し体に熱を持ったまま、教室に向かった。



 午前の授業が終わり、昼休み。

 恐らく半分くらいの生徒が、ここでバレンタインのチョコやらなんやらを渡すはずだ。

「いや~。ちょっとソワソワしちゃうぜ! なあみんな!」

 と浮かれた声で言うのが江口。

 今は俺と深瀬と薫と江口で、机をくっつけて弁当を食べている。

「いや、そうでもないな」

「僕もそうでもない」

「江口だけだぞ。そわそわしてんの」

 俺と薫と深瀬は、特にいつもと変わらない様子だった。

 俺はもう一個貰ってるし、薫や深瀬は貰っているか、別に本当に気にしてないのかのどっちかだろうしな。

「え? もしかしてお前らもう貰ってんの?」

 江口は俺たちに疑いをかけているようだ。

「まあ」

「ぼちぼちかな」

「僕もぼちぼち」

 俺たち三人は、顔を合わせる。

 江口は、悔しそうにしている。

「ああ! 裏切り者! ゆるせねえ……進は」

「なんで俺!」

「お前はこっち側だろ!」

「勝手に巻き込むなよ!」

「いいや! 巻き込むね!」

「お前もこれからもらえるかもしれないだろ!」

「……本当か……」

「え」

「本当にもらえるって……言い切れるのか……」

 江口は真剣なのか、ふざけているのかわからないような、そんな顔をした。

 多分、こいつの事だから、ふざけてるだけだ。

「俺もらえなかったらどうじよー!」

 江口は、濁点交じりの泣くフリを始めた。

 机に伏せて、泣いている。

「はあ……」

 俺はため息をつく。

 深瀬は弁当を食べ終えたようで、スマホを確認している。

 薫は、一生懸命弁当を食べている。

 なんだかんだ、いつもの昼休みだなと安心しながら、ふと廊下側をみると、すごい人数の生徒がこっちを見ているのが見えた。

 ただ、見ているのは俺でも深瀬でも、もちろん江口でもなく、明らかに薫を見ていた。

「おい」

 俺は薫の肩を叩く。

「なんだ?」

 俺は廊下を指差す。

 薫が、俺が指差した廊下を見ると、少しざわついた。

 薫がニコッとしながら手を振ると、廊下の生徒たちが黄色い声をあげながら手を振った。

「ちょっと行ってくるよ。行かないと、廊下が渋滞して大変なことになりそうだし」

「ああ、交通整理頼むな」

「生徒会からも頼む」

 俺と深瀬は、薫を送り出す。

 薫は廊下に出ると、「並んでもらっていいかな?」と言った。

 それと同時に、薫を待っていた女子たち……いや、男子もいるから、学生たちはとてもスムーズに並びだした。

 あれなら、邪魔になることもない。

 それから薫は、一つ一つ丁寧にチョコを受け取っていく。

 俺たち三人はというと……そんな様子をぼーっと見ていた。

「すげえな。マジでサイン会じゃん」

 深瀬が言う。

「剥がしとかいるかな」

 俺は言った。

「いや、統率取れてそうだし良いんじゃね? 民度いいぞ薫担」

 江口は言った。

 ただ、箱でいっぱいになりそうで、薫は両腕を使って箱を抱え始めていた。

「俺、袋おいてくるわ」

 江口はそういうと、サッと薫のところへ紙袋を持っていき、サッと戻ってきた。

 薫はそれに気が付いたようで、ちょっとこっちを向いて、ニコッと笑った。

 そして、丁寧に薫は貰った箱を紙袋の中に入れた。

「やるじゃん」

 俺は江口に言う。

「どうも」

 江口は渾身のどや顔をしていた。

「さすマネ」

「さすマネってなに?」

「さすが、マネージャーの略」

「いやマネージャーじゃねえよ」

 深瀬のボケに、江口がツッコむ。

 俺はというと、弁当を食べ終わっていた。

 腹ごなしにちょっと歩こうかな。

「ちょっと歩いてくるわ」

 俺は席を立つ。

「おう、ついでにほかのクラスどうなってるか、軽く見に行ってくれ」

「はいよ」

 俺は江口に返事をしてから、ゆっくりと教室を出た。



 俺は一階の自販機に向かい、コーヒーを買った。

 昇降口から一番遠い、裏口の近くの自販機ということもあり、とても静かだった。

 静かだったので、少しその場でゆっくりしようと思い、自販機の横に座り込む。

「うわ、なにしてんの」

「え、あ、なんだ黛か」

 座り込むと同時に、黛が自販機の前まで来ていた。

「チョコは貰ったか?」

「まあ、ちょっとね」

「それは良かった」

 黛はそう言いながら、ブラックコーヒーを買った。

「そっちは? 若葉からは貰ったのか?」

「うん。貰ったよ」

「そりゃよかった」

 黛は俺の横に立ち、コーヒーを開ける。

「どうやって渡されたんだよ~」

 俺は、少し茶化すような感じで尋ねる。

「……好きなことはバレてるし、本命だってバレてるし、いっそのことサラッと渡しちゃうね。大好きだよ~黛~って言って、そこまで言ったら、顔真っ赤にしてどっか行った」

「あっち~」

 黛は苦笑いしながら、若葉が黛にチョコを渡した様子を説明してくれる。

 いいなあ……青春してるなあ……。

「そういや、薫はどうだった今年は」

 黛は、薫の様子を聞いて来た。

 そのあと、コーヒーをぐびっと飲んでいた。

 この感じだと、多分去年もサイン会だったのだろう。

「すごいな、あれ。サイン会じゃねえか」

「やっぱりか。今年の蜜柑もすごかったし、薫もだろうなって思ってな」

「蜜柑もすごいのかよ! 女の子だろあいつ!」

「いや、レディプリンスだし……」

「ああ……そうだ」

 そういえば、蜜柑はレディプリンスだった。

 たぶん、女の子のファンも多いだろうし、いっぱい貰えるんだろうな。

「あ、蜜柑からは貰えるのか? 黛は」

 俺は黛に尋ねた。

「ああ、一応貰ったぞ。クッキーだったけどな」

「去年までは違ったのか?」

「去年までは、チョコだったな」

「へえ~。なんか意味でもあるのかね」

「知らん」

 黛はコーヒーを一気に飲む。

 そしてゴミ箱に缶を捨てた。

「そんじゃ」

「じゃあな」

 黛は軽く挨拶をしながら、去っていった。

 俺もぼちぼち戻らないとな。



 放課後。

 教室の自分の席で帰り支度をしていると、未来がいつものように「帰ろー」と寄ってきた。

「おう」

 俺は返事をして、荷物を持つ。

「あ、薫くん薫くん」

「ん? なんだい未来」

 未来は、近くの席にいる薫に話しかけた。

「弥生からはチョコ貰ったの?」

「うん。貰ったよ。朝に」

「ええ! もっと勿体ぶって、夜とかに渡すもんだと思ってたのに」

 未来は少し驚く。

 確かに弥生の薫に対する愛情をみると、もっと全力で準備して渡してもいいはずだ。

「朝一番に渡すに決まってるじゃない」

「わ!」

 いつの間にか近寄ってきた弥生が、薫の後ろから顔を出す。

「だって私のチョコが一番に決まってるわ。だから、一番に渡すし、味だって見た目だって気持ちだって一番だから」

 弥生は腕を組みながら、少しニヤながら誇らしげに言った。

「弥生らしいな」

「そうでしょ?」

 俺がそう言うと、弥生は、ウインクしながら言った。

「ぼくもなんだか嬉しかったぞ!」

 薫は、綺麗な明るい笑顔で言った。

 俺と未来は少しひるむ。

 あまりにも綺麗な笑顔だったので、ひるんでしまったのかもしれない。

 こいつが笑ってれば、世界は平和だろうな。

「ちょっと腹立つけど……ま、いんじゃない?」

「そう。そっちも頑張りなさい。まだなんでしょ?」

 弥生は未来に言った。

 未来は少し弥生を見て、黙りこくったあとに、俺をチラッと見た。

「……帰るよ」

「え? ああ」

 未来は急に帰ることを言い出した。

「じゃあな二人とも」

 俺は、薫と弥生に帰りの挨拶をする。

「じゃあな~」

「また明日」

 薫と弥生は、元気に挨拶してくれた。

「おいおい、何だいきなり帰ろうって」

「いいでしょ。別にさ」

「……まあいいけどさ」

 俺たちは一階の昇降口に向かいながら話している。

「今日、蜜柑ちゃんの家で遊ぶとかないよね?」

「ないぞ。もう帰るだけ」

「そ、なら良かった」

 未来は昇降口に着くと、下駄箱で外履きに履き替える。

 俺も履き替える。

「……」

 外は寒い。

 でもまだ少し日が出ているから、まだ本格的に寒いわけではない。

「家帰ったらなにしよっかな~」

 未来は寒そうにとことこ歩く。

「最近は何してんの?」

「ドラマ見たり動画見たり筋トレしたり」

「筋トレしてんだ」

「部活やめてから、体重の増加がうなぎのぼりでさ」

「そんなに太ってるようには見えないけど」

「痩せてるぐらいがいいの~」

「まあ女の子だし、そんなもんか」

 男が思う理想の女と、女が思う理想の女は違うからな。

 俺はちょっとぐらいぽっちゃりしててもいいと思うが、女の子からするともっと細くないとダメなんだろう。

 というか、そのぽっちゃりとか、細いとかの基準も男女で違うはずだし。

 俺たちは手早く駅前まで歩いた。

 そして、俺たちは電車に乗った。



 三十分ぐらい電車に揺られて、最寄りに着いた。

 それまでは、未来とクラスの奴らのチョコ事情やら、別のクラスのチョコ事情やらを話した。

 そして、いつも未来と別れる大通りの交差点で、俺は別れの挨拶をしようとした。

「じゃあ、また……」

「いや、今日は下通って帰る」

「え? でも遠回りだし」

「いいから! ほら、アンタの家こっち! 歩け!」

「ええ……」

 俺は、未来にむりくり押されて歩き出す。

「なんで今日はこっちからなんだ?」

「別に」

「……そっか」

 なんとなく理由がわかるような気がしたから、俺は深くは聞かない。

 帰り際、弥生が未来に言ったことの意味もなんとなく分かる。

「……」

 未来はしゃべらない。目も合わせてくれない。

 日はいつの間にか落ちていて、辺りは暗い。

 車のライトがまぶしくて、綺麗だ。

 寒さも、ちょっとだけ深まってきた。

 俺は、未来の様子を気にしながら歩く。

「……明日も学校か~」

 少し話しかけてみる。

 でも、未来は話さない。

 いろいろ考えているうちに、俺の家の前に着いた。

「じゃあ、また明日な」

 俺はサラッと手を振って、家に入ろうとする。

「ちょ、ちょっと! 待って!」

 未来は俺の袖を引っ張って、家に入ろうとするのを引き留める。

「なんだよ! なんだ今日はまっすぐ帰らないし、なんも話さないし!」

「……う~」

 未来はうじうじしながら、もじもじしている。

「なんかあんの?」

「う~……」

「……もう家入るぞ」

 気分は、好きな人に意地悪をしている気分だ。

「あ~!」

 未来は俺を引き留めながら、急にバッグをごそごそし始めた。

「はい!」

 未来のバッグから出てきたのは、綺麗にかわいくラッピングされた箱だった。

「……じゃね!」

 未来は、そう言って走り去った。

 走り去る直前の未来の顔は、椿の花みたいに真っ赤だった。

 ……まったく、何渡したか言ってくれないと、何で渡したかわかんないだろうが。

 まあ、バレンタインだし、わかるから、いいけどさ。

 ありがとう。未来。


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