三部
第23話 再起動
薫や未来、弥生の関係が元に戻ってから、翌日。
さすがに身体が疲れているので、今日は家に居ようと決意した。ということで頭を使わず、腕も疲れない作業が出来るゲームをのんびりしながら、適当に携帯を見ている。
右手が使えないから、激しいゲームが出来ないのは少し退屈だ。携帯も少し使いにくい。
ただ、こういう何にもない日、たまにはないとダメだと思う。
ぼーっと携帯を見ていると、メッセージが来た。弥生からだった。
「昨日は本当にありがとう。それで、急に決まったことなのだけど、クリスマス会と年越しを薫の件に巻き込まれた人たちでやり直そうってなったわ。三十日はクリスマス会、三十一日は年越し。中村家でクリスマス会をした後、小鳥居家で年越しをする予定よ。人によっては泊りも可能。これは小鳥居家からの、みんなを、巻き込んでしまったお詫びも兼ねてるわ。だから、美味しいものもたくさん用意させてもらってる。黛や徹さん、それにたくさんのお手伝いさんも準備しているから、できたら来てほしいわ。それと、これもできたらなんだけど、お父様が各保護者とお話がしたいみたいだから、三十一日の予定を聞いてほしいわ。私たち子供と入れ替わりで中村家に集まる予定です。忙しいと思うので、無理のない範囲でお願いします、だそうよ。長々とごめんなさい。お返事待ってるわ」
だそうだ。
普段は家族で年越しは過ごしているけど、たまにはいいかもしれないな。友達と過ごすのも。
薫の件が終わってから、落ち着いて、改めて顔合わせておきたいって気持ちもあるし……とりあえずは、母さんに相談かな。
俺はベッドで横たわっていた体を起こして、そのまま部屋を出て一階に向かう。
一階のリビングで、母さんはテレビを見ていた。
「母さん」
「ん? どした?」
「こういうことなんだけどさ」
「どれどれ」
俺は母さんに、弥生が送ってきた文章を見せた。
「……なるほどね……いいじゃん」
「じゃあ、俺はこれに参加するけど、母さんは?」
「出るに決まってるじゃん。うまいもの食べられるんでしょ? ついでに、いつも仲良くしてもらってる子たちの親御さんの顔も見てみたいしね」
「おっけー。じゃあそう伝えるわ」
俺はその場で弥生に「俺、母、参加」と返信した。
「……じゃ、上でゲームしてるから」
「あいよ……あ。コーラ買ってきた」
母さんは冷蔵庫を親指で指さした。
「天才」
俺は冷蔵庫へ向かい、冷蔵庫を開けて、コーラを取って上の階に行こうとする。
「……あ! ねね!」
「なに?」
母さんが急に呼び止めてきた。
「ドレスコードとか……ある?」
「……ないだろ」
「え、でもさでもさ! お金持ちなんでしょ! 蜜柑ちゃんと弥生ちゃんのとこって! 嫌だよ私だけ貧乏くさい格好してたら!」
「大丈夫だって! 俺だっていつも通りの恰好で行くもん!」
「だって進は高校生でしょ? いつも会ってるでしょ? 私は初対面だもん! いいな! 高校生は制服着れば、大体大丈夫だから!」
「じゃあ制服着て行けよ……一応あるでしょ……」
「それだ!」
「あ、やっぱやめて俺が恥ずかしい。普通の服着てくれ」
「普通って! なに!」
「……」
俺はそこで無視することを決意し、俺の部屋に続く階段を進む。
「ねえ! 普通って! なんですかー!」
まったく騒がしい母親だ。
階段から俺の部屋までの道は、少し寒かった。
実は、中村家に行くのは初めてだったりする。
蜜柑が黛と住んでいる、今までよく行っていたあの家は、もともと凪家のものだ。
蜜柑は、金持ちらしいし、きっと良い家に住んでいるのだろう。
と思いながら中村家の最寄りに向かう。
俺は指定された住所を目指して、電車に揺られている。
電車のドアに寄りかかっている背中に刺さる寒さは、コートを貫通して、ほんのり冷たい。
電車の込み具合も、年末ということもあり、ちまちま席は空いている。
夕方時ということもあり、ちらほらスーツを着ている人もいる。
ああいう年末まで働いてくれる人のおかげで、こういう電車も社会も回っているのだなと考えると、俺もそういう人になりたいと憧れてしまう。
そんなことを考えていると、中村家の最寄りに着く。
住所的に、駅から徒歩五分の位置に中村家はあるようだ。
……駅からも近いのか……マジで好立地すぎるな。家賃やばいだろ。
電車から降りると、あたたかな電車内との寒暖差で、外はより寒く感じる。
薫や未来を助けようと必死だった時は、寒さなんて感じなかったのになあ。
俺は改札を出て、中村家までの道を進む。
歩き始めて約二分。ひときわ目立つ、とても大きい家が見えてきた。
一言で言うと、和風。和風感のある白い塀に包まれており、恐らく大きな庭もあると予想できるくらいには、塀と家の距離が離れている。とんでもなく大きいことはわかる。
そのまま進み、交差点を曲がると、大きな正門が見えてきた。京都でもよく見たような正門だ。
……携帯に映し出されているマップと見比べる。
どうやら、このとても広くて立派な和風の家が中村家らしい……。
……ドレスコード。あるかもしれない。
いやいや、ここまで来て引き返してどうする。
友達に会うだけだろ。だいたい、蜜柑の父と姉を思い出せ。
言い方悪いけど、あんなんだぞ?
こういう家に住んでる人ってさ、いつも和服で持ってるバックも小さくて、どこに財布持ってるんですか? ってなったり、お茶とか生け花とかしてるようなイメージだ。
一人称が「俺」の姉と、ガハハと豪快に笑う父。まあ、蜜柑はまだわかる。一応お淑やかではある。とんでもないくらいオタク女子丸出しの部屋だったけど。
そんな家族が、こんな立派な和風建築に住んでいる……とは思わないじゃないですか。
はあ……。
「おい、そこで何してるんだ、でかいの」
「はい?」
俺が中村家に対して、あれやこれやと考えていると、俺に声をかけてくる人物がいた。
身長は男にしては小さめ。両手にはビニール袋。
凪黛の姿がそこには会った。
「ああ、黛か。どうした? その袋」
「ご飯を作ったはいいんだけど、飲み物がなくてな。それと軽い掃除道具。忙しいから、蜜柑のお父さんも、林檎さんもいないし、掃除が行き届いてなくてな。掃除しようかなと」
「そうか」
黛が持っている袋には、二リットルのペットボトルが二、三本入っていた。重そうだ。
「持つよ」
「いや、手……」
「左手は使える」
「……こけないようにな」
「うん」
黛は心配そうな顔をしながら、袋を渡してくれる。
そのまま黛は正門を開けて、くぐる。
俺はその後についていった。
正門から、玄関までは普通の家よりかは遠く、右と左を見渡すと、松の木や池があり、とても綺麗な和風庭園が広がっていた。
中村家では、黛と徹さんが世話しなく動いていた。
俺はというと、もちろん二人の手伝いをした。といってもしたのは掃除くらいで、あとはほとんど何もしていない。
少しすると弥生と薫がやってきて、薫は俺たちに混ざってクリスマス会の準備を手伝ってくれた。弥生はいろいろ連絡を取ってたようだった。
日が沈むころ、準備は落ち着いた。俺たちは部屋に接している縁側を目の前に、大きな庭が見える、畳の部屋でくつろいでいた。
黛は縁側で横になっている。寒くないのかな。
薫はというと、畳に興味津々なようだった。畳と顔の距離がすごい近い。
「そんなに畳に顔を近づけて、何をしてるんだ薫」
俺は薫に話しかける。
「ん? いや、畳の目でも数えてろ! ってよく言うじゃん」
「ああ」
「数えてる」
「……あ、そう」
俺はそんな薫を見つめる。多分哀れな目をしているだろう。
ちなみに薫は、畳から目を離さない。
「……なんだ? 進。じろじろ見て」
「……まだ思い悩んでることある?」
「ない」
「じゃあ、なんで畳の目数えてんの……」
「暇だからだ」
「もっと他にやることあるだろ……スマホあるだろ」
「そうかもだが……ああ! どこ数えてるかわかんなくなっちゃった! ああ! ああ!」
「声でか」
「うう……もう横になる」
薫は表情豊かに頭を抱えて、とても悲しい顔で畳の上で横になった。
「マジで元気になったよな薫」
「ん? まあな。もう後ろめたさもないし、元気いっぱいだぞ。元気じゃなきゃ畳の目なんて数えないだろ」
「そりゃそうだ」
俺はそのまま、庭に目線をやる。
綺麗な松や、小さい池が見える。黛は縁側で、平泳ぎみたいな動きをしている。
みんな若葉や蜜柑、未来を待っていて、おかしくなってしまったのだろう。
畳の目を数えたり、平泳ぎしたり。
「だあ~俺も畳を感じるために横になるか~いい機会だし」
「私も」
俺がそういうと、ずっと携帯を触っていた弥生も、俺と少し離れたところで横になる。俺も横になる。
「あ、そういえばさ! 黛聞えてるか?」
「あい」
「蜜柑って、ここにいるんじゃなかったのか?」
「ああ……」
黛は背泳ぎをやめ、こっちに体を向ける。
蜜柑は、薫の件で少し精神的に参ってしまって、中村家に行っていたと聞いていた。
だから、ここにいると思っていたけど……。
「林檎さんに連れられて、どっかに行ったぞ」
「あ、そうなの」
「それなら、さっき私の携帯に連絡があったわ。きっちり七時には着くようにしますって」
そう言いながら、弥生は天井を見つめたまま、スマホをプラプラさせる。
「よいちゃん。若葉はいつ来るの?」
「若葉ちゃんは……この言い方だと結構早そうね」
弥生はスマホを見ながら言う。
「そっか。ボードゲーム持ってくるって言ってたから、早くやりたいなあ」
「……」
俺はなにか、すごい違和感を持った。
薫と弥生が話してるだけなのに、すごい違和感がある。
「……うーん」
俺は天井を見て、今の会話を振り返る。
よいちゃん、若葉はいつ来るの……。
「ああ! お嬢様じゃない!」
俺は飛び起きて叫んだ。
「ん?」
「どうした進」
「なんだあ、そのアニメのタイトルみたいな叫び方」
三人は俺が叫んだことに、薄すぎる反応をした。
「薫がお嬢様って呼んでない! 敬語じゃないぞ!」
「ああ。そのこと」
「ああ、確かに」
薫と弥生は、見つめ合って笑う。
「もう僕は、お嬢様の執事じゃないんだ」
「え、やめちゃったのか?」
「うん」
薫は、天井をみたまま答える。
「もともと、何かよいちゃんにしたい、っていう気持ちをわかりやすくするために、執事になったんだ。執事になれば、わかりやすい奉仕が出来るだろ? でも、今は違う。もう執事じゃなくても、よいちゃんのために生きていけるから、もう執事はやめたんだ」
「そうかあ。薫の執事服、好きだったんだけどな」
俺は畳の上で胡坐をかく。
「まあ、たまには着るよ」
「ぼくからも頼む。たまに着てくれよ」
黛にも、薫は頼まれる。
黛は多分、趣味だろうな……薫の執事服が見たいの……。
メイドも好きだったし、そういうのが好きなのだろうか。
その時、インターホンが鳴った。
「あ、若葉かな」
「僕が出るよ……」
そう言うと薫は起き上がった。そのまま畳の部屋を後にする。と思いきや、少し立ち止まって、振り返った。
「黛も来てくれよ」
「ん? なんでだ?」
「……ああもう! いいから来て黛」
そういうと縁側で横になっている黛を、薫は抱きかかえて、そのまま畳の部屋を二人で後にした。
「ま、若葉居るしな」
「そうね。黛が出てくれた方が、喜ぶでしょ」
俺と弥生は、そう言って笑いあった。
若葉が来た後、蜜柑と未来も到着し、みんなが畳の大部屋のテーブルを囲んだ。
「さて、一応乾杯をしようと思うのだけど」
みんなが席に座ったのを確認すると、弥生が口を開いた。
「とりあえず、集まってくれてありがとう。今回は流れてしまったクリスマス会の代わりということになってるわ。準備は黛と、そのおじいちゃんがほとんどやってくれました」
そう言うと弥生は、黛を手で指す。
「どうも」
「そう言うことで、話したいこともあるでしょうし、のんびり食べて、楽しみましょう。それじゃあ、乾杯」
「「かんぱーい」」
俺たちは弥生の音頭に続いて、乾杯する。
「とりあえず角煮」
「僕も」
「私も!」
若葉と薫と蜜柑は、一目散に、角煮を取りに移動する。
テーブルが大きいため、移動しないと取りに行くことが出来ない。
「お米もあるから、ゴホッ……欲しかったら台所まで取りに行けよ~」
黛はそう言いながら、塩キャベツを食べている。
喘息がまだ残っているようだ。
「黛、まだ喘息治ってないのか?」
角煮を持って、席に戻った薫は、黛に声をかける。
「少し残ってるんだよな。日に日によくはなってるから、安心してくれ」
「よかった~」
薫は、とても安心したような表情をしている。
角煮のほかには、チキンにサラダ、ポテトに焼き魚に肉じゃが。れんこんの煮物にピザと、ところどころに和食が混ざっている。
「肉じゃあ美味しいな」
「そうか。それは良かった」
俺は肉じゃがを食べる。とても味が濃くて美味しい。
ただ、右手が使えないから、少し不便だ。
左手で食べるのは、意外と疲れる。
普段使わない筋肉を使っているせいか、なんだか吊りそうだ。
「というか、和食もあるのね。黛らしいわ」
「基本的に洋食はおじいちゃん、和食はぼくが作ったものだ。和食は多分、ぼくが作ったから、味が濃いと思う。クリスマスだけど、どうしてもぼくは、和食が得意だからな。こうなった」
黛は焼き魚を、丁寧に箸で切って食べている。
「食べにくそうだね」
「ん? そうだな。ちょっと不便だな」
俺が左手でぎこちなく食べているところに、未来がやってきた。
未来は、俺が食べている器と、箸を取り上げる。
「あ、なにすんだよ」
「ん」
未来は「ん」というと、箸で俺に、肉じゃがのジャガイモを食べさせようとしてくる。
「ええ、いやいいって」
「ん!」
未来はさっきより大きい声で言った。
顔はかなり赤い。多分照れている。
俺は素直に、未来が食べさせてくれるジャガイモを食べる。
「……」
「なんか言えよ」
「うるさい」
「なんなんだお前は……」
未来と目を合わせるのが気まずくなり、目を逸らすと、若葉が見えた。
若葉はというと、食べるのに必死である。
角煮やらなんやらを山ほど取り、吸い込むように白米を流し込んでいる。
「よく食べるなあ……」
「だって、美味しいし」
「そうかそうか」
若葉は、黛に一生懸命食べているところを褒められていた。
「……」
そんな若葉は、こっちをチラッと見る。
俺は、未だに未来にご飯を食べさせられている。
「はい、次」
「はいはい……」
未来は変わらず、俺に食べさせてくれている。
「……」
若葉は、何かを思いついたようで、黛に話しかける。
「黛もあーんしたい?」
「え! いや、別にいいよしないでさ。利き腕ケガしてるわけでもないんだから」
「……む~」
「はい、黛さん!」
「ん!」
すると、蜜柑は、横から食べ物を、黛の口に入れた。
「あ!」
「私の勝ちですね」
「む~」
蜜柑は、若葉に勝ち誇ったように胸を張る。
「……」
未来は、その様子を見ていたようで、少し箸が止まっていた。
「あ……もうやめるから……あとは勝手に食べて……」
未来は、さらに顔を真っ赤に染めて、元の席に戻っていった。
多分、自分がやっていることを目の前で見て、恥ずかしくなったのだろう。
「……じゃあ……」
若葉は、黛に角煮をあーんさせようとしていた。
俺はというと、左手でピザを食べている。
薫も弥生も、ニヤニヤしながらその三人の様子を見ている。
「ご主人様、あーんですよ」
「あ、はい!」
黛は、メイドモードの若葉に、背筋を正す。
黛はメイドさんとか、執事とかそう言ったものに弱いのは、文化祭や、メイド喫茶に行ったときに証明済みである。
黛は素直に、若葉の角煮を食べる。
「どうですか~?」
「おいし~」
「え~うれしいです~」
若葉は手のひらを合わせて喜ぶ。その姿はメイドさんそのものだ。
「はい、黛さん次はこっちです」
「あ、ダメですご主人様、こっちもあります」
「あ~はいはいくるしゅうない」
黛は若葉と蜜柑の両方に挟まれたまま、次から次へとあーんさせられている。
……しばらくの間は、この場は収まることはなさそうだな……。
あの後は、しばらくの間、蜜柑と若葉の食べさせ隊が止まることはなく、黛の満腹コールと共に、やっと終わりになった。
弥生と未来が話していたこともあった。特に変わった様子もなく、普通に話していたと思うし、笑いあっていた。話していた内容はほとんど、聞えてないけど。
薫は明るくなったこともあり、ほとんどの人と、今までより楽しげに話していた。
ただ、未来とは話せていないようだった。
今は食後である。
もう風呂は済ませて、着替えて、あとは歯を磨いて、寝るだけだ。
俺は、立派な庭を歩こうと、風呂場から、ご飯を食べていた部屋に移動して、そこから、庭に出ようとした。
縁側には、若葉がいて、座っていた。
「よ、何してんの」
「ん? なんだあ進かあ。いや、お腹いっぱい過ぎて休憩してたの」
「そうか。俺は庭を少し歩いてみるけど、来るか?」
「うん。行く」
そう言うと若葉は、縁側のすぐそばに置いてあった下駄を履いた。
俺も履く。
「おっきいなあ」
「ちっさいなあ……」
下駄の大きさは、俺にとっては小さく、若葉にとっては大きかった。
「……ま、大丈夫か。少し歩くだけだし」
「そだね」
そう言うと、俺と若葉は歩き出した。
かなり外は寒かった。
若葉は寝巻っぽい服に上着を着ていた。
俺はジャージだ。
「未来ちゃんとよいちゃん、なんかいつも通りで良かったね」
「ああ、そうだな。思ったよりなんともなさそうだったな」
若葉の言う通り、未来と弥生は前と同じような関係のままだった。特に仲が悪くなったような様子は見せなかった。
「薫も元に戻るどころか、前より明るくなっててよかったよな」
「そうだね! なんだかうれしくなっちゃった。あれが本来の薫なんだなあって思うとね」
薫は本当に明るくなった。男版、蜜柑っていうくらいには明るくなった。
明るくなったせいか、暗かった時よりも、薫はさらに美人に見えた。
「でも、薫と未来は話してなかったよな」
「え、そうだっけ」
「薫、若葉と黛とずっと話してたよな」
「あちゃ、気を使えばよかったかな」
「いや、それでも話そうと思えば、話せていたとは思うぞ。だから、まだ二人はちょっと気まずいんじゃないかな」
「そっかあ……」
若葉は、そう言いながら俯く。
しかし、すぐに道側の方に、小池があって、そこに鯉がいることに気が付くと、
「わあ、鯉だあ」
と言って座り込み、覗き込むように見始めた。
俺も無言で鯉を見る。
「いろいろあったじゃん、今まで」
「うん」
若葉は、鯉を見ながら言ってきた。
「改めて思ったんだけど、生きる理由って、必要だなって」
「そうだな」
そうだ。
なんでもいいから、小さくてもいいから生きる理由を見つけないといけない。
そうしないと、生きる理由より、死ぬ理由のほうが多くなってしまう。
「私も見つけないとなってさ」
「黛のために強くなる、釣り合うようになるっていうのはあるんじゃないか」
「それもあるけど、もっと何か見つけたいなって」
ほんと、何度でも言うけど、こいつは強くなりすぎだ。
若葉は、いつか誰よりも強くなりそうだ。
「ま、若葉ぐらいしっかりしてるなら、自然と見つかるだろ」
「そう思うかね」
「そう思うぞ、ワトソン君」
若葉は、俺を見て笑った。
そして、くしゃみをした。
「はくちっ」
「お、そろそろ戻るか」
「そうだね~。じゃあね鯉さん」
若葉は鯉に別れを告げると、俺と一緒に、それぞれの寝る部屋に戻った。
ぼくは、離れの小屋の縁側にいる。
喘息が出ていることもあり、少し寒いが、薫と進とは違う部屋で、一人で寝ることにした。それも、外の新鮮な空気が吸えるように、縁側で寝ることにした。
その方が空気もいいし、咳も出ない。
だけど寒い。まあ寒さには強いから大丈夫だとは思う。風邪だけはひかないようにしないといけないな。
布団だけ敷いて、今は縁側で、庭や空を見ながら、のんびりしている。
携帯も見てない。
ただ、少し事を考えている。
進の在り方が、正しいのかもしれない、ということについてだ。
だからこそ、まだ咳が残っていても、弥生の提案を飲んで、おじいちゃんといろいろ準備をした。進が、自分の身を傷つけながら、薫を助けた時のように、ぼくも、ちょっとだけ、無理をして、みんなのために動いたわけだ。
……まだ認めたわけじゃない。
それでも、試す価値はあるんじゃないかと、ぼくは思った。
人を助けるのに、自己犠牲を払う、ということを。
ま、進には傷ついてほしくないから、今すぐにでも、傷ついてでも、人を助けることなんて、やめてほしいけどさ。
あんなに素晴らしい人間が、無理やり人を助けて傷つくなんて、いけない。
「あらま、こんなとこで何してんの」
声が聞こえた。
その方向を見ると、未来がいた。
「未来か、まあ、ぼくはここで寝ようかなと」
「うわ、その布団の場所で寝るの。寒そう」
「まあな、ちょっと寒いくらいがいいんだ」
「あ、暑い日に、冷房かけて、羽毛布団で寝るのが気持ちいいみたいな」
「まあ……わからんけどそんな感じか」
「わからんのかい……ま、いいや。話したいことあったし」
話したい事。
予想できる。
「気が付いたのか。ぼくが未来と薫の関係について、言ったことに」
「うん。そりゃ気にしないことは出来るけど、忘れることなんてできませんよ。薫くんと別れろなんて言われたらね」
「忘れてくれてると、嬉しかったんだけどな」
未来は、特に怒っているとか、そういうわけではなさそうだった。
未来は少し離れた縁側に座ってくる。
「それで、いろいろ考えた上で、来なかったらしいね。若葉ちゃんから聞いたよ」
「そうか。どう思った?」
「別に気にしてない。実際、もしかすると別れるのが正しかったかもしれないし」
「そうか。ま、未来が付き合い続けたから、こうやって苦難を乗り越えて、薫が明るくなったのかもしれないしな。ぼくが言ってることは、正しかったかもしれないし、間違っていたかもしれない可能性だってあったわけだ」
「そうかもね」
風が吹く。とても寒い。
弥生たちと比べると、未来とは、あまり話さない。
趣味もあんまり合わないし、未来が薫と付き合い始めてからは、うちにもそこまで来なくなった。
でも、何というか、ぼくと似ていると少しだけ思う。
若葉や進みたいに、とても強いというわけではない。
蜜柑みたいに特段、明るいというわけでもない。
弥生や薫みたいに、芸術性や頭脳が優れているというわけではない。才能があるわけでもない。
多分、ぼくたちは、限りなく普通に近い立場なんだ。
自分の周りにはすごい人がたくさんいるから、気が付かないけど、世の中のほとんどの人は普通なんだと、ぼくは思う。
「ま、黛くんなりに気を使ったんでしょ?」
「そうだ。今回行かなかったのも、あの時、別れろって言ったのもそうだ。でも進が全て解決したからな。何とかなった。どうだ、薫とは」
「うーん。もう付き合ってるって感じじゃないなあ。実は今から話しに行くんだけど、もう気持ちが離れている気がする。どうすればいいかな」
「……ぼくに聞くことじゃないだろ。ぼくよりすごい人間が、未来のためになら、なんでもしてくれそうな人間が、お前の近くにいるはずだ。戻ったんだろ。記憶」
未来は記憶を取り戻し、中学の頃、進と、とても仲が良かったと聞いた。
また、進が罪悪感を隠すために行動を始めた原因でもある、自己犠牲を払うようになった原因でもある、出来事の中心にいた咲という人物と、同一人物だとも聞いた。
「うん」
「なら、頼りなさい」
「はい、先生。じゃあ、薫くんと話してくるから」
「そうか。お互いが納得できるといいな」
「……じゃ、戻るね……あ、若葉ちゃん呼ぶ? 黛くん寒いだろうし、喜んで添い寝してくれそうだけど」
「若葉に風邪ひかれたら困るし、いいよ」
「……え~もったいないなあ、あんなにちっこくておっぱい大きくてかわいくていい匂いする女の子いないよ~」
「だから困るんだ」
「ふふ」
未来は、にやにやしながら、笑った。
「じゃあね。いい夜を」
「いい夜を」
ぼくと未来は、そう言うと未来は去っていった。
……なんだか暑くなってきたな。
ちょうどいいし、もう寝るとしよう。
深夜、寒空の下、中村家の裏庭に男女がいた。
一方は出雲薫。凄惨な過去を乗り越えた、美少年。
一方は如月未来。またの名を、早川咲。こちらも、凄惨な過去を乗り越えた、美少女。
二人は、静かに歩み寄る。
とても穏やかな表情で、まるでお互いの気持ちが、もうわかっているかのように。
「こんな深夜に、寒いのに来てくれてありがとう」
「いえいえ。こんな深夜じゃないと、話してるのバレちゃうしね」
その通り、今、中村家で起きているのは、この二人だけである。
「まあ、その感じだと、話したいことは同じかもね」
「そうだな……もう、この関係は、終わりにしたいってことだろう?」
「そう。終わりにすべき。私たちはお互いに傷つきすぎた」
二人は、たくさんのものを犠牲にして、付き合いを続けていた。
未来は、部活をやめることになった。
薫は、徐々に頼れる存在がいなくなって、弱っていった。
未来に頼るしかないのに、未来も薫を頼っていた。
「それに、薫くんには弥生さんがいるでしょ。弥生さんのあんなに必死な姿、見せられたらもう、薫くんには、私じゃだめだなってなっちゃった」
「そっか。僕も、未来を守るには、未来に頼りにされるには、弱すぎた。よいちゃんが居ないと生きていけないってことに気が付いた」
薫は空を仰ぐ。情けないことに嘆くように。
「このままだと、未来を不幸にさせてしまうかもしれない。僕だと力不足だからさ。未来にも、近くにいるんだろ。運命の人が」
薫が言う運命の人は、進の事だろう。
「まあね。まだどうなるか、わからないけど」
「まだ記憶が戻って時間がたってないみたいだし、これから時間をかければいいさ」
未来の髪が夜風で揺れた。
少し色っぽく髪を耳にかける。
「あ~あ。私って最低。今考えたこと言ってもいい?」
「いいよ」
「薫くんに私を幸せにすることも、私が薫くんを幸せにすることも、出来ないんだって思っちゃった」
「ふふ、まあ多分そう。僕も最低だ」
「あらら、二人とも最低になっちゃった」
「はは」
二人は笑いあっている。
「この感じだと、友達としては、まだまだいられそうかな?」
「そうだね」
「僕、未来の事は尊敬してるんだ」
「ホント?」
「ちょっとだけ」
「なんだあ」
「でもほんとだよ。よく途中まで、あんなに暗い僕を受け止めてくれた」
「……ま、好きなのはほんとだったし。当然」
「ふふ。幸せになってくれることを祈ってるよ、未来」
「私も、薫くん」
二人は、微笑み合った。
とても穏やかだった。
別れる男女の表情とは、思えなかった。
「じゃ、握手でもしよう」
「そうだね。これからも、友達としてよろしくね。薫くん」
「こちらこそ」
二人は握手をする。
お互いの顔を見ながら。
「じゃあ、おやすみかな」
「そうだね……あ!」
未来は、何かを思いついた。
未来は、そのままスマホを取り出す。
「写真、撮れるようになった?」
「ん? ああ、多分撮れるぞ。鏡も見れるようになったし」
「じゃあさ、写真撮ろ。自撮り。今まで撮れなかったじゃん?」
「そうだな。撮ろうか」
「やったぜ」
二人は隣り合って、カメラの画角に収まる。
「笑える? 薫くん」
「もうそれは、ばっちりと」
「じゃあ、はい、ピース」
未来はシャッターを押す。
その写真には、綺麗に笑う薫と未来が写っていた。
「ほんと、顔良すぎ」
「はいはい。未来もいい笑顔だ」
「へへへ」
二人はまた距離を取る。
「じゃあ、また明日」
「うん、またね。薫くん」
二人は、それぞれの部屋に戻っていく。
二人は心の中で呟いた。
「さよなら、私の好きだった、憧れだった人」
「さよなら、希望を与えてくれた、好きだった人」
夜風が吹く。
寒さがいっそう深まる。
今日の天気予報は、夕方から深夜にかけて雪。
二人は、お互いの幸せのために、生きるために、また歩みだした。
俺は一度自宅に戻り、着替えやら泊りの用意を済ませた後、今度は小鳥居家に向かった。
母も慌ただしく準備しており、中村家に、結局は無難な格好で行くことにしたようだった。
特に何もなく、夕方辺りに小鳥居家に着いた。
ただ道中、かなり分厚い雲が空を支配していたことが気になった。
俺が着くと薫と弥生、そして若葉が、先に小鳥居家に居た。
三人は何かしているわけではなく、ただ屋敷で、一番大きい部屋に置いた机を、囲んで話しているだけのようだった。俺も、一緒に机を囲む。
三人は初詣の話をしていたようだった。
「進、初詣には行きたい?」
弥生は、スマホを見ながら話しかけてきた。何かを調べているようだ。
「みんなでか?」
「うーん。行きたい人だけで、って感じだけど」
「俺はどうしよ。さすがに家族で行こうかな。年末、ほとんど家に居なかったわけだし」
「そう。うん。それがいいわね」
「ちなみに誰が行くんだ?」
「はい!」
「はい!」
俺が弥生に尋ねると、机で何やら、カードゲームをしていた若葉と薫は、元気よく返事した。
「あとは私と黛ね。初詣っぽい格好もしたいらしいし、着物着ていく予定よ」
「着物かあ。結構大がかりだな」
夏祭りとかなら、着ていくのはわかるんだが、正月は基本、何もやる気起きないし、初詣にわざわざ着物……となると、寒いし準備が大変だしで、着ていく気が起きないものだ。
「引け!」
「引くな!」
「やった! 進化! 六点!」
「うわああああ! 負けたああ!」
若葉と薫は、何やらカードの決着がついたらしい。
勝者は若葉のようだ。
「二人とも、着物、選んでほしいわ」
弥生は、若葉と薫を手招きする。
その後、二人は弥生とスマホを見ながら、着物を選び出した。
「よいちゃんはどれにしたんだ?」
「これよ」
「じゃあそれの色違い……がいいな。これの黒がいい」
「これね。若葉ちゃんは?」
「黛とペアがいい……けど……黛めんどくさがって着なさそう……」
「大丈夫。私が無理やり着させるから。何なら黛のも選んじゃう?」
「それなら……私はこのモフモフが付いてるピンクのやつがいい!」
「オッケー。じゃあ黛のは?」
「ええと……うーん」
若葉は、真剣に弥生のスマホを見ている。
こうやって三人が近い距離で仲良くしているのを見ると、夏休みを思い出す。
こう見ると、本当に薫も、弥生も、未来も、またこうやって一緒に居ることが出来てよかったと思う。
日常を取り戻した、と言えるだろう。
「進も一緒に選んでよ、黛の着物」
「俺か? 若葉が着せたいのを着せればいいだろ?」
「やだ。黛が喜んでくれるのがいいの」
「……はいはい」
若葉にそう言われると、弥生のスマホを覗きに行く。
「あ~……あいつの好きな色、何だっけ」
「黒……か灰色?」
若葉は、あごに手を置きながら考えている。
「大体そんな感じの色の服着てるからなあ……多分そうじゃないか?」
薫は、若葉の目を見て言う。
「じゃあ、色で調べてみるのがいいんじゃないか?」
「そうね。じゃあ……」
そう言うと弥生は、色で着物の検索を始めた。
その後は、皆で黛の着物を選んだ。
今日のご飯は、ほとんど徹さんとお手伝いさんが作ったみたいで、豪勢な洋食フルコースだった。
蜜柑と未来、黛も合流し、昨日のどんちゃん騒ぎとは違い、ゆったり会話しながら、フルコースを楽しんだ。
どうしても座布団に座ると、椅子に座った時より動きやすいから、騒いじゃうような気がする。
黛の喘息は、ほとんど治っていそうだった。咳をしている様子はなかった。
各自風呂を済ませ、少し大きい部屋で、みんな集まっていた。
今は二十二時前だ。
「うーん……」
みんなでテレビを見ている最中だったが、若葉は眠そうだった。
「……若葉ちゃん、眠いの?」
弥生が尋ねた。
「うん……」
「じゃあ寝てもいいわよ?」
「いや……年明けまでは起きてたいけど……」
「起こしてあげるわよ?」
「う~ん……なら仮眠しようかな」
若葉は、座っていたソファから立ち上がる。
「……私も……仮眠を……」
「私も少し寝よっかな」
蜜柑と未来も、どうやら寝るらしい。
蜜柑もかなり眠そうだが、未来はそんなに眠い様子はなさそうだった。
三人は仲良く部屋から出て、仮眠をしに行った。
「ぼくも横になろうかな。少しだけ」
黛も、三人が出て行ったあとに言った。
「ぼくが寝る部屋ってどこだっけ?」
「どこでもいいけど……一人で寝たいかしら?」
弥生は、黛の方を向いて尋ねた。
「まあ一人でも、どっちでもいいけど」
「じゃあ階段を上がって二階の、すぐ右の部屋で休むといいわ」
「おっけー」
黛は、そのまま立ち去ろうとする。
「ちなみにそこは、若葉ちゃんが泊まる部屋だから」
立ち去ろうとする黛に、弥生は言った。
「別の部屋を用意してくれないか」
一度部屋を出た黛は、すごい勢いで戻ってきた。
動きは焦っているが、口調は穏やかだ。
黛の顔は、少し赤かった。
「はあ……若葉ちゃんなら喜ぶわよ? きっと」
「こっちの身が持たない」
「そう。なら階段上がって、左の部屋で休むといいわ」
「あ、今日は僕と同じ部屋なんだな」
どうやら薫と黛は、同じ部屋で今日は泊まるらしい。
「いいわよね? 薫は黛と同じ部屋で」
「うん。もちろん」
薫は元気よく弥生に返事をする。
「じゃあ、また後で。どうせぼくは起きれるから、起こさなくていいぞ」
「そ、じゃあまた後で」
「じゃあな~」
俺と弥生は、黛を送り出した。
「……」
特に会話はなく、弥生と薫はかなりぴったりくっついて、俺はそこから少し離れた位置で、三人でテレビをなんとなく見ている。
「あ、そういや俺が泊まる部屋は?」
俺は弥生に尋ねた。
「若葉ちゃんの部屋の隣よ。というか、二階に上がって右側の部屋は、全部空き部屋だから」
「そうなのか」
「普段は、急遽入ってもらったお手伝いさんとかが、泊まったりしているわね」
「ちなみに一人か?」
「そうね。誰かと一緒が良かった?」
「いや、どっちでも」
「そ、良かった」
その後も俺たちはほとんど会話もなく、テレビを見ていた。
薫や俺は、テレビを見て笑ったり、たまに反応をしていたが、弥生はあまり反応していなかった。
その後、黛は年明け三十分前に起きてきた。
本当に寝たのか? というくらいには、寝る前と寝起きのテンションやら恰好やらが変わっていなかった。
蜜柑と若葉、未来も十分前に起きてきた。弥生が起こしに行ったのが、起きてきた黛とほぼ入れ替わりだったので、起こしに行ってから約二十分かかっていた。
この三人は、若葉以外うとうとしていた。中途半端に寝ると、逆につらいんだよな。
だが蜜柑や未来も、五分後には年明けの瞬間にワクワクして、いつもの調子に戻ったわけだった。
「あとちょっと! あとちょっとです!」
「わ~こうやって友達と年越しするの初めてだから緊張する……」
若葉と蜜柑は、スマホの時計を見ながらソワソワしている。
「今年こそ、ジャンプしながら年越しするぞ!」
薫は意気揚々と言っている。
テレビからカウントダウンの様子が放送されている。
十、九……とカウントダウンが進んでいく。
「二、一……」
テレビがそこまでカウントダウンを進める。
「「ハッピーニューイヤー!」」
薫と若葉と蜜柑と未来は元気よく、俺と黛と弥生は控えめに言った。
「よし! 今年は年越しの瞬間に地球に居なかったぞ!」
「良かったわね」
薫は、弥生と喜びを共有している。
「あけましておめでとう」
「おう、あけおめ」
俺は、未来と新年を祝って乾杯をした。
「ツイッターツイッター……」
「さすがに重いね」
「みんな考えることは同じだなあ……」
若葉と黛は、携帯を見ながら言っている。
「わ~めっちゃ連絡来ます~」
隣にいる蜜柑は、滝のように流れてくる、大量のメッセージを返していた。
「さすがレディプリンス、人気者だな」
「もう、やめてくださいよ!」
俺が言うと、蜜柑は少し照れながら手を振った。
「んじゃ、ぼくは横になるから。また明日」
黛は、一足先に部屋に戻っていく。
俺も眠くなってきたな……。
「俺も寝るかな」
「私も」
若葉も寝るようだ。
「私も部屋に戻りますかね。眠くはないんですけど、体が疲れました」
「昨日から、食べて飲んで騒いでたから、仕方ないですけどね」
蜜柑と薫は、苦笑いしながら話している。
薫も立ち上がっているあたり、蜜柑だけでなく、薫も寝るのだろう。
「じゃあ私も寝ようかな」
「じゃあ、私も寝るわ」
弥生と未来も寝るらしい。
「じゃ、みんな明日な」
「は~い、おやすみなさい~」
そう言うと、俺たちは部屋を出た。
廊下はとても寒く、今にも雪が降りだしそうなほどだった。
俺が就寝してから、ほんの少しだけ経ち、外の寒さと……少し外が騒がしいのが気になって、目が覚めた。
布団から出ると、部屋はツンと寒く、空気は冷え切っていた。
そのまま俺は、音のする方の窓を開ける。
しかし、どうやら俺の部屋から、その音の出どころは見えなかった。深夜でも車が通っている、少し小さな通りが見えるだけだ。
俺は耳を澄まして、その音……というよりは、声を聴いてみた。
「……痛ったいわね!」
「なに? 先に手を出したのはそっちでしょ! それくらい覚悟……うわ!」
「お互い、こういうことをしに来たんでしょ! 覚悟なんてできてるわよ!」
……誰かが喧嘩してる?
俺はもっと耳を澄ます。
少し大人っぽい声、そして女性っぽい、お嬢様っぽい口調。少し低い女性の声、口調は普通。でもわかる。この二人の声は、何度も聞いたことがある。
未来と弥生だ。二人は恐らく喧嘩している。しかも、結構取っ組み合いのやつだ。
俺は、ハンガーにかけておいた上着を取り、走りながら羽織る。そのまま部屋の外に出た。
部屋の外に出ると、すぐさま「うわっ」って声が聞こえた。
「若葉?」
「進?」
若葉だった。上着だけを着て、中はジャージだ。少し息を切らしていて、焦っているようだった。
「もしかして気が付いたか?」
「うん! 早くしないと、やりすぎちゃうかもだから、一応止めに行かないと!」
「ああ!」
若葉も声に気が付いたようで、俺たちはすぐにまた走り出した。
そのまま靴を履き、外に出て、声の出どころまで行く。
走りながらでも、声は聞こえてきていた。
「全部アンタが嘘ついてたのが悪いんじゃん!」
「嘘つかないで、最初から伝えてたら、あなたは受け入れてくれたの? もしそのまま、薫の話が広まったらどうするのよ!」
「……っ。力ないくせに襟首掴んでんじゃねえよ! こうやってやんの!」
「……ぐ。言い返せないからって、そうやって力任せにするのね。情けないわ」
俺の耳には、しっかり喧嘩しているのが聞こえてきていた。
「あーあー! 二人の顔に傷ついたらどうしよう……」
「ああもう! さっさと止めるぞ!」
声の出どころは裏庭だった。噴水がある裏庭で、二人は通りにある街灯に照らされながら、組み合っていた。
未来と弥生は、十センチぐらい、身長に差があり、未来はチア部だったということもあり、力任せにやっていたら、未来が圧倒してしまうだろう。
「未来!」
「よいちゃん!」
俺は二人に駆け寄ると、未来の肩を左手で持ち、弥生から引きはがす。特に苦労はしなかった。
弥生は、若葉に引きはがされていた。若葉は、俺をぶん投げれるくらいの力はあるので、かなり余裕そうだった。ただ、若葉と弥生の身長差は少しあるので、体格差を補うように、お腹に腕を回し、引っ張るようにして、弥生を引きはがしていた。
「何があったかは知らねえけど、いったん落ち着かねえか?」
「そうだよ、落ち着いてよいちゃん」
俺たちは、二人をなだめようとした。
「離して」
未来はそう低く強くつぶやくと、弥生に向けて歩み寄ろうとする。俺はもう一度強く、今度は脇の下に両腕を回し、引き留める。
「ごめんね若葉ちゃん。私たちが納得するまで、やめるわけにはいけないの」
弥生は、心底優しそうな声で言うと、弥生はなぜか、圧倒的に力の差があるはずの若葉の腕を抜け出して、未来に早歩きで寄ってくる。
若葉はどうやら、弥生に少しひるんでしまったようだった。
「ふん!」
弥生は、俺に抑えられている未来の襟首をつかむ。
「おい!」
「文句があるなら、進が未来を離しなさい」
弥生は俺を見ずに、未来を見続けながら言った。
「よいちゃん!」
そう若葉が言うと、また弥生を引きはがそうとした。しかし、弥生は未来から引き離されることはなかった。
「……まだ聞いてなかったわね。どうして薫と別れたか、聞いてなかったわ」
「その前に弥生は……」
「進」
未来は、俺を軽く見て言った。
「別にそのままでいいから、静かにしてて」
「……」
俺はその真剣さ、鋭い目つきに黙らせられた。
怒った女って……こわい。
「私には、薫くんを支えられない。好きだけど……支えられないなら、薫くんに迷惑をかけるから、別れたの」
「好きだけど? じゃあ何で別れたの? 好きなら、それすらも乗り越えるのが恋人なんじゃないの?」
「は? アンタさあ……」
未来の顔は、見たことがないくらいに怒っていた。
「私はあなたなら大丈夫って、きっと薫のために頑張ってくれるって、思ってたのに! 抱えきれなかったら捨てちゃうの?」
「うっせえよ! 勝手に期待してんじゃねえよ!」
未来は、俺と弥生に挟まれたまま、ドスの効いた声で言う。
「今、アンタは薫くんを抱えられてるのに、私が薫くんと付き合ってるときは、抱えられる自信なかったんでしょ? 一旦捨てたのはそっちだろうが! 薫くんそそのかして、私とくっつけてくれたのは、アンタでしょうが!」
未来は、身体全身を使って叫んだ。
「それでどうだ! この前、薫くんを助ける時にアンタはどうだった! 抱える覚悟決めてただろうが! なんでもっと早くやんなかったんだよ! それになんだ! 私のために生きてくれだ? 泣きじゃくりながらなんだそれ! 薫くんを支えるフリして、薫くんに支えられてたのはアンタでしょ! なんだかんだ、私と付き合っているときも、薫くんとなんだかんだ離れたがってなかったり、放っておけないの見え見えなんだよ! 薫くんに依存してたのはアンタだろ! 結局、アンタが薫くんに頼ってるんでしょうが!」
「頼ってるわよ! 頼ってるに決まってるわよ! でも私じゃ力不足だって思ったの! こんなに裕福な家庭に生まれて、何不自由なく過ごして、幸せしか知らない私に、薫を救えるわけない! そう思ってたのよ! だから、私以外のところで、どうにかしなきゃって……いろんな人を探したの! それから、薫と離れてから初めて気が付いたの! 薫がいないとダメだって! 薫がいないと、私は幸せになれないって!」
そこまで言うと、弥生を抑える腕を、ほとんど解いた若葉が「幸せしか知らない……」とポツンと呟いていた。
……俺に出来ることはないな。
この二人の、この話題に関しては。
この二人か……薫が解決するしかないだろう。
「……じゃあ、今は幸せなの?」
未来は、少しトーンを落とした。
「幸せよ! じゃあなに? あなたは薫と付き合っている間は、幸せじゃなかったって言うの?」
「幸せだったよ! とっても幸せだった! 慣れないなりに、頑張ってリードしようとしてくれたり、たまに子供みたいに振る舞ったり、そんな綺麗な薫くんと一緒に居るだけで幸せだった! でも支えきれなかったの! どうして最初から薫くんを、アンタは支えなかったの!」
「それじゃあまた最初に戻るじゃない! 幸せしか知らない私に、薫を救えるわけないって思ってた……」
「もう! やめてくれないか!」
綺麗なアルトボイス。
俺たち四人は、声の主を見る。
薫だった。
髪は下ろしており、街灯が綺麗に薫を照らしている。
寒そうに、切らした息からは、白い煙が出ていた。
手は震えていた。
薫が来ると、雪が降りだした。
かなりゆったりと、ふわふわした雪が降りてくる。
「未来。幸せだったって言ってくれて、嬉しかった。たくさん傷つけたって思ってたけど、少しでも、幸せだったって思っていてくれて嬉しいよ」
薫は、未来を見ながら穏やかな表情で、ふわりとした笑顔で言う。
「よいちゃん。僕のことをここまで考えてくれていて、ありがとう。僕と一緒に居ないとダメなんて、言ってくれて嬉しいよ」
薫は弥生を見ながら、同じ表情で言った。
「だから、やめてほしいな。僕は大丈夫だから。だって僕は今……」
雪の中、街灯の光の中、一番の笑顔だったと思う。
「幸せだからさ!」
薫はそう言った。
あの後、弥生は泣き崩れた。
未来は呆れたような、良かったって思っているような表情をしていた。
俺と若葉、薫は、何とかなった二人を見て笑いあった。
弥生と未来は、お互いに「薫が幸せなら、OK」ということで納得し、和解した。
和解したうえに「これからは容赦しないから、未来」「やっと本性表したね。嬉しいよ弥生」とお互いに呼び捨てで呼び合うようになっており、いい意味でさらに、二人は仲良くなったと言えるだろう。
確かに今まで、二人とも本音で話せている雰囲気なかったし、良かったと思う。
俺は、部屋に戻る前に、弥生にどうしてあんなことになったのかを、一応、聞いた。
どうやら、お互いに話をしたかったらしい。ただお互いに喧嘩をしそうな雰囲気は感じていたので、深夜に裏庭で話と、それ以外の事もしようとなったらしい。
それ以外ってことは、最初から殴り合いも辞さない感じだったのな……。
俺は目が覚めてしまったので、のんびりと広い廊下を静かに歩きながら、窓から見る雪を横目に、眠気を待っていた。
食卓のような部屋を見ると、机の前で座っている人影が見えた。
そこには若葉がいて、カップラーメンをすすっているようだった。
若葉はこちらに気が付き、俺を見た後、カップラーメンを見て、その後、苦笑いをしながら、俺をもう一度見て手を振った。
「なんだ? こんな時間にカップ麵だなんて。不健康まっしぐらだぞ」
俺は、若葉に歩み寄りながら言った。
「えへへ……実はあの後、結構気を張ってたせいかお腹すいちゃって、よいちゃんに頼んでカップ麵を一個貰ったんだ」
「そうか。というかカップ麵とかあるのな。お手伝いさんもいるのに」
「確かに……でも年末とか、深夜とかにお腹すいたってお手伝いさんを起こすわけにもいかないから……あるんじゃないかな」
「そうだな……多分そうだ」
若葉は、カップラーメンをちょうど食べ終わっていた。
「……ちょっといいかな」
「ん? なんだ」
「相談なんだけどさ……」
若葉は、カップラーメンを端にどけた。
俺は若葉の前に座る。
少し俯きながら、若葉は話した。
「よいちゃんがさ、さっき未来ちゃんと話してる時に……裕福な家庭に生まれて、何不自由なく過ごして、幸せしか知らない私に、薫を救えるわけない! みたいなこと言ってたじゃん?」
「……言ってたっけか?」
人の言ったことは、意外と覚えていない。
でもなんとなく言っていたような気もする。
「言ってたよ!」
「おお……そうか」
「それでね……よいちゃんが言ってたこと、私にも刺さるなあって」
「ほお……まあ確かに……若葉は家族と仲良さそうだしな。黛はまあ……薫と似ている境遇ではあるし……そうかもな」
薫が不幸だった、というのはみんな知っていることだ。
でも、黛だって、不幸だったんだ。事故で両親を亡くしているしな。
「でしょ? だから少しだけ不安になっちゃった。確かに私は、不幸を知らないから、黛と一緒になってからも、黛の事を理解してあげられるかなってさ」
「……」
「だって、黛っていろいろ考えてるし……私たちが見えてないものまで見えてそうだし、考えてそうでしょ?」
「そうだな……たまに何言ってるのか、わからん時もあるしな……」
「……ま、いいけどね。それでも私は頑張るからさ」
そう言うと若葉は、カップラーメンを持って立ち上がった。
「話して楽になった。ありがと進」
「そうか。なら良かったよ」
俺……なんもしてないけど……。
ま、それだけ若葉が強いってことか。
「じゃ、私歯磨きして寝るから。進も早く寝なよ」
「ああ。おやすみ」
「おやすみ~」
そう言うと若葉はカップラーメンのゴミを捨て、廊下へ消えていった。
その後も眠気は来なかった。
俺は、廊下を練り歩く。
大部屋の横に着いた。明かりがついていたので、少し中を覗くと冷たい風が吹いた。
どこから吹いているのだろうと探してみると、大部屋のバルコニーに黛がいた。
「さっきは大変だったな」
黛はこちらを振り返らず、突然独り言のように話しかけてきた。
「なんだ。気が付いてたのか……一緒に止めてくれればよかったのに」
「止める必要なんて、なかったと思ったからな」
俺は、黛に近づいていく。
黛はこちらを向いた。
「止める必要がないわけないだろ」
俺は黛に言った。
「別に止めなくてよかったはずだ。もし止める行為が二人の邪魔になったら、二人に嫌われてしまうかもしれないしな。それにあれで納得するのなら、やらせておけばいい」
黛は相変わらず、低いトーンで言う。
身長が小さいから、あまり威圧感はないが、もしこの声で体がデカかったら……と思うとゾッとする。結構怖いだろうな。
「そうかもだが……止めた上で納得するなら、止めた方がいいだろ」
「そうだな。でもぼくは納得しないかもって思ったし、邪魔するのも悪いなと思った。まず、ぼくじゃ止めるのなんて無理だしな」
「……そうか」
修学旅行の辺りから、黛とは考え方が違うなと、俺は感じていた。
出会ったときは、お節介な奴だし、頼りになるから、俺と似ていると思っていたんだが、いつの間にか、意見が対立することが増えた。
俺には考え方が違う程度しかわからないけど、黛からしてみれば、もっと俺と違うなと思うところがあるんだろうな。きっと。
「それで、これから寝るのか?」
俺は、黛に尋ねた。
「そうだな。もう寝るとこだ。ちょっと部屋に慣れなくてな。外の空気を吸っていたんだ」
黛はそう言うと俺を通り過ぎ、廊下へ向かう。
「じゃあ、おやすみ黛」
「ああ」
そういうと、黛は歩みを進めようとする。
しかし、その足はすぐに止まった。
「最後に一つ話したい」
黛は振り返らずに言った。
「なんだ?」
「お前が羨ましい」
「……」
「自分の限界を考えず、自分の犠牲も考えず、周りも考えずに突っ込んでいく。その無鉄砲さが羨ましい。中途半端にいろいろと考えてしまう自分が鬱陶しいよ。お前みたいになりたい」
「俺はお前が羨ましいよ。いろいろ周り見えてるってのがさ」
俺がそう言うと、黛は一呼吸置いてから、また口を開いた。
「……進は命を懸けてでも、薫を助けようとしたんだよな?」
……どうだろう。
でも、自分が傷つくことを気にしてなかったってのは、確かだ。このナイフの刃を握った右手が証明している。
正直、命を懸けてでも人助けをしてないと……罪悪感で潰されそうな時期があったせいか、命を懸けることに慣れてしまっているのかもしれない。
「傷ついてもいいから助けようとはしてたと思う。まあ……命懸けてたかもな」
「そうか……薫は、弥生や未来を傷つけないように、自ら命を絶とうとした」
「そうだ。だから、俺は何をしてでも薫を助けなきゃいけなかった。弥生や未来が悲しむからな。まあ、自ら命を絶つなんて、絶対にいけない行為だからな」
「……」
場の空気が、さらに寒くなった気がした。
黛は少し間を置いてから、また振り向かずに話し始める。
「お前の今回の行動と薫の行動、何が違うんだ?」
「何が言いたい?」
「薫を救おうと、命を懸けて行動したお前と、弥生や未来が傷つかないように自ら命を絶とうとした薫。お前も薫も形は違うが、命を懸けて誰かを救おうとしていた」
「……?」
わからない。
俺が命を懸けると、薫が弥生や未来のために命を懸けることが同じ?
わからない。
自殺しようとした薫と、命を懸けて、誰かを助けようとした俺。
どこが同じなんだ?
「わからない」
「お前も薫も、誰かを助けるために命を懸けようとしたのは同じなんだよ。だからお前と薫、何が違うんだって言ってる」
「……」
「……じゃあこれはどうだ? 少し残酷な例えだ。今回は薫とお前、二人とも生きているが、お前が薫のために死んだとしたら、薫や弥生の罪悪感はどうなる? お前はそもそも、弥生や未来が悲しまないように、薫を助けていたはずだ。本末転倒じゃないか?」
「……でも俺がやるしかなかったんじゃないか……」
「そうか……そう思ってしまうか」
黛は少し肩を落とした……ような気がした。
「今はいい。ただ、ぼくは思う。進のその在り方は異常だし、その在り方は周りを不幸にするかもしれない。自己犠牲を払って、誰かを助けたとしても、お前が傷ついて悲しむ人だっているんだ。いいな」
「あ、ああ……」
そう言うと黛は、廊下へ消えた。
俺は立ち尽くし考える。
確かに、俺が傷ついてでも助けたりしたら、助けられた本人は幸せかもしれないが、俺が傷ついて悲しむ人だっているかもしれない。
でもそれで悲しんだ人も、俺が助ければいいんだ。終わりがないかもしれないが、そうするしかない。
未来が咲だとわかった今、罪悪感は薄れたけど、まだ残ってはいる。
だから俺の考えは、間違ってはいないはずだ。
……それに黛が考えていることは、難しくてわからないしな。
いつか、わかる時が来るんだろうか。
外は雪がさらに強まっている。
朝には積もってそうだ。
朝。少し遅い時間に目覚める。
とても寒い。カーテンで閉じられている部屋の窓から、寒気が伝わってくる。
適当に上着を羽織り、洗面台に向かう。
洗面台に着き、顔を洗い、歯を磨く。
特に何もなく、行く場所もない。
携帯を見ると連絡がきており「各自、好きにカップ麵とかを食べてよし」とあった。
それを見た俺は、すぐさまキッチンへ向かった。
カップ麵を部屋に持ち帰り、左手で食べたにしては、かなり早く食べ終えた。だいぶ慣れてきたな。左手にも。
この後帰るだろうし、朝食はこんなもんでいいだろう。
腹ごなしに、また散歩でもしようかな。雪の様子も気になるし。
ということで、俺は庭に繰り出した。
とても寒いが、綺麗に晴れていて、風もない。
一晩で積もった雪はあまり多くなく、歩くのには気にならない程度だった。
……どうせなら、昨日、弥生と未来がなんやかんやしてたとこに行こうかな、ということで、俺はその場所に向かう。
朝の裏庭は、深夜の裏庭とはかなり雰囲気が変わっていた。
雪のせいもあるが、とても明るかった。
見渡していると、真っ黒なコートに身を包んだ人物が、ベンチに座っていた。
「弥生じゃん」
「あら? おはよう進」
「おはよう」
弥生はベンチに座り、水筒を片手にぼーっとしているようだった。
蓋が空いている水筒からは湯気が出ており、ほんのりとコーヒーの匂いがする。
「何しに来たの?」
「散歩」
「そう。暇なら話しましょ? 黛以外誰も起きてないの」
「黛は起きてるのな……」
俺は、弥生の隣に座る。
「黛は、カップ麵を持って部屋に戻っていったわ。ま、私たちはこれから初詣があるから、ぼちぼち準備しないと」
「そうだったな」
「はあ……薫と若葉ちゃんの着物……考えるだけで幸せよ」
「黛は?」
「どうでも」
「あ、そう」
弥生は、水筒に入ったコーヒーを飲む。
「飲む?」
「いや、いいよ」
「そう……そういえば……実は二人っきりって久々?」
「意外とそうかも。一瞬、二人っきりとかはあったけど、こんなに二人なのは久々だな」
「出会った当初は、結構二人の時間、あったわよね」
「そうだな」
……弥生が俺の事を……好きだった頃……お互いに気になってた頃は、かなり一緒に居た。
その時より、仲がいいのは間違いない。でも、自然と二人っきりって機会は減ってきた。
それだけ、弥生と薫が、一緒に居るってことかもしれないけど。
「……気が付いたら、こんなにも頼ってしまって……もう、あなたが頼りになりすぎるのが悪いのよ?」
「はいはい……ってお前割とひでえやつだよな! 勝手に俺を自分の家庭問題に巻き込んで……」
「別に無理したくなければ、断っても良かったのよ?」
「俺が断るやつに見えるか?」
「見えないから巻き込んだのよ」
弥生は、くすくすと笑いながら言う。
「……はあ」
「だって言ったじゃない。私、人を見る目だけはあるって」
「そうだな」
「そう。あなたなら何かしてくれるって思ったの。でも一応……ううん。一応じゃないわね。言わなきゃいけない。ごめんなさいって」
弥生は、申し訳なさそうに、眉を八の字にして言う。
「別にいいさ。退屈な高校生活よりは。しかも助けている間に、咲まで帰ってきたしさ」
「そう! 咲ちゃん……というか未来……とは何もないの?」
「何も……ないなあ……今のとこは」
「……急に進! 好き! とかはないってこと?」
弥生はコーヒーをベンチに置き、両手を胸の前で握り、わざとらしく言った。
「あるわけねだろ」
俺は、間髪入れずに返答する。
「なーんだ。残念」
「本人も咲の記憶を取り戻しただけで、性格は変わらないって言ってたし……」
「でも、記憶は取り戻してるわけじゃない。進の事をめっちゃ好きだった記憶はあるわけでしょ?」
「う~ん。どうなんだろうか」
接し方からしても、少し変わったような気もしなくもないような……。
「ま、今後に期待してるわ。何か困ったことがあったら、私に聞きなさいよ。女の子の何たるかを教えてあげるから」
「お前なあ……ま、助かるけど」
「ん? 薫……起きたみたいね」
弥生はベンチから立ち上がる。
「なんでわかるんだ?」
「薫の部屋、そこなのよ」
弥生が指さす部屋の先には、黛と薫がいた。薫はこちらに手を振っている。
「さ、戻りましょうか」
「ああ」
そう言うと俺たちは、雪を踏みしめながら、家に戻った。
俺は帰り支度を済ませた。
せっかくだし、帰る方向も一緒だから、未来と帰ろうかと思い、携帯で連絡を取る。
すぐに承諾の連絡が来たので、俺は玄関口で未来を待っていた。
「あ、進。帰るのか?」
「ああ」
待っていると、薫が声をかけてくれた。
「そうだ。言いたいことがあったんだ」
「なに?」
「あんまり身を削りすぎるなよ? ……僕の兄さんみたいに、全部を背負いすぎないようにな」
「ああ。大丈夫だよ」
「そうか! ならいいんだ。じゃあ僕は少し家事をしてくるから」
「うん。またな」
「気を付けて帰るんだぞ」
そう言うと、元気に薫は駆けていった。
薫の背中を見送った後、振り向くと、遠くから駆け足で向かってくる未来が見えた。
家に帰ったら、新年の挨拶から、また一年が始まる。
元旦。朝。
いつも通りに、徹さんと朝の家事をしている。
外は冷え込んでいることもあり、キッチンでフライパンを洗う僕の手は、とても冷たい。
徹さんは、食器に野菜炒めを盛り付けている。
「……薫くん?」
「はい。なんでしょうか」
徹さんは、優しそうな顔をしている。
「あんなことがあったけれど、もう動いて平気なのかい?」
「ええ。なんなら前より元気なくらいです」
そう言いながら、僕は胸の前でガッツポーズをする。
「……そうかい? この後も初詣に着飾ってから行くんだろう? 別に手伝うことなど……」
「いいんです!」
「……そうか。ならいいんだ」
徹さんは冷蔵庫に向かう。
そういえば……徹さんだからこそ、聞いてみたいことがあった。
「徹さん」
「ん? なにかな」
徹さんは冷蔵庫から出した、通販で買ったおせちをキッチンに置き、冷蔵庫を閉めながら、僕に向き合ってくれる。
「……とある友達を見ていて……思ったことがあって」
「うん」
「聞きたいことがあるんですけど……」
「うん」
とある友達とは、進だ。
僕は、彼に救ってもらった。
しかし、そんな助けられた僕でも、彼を見ていて、気になったことがある。
「誰かのために死にたいなんて、ダメですよね」
僕は静かに聞いた。
僕はよいちゃんや未来、そのほかの人たちが傷ついてほしくないから、自ら命を絶とうとした。
進は、それを止めてくれた。
でも、そんな進も、命を懸けて僕を助けてくれた。
そこで思ったんだ。僕と進は同じだったんじゃないかって。
命を懸けて、誰かを助ける、誰かのために死ぬ。僕も進も、同じだったんじゃないかって。
だからこそ、たくさんの事を経験している、年齢を重ねた、徹さんに聞きたかった。
「う~ん……私なら別にいいと思うなあ」
「え? いいんですか?」
「うん……あ、薫くんみたいに若いうちはダメだぞ。私みたいな老いぼれなら……ということだ」
「……命の価値……ってことですか?」
僕は徹さんの言っていることは、徹さんがお年寄りだから、先が短いので、私ならいいと言ったと考えた。
「いいや? 命の価値なんて関係……少しはあるけど、ほとんど関係はないと思う」
「じゃあなぜ?」
「私ぐらいになるとね。命のしまい方、どうやって死ぬかを考えることがある。私ぐらいの年になると、誰かのために死ねたら……なんて考えることも、無くはないね。孫の黛が死ぬくらいなら、私が死ぬ、そう考えるからね」
「なるほど……」
「それに、突然死んだ私の息子の事を考えるとね……誰かのために死ねることが、どれだけ難しいか……どれほど尊いことか」
「ああ……」
突然死ぬ、ということは、誰かのために死ねるわけじゃない。
それを目の当たりにしている徹さんだからこそ、こういった考えに至ったのかもしれない。
「……まあ、だから薫くんが私ぐらいの年になったら、考えればいいさ。今は、とにかく生きろ。君の人生は長いからね」
「はい。さ、運びましょうか。朝からすみません、こんな話をして」
「ああ、別にいいよ。気にしなくていい」
僕は野菜炒めが盛られている皿を、しっかり持つ。
……人生は長いか。
本当に、ここまで僕を生かしてくれた人たちに、感謝しないといけない。
野菜炒めはとてもいい香りだ。
「う~ん」
朝。いつもと違う環境だからか、早めに起きてしまった。
なので、庭に散歩をしに来ているのだ。
とても寒い。日もそんなに出ていないから、さらに寒い。
「ひっろいなあ……」
私は少し回ってみたり、ステップしてみたりする。
黛と蜜柑ちゃんの家にも、私の家にも庭はあるけど、よいちゃんの家の庭と比べると、さすがに小さい。
手入れとか大変だろうなあ。
「……若葉ちゃん?」
「あ」
私は調子に乗って、動き回っていると、いつの間にか徹さんに見られていた。
「いや! これは……」
「はは。元気でいいね」
「はは……」
黛の事が好きな以上、徹さんにはあまり恥ずかしいところを見られたくない。
だって……変な子だって思われたら嫌じゃん?
「散歩かい?」
「ああ、はい」
「……そうだね、私も散歩なんだけど……ふむ……老いぼれと一緒は嫌かい?」
「いいえ」
「それは良かった」
そう言うと、徹さんは歩き出す。
私もついていく。
「朝は普段から早いのかい?」
「そうですね。朝練……とか、たまにありますし……」
「剣道だっけ」
「そうです! よく知ってますね」
「黛から聞いているからね」
「え」
……なんか変なこととか、悪いこととか言われてないよね?
「なんか言ってました? 悪口とか変なこととか」
「はは。そんなこと一つも聞いたことがないな」
「……ほ。良かった~」
「なんなら、黛から、悪口とか、愚痴や弱音の一つも聞いたことがないね」
「え? そうなんですか?」
「うん。若葉ちゃんは聞いたことあるかい?」
「……結構ありますね。悪口はないけど、弱音も愚痴も聞いたことあります」
「へえ。それはそれは」
徹さんは悪そうな顔をして笑う。
……なんとなくだけど、私が黛の事を好きということを、ずっと前から徹さんは気が付いているような気がする。
「本当に黛は、若葉ちゃんに心を開いているんだね」
「えへへ」
「黛は親にも気を使うからな。だから、私にも愚痴とか吐かないんだ。だからすごいことだぞ」
「えへへ……」
……これってやっぱり黛は……私の事を好きになってくれてるってこと?
嬉しい。
「徹さんは何かやってましたか?」
「私? 部活とかかい?」
「そうです」
「私は陸上部だったよ」
「へえ~……もしかして……短距離ですか?」
「ああ。よくわかったね」
「へへ。黛、足は速いけど、体力がなかったので」
「なるほどね~。高校生か……懐かしいな」
徹さんは空を見る。
「……人生って長いと思うかい?」
「人生ですか……」
突然、徹さんが尋ねてきた。
「えっと……場合による……と思います」
「その場合とは?」
「何も残さない場合は長くて、何かしようとすると短い……みたいな」
「ほうほう。ごめんね。例えとかあるかい?」
「はい。えっと高校だって、JKのうちに……あ、JKってわかりますか?」
「さすがにわかるよ」
「えへへ、失礼しました。普通に女子高生って言いますね。えっと、女子高生のうちに、女子高生だからこそ、したいことって挙げたらキリないわけです」
「いわゆるJKブランド……ってやつかい?」
「そうです! でもそれって別にしなくても、死ぬわけじゃないじゃないですか」
「そうだね」
「なら諦めてもいいわけです。しなくてもいいわけです。何も高校生のうちにしたいことがなければ、余裕が生まれて、高校生活が長く感じる。人生も同じかなって」
実際、高校一年生の頃は、友達もいなかったし、帰って家でゲームにアニメだったので、とても一年が長く感じていた。
でも、二年生はあっという間だった。友達が訳の分からない勢いで増え、黛に好きになってもらうっていう、黛に選ばれるという目標もあった。
その目標のために、いろいろなことを始めたし、いろいろなことをした。
だからこそ、こう思ったのだ。
「はあ~」
徹さんは、ため息をつく。
本気で呆れている感じはない。やれやれといった感じだ。
「これから、黛の事をよろしくね」
「え?」
私は、耳を疑った。
「ん? 聞こえなかったかな?」
「ちち、違います。ほんとかなって」
「ふふ、聞き間違いじゃないよ。ただ、私的にはもういつでもいいって感じかな」
「……ちょっと……散歩切り上げてシャワーでも浴びてきます!」
「はは、そうかい」
私は真っ赤になった顔を鎮めるために、急いで家に戻ろうと走る。
徹さんの顔を見ずに。
……身内の許可までもらってしまった……。
どんどん外堀が埋まっていく……。
黛と一緒に暮らす妄想が膨らむ……私の意思とは反して。
だってまだ付き合ってないもないのに、そんなこと考えちゃうなんて、気持ち悪いじゃん!
うわああああ!
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