第20話 軍靴の響きが聞こえる

 修学旅行も終わり、クリスマスや冬休みが来るまで、あと一週間といったところ。

 今は、今日の授業も終わり、適当に帰り支度をしている。

 クラスを見回すと弥生や深瀬など、学校で重要な役割を持っている人たちが、忙しそうに話している。

「何の話をしてるんだ? 錚々たるメンバーが集まって」

 俺は、忙しそうな集団の輪から外れていた弥生に、声をかけた。

「明日から、学校でのクリスマスイベントの設営があるのよ。その話し合いを今しているところ」

「へえ、クリスマスイベントか。去年もあったのか?」

「いえ、今年からやろうってことになったのよ。まあ、今年だけかもしれないけどね」

 弥生は机の上の資料を、トントンと整理しながら話す。

「なんで今年だけかもなんだ?」

「なんか今年は予算に余裕があるらしいわ。せっかくだしやろうってことよ」

「なるほどな」

「じゃ、明日、放課後校庭ね」

 弥生は振り向きながら、人差し指をピンと伸ばし、ウィンクをしながら俺を見る。

「おい、当たり前のように、俺を労働させようとするな」

「どうせ暇でしょ?」

「まあ……」

「ほらね。あなたみたいなガタイがいい人がいると助かるの。お願い」

「はいはい、明日な」

「ふふ、ありがとう」

 弥生はそのまま、教室を出ていく。

 弥生から目線をそらす直前に、薫が弥生についていくところが目に入った。



 俺は昇降口へ向かう。

 帰るためである。

 自分の靴を取り、校門に向かおうとすると、黛の姿が目に入った。

「よお、黛。今帰りか」

「ん……」

 黛は俺を見る。黛の表情は真顔、といったところだ。

「まあな。ちょっと駅前のスーパーに用事があるけどな」

「そうか、じゃあ途中まで一緒に行かないか?」

 俺は電車を使うので、駅前まで行くからな。

「……ああ、いいぞ」

 黛は、スッと靴を履くと立ち上がった。

 俺たちは歩き出す。

「ああ、そうだ」

 校門から出ると、すぐに黛が話を切り出した。

「うちでクリスマスパーティーをするんだ。お前も呼びたいって、蜜柑がな」

「そうなのか。そりゃいいな。いつやるんだ?」

「十二月二十四日だ。土曜日になるし、学校でのクリスマスイベントの後の、二次会的なものになる」

「また、いつものメンツか?」

「そうだな。弥生も薫も未来も若葉もいるぞ」

「そうか、まあ行こうかな」

「わかった。色々作る予定だから期待しておいてくれな」

「ああ」

 黛は、穏やかにほほ笑む。

 話している間に、交差点にたどり着く。

 俺たちが着く直前に、信号が赤に変わった。

「ま、今日の買い物は、夕食ついでにクリスマスパーティーの時に作る飯を、試作するために行くんだけどな」

「試作するんだな」

「蜜柑に出すだけだったり、自分だけしか食わないならともかく、ほかの人たち……特に弥生は舌が肥えてるはずだから、練習しないとな」

「すげえな。職人じゃん。飲食店でも出せばいいのに」

「……またまた……でも、そういや、おじいちゃんがいつか、店出したかったなって言ってたな」

「へえ」

 店出したかった、と過去形なのがなんだか悲しい感じがする。

「気が付いたら教師一筋で、定年迎えてたらしいとは話してたけど、ぼくの両親が亡くなる前には、一応、店は出そうとしてたみたいだし、多分……両親のごたごたの影響で、店は開けなかったんだろうな」

「あ、そっか。悲しいな、それは」

「ああ。お、青だ青だ」

 話に夢中になっていて気がつかなかったが、すでに信号は青になっていたらしい。

 俺たちはサッと渡り切る。

 渡り切る直前に、信号が点滅した。

「あ! チカチカ! 早く!」

 後ろを見ると、走ってぎりぎりで渡ろうとする、近くの私立の小学生らしき子たちがいた。

 先頭で後ろの子を急かしている男の子は、点滅している信号の横断歩道を渡ろうと走り出した。

 すると、ぎりぎりで曲がってこようとした車が、その小学生に向かっていった。

「……!」

 次の瞬間、俺は持っていたバックを黛に投げつけ、その小学生の正面から飛び込み、抱き着くようにして、歩道に飛んだ。

「危ない!」

 黛が叫ぶ声がした。

 どか、と地面に叩きつけられる音がした後、ゆっくり目を開くと、俺は歩道でその小学生を抱えながら、倒れていた。

「いてて……」

 体に強い痛みはなかった。

 腕に少し痛みがあるくらいだ。

「大丈夫だったか?」

 俺は起き上がり、抱えていた子の意識を確認する。

「う、うん。大丈夫」

「よかった無事で!」

 俺は、その子の頭を撫でていた。

「おい! 大丈夫か?」

 俺のバックをもった黛が、俺のところに寄ってきた。

 それと同時に、俺が抱えていた子の友達も寄ってきた。

「ああ、俺もこの子も、どっちも平気だ」

「よかった……また無理をして……」

 黛は、心配そうな顔をしていた。

「まあ、助けられたし、俺も無事だからいいだろ」

「……まあ……そうだけど」

 黛はバックを、俺の横にドカッと置いた。

 黛の顔を少しだけ、ひきつっているように見えた。



「ありがとうございました!」

 その小学生たちは、俺に元気よくそう言うと、しっかり左右を確認してから信号を渡っていった。

 入ってきた車は、どこかに行ってしまっていたようだった。

 黛と俺も、信号を渡る。

「……」

 黛はしゃべらない。

「いやさ、悪かったって」

 てっきり、俺がまた修学旅行の時、蜜柑を探しに行った時のように、無理をして人を助けようとする行動をしたせいで、怒っているのだと思った。

「いや、別に悪くはない。お前がしたいなら、すればいいだけのことだ」

「……そか」

 黛は、真剣な顔で歩みを進める。

「ただ」

「うん」

「お前と友達にはなりたくなかったな」

「……なんでだよ?」

 スーパーの前で黛は止まった。

「お前みたいな本当にいい奴は、サラッといなくなるからな」

「……いなくなるわけないだろ。それに、別に俺はいい奴じゃない」

「いい奴だよ。ぼくよりはね」

 黛は笑う。

「ぼくはもう、仲のいい人が離れていくなんて、ごめんなんだ」

 そう黛に言われると、黛の両親が突然亡くなった、という話が、俺の頭を過った。

 黛はやっぱり、大切な人がいなくなるのが怖いんだ。修学旅行の時だって、同じ理由で蜜柑を叱れなかったみたいに、人から嫌われるのが怖いんだ。嫌われると離れていくから。

 この話の流れからすると、俺の事も、大切に思ってくれているということだろう。

 黛は、そのままスーパーに入っていく。

「……じゃあ、クリスマス、楽しみにしておいてくれ」

「ああ。楽しみにしてる」

 黛の背中を見守ると、俺は駅へ足を向けて、歩き出した。



 次の日の放課後。俺はジャージに着替えた。その後、クリスマスパーティの、設営の手伝いをしに、校庭に向かう。

 俺が校庭に向かうと、かなりの人が集まっていた。とはいえ、全校生徒の半分もいない感じだ。

 生徒のほとんどが、同じ階で見たことがある人たちなので、一番多いのは二年生だろう。

 一年生もちらほら見かける。

「お~いおい」

「ん。未来か」

 お~いおいと声をかけられたので、声のする方を見ると、未来がこちらに向かってきていた。

「よっす」

「ん」

 俺と未来は何となく、隣並びになり、校庭にある台の上にマイクが置いてあるところに注目する。

「期末テストどうだった?」

 俺は未来に尋ねる。

「まあ、ぼちぼちかな。上昇傾向は止まったね」

「そうか。お前、一学期の時はとんでもなかったもんな」

「まあね。これも黛くんとか若葉ちゃんのおかげだよ」

 未来とは、目を合わさずに話す。

「そっちは?」

「平均」

「全部?」

「うん」

「うわつまんな」

「テストの点にユーモアを求めるな……あ、来たぞ会長」

 そんな話をしていると、台上に町田さんが現れる。

「町田だ。え~今回はクリスマスイベントの設営補助に、こんなにもの生徒が集まってくれたこと、とても感謝している」

 そう言うと町田さんは、マイクから一歩右にずれ、頭を下げる。

 そして、またマイクの前に立った。

「とりあえずは、手先が器用な生徒は体育館へ行って、装飾を手伝ってほしい。道具は充分にあるから、皆のセンスに任せたい。力に自信のある生徒は、校庭で生徒会やクリスマスイベント実行委員会の指示に従って、校庭のイベント会場の設営をお願いしたい。……以上だ。改めて、設営のために集まってくれた生徒に感謝する。ありがとう。それでは、準備開始だ。各自、行動を始めてくれ」

 町田さんは一礼をすると、生徒からは拍手が沸き起こった。

「なんか、こう見るとさ」

「ああ」

「選ばれるべくして、会長に選ばれてるよねあの人」

「そうだな」

 生徒の中で一番上に立っている人なのに、生徒がついてくることを当たり前に思っているわけではなく、感謝することを忘れていない。

 なんというか、いわゆるいい上司のような感じだ。社会経験ないけど。

「んで? 進はどっち行くの? あんたどっちでもいけそうだけど」

「そうだな~……さみぃから体育館かな」

「うわ、ずる」

「ずるくてもいいんだよ。お前は?」

「さみぃし体育館かな」

「ほら、未来もずるいじゃん」

「私は非力な女の子だから」

「クソ……そう逃げられると何も言えねえ」

 周りの生徒も移動を始めていた。

 俺たちもそれに流され、なんとなく移動を始める。

「最近どうだ? 部活は」

「ああ……部活ね」

 俺が未来に部活のことを尋ねると、未来は肩を落とした。

「実はね~……結局やめたんだよね~」

「ええ! 言ってくれよ! 何かできることなら……」

「だって~申し訳ないじゃんなんか、あと、これ以上借り作るのもな~って」

 いつの間に、未来は、部活をやめていたんだろう。

 自分の力不足のせいで、やめてしまうことになってしまったかもしれない。

 また、咲みたいに救えなかったせいで、罪悪感が募っていく。

「ごめん。俺の力不足だ。あの時、俺が部長にもっとしっかり言っていれば……」

「いや、いいんだよ。助けてくれようとしてくれただけ、ありがたいよ。薫くんのためなら別に部活ぐらい……別にいいんだよ。それよりさ、進は修学旅行楽しかったの?」

 未来と俺は、昇降口に着いた。

 靴を履きながら、未来は尋ねてくる。

 多分、話を変えたいんだろう。俺からも、あんまりしつこく言ってもよくないだろうしな。

「楽しかった。色々回れたし、友達もできたしな。未来は?」

「楽しかった……けど……薫くんが心配っていうか、気になってることがあってさ」

「気になってること?」

 未来は、一旦足を止める。

 それに気が付いた俺も、未来の少し先で足を止める。

 校庭から、体育館に続く道は外にあり、風も強く、寒さがいっそう極まっている。

 俺たちは、その道にさしかかる前で、足を止めている。

「薫くん、班行動の時はさ、結構元気だったじゃん」

「そう……だな。確かそうだった気がする」

 弥生に気を使ったりしていたし、なんなら、俺と深瀬と部屋で遊んでいるときに、薫は元気だったのを覚えている。

「私と二人で回った日があったんだけど……明らかに元気なくてさ……何か私に原因があったのかなって」

「……う~ん」

 わからん。

 未来が嫌いってわけじゃないんだろうけど……。

 ただなんとなく、この約半年。二人を見てきて少しだけ思ったことがある。

 ほんとなんとなく、かみ合いが悪いって思う。

 こう、支えあいきれてないというか、お互いに求めているものが……ずれている気がする。

「わからん」

「そっか……」

 でも、直接こんな感覚的なこと、ネガティブなことを言えるわけがない。

 誤魔化すしかないんだ。

「でもまあ、なんとかなるよ」

「なんとかって……私は彼女なんだよ? 一緒にいて楽しくないとおかしいじゃん」

「……まあまあ」

 未来は、少しだけ声を大きくして言う。

「……ごめん……ちょっと興奮して……」

「いいさ、好きなんだろ、薫の事」

「うん……だから、できることはしてあげたいんだけど……ね。足止めしてごめん。さ、いこっか」

「いいよ。行こうぜ早く」

 俺と未来はまた、体育館への道を歩き出した。



 体育館へ来たのはいいものの、当たり前ではあるが、器用だとか以前に、装飾というものにまず興味を持つのは、女子高生である。

 周りには女の子が多く、俺は割と浮いているように思える。

「未来~」

 体育館に入ると、俺の隣にいる未来は、すぐに声をかけられた。

「お~い、未来~」

「みちる~。手伝いしに来てたんだ」

 未来がみちる、と呼んでいるのは、柏木さんである。

「進くんはこっちに来たんだね」

「まあな。どっちでもよかったんだけど、外寒くてさ」

「外寒いよね~。でもいいんじゃない? 進くんぐらい身長高いなら、高いところの装飾楽そうだし」

「そういえば、そうだな。俺の役割はそれかもしれない」

「うんうん」

 柏木さんは、相変わらず元気いっぱいだ。

「さ、作業開始だね」

「そうだな」

「張り切っていこ~!」

 俺たち三人は、装飾道具が置いてある所へ向かう。

 とりあえず、いくつかの道具を取って、壁と向き合い、試行錯誤しながら壁を飾っていく。

 俺はというと、折り紙でリースをどんどん作っていき、周りの人に配っている。

「マジで器用だよね、進くん」

「そうなんだよね。これしか特技ないけどな」

「別にいいじゃん。特技なんて一つあれば」

「そうかなあ」

 柏木さんは壁を装飾しながら、明るく話しかけてくれる。

「ほら、進。身長高いんだからこれ、あそこらへんにつけといて」

 そういうと、未来は持ってきた折り紙の輪っかを連ねたようなものを、これでもかと俺に押し付けてくる。その後、壁の高いところを適当に指さした。

「はいはい……」

 俺は未来の言う通り、壁の高いところに輪っかを付けていく。

「お~い、そこのでっかい男の子~」

「呼ばれてるよ進」

「いや、俺じゃないかもしれんだろ」

 未来は、俺のジャージの裾を引っ張る。

「周りを見てよ、一番でかいの進くんだよ」

 柏木さんに言われ、俺は周りを見ると、明らかに俺が一番でかいことに気が付いた。

 男子はいるにはいるが、文化部っぽい華奢な男子が多い。俺みたいガタイがいい男子はほかにいなかった。

「……は~い」

 俺は声がした方を向き、手を振りながら返事をする。

「あとでこっちも手伝ってほしい~」

「わかった~」

 俺は返事をすると、未来に頼まれた作業に戻った。

 そしてその後、呼ばれたところの装飾の手伝いをした。

 


 それからというもの、俺は、人に頼まれたら断れない精神が働き、あれやこれやと高所に装飾をし、女子たちから「すごーい!」「たかーい!」とか、俺の背丈の感想を言われながら、作業をするのであった。

 作業をあらかた終えると、帰っていく生徒たちもいた。

 俺は、気になったところの修正や、少しもの寂しいなと思ったところを、装飾したりしていた。

 一度気になると、直したくなってしまうんだ。

 少し体育館の外が騒がしくなったと思うと、台本を持った生徒たちが体育館の中へ入ってきた。

 多分、演劇部だろう。

 結構な人数が歩いてくる中で、蜜柑や三島は後ろの方にいた。

 蜜柑は髪の毛を切っているようだった。少しだけ短くなっている。

 林田は先頭にいて、準備している俺たちに手を振ってきた。

「え~! 誰あの塩顔イケメン! 進くん知り合いかい?」

 柏木さんは、林田の顔に興味津々だそうだ。

「まあそんなもんかな」

「いいな……」

 柏木さんは、真剣な顔で、林田の顔を追いかけている。

「みちるって結構しっかり顔で選ぶよね」

 未来はスマホを見ながら、体育館の壁を背にして座っている。

「まあね。特にギリ女遊びしてなさそうな顔のイケメンが好き。彼は特にポイント高いね」

「どんな顔だよ……」

 多分あれだな。

 こう、色は白くて遊んでなさそうな感じってことだろうな……。

 舞台周辺に移動した演劇部は、立ち位置の確認や、テープなど床に貼っている。

 作業の片手間に見ていると、どこかで見たことのある女の子が舞台を見つめているのが見えた。

 肩まで三つ編みおさげを垂らして、すこし古い女子高生の雰囲気を醸し出している、かわいいような綺麗なような、不思議な雰囲気の女の子。

 修学旅行で、急に話しかけてきた女の子だ。

 あの時、はっきり言って何を言っているのか、聞こえはしていたが、理解が出来なかったので、尋ねてみるかな。

 俺は彼女に近寄り、話しかける。

「すみません」

「……なに?」

 彼女は、こっちをゆっくりと向いた。

「ああ、橘くんね」

 彼女は、ほんの少しだけ目を大きく開いて言った。

「あ、うんそうだけど……」

「……あの時はどうも。突然、話しかけてごめんなさい」

「あ、いえいえ……」

「私は、川端。よろしく」

「俺は……って知ってるのか」

「ええ。中村さんから聞いた人のことは、全部覚えているから」

 川端さんは、目を合わせてくれはするが、表情は一切動かない。

「そうなのか……蜜柑とは仲いいのか?」

「仲いいって思ってくれてるなら、とても光栄なんだけど。でも、最近はよく話すようになった」

「へえ。……それで聞きたいことなんだけど」

「なに」

「なんであの時、あんなことを俺に言ったんだ?」

「……」

 川端さんは、少しだけ話すのをやめた。

 しかし、視線は俺から離す様子はない。

「中村さんが、あなたの助けが必要なほど、弱い人だと思っていないし、既に私や……林田くんがいるから、あなたのお節介なんて必要ないって思ったから言った」

「なるほどな」

 確かに、この川端さんの蜜柑に対しての態度や、林田のことを話に出してくるのを考えると、蜜柑は俺なんていなくても、助けてくれる人なんて、もう足りているのかもしれない。

「というか、中村さんをすごいって思ってる人なんてたくさんいるから。今の演劇部も中村さんの一言があれば、多分みんな協力してくれるだろうし」

「確かにな……あいつの演技すごいし」

「実際、私が演劇部に入った理由も、中村さんのために良い衣装だったり、背景を作りたいから、美術部から演劇部に転部した」

「そこまでして、蜜柑のためになりたかったんだな」

「そう。初めてだった。人のために絵を描きたいって、何かしたいって思ったのは」

 蜜柑は、やっぱり人を惹きつける。

 蜜柑が動けば、みんなが付いてきてくれる。

 黛なんていなくても、俺なんていなくても、蜜柑にはもう十分なくらい、蜜柑のために動いてくれる人がいるんだ。

「舞台が空いたみたい。私は小道具の配置位置確認があるから。それじゃ」

「ああ、頑張ってくれよ」

「ありがとう」

 川端さんは、ゆっくりとその場を後にした。



 川端さんと話した後、すぐに弥生から電話がかかってきた。

「はい橘ですけど」

「進、そっちの様子はどう?」

「まあ、ほとんど終わってるかな。いい感じだぜ」

 体育館を見回すと、壁は綺麗に飾られており、出入り口は赤と緑と白の装飾で飾られている。

「実はクリスマスツリーをいくつか搬入したいの。一人で一本持てるくらいの大きさなんだけど、重いからこっちで力仕事してくれないかしら。さすがに帰ってしまった人も多くて、人手不足なのよ」

「なるほどな」

 外を見ると、いつの間にか暗くなっていた。さすがに年末も近いし、日が短くなっているのを実感する。

「わかった。すぐ行くよ」

「ありがとう。校庭の倉庫の前にあるから。見ればわかると思うわ」

「おけ。そんじゃな」

 俺は電話を切ると、すぐに校庭に向かった。

 時刻を確認すると、もう五時半になっていた。さすがに暗いし寒い。

 ジャージのポケットに手を入れ、小走りで向かう。

 校庭に入ると、何本かクリスマスツリーが見えた。

 クリスマスツリーの大きさは、俺と同じくらいで、確かにかなり背丈のある生徒でないと、運ぶのは難しいだろう。それに葉っぱの部分がチクチクするしな。

 とりあえず、俺は適当に一本持ちあげる。見た目よりは軽い。

 するとすぐ隣でも、一本クリスマスツリーを持ち上げている男がいた。

「あれ、三島じゃん」

「ああ、どうも」

 俺より大きい背丈の三島は、クリスマスツリーを軽々持ち上げていた。

「やっぱり見た目通り、力あるんだな」

「……私の事、演劇部だけの男だけだと思ってませんか? 一応剣道部も兼部してるんですよ」

「そうだったわ……」

 俺と三島は歩き出す。

 歩き出すと、何人か運動部っぽい男子生徒三人が、入れ違いざまに声をかけて来た。

「お疲れさん。それ重いか?」

「い~や意外と軽め」

 と俺は返答する。

「おっけ~俺らもやるわ~」

「ケガしないようにな~」

 彼らと話した後、また少し歩くと、風が吹き、校庭の砂が舞う。

「わあ! 目があ! 目があ!」

「静かにしてください」

 俺はクリスマスツリーを抱えているため、目が掻けなくて苦しむ。

「泣けてきたわ」

「多分、それ生理現象です」

「ほんとまじでかゆいから早く運ぼう」

「了解です」

 俺と三島は、足を速め体育館に向かった。


 体育館に着くと、柏木さんと未来が、クリスマスツリーを引き取ってくれた。

 クリスマスツリーは運ばれると、女子生徒が集まり、装飾されていく。

「ま、仕事は終わりかな」

「後は、出したものを片付けるだけですね」

 三島は周りを見回している。

 体育館を眺めると、たくさんの生徒が、仲良くクリスマスの準備をしているのが目に入った。

 そういえば、俺が一年の時は、こんな行事の準備にも、あんまり自主的に参加することはなかった。

 咲を探すのに必死だったり、罪悪感でぐちゃぐちゃになっていて、余裕がなかったからだ。

 こうやって、俺だけ幸せに学校生活を満喫しているかもしれないっていうのは、少し申し訳ない。だけど、あいつも今は、別の幸せを手に入れているかもしれないと、信じてやることしかできないんだ。直接会うことが、いまだに叶っていないわけだからな。

 だけど、あきらめることはしないつもりだ。あきらめたらそこで、試合終了だって言葉もあるしな。無理をしなくても、あきらめないことはできる。

「そういえば、薫さんはお元気ですか」

 三島は、腕を組みながら尋ねてくる。

「ん? 会ってないのか? 施設……で同じだったんだろ?」

「できるだけ会わないようにしてます。昔のことを、私を見て思い出されると困るので」

「そうなのか。元気……な時とそうでないときの差が結構あるな。どっちとも言えないかもしれない」

「そうですか」

 三島は、体育館の天井を見つめる。

「薫さんの過去について、もし聞くことがあったら、私を尋ねてください」

「……」

 俺は弥生に文化祭の片づけをしているときに、「いつか来る日のために、薫のことを好きになっておいてほしい」と言われたことを思い出した。

「お前の主観でいいから答えてほしい。質問がある」

「……はい」

「薫の過去について、俺が知ったら、俺は薫を嫌いになると思うか?」

「……なるほど」

 多分、弥生が言っていたことの意図は、こういうことだと思う。

 薫の過去のことは話せない。それを話すと、薫が嫌われてしまうから。だからこそ、弥生は薫の過去については、まだ話さず、俺や薫の友達や恋人が、薫を好きになるのを待っているんだ。薫の過去ごと、好きになってくれるような人を待っているんだ。

「難しいですね」

 だからこそ、少し恐ろしい。俺は多分、薫のことを嫌いになることはない。

「ですが、あなたくらいお人よしなら、平気だと思いますよ」

 しかし、俺以外はどうだ? 薫の事を好きでいられるのだろうか。そう思うんだ。

「そうか」

「ええ、小鳥居先輩にあそこまで信頼されているのなら、あなたは大丈夫だと思います」

「……ありがとう。質問に答えてくれて」

「いいえ。私にできることはこれくらいなので」


 クリスマスツリーの装飾も終え、俺は装飾道具や、校庭にある道具を片付けるために、校庭の倉庫に向かっている。

 もう生徒はほとんど残っていないだろう。帰宅部ということもあり、ここまで遅くまで学校にいるのは、意外とワクワクする。

 誰もいない校庭を前にすると、何にでもなれるような気分になる。

 暗い校舎には、あえて入ってみたいと思う。

 いつもとは違う雰囲気に、心はときめくものだ。

 誰もいないと思い込んでいる俺は、鼻歌交じりで倉庫の扉を開ける。

 すると、中にはぽつんと立っている人がいた。

「……」

 俺は鼻歌をやめるか、今更やめると恥ずかしがっていると思われるから、鼻歌を続けるか悩んだが、こっちを振り向く様子がなかったので、鼻歌をやめて、倉庫に荷物を置く。

 よ~く見るとポニーテールに、少し高い身長。細身。

 もしかして、と思い、顔をそっとのぞき込む。

 この世のものとは思えないくらいに、整った顔だった。

「……なんだ……薫か」

 俺は、薫に声をかける。

 しかし、ぼーっとしているみたいで気が付いていないようだ。

「お~い」

 俺は一歩踏み込んで薫の肩を持って、さらに話しかける。

「うお!」

 その時、なぜか足元に転がっていた、金属バットを俺は踏んでしまい、こけた。

「……は。あ、進? 何やっているんだ?」

「いてて……よかった気が付いたか」

 薫は気が付いたようで、こけた俺を見ている。

「ほら」

 薫は、手を差し伸べてくれる。

「ありがとよ」

「大丈夫だったか?」

 俺は立ち上がり、背中などについた埃を、薫の迷惑にならないように低い位置ではたく。

「ああ、俺は大丈夫。薫こそ、ぼーっとしてたぞ。大丈夫か?」

「……ああ、大丈夫」

 俺は、三島と話したことを思い出し、薫に元気かどうかを尋ねる。

「最近元気か?」

「元気だ。でも……気になることが……あるんだ」

 少し、デジャヴを感じる。

「なんだ?」

「最近、僕と一緒にいる時の未来に、元気がなさそうなんだ」

「ああ……」

 なんだ。こっちも同じ悩みを抱えていたんだな。

「それなら大丈夫だと思うぜ。薫も元気に振る舞えば、未来も元気になってくれるはずだ」

「そうなの……かな……」

 薫は右手で、伸びた左ひじを抑える。目線は左下。体が小さく見える。

「……そうだな。僕も元気に振る舞ってみるとする」

「ああ、その調子だ」

「さ、帰ろう。もうだいぶいい時間だ。寒いし、明日はクリスマスイベント。あとは黛と中村様の家でパーティーがあるからな。早く帰って寝よう」

「そうだな」

 俺と薫は、倉庫から出る。

 鍵は薫が持っていたみたいで、薫は鍵を閉めた。

 明日はクリスマスパーティーだ。

 何か、あればいいんだけどな。

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