第19話 前進、開拓、嘲笑

「お前ら……ついにこの時が来たぜ……」

「ざわ……ざわ……」

 どこからかクラスメイトが、どこかで聞いたことのあるような効果音を口ずさむ。

「修学旅行だああああああああ!」

「どりゃああああああああ!」

「きたああああああ!」

 副担任の谷田先生は、元女性ボーカルの声量でクラスの生徒に向かって、有名バンドの曲名を叫ぶみたいに修学旅行が始まることを叫ぶ。

 それに反応し、盛り上がるクラスメイト。

 ちなみに、俺も深瀬としっかり叫んだぞ。

 と言っても、ここはまだ教室。今は放課後。

 今からするのは、ただの班決めと説明なんだけどな。

「じゃあ、盛り上げたから、あとは委員長……小鳥居さんよろしく」

「はい」

 盛り上げるだけ盛り上げた谷田先生は、教室の前のドアでスッと待機し始めた。

 このあとの流れをパスされた小鳥居さん……弥生は、盛り上がっているクラスを、右手をスッと頭の横まで上げ、静かにさせる。

「みんなありがとう。それじゃあ簡潔に修学旅行について説明するわ。みんなも早く班決めしたいでしょ?」

「したーい!」

「気になるあの子と!」

「早く一緒になりたーい!」

 クラスの陽キャグループである深瀬と、その他何人かのクラスメイトは、弥生の発言に合の手を入れる。

「ふふ。じゃあ説明するわね。行き先は京都。三泊四日。一日目はクラス行動、二日目は班行動。三日目は自由行動。四日目はクラス行動になるわ。詳細はしおりに書いてあるから、よく読んで頂戴」

 そこまで言い切ると、弥生は板書を始めた。

 板書しながら、弥生は話を続ける。

「それで、今から班を決めてほしいんだけど……班は男女四人ずつ合計八人、うちのクラスは女子のほうが多いから、いくつか女子五人班はできると思うけど、とりあえず八人班を決めてほしいの。これは二日目の班行動、そして同性のメンバーで京都のホテルで泊まることになるわ。だから重要なのね」

 板書は、一から五班までの班員を書き込めるようになっていた。弥生はそうして、板書を終える。

「納得のいかない班ができるところもあると思うけど、そこは譲り合ってほしいわ。自由行動もあるし、そこで埋め合わせもできるからね。じゃあ……決まったところから黒板に書いていってね。よろしく」

 弥生はそこまでさらさらと説明すると、クラスがわっと動き出した。

 やべ……俺も出遅れないようにしないと……。

「よ! 進! 一緒に班組まねえか?」

 話しかけてきたのは、深瀬だった。

 後ろには一人男子生徒がいる。

「うん、じゃあ組もうか」

「よっしゃ! 江口もいいよな?」

「ああ、進くんと話したかったし」

 後ろの男は、江口というらしい。

 さっきの陽キャグループの一人だ。

「進。薫くんを誘わなくていいのか? 困ってるみたいだぞ?」

「あ。そうだな」

 深瀬は、教室の後ろの方で座って、きょろきょろしている薫を指差して言った。

 俺は薫の席に歩いて行って、声をかける。

「薫。よかったら俺たちと班を組もう。一人空いているんだ」

 薫はゆっくりこっちを見る。

 ……最近、ますます元気がない気がする。

 隈がどんどんひどくなってるような……。

「ああ、じゃあ入れてもらいたい。ついでに、お嬢様は僕とセットで班に入ることになるが、大丈夫か?」

「そうだな……うお!」

「もちろんいいよ! 薫くん」

 深瀬は俺の肩を後ろから顔を出し、薫を見る。

「ありがとう。助かる」

 薫は眼を細くして微笑むと、弥生に視線を飛ばした。

「……というか……未来はいいのか?」

「あ、そうだ、未来も一緒じゃないとダメだよな。おーい」

 薫は未来に手を振り、こちら側に来るように誘導している。

 ……彼女より、先に弥生のことを尋ねるあたり、薫にとって、やっぱり弥生という存在は大きいのだろう。

「薫くん。男の子のメンバーは決まった?」

 未来は薫に尋ねる。未来の後ろには、女子生徒が三人いる。

「ああ……ってそっちはもう四人いるのか……」

「そうだけど……あ、弥生さんも入りたいのかあ……」

「ああ、どうにかならないか?」

 薫は、未来に尋ねる。

 女子たちは「えー! やだよ一人ここから抜けるなんて!」「そうだよ、ほかのグループで何日も泊まるとか、無理無理!」「せっかくのチャンスなのに……」と話している。

 この女子たちは、グループ意識が高いみたいで、譲れないんだろうな……。

「じゃあ俺、抜けてもいいぜ!」

 江口くんは、手を挙げて大きな声で言った。

「別に女子五人班、できてもいいんだろ? 弥生さーん!」

「なにかしら~」

 江口くんは、黒板の前にいる弥生に声を飛ばす。

「弥生さんとここの女子四人、薫くんと進くんと深瀬の八人でもいいか~?」

「ん~問題ないわよ~。気遣いありがとう~」

 弥生は、チョークをゆっくり振りながら返事をする。

「いいってことよ! じゃあそういうことだから、森田、頑張れよ」

 江口くんは、未来の後ろにいたツインテールの女の子にウインクする。

「! ばか! そんなんじゃないやい!」

「へへへ」

 森田さんは、江口に対して罵声を飛ばす。

 顔を赤くしながら深瀬をチラチラ見ているあたり、彼女は深瀬狙いだったのだろう。

 いいなあ、これが青春か。

「江口サンキュー」

「ほんと、そんなんじゃモテないよ~」

「うるせえなあ、いつか彼女ぐらい作るっての」

 未来の後ろにいた、森田さん以外の女子生徒は、江口をからかう。

 そう言いながら、江口は、ほかのグループに飛び込んでいった。

「じゃあ、よろしくねみんな」

 黒板から、ここまで来ていた弥生が、班のみんなに挨拶する。

 それに反応して、みんながそれぞれによろしく~とあいさつする。

 結局メンバーは、男子、薫、深瀬、俺。

 女子、弥生、未来、森田、赤城、柏木の八人に決定した。

 森田さんはさっき言った通り、ツインテールが特徴的な女の子。

 赤城さんはショートボブみたいな短めの髪で、目の下にほくろがある。

 柏木さんはふわっとしたショートヘアーの女の子だ。

 みんな身長は同じくらい。

「それじゃ、もうやることなければ解散でいいわ。各自帰ったり、部活行ったり自由にしてね」

 弥生は班のみんなにそう言うと、また黒板に戻り、自分の仕事に戻っていった。

 班のみんなは、それぞれ「帰ろうか~」とか「俺は部活だ!」など、それぞれの行動をはじめようとする。

 未来は部活のようだったので、薫と一緒に帰るとするかな。

「薫。一緒に帰らないか?」

「ああ、すまん。お嬢様を待ってから帰りたい」

「そうか。じゃあ、俺帰るな」

「ああ、また明日」

「おう。また明日な」

 薫は、弥生と一緒に帰るらしい。

 薫にフラれたし……俺は一人でとぼとぼ帰るとするかな……。



 次の日、家に帰ると若葉からゲームのお誘いがあったので、通話をつなげて、一緒にバトルロワイアルFPSを始めた。

 マッチングを待ちながら、若葉と談笑する。

「ねえあれ知ってる?」

「あれってなんだよ」

「あのイカのシューティングゲーム」

「ああ、知ってるぞ。よく黛がやってるよな」

「あれ、噂だと次回作が出るらしいよ」

「へえ~。若葉もやるのか?」

「やりたいけど……来年の夏だしなあ~受験だし一旦は置いとくかな~」

「受験か……そうだよな、修学旅行も来週だし……高校生活も半分過ぎてるんだよな」

 受験を含めると遊んでいられるのは、高校二年生の終わりまで。

 あと約五か月。時間がたつのは早い。

「修学旅行と言えばさ、班決めはどうなった?」

 若葉の声のテンションが、明らかに上がった。

「ああ、若葉が知ってるのは弥生と未来と薫と……この前の生徒会室で話した時にいた、すこし髪の長い男知ってるか? 中わけの。深瀬っていうんだけど」

「ああ! うん。ポスターで見たし、ちゃんと認知してるよ」

「よかった。それで後は、未来の友達グループの女の子たちだ。森田と柏木と赤城だな。知ってる奴いる?」

「いないや」

「そっか。そっちはどうだったんだ? 黛とは一緒になれたのか?」

「うん! 一緒になれたよ!」

 若葉は、さらにテンションを上げて答える。

「よかったな」

「うん! 本当によかった! 実は昨日、風邪で休んでてさ。もしかしたら一緒になれないかもって思ってたから」

「え? そうなのか? 今は平気なの?」

「今は平気。軽い風邪だったし、むしろ修学旅行の前の風邪でよかったよ。当日風邪ひきましたとかじゃなくて」

「確かに、そうだな」

「それでね、実は渡辺さんって子がね、私のために譲ってくれたらしいんだ。黛の班の枠を」

「そうか。それはよかったな。そういやお前のクラス、みんなお前と黛のこと知ってるらしいしな」

「そうなんだよね。でも、だからこそ、本当の蜜柑ちゃんの真意がわかんないんだけどね……大多数の意見に押されて、黛のことがほんとは好きってことに気が付いたのに、言えてない……みたいなことがあるかもだから……」

「確かにな」

 大多数の意見より強いものはない。

 一人が声を上げて、変わっていく世の中はあるかもしれないが、それも結局はその一人があげた声に賛同した人が集まっていき、その声が多数側になっているだけだ。

 蜜柑が多数派に押されて、本心で話せていないかも……って考える、若葉の気持ちもわかる。

「……実際、少し前の蜜柑ちゃんなら……率先して、黛の班に私を入れておいてくれると思うんだよね」

「そうかも……若葉の予想が当たっているのかもしれないな」

「うん……でもまだわからないから……いつかわかる時が来るといいんだけど……あ、マッチングした」

「やべ。どこ降りる?」

「う~んと……」

 俺と若葉は、戦況が目まぐるしく動く地に降り立った。

 まあ、ゲームの中だけどな。

 修学旅行、楽しみだ。



 そして修学旅行当日。

 京都行の新幹線内。

 俺は班員である、未来、弥生、薫と、四人席を向かい合わせて座っている。

 ほかの四人、深瀬と柏木さんと森田さんと赤城さんは、すぐ隣の四人席を向かい合わせて座っている。

 新幹線の移動ということで、二クラスずつ分かれて、新幹線に乗り込むらしい。

 今は、適当に話をしているところだ。

「到着したらクラス行動か~。お寺の人の話とか聞かないといけないのかな」

「そうかもしれないわ」

「え~めんどくさいかも~」

「まあそう言わずに、自分からお寺の人の話を聞く機会なんてないでしょ?」

 不満を漏らす未来をなだめる弥生。

「そうかもだけどさ、早く班行動したいよね。伏見稲荷大社の千本鳥居……清水寺、金閣寺、貴船神社……」

「そうだなあ。やっぱり派手なところは早くいきたいよな」

 俺は、未来に共感する。

 確かに、千本鳥居とか派手で有名なところは、わかりやすくて好奇心がそそられる。

「……薫くんも、無事に来られてよかったね」

「ああ。本当だ」

 未来は、薫にやさしく微笑む。

「無事に来れたって……なんかあったのか?」

 俺は未来が言った、無事に、といった点が気にかかり、尋ねる。

「えっと……体調不良とは弥生さんから聞いたけど……細かいことは知らないんだ」

 未来は、弥生に視線をやる。

「薫は健康診断に引っかかっちゃってね。いけるか怪しかったんだけど……無事に行けることになったのよ」

「そうなのか……よかったなあ薫」

「ああ、よかったよ」

 薫は、嬉しそうにぎこちなく口角を上げる。

 相変わらず、目の下の隈はすごい。

 もしかすると、不眠症で引っ掛かったのかもしれないな。

 その後も、テンションの高めな薫と弥生と未来と俺はベラが周り、会話が弾む。

 ふと、深瀬たちがいる方を見ると、深瀬は森田さんの看病をしていた。どうやら、森田さんは乗り物酔いをしてしまったらしい。

 俺は深瀬に声をかける。

「おい、大丈夫か? 森田さんも」

「ああ、実は森田が、酔い止めの薬を家に置いてきたらしくてな」

「そうなのか?」

 俺は森田さんに声をかける。

「うん……」

 ……あ。

 森田さんって確か、深瀬のことを狙ってんだよな?

 俺は二人の対面に座っている、柏木さんと赤城さんの顔色を窺う。

 ……笑いながらも、おでこにしわが寄っている。

 これは「森田と深瀬がいい感じなんだから邪魔すんなよ」っていう表情だ。

「あ、わ、悪い! とにかく、深瀬、お前に俺の酔い止め渡しておくから!」

 俺はサッと振り向き、バッグの中のポーチから、酔い止めを取り出して深瀬に渡す。

 俺のほうの席にいる二人は、心配そうな目で森田さんを見ていた。

 薫は窓の外を見ていた。

「さんきゅ。ほれ森田。飲ませてやろうか?」

「いいの?」

「ああ、ほいっと」

 深瀬は、森田さんの顎をくいっと親指を使って持ち上げ、薬を放り込み、水筒に入っている水をゆっくり飲ませる。

「……あ……」

「これで良しだな。後はゆっくりしとけ」

「……う、うん……」

 森田さんは、深瀬のモテムーブに明らかに惚れていた。

 深瀬がこんなにイケメンムーブできるとは……油断できない男だ。



 新幹線は、京都駅に到着した。

 皆、降りる準備をし始める中、薫はぼーっと窓の外を見ていた。

「薫くん~大丈夫? 着いたよ?」

「ん? ああ、すまん」

 薫は、柏木さんに声をかけられてから、何となくふわふわと立ち上がり、荷物を席の上の物置から取り出そうとする。

 薫は、テンションは高いみたいだが、なんだか上の空だな。

 俺たちは京都駅に下りると、そのままバスに乗り込み、俺たちを乗せたバスは東福寺に向かった。

 紅葉の時期真っ只中だったようで、門から入るとすぐに紅葉に圧倒された。

「すげえなあ」

「そうだなあ」

 俺と深瀬は、しみじみと紅葉を見る。

「三十分後にはお寺の人の話を聞くことになるので、それまでには、お堂に来てくださいね~」

 谷田先生は歩きながら、みんなに呼び掛けている。

「だってさ」

 俺は深瀬に話しかける。

「正味、三十分も紅葉見ることないよな」

「いや寺見ろよ」

「それ、あいつらに言ってやってくれ」

 深瀬は親指で、後ろにいる集団を指さす。

「すご~い! やきそばみた~い!」

 ぱしゃ。

「マジインスタ映え~。煮物みたいな色している~」

 ぱしゃ。

「写真写真! 牛丼みたいな色だよね~」

 ぱしゃ。

 写真を撮るのをやめない三人組は柏木さん、赤城さん、森田さん。

 寺には目もくれず、紅葉の写真を撮っている。

「三人とも例えのセンス絶望的だな……」

 俺は呆れながら、寺の写真も納める。

「なんで食い物で例えるんだ……もっとあるだろ」

「食い意地張ってんじゃね?」

「かもなあ」

 俺たちは、そんな話をしながら寺内を歩く。

 歩いている途中で薫と未来を見かけた。その後ろのあたりで弥生も見かけた。

 薫と未来を、見守っているんだろう。

「ねえ深瀬くん」

「ん? 森田か。どしたん?」

 深瀬と少しベンチで休憩していると、深瀬が森田さんに話しかけられた。

 俺のことは、気にしていないようだ。

 森田さんの後ろには、赤城さんと柏木さんがいる。

「良かったらさ……一緒に写真撮らない?」

「ああ、いいぞ」

 ああいいなあ……。こういう甘酸っぱい恋愛イベント……。

 俺もそういうチャンスあったらなあ……。

 まあ、一年前と比べたら、友達もできたし、俺も青春出来ている気がするけど。

 深瀬はスッと立ち上がり、紅葉のきれいな木の下まで歩いていく。

 森田さんは、深瀬についていく。

 深瀬は木の下に着くと、

「ほれ、こっち来い」

「え! うわわ!」

 深瀬はぐいっと腕で、森田さんの肩を寄せて、そのままスマホを自分たちに向けた。

「はいチーズ」

「わわわ!」

 ……。

 俺、思うんだ。

 あいつ、人との距離の詰め方が早い。

 なおかつ不快感とか、無理やり感がないから、モテるし、自然とあんな感じの振る舞いが出来るんだろう。

 生徒会に選ばれたのも、そこが大きいのかも。

「進も赤城も柏木もとろーぜ~。班一緒だろ?」

「そうだね~ ほら柏木も進くんもおいで~」

「ほら進くんもいこ!」

「ああ、行く行く」

 俺は、赤城さんと柏木さんに続いて、ついていく。

 立ち上がる時に、薫と弥生と未来が、川の近くで話しているのが見えたので、俺は声をかけてみる。

「お~い未来たち~。こっちでみんなで写真撮ろう~」

「おっけ~ちょっと待ってて~」

 未来たちは、こっちにすぐに寄ってくる。

 未来と弥生はすぐに木の下まで来たが、薫は少し離れたところで止まっていた。

 柏木さんは薫に声をかける。

「薫くんは写真入らないの?」

「ああ、ぼく写真は苦手なんだ。だからぼくが撮るよ」

「でも……」

「気にしないでくれ。さ、撮るぞ」

「……」

 薫は、震える手でカメラを構える。

 カメラが苦手なはずなのに、頑張ってカメラを持っているあたり、写真に写りたくないから、頑張って自分の役割を果たそうとしているんだろう。

 柏木さんは、薫が写真に入らないことを気にしているようだ。

 悲しそうな顔をしている。

「気にしないで。本当に苦手なだけなの。少しでも自分の写った写真を見ると気分が悪くなっちゃうのよ」

 弥生は、すぐさまフォローに回る。

「そうなんだ。珍しいね。ごめんね! 薫くん!」

 柏木さんは、薫に謝る。

「いいんだ。じゃあ、撮るぞ」

 薫は穏やかに返事をする。

 柏木さん、いい奴だな。

 薫が撮った写真は、とてもきれいに紅葉と寺が写っており、素晴らしい写真だった。

 


 その後もいくつかのお寺を周り、俺たちは宿泊先に到着した。

 よくある少し古めの和風旅館という感じである。木のいい匂いがする。

 旅行中は、ここを貸し切って泊めさせてもらうそうだ。よく信頼を勝ち取れたという感じだ。

 男子階と女子階に分かれており、基本的には同じ階に男女が泊まることはない。

「俺たちの班は……うわ、四階じゃん」

「マジかよ。絶対歩き疲れて帰ってきたとき、また疲れるじゃんこれ」

 俺たちの班の女子たちと別れた、俺と深瀬は、四階というかなりはずれの部屋を引いてしまい、愚痴を言いあっている。

「別にエレベーターを使えばいいだろう」

 そう言う薫は、昼間よりは元気になっていた。

 京都のお菓子をおいしそうに食べていたし、薫もなんだかんだで楽しんでいるんだろう。

「そうだな。でも今は無理そうだぜ? ほれ見ろ、エレベーター前の人の群れを」

 深瀬はエレベーター前を指差しながら言う。確かに、今は人がたくさんいるな。

 ロビー前には、行く場所を失った難民のような生徒たちで、あふれかえっている。

「ありゃ。どうしようか。階段を使うか?」

 薫は、俺と深瀬を見ながら言う。

 荷物もあるし、ちょっと階段で行くのは……骨が折れる。

 俺はどうしようかなと、周りを見回してみると、一階の共同温泉前にゲームコーナーがあるのが見えた。

「軽くゲームで時間潰すか? お金使い切らない程度で」

 俺は、二人に提案する。

「それだ! なんなら見るだけでも楽しいからな!」

「そうだな。それでいいと僕も思うぞ」

 二人は同意をしてくれた。

 じゃあ行くか、ということで俺たちはゲームコーナーに向かう。

 UFOキャッチャーやメダルゲーム、太鼓のなんとかとか、よくわからんガチャガチャとかレースゲームとか、いろいろある。

「実は僕、こういうところ来た事あんまりないんだ」

「そうなのか。じゃあレースゲームでもやろうか薫くん」

 深瀬は、薫をレースゲームの台に案内する。

 薫は促されるまま座り、ハンドルを持つ。

「えっと、どうすればいいんだ?」

「足元にあるだろ。アクセルとブレーキが。それで運転するんだ」

「おお~本格的だな。すごい! 進んでるぞ! 見ろ進! 早いぞ!」

 薫はテンションが上がっているようで、声を大にして、俺に見るように催促する。

 ただ薫はお金を入れていない。つまり、薫がやっているのはデモプレイの映像を見ながら、手元をガチャガチャやってるだけだ。

 深瀬はニコニコしている。多分、あえて泳がせているんだろう。

「薫くん」

「なんだ深瀬くん! 一緒にやろう! 隣が開いてるぞ」

「そうだね。よいしょ」

 深瀬はさっと座ると、財布を取り出し、百円を入れる。

 するとぎゃいーんという音とともに、プレイするモードを選ぶ画面が表示された。

「……え?」

 薫は改めて、手元をガチャガチャさせたり、アクセルとブレーキをペタペタする。ガチャガチャしながら画面も見る。

 さすがの薫も気が付いたようで、財布を取り出し、百円を入れる。

 すると深瀬の台と同じようにぎゃいーんという音が鳴り、プレイするモードを選ぶ画面が表示された。

 そのまま画面を見ていた目線を、深瀬に移した薫は、半目になり、無言で深瀬を見つめる。

「……」

「あ……」

「いじわる」

「いや! ほんと! ごめん! いや! ほんと!」

「僕に勝ったら許してやろう。ほら、隣の台と対戦というモードがある」

 薫は得意げに腕を組んだ。

「よっしゃ! やってやろうじゃねえか!」

「負けないからな! 絶対に勝つ!」

 薫と深瀬はコースを選択し、マシンを選択する場面に移る。

「進。これどれがいいんだ?」

 薫は、いくつもあるマシンが写っている画面を指さして、どれがいいのかを尋ねてきた。

「うーん。薫は初心者だし、速度が遅くても曲がりやすい奴がいいんじゃないか?」

「曲がりやすい……このハンドリングが高い奴がいいのかな」

「そうだな。それがいいんじゃないか」

「じゃあこれにしよう」

 薫は、ハンドリングの一番高いマシンを選択。

「じゃあ俺は速度重視だな。経験者、舐めないでもらいたいな~」

 深瀬は、一番速度の速いマシンを選択した。

 マシンを選択し終えると、すぐにレースがスタートした。

 深瀬は一気に加速し、薫を突き放す。

 薫は出遅れる形となった。

 最初のコーナーに差し掛かる。

 深瀬は経験を活かし、しっかりとブレーキを織り交ぜ曲がっていく。

 薫はというと、初心者とは思えない手さばきで、インコースぎりぎりを攻めて、曲がっていく。

 二人の差はほとんどなくなってしまった。

「ちょ、薫くんうまくない?」

「百円を入れる前のプレイで、イメトレはできているからな」

「いやそれ操作できてないじゃん。なんでうまくなってるのよ……」

 カーブが続くステージだったようで、深瀬は、薫にどんどん突き放されてしまう。

 しかし最後の直線に差し掛かると、さすがに深瀬の最高速が早く、薫は深瀬に抜かされてしまった。

「ああ!」

「どうやら勝負あったね。薫くん。俺は謝らないよ」

「いや、まだだ薫! スリップストリームで加速するんだ!」

 スリップストリーム。それは後続車が、前の車にぴったりと後ろにつくことにより、気抵抗を抑える事で後続車が速度を更に上げる事が出来る手法だ。

 俺は、薫にそれをするように促す。

「なんだと! それはまずい! もっと加速しろ俺の車ああ!」

 深瀬は、それをさせまいと車体を加速させようと前かがみになり、アクセルを踏み込む。

「……! それだ! それは……」

 薫はハッとした後、ゆっくりと俺のほうに振り向いた。そして、

「それはなんだ?」

 と言った。

 そりゃそうか。レースゲーム初めてだし、スリップストリームなんて知らないよな……。

 

 結局、薫は負けてしまったが、どうやら大満足したようで、また今度、深瀬と俺とでやる約束をしていたし、深瀬もかる~く謝っていた。

 薫が楽しんでくれたようでよかった。



 一日目の夕食は、一階の大食堂で、教師からの全体連絡をすることも兼ねて、まとまって食べるらしい。

 大食堂は普段、パーティ会場になっているらしく、かなりの大きさだった。

 席は自由で、俺は薫と深瀬と並んで食べている。

 バイキング形式で、生徒は思い思いの料理を取っているようだった。

「よ、進たち。対面いいか?」

「ん?」

 俺は声がする方向に振り向くと、そこには黛と菊池、そしてくせ毛のそこそこ身長の高い男が立っていた。

「ああ、いいよ」

「さんきゅー」

 黛がそう言うと、三人は俺たちの対面に座る。

「って、樋口じゃん。黛くんと同じ班なんだな」

「うんそだよ~」

「というか菊池くんも黛くんも、樋口とは一年のころ同じクラスだったけど、薫くんと進は初対面か。紹介するよ。こいつは樋口。緩い奴だけどこう見えてうちのバスケ部のエースなんだ」

「よろしく~」

 樋口は、深瀬に紹介されると、ゆるゆる~っと手を振る。

 俺はよろしくと樋口に言う。薫はというと、樋口の真似をしてゆるゆる~っと手を振っていた。

 なんだか、共鳴してるみたいだ。

「というか……お前ら少しは野菜を取れよな。肉だらけだぞ」

 黛は席に着くと、俺たちのトレイを見て、呆れるように言う。

 確かに、俺たちのトレイはすごい茶色だ。

 肉、肉、肉、白米挟んで肉。そんな感じ。

「今のうちに、食えるものは食っておくのがいいんだぞ黛くん」

 と深瀬は言う。

「そうだな。今どきは大学生でも脂っこいもの食えなくなるらしいし」

 深瀬に便乗して、俺も言う。

「それ俺も聞いたことあるわ。ライブハウスでバイトしてる時に大学生の先輩が言ってたわ。二郎系ラーメンとかきっつくなるらしい」

「マジかよ~」

 菊池はエビフライを持ちながら話す。樋口はそれを聞いて、驚いているようだった。

「でも僕、お父さんから聞いたんだけど……」

 薫は味噌汁を片手に口を開く。新幹線で移動中の時から比べ、かなり元気になっているようで、結構な量を食べている。表情も少し明るい。

「油物を食べすぎると、将来ハゲるらしいぞ」

「……」

 薫以外の五人は、手を止める。

 ハゲ。

 それは男の最大の悩み。

 ハゲ。

 それは思春期男子が、一度は議論する「ハゲたらどうする?」というテーマ。

 素直に坊主にしたり、最後まで抗うために伸ばしたり、素直に植毛したり……ハゲたら死ぬなど、いろいろな対抗手段を考えるが、結局行きつくのは絶望という結論である。

 男としては、ひげが濃いとか、身長が低いとか、いろいろ容姿にコンプレックスがあると思う。それらはある程度成長する過程で、自覚できるし受け入れられる。

 しかし、しかしだ。ハゲは大人になってからわかるものである。なるものである。

 まさか自分が……そう思ってしまうものだからこそ、受け入れがたいのである。

 だからこそ、潜在的恐怖というものがあるわけだ。将来ハゲるかもしれないという恐怖が。

 しかも、ハゲなんて容姿に関わる中で、トップクラスに対処しにくい問題だ。

 ひげが濃いとか、背が低いとかは、意外と触れやすい。

 身長に関しては「身長が低い人が好き!」という子もいるから、別に長所に昇華できる。

 しかしだ、ハゲは基本的に、そういう好意的な解釈をされないものだ。

「ハゲが好き!」なんて聞いたことがない。

 だからこそ、薫の「油物を食べると将来ハゲる」というのは大問題なのだ。

「薫くんそれほんと?」

 と深瀬。

「うん。お父さんが言ってた」

「いや迷信だよきっと」

 と樋口。

「うーん。どうだろう。僕のお父さん、一応医者なんだ。でたらめは言わないと思うけど……」

「マジかよ……」

 樋口は、引きつった顔を見せる。

 薫は淡々と答えていく。

 六人は、雰囲気が暗いわけではないが、何というかお互いがお互いに、疑心暗鬼になっているような、そんな雰囲気になっていた。

「なあ進くん」

「なんだ」

 菊池が話しかけてきた。

「進くんの父さん。キテるか?」

 この場における「キテる」というのは恐らく、生え際の後退を指す。

 恐らくそうだ。

「いや……キテない。薫は……」

「ん~?」

 薫は、口の中いっぱいに白米と揚げ物を詰め込んで、もぐもぐしている。

 そんな食べるのに一生懸命な薫は、男の俺でもかわいいと、愛おしいと思える、その端正な顔は「僕の父は、ふさふさだ」と言っているようなものである。

 というか、こいつ弥生の親父さんに引き取られているんだ。なら、安易に触れないほうがいいか。

「まあ薫は平気だな。深瀬は?」

「俺もキテない。樋口」

 深瀬は、樋口にアイコンタクトで尋ねる。

「キテないなあ。黛は?」

「ぼくは早めに死んじゃったからわからん。でもふさふさだった……一応……」

 黛は自分の頭をさすりながら答える。

「うわまじかよ……」

 菊池は頭を抱えて、机に肘をつく。

「もしかしてお前……」

 深瀬は菊池に尋ねる。

「キテるどころじゃない。親父の頭は荒野だ」

「マジかよ……」

「元気出せよ……」

「涙拭けよ……」

「頭洗えよ……」

「……よくわからないけど……とりあえずエビフライ食べるか?」

 深瀬と俺と黛と樋口……そして薫だけは、なんだかベクトルが違うが、菊池を励ましている。

 ハゲます? うるさいな。静かにしてくれ。大事な問題なんだ。

 薫は、優しく自分のエビフライを皿に乗せて、菊池に渡す。

「ちな、親父さんの年齢は?」

「四十八」

「うわ割と早めじゃん……絶望じゃん……」

 菊池に尋ねた樋口は、コトっと音を立てながら、皿を机に置く。

「結構早めだな……せめて定年までは持たせたいよな」

 と黛。

「早いうちに女見つけとけよ……菊池……早くて最悪三十路くらいで来るぞ……」

 と深瀬。

「俺……とりあえず野菜取ってくるわ」

 俺は席を立つ。野菜を確保するためである。髪を確保するためである。

「俺も……薫くん、ハゲないためにいい食べ物知らない?」

 菊池は、薫に尋ねた。

「ああ……豆腐とかいいらしいぞ、あとわかめか? イメージだと」

「じゃあ味噌汁も持ってくるか……」

 菊池は立ち上がった。

「俺も行く……」

「俺も行くわ……一緒に頑張ろうぜお前ら……」

 と樋口と深瀬。

「なんだ? どうした? まだ持ってきたもの、残ってるのに取りに行くのか?」

「薫」

 席を突然立つ俺たちに、薫は疑問を持ったようだった。

 黛は、そんな疑問を持つ薫の肩に、ぽんと手を置き、薫に語り掛ける。

「あいつらは、将来のために、席を立ったんだ。見送ってやろう」

「え? ああ。い……いってらっしゃい」

 薫は困惑しながらも、背中を丸めて歩いていく俺たちを見送ってくれた。

 席に帰ってきた俺たちは、これでもかと野菜と豆腐を喰らった。


 俺たちは満腹になった後、部屋に戻った。

 ここから少しの間、休憩時間となる。今日の予定は入浴すれば終わりとなる。

 自分たちの部屋にも風呂はついているが、ここの旅館には大きな露天風呂がある。

 夕飯を食べているとき、黛たちも、露天風呂には入っておきたいと言っていたので、俺たちもそっちに行くことになるだろう。

 一応、露天風呂はクラスごとで時間が決められている。時間内に入ることが出来なかったら、自分の部屋の風呂を使うことになる。

「さて、少し暇だな」

「そうだね。あと三十分ぐらいあるな。UNOでもするか?」

 薫は持ってきたUNOを取り出した。

「深瀬と薫が疲れていないようなら、やろうか」

「疲れてませーん」

「僕もー」

「ならやるか」

 二人は元気よく返事をした。

 俺たちは部屋の真ん中で、円を作るような感じで座る。

 薫が、慣れた手つきで配ってくれる。

 マジシャンがよくやるような、カードを両手で交互に差し込んで、シャバシャバシャバ! と音をたてて混ぜるやり方で混ぜていく。

「あ、でたその混ぜ方」

「へへ、いいだろ~練習したんだよこれ~」

「ちょっと俺もやりたいわ」

「おっけ」

 薫は、深瀬にUNOの紙束を渡す。

「えっと……」

 深瀬はぎこちなくUNOを混ぜようとするが、薫のようにはできなかった。

 深瀬の手元から、UNOがはじけ飛ぶ。

「はい~」

 俺は深瀬を指さして、すこしからかうような感じで指を差す。

「むずいわ~進やってみてくれよ」

 俺は、深瀬からUNOを受け取る。

「えっと、こんな感じで……」

 俺は、薫がやっていた通りにやってみた。

 すると、意外とするするとできてしまった。

「やっぱ器用だな進」

「むしろ、それ以外の自覚できる得意なことがないんだよな……」

 俺は、薫にUNOを返した。

「大人になるとやっぱ世界が広く見えるから、自分が自信もって得意って言えることって少なくなるのかな~周りと比べる範囲が増えるし」

 と深瀬。

「そうかもね」

 薫は、UNOを配りながら言う。

「そう思うと、これから先、死ぬまで一生やることがなかったことが、もしかすると得意だったかもしれなかった可能性を考えると怖いよな」

 俺は配られたUNOを見ながら言う。

「もしかすると、カバディとかの才能あるかもしれないしな」

「そう考えると、UNOも全力でやらないとね」

 深瀬と薫は、手札を見ながら言う。

「UNOの才能があるかもしれないからな。さ、やるぞ」

 俺は手札を構える。そして言った。

「デュエル」

「え? ……デュエル」

「? 僕もやる流れか? デュエル」

 三人は、真剣な顔をしながら、UNOを楽しんだ。

 

 UNOを終えた後、俺たちは露天風呂に向かい、俺は少し先に風呂から上がり、ロビーでスマホを見ながら休んでいた。

 薫と深瀬の二人は、サウナで我慢比べをしていたのだが、俺はあまりにもサウナに弱すぎたので、先に上がらせてもらったのだ。

 とはいえ、深瀬と薫はもうすごい仲良くなっている。二人の相性が良くてよかった。

「進くん?」

「ん?」

 声がした方を見上げると、恐らくお風呂上がりであろう、柏木さんが、こちらを見ていた。

「柏木さんか、どうしたの?」

「いや、いたからさ、声かけただけ」

「そっか」

 柏木さんの髪の毛は、少し濡れていて、普段ふわふわしている髪の毛がまっすぐになっていた。

 お風呂上がりの女の子を見るなんて、ちょっと新鮮だ。

 柏木さんは、俺の隣に座る。

「薫くんと深瀬くんは?」

 俺の顔を覗き込むようにしながら、柏木さんは訪ねてきた。

 近くで見ると、結構かわいいし、胸もそこそこあるような……。

 いやいや、今はいいんだ、そういうこと。

「まだ風呂だ。サウナで我慢比べしてるらしい」

「へ~。深瀬くんはやりそうだけど、薫くんってそういうことするんだ」

「仲良くなると、意外と子供っぽいところあるからな。勝負事好きだし」

「そうなんだ。やっぱり仲いいんだね」

「まあな」

「あ、そう。仲いいで思い出した」

「な、なにを思い出したんだ?」

 柏木さんは周りを見回すと、手招きして耳打ちをしようと顔を近づけてきた。

「未来と弥生さんって仲悪いの?」

「え? そんなことないと思うけど……なんかあったの?」

「うん。実は未来が、薫くんの元気がないことを、弥生さんに話の流れで尋ねててね、あんまり話の流れは覚えてないんだけど……未来が薫くんのことを教えてくれないじゃん! とか弥生さんに言っててね……結構言い合いになりそうだったんだ」

「そんなことがあったのか」

「うん。なんとか抑えられたけど、未来はその後も結構怒ってて、文句も言ってたよ。弥生さんは、相手にしてない感じだったけどね。薫くんと弥生さんは一緒に住んでて、薫くんを心配しているのはわかるし、未来が少し頼りないのもわかるし、どっちの意見もわかるしで、難しいよね」

「そうだな」

 弥生は、誰よりも薫を心配している。

 だからこそ、薫に対して過保護になって、そんな弥生を見て、彼女である未来が嫉妬してしまうっていうのはよくわかる。

 今、もしかすると未来と弥生は、考えがすれ違っているのかもしれないな。

 そんなことを考えていると、柏木さんはスマホを取り出した。

「あ、森田達から連絡来たや、じゃあね。話してくれてありがと。いい夜を~」

「こちらこそ。おやすみ~」

 柏木さんは、足早に去っていった。

 

 風呂上がりの牛乳を飲んでいなかったと思い、ロビーにある自動販売機に向かった。

 自動販売機に百円を入れ、牛乳を押す。

 それを拾い上げると同時に、誰かが声をかけてきた。

「よ、進」

「なんだ。黛……と若葉か」

「どうも~」

 黛と若葉は、財布を握りしめ、仲良く立っていた。

 どうやら、二人も何か買うらしい。

 俺は自動販売機から少し離れて、黛と若葉が飲み物を選べるようにスペースを開けた。

 黛は手早くお金を入れてから、「うーん……」と悩んでいる。

「ねえ進」

「なんだ」

 若葉が声をかけてきた。

 少しだけシュンとしている表情だ。

 俺は、若葉に手招きされて、若葉の顔辺りまで顔を下げる。

 すると、若葉は耳打ちをしてきた。

「実はさ、黛に渡したおそろいのミサンガなんだけどさ、なくしちゃって……」

「ええ……そんな大事なものをお前……」

「そうなの! 本当に私ショックで……。でもね。なくしたっていうか……絶対に着替えと一緒に置いておいたはずなの」

「ええ……確かなのかそれは……」

「絶対だもん。絶対……」

「お~い。若葉はいいのか?」

 若葉が絶対……と言いかけると、黛は俺たちに声をかけてきた。

「あ、買う買う」

 ……若葉は少し頼りないところはあるけれど、頭は切れるし、そんなうっかり、しかも大事な黛との思い出のミサンガを、無くすわけはないと思うんだけどなあ……。

「あ~! もう! えい!」

 若葉はガゴン! と勢いよく百円を入れ、ガコン! と出てきたヨーグルトドリンクをガチャガチャ言わせながら取り上げると、そのまま勢いよくストローを刺し、すごい勢いで吸い上げる。

「ぷは~ぁ!」

「ダイソン若葉」

 ボソッ。

「む……なんか言った?」

「え、いえなんでもないです……」

 俺は思ったことをこっそり口に出したら、若葉に咎められてしまった。

 若葉は飲み切ったヨーグルトドリンクを、捨てに行こうとロビーにあるごみ捨てコーナーに向かった。

 その瞬間である。

 ゴミを捨てに行こうとした若葉を、俺と黛は何となく見ていた。

 若葉の正面にはよく見覚えのある、身長の高い女の子が立っていた。

 それは中村蜜柑であった。

「お~い! 蜜柑ちゃ~ん」

 若葉は、無邪気に声をかけようとする。

 黛は、声をかけようとした若葉を、とっさに止めようと、一歩足を踏み出していた。

 黛は、かなり青ざめた表情をしていた。

 俺はなぜだろう? と思いながらも、蜜柑に目を向ける。

 よく見ると、蜜柑の手には、黛の腕についているミサンガと、同じ模様の色違いのミサンガが握られていた。

 次の瞬間、蜜柑の手から、ミサンガが放たれた。

 蜜柑の手の下にある、ゴミ箱へ。

 若葉と、黛のミサンガは、若葉のだけ、捨てられたのだ。

 最悪のタイミングだった。

 若葉が声をかけたタイミングで、蜜柑の手からミサンガが、ゴミ箱へ放たれたのだ。

 ゴミ箱にミサンガが入った後、蜜柑は若葉のほうを振り向いた。

 ……。

 少しの沈黙の後、若葉は静止していた。

 ショックで静止しているのか。

 いや、あの横顔は違う。

 悲しそうな眉をしながら、目はしっかりと蜜柑を見ていて、それでいて、口は笑っている。

 ああ、知っていたんだ。

 ああ、きっと、若葉が俺に話してくれた通りだったんだ。蜜柑の気持ちは。

 蜜柑は……若葉と黛の関係を見て、嫉妬していたんだ。

 若葉はきっと、今までそうだと思っていたことが、裏付けられるようなことが目の前で起こって、少しだけ悲しくて、少しだけ後悔していて、そこまで蜜柑に意識されてることが、少しだけ嬉しかったのだろう。

 黛は、やってしまった、そう捉えることが出来る表情をしていた。

 もう少し、蜜柑に気が付くのに早ければ、黛は若葉を止められたかもしれない。

 

 まあ、気が付いたところで、ぼくには何もできないさ。選べないんだから。嫌われるのが怖いんだから。離れるのが怖いんだから。


 蜜柑は、ひたすらに目だけを動かして状況を把握していた。

 まず、手前にいる若葉を見た。

 次に後ろにいる、俺と、黛を見た。

 そして、手を見た。

 そして、両方の手のひらを見た。

 そこで、理解したのだろう。

 自分の犯した事に。

「蜜柑ちゃん」

 若葉は、穏やかに声をかけた。

 そのまま若葉は、蜜柑に近寄る。

「来ないで!」

 しかし、蜜柑は声を荒げ、若葉を制した。

 そして、蜜柑は泣き出した。

 若葉は、そのまま蜜柑を見つめている。

 俺は、蜜柑のしたことに怒っていた。

 大切な友達が、大切な友達にあげたプレゼントを捨てようとしたんだ。

 簡単に許されることではない。

「蜜柑。お前がしたこと……どれだけ若葉と黛を傷つけたのか、わかっ……」

 俺が言い切る前に、若葉は右手を横に伸ばし、俺の言葉を遮った。

「やめて。進。集団で一人を責めるのは、いじめと同じだよ。周りを見て」

 俺は周りを見渡す。

 ロビー内にいる人たちの注目は、蜜柑と俺たちに向いていた。

 ここで、蜜柑を大々的に責めるのは、若葉の言う通り、いじめと同じだろう。

「……っ」

 蜜柑は、突然走り出した。

「あ、おい!」

 俺は、蜜柑を追いかけようとする。

「……おい! 黛! お前も追いかけるんだよ!」

「……」

 俺は、黛も追いかけるように呼びかけた。

「……できない」

「……え?」

「ぼくに追いかけることはできない」

「は? なんでだよ」

「追いかけてどうするんだ」

「え? ……それは……悪いことをした蜜柑をどうにかするんだよ」

「どうにかって?」

「……叱る。それしかないだろ。お前にしかできないだろ。あいつの保護者みたいなもんだしな」

 今の蜜柑は、本当に許されないことをした。

 若葉自身がそれを問い詰めるのは、できそうにないし、ここは黛に叱ってもらうしかないだろう。

「なら、ぼくにはそれはできない」

「……だから! なんで……!」

「……蜜柑を叱ったら、蜜柑に嫌われる」

「……お前……」

「でも……蜜柑を叱らなかったら……若葉に嫌われる」

「お前ふざけんな! あんなに仲いいのに、叱るだけで嫌われるわけ……」

「嫌われる! ぼくは誰かに怒って! 叱って! 嫌われるのが嫌なんだ! 離れていくのが嫌なんだよ!」

「てめえ!」

 俺は黛の小さい体を、胸ぐらをつかんで持ち上げた。

 黛は簡単に持ち上がった。

 しかし、持ち上げてからすぐに、黛が言っていたことが、頭によぎった。


「黛は今、目標はあるのか?」

「ない。気がする。高校のうちに一つは考えておきたいけどな。強いて言うなら上手く怒れるようになりてえな」

「どゆこと」

「そのまんまの意味だよ。怒んのが下手なの。怒りすぎちゃうからな。蜜柑に強く叱ってから……少しトラウマなんだよな。あのせいで少しだけの間だが、不仲になっちまった」

「もう、周りから人がいなくなるなんて、どんな形でも、ごめんだからな」


 俺は、自然と力が抜けていた。

 ……黛の気持ちもわからなくはない。

 誰かに嫌われてもいい覚悟ってのは、結構勇気がいるもんだ。

 俺だって、弥生との仲違いで、嫌って程学んだからな。

 こいつだって、もしかすると、誰かを助けたり、導いたりする方の人なんじゃなくて、助けられる側の人間なのかもしれない。

 そんなことは、どうでもいいんだ。

 ただ、今、俺が出来ることは蜜柑を追うことだ。

「両方の味方をするなんて限界がある。だから、ぼくはここから動けない。若葉も蜜柑も、ぼくには選べない。放してくれ」

「ああ。今は放してやる」

「……」

「後で話がある」

「わかった」

 黛は、目を合わせてくれなかった。

 俺は若葉を見た。

「やりすぎないでね」

 若葉は心配そうな顔で言う。

「それは保証できないな」

「もしやりすぎたら、股間蹴るから」

「それでも保証できないな」

「ああ、もう……」

 若葉は、呆れた表情をしていた。

 俺は多分、今冷静じゃない。

 黛は、動いてくれない。

 蜜柑は自分のやったことから、目をそらして、どこかに行った。

 俺はそんな蜜柑を、黛の代わりに叱ってやらないといけない。

「わかった。信頼してるよ。私は大丈夫。黛は任せて。蜜柑ちゃんをよろしくね」

「ああ」

 その後、俺は、蜜柑を追いかけた。



「みつけたぞ蜜柑」

「……」

 俺は蜜柑を追いかけようとしたものの、追いかけようとした時には、もう蜜柑の姿は

見えなくなっていた。

 館内をくまなく探し回り、たどり着いた先は、俺たちが夕飯を食べた、誰もいない大食堂だった。

 逃げ込むなら、一度来た場所のほうがやっぱり安心するし、場所感もある。

 むしゃくしゃになって逃げこむなら、ここはもってこいだろう。

「あなたにとやかく言われる筋合いはないです」

「確かにそうかもな」

俺は蜜柑の親じゃないし、黛みたいに家族同然の関係ってわけじゃない。若葉みたいに被害者というわけでもない、ただの傍観者だ。

 でも、黛は動かなかった。

 若葉は大丈夫だって言っていた。

 でも、誰も言わないなんてダメだ。見過ごすなんてできない。

 なら、俺が動くしかない。

「でも黛が動かないからって、お前をこのまま甘やかしておくのも良くない。あの状況から逃げ出したってことは、悪いことをしたっていう自覚があるってことだろうしな。若葉が黛にあげたミサンガを捨てようとしたわけだし」

 蜜柑は机に少しだけ腰掛ける。

「そうですね。でも仕方のないことなんです」

「……」

「若葉ちゃんにも幸せになってほしいんですよ。でも、若葉ちゃんと黛さんをくっつけようとして、初めて気がつきました。あの人の存在は、私にとって大きすぎたってことに気がつきました……いまさら、黛さんを私のものにするなら、もう、若葉ちゃんと切り離すしかないんです……」

 蜜柑は、不貞腐れているようで、俯いたまま力ない声で話した。

 言い分はわからないことはない。しかし、蜜柑が言っていることは、やっていることは、若葉と黛が近づいたきっかけや、二人が仲良くなるようにした蜜柑の功績があったとしても、それを免罪符にできないほどに、あまりにもずるいことだ。

 昔の若葉だったら……あの時ミサンガを捨てられるのを見て……立ち直れなかっただろう。

「若葉が黛と一緒にいるために、蜜柑をないがしろにしたことが一度でもあったか?」

「……それは……」

「ないだろ。俺は知ってるんだ。あいつが……蜜柑が黛のことが好きじゃないかってことを考えて、悩んでたこと」

「え?」

「驚いただろ。相談してきたからな。俺も若葉がそこまで考えているとは思わなかった」

「……」

「そんな若葉の努力を踏みにじって、黛を手に入れたとして、その幸せは本当に幸せなのか?」

「……私のほうが付き合い長いんですよ」

「でも、若葉と黛をくっつけようと、最初にしたのはお前らしいな」

「……そうですけど……でも気が付いた時にはクラスみんなの雰囲気に飲まれて……言い出せなくなってて……でも離れられるわけがなかったんです」

「なるほどな。付き合いの長さが全てで、今回の行動に至った経緯は、クラスの同調圧力に屈したからか……周りのせいにするんだな。そういうふうに周りのせいにして、自分はずる賢く立ち回って、若葉の大切なものを捨てるんだな。心を折ろうとしたんだな」

「ちが……」

「違わないだろ。お前の意思がそう行動させたんだ。黛に言っておくよ。蜜柑はこういう奴だってな」

 ……ああ。

 言い過ぎた。

 絶対に言い過ぎた。

 そう思った。

 俺は器用だが、人の心を読むことに関しては不器用だ。相手の気持ちなんてわからない。 

 自分なら言われても平気だから、という理由で人にも言い過ぎてしまうことがある。

 

 自分ならいくら傷ついたっていいからな。進は。だから、わからないのだろう。


 弥生と喧嘩した時もそうだった。

 俺は、蜜柑がぐしゃぐしゃになって泣いていることに気が付いた。

 でも、こいつはそんなやわじゃない気がするんだ。

 蜜柑は、母を無くしても、演技でみんなを元気づけて、明るくいつも振る舞ってたじゃないか。

 だから、心を鬼にして言うんだ。

「……やめてください! それだけは! 黛さんが私には必要なんです! お母さんがいなくなった時だって……黛さんがいたから生きていけたんです!」

「蜜柑に黛が必要でも、黛に蜜柑は必要なのか?」

「……」

「……今の黛には、若葉のほうが必要かもな」

「やめて! 嫌だ!」

 蜜柑は手で耳を力強く、乱暴にふさぐ。

 俺は、咲に突き放された時を思い出していた。

 必要とされなくなったことが、どれだけ辛いかなんて、俺にはわかる。

 それが辛かったから、今はこうやって蜜柑に嫌われてもいいから、こうやって蜜柑と向き合っているんだ。

「……それが嫌なら、黛に必要にされる努力をするか……ほかに必要としてくれる人を探すか、するんだな」

「勝手なこと言わないでください。黛さんがいないなんて考えられない」

「そうか。せめて、若葉には謝っておくんだな。それだけは約束してくれ」

 若葉は大丈夫と言っていた。しかし、内心傷ついているはずだ。

 俺は蜜柑に背を向けた。



 母が死んだ。

 あっさりと。死ぬ瞬間すら見られなかった。

 その連絡を聞いたとき、血の気が引いた……というよりは全ての血液が、脳を行使することに使われ、この現実を受け入れないようにすることで精いっぱいだった。

 母の葬式には、黛さんと黛さんのおじいさん、私のお父さんと姉さんと行った。

 黛さんは、一切泣いていなかった。おじいさんに頭を撫でられても、何も言わず、笑わず、ただ目の前にある現実と対話していた。色々な関係者の大人の人たちとも話をしていた。当時は小学五年生。同い年とは思えなかった。

 私は、わんわん泣いた。

 子供っぽく、年相応に泣いた。

 もう泣けなくなるくらいに泣いた。

 お母さんが焼かれるとき、必死にお母さんにしがみついた。

 でも、お父さんとお姉ちゃんが私を抑えた。

 私はそれでも、お母さんにしがみついた。

 すると、黛さんが私の肩をつかんだ。

「蜜柑。二人の顔を見ろ」

 黛さんはそういった。

 お父さんとお姉ちゃんを見ると、私と同じようにわんわん泣いた跡があった。

 ……そっか。しがみつきたいのはお父さんもお姉ちゃんも一緒なんだ。そう思った。

 そうして私は、お母さんにしがみつくのをやめた。

 泣くのもやめた。

 次の日から、部屋から出るのをやめた。感情も消えた。話すのもやめた。

 高いところを見ると飛び降りたくなるから。とがったものを見ると心臓に突き立てたくなるから。コンロから出ている火を見ると、食卓にある油を浴びて、出ている火に座りたくなるから。とにかくお母さんに会いたかったから。死にたかった。死ねば会えると思った。

 でも死ぬのはいけないことだから、部屋から出なかった。それが、せめてもの、抵抗だった。

 家にいるのは黛さんだけ。

 お父さんとお姉ちゃんは、お母さんが回していた会社の立て直しで大変だった。

 ご飯も食べなかった。

 お腹が減ると、のどが渇くと、体の力が抜けて、眠くなって、天国に近くなっているみたいで安心した。お母さんが近くにいるみたいだったから。

 でも、黛さんは、身体がもとから、あまり強くないせいか、咳をしながらではあるけど、ご飯を持ってきてくれた。

 しかも、食べさせようとしてくれるんだ。

 最初に、黛さんが持ってきた料理はお茶漬け。

 その後は、誰でも作れるようなご飯を持ってきた。

 私は食べようとしなかった。時には黛さんのご飯を、平手で突っぱねたときもあった。

 でも黛さんは怒らなかった。

 でも一回だけ怒った。

 怖すぎて、何があったかは覚えていない。

 気がついたら、大きな体の黛さんは私を抱きしめながら、

「次はもっとおいしそうなものを作る。だから次は食べてくれ」

 と言った。

 それだけ言って、黛さんは微笑みながら、部屋を後にする。

 ……少し申し訳なくなって、ご飯をちょっと食べるようになった。

 黛さんが作るご飯も、どんどん豪華なものになっていった。

 部屋からもほんの少しだけ出るようになった。一階まで降りて、飲み物を取ったりするだけだけど。

 ある日、一階に降りると、黛さんが仏壇の前で手を合わせていた。

 黛さんの前の仏壇には、二人の遺影があった。

 黛さんのお父さんとお母さんが写っていた。

 ハッとした。

 私はお父さんが生きている。死んだのはお母さんだけ。

 でも、黛さんはお父さんもお母さんも死んでいる。

 別に死んでいる数が多い方が、精神的に辛くなると言っているわけではない。

 しかし、黛さんは私よりも縋るものが少ないはずなのに、私を元気づけようとして、毎日ご飯を持ってきてくれた。

 その事実に、私は申し訳なくなったのだ。

 黛さんだって、何かに縋りたいはずなのに、私は黛さんに縋ってばっかり。

 そう思った私は、次の日から自分のやれる範囲で、黛さんの手伝いをするようになった。

 そして、いつの間にか、元の私に戻っていた。いや、黛さんに依存してしまうことを除いて、元の私に戻っていた。

 お母さんの代わりが、黛さんだったんです。



 次の日。クラスでの班行動だったんだが……一切身が入らなかった。

 やっぱり強く言い過ぎた気がする。

 黛の様子だって確認できていない。若葉もどうしているかわからないし……修学旅行を楽しむには、俺に考え事が多すぎるのだ。

 今は、伏見稲荷大社の山頂へ向かっているわけだが、元気よく話している班員たちの後ろで、一人とぼとぼ歩いている。

 どこまでもあるような千本鳥居が、俺たちを山の頂上まで導いてくれるが……一切目には入らない。

 俺たち以外にも観光客は多い。歩くのは大変だ。

「ねえ~私もう疲れた~あとどれくらい~」

 赤城さんはかなり疲れているようで、未来にぐずりながら尋ねる。

「わかんない。というか疲れているの赤城だけだよ」

「え! ほんと? みんなはまだまだいけるの?」

 赤城さんは、周りを見てまた尋ねる。

「まあ」

「全然だけど」

「平気だ」

「私も」

 赤城さん以外は平気なようだ。

「進くんは⁈」

「俺? 俺はまあ平気だけど」

「だよね~ガタイいいしね~」

 赤城さんは、返事をしなかった俺にも、改めて聞いてきた。

 俺はそれどころじゃない。

「ふえ~……赤城頑張って歩きま~す」

「そうだ頑張れ赤城!」

「行け赤城!」

「歩みを止めるな赤城!」

 未来、柏木さん、森田さんは、赤城さんを励まし、歩みを進めていく。

 そんな調子で歩みを進めていると、弥生が俺の横に寄ってきた。

「昨日、いろいろあったみたいね。聞いたわよ」

「ああ、知ってたのかよ」

「何やら蜜柑が館内を疾走してるのが、話題になってたのよ。それでなんとな~くあなたに今『いろいろあったみたいね』って聞いてみただけ。実は聞いたわよっていうの、嘘」

「……つまり?」

「私は、蜜柑が疾走してたってことしか知らないってこと。それで、事情を知ってそうな進に、こうやって引っかけてみたってわけ。やっぱり何かあったのね」

「お前なあ……」

「前見て」

「え? うお!」

 前を見ると、鳥居が急に小さくなり、頭に当たりそうになり、俺は少し驚き、頭を下げた。

 しかし、ぎりぎり当たることはなく、俺は鳥居に頭が当たらないことを確認しながら、ゆっくりと頭を上げた。

「ほら、バカやってないで話しなさい」

「バカやってない。というか話せないぞ」

「なんで」

「今は修学旅行中だぞ。お前が、俺の話を聞いてどうすんだよ」

「困ってるなら手伝う。あなたには恩がいっぱいあるしね」

「それはダメだ」

「なんで」

「だってお前だって、修学旅行を楽しむ権利ってもんがあるだろ。この問題は最低限の人間で解決すればいいんだ。お前までもが世話を焼く必要はない」

「……」

 弥生は少し俺をむっとした表情で、俺を見た後、歩きながら鳥居の上を眺め始めた。

 少しすると弥生は口を開いた。

「わかったわ。でも、助けが欲しかったら言いなさいよ」

「ああ。ありがとう」

「少し写真でも撮ろうかしら~はいチーズ~」

「え? うお!」

 俺はとっさに弥生にカメラを向けられ、なんとも言えない表情をしてしまった……ような気がした。

「ぷぷ」

「おい、人の顔を見て笑うな」

「だって驚きすぎて半目なのよ。ウケる」

「だー! 消せ! 今すぐ!」

 俺は弥生のスマホを奪い取ろうと、手を伸ばすが、弥生に交わされてしまった。

「嫌よ、というか足を止めないでよ狭いんだし。ほら、後ろの人たちの邪魔よ進くん」

「くそ!」

 俺は、いやいや歩くことを再開する。

 弥生は、スマホをいじりながら歩いていた。

「おい。歩きながらスマホいじるな」

「ごめんなさいね。やめるわ」

「まったく」

「ねえ見てこれ」

 弥生は、スマホのロック画面を見せてきた。

 そこには、俺が胸の横辺りでふにゃふにゃなピースをして、半目になっている俺の写真があった。

「おい! け……」

「はい、止まらないふらふら歩かないまっすぐ歩く」

「……くそ……」

 つくづく弥生は、ドSであることを実感させられる。

 まあ、薫が構ってくれないから、俺をおもちゃにしているっていうものあるかもしれない。

 伏見稲荷大社を登り切り、その後、俺たちは足が痛いやらなんやらを言い始めた赤城さんを、なんとかなだめながら下山した。

 下山している間、弥生は、薫と深瀬と俺としか会話をしている様子はなかった。

 未来と弥生が言い合いになりそうだって、柏木さんが言っていたから、ちょっと居づらいのかもしれない。

 

 

 下山した後、麓に定食屋があったので、そこに入り、昼食を取ることになった。

 木とご飯のいいにおいがする、すこし大きなお店だった。あんまりこういった雰囲気のある店に入る経験はなかったので、少し緊張した。

 店に入り、案内されたテーブルに座る際、薫はいつもの癖なのか、弥生が座るであろう椅子を引いて、「どうぞ、お嬢様」と言いながら、弥生を座らせていた。それを見た未来は、結構むっとしている表情をしていたので、未来の機嫌を取るために、俺は未来の椅子を引いてやった。まあ、「なに? やめてよね、薫くんいる前でそういうことするの」と小声で言われて、至極嫌そうな顔をされてしまったけどな。

 みんなはメニューを決めた後、他愛のない会話をしていた。

「弥生さん、次どこ行くんだっけ?」

 柏木さんは、弥生に次の行き先を尋ねた。

「えっと、金閣寺ね。あ、そうそう。金閣寺は集合写真禁止だから、気を付けて」

「ええ! そうなの!」

 と赤城さん。

「そうなのよ。道が狭いし、そんな中で集合写真撮るために止まったら、迷惑になっちゃうでしょ? ほら、さっきの伏見稲荷の道も狭いところはあったし、そこでは三脚が使えないって伏見稲荷のホームページにも書いてあるの。金閣寺も至る所に集合写真禁止の看板があるらしいわ」

「それは残念だなあ」

「ね! 残念。でも仕方ないよね」

 弥生の説明を聞いて、残念がった深瀬に、森田さんはすかさず同調する。

「観光地を回るって意外と大変だよな。マナーを守らない人はともかく、知らないでマナーを守れなかった~なんてざらにあって、人に迷惑かけちゃいそうになるしな」

 俺は、出された水を口に運ぶ前に言う。

「下調べは大事ってことだね」

 未来は頬杖を突きながら、俺に続いて言った。まだ機嫌悪いのかなこいつ……。

「……ん? あ、ちょっといい? みんなに確認したいことあるのだけど」

 弥生はスマホを見ていたようで、スマホを持ちながらみんなに話しかけた。

「なんだよ弥生」

「えっと、進もみんなも、体調は大丈夫かしら?」

「平気~」

「元気!」

「私も!」

「俺もだ。進は?」

「俺も平気。柏木さんも平気か?」

「うん! お気遣いありがと~進くん」

 森田さんと赤城さんと未来、深瀬も俺も柏木さんも、体調には問題なさそうだった。

「……薫は? 平気かしら? 遠慮せずに気分が悪かったら言って頂戴。私も付き添って旅館まで連れていくから……」

「いえ。平気です」

 弥生は薫の顔を覗き込むようにして尋ねた。薫は、特に問題はなさそうだった。

「というか、お嬢様はなんでそんなことを尋ねたんですか?」

「なんか、体調不良者が二人出ているみたいなの。だから、念のため班員の体調を確認してほしいって連絡が来たの」

 体調不良者か……。

 ……もしかすると蜜柑か? 昨日の出来事のせいで……。

 若葉と黛は……おそらく平気だろう。若葉が「黛は任せて!」って言っていたし……。

 でも二人か。仮に一人目が蜜柑だとして、もう一人は誰なんだろう……ってまあ無関係の人だろうな。環境の変化というのは、思ったよりストレスになるし。

「あ! あれ! 俺たちの飯じゃね?」

「ホントだ!」

 深瀬と森田さんは、運ばれてくる昼食にいち早く気が付いたようだ。

 その後、ボリューム満点の定食を美味しくいただいた。

 まあ、美味しいと感じたのは俺以外だろうけど。

 考え事は、飯をまずくする。



 昼食を食べた後、俺たちは金閣寺に電車とバスを使い向かった。

 金閣寺の門に入ってすぐ、未来がボソッと独り言みたいに呟いた。

「思ったより遠かったね」

「そうだね……私疲れたかも」

 未来はさっきバスから降りたとき、大きく伸びをしていた。

 確かにバスに乗っている時間は一時間かからないくらいで、思ったより長かった。

 私疲れたかも~とまた言っている赤城さんは、何かを見つけたようで大きく飛び跳ねて、弥生に駆け寄った。

「ねね! 弥生さん! あそこ! アイスクリーム屋さんある! 休憩しようよ!」

 赤城さんが指差す先には、確かにアイスクリーム屋があった。

「もう。こんなに寒いのに……」

「買わなくてもいいからさ! ほら奥に自販機もあるよ! いいでしょ! 赤城、休憩を提案します!」

「……」

 弥生は、休憩を望んでいる割には、元気よく手を挙げて主張する赤城さんを見た後、赤城さん以外の班員を見た。

 恐らく、「赤城さんの意見でいいかしら?」ってとこだろう。

「まあいいんじゃないか? 確かに思ったより遠かったしな」

 俺は、赤城さんの意見に賛成する。

「だな。俺も喉乾いた」

 深瀬も同意してくれる。

「……ほかのみんなは?」

 弥生は、俺たち以外の班員にも尋ねる。

 ほかのみんなも同意をしてくれたようだった。

「なら、休憩にしましょ、旅館に戻る時間を考えても、まだ余裕あるし、平気だと思うわ」

「やった! アイス!」

 赤城さんは弥生の腕を引っ張り、アイスクリーム屋のところまで引っ張っていく。

「まったく、元気じゃない」

「えへへ!」

 俺たちはそんな二人の後に続いて、アイスクリーム屋に向かった。

 とはいっても今は十二月。寒いのは嫌だったので、俺は自販機でおしるこを買った。

 実は、高梨高校の自販機に売っているんだけどな。おしるこ。

 自動販売機の隣で飲もうと思って、そこに向かうと、なんと黛がいた。

「……」

「……よお」

 俺の方から声をかける。

「こんにちは」

 黛は挨拶をした後、手に持っている缶を口までもっていく。

 黛もおしるこを買っていた。

 黛は一気に飲み切ったみたいで、自販機の隣のゴミ箱に空き缶を捨てると、その場を去ろうとした。

「おい。逃がさないぞ。話したいことがあんだよ」

「……そうだったな」

 俺が強めの口調で引き留めると、黛は去ろうとして向いていた方向ではなく、こちら側に振り向いた。

「なんであの時蜜柑を叱らなかったんだ?」

「……言っただろう。ぼくは叱れないし、叱る気はない」

「お前! 若葉の気持ちも考えたのかよ!」

「……若葉は気にしてないと言ってくれたぞ」

 黛は俺とは目を合わさずに言う。その後、少し咳をしていた。

「……若葉が気にしないからって、許してくれたからっていいってわけじゃねえぞ」

 俺は、あまりにもふがいない黛に嫌気がさし、肩を持ち、俺と目が合うようにさせた。

「ぼくは蜜柑も若葉も選べない。あそこでどっちかの味方をするってことは、どっちかの味方をしないってことだ。あそこで若葉の肩をもって、蜜柑を叱ったら、蜜柑に嫌われる」

「だから、あそこは嫌われてもいいから、叱るべきだったんだよ!」

「それがぼくには出来ないし……もう誰とも離れたくないんだ」

「……」

「できる限り、誰とも離れないためには、誰からも嫌われないようにするしかないんだよ。だから動けなかった。ぼくは蜜柑とも若葉とも、仲違いしたくないんだ。優しくし続けるしかないんだよ。ほら、ぼくはこんなにも不甲斐ないし自分勝手だぞ。お前みたいに強くないんだ。誰かから、嫌われるっていう自己犠牲が払えないんだ」

「……」

 黛は、少し自棄になりながら、ふらふらと言う。

 黛の気持ちもわかる。

 仲違いするのは辛い。確かにあの時、弥生とあのままずっと仲違いしたままだったと考えると、ゾッとする。

 でも……でも……。

「行き過ぎたやさしさは人をダメにする時があるんだよ……それだけはわかってほしいんだ」

 俺はそう言いながら、黛の肩を掴んでいた腕を外した。

 黛は少しだけむっとしていた。さっきの未来みたいに、不満げだった。

「……わかったよ。とにかく、今は頭を冷やしたいんだ。落ち着いた後に何をすべきか考えたいんだ」

 黛は、話し始めてから初めて、俺の目を見た。

「今回の事が起こって、気が付いたことだが、蜜柑は早く、ぼくに甘えるのは卒業した方がいいのかもしれないなと思ったんだ。確かに、ぼくは蜜柑のお母さんの代わりになれるように振る舞ってきたけど、もうぼくじゃ支えきれない」

 黛はコートの襟を整えてから、話を続けた。

「それにこのままじゃ蜜柑もぼくも変われない。お互いを縛り付けてるみたいで、よくないと思うんだ。だから、少しだけ、距離を置きたい」

「そうか……」

 確かに、蜜柑は黛に依存しているのは、昨日の話を聞いていてわかった。

 蜜柑は、黛に依存している限り変われない。

 黛は、蜜柑に依存されている限りは変われない。

 お互いを縛り付けているんだ。

 それに……俺は蜜柑がそんなに弱いように思えない。

 黛といるから、弱くなってしまっているように思う。

 黛が強すぎて、頼りになるから、寄りかかってしまっている。

 そんなように見える。

「わかった。あれから蜜柑と話したのか?」

「いや、話してない。同じ班の川端が言ってたんだが、蜜柑は部屋から出てくる気はないそうだ。一応、体調不良という扱いになっているっぽい」

「ああ、じゃあ体調不良者の一人は蜜柑だったのか」

「そうだ……ぼくには、もうああなった蜜柑はどうにもならない。お前に任せてもいいか?」

「当たり前だ。友達の頼みは断るわけにはいかない。俺の生きがいはひたすら人助けをすることだからな」

「ありがとう。お前の大事な時間を奪ってしまってすまない。こんなぼくのために」

「いいんだ。そんな卑下すんな。でも、お前にもやることがあるだろ」

「ああ、若葉ならぼくに任せてくれ。任せて……と言っても、若葉はほとんどいつも通りに見えるけどな」

「そうか。やっぱり若葉も変わったんだな」

「そうだな。もう今じゃ、とっても頼りになる女の子だ」

 黛は、微笑みながら言った。

「おーい! 黛~」

 遠くから、黛を呼ぶ元気な声がした。

 声が聞こえた方向を見ると、そこには若葉がいた。

「そろそろ移動するよ~!」

「ああ! 今行くよ! じゃあな。お互いに頑張ろう、無理しない範囲でな」

「もちろん。じゃあな」

 サラッと手を振ると、黛は小走りでその場を後にした。遠くにいる若葉は、俺に気が付いていたようで、若葉も手を振ってくれた。

「……ねえ」

「はい?」

 若葉と黛が行った後、急に声をかけられたので振り向くと、そこには、三つ編みおさげを前の肩まで垂らした女の子がいた。うちの制服を着ているから、うちの生徒であることは明らかだ。

「なんですか?」

「……橘進だね」

「はい。そうだけど」

「……中村さんのことだけど、もう平気だから、ほっといて」

「え?」

 急に話しかけられて、いきなりわけのわからないこと言われてしまって、思考が停止してしまった。

「君が助けなくても、ほかにも中村さんには助けてくれる人がいっぱいいるから。そんなに君の修学旅行を犠牲にしてまで、頑張らなくていい。自分を犠牲にしてまで、人助けなんて、そんなの普通の人には耐えられないから」

 それだけ言うと、彼女は若葉と黛を追って行ってしまった。



 金閣寺にはたくさんの人がいた。そんな人ごみの中でも輝いている金閣寺はとてもきれいだった。

 集合写真禁止だと言われていたが、撮っている観光客が結構いた。まあ、仕方ないことだろう。

 そして今は夕食の時間である。薫と深瀬と俺は、三人が宿泊する部屋で、豪勢な夕食を食べながら雑談をしている。

 中心には牛肉のしゃぶしゃぶが置いてあり、それぞれの手前に、おかずがいくつか置かれている。

「なあなあ、深瀬くんは森田さんのことはどう思ってるんだ?」

「ん? まあ、いい奴だよな」

「む。そうか」

「どうしたんだ薫くんや」

「い、いいや、なんでもないぞ?」

 薫は焦った顔をしながら、顔の前で両手をぶんぶん振る。

 薫は、深瀬と森田さんの関係に気が付いているようだ。薫がこういうことに気が付いて、本人に直接尋ねるのは珍しい気がする。

「これうまいな」

「どれどれ?」

「これだよ。この角煮みたいな奴」

 俺は薫の手前にある、豚の角煮を指さした。

 味がよくしみていて、口の中で溶ける感じがして美味しかった。

「どれどれ……うん! うまいな」

 薫は角煮を口に入れると、手をほっぺにあてながら口角をあげた。頬はとろけていて、完全にリラックスモードだ。

「あ! にんじん」

「どうした深瀬。にんじん食えないのか?」

「ああ、実は食えないんだ」

 深瀬は、渋い顔をしながら答えた。

「え! じゃあ僕貰っていいか?」

「ああ、いいよ」

「やった~」

 薫は新しく箸を出して、深瀬の煮物の中にあるにんじんを取る。

「そろそろしゃぶしゃぶするか」

 深瀬は、肉を見た。

「そうだな。俺、とりあえず三等分するわ」

 俺は、大きなお皿に盛られた肉を、三等分に分けていく。

「こんな感じかな」

「よし。じゃあ好きなのを選ぼうか。俺はこれがいいな」

「あ、僕もそれがいいぞ!」

 深瀬と薫は、同じ皿を指さした。

「ちなみに、なんで薫と深瀬はそれがいいんだ?」

「「一番多く見えるからだ!」」

「だろうな」

 薫と深瀬は、同時にこっちを見ながら言った。

「じゃんけんでもするか」

「よっしゃ! 絶対負けないぜ薫くん」

「僕だって負けないぞ!」

「ちなみに、俺もじゃんけんしたいから参加するわ」

「え!」

「なんだお前進!」

 薫と深瀬は、不満そうに俺に言ってきた。

「いいだろ! じゃんけんしたいんだよ! 小学生の時、給食でよく余ったもんじゃんけんで取り合いしただろ!」

「うわやったわそれ……」

「そんなことあったんだな」

 薫は、キョトンとした顔で俺たちを見た。

「ああ、揚げパンの時はもう、手が出そうになる子もいたな」

「ジャージャー麵の時もやばかったよな……」

 俺と深瀬は、しみじみとあの時のことを思い出す。

 じゃんけんが強い奴がたくさん食える。

 今思うと、あの頃から弱肉強食の学びを享受していたんだな……。

「じゃあいくぞ。一発勝負な」

「おう」

「うん」

「じゃんけん! ぽん!」



「くそ~負けたなぁ~」

「深瀬くんまだ引きずっているんだ……」

「お腹いっぱいになったとはいえ、負けは悔しいもんだぞ」

 俺たちは風呂に入る準備をして、畳に寝っ転がりながら、テキトーに風呂の時間を待っている。

「なあなあ二人とも、明日はどうするんだ?」

 深瀬は、俺たちに尋ねてきた。

「僕は未来と銀閣寺に行くぞ」

「そっか、彼女だもんな」

「うん」

 薫は頷いた。

「進は?」

 深瀬は、俺をチラッと見て尋ねてくる。

「俺は特に決まってないな」

「そうか~。まあ、聞いたはいいものの、俺はバスケ部のやつらと行くことになってるんだよな。進も来るか?」

「うーん……誰も捕まらなかったら行くわ」

「おっけ。付いてきたくなったら連絡くれな」

「おう」

 俺は時計を見る。

 そろそろ八時。風呂の時間だ。

「もうちょいで八時だ。風呂行こうか」

「うん」

「よっしゃ! ジャグジーは俺がもらうぜ」

 こうして俺たちは、風呂に向かった。



 風呂から出て、着替えた後、スマホを見ると若葉から連絡があったようだった。

 人生相談、と四文字だけ書いてあった。

 もちろん、場所も時間もわからなかったので「すまん、場所と時間はどうする?」と返信したところ、「某アニメの妹みたいにかっこよく人生相談したかったのに……一階玄関で、今から向かうから」と返信があった。よくアニメに影響される奴だ……。

 玄関に向かうと、就寝前に、話しに来ている生徒たちがそこそこいた。

 少し待っていると、髪を結んでいる若葉が、俺を探しているようだったので、お~いと若葉に声をかけた。

「こんばんは進」

「おう。夜飯、美味しかったよな?」

「うん! めっちゃ食べた!」

「美味しかったどうかを聞いてるんだけどな……それで、話ってなんだ?」

「話じゃない、人生相談」

 若葉は腰に両手を当てて、むっとする。

 どうやら人生相談、というワードを気に入っているらしい。

「はいはい」

 俺は軽く受け流す。

「む~。まあいいや。とりあえず進に今、私がしようとしてる行動を、聞いてほしいの。それで意見が欲しいんだ」

「なるほどな。いいぞ。とりあえず、そこに座るか」

 俺は玄関から一番近い椅子を指さした。俺も若葉もそこに座る。

「えっと、とりあえず、明日、蜜柑ちゃんと話がしたいって連絡してて、さっきわかりましたって返事があったんだ」

「そうか。蜜柑も話す覚悟を決めたんだな」

「うん。そうみたい。それで、私は、蜜柑ちゃんのことは好きだし、幸せになってほしいって思ってるけど、黛だけは譲れない、私が黛を幸せにするから、黛にふさわしい女の子になるから、いくら邪魔しても正面から立ち向かうからって伝えるつもり」

 若葉を小さい体を大きく使って、一生懸命話す。

「そうか。いいんじゃないか?」

「そうかな……綺麗事かなって思ってるんだけど……」

「別に、伝えるだけなら綺麗事でもいいだろ。だいたい、幸せは転がってくるものかもしれないけど、自分でつかみ取るものだってあるだろ。蜜柑だって、若葉みたいに正々堂々とやるべきなんだ」

 確かに、偶然降ってくる幸運もある。棚から牡丹餅、なんて言葉もあるくらいだ。

 しかし、自ら勝ち取った幸運は、どんな言葉でも言い現わすことのできないくらいの素晴らしさというものがあるだろう。

「そう、だよね。ありがとう」

 若葉は、握りこぶしを胸の前でぐっと握った。自分の意見を肯定してもらえたようで、安心したんだろう。

「私ね、実はミサンガを捨てられた時、蜜柑ちゃんがそんなことするなんて! とかあんまり思わなくってさ。どっちかっていうと、蜜柑ちゃんの本心を知れてうれしいっていうのと、蜜柑ちゃんをそこまで焦らせることが出来てうれしいって思っちゃったんだよね」

 若葉は、玄関の外を見ながら話す。

 外は黒く、暗い。

「私って、成長したんだなって、思っちゃった」

「そうだな。若葉は成長したよ」

「そっか、進もそう思うんだ」

 若葉は、こっちを見て微笑んだ。

「じゃあ、最後に一つだけ聞いていい?」

「もちろん」

「何かを手に入れるために、何かを犠牲にするって、辛い?」

「……なんでそれを俺に聞くんだよ?」

「だって咲さんを、貴重な高校一年を、棒に振ってまで追いかけたんでしょ? 進以上に、この質問の答えを期待できる人なんていないよ」

「ああ……そゆこと……」

 そう言われると、確かに俺以上に、この若葉の質問にしっかり答えられる人間は、あまりいないだろう。

「まあ、そこそこつらいな。でも、俺は、咲の両親を巻き込んでしまったっていう罪悪感があった。その罪悪感を隠すために、俺は高校一年を無駄にする、そこまでを犠牲にする必要があったと思ってた。その罪悪感が、俺を動かしてたんだ。だから思ったよりは辛くなかったな」

「……その進を動かす罪悪感がないとしたら?」

「そりゃあとんでもなくつらいだろうな。行動の原動力がないわけだし。まあ俺に、罪悪感がないことなんて、ないと思うけどな。だって、人の親を殺したような気分だしな。あの時は」

「……」

「でもそれが正しいって思うなら、周りの人が止めてくるまではやるべきだと思う。もし若葉が辛そうだったり、間違えてるなって思ったら、俺が止めるよ」

 俺は思うんだ。俺のこの過去を告白することで、罪悪感を告白することで、救われる人がいるんじゃないかって。他者の参考に供することが出来るんじゃないかって。それは他者を理解することに繋がるんじゃないかって。

「ありがとう進。じゃあ、おやすみかな?」

「ああ、そうだな」

 俺は席を立つ。若葉も続いて席を立つ。

「明日は、黛と回る予定なんだ。精一杯、黛と楽しむ、いや黛を退屈させないつもり」

「そうか、頑張れよ……あ、そうだ。蜜柑はどうだ? 様子は」

「人から聞いた話だし、話せてないんだけど……ちょっと元気になってるみたいだよ」

「そうか。良かった。引き留めてごめんな」

「ううん。いいよ。じゃあおやすみ」

「おやすみ」

 俺は、若葉に別れを告げる。

 若葉は、軽く手を俺に振ってから、速足で部屋に戻っていった。

 若葉、頑張れ。

 蜜柑は……だんだん元の調子を取り戻しているようだけど、あれから話せていない。

 明日、若葉と蜜柑が話す前に、蜜柑と話をしておきたい。

 蜜柑にも、しっかりと前を向いて、若葉と向き合ってもらわないと。



 次の日。

 朝起きると弥生から連絡があった。どうやら、清水寺に行きたいらしいが、一緒に行く人がいないから、一緒に行かないかという内容だった。

 薫も未来と一緒でいないし、弥生は暇だろうから、俺はついていくことにした。

 部屋で準備した後、玄関前のロビーで弥生を待っていると、一人できょろきょろしている柏木さんがいた。

 少しきょろきょろした後、柏木さんが俺を見つけると、こっちに寄ってきた。

「やあ、進くん。もしかしてお一人かい?」

 手を振りながら、柏木さんは話しかけてきた。

「いや、実は弥生……小鳥居じゃないとわからないか」

「いいや。名前も知ってるよ。弥生ちゃん有名だもんかわいいし」

「そうそう、その弥生と清水寺に行くんだ」

「そういうことよ」

「うわ!」

 俺の背後にいつの間にか来ていた弥生が、ひょっこり顔を出す。

「良ければ、柏木さんも一緒にどう?」

「え? う~ん……」

 柏木さんは俺と弥生を見てから、あごに手をかけて何かを考える。

「お邪魔じゃないかな?」

「いいえ。人数は多い方がいいわ」

「そうだな」

「なら一緒に行かせてもらうね。ありがとう! よろしくね! 進くん、弥生ちゃん!」

 柏木さんは、弥生に飛びついて喜ぶ。

 というわけで、俺たちと柏木さんは一緒に行くことになった。

 


 バスに乗り込んでいる道中、柏木さんに赤城さんたちと一緒に行かなかった理由が聞きたくて、俺は柏木さんに尋ねてみた。

「なあ、柏木さんはなんで赤城さんたちと一緒に行かなかったんだ?」

「それはね、私は清水寺に行きたかったけど、あの子たちは京都タワーに行きたかったみたいでね。合わせてもよかったんだけど、せっかく京都まで来たし、自分の行きたいとこに行こうかなって」

「それで、偶然声をかけた俺たちと、行きたいとこが同じだったのか」

「同じだったっていうか、進くん優しいし……えっと……」

 柏木さんは言い淀んだ。

「まったく。友達少なそうでかわいそうだから、連れて行こうとしたんでしょ」

「おい! そんなことを柏木さんが思ってるわけないだろ!」

 弥生は呆れたように言うのを聞いて、俺はすぐさま抗議する。

「うん! そうだよ! 弥生さんの言う通り!」

「柏木さんまで!」

「えへへ。まあ連れて行こうとしたのはホント。あとは、普通に仲良くなりたかったからかな。それに、かわいい弥生ちゃんとも仲良くなれたしよかったよ~」

 人差し指を口の前に持ってきて、答える柏木さん。

 なんだろう。こんなに素直な癖のない女の子、俺の周りだと珍しいかもしれない。

「そう。柏木さんは見る目があるわね。こいつと友達だと、どこに行くにも断らないから、一人で行きにくいところに行きたいときに便利よ」

「おう。いつでも誘ってくれ」

「ほんと? どうしてもひとりだったら誘うよ~」

 


 清水寺までの道のりは、意外と坂が続いていたが、連日の歩行により、足が慣れているのか、楽だった。

 弁慶の杖と下駄を持ち上げたり、持ち上げられなかったり、清水坂でお土産を買ったりして楽しんだ。

「そういえばさ」

「なに?」

 帰りのバスで、弥生と柏木さんが話をしている。

「弥生ちゃんは、なんで進くんを誘ったの?」

「実は、誰も捕まらなかったのよ。それで進を誘ったの」

「へえ~珍しいね。弥生ちゃんみたいな人が、誰も捕まえられないなんて」

「意外と不器用なのよ。休日いつも一緒にいる~みたいな友達いないのよ」

「そうなんだ……」

「ああ、こいつは別ね」

「うっ」

 弥生は、俺の耳を引っ張る。

「へえ~。仲いいんだね」

「まあな」

「まあね」

「ふうん……」

 柏木さんは、俺の顔を見る。

 割と距離が近い。髪の毛がふわふわしているのに、きりっとした感じのかわいい顔をしている。

「な、なに?」

「まあ、候補かな~進くんは」

「……」

 多分、恋愛的な意味だよなこれ。

「進はちょっと、いやかなり、ストーカー気味だからやめておいた方がいいわよ。柏木さん」

「え~こわ」

「ちょっとお嬢さん?」

 俺は、弥生の顔を見る。

 言い方に語弊がありすぎるが、高校一年の時の俺を顧みると、否定しきれないので、ちょっと強めに言い返しにくい。

「まずは進くんにその気がないと困るな~」

「だそうよ」

「まあ考えておくわ」

「やったね」

 柏木さんは親指を上に向け、グットサインをした。



 清水寺に向かった後、行き当たりばったり、ふらふらとその周辺をうろうろしていると、一日が過ぎていた。

 そろそろ宿泊先に戻れそうな距離だ。

 今はバス内にいる俺たち。

「あ、雨じゃない?」

「ほんとね」

 バスの窓から外を見ると、窓に水滴が付き始めていた。

「あちゃ~。傘とかねえよ」

「私あるわよ」

 弥生は、リュックから折りたたみ傘を取り出す。

「やるじゃん」

「まあ、折りたたみだし、大きさ的に柏木さんと入るから、あなたは走りなさい」

「ああ……まあいいけど……」

「何とか三人は入れないかな……」

 柏木さんは、心配そうな顔で俺を見る。

「進がもっと華奢な美少年だったらね~」

「身長も肩幅もでかくて悪かったな」

「今回は悪い方向に傾いちゃったね~」

 などと言っていると、最寄りである停留所に着いた。

 降りるとさすがに傘いらない、とは言えないぐらいの量の雨が降っていた。

「……」

「……」

 柏木さんと弥生は、こっちを見ている。

「男、進。走ります」

「頑張って~♡」

「きゃ~せんぱ~い♡」

「うおおおおお!」

 俺は二人の声に押されて、雨の中を走る。

 リュックを傘にして、なんとか宿泊先のロビーまで走り切った。

 呼吸を整えるために休憩して、タオルで体の水分を拭いてから、少しすると、仲良く小さな傘に入った柏木さんと弥生が追いついてきた。

「お疲れ進」

「ああ、まあ、思ったより濡れなかったな」

「よかった~風邪の心配はないね」

「そうだなあ」

 少しすると未来たちが、柏木さんを見つけたようで、遠くから柏木さんを呼ぶ声が聞こえた。

 柏木さんは、未来たちとどこかに行ってしまった。別れる直前で、柏木さんは「楽しかったよ~」と手を振ってくれた。楽しんでくれたのならよかった。

 弥生はというと、何やら委員長やらが集まる用事があるようだったので、弥生とも別れて、俺は一人ぼっちになった。

 


 部屋に戻り、着替えた後、薫も深瀬も戻ってこないな~とか考えていると、何やら廊下で生徒や先生が慌ただしく動いているのが見えた。

 廊下に出てみると、深瀬がいたので、声をかける。

「なあ深瀬、何かあったのか?」

「ああ、中村さん……がいなくなったんだよ、帰ってこないんだ。電話もつながらなくてな」

「ええ! 中村って、蜜柑か?」

「そう蜜柑。今、いろんな人に連絡して、中村さんの目撃情報やら、なにやらしているとこだ」

「マジかよ……」

 まったく知らない生徒であれば、落ち着いて判断していたかもしれない。

 しかし、きつく言い過ぎてしまった負い目がある蜜柑が、帰ってこないとなると、放っておくわけにはいかない。

 もしかすると、自分のせいかもしれないからだ。

 俺の身体が勝手に走り出していた。

「おい! お前まさか」

「探しに行く」

 俺は振り向かずに言う。

「だめだ! 一生徒が探しに行ってどうする! 慣れてない土地で何が出来る!」

「もしかすると見つかるかもしれないだろ! 俺は行く!」

「あ、おい! 進」

 俺は、深瀬に掴まれた腕を、振りほどいて走り出す。

「くそ! こっちでも見つかったら連絡する! 遠くには行くなよ!」

 俺の後ろで、深瀬の声が聞こえた。



 俺は、外に蜜柑を探しに行こうと、玄関に向かった。

「待て。進」

 ……振り向くと黛がいた。隣に若葉もいる。

「どうしてお前たちがここにいるんだ?」

 若葉は、口を開かない。

 黛は、落ち着いた口調で話す。

「蜜柑が帰ってきていなくてな。同じ班員のぼくたちの話を聞きたいって、先生に言われたんだ」

「そうか。それでどうしてここに」

 黛は俺を見つめたまま、少し間を置く。

 若葉は変わらず話さない。

「……まあいいじゃないかそれは……それで、急いでどこに行こうとするんだ?」

 ……だろうな。黛なら止めると思った。

 恐らく、ここにいるのも、俺が蜜柑を探しに行くとわかっていたからだろう。

 黛は非現実的行動をしない。それに黛自身は、犠牲になって誰かを助けるなんて、バカなことだと考えるやつだ。

 とにかく、自分のために行動をする。誰からも嫌われないために。誰も自分から離れないために。

 とにかく、自分が辛い思いをしないように行動をする。

 だけど、黛は、そんな自分を自分勝手だと思っている。だからこそ、誰かの手を借りようとしないのだと、俺は思う。

 俺は現実的じゃないから、なんて理由で行動をやめるなんて無理だ。罪悪感でダメになる。

 俺自身が犠牲になって、誰かを助けることこそが、罪悪感を隠す唯一の行動だった。

 嫌われたっていい。俺から離れてもいい。

 とにかく、人のために行動することが、俺にとって一番の幸福なんだ。

「蜜柑を探しに行く」

 俺は、全く黛から視線を動かさずに言った。

「そんなにお前にとって、蜜柑は大切なのか?」

「大切かなんて理由じゃない。とにかく帰ってこないなら俺は探しに行く。困ってるなら迷ってるなら、俺は誰でも手を差し伸べるつもりだ」

 俺は変わらず、視線を黛に向ける。

「じゃあ、黛にとって、蜜柑は大切じゃないのか?」

「大切さ。でもこんな雨の中、土地勘のない京都で、人一人見つけるなんて無理だ。それにぼく一人で動いたところで限界がある。探しに行って、逆に自分の身に何かあったらどうするんだ。それこそほかの人の迷惑になる。ぼくらは高校生だ。責任なんて取れないだろう」

「それでも俺は探しに行く。見つかるかもしれないだろ」

「そうか。ぼくは動かない。ゴホッゴホッ……」

 黛は咳をした。

「……」

 黛の考えは少しだけならわかる。しかし、俺は誰かのために働いている瞬間だけに幸せを感じるんだ。

 俺は行く。雨の中に身を投げる。



「行っちゃったね」

「そうだな。まあ、あいつにはあいつの考えがある。好きにやらせればいいさ。まったく、心配するこっちの身にもなってもらいたい」

「そうだね」

 黛は、雨が降っている外を見ている。

 やっぱり、少し二人のことが心配なのかな……。

「蜜柑ちゃんと進なら大丈夫だよ。きっと」

「そうだな」

 黛は、私のほうをちらっと見た。

 そして少しした後、そっぽを向いて私に尋ねてきた。

「こんなダメなぼくでも、若葉はぼくのこと好きなのか?」

「好き」

「……っ」 

 私は、間髪入れず、素直に黛に言う。

 黛は私からばっと、顔をそむけてしまう。

「というか、別に黛をダメな人だなんて、私思わない」

 向こうを向く黛の視界に入るように、私は回り込みながら話を続ける。

「別に、今の黛の言い分も進の言い分もわかるもん。だから言い合いになったんでしょ?」

「そう……かもしれない」

「ね? 進は善意を持って行動しようとしてた。それはいいこと。でもまだ高校生で責任なんて取れないのに、一人で探しに行くなんてダメ。黛は行動しようとしないのがダメ。でも、その行動しない理由に筋が通っているのがいいこと。責任なんて取れないことを理解してるし、一人でできることの限界を見定めてる。つまり言うと~……」

 えっと、う~んと……。

「そう! 進は子供すぎるし、黛は大人すぎる。どっちに寄りすぎてもよくないね」

「確かに……な。でも進の行動のほうが、ぱっと見は、進のほうが褒められる行動だよな」

「そうかもね。でも私はちゃーんと見てるよ」

 私は、黛に顔を少し近づけて、自分の目を指差して、黛を元気づける。

「でもね。帰ってきたら蜜柑ちゃんを少しだけ慰めてほしいな。それが蜜柑ちゃんに必要なこと……」

 その時、旅館から走って出ていく、背が高くて細身で、スタイルのいい男の子が見えた。眼鏡もかけていた。

 私は、彼を目で追う。

「……あれは……」

「ああ」

 黛は彼の背中を見て、微笑んだ。

「ぼくなんてなくても、あいつはこんなにもたくさんの人に思われてるじゃないか……ずるいぞまったく」

「どういうこと?」

「ああ、今行った男いただろ?」

「うん」

「多分あいつが蜜柑の王子様だ。ぼくが蜜柑にできることなんて、今はもうないんだ」

「……王子様……」

 私は考えを巡らす。

 私は一つだけ、思い当たる節があった。

「なるほどね。言われてみれば」

「ああ、あいつに後は任せよう。さ、進と彼、どっちが先にお姫様を見つけるかな」

「どっちだろうね~」

「さ、部屋に戻ろう」

「うん」

 私は玄関から部屋に戻る時に、雨が降っている外を見た。そして黛を見ると少しだけ悩んでいるような顔をしていた。そして咳をしていた。

 なぜだか少しだけ胸が苦しくなった。


『宇治川の橋姫』


「はあ……」

 私は班行動を休み、先生たちが用意してくれた、体調不良者のための部屋で休んでいた。

 川端さん、久米さんは何となく理解してくれて、あまり深く、私の状態を聞いてこなかった。

 誰とも会いたくないけど、修学旅行だと誰かと会うしかない。

 本当に自分に嫌気がさす。

 やらないといけないことが多すぎて、逆に何もやる気が起こらない。

 テスト前の謎の余裕がある感じと似ている。

「すみませ~ん」

 そう言いながら、ドアをうるさくノックする男の子の声がした。

 よく聞く声だ。安心する。

「林田っていいま~す。中村蜜柑さんはいませんか~」

 私は、返事をしないでドアを見つめる。今は、誰にも会いたくない。

「……」

「はあ……い~なせだね~夏を連れて来た女……」

 すると彼は「め組のひと」を歌いだした。冬なのに。

 私はそれでも無視し続ける。

 フルを一回歌いきったと思ったら、二回目に突入。

 二回目になると、吹っ切れたのか、声量がそこそこ大きくなってきて、鬱陶しくなってきた。

 生徒は、みんなもう外に行っているだろうけど、ほかの旅館の人もいるのに、恥ずかしくないのだろうか。

 そして、ついにとうとう、私はドアをノックして、彼に声をかけた。

「なんなの」

 私は扉の向こうにいる、彼に声をかける。

「お、やっと反応してくれた」

「だからなんなの」

「いやさ、そろそろ出てきてくんねーかなって」

「うるさい」

「川端から聞いたぞ。全部な」

 彼は、やれやれと言った顔で言う。

「……聞いたんだ」

「ああ。大体お前が悪いって思った」

 彼は真剣な顔で言う。

「……そっか」

「やることあんじゃねーの」

「……」

「こんな引きこもってないでさ」

 わかってる。やることがあるのは。

 でも動けない。もうどうしようもできない気がするから。

「うじうじ引きこもってさ、このまま修学旅行終わったらさ、若葉ちゃんも罪悪感で黛くんにアタックできないぞ」

 ハッとした。

 そうだ。

 私はずるいことをしたんだ。

 どうしようもできないかもしれないけど、元の関係に戻れる関係になる努力ぐらいはするべきなんじゃないのか。

「そんなんなったら、お前も罪悪感でおかしくなるだろ。一年の時だって……こうやって、罪悪感で部活やめようとしただろ」

 そうだ。

 あの時も、こうやってこの人は助けてくれたんだ。怒ってくれたんだ。

 私のために。

「今だって、罪悪感で引きこもってるんだから、取り返しつかなくなる前に何とかした方がいいんじゃないの?」

 この人なのかもしれない。

 黛さん以外に、頼りにしてもいい人は。

「入って」

「え? いや、確かにお前を連れて行こうとしてるけどさ、仮にも女の子が寝てた部屋だぞ……」

 私はベッドから立ち上がり、移動してドアの前に立つ。

「いいから入って」

「……はいよ」

 彼はゆっくりドアを開ける。

 私は、顔も見ずに彼に抱き着いた。

 抱き着くとドアが閉まった。

 部屋は暗く、表情はしっかりと確認しないとよく見えない。

「うお!」

 最初はびっくりしていたけれど、私の様子を少しだけ確認すると、彼は優しくそっと抱きしめ返してくれた。

「……いいのかよ、黛くんとか三島とかいるだろ」

「いいの。わがまま言えるし、なんとなく敬語使わないで話してるのなんて、柚くらいしかいないもん」

 そう、柚ぐらいしかいない。

 柚はそっと私を抱きしめるのをやめて、肩を持って、少しだけ距離を取り、見つめてくる。

「そか。でも別に、お父さんとかお姉ちゃんとかにわがまま言ってもいいだろ……というか名前で呼ぶな。女の子っぽい名前で嫌なんだ」

「いいじゃん。いい名前だよ。というか、私の事好きだよね? ここまでしてくれるんだから」

「……ま、まあな」

 柚は少しそっぽを向いて、恥ずかしそうに答える。

「好きに決まってるだろ。好きじゃないとここまでできないだろ。あんなに幼馴染で一緒に住んでて、かわいい顔してて、頭いいみたいな強い設定持ってるライバルいんのにさ、黛くんに負けないように何もしないとか男じゃねえさ」

「そっか」

「それに」

 柚は、私を見ながら言った。

「蜜柑が楽しめてない修学旅行なんて、俺は嫌だね。俺も楽しくない。だから、俺も休んでやる」

 私は、そう言ってくれた柚を見つめる。

 やっぱり、この人だ。

 私が甘えてもいい人は。

「ねえ」

「ん?」

「もっかい」

「へ?」

「もっかい!」

 私は柚を向かい入れようと、手を広げる。

「……はいはい」

 柚は、また抱きしめてくれる。

 今度は少しだけ強く。

「ダメなことしたら叱ってくれる?」

「もちろん」

「いいことしたら褒めてくれる?」

「それはもう、大げさに褒めますとも」

「たまにはわがまま言ってもいい?」

「うーん。たまにはいっか!」

「私の事、これからも信じてくれる?」

「もちろん」

 柚は、抱きしめながら答えてくれる。

「ありがとう。柚」

「こちらこそ。尊敬してるぜ。お姫様」

 私は、黛さんしか見えていなかったみたいです。

 黛さんだけの世界だけじゃなくて、新しい世界に飛び込んでみようと思います。



「……柚」

「お向かいに上がりました。お姫様」

 三日目の自由行動では、頭を冷やすために一人で京都を回っていた。

 だけど雨に降られてしまって……帰れなくなってしまった。

 連絡しようとしたけれど、スマホの電源も切れていて、どうしようもなくなってしまっていた。

「はあ、正直、黛さんが迎えに来ることを期待してたんですけど……」

「おい。傷つくだろ。一生懸命探したのに。はやく傘の中入れよ」

「えへへ。うん」

 柚はさしていた傘に、私を入れてくれる。

「で? なんで帰ってこなかったんだよ」

「一人で回っていたのはいいものの……雨が降るわ、びしょ濡れになるし……。それにあんなことがあった後に、びしょ濡れで帰ってきたら……いろんな人に迷惑かけるかなって思って動けなくて……それで……携帯の電源も切れちゃって……心細くて……もう……もう……」

 私は耐えきれずに、泣きそうになった。

 そこまで言うと、柚は唇に指を当ててくれた。

「もう話さなくていいよ。帰ろ。泣き終わったら」

「うん……」



「だあ~……クソ濡れた~」

 俺は探しに行ったはいいものの、深瀬から蜜柑が見つかったとの連絡があり、戻ってきた。

 俺は、ただ濡れた人になってしまった。

「お疲れ様」

 玄関口に走りこむと弥生が待っていて、タオルを渡してくれる。

「ありがと」

「いいえ。まったく、無茶するんだから……」

「へへ。すまん」

 俺は、風邪をひかないように、頭から拭いていく。

「蜜柑ちゃんは大丈夫らしいわよ。ほとんど濡れてもいないみたい」

「まじかよ……よかったけどさ」

「それに、なんだか元気になってるらしいわよ」

「まじかよ……濡れ損じゃねえか……」

 蜜柑が元気になったのはよかったけど……何があったんだろうな。

 タオルで拭いていると、弥生は、俺のことを心配そうな目で見てきているのがわかった。

「どうかしたか?」

 俺は弥生に尋ねる。

「別に貶しているわけじゃないのよ。それを前提に聞いてほしいの」

「ああ、いいけど」

「その……虚しくならないの? そんなに無理して、人を助けようとして助けられなかったりするのは」

「……」

 俺は別に……これしか自分の罪悪感の誤魔化し方を知らないから、人を助けているだけだ。

 人を助けているときが、一番幸せなんだ。

「虚しくないさ。人を助けているのが一番幸せだからな」

「そう……」

 弥生は、少しだけ心配そうに微笑む。

「あなたがそれでいいならいいけど……無理はしないでね」

「無理はしないよ。タオルありがと」

「いいえ。じゃあ私は部屋に戻るわ」

「俺もいったん戻るわ。またな」

「またね」

 


 部屋に戻ろうとエレベーターを待っていると、俺がいる階に到着したエレベーターから、蜜柑が出てきた。

「あ」

「あ」

 蜜柑は少しだけ驚いていた。

 顔色はかなり良くなっており、いつもの蜜柑に戻っているように感じた。

 ふてくされている様子もない。

「……」

 沈黙。周りに人はいない。

 やがて、エレベーターが閉まりそうになり、蜜柑はまた、エレベーターに閉じ込められそうになると、蜜柑はおっと、と声を出しながら、急いで開くボタンを押しなおし、エレベーターから降りた。

 勢いよく降りると、蜜柑はそのまま俺に頭を下げた。

「昨日と今日は、すみませんでした!」

「……え?」

 俺は驚いて、ちょっとだけ身を引く。

「いろいろ進さんに、やつあたりするようなことを言ってしまってすみませんでした!」

「いや、俺も……結構言い過ぎたと思ってる。すまん」

「いえ、あれぐらい言われた方がよかったと思います。今はもう、私は大丈夫なんで」

「そうか」

 俺の努力は無駄だったけど、蜜柑が元気になってよかった。

 俺も言い過ぎだったっていうことが胸に閊えていたし、こうやって仲直り出来てよかったと思う。

「今日は何してたんだ?」

「えっと、一人で回ってました。頭を冷やすために。それで携帯の電源切れちゃったせいで迷子になっちゃって……お騒がせしました」

「そっか。ならよかった」

「あ、というか進さん、部屋に戻る途中でしたよね」

「そうだわ」

 俺はもう一度、エレベーターのボタンを押す。

「あ、そう。エレベーターに進さんが乗る前に、一つだけいいですか?」

 蜜柑はこっちを向いて、指を一本立てて尋ねてくる。

「いいけど。なんだ?」

「とりあえず今日か明日、若葉ちゃんに謝って話をする予定です。ちなみに黛さんとはもうお話ししました」

「そうか。偉いな」

「そんなことないです。もう逃げないって約束したので。あ、来ましたよ」

 蜜柑がそう言うとエレベーターから、ぽんと音が鳴ってエレベーターが開く。

「じゃあ、また明日ですかね」

「ああ、また明日」

 俺はエレベーターに乗り込んで、また扉の方を見ると、蜜柑が笑顔で手を振っていた。

 俺も振り返す。扉がしまる。

 俺はエレベーターが昇っていく途中にふと思った。

 そういえば、蜜柑は誰と約束したんだろうな?



 私は、部屋の前の廊下のソファで、なんとなく座っている。

 なんとなくっていうのは嘘。

 部屋にいるとなんだか苦しかったから、廊下にいる。

 窓を見ると、雨が止んでいるようだ。

 外に行こうかな。

 そう思い、外に行くと、よいちゃんが居た。

「あら?」

「こんばんは、よいちゃん」

「こんばんは、若葉ちゃん」

 外のベンチに座っているよいちゃんの隣に座る。

「よいちゃんはどうして外にいたの?」

「実はね。あんまり班の女の子たちに馴染めなくてね。こうやって外にいるの」

「そっか」

 よいちゃんは、微笑みながら話してくれる。

「若葉ちゃんは?」

「私は……なんでだろ。なんか部屋にいると苦しくて……」

「……黛に関係してる?」

「……少し関係してるかもなあ……」

「いいわよ。私待ってるから、良かったら、話聞いてあげるわよ?」

「えへへ。じゃあちょっと待ってて考えるから……」

「ん」

「え?」

 よいちゃんは、自分の膝を両手でぽんぽんと叩く。

 多分、ここに座れってことだよね。

「ん」

 よいちゃんは目をキラキラさせながら、膝をポンポンしている。

「しょうがないなあ……」

「ふふ。対価は払ってもらうわよ。私は進とは違うわ」

「はいはい。お邪魔します」

 私は、よいちゃんの膝の上に座る。

 乗ると同時に、よいちゃんに後ろから抱きしめられる。

 なんか良いにおいがするし、柔らかいし、落ち着くなあ。

 ……そうだ。

 少しだけよぎったんだ。

 私が、黛を好きになっちゃったから、蜜柑ちゃんや黛は、こんなに傷ついちゃったんじゃないかって。部屋にずっと来られない蜜柑ちゃんや、ミサンガを捨てられた時や、私と黛が、林間学校で踊っているときに、悲しそうな表情で遠くから、見ていた蜜柑ちゃんを思い出すと、なんだか心がキュって、締め付けられていた感覚になったんだ。

 それのせいだ。

 今こんなに苦しいのは。

 修学旅行で、それがわかりやすく、見えてしまったせいで、こんなに苦しいんだ。

 でも、よいちゃんなら、吐き出せる。

「……よいちゃん聞いて」

「うん。いいわよ」

 よいちゃんは、後ろから少し顔を覗いてくる。

「私が黛を好きになっちゃったから、蜜柑ちゃんとか黛も傷ついちゃって、寂しい思いをしてるって思っちゃって……苦しいの。でも今更諦めきれないし……でも苦しいし……人を好きになるのって辛いことなのかな」

「ん~そうね~」

 よいちゃんを見ると、首を斜めにして考えていた。私のために一生懸命考えてくれている。

「辛いことかもね~」

「うん」

「でも、一生の一度の出会いかもしれないし、頑張るしかないわよ。それに……」

 よいちゃんは、一呼吸置いてから、胸に手を当てていった。

「ここで若葉ちゃんが、蜜柑に黛を譲ったとしても、蜜柑なら、罪悪感でダメになると思うわ」

「そっか……」

 確かに、ここで蜜柑ちゃんに譲ったとしても、蜜柑ちゃんを申し訳ない気持ちにさせてしまうだけかもしれない。

「だから、頑張るしかないのよ」

「そうだね! 私頑張るよ」

「……ふふ。頑張ってね。それで、私も少しいいかしら。愚痴言っても」

「いいよ」

 よいちゃんは、少しだけ強く、私を抱きしめなおした。

「もしかすると、私も、若葉ちゃんみたいに苦しくなるのが嫌だから、薫を好きじゃないふりしてるんじゃないかな~って思うのよ」

「そうなの?」

「ええ。保護者のフリをしてるんじゃないかって……」

 よいちゃんは少しその後を言い淀む。そして、まだ少し濡れている地面を見ながら言った。

「私は未来ちゃんに、薫を押し付けてるんじゃないか、本当は手元に置いておきたくて仕方がないけど、薫の良いところだけ受け止めたいんじゃないかってね」

「押し付けてるんじゃないか……薫はなんか複雑そうだからね。よいちゃんも薫の事で、私たちに隠してることあるでしょ」

「ええ。あるわ。いつか話すから……若葉ちゃんにはその話を聞いても、薫のことを嫌いにならないように、薫のことをもっと好きになってほしいわ」

「うん。薫とは気が合うから、嫌いになることなんてないよ」

「そう。頼もしいわ」

「さてと」

 私は、よいちゃんの膝から立ち上がる。

「あ、ちょっと」

「もう時間切れ。私は部屋に戻る!」

「もう。私も一緒に戻るわ。さ、手でも繋ぎましょ」

「え~」

「ほら、戻るまでの間よ。寒いし、いいでしょ?」

「しょうがないなあ」

 私はよいちゃんと手をつなぐ。

「ありがと」

「いいえ」

 私とよいちゃんは、仲良く別々の部屋に戻った。



「さて、行きますかね」

 私は若葉ちゃんとお話をしに行くために、一番上の階の大広間で待ち合わせをしている。

 待ち合わせの時間まで、あと約十分。

 私は、泊まっている部屋から出る。

「どこ行くの」

 部屋から出ると、通路の端においてある椅子に座って、川端さんがココアを飲んでいた。

「ちょっとお話に行くんです」

「そう。気張らないようにね」

 川端さんは、そう言った。

 川端さんは、修学旅行中に起こったことを、恐らく知っている。

 柚からも、そう聞いたからだ。

「川端さんは、私の味方ですか?」

「……」

 川端さんは、私を見る。

 今のこの会話で、私のことを川端さんが見るのは初めてだ。

「当たり前。私はあなたのことをすごい人だと思ってる」

「……そう、ですか」

 私は、相変わらずあまり表情の変わらない川端さんを見て、すこしやれやれとした気持ちを抱く。

 この子は演劇部の小道具をやるために、美術部から演劇部に転部して来た子だ。

 演技をする気なんて全くないみたいで、練習も見ているだけだ。

 しかし、彼女の作る小道具や衣装は、どれも素晴らしい。

 川端さんはコミュニケーションもあんまり取らないけど、私に対してかなり気を使ってくれるのだ。ほしい小物とか、色々聞かれたりするし、演劇で使わない洋服も作ってくれたりする。

 雑用もしてくれる時だってある。本当に私にいろいろ気を使ってくれるのだ。

「私にとって……黛さんは必要不可欠な人だと思いますか」

 私は川端さんに尋ねた。

「思わない」

 川端さんは即答した。

「私は、中村さんのほうがすごい子だと思う。確かに私は、凪くんのことはあんまり見てない。でも私から見て、あなたはすごい人。だから、凪くんなんて……」

 川端さんは、立ち上がり、飲み干したココアを、ゴミ箱に放り投げながら、話を続けた。

「ポイしちゃえばいいんだよ」

 私はその瞬間、すこしだけ残っていた足の重りが取れたような気がした。

「なんなら、凪くんに背中を見てもらえるようにすればいいと思う。背中を追わせればいいと思う。私はそれくらい、中村さんならできると思う」

 川端さんは少し微笑んだ。

「それに、私はあなたの演技を見て、あなたのためになりたいって思って、演劇部に入ったの。だから失望させないで。負けちゃだめ」

 川端さんは、そう言いながら部屋に戻る。

「川端さんは……ありが……」

 私が言い切る前に、川端さんは部屋に戻った。

 はあ。照れ隠しかな。

 ありがとう。川端さん。

 背中を押してくれて。

 私は、黛さん以外にも、たくさんの味方がいるみたいです。

 そう思いながら、私は一番上の階に向かう。

 足取りは軽く、緊張している様子もない。

 かなり練習をした後、初めて通し練習に向かう時の足取りにそっくりだ。

 今の私は、自信満々らしい。

 大広間に着くと、若葉ちゃんは窓から外を見ながら待っていた。

「こんばんは」

「こんばんは、若葉ちゃん」

 若葉ちゃんはいつも通りの様子。

 でも、初めて出会ったときとはもう、何もかもが違う。

 自信満々で、優しそうで、とってもかわいい女の子。

「その様子だと、もう大丈夫なんだね。良かった」

「うん」

 若葉ちゃんは、無邪気な笑顔を浮かべる。

 私はあんなにひどいことをしたのに、本当にすごい女の子だ。

「じゃあ、謝るとかなし。またいつも通りに戻るってことでいいかな」

「……いいんですか?」

「うん。別にあんなんじゃ、私の黛への気持ちは止まらないからね」

 ……やっぱり、もうだめなんだなあ。

 いつの間に、追い抜かされちゃいましたね。

「蜜柑ちゃんがいくら邪魔したって、私は止まらないよ。それで、蜜柑ちゃんより、完璧に黛にふさわしい女の子になったら、気持ちを伝えるから」

「そっか……」

 ……正直、ここで黛さんは諦める、って伝えてもいいだろう。

 ただ、そこまで吹っ切れているか、と言われると、怪しい。

 若葉ちゃんは、私をすごいって思ってるから、私より黛さんにふさわしくなったら気持ちを伝えるって言っているんだと思う。

 それに……私の事なんかを、すごいって思ってくれている人たちもいる。

 その人たちのためにも……最後まで……若葉ちゃんと、向き合おう。戦おう。

「私だって負けません。最後まで、若葉ちゃんと戦いますよ」

「えへへ、負けないからね」

 私は、若葉ちゃんに負けじと笑う。

 でも、無理して笑っているわけじゃない。

 こんなにすごくなった子に、負けないからね、と言われたのが嬉しいのだ。

「さ、じゃあいつも通りに戻ったし、一緒に部屋に戻ろっか」

 若葉ちゃんと私は、歩き出す。

「そうですね。というか雰囲気悪くしちゃいましたし、私は川端さんと久米さんに謝らないと」

「私も一緒に謝るよ」

「い~や、これだけは私だけで謝らせてください」

「……そっか」

「明日もあるし、最終日楽しみましょう」

「そうだね!」

 若葉ちゃんと私は、横並びで部屋に戻った。



 最終日、お土産を買いに京都の駅周辺で、一旦バスを降りた高梨高校の生徒たちは、思い思いにお土産屋さんに向かっていく。

 俺も母さんと父さんに、お土産を買わないといけない。

 買わないと多分〆られる。主に母さんに。

 ある程度お土産を買った後、バスへ戻る時間が迫っていたので、バスへ戻ろうとしていると、アクセサリーが売っているような店が目に入り、そこには黛の姿があった。

 俺は時間が迫っているということもあり、もしかすると黛は時間のことに気が付いていないと思い、声をかけることにした。

「おい、黛」

「ん? なんだ進か」

「もう時間だぞ。そろそろ戻らないと」

「ああ、もう決まったから。後は支払いだけだ」

 そういう黛の手にはとてもきれいな、同じ形で、違う色のペアのブレスレットが握られていた。

「それ……」

「ああ、若葉にな」

 黛はそう言った。

「これがぼくにできることだ。救えないものは救えない。見つからないものは見つからない。ぼくはそう思っているから、できることをする。今、ぼくが若葉にできることはこれだ」

 黛は力なく、ブレスレットを見つめる。

「そうか、偉いな」

「そんなことはない。今回はぼくが弱かった。若葉やお前は強いなって思ったさ。その無邪気な子供みたいな行動力は羨ましい……とは思う」

 黛は、苦笑いをしながら言った。

「なあ」

 黛は、レジの方向を向きながら問いかけてきた。

「なんだ?」

「自分の手の届く範囲の人間を、すべて幸せにすることってできると思うか?」

 そんなこと、できるに決まっている。

 自分を犠牲にすればな。

「できると思うぞ」

「本当にそう思うのか?」

「ああ」

「じゃあ、そのためにお前は何でもできるか?」

「ああ」

「自分の身を犠牲にしても?」

「もちろん。実際、一回死にかけてるしな。今更平気だ」

「もし自分が犠牲になっても、助けられない場合は?」

「あきらめない。それは自分の覚悟や行動が足りないと思う。あきらめたらそこが限界だ」

「……ぼくの両親は、ぼくの手の届かないところで死んだ。両親は、何キロも離れたバスの中にいた。でもぼくがもし、両親と一緒にいたとしたら、ぼくは両親を救えたと思うか?」

「……」

 何を言っているのかわからない。

 そんなの、今考えても……黛には悪いが、仕方のないことじゃないか。

 俺が子供すぎるから、わからないのか?

「両親がいなくなってから、ぼくは大人にならざるを得なかったんだ。両親を助けてあげられなくて、挫折したんだ。大人になったんだ。限界を知ったんだ。両親を助けてあげてなんて、虫の知らせも来なかった。神様なんていないんだって思った」

 黛はレジに体を向け続けながら、ブレスレットを少しだけ強く握りしめた。

「ぼくがもっと素直な子供で、両親との旅行が大好きな子供になっていればよかったって思った。でも、家から出るのがあんまり好きじゃないぼくを、両親は尊重してくれたんだ。でもそれが仇になって、ぼくだけ生き残った。罪悪感でいっぱいだったよ。ぼくのせいかもしれないって思った。もしかすると、ぼくが付いて行ったら、変わったかもって思った。でも、どうせバスの事故なんて、ぼく一人じゃどうしようもないって気が付いたんだ。それからだ。自分一人に、何かを変えられる力なんてないってことに」

 黛は、身体を少しだけこっちに向けた。

「この話を聞いても、限界がないって思うか?」

 黛は俺の顔を見ると、すこしだけ間を置いて、申し訳なさそうに、また話を続けた。

「……いや……もしかすると、ぼくがいたら変わったのかもな。少し意地悪な質問だったな。やっぱり限界なんてないのかも。話に付き合わせて悪かったな。さ、先にいっててくれ」

 黛は早口でそう言うと、俺を店の外に行くようにジェスチャーし、レジに向かった。

 俺はバスへ戻りながら、黛が言っていたことについて考える。

 諦めなければ限界なんてない。

 そのはずなのに、黛は何を言っているのだろう。

 ……結局、黛の言っていることの魂胆にたどり着くことはなかった。

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