第18話 利己的な無抵抗
十月の終わり、そろそろ修学旅行が近づいてくる頃であり、学校中、特に二年生は盛り上がっている。
修学旅行先は京都。去年までは北海道だったらしい。俺はどちらもうれしいが、京都のほうがいい! という生徒は多い。
色恋沙汰の話ももちろんある。クラスでも「武田が告るらしいぜ」やら「班決めが命だぞ!」など、かなり気合が入っている人たちが多い。
まあ俺は今、好きな奴なんていないから、ちゃんと思い出を作れたり……若葉の恋路の手伝いでもできればいいかな、と思っている。
そんなことを考えながら、いつも通りに登校し、昇降口にたどり着く。
下駄箱を開けて、靴を履くと、黛が昇降口に入ってきているのが見えた。
「黛おはよう」
「ああ、おはよう」
俺は、黛の下駄箱の前まで行く。
黛は下駄箱を開けて、上履きを取り出そうとする。
「おっと。またか」
「ん? どうした?」
黛はそう言うと、下駄箱の中にあるものを取り出した。
黛が取り出したのは手紙だった。
かわいい封筒で、ハートのシールで封がしてある。
「おい! お前それ! ラブレターじゃん! やる~」
「まあな」
そう言うと黛は封を解いて、中を確認する。
手紙とともに、いくつかの写真が出てくる。
「って……おい……これって……」
その写真は、黛が写っている写真がほとんどだった。
若葉と楽しく話しているものや、蜜柑と話しているもの、久米や菊池と話しているところなどが、それらの写真には写っていた。
「写真だ」
「これって、盗撮じゃないのか? 明らかに遠いところから撮られてるやつだろ」
それらの写真は遠くから撮られていたり、外から学校内を写すように取られているものがほとんどだった。
「おはよう~黛! 進も。どしたの?」
昇降口から歩きながら来たのは、若葉だった。
「おはよう。黛の下駄箱に手紙が入っててな」
「え? それって……ラブレター?」
若葉の顔が陰る。
恋のライバルがいるかもしれないと、焦っているかもしれない。
若葉は、黛が持っている手紙と写真を覗く。
「これって……ラブレターっぽい内容だけど……盗撮じゃない?」
若葉も黛が持っている手紙の内容を覗く。
「いつも見てます。大好きな黛先輩……。早くそんな女と話すのはやめて、私に気が付いて……ってこれマジでストーカーじゃねえか!」
明らかに、いわゆるメンヘラストーカーってやつの文章だ。
「黛、いつからこれ入れられてたの? 今回が初?」
若葉は、本当に心配そうな顔をしながら、黛に尋ねた。
「いや、体育祭終わってからだな」
「って……大体半年経ってるじゃん! 半年もこんな手紙入れられてたの? なんで言ってくれなかったの?」
「そうだよ、何で言ってくれなかったんだ?」
こんなストーカー行為をされていたら、普通は怖くて誰かに相談するものだろう。
「まあ、ぼくは困ってないからな。まずぼくは男だ。相手が女の子なら、別に放っておいてもいいだろ」
「でもでも! いきなり刺されたりするかもだよ?」
「そうかもな。でもぼくが困ってないし、周りに迷惑かけるわけにもいかないからな」
黛は、そのまま手紙をバッグにしまおうとする。
平然とした顔で。
「なら、勝手に解決して助けてもいいよね。黛を助けることぐらいじゃ、私は迷惑じゃないから。いいよね?」
若葉は、黛に上目遣いで詰め寄る。
若葉は、黛を助けたがっている。黛の気を引きたいってこともあるだろうけど、本当に黛のことを心配して、助けたいと思っているんだろう。
若葉は最近、内気な若葉から、積極的に変わってきている。
本当に変わったよな、若葉は。
「俺も手伝うぞ。若葉」
「ほんと? ありがとう進!」
「ってことだ。いいよな?」
「……」
黛は、俺が尋ねると、少し俺と若葉の顔を見てから答えた。
「それならいいし、ならぼくも協力する。ただ、気を付けてほしいことがあるから、また昼休みに話したい。今は時間がないからな。昼休みに一階のパソコン室の前でいいか?」
「うん」
「ああ、昼休みな」
黛に言われると、俺と若葉は頷いた。
「じゃあ、そういうことで。若葉、一緒に教室まで行こう」
「うん! じゃあね進」
「おう」
そう言うと若葉と黛は、先に教室へと向かった。
俺も授業の準備をしないとな。
「それで? 話ってなんだよ」
「一応、今から話すこれはぼくの意思だ。これを守れないなら、ぼくを助けなくていい」
「え? でも……いや、まあ聞くよ。遮ってごめん」
昼休み。俺たちは一階のパソコン室の前で話している。
「いいんだ。気を付けてほしいことは二つだ」
黛は指でピースして、二つであることを表現する。
「一つ目は教職員を巻き込まないことだ。これは加害者側も生徒だってことを考えての判断だ。加害者側にも、この先の人生があるからな。学生の内なんて、いけないことなんてしまくるもんだから、教職員を巻き込んでその生徒が停学とかになったら、推薦とか受けられなくなったり、将来不利になってしまうからな」
「まあ、それは一理あるなあ」
「そうだね」
確かに面接で受験をしたり、うちの学校だとあまりないかもしれないが、就職をしたりする場合、不利になるだろうからな。
将来の可能性を潰さないためにも、教職員を巻き込むことはしないほうがいいだろう。
もちろん、一度そういうことをした生徒は、推薦を受けられないようにすべきだという意見もあるし、俺はどちらかと言うとそっちの意見だ。
しかし、これは被害者の黛の意見だ。
今回は、黛に従おう。
加害者にも、まだ更生の余地だって、あるかもしれないからな。
「二つ目だ。できる限り、ぼくたち以外の生徒は巻き込まないことだ。これは加害者がもし見つかって、その加害者がストーカーしてた生徒っていうのが広まると、いじめられたり、軽蔑されたりするかもしれないからな」
「ああ、うん。そうだね。二次災害を防ごうってことだね」
若葉は、大きく黛に頷く。
「でもな、そいつがまたストーカーを繰り返したら……」
俺は、少し心配になって、黛に聞く。
「反省させることと、ストーカーだと吊り上げて、みんなに知らせるのは、また別の話だ。一番いいのは本人が反省して、二度と同じことを繰り返さないことだからな。確かに、吊り上げることは反省させるいい手段かもしれないけど、もしそれが原因でいじめられたりしたら、それこそストーカーしてきている犯人の将来を奪うことになる。こっちの罪悪感にも繋がりかねない」
「……そうだ……その通りだ。すまん」
「いいんだ。進が心配するのもわかる。ぼくのこの意見も完ぺきなものではないからな」
黛の言うとおりだ。
反省させて、二度と同じことをさせないようにするのが一番いいだろうからな。
無理だったら、ほかの手段を取ればいい。
「それだけ気を付けてくれればいい。とにかく、加害者のことも考えるようにしてほしい」
「うん、わかったよ。それでどうしよっか。私、こういうの初めてで」
「とりあえず、手紙から得られる情報とかから集めればいいのか?」
俺は、悩む若葉に意見を出す。
「そういうことになるな」
黛は手紙を取り出す。
「ねね、黛」
「なんだ?」
「こういう手紙、半年くらいずっと入れ続けられていたんでしょ?」
「ああ」
「昔もらった手紙とかないの?」
「蜜柑に見つかってしまうかもだし、そうしたら心配されるから、ほとんど捨ててしまっているんだよな。まあ、探してみるけどさ」
「残念」
若葉はしょんぼりとしている。
「でも手紙の内容からわかることはあるぞ。とりあえずは、一年女子ってことはわかるな」
「なんでだ?」
「手紙の中でぼくのことを先輩って呼んでるだろ? 一年以外ありえない」
「なるほどな」
黛は、こういうことによく気が付く。
さすがと言ったところだ。
「あ! しかもさ、黛って部活も委員会もやってないでしょ? なら関わりある一年生ってかなり絞られるんじゃ……」
若葉は、体を大きく動かして、黛に伝える。
「……あ……確かに。よく気が付いたな、若葉」
「へへ……ありがと」
若葉は、少し顔を赤くしながらニコニコ笑う。
「そうだとしたら、割と黛の認識内に限られそうだな」
「ああ。演劇部と……パソコン部……ぐらいか? パソコン部はないか。男しかいないからな」
「とりあえず、演劇部の一年女子はあり得るってことだな」
「そうなる」
俺と黛で話した後、若葉をふと見ると、メモを取っていた。
真面目でいいな。
「ねね、黛、手紙見せて」
「ああ、いいぞ」
若葉は手紙を見る。
「っていうか、めっちゃきれいな字だよね。パソコンで打ち込んで、印刷してるのかってくらいに」
「確かにな。ほれ、進も見てみろ」
「どれどれ」
確かにきれいな字だ。本当に精密な機械のように書かれている。
「本当だな。これだけ綺麗なら、少しぐらい学内で話題になっててもいいよなぁ。林田あたりに聞いてみるか……蜜柑だと探ってきそうだし、林田で……」
俺がそう言うと、次に若葉が口を開いた。
「三島に聞けば早そうじゃない? あの子一年だし」
若葉は人差し指をピンと立てる。
「あ、そういえばそうだ」
そう言えばあいつ一年だったわ。落ち着いているし、でかいしで全然一年に見えないから、思いつかなかった。
「じゃあ、私いま聞いてみるね。連絡先知ってるし」
「頼む」
若葉はスマホを取り出し、三島に電話をかける。
「もしもし……今いい? うんありがと。演劇部の一年生でさ、字がめっちゃきれいな子っている? 本当に、パソコンで打ったみたいな……うん。え? ははは! そっか、オッケーありがと。じゃあね~」
若葉は結構笑ってたな……。
「どうだった?」
俺は若葉に尋ねた。
「聞いたけど、私が一番綺麗ですだって」
「ぶっ! そうか……」
「へへへ、面白いよね。あいつ」
面白い。あの低いトーンで言ってると思ったら、俺は噴き出してしまっていた。
「なら三島が犯人だな! よし! 行くぞ若葉! 進!」
黛は走り出そうとする。
「なわけないだろ」
俺はすかさずツッコむ。
大体、三島の蜜柑への態度からして、そんなこそこそ手紙入れるようなやつじゃなさそうだからな。
「いや冗談冗談。とにかく演劇部じゃなさそうだな」
「だね。でも手がかりなしになっちゃったね。黛、手紙ってどれくらいの頻度で入ってるの?」
「多い時は連日来ることもある。特に、学校で女子とよく今日は話してたな~って日の次の日は、入ってることが多いな」
「そっか……ゴリゴリ嫉妬だね。うーん」
なるほどな。
なら、やることは一つじゃないか?
「若葉」
「ん? なに?」
「黛」
「なんだよ?」
俺は二人に声をかける。
「お前ら、今日一日ベタベタしとけ」
「ああ、ははは! 面白そうだな」
「え! いやいや! え! えええええ!」
黛は、ハハハと笑っている。
若葉はめっちゃ照れている。
まあ、こうすれば手紙が入ってる可能性も上がるし、若葉も黛とイチャイチャ出来ていいだろう。
「ままま、まあ、解決のためだしね! 黛! 授業終わったら二人でタピオカでも飲みに行こ! 駅前にできたんだ! タピオカ屋!」
「そうだね。行こうか」
「よしよし、なら今日は待ちでいいな。また明日だな」
「そうだな。手紙入ってたら、共有する」
「だね。じゃあ、教室戻ろうか。黛」
若葉は、黛の制服の袖をつかむ。
「うん。じゃあな進」
「おう。気を付けろよ」
黛と若葉は、二人並んで教室に戻っていった。
まるで本当の恋人同士みたいだし、これは二人が結ばれるのも遠くないかもな。
次の日。
また昼休み、パソコン室の前。
また俺と黛と若葉は、ここで黛ストーカー事件の解決のために話し合っていた。
「それで? 黛、手紙は来たのか?」
「ああ、イチャコラしてたら、案の定来たさ。これだ」
俺は黛に手紙を渡されて、中身を見る。
「これ、昨日の俺らの写真……しかも二人がタピオカ飲んでる写真も撮られてるぞ!」
「ほんとだ……いつ取られたんだろ……こわ~い。とりあえず、これは若葉もらいますね……」
若葉はなぜか棒読みだった。唇が少し飛び出ている。多分、一つも怖がってない……というよりか、黛との写真をもらって喜んでるような……。
「……若葉、お前ただ写真が欲しいだけなんじゃ……」
「そんなわけないでしょ! 私が保管しておいた方がいいでしょ? ね、黛!」
「まあ、そういうことにしておくか。持ってていいぞ」
「ヤター!」
若葉は、大きく喜ぶと、黛と若葉が映った写真を、そそくさとファイルにしまう。
ファイルなんて持ち歩いてるのな……。
「じゃあ、手紙を読むぞ」
俺は手紙を見る。そして読み上げる。
「先輩、どうして若葉さんと一緒にいるんですか? 私のほうがあなたを見てるのに……私のほうがいいに決まっているのに……」
「むむむむ……」
ふと若葉を見ると、若葉は手紙の内容を聞いて、少しむかむかしているようだ。それもそうだろう。若葉は黛に好かれるためにすごい努力をしているからな。
「押さえろ若葉」
「うん……」
俺は若葉を制する。
「早く頑固になるのはやめて、一緒になりましょう……」
「い、一緒なりましょう⁉ そんな淫らなことを黛とするなんてダメだよ!」
「そっちじゃねえだろうよ……というか声でかい……」
「あ」
俺が若葉に言った後、周りを見ると、結構な人がこっちを見ている。
黛は頬をぽりぽり掻きながら、照れているようだ。
「頑固になるのはやめてか……一つ心当たりあるんだよなあ……」
「心当たり……あ! 生徒会か?」
「そうだな。少し進とも話してたな」
「え! え! どういうこと、私聞いてない教えて教えて!」
若葉は、黛が生徒会に勧誘されていることを知らないらしい。
若葉は、黛に上目遣いですり寄る。
……かわいいな……。
恋愛感情はあんまりないけど、何というか妹みたいな感じだ。
「ああ、実は生徒会長に庶務の席に入らないかって言われてるんだ」
「へ~そうなんだ。入らないの?」
「ああ、責任とか仕事を負わなきゃいけないの、面倒だし、これ以上大切な人が……まあ、それはいいんだ。とにかく、今ぼくが勧誘されている状況と、いい感じに手紙の内容がつながるってことだ」
黛は手紙を見ながら言う。
「じゃあとにかく、生徒会のメンバーで一年女子だな……」
「生徒会室前にメンバーのポスターあったよね?」
生徒会室は確か、西棟にある。
「そうだな。今から見に行くか」
「そうしよう」
俺たちは、生徒会室前に着いた。
若葉が言う通り、生徒会のメンバー紹介のポスターが貼られている。
「ほらこれだよ。えっと……一年女子は~」
「佐藤さんと泉さんか……」
佐藤さんは、たれ目で割とふわふわ系の女の子って感じだ。
泉さんは、ショートカットの活発な女の子って感じだ。
「泉さんは会計で……佐藤さんは書記か……」
「書記……」
俺が、二人の役職を確認していると、若葉がメンバー紹介ポスターの隣にある、手書きのいじめ防止のポスターを見ていた。これも恐らく、生徒会が書いたものだろう。
「黛……手紙貸して」
「ん? ああ」
若葉は黛から手紙をもらうと、手紙とポスターを何度も繰り返し見た。
「これ、多分筆跡同じ。ポスターと手紙」
「ほんとか?」
「うん」
黛も手紙とポスターを比べる
「そう……だな。かなり似ている」
「俺も見ていいか?」
「ああ、できる限り、多くの人の目で確認した方がいい」
俺も確認する。
「ほんとだ……。じゃあこれは書記の佐藤がやってるってことでいいのか?」
「……まだ状況証拠しかないからな。後は現行犯すればいい」
「なら、やることは一つじゃない?」
若葉が、得意げに胸を張る。
本当に若葉は頭が切れる上に、いい観察眼を持っている。
「やること?」
「一つ?」
俺と黛は、若葉が考えてることがわからなかった。
「やることって……張り込みかよ……」
若葉が言う、やる事というのは張り込みだった。
放課後、俺たちは一階昇降口の端っこの方にある自販機から、黛の下駄箱を見ている。
「えへへ……一回やってみたかったんだよね~」
「若葉、探偵アニメ好きだもんな。よくうちで見てるし」
「うん、好き」
黛によると、若葉は探偵アニメが好きらしい。
頭が切れるのも、探偵アニメを見ているからなのかもしれない。
「でもこれが一番いいよな。現行犯で捕まえるには」
「でしょ!」
俺が褒めると、若葉は素直に喜んだ。
「でも……最初からこれでもいいような……」
と黛。
「……」
「……」
確かに、時間はかかるかもしれないが、最初からこれでもよかったのかもしれない……。
「……あ……来たかも」
「マジかよ。ってきてるきてる」
……女子生徒が、黛のクラスの下駄箱の前に現れた。
その子は全く迷いなく、黛の下駄箱を開け、何かを入れる。
その女子生徒は、生徒会書記の佐藤さんで間違いないだろう。
「行く?」
俺は若葉に尋ねた。
「そうだね」
「待て、最初はゆっくり話しかけて、逃げるようなら捕まえてくれ。あと、声をかけるのは、ぼくがやる」
黛は俺たちに忠告をしてきた。これも黛なりの配慮なんだろうな。
「おっけ」
「了解!」
若葉と俺は返事をしてから、俺たちは、その女子生徒に近寄り、黛が声をかける。
「やあ、佐藤さんかな?」
「ひ!」
佐藤さんは少しびっくりしたようで、背筋を伸ばして驚く。
黛の口調は、いつもの低音でぼそぼそ話す感じではなく、少し声を張り、穏やかに話しかけている。
「今、君がぼくの下駄箱に何かを入れたのを見たんだ。だから、もしよければ、ぼくの下駄箱に何を入れたのか、一緒に見てくれないかな」
うまい。
こうすれば、もし黛の要求に従った場合、この手紙を入れたのを、俺たちは見ているし、確認をするときに問い詰めることが出来る。
逃げるなら……追いかけるだけだ。
「……!」
「あ! おい!」
少し俺たちを見た後、その女子生徒、佐藤さんは走り出した。
偶然、校門側を俺たちはふさいでいたので、佐藤さんは校内へ逃げる。
「追いかけるぞ」
「うん!」
「よっしゃ!」
俺たちは、同時に走り出した。
佐藤さんの足はかなり速く、走り方もとてもきれいだった。
なにか、部活でもやってるのか?
走り出してすぐに、若葉が俺たちを引き離す。相変わらず、すごい俊敏性だ。
俺と黛は並走。
佐藤さんは二階へ逃げる。かなり早く、若葉より早いか、同じくらいの速度かもしれない。
「はあ……はあ……ちょっと……早すぎ……」
「黛!」
黛は急に減速した。
ふらふら~と腕の力が抜けていくのがわかる。
「ごめんぼく、ゴホッ、体力ないんだ……先に行って若葉のカバーを頼む……」
「なんてだらしねえ! でもわかった!」
俺は、若葉を追いかける。
二階に上がると、若葉と佐藤さんの距離はかなり縮まっていたのが、二階の階段から上がって、すぐの地点から見えた。
俺も追いかけようとした次の瞬間。佐藤さんは窓を開けて、そこから飛び降りる。
「な! あぶねえ!」
俺は必死に状況を確認しようと、若葉もいる、飛び降りた窓がある地点を目指し走る。
「進! 飛び降りるの無理なら、一階の校門に先回りして! 多分、道が狭いから正門じゃなくて、裏門から出るから、裏門に先回りね!」
「わかった! 裏門な!」
若葉に言われて、俺はすぐさま方向転換をする。
しかし、俺は若葉がとんでもないことを言っているのに、その時咄嗟に気が付かなかった。
「……飛び降りるぅ⁈」
方向転換した俺は、さらに方向転換して、若葉がさっきまでいた窓のところを見る。
俺が振り返った瞬間に、若葉は窓から飛び降りていた。
「ええええええ!」
俺は心配になり、窓に駆け寄り、下を見る。
見事に着地した若葉は、逃げる佐藤さんを忍者の様に追いかけていた。
「めっちゃあぶねえじゃねえか……ってこんな場合じゃない!」
俺はすぐさま走り出し、再び裏門へ向かう。
そろそろ体力の限界だ……。
しかし、力を振り絞って走る。
一階に下りて、昇降口から、裏門へ向かう。
校庭を渡っていかないといけないため、かなり距離がある。
校庭に足を踏み入れると、若葉の止まっている後姿があった。
その奥には佐藤さん。さらに奥には、佐藤さんの前で、仁王立ちしている黛がいた。
「観念しなさい。悪いようにはしない。ぼくは怒っているわけではないんだ。ただ、話をさせてくれ」
俺が到着すると、黛が説得をしているようだった。
「さすがにあの身体能力には驚いたけど、もう逃げられないよ。佐藤さん」
若葉も佐藤さんの背後に立って、逃げ道を塞ぐように立っている。
「……はあ……」
佐藤さんはその場に座り込み、両手を上げる。
「負けです……すみません……」
「いいんだ。今は呼吸を整えてくれ」
黛は、佐藤さんに声をかける。
「というか進、いたんだ」
「まあな……っていうか若葉なんで飛び降りられるんだよ……」
「ん? いやこの子が飛び降りられるならいけるかなって……」
若葉は、頭を掻きながら照れる。
「それでケガしてたらどうすんだ、まったく……黛もよく裏門に立ってたよな」
「ああ、お前ら声でかすぎな。ぼくが一階でへばってるところからでも聞こえたぞ」
「……そういうことなのね……」
確かに、聞こえてもおかしくない声量だった。
「……それでどこで話そうかな……適当にうちのクラスで……」
「そういうことなら、生徒会室でどうだ? 黛」
黛がどこで話をしようか検討していると、いかにも自身に満ち溢れた女性の声が聞こえた。
「あ、町田……」
「会長……」
黛と佐藤さんは、この町田さんに面識があるらしい。
佐藤さんが会長と呼んでいるあたり、恐らく黛を勧誘している生徒会長だろう。
というか、ポスターで見た通り、会長だ。
なんなら、集会でもたまに見かける。
話半分でしか、集会の話を聞いていないから、気が付かなかった。
佐藤さんはかなり顔が青ざめている。
「私もお前に話がある。今の校内でのやり取り。並大抵のことで起こるやり取りではないからな。あんなに廊下を疾走し、こうやって三人に囲まれている状況なんてな」
「う……」
会長は、佐藤さんの手を引っ張り、そのままの流れで腕を組み、立ち上がらせる。
佐藤さんと会長が並ぶと、会長は以外にも、小柄だった。
佐藤さんが、女の子にしては大きい、黛と同じくらいの背丈をしているせいで、会長の小柄さが目立つ。会長は、若葉より、ほんの少し大きいくらいだ。
「というわけだ。悪いが、三人も、生徒会室に来い」
「ああ」
「う、うん」
「おう……」
俺たちは、会長に誘われるままに、佐藤さんと会長とともに生徒会室に向かった。
俺たちは生徒会室に着くと、深瀬が書類に目を通していた。
会長は佐藤さんを席に座らせると、俺たちを佐藤さんの対面に座るように指示してきた。
深瀬は会長に話しかけられて「これから生徒会とこいつらで話し合いがある。お前も同席しろ」とだけ伝えられて、生徒会室を後にした。
「おいおい、何かあったのかよ進」
深瀬は、席に着いた俺に、耳元で尋ねてきた。
「まあ……その……」
俺は事の説明をした。
黛と佐藤さんの間に、ちょっといろいろ問題があって……みたいなことを話した。
とりあえず、何を話すかわからないから、盗撮のこととかは、伏せることにした。
「そうか……佐藤がね……」
「ああ、お前はどうなると思う?」
「会長……町田のことだ。問題の内容にもよるけど、多分かなり厳しい処罰をする。下手したら会長も責任取って、辞職するかもな」
「……なるほど、責任感のある人なんだな」
「ああ、おっと、きたきた」
会長が、また生徒会室に戻ってきた。
会長は、お茶を六杯入れてきたようだ。
「どうぞ」
会長は俺と若葉、黛の前にお茶を置く。
「それで……話をしてもらいたい。佐藤が何か、迷惑をかけたようだからな」
……会長は俺たち三人に目をやり、最後に佐藤さんを見た。
「佐藤、お前がこの中で一番迷惑をかけたのは誰だ?」
会長は特に威圧することもなく、穏やかに、しかし、力強く話しかける。
「……黛先輩です」
「そうか、なら黛に話してもらおう」
「……」
黛は少し腕を組んで、沈黙。
そして少しだけ間を置いてから、黛は口を開いた。
「断る」
「……どうしてだ? お前のことだ、何か考えがあるんだろう」
会長は、黛を信頼しているような口ぶりだ。
本当に、黛の能力を買っていて、本気で生徒会にほしい人材だと、思っているんだろう。
佐藤さんは、黛の発言に、驚いていた。
「ぼくは、佐藤さんに迷惑なことなんてされていないからな。今回の佐藤さんを追っていたのは、隣にいる二人の行動が主な要因だ。二人に聞いてくれ」
「……なるほど。じゃあ……橘くんに尋ねよう。話してくれるか?」
会長は、俺に軽く手を向ける。
「わかった。俺で良ければ……えっとどこから話そうかな……」
とりあえず……黛の下駄箱に盗撮された写真ともに、手紙が入ってたってところからだな。
「まず、黛の下駄箱に盗撮された写真ともに、手紙が入ってたんだ」
「と、盗撮! 佐藤が?」
深瀬は驚いたようで、前のめりになり、大きな声で叫ぶ。
「落ち着け深瀬。橘くんが困るだろう」
「あ、悪い。進、続けてくれ」
会長が一言、深瀬を抑える。
俺は、また話を続けた。
「ああ。それを見た俺と若葉は、犯人捜しをしようってなった……ここでさっきの黛が説明したがってなかったことの補足なんだが、黛自身は迷惑に思ってなかったし、解決しようとしてなかった。だけど、この件をよく思わなかった、俺と若葉が、黛を無理やり動かしたってことだけは言っておく」
俺は若葉に同調を求め、ちらっと若葉のほうを見る。
「そう! 犯人捜しをしようって言ったのは私たち」
「そうか。まあ、黛らしい気もするな」
……会長は黛の顔を見て、頷いていた。
多分、本当に会長は黛のことを買っているみたいだ。
「それで、いろいろ証拠を集めて、まあ……手紙の内容とか筆跡とかから、佐藤さんじゃないかと思って、下駄箱に張り込んで現行犯って感じだ」
「なるほど……」
会長は少し腕を組み、沈黙。
あまり間を置かずに、会長は佐藤さんに話しかける。
「盗撮した写真を、手紙と一緒に黛の下駄箱に入れていたのは本当か?」
「……はい……」
佐藤さんは下を向いたまま、小さい声で答える。
「……それが本当なら……警察のお世話になっていても、おかしくない」
「……はい」
会長の口調は、あまり圧を感じなかった。
黛の気持ちも考えて、あまり強く言わないようにしているのだろうか。
「黛。改めて聞くが、本当にお前は傷ついたり、訴えたりしたりって気はないんだな?」
「ない」
黛は、真顔で、淡々と言った。
「そうか……ありがとう。だそうだ。佐藤。とりあえずは大事にはならないみたいだから……ほら前を向け」
会長は佐藤さんの顎を持ち上げて、前を向かせる。
「一緒に謝ろう。黛。今回はうちの書記が迷惑をかけた。すまなかった」
「……すみませんでした……私……やめるべきだって思ってたのに……やめられなくて……」
二人は、黛に頭を下げていた。
「いいんだ。気にするな」
「俺からも謝らせてくれ、すまなかった。俺が少しでも気が付いていたら……」
「だから、いいって気にすんな」
深瀬も黛に頭を下げていた。
「黛、今回の件の責任は、私と佐藤がそれぞれ会長職と書記を降りる、ということで……」
会長は、黛に責任の取り方を提案する。
「それはいい。今回の件は責任とかなしだ。全て水に流していい」
「しかし……」
「ぼくたちは学生だ。学生であるぼくが言うことではないかもしれないが、学生のうちは、間違いだってあるだろ。ここで生徒会をこういう問題でやめたって履歴が付くのは、将来に関わる。それに、今からなら、直せることだろ」
「……そうだな、その通りだ」
「だろ? あと、このことを広めたり、教職員に報告するのもなしだ。今回の件で佐藤さんがいじめられたり、教職員から白い目で見られたりするのは、ぼくが罪悪感でおかしくなる。あとは……まあ、ほかにもいろいろ個人的な理由あるけど……とにかく、だから水に流す」
「ふむ……わかった」
会長は、納得したようだ。
確かに佐藤さんがこの件でいじめられたりしたら、罪悪感はありそうだし、黛も実際には困ってなさそうだったから、いいのかもな。
「本当にいいんですか……私……先輩に……ストーカーしてたのに……」
「関心がないからな。そういうの。相手が大人ならまだしも、学生……それも後輩なら、実害が起こってから考えればいい」
「うっ……すみません……ありがとうございます……」
佐藤さんは安心したと同時に、すこしショックを受けているようだった。
だって、半年も盗撮してたのに、一つも反応なしだったんだもんな。
黛の返答も、淡々としてるし。本当に関心がなかったのだろう。
「町田。反省してるみたいだし、明日からは佐藤さんといつも通りやってくれな」
「ああ。ありがとう」
町田は、黛の顔をしっかりと見て言った。
「じゃあ、ぼくは帰らせてもらう。佐藤さん」
席を立ちながら、黛は佐藤さんに声をかける。
「は、はい?」
「普通に声かけてくれたら、普通に話してやるから安心してくれ。あと……きれいな字だな。書記、やめないでくれよ」
黛はそう言うと、生徒会室を後にした。
相変わらず、メンタルケアがしっかりしてる。
こんな言い方されたら、黛に足向けて寝られないだろうな。佐藤さんは。
しかもこんな言い方を、被害者の黛が言ってたのを、周りが聞いてたら、悪いようにもできないだろうしな。
「それで……なんで佐藤さんは黛にあんなことしたの?」
若葉は、黛が生徒会室から出て行ったあと、佐藤さんに尋ねた。
……口調からすると……少し怒っているっぽいな。
「えっと……一目惚れだったんです……でも……いつも周りにはきれいな背の高い女の人がいて……」
きっと蜜柑のことだろうな……。
確かにあんな超美人が、黛にベタベタしてたら近寄れないだろう。
「どうしても気が付いてもらいたくて、手紙を下駄箱に入れておいたんです。でもまったく相手にされなくて……それで……」
「手紙を送り続けたんだね? そんなずるいことして、気を引いても、黛は振り向いてくれないよ、きっと」
「うう……ダメだって思ってたんです。でもほかのやり方がわからなくて……」
泣き出しそうな佐藤さんを見る若葉。
すると若葉は席を立ち、佐藤さんの近くに行って、座っている佐藤さんと目線を合わせる。
そんな若葉の表情は、なんだかお姉さんのような優しい表情だった。
「でもね、これは先輩からのアドバイスなんだけど、黛はそんなちまちました感じじゃなくて、正々堂々かつ、がっつりいかないとなーんにも反応してくれないよ」
「え? あ、はい!」
「でも、応援はできないよ。理由はわかるよね? 佐藤ちゃん!」
「はい!」
「じゃあ、これからはライバルだね」
「そうですね! 負けませんよ!」
「私だって!」
二人は意気投合したようだ。
……言いたいことは言って、尚且つ元気づける……本当に変わったよなあ、こいつ。
「盛り上がっているところ悪い。そろそろ下校時刻だ。私たちもいろいろやらなきゃいけないことがある」
会長は立ち上がりながら言った。
外を見ると、すっかり暗くなっている。
「俺、書類の山まだ残ってんだよな……明日に回すか……」
深瀬は、頭を掻きながらつぶやく。
「そうしてくれ。ゆっくりでいい」
「おう。助かるわ町田」
深瀬は、書類を机の引き出しにしまう。
「じゃあ、俺たちも帰るか……」
「そうだね」
俺は席を立ち、若葉に帰るように促した。
「じゃあな、深瀬と会長と佐藤さん」
俺は三人に帰りの挨拶をする。
「ああ、今回はありがとう。気を付けて帰ってくれ」
「じゃあな~進~」
俺たちは生徒会の人たちに見守られながら、生徒会室を後にした。
若葉は用事があったようで、そのまま足早に先に行ってしまった。
俺は教室にバッグを取りに戻り、そのまま帰ろうと廊下を歩いていると、廊下から、教室に一人でいる黛に気が付いた。
「お~い」
俺は、黛のいる教室に少しだけ入り、黛に声をかけた。
「ん? ああ、なんだ」
「なんだはこっちのセリフだよ。帰ってたんじゃ?」
「ちょっとな。考え事。今、終わったけど」
「あっそ。ああ、聞きたいことあったんだけどさ」
「ん? なんだ?」
俺は、黛が今回の責任なんていい、全部水に流すって言ったときの、そのほかにもいろいろ個人的理由が……と言っていたことが気になっていた。
「ほら、今回のことは水に流すって言ったときに、そのほかにもいろいろ個人的な理由があるって言ってたろ? ほかの理由って何かなって思ってさ」
「ああ、あれか。色々って言ったけど、あれ別に、言わなくてもいいことを言わなかっただけだ。聞きたいか?」
「え? まあ、差し支えなければ」
「日常が壊れてしまうのが、一番心に来るって言いたかっただけだ。あの件で、佐藤さんの日常が壊れたら、嫌だからな」
「……そうか。そりゃそうだよな」
「ああ」
黛は突然、両親を失っているからな。
誰よりもわかっているだろう。
日常が突然、壊れる怖さを。
「……」
俺はふと、黛の腕についているミサンガが目に入った。
「それミサンガか?」
「ん? ああ。若葉がくれたんだ。お揃いのミサンガあげるって言ってな」
「へえ~」
……しっかりと若葉から貰ったミサンガを大切にしているんだな。
よかった。若葉も渡せた甲斐があるってものだ。
「さ、帰るぞ。ぼくはさっさとゲームがしたいんだ」
「ああ、帰ろうぜ」
俺たちは教室を出て、誰もいない廊下を横並びで歩く。
黛の表情は、廊下から見える、空の黒さのようだった。
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