第16話 あるかもしれない末路

 ……もう朝か……。

 皆さんおはようございます。橘進と申すものです。

 いつものようにさっと目覚める。中学の頃の朝練に行っていたので、朝には比較的強いのだ。とはいえ、高校までの距離は、通っていた中学よりは遠いので、起きる時間は少しだけ、今の高校の時の方が早い。

 一階に下りると珍しく母の姿がなかった。いつもなら、俺と同じタイミングで出かける父と俺のために早く起きて、朝ご飯をつくっているはずなのだが、いなかったのだ。

 まあ、たまにはあることだな。

 そんなことをあまり気にすることはなく、俺は洗面台に向かう。顔を洗い、歯を磨く。

 そしてまた二階にある俺の部屋に向かい、物置を開ける。

 ……ん? なんか物置が整理されているというか、隙間があるような……。

 うーん考えてもわからん。さっさと着替えよう。

 制服を手に取り、身にまとう。着替えていると下で物音がした。恐らく母が起きたのだろう。

 着替えと教科書が入ったバッグを持ち、また一階に向かうと、母が朝ご飯をつくっていた。

「おはよ~ございます」

「あれ、今日は早いの?」

「へ?」

 時計を見ても、いつも通りの時間である。

「そんなことないと思うけど」

「そう? まあ早起きはいいことだね。はい座った座った」

 俺はこの後、母のご飯をしっかりと食べてから、家を出た。外に出ると、いつもより肌寒いように感じた。



 駅までの道は、いつもと少し違うような気がした。いや……明らかに高架線の下にあるファミレスが、別のファミレスに変わっていた。

 駅にたどり着き、時刻表を見るといつもと電車のダイヤも変わっていた。

 さすがに何かがおかしいような気がする……。でもスマホの日付を見ても十月十一日。休日ってわけじゃなさそうだしな……。

 とりあえず、席には珍しく座れたので、のんびりゲームでもしよう。

 俺はスマホを開き、ゲームを起動しようとした。しかし、インストールしていたはずのゲームは、スマホの中に入っていなかった。アンインストールしたっけ、と思いアプリストアを覗いても、俺がやっているゲームはなかった。

 ……サービス終了でもしたか?

 あきらめて、今日の予定でも確認しようとアプリのカレンダーを見た。すると次の瞬間、俺は絶句していた。

 落ち着くために一旦、次の停車駅で降りる。

 そのまま駅員さんに、今日の日付を確認してもらった。

 ……俺の目も、スマホも、おかしいわけではなかった。

 駅員さんが口にした今日の日付は、二年前の十月十一日だった。

 俺はタイムスリップしていた。


 

 問題は今日、今、俺がいるこの世界の曜日が土曜日ということだ。

 俺は帰宅部なので、学校に行く理由がない。

 だが、駅員さんに「俺! 二年前から来たんすよ! 卍!」なんて言う訳にもいかない。

 うーん……。

 とりあえず……学校には行ってみてもいいかもしれないな……。俺のことを知ってるやつと話さないと、このタイムスリップを解決することはできないだろうしな。



 とりあえず仙川駅にはたどり着いたはいいものの……よくよく考えてみると、二年前の俺は、まだ中学生だったことに気が付いたのは、たった今のことである。高校に行っても、俺の席はない。

 しかし、タイムスリップしていることを確認するためにも、改めて高梨高校に行って生徒に声をかけて、俺が在籍していることを確認するのがいいだろう。

 幸いにも? 俺は運動会で「非モテの鉄人」という不名誉なあだ名を授与されているので、校内でもかなりの知名度を獲得している。名前を覚えてもらえないが、「あ、あれだよね! 非モテの!」とか「ああ、鉄人くんか」など、覚えてもらえている。

 高梨高校までの道のりは少しばかり変容していた。途中の交差点のドーナツ屋はよくわからんカフェになっていたし、駅前にはナントカナルドがあった。ナントカナルドは、俺たちの代が入学する前には無くなっていたらしい。

 校門が見える範囲まで来てみると、ちょうど校門から出てきている生徒を見かけた。

「すみません」

「おや? なにかな」

 ショートカットの女生徒は、優しく話しかけてくれた。

「覚えている範囲でいいんですが、橘進という生徒は在籍していますか?」

 こんな風に生徒の在籍を確認していると、咲を探していた時を思い出す。

 文化祭に行っては、生徒の確認をしていたが、今思うと結構な不審者だよな……。

「うーん。いないかな~。多分、橘って苗字の人すらいないと思うよ」

「……そうすか……じゃあ、非モテの鉄人ってあだ名に覚えは?」

「へへ。何そのあだ名……えっとごめんね。聞き覚えないや」

「……そうですか……すみません。お時間いただきました」

「ううん。べつにいいよ~」

 俺は女生徒に一礼すると、そのまま校門の奥にあるコンビニへ向かった。

 向かいながら、どうしようかを考える。さっきの女生徒が、鉄人というあだ名を聞いたことがないような反応をしていたことから、俺が在籍していないとなると、二年前の当時、俺を知っているのは地元のやつらだけとなる。今から戻るか……どうするか……。



 コンビニに着くと、俺は珍しくブラックコーヒーを手に取っていた。でもやっぱり苦かった。

 そしてブラックコーヒーを片手に途方に暮れる。気分は難事件に頭を悩ませている探偵だ。そして、脳裏には一つ考えが浮かぶ。

 ……このままタイムスリップした状態でいれば、もしかすると咲を助けられるかもしれない……。そう思うのだ。母は、俺をしっかりと橘進と認識しているあたり、世界は二年前にタイムスリップしたとはいえ、俺という存在だけ、二年後のままこっちに来たのだろう。なら、この世界に橘進は一人。今なら救えるかもしれない。

 咲を、その両親を、救えるかもしれない。

 とりあえず、足を止めていても仕方ない。高梨高校付近をうろうろしてみよう。



 ……高梨高校周辺をうろうろしてみたが、やはり知っている生徒はあまりいないようだった。ランニングしている陸上部や、帰宅するであろう集団を見ても、覚えのある顔はほとんどない。たまーに一年生と思われる生徒は、見たことあるような気がしているけど。

 そしてもう一旦、家に帰ろうとした時。学校近くのバス停の近くで見つけた四人組を見て、俺は目を見開いた。

 その四人組には、見覚えがあった。

 あの高めの身長で、少し短めの髪の女の子。

 身長低めで、片目が隠れかけている男の子。

 とてもきれいな黒髪をなびかせる女の子。

 髪を一つに結んでいる、女の子……ではなく男の子。

 あれは間違いない。蜜柑と黛と弥生と薫だろう。みんな同じ制服を着ている。

 弥生と蜜柑は少しだけ幼い感じだ。黛はこれでもかっていうほど、容姿に変貌はない。というか、変わらなすぎだろ。

 薫は……すごい虚ろな目をしている。

 薫本人が、若葉と出会ってから優しくなった~なんてことを言っていた気がするし、若葉が本格的に黛と蜜柑の家に転がりこんだのは、高校一年の頃だから、まだ何やらわけがあって、こんな面をしているんだろう。

「おお……」

 おおい! と呼び止めそうになった。冷静になれ俺。

 俺のことを知っているわけがないだろう。なんなら俺は、身長180センチのお兄さんだ。

 多分、ここでは頼りになる黛に、まず声をかけるのがいいだろう。

 四人組の目の前に立ち、「ちょっといいかな?」と声をかける。

 四人組のうち、蜜柑と弥生は目を合わせあっていた。薫はぼーっとこっちを見つめている。

「はい。なんですか」

 黛は、しっかりと返事をしてくれる。

「えっと……高梨高校の橘っていうんですけど……」

「はい、ぼくは凪黛って言います。それで何か御用ですか?」

 しまった。

 この先を考えていなかった。

 もしタイムスリップしたんだ! なんて言ったらドン引きされるだろうし、どうすればいいんだ……?

 俺が言い淀んでいると、黛は後ろの三人に向かって口を開いた。

「三人とも弥生の家で勉強会があるだろ? 先に行ってな。ぼくの爺さんが見てくれるだろうし、あんまり遅くなると悲しんじゃうから」

 どうやら、黛が気を利かせてくれたらしい。黛はこっちを見てウインクをしてくれる。

「そうね。お兄さん。黛が話を聞いてくれるそうだから、ゆっくりお話ししてくださいね?」

 弥生がこっちに向かって、両手を胸の前で握り、めちゃくちゃぶりっ子みたいな雰囲気で語りかけてくる。

 ……多分……裏の方の弥生なんだろうな……。

「了解です! 黛さん! さ、薫さん、行きましょう!」

 蜜柑は、薫の背中を押していく。薫は俺を見つめたまま、蜜柑に押されていく。

 弥生は、そんな二人を追いかける。

「さ、お兄さん……じゃなかった。橘さんでしたっけ」

「ああ」

「学生証だけ確認しても?」

「え? ああ、いいぞ」

 俺は学生証を取り出し、黛に差し出す。取り出すときにちらっと見たが、学生証は中学のもので、学生証の有効期限は二年後の日付だった。

「へえ……はい、確認できました。お返しします」

「どうも」

 俺は、黛から学生証を受け取る。

「恐らく、結構無理やり声をかけてきたところを見ると、割と切羽詰まってますね?」

「え……」

 すごい。さすが黛だ。俺の気持ちがもう読まれている。

「あと、結構言いにくいことを言おうとしていますよね」

「そ、そうだ。結構言いにくいことだ」

「なら、うちに来てください。ゆっくりお話ししましょう」

「え? いいのか?」

 黛と初めて出会った時も、こんな風にサクッと信用されて、家に運び込まれていたとは言え、こんなにすんなり信用してくれていいのか?

「まあ、学生証確認しましたし、制服着てますし、信用しますよ」

「いや……マジありがとうオリゴ糖だ! ありがとう黛!」

「あ~今のギャグでちょっと……」

「あ! いや!」

「嘘です。さ、行きましょう」

 黛はすたすたと歩きだしてしまった。まったく、いつも助けられてばかりだ。黛には。



 黛と蜜柑の家は、あまり変わっておらず、きちんときれいに整頓されていた。

 黛に、リビングのキッチン寄りにある机に案内された。そこに座る。

「何か飲むものは?」

「なんでもいい」

「ならコーヒーでも淹れますね」

「ああ」

 そう言うと黛は、キッチンに入っていくとドリップコーヒーを作り始めた。

 慣れた手つきでお湯を注ぎ、膨らむコーヒー豆を凝視したかと思うと、今度は少しづつお湯を注ぎ始めた。恐らく、こだわりがあるのだろう。

 ぼーっと家を眺めながら待っていると、黛がコーヒーを持ってきてくれた。

「どうぞ」

「どうも」

 黛は一口コーヒーを口にする前に、匂いをかぎ、コーヒーを少しだけ飲んだ。

「さてと……あ、一口どうぞ」

「あ、ああ」

 俺も一口コーヒーを口にする。甘さもミルクもちょうどよかった。

「それで話というのはなんでしょうか」

「ああ……それはだな……えっと……心して聞いてくれよ?」

「はい」

 俺はここまでの過程を話した。特に、黛に驚いた様子はなかった。

「それで……タイムスリップしたという結論に至ったわけだが……」

「なるほど。それで、元の時間に戻りたいというわけですね?」

「えっと……意外とそうでもないような……」

「え? 何でですか? 普通は戻りたいって思うはずですよね?」

「うーん」

 正直、咲を助けられるなら、戻らずに過去を変えてもいいと考えてしまっているんだよな。 

「正直なところ、変えたい過去があるから、帰らなくてもいいと思ってる」

「へえ。そうですか。馬鹿みたいに真面目な顔で言うんですね」

「え? まあそうだな。というか信頼してくれてるわけじゃないのかよ!」

「あなたは信頼してますけど、タイムスリップした~というのは信用してないです」

 黛は、少し苦笑いをしながら答えた。

「なら、これならどうだ?」

 俺は、この前のお泊り会でコーヒーを自分で作った時に、ポットの下にある棚を開きコーヒースティックを取り、黛に見せる。

「ここにコーヒーがあることを、俺は知っている!」

「なるほど。ほかには?」

「えっと……黛には両親がいない」

「そうですね。他界してます」

「あとは……さっき居た、お前以外の三人の名前は薫、蜜柑、弥生」

「苗字は?」

「えっと、出雲、中村、小鳥居」

「ふむ、フルネームまで覚えてるってことは相当親しいんですね。二年後のぼくたちは」

 黛は納得してくれたようで、顎に手を当てながら、うんうんと頷いていた。

「ああ、二年後でしっかり友達だ。信じてくれるのか?」

「さすがに信じるしかないでしょう」

「……というか……ふふっ」

「なんですか?」

「いやさ、お前の敬語がなんだかむずがゆくってな。二年後だと同い年だろ? お前が敬語で俺に話しかけているの、なんかおもろい」

「へへ、そうですか。それで、二年後のぼくはどんな感じですか?」

「何にも変化なしさ。このまんまだよ」

 俺は、普段黛と話してる時のように、明るく言った。

「……」

 黛は少しだけ顔をしかめた……ように見えた。

「でもすごい奴だよ。二年後も。何もかも見えてて、そのためにちゃんと行動する」

 俺は、さらに黛を褒めた。

「そうですか。なんだか照れますね。ははは」

 俺と黛は、少しだけ笑いあった。

「それで、過去に戻りたくないという理由は?」

「ああ、まあ。そうだな」

 ……せっかく二年前に来たんだ。改めて、自分の気持ちを整理しながら話してみよう。

「二年前、咲って仲のいい奴がいたんだ。バスケ部だったんだけど、そこのマネージャーでな。家族ぐるみで遊ぶ仲だった。マジで仲良くてな。あの、あれだ、よくカップルだーって、からかわれたりするくらいに仲良かったんだ。でも、今の日付から約半年後だな。卒業式が終わった後、遊園地に遊びに行った帰りだ。咲の両親と合流したんだ。その帰り道、テンションが上がった咲は、勢いよく前を歩いていてんだけど……そこに車が突っ込んできた。俺はとっさに、咲を突き飛ばそうとしたんだ。助けたかったから。でも、届かず、その次の瞬間、俺の体は吹き飛んでいて、ガシャーンという大きな音と、タイヤと地面が擦れる音が聞こえたんだ。突き飛ばされた後、すぐに目を開けるとな、咲は起き上がってこっちを見ていた。いや、俺の後ろでぐちゃぐちゃになっている咲の両親を見ていたんだ。咲の両親は、俺と咲を庇って、車に轢かれたんだ」

 俺はそこまで言うと、少しだけコーヒーを口に含んだ。すごく苦かった。

「……両親は病院に運ばれたけど亡くなった。俺はほぼ無傷。咲は軽傷だけど……精神的ショックがすごくて、食事も会話もほとんどしなかった。どんどん人じゃないみたいになっていって、俺は精神的にきつかった。罪悪感がすごかったさ。咲にも拒絶されてな、なんで私を助けようとしてくれたの? なんて言われてな。それでも、謝りたくて、助けたくて、必要としてほしくて、俺は高校一年を全部捨てて、咲を死に物狂いで探した」

 黛は、コーヒーを見つめながら、机に頬杖を突いた。

「おかしくなりそうだった。どこに行っても情報なし。高校生一人じゃできることにも限界がある。でも、俺は絶対に諦めたくなかった。だけど、たまにすごい虚無感に苛まれた。絶望して寝込んだり、ものに当たったり……自傷しかけたこともあった。さすがにしなかったけどな。それで、うちの母さんが心配しててな。高校一年が終わると同時に、咲を探すのを諦めた。それからは罪悪感を隠すために、友達作って人助けもしてる。特に人助けだ。罪悪感を隠すために、消すために俺は……自分を殺してでも、咲を助けられなかった分、人を助けないといけないんだ」

 俺はそこまで言い切ると、一気にコーヒーを飲み干した。

「というわけで、俺は戻れなくてもいいから咲の両親を救う。咲も助けたい」

「そうですか」

 ……黛は、コーヒーを少しだけ飲んだ。

 そして頭を少し斜めにしながら、少し顔を上に向けて、呆れたような表情をしながら、口を開いた。

「アホらしい」

「は?」

 聞き間違いかと思った。しかし、その黛の言葉は聞き間違いではなかった。

 黛は次の瞬間、机の上に飛び乗った。その衝撃でコーヒーカップが机から飛び跳ね、床に叩きつけられ、不快な音を立てながら割れる。

 俺は驚いて席を立つ。黛の顔の位置は、机の上で立膝を突いているので、俺の顔の位置と同じだった。

「進。ここであと半年待てば、その咲ってやつを助けられるなんて思わないことだ」

 急に豹変した黛に、恐怖というか、絶句してしまう。

「人間には限界があるんだ。いくら自分の身を削ったとしても、だ。限界はある。限界がないなんて言うやつがいるが、それは間違っている。時間は平等だ。時間の中でやれることは限られている。だから限界はある。確実に。ぼくは時間内にやれる限りのことはすべてやったはずなのに、両親はぼくの手から離れていった」

 黛は机から降りて、俺に背を向けたまま話し続ける。

「だから過剰に求めず、自分の手に収まるものだけを、離さずに持っておくべきなんだ。去る者は追わず来る者は拒まず。身の程を知るべきなんだ。過剰に求めると失ったときに、ぼくは壊れてしまう。当たり前のことを当たり前だと思わないほうがいい。失ったときに虚しくなる。失うのが怖い」

 黛は話しながら、俺の周りをぐるぐる歩いている。なぜか、俺は動けない。

「自衛のために人に媚びを売り、自分に不利益があるなら見捨てる……情はあるにはあるから、あんまりしたくないけど。だから人に頼ることもしたくない。人の時間を奪うことになる。ぼくはこんなにも自分勝手なのに、人に頼っていい、時間を奪っていいとは思えないからだ。選択することだってできない。だってそれは選択しなかった方を捨てるということだからだ。嫌われるってことだから。怒れない。怒りは人から嫌われるものだから」

 黛は、俺をグイっと引っ張り、リビングの真ん中あたりまで、俺は連れてこられた。そのまま黛は俺の顔に指差して、話を続ける。俺は唖然としていて動けない。

「お前は、ぼくをすごい奴だと思っているみたいだが、そんなことはない。強いふりをした弱い人間さ。変わりたい。強い人間に。お前は選択した。行動した。人のために怒った。自分の利益を顧みずに、手を差し伸べる。絶対に見捨てない。失うことを、嫌われることを恐れない。本当にお前が羨ましい。お前の在り方は、理想だ。だがありえない。そして……」

 黛は、俺に差している指を支えている腕を降ろし、下に深く俯きながら、さらに話を続ける。

「だからこそ、お前みたいなあり方は間違っている。自分のためではなく、誰かのためだけに見返りを求めず、自らが傷つくことも厭わないなんて、身体が持たないに決まっているさ。それに、そんな素晴らしい進が、傷つくなんてぼくは悲しい」

 悲しい表情をした後、黛は俺に背を向ける。

「最後に、これはお前の未来の一つだ。あと半年もここにいるなんて、そいつが許さないだろうさ」

 黛は、顎で何かを指す

 ……ああ、やっと口が動く。

 黛は急に、何を言い始めてるんだ?

「なあ、お前何を言ってるんだ」

「……さよならだ。もう会うことはないだろう」

 黛は、俺の腹に指を差す。

 見てみるとナイフの先端が、俺の腹から飛び出していた。

 血は出ていない。

「それがあるかもしれないお前の末路だ」

 黛は、そう言った。

 俺は、ゆっくりと振り向く。

 そこにいたのは、薫だった。しっかりと俺に刺してあるナイフを握りしめている。

 とびっきりの笑顔で俺を見てくれている。

 薫は、俺にナイフを刺したらしい。

「僕の代わりに死んでくれ。いいよな? 進ならそうするよね? えへへ」

 ……ああ。

 俺ならそうするだろうな。


「うわああああああああああああ!」

 ベッドから飛び起きる。

 夢か。

 ……とんでもない、悪夢だった。


 よくよく考えてみたら、自分が着ていた制服や、学生証は中学のものだったのに、高梨高校と黛に言われていたし……時間の流れも速すぎた気もする。なんなら、採点期間だったので、登校する必要もなかったのだ。

 あとは……まあ、いろいろおかしなところは確かにあった。辻褄が合わなかったところがあった気がする。まあ、夢とはそういうものだ。

 ……改めて、スマホで自分の今いる世界の時間を確認する。しっかり現在に戻ってきている。よかった。

 ……夢の中の黛……怖かったな……。薫も……。

 そういえば……黛と薫……に何かあるかもしれない。あんな夢を見たんだしな。

 俺はスマホを取り出し、黛に電話をかける。

「何か用か? 進」

「ああ、よかった。いや特にないんだが……」

 黛の通話から、雑音がいくつか聞こえた。割と人がいるところにいるようだ。

「今何してるんだ?」

「ああ、学校にいるぞ」

「あれ? 今は採点期間だろ?」

「らしいな。蜜柑が普通に登校してるから、つられてぼくも登校したんだが、授業一つもなくてな。蜜柑と林田くんに、暇ならって引っ張られてな、今は演劇部の練習を見学してる」

「そうか~よかった」

「ん~? 何がよかったんだ?」

「いや気にするな。本当にどうでもいいことなんだ」

「そっか」

 さすがに人の夢って話されても、あ……うん、みたいな反応になるしな。

「ああそうだ。薫は、今どこにいるんだ?」

「んあ? 薫か? 多分家か、未来と一緒にいるか、じゃないか? 夜、通話してたんだけど、明日早いって言ってたしな。何かあるんじゃないか」

「そうか。なんか悪いな。急に電話かけて」

「いや別にいいぞ。じゃあ、またな」

「ああ、また」

 俺は、電話を切る。

 俺は改めて、部屋を見回してみる。

 いつもと変わらない。俺の部屋だ。……あ。そういえば。

 俺は部屋の物置を開ける。そこにはしっかりと花火が置いてあった。

 咲とやるって約束した花火。夢ではあった物置の中に、なんか隙間があるような感覚の正体は、これがなかったことだった。

 罪悪感とか、諦めちゃいたいとか、高校の一年を無駄にしている感覚とかが積み重なった時に、この咲との約束が物体化したものである、この花火を見て、精神の安定を図っていた。

 一年生の時は、何より一日が長く感じるのがつらかった。やることが一つしかないと、一日が長い。時間が長く感じるのは不幸なことだと、少しだけ思う。

 さて……黛の様子も確認できたし、気分でも変えるためと、夢との違いを確かめるために、俺もまた登校するかな……。



 俺はまた電車に乗り、仙川駅に向かっている。

 黛は……咲を救うことを、俺の今のあり方を……間違っている……みたいなことを言っていたよな……。本当に間違っているかは……俺にもわからない……まず、あれは夢だしな。

 今、俺は満たされている。誰かのために行動する。見返りがなくても、俺が傷ついても、それでいいんだ。

 もし間違ってたら、その時考えればいいさ。

 でも、黛は俺に対して羨ましいとも言ってたよな。

 間違ってるって言ってるのに、羨ましいなんて、矛盾しているよなぁ。

 

 

 仙川駅に着いた。よくよく見てみると、やはり夢とはいくつかの店などは変わっていた。

 登校しているわけではないので、ゆっくり何も考えずに学校へ向かう。

 校舎の周りに差し掛かると、向かいからランニングしている男が、手を振りながら歩いてきた。

「やあ~進じゃないか~」

「何してんだこんなほっそい道走って」

 今、目の前にいる少し髪の長い前髪を、二つに分けているのこの男は深瀬。

 お互い同じクラスで、文化祭の準備の時にお互いバスケの経験があり、高校バスケの話で盛り上がったことが理由で、打ち解けた仲なのだ。

 実はあまり主張しないが、深瀬は生徒会副会長である。この前の生徒会選挙で、会長から、直々に副会長に推薦された、結構信頼の置けるやつなのだ。少しゆるいやつだけど。

「生徒会の業務を終わらせてから部活だったから遅れちゃってさ。遅めのアップしてんの」

「そうか~」

「でさでさ、黛くん、今からでも第二庶務に入ってくれないかみたいな話、言ってくれてる?」

「あ……悪い、きっちり断られてるんだ」

「あ~まじか~。会長が『私の任期が終わる日まで黛を誘い続ける』ってずっと言っててさ。あいつ頑固だからな~」

 というわけで黛は、高梨高校生徒会長に、生徒会に勧誘されているらしい。

 まあ、いい人選だとは思う。黛にできないことのほうが少ないだろうし、しっかりしているしな。

 ただ、あの生徒会長についていくのは大変そうだ。才色兼備で、とてもきれいな人なのだが、性格が少しズバズバいうタイプの人だと聞いている。

「まあ、少しでも気が変わったようだったら教えてよ」

「ああ。任せとけ」

「じゃ、俺はアップ続けるから。進も気が向いたらバスケ部来なよ~歓迎するよ~」

「おう。がんばれな~」

 深瀬はそのまま、足早にランニングを再開した。

 

 学校の前に着くと、俺は校舎に入る。

 そのまま昇降口の前をスルーし、校庭をちらっと覗く。野球部が練習しているようだった。

 いったんスルーした昇降口に入り、なんとなく自分の教室に向かう。

 いつも通りの教室だ。良かった。よくわからん机の落書きも残っている。

 体育館から声がしたので、体育館に向かうと、チア部が練習しているようだった。

 未来は……少し見た感じだといないようだ。

 練習していると思ったんだけどな。

 体育館から離れて、次はどこに行こうかと考えていると、そこでふと、俺は腹が減っていることに気がついた。

 飯でも食いに行くか……。


 校舎から出ようと、昇降口に向かうと、そこには弥生の姿があった。

「よ、弥生」

「あら、あなたも補助授業に参加してるの?」

「へ~補助授業なんてあんのか」

「そうよ、私みたいに真面目な子たちは受けてたわ」

 弥生は、靴を履きながら話している。

 俺も靴を履きながら話す。

「真面目ね……いいじゃん」

「バカにしてる?」

「ちげえよ! なんですぐそうやって捉えるんだ! ったく……そんで? ためになったの?」

「実はその補助授業の内容を見てなかったのよ。ちなみにその内容は難関大学を目指している人向けの授業だったから、一つもわからなかったわ」

「だめじゃねえか! やっぱりバカにしていいだろそれは! 真面目バカ!」

 弥生は肩を上げながら、やれやれといった感じで話していた。

 最近、気が付いたのだが、弥生は結構抜けている。多分、スマホを探しているくせに、すでに自分の手に持っていた! そういう感じのやつなのだ。

「仕方ないじゃない。補助なんていうから、頭わるわる~みたいな人たちのためのものだと思ったのよ」

「まあそれは確かに……」

「それで? あなたは何でここにいるのよ?」

「ん? まあ、いやーな夢見たから、気分転換でなんとなく」

「あらそう。それは災難ね」

「そんで、今から飯でも食べるつもりだ」

「へえ。なら一緒に食べましょう。私もお腹すいたわ」

「そか。なら一緒に食おう」

 そんな会話をしながら俺たちは、校門から出て、商店街に入り、近くのラーメンチェーン店に入った。


 テーブル席が空いていたので、弥生と対面する感じで座る。

 俺と弥生は、一番人気の醤油ラーメンをお互いに注文し、適当に弥生は口を開いた。

「それで? 変な夢の内容は? 気分転換に来るぐらいだから、それなりのものだったんでしょ?」

 弥生は頬杖を突きながら、ニヤついている。

「まあ、夢で……なんか黛に……叱られたっていうか……何と言いますか……」

「あらそう」

「それで改めて学校とか、自分の人生について考えようかと……」

「真面目じゃない(笑)」

「おい、死ぬほど馬鹿にした顔しながら言うんじゃねえよ」

 弥生の顔は、もうそれはそれは、俺を馬鹿にしている顔そのものだった。

「ごめんなさいね。でも、人生を見直す……それはいいことね。今から私もするわ」

「え? マジかよ」

「マジよ。まあ、ラーメンが来るまでだから、ここ数か月のことに限定するけど」

「まあ、話す内容もないしな。聞いてやるよ」

「助かるわ。何から話そうかしら」

 弥生は少しだけ、窓から見える外を見ながら考えていた。

 相変わらず、横顔は……いや正面から見てもめっちゃ美人なんだが、綺麗である。

「ふふ……私たちの関係……いい感じじゃない?」

「え? なんだ突然」

「いや、文化祭前よりお互いをさらけ出しているって感じ。お互いに傷つけあったこそ、かしらね」

「そうだな。お互いをさらけ出してるってのは、本当だと思うぞ」

「好きな気持ちもなんだか冷めてしまったし、高校生やっている間は彼氏の一人も作れないで終わりそうなのよね~」

「お前作ろうと思えば作れるだろ」

「そうね」

「うわ、即答しやがった」

「実際、結構告白はされるの」

「だろうな……」

 俺はふと、夢の中で、弥生が黛や蜜柑、薫と仲良く歩いているところを見たことを思い出した。

 薫はともかく……黛は恋愛対象にならなかったのだろうか。

「なあ、黛は恋愛対象にならなかったのか? 中学から一緒にいるだろ?」

「ないない。私はもっと、才色兼備文武両道で余裕のある男の人で、お金もあって家柄もよくなきゃ嫌だったの。小さい頃は、だけど。だからないわ」

「すげえ高望みだな……。まあ、黛は割と当てはまってると思うけどな」

 黛は勉強も運動もできるし、見た目もいいと俺は思うのだ。

「致命的に足りないものがあるでしょ」

「何が足りないんだ?」

「余裕よ」

「……黛は余裕あるように見えるけどな」

「私が見るにね、余裕を作ってるの。あの人は。軽めのことなら手を貸したりする。だけど面倒くさいとか、自分じゃ無理だって思ったらすぐに手を引くの。だから友人も、自分からはあんまり作ろうとしないのかもしれないわね。友達が多いと、大変でしょ? 相手から来てくれたり、仲良くしようとしてくれるなら、受け入れはするけどね。それに、裏付けみたいになるけど、黛は中学の頃も、今も部活も委員会にも入ってない。今の今まで、役職ってものについてるところ、見たことないかも。それがなんでかっていうのは、はっきりとはわからない。でも、友人を作らないってことは、関わりとかをできる限り持たないのは、大切な人を作らないため、面倒事を増やさないためだと、私は思ってるの。だって、大切な人を安易に作ると、失った時悲しいでしょ? 黛がそれを一番わかってると思うのよ、私」

 弥生は真剣な顔をしている。

 確かに、大切な人を失う悲しさは……両親を突然失った黛が、一番よく理解しているのかもしれない。

「そうだな」

「でしょ。それでいて、黛は何もかも見えているからこそ、私たちよりも先を見据えているからこそ、予想できる不安や悲しみが多いからこそ、不安や悲しみを生まないために、楽しさを捨てる。そして余裕を作る。それが黛だと思ってる。私から見た黛像はこう。だから黛の事を好きになるなんてむり。もっと全部預けてもいいくらい頼らせてくれないと、私は嫌」

 なんだか腑に落ちた。

 今まで、黛のことは完璧だと思っていたけど、意外とそうでもないのかもしれない。

 何もかも見えているってことは辛いことだ。

 もしかすると、これが起こるかもみたいな事が見えるんだから。

 リスクも見えるのなら、つまらないけど、安全な方向に行く気持ちもよくわかる。

「あ~だから黛は生徒会に入りたがらないんだな」

「え? そうなの?」

「ああ、会長から第二の庶務の席に入らないかって、アタックされ続けてるんだと」

「なるほどね。でも多分、黛は意見を曲げないわよ。頑固だし。あ、頑固なところもだめね。好きにはなれないわ」

 ……あ、そうだ。

 聞いちゃうか、これも。

「じゃあ、俺のこと好きになったのは?」

「え⁈」

 弥生は、俺が確認した中で、一番驚いた様子だった。

 こんなに弥生が、目を見開いて動揺しているところを見るのは初めてだ。

「……それ聞くのね」

「ああ、聞く」

「はあ……あなたがこの条件……というか私も大人に近づいて、そんな完璧な人間はいないって気が付いたのよ。だから私も変わってきたの。色々ね」

 弥生は、コップに入っている水に口を付ける。

「でも、あなたは余裕ないけど、献身的に自分がいくら傷ついても嫌わず、一生懸命なのがいいなって思ったの」

「おお……そうか……なんか照れる」

「はいはい。でも、あんなふうにぐちゃぐちゃになっちゃった。引き金を引いたのは、世間知らずで不器用な私のせい。そのせいであんなふうに拗れた。むちゃくちゃに告白し直して、ぐちゃぐちゃにしちゃったの」

「俺も悪いよ。もっと早く話を聞けばよかった」

「いいのよ。あれはもう、恨みっこなしよ。でもおかげで、薫は未来ちゃんといるし、進とも一旦離れたおかげで、一人の時間が出来て、それで色々考えられた。だから、もう少し薫を見守ってから、自分のことをするって決めたし、その結論に辿り着けた。あなたには悪いけど、あの一件で私は大人になれた気がするわ」

「そうか。そりゃよかった」

「こうやって正面からぶつかってくる人は初めてだから、不安だったけどね」

「蜜柑とかとはケンカしたことないのか?」

「ないない」

「そうか……」

「そうだ。好き繋がりで、あなたに質問したいのだけど」

「どうぞ」

 弥生は水を飲み干した、コップの氷を見つめた。

「貸せよそれ。水入れてやる」

 俺は、弥生に手を差し出して、もう片方の手で、水のピッチャーを持つ。

「あら、助かるわ」

 俺は弥生に水のおかわりを注いでやり、弥生に渡す。

「それで? 質問をどうぞ」

「……えっとね。私は薫を『愛しているのか』『好きなのか』どっちだと思う?」

「え? まあ……どっちもか?」

「うーやっぱりそうなるわよね……じゃあ『愛している』と『好き』の違いってなんだと思う?」

「え? うーん。わからんなあ」

 俺はまだまだ高校生だ。そんなもんわかるわけがない。

「私もわからない。けどね。私はちょっとだけ思うの。例えば、お花が好きなら、買ったり、摘み取って自分のものにするじゃない? でもお花を愛しているなら、毎日お世話をして、水をあげたりすると思うの」

「あ~まあ、納得できるな。あれだ。母からの愛情的な奴な」

「そうそれ。離れて行っても、愛してるなら、別に大丈夫みたいなね。だからこそ気になるの。私が薫を愛しているのか。好きなのか」

 弥生は、またコップに入っている水を飲む。

 そしてその後、グラスを置こうとする手には力が入っていた。

「もし好きなら……自分のものにしたいと思ってしまうなら……それは抑えないといけないわ……」

「そうだな……」

 ……。

「辛いか?」

「まあ少し」

「……元気出せよ」

「元気出すわよ。ちょっと悩んでるから、安心して」

 弥生は少し笑いながら答えた。


「あ、そう。期末テスト終わったら、修学旅行よね?」

 弥生はラーメンを食べ終えると話を振ってきた。

「そうだな~。色恋沙汰とかあんのかな……」

「そうね。しかも荒々しいことが起きそうな気がするわ。特に黛と若葉ちゃんの関係を応援している蜜柑を見ていると、なんだかそろそろ一悶着起きそうな気がするのよ」

「それはまた。なんでだ?」

「さっきも似たようなこと言ったけど、離れていったり、失って初めて気がつくでしょ? 大切なものって。必要なものって。私だって薫と未来ちゃんをくっつけた時、そう感じたわ。薫と話したり、いじったりして困らせたり、隣でぎこちなく微笑んだりしてくれるのが、どんなに私にとって、大切だったかって気がついた。形は違うけど、薫に頼っていた、というか支えられていたのに気がついたの。私は、もうそれなりに吹っ切れたからいいけど、蜜柑はまだ吹っ切れてない。それに、昔から私が薫に支えられている以上に、蜜柑は黛に頼りっきりだと思うのよ。だから、そろそろ蜜柑が……壊れるかもしれないし……蜜柑ちゃんが黛と若葉ちゃんを壊すかもね?」

 弥生は一息で言い切った。

 まためちゃくちゃ真剣な顔をして。

「そんなわけないだろ。蜜柑は若葉を応援している。何ならクラス総出で応援しているだろ。あそこのクラスは」

「だからこそよ。蜜柑が自分で作り上げた、同調圧力に負けているだけかもしれないじゃない」

「……そうかもしれないけど、蜜柑がそういうやつには思えないんだが……」

「あら、最近、黛を独占してるように、私は見えるけどね」

「でもでも、若葉は最近、黛といい感じに見えるけど」

「それは若葉ちゃんの努力じゃない? 蜜柑ちゃん、最近は応援してないように見えるけど? 一時期は、若葉ちゃんにあれやこれやとすごかったけどね。あと蜜柑は意外とわがままだし、子供っぽいわよ? 私と同じで。心当たりないの?」

「心当たり……」

 あ、一回だけある。

 文化祭準備で演劇部の手伝いをしたときに、向いてない! とか言って蜜柑に背景の色塗りを押し付けられたことがあったっけ。

「ある」

「ほらね。だから要注視。後は未来ちゃんね。あと薫もだけど」

「それはまたなんでだ?」

「私ね、未来ちゃんは多分、結構アホだと思ってるの」

「お前が言えた事じゃないけどな。補助授業の内容確認しないのもあれだろ」

「そうね。でも、私は人を見る目だけはあるつもり。それで、未来ちゃんはアホだから、多分気がついてないけど、薫は最近なんだか暗いのよ。未来ちゃんと遊んで帰ってきて〜みたいな話はしてくれるし、その時は元気なのだけど、すぐに元気がなくなるのよね。でも、私は未来ちゃんがアホだからこそ、深く考えずに盲目的に薫のことを思って、薫を受け止められる人だと信用して、薫の背中を押したの。未来ちゃんには失礼だけど、薫のことを深く考えないからこそ、何も考えずに受け止めてくれるってことね。だから大丈夫だとは思うけど……薫が未来ちゃんのためを思って、身を委ねられてないような気もする……もしかすると、蜜柑と若葉ちゃんみたいに、こっちもまた……いやなんでもないわ。忘れて」

 ……言いたいことはわかる。

 薫と未来が、別れるかもしれないということだろう。

「まあ、忘れる振りくらいなら」

「ありがとう。というか聞き上手ね、あなた」

「話のネタ、ないだけなんだけどな」

「そう。でも聞いてくれて助かるわ。でも改めて考えてみると、みんなそれぞれ、お互いにどこか言いたいことを言えないで、勝手に解釈して行動しちゃうところがあるのかもね」

「そうだな」

 確かにそうだ。

 若葉も、蜜柑が本当に黛のことが好きかなんて、本人に聞かずに行動しているし、黛もその若葉を見て、何も態度を変えている様子はない。

 蜜柑に本音を聞けるやつなんて……現状、若葉しかいないからな。

 弥生が今まで話した内容だって、弥生の仮定に過ぎない。

 友達って、意外と本音で話せていないのかもしれない。

 俺と弥生は親友だからこそ、こうやって踏み入った話が出来るのかもしれない。

 ただ……。

「私だって、こんなに信用してるあなたにすら薫のことは、話せていないし」

 そう、薫についての話はしてくれないのだ。

「そう思ってるならいい加減話せよ」

「嫌。今話しても、あなたは薫のためになんでもしてしまいそうだし、きっとまた私はあなたに……叱られるわ」

「……ったく。正面からちゃんと相手しないのは、お前の悪いところだな。人のためーだとかいい子ちゃん演じやがって。演劇部にでも入ってろ」

「あなたもでしょ、いい人を演じてる……いいや、あなたは心の底からお人好しだったわね。失礼」

「なんだお前」

 俺は少し笑いながら話す。

「はいはい。じゃ、そろそろ帰りましょ。美味しかったわ」

「そうだな」

 こうして俺たちはお互いに割り勘で代金を支払い、俺は駅に、弥生は迎えの車が来るらしい大通りに方向へ向かっていった。

 

 

 弥生の予想が、比較的、的を射ていることに、進が、気が付くのは、もう少し先のことです。



 次の登校日の朝。

 俺は普段と同じように登校すると、校門のあたりで、一人で登校している黛を見かけた。

「おはよう」

「ん? ああ、おはよう進」

 黛は、特に何もない考えていないような、穏やかな顔で挨拶をしてくれる。

「若葉も蜜柑も一緒じゃないんだな」

「ん? ああ、さっきまで一緒だったぞ。最近は蜜柑に言われて、一緒に登校しているんだ」

「若葉と一緒に来てるのか?」

「いや蜜柑と。なんか蜜柑がカギ閉め忘れとか、良くしちゃうんですよ~だとか、最近不審者が~とかうるさくてな。さっきまで一緒にいたぞ。先に飲み物を買いに行くんだと」

「そうか」

「というか寒い。早く教室行こうぜ」

「そうだな、テスト結果も発表されるしな」

 そういうと俺たちは校舎の中へと入っていき、別々の下駄箱を開け、また合流し、他愛のない雑談をしながら、別々の教室に向かった。



 昼休み、クラスの知り合いが、みんな何かしらの用事でいなくなっていたので、俺は黛たちのいる教室に向かった。

 教室を覗くと黛が一人で席に座り、何か手に持った紙を見つめていた。

 あれは……テスト結果の紙だろうか。

 俺は黛に歩み寄り、声をかける。

「よお、黛」

「ん? なんだ?」

「暇だったから来た。それ、どうだった」

 俺は、黛が持っているテスト結果の一覧表を指差して言った。

「いや~……ぼくの時代は終わりかな」

 と言いながら、黛は紙をポイっと投げ渡してくる。

「どうせまた一桁……」

「違うんだなそれが」

 俺は、黛が渡してきた紙を見る。

 そこには総合順位五十位、と書かれていた。

「一桁じゃなくても、全然俺よりいいじゃねえか。俺なんて平均ぐらいだぞ」

「こんな順位を取ったのは初めてでな……」

 黛は、俺が持っている紙をぼんやりと眺めながら、少しだけ眉毛を下げた。

「そうか。さぼっちゃったのか?」

「いや、いつも通りやった。だから、今のぼくの限界がこれだよ」

「ならいいんじゃないか?」

「そうかもしれないけどな。なんとなくわかってたけど……ぼくはただ、早熟なだけだったんだろうよ」

「なんだよ突然」

「ぼくは必要とされているのと比べて、ただの一般人だってことだよ」

「……いや、お前はすごい奴だよ。両親が亡くなっても、ここまで頑張ってきたんだろ?」

「そうかもしれないが、そんなこと、誰にだってできる。お前だってそうだろ? 友達に拒絶されても、友達の両親を巻き込んでも、生きてきた。お前にもできるんなら、別になんてこともないことだよ」

 黛は少しだけ苦笑いをしながら、窓の外を見て答えた。

「……別に俺もお前もすごいでいいじゃんか」

「……まあ、それでもいいのかもな」

 俺が言うと、黛は俺を見た。

 すると、急にかわいらしい声をした女の子が黛に声をかけた。

「黛! みてみて!」

 その声の正体は、若葉だった。

 若葉もテスト結果の一覧表の紙を持っていた。

「学年一位! やっと取れたんだ!」

「ええええええ! すげえじゃん」

 若葉は嬉しそうに、テスト結果の紙を広げて、見せてくれる。

 俺はとても驚いていた。

 確かに頭がいいとは思っていたが、ついに学年一位を取るなんてすごい。

「よかったな。若葉。ずっとぼくたちの家で勉強してたし、よく頑張ったね」

「うん!」

 そんな若葉を褒める黛は、どこか少し、あきらめの表情というか何と言いますか、まるで自分にはないものを見るような、欲しいけど高くて買えないものを見るような雰囲気を醸し出していた。



 




 才能も、努力もできる人間には、ぼくみたいな悩みはないだろう。

 中途半端に認められてしまうことが、一番不幸なのだ。

 才能を超える成功をしてしまうのが、一番不幸なのだ。

 期待に応えられないって、なんとなく、察してしまうからです。

 羨ましい話ですが、才能も努力もできる人間には、限界もないのかもしれない。

 ぼくは凡人です。

 努力は少しできます。

 でも凡人です。

 大切な人を増やしたくないのです。

 失うのが怖いからです。

 でも、寂しいのは嫌いです。

 しかも何も決断できません。

 決断は、選ばなかった方を捨てるからです。

 そんなに自分勝手なので、自分でも自分勝手だと、エゴイストだと、そう思うので、人に頼る事なんてしなくないです。

 申し訳ないからです。

 ぼくは凡人です。

 お前が思うほど、ぼくは良くできた人間じゃありません。

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