第15話 覚悟
君たちは、だれか、好きな人がいたことがあるだろうか?
私はある。それも今、好きな人がいる。
そして、その人を見て、自分とは釣り合わない、不幸にしてしまうかもしれないと考えてしまったことはあるだろうか。
昔の文学作品には、身分差のある恋愛を描いた作品が、いくつも書かれている。当時の時代背景を考えると、身分差、というものは恋愛においての壁をつくり、作品の展開を面白くするものと言えるだろう。
その大半は、不幸な終わり方をしているものがほとんど。
しかし、その好きな人のためにならがむしゃらに努力し、釣り合うようになることは罪なのだろうか?
周りを不幸にしてまで、好きになることは罪なのか。
好きなのだから、仕方がない。
私はそう思いたい。
とまあ、真面目にいろいろ考えてはいるんだけど、私、中野若葉は、黛のことが好き。
でも、蜜柑ちゃんや黛の気持ちを無視できるほど、私は優しく……いや、強くない。
もっと強ければ、蜜柑ちゃんの気持ちを無視して、黛の気を引くことだってできるはずだ。
蜜柑ちゃんの気持ちや黛の気持ちを考えたいからこそ、私はここで、黛に一旦気持ちを伝えたい。
……少し強引な気がするけど、黛と蜜柑ちゃんにも、私と向き合ってもらいたい。
もし、蜜柑ちゃんが黛のことを必要としているなら、私は、蜜柑ちゃんと黛をかけて戦うつもり。ちょっと大げさだけど。
そして、最後には黛に決めてもらう。黛を必要としているのは、私と蜜柑ちゃんだから、黛にどっちがいいかを決めてもらいたい。
……正直、黛に選ばれる自信は、今のところはない。
蜜柑ちゃんは明るいし、かわいいし、スタイルもいい。
もし負けたときのことを考えると怖い。
だけど、負けるのが怖くなくなるくらい、私は努力するつもり。
文化祭が終わり、十月。
私は今、片瀬江ノ島駅にいる。
今は、駅前で黛を待っている。
今までは、よいちゃんとか周りの人が手助けしてくれて、途中から黛と二人きりになることはあった。でも、今回は最初から二人きりだから、緊張してるけど……黛は全く気にしないだろうと思っている。
そう考えてからは、あんまり緊張していない。
あ、あの真っ黒に身を包み、前髪で片目を隠し、ゆっくりと歩いてくるのシルエット。
黛だ!
「やあ、若葉」
「こんにちは、黛」
十月の昼下がり。
風が強く、ちょっと肌寒い。
「来たけどさ、それはまあ、ぼくは何もわかんないけど、いいのか? 若葉に任せても」
「あ、うん。若葉に任せて」
今日の大体のスケジュールは、私が決めておいた。
今日は一日中、黛と一緒だ。
「とりあえず、橋まで行って江ノ島まで行こっか。お昼ごはんまだだよね」
「ああ、まだだな」
「じゃあお昼ご飯はそこで食べよう! 食べ歩きでもいい?」
「うん」
「よし、じゃあ行こ!」
私は黛を連れて、江ノ島へ向かった。
楽しいデートに、心を躍らせて。
「あああああああああああ!」
「ああああああああああ!」
今、ここは橋の上。
周りは海。
「ああああああああああ!」
「黛! 大丈夫!?」
「◎△$♪×¥●&%#?!」
風が強すぎて、黛の言葉が全く聞こえない。
黛は、耳に手を当てた。
これは聞こえていないのポーズかな……。
私は、もう一度黛に近づいて、大きな声で話す。
「黛! 大丈夫⁉」
すると黛は、もっと距離を詰めてきた。
ちょっと近くて、ドキドキする。
でも髪はぼさぼさだし、風でぐちゃぐちゃだし、お出かけ始めがこんなんでいいのかなあ……。
「大丈夫だ! いいから早く渡ろう!」
「うん!」
私たちは、橋を渡りきった。
だけど、髪はくしゃくしゃだし、ぼさぼさだし見てほしくない……。
トイレ入って整えてこようかな……。
「あはは、強風、楽しかったな」
「え?」
黛は、ぼさぼさになった前髪を整えながら言った。
「ぼく、あんまり外に出て遊ぶなんてあんまりしないし、オタク的なイベントには行くけど、観光目的で外に出るなんて久々だから、なんだか新鮮なんだ」
「……そっか」
楽しんでいる黛を見ていると、少しの容姿の乱れとか気にならなくなってきた。
「あ、みて黛! しらすせんべいあるよ! あれ食べたい!」
「ぼくも食べたいな。いこうか」
「うん!」
私たちは、橋を登り切った地点から、少し進んだところにあるせんべい屋さんに向かった。
「いらっしゃい」
店員をやっているおばさんが、にこにこしながら接客をしてくれる。
「普通のしらすせんべいでいいよね?」
私は黛に、店頭に貼られているメニューを指差しながら尋ねた。
「ああ」
「じゃあしらすせんべい二枚ください!」
「あ、いいのか若葉? もっと食べなくて」
「え?」
まあ確かに、私はとっても燃費が悪い。すごく食べるし、すぐお腹が減る。
でも黛の前でばかばか食べるのは……ちょっと気が引ける。
「……」
考えていると、黛は少しにこっとした。
「別にいっぱい食べてもいいんだぞ。というか、小食を装っても無駄無駄。若葉はたくさん食べることくらい知ってるぞ」
「……うう……じゃあ十枚ください。追加で……」
黛は相変わらず、細かいところに気が回る。
こういう気が使えるところにも、たまに意地悪してくるところにも、私は惚れたんだな~って、改めて思う。
「はいよ!」
店員のおばさんは、慣れた手つきでせんべいを袋に詰めていく。
「はい! 口の中がケガしないように食べるんだよ」
「ありがとうございます」
黛は、店員のおばさんから袋を受け取った。
「うん! おいしい!」
「おいしいな」
しらすせんべいは小魚の匂いが口の中で程よく広がって、おいしかった。
たれもいい感じについている。
「若葉は友達増えたか?」
「うん。一年生のころに比べると増えたよ」
「そうだよな。部活もバイトもやってるもんな」
「黛は部活もバイトもしてないのに、よく友達出来るよね」
私たちは、坂をずんずん上り、岩屋洞窟を目指している。
黛と世間話をしているだけで幸せだ。
黛の動いている口、目の動き、笑い方。いろんなところを見ているだけで幸せだ。
「そうだな。どちらかというと趣味の繋がりだな。ほら、同族を見つけるためにバックとか筆箱とかに缶バッジ付けたりするだろ? オタクは」
「めっちゃする」
「そんなんで友達出来るから、オタクは不思議だよな」
黛に関しては顔面パワーもあると思うけど……。
えへへ。
そんな世間話をしながら、私たちは進んでいく。
洞窟には、いったん江ノ島の頂上まで登る必要がある。
なので、結構な坂が続く。
景色は木々や、その木々の隙間から湘南の海が見える。
ウインドサーフィンをしている人や、砂浜を歩いている人もいるようだ。
そして少し進んでいくと、エスカレーターがあった。
これは江ノ島エスカーといって、有料のエスカレーター。
使わなくてもいけるけど、疲れた場合は使う人や、楽をしたいなら使う感じのエスカレーターだ。
「黛どうする? エスカレーター使う?」
「いや、まだいいかな。確かにぼくは運動不足だけど、まだいけるぞ」
「そっか。じゃあこっちの階段だね」
私たちは、さらに洞窟へと歩みを進めていった。
洞窟まで、もう少しであと半分となったところで、縁結びで有名な八坂神社が見えてきた。
ここにはむすびの樹というものがあって、私は是非ともそこに黛と行きたかった……のだけど、いざ目の前にすると言い出すのが恥ずかしい。
よく考えると、黛が絵馬に私の名前を書くとは限らないし、もしかすると蜜柑ちゃんの名前を書くかも……。
なんだか怖くなってきた。
それでも、私はむすびの樹に足を運びたい!
でも怖い! どうしよう!
そんなことを考えながら、私は気がつくと、八坂神社の前で止まっていた。
「若葉、どうした?」
黛は私を、少し下から覗き込むように尋ねてきた。
……ああ、かっこいい。
じゃなくて、なんとかして行きたいってことを伝えないと……。
「あのね黛、あれ……」
「あれ?」
私は頑張って、八坂神社に向かって指を指す。
「……」
黛を見ると、私が指差した先を見た後、少し周りを見回して、それからニヤッとした。
大抵、黛が少しニヤッとするときは、何かに気がついたときだ。
「いいぞ、行こうか。ぼくはよくわからないけど」
「! ありがとう!」
私と黛は、巫女さんから絵馬をもらい、近くにある机でペンを借りた。
私は何を書くか、悩んでいたが、「黛と付き合えますように」なんて、書けるわけはなかった。
だって、隣にいるもんね。
ばれたら、やばい重い女って思われるし。
結局、「私が大好きな人と一緒になれますように」と書いた。
めっちゃ普通。
「私は書けたけど、黛は書けた?」
「ああ、書けたぞ。若葉はどんなのを書いたんだ?」
「はい。これ」
黛は、私が書いた絵馬を見た。
「ふーん。めっちゃ普通だな」
「え、うん……」
「でも、きちんと素直に恥ずかしがらずに書けるのは、若葉のいいところだな」
「……うん」
黛はいつもそうだ。
ちょっとけなしたり、あれ? 機嫌損ねちゃったかな? って思うような言動を取ったとしても、黛は褒めるところをひねり出して褒めてくれる。
甘い言葉をかけてくれるんだ。
この温度差が、ギャップに、優しさに、私は惚れたのだ。
悪く言えば、突き放すこと覚悟で悪いことを、悪いとは言えないということになるけど、そこもまたいいのだ。
私は穏やかに、黛との会話を続ける。
「黛はどんな絵馬を書いたの?」
「ああ、これだ!」
黛が見せてくれた絵馬には、「ウラド・バーガンディーと添い遂げられますように」と書かれていた。
ウラド・バーガンディーとは、南方プロジェクトのキャラクターであり、カリスマのある、吸血鬼のキャラクターである。
確か、黛の部屋に入った時に、机の上にあるマウスパットやら、パソコンの壁紙やらが彼女のものだった。
棚の上には、確かアクスタも飾ってあった。
相変わらず黛は、どうしようもないくらいにオタクだ。
でも私もそうだし、そこも好きなんだけどね。
「……はあ……黛は相変わらず、二次元に恋してるよね」
「ああ、小さいころからずっとウラドを愛している。小学校のころの七夕の短冊にも、同じようなことを書いた覚えがあるぞ」
「うわあ……」
「いくら言われようとも、ぼくはもう後戻りはできない」
「あはは、そっか」
唯一の救いが、ウラドちゃんは、どちらかというと幼い見た目をしているということだ。
私は身長が低いから、黛の好みには合っていそうな気がしている。
「でも、黛はぶれなくていいよね」
「変化するのが、嫌なだけなんだけどな。さ、絵馬かけに行こう」
「うん」
その後、私たちは絵馬をかけ、また洞窟に向けて、歩みを進めるのであった。
その後、階段を登り切り、洞窟までの道のりは、あと少しで終わりといったところだろうか。
私は黛を見ると、かなり疲れているように見えた。
「黛? 疲れてる?」
「ああ……引きこもり帰宅部。疲れています」
「そっか……えっと……」
私は、休憩できるところはないかと、あたりを見回す。
すると、すぐ目線の先に、茶屋があることに気が付いた。
白玉小豆の看板が、こぢんまりと立てられていて、人も多くなく入りやすそうだ。
足を止めて、茶屋を見ていると、店の前にいるお姉さんがこちらに気が付いた。
すると、お姉さんがニコニコしながら、私たちに手招きをし始めた。
これは恐らく、黛が疲れている様子を見て、気を使っていてくれているのだろう。
「黛! ほら、お姉さんがこっちおいでしてくれてるよ。休憩しよ? ね?」
黛に提案すると、元気な私を見て、休憩することに少し負い目を感じているのか、眉毛を少しハの字にした。
黛は、恐らく他人に迷惑をかけるのが、嫌いだ。
進ほどではないけど、黛は人を助けることをよくしているが、自分が助けられるのは嫌がるのだ。理由は知らない。
私は、誰よりも……蜜柑ちゃんとかよりは見てないかもしれないけど、黛を見ている自信がある。
だからなんとなく、そう思っている。
「私も疲れちゃったから、ね?」
「……そうだな。そうしよう。ありがとうな気を使ってくれて」
「ううん。いいの」
だから黛にはこうやって、「私も疲れてるから」みたいに目線を合わせてあげるといいはずなんだ。気を使われることが、迷惑じゃないことを伝えてあげればいいんだ。
私は別に、黛に守られたいなんて思ってない。
お互いに支え合えればいいと思っているし、別に黛がダメ人間になろうが、多分私は変わらず、黛のことが好きだろう。
それにいつか、私が大きく強くなったとしても、黛がダメになろうとも、黛は、私を見て追いついてくれるはずだから。
「じゃあ、いこ。黛」
「うん」
こうして私たちは、茶屋で甘味を補給し、元気をためることに成功した。
ついに私たちは洞窟の前にある、海岸線ギリギリに建てられた橋の入り口にたどり着いた。
洞窟には入れる人数に制限があり、橋の上では列が作られている。
江ノ島は、鎌倉という観光地が近くにある。
鎌倉では梅雨になると紫陽花がとてもきれいで、その足で江ノ島に来る人たちが多かったりするため、長期休みと梅雨の時期に、江ノ島は混雑していることが多いそうだ。
今は、十月なので、あまり並んでいる人はいない。
並んでいる最中は、橋から見える海の写真を撮ったり、秋に放映されるアニメで気になっているものについて話したりした。
吹奏楽部が活躍するアニメや、ファミレスで働く日常系アニメ、大人気感動系妖怪友人系アニメの五期など、今期は全体的には見るものは少ないが、楽しみにしているもの自体は多く、黛と話す話題には困らなかった。
十五分ほどで洞窟に案内され、入場料を払い、中に入る。
入り口付近は整備されており、江ノ島についてのお話が洞窟内の壁に描かれていた。
私はあまり興味がなかったけど、黛は興味深く壁に描かれている話を読み込んでいた。
やっぱり男の子は、こういうのが好きなのかな。
そのまま順路に沿って進んでいくと、比較的整備されていない洞窟の奥である。
少し、いやかなり天井が低く、少し油断していると、頭をぶつけてしまうだろう。
黛も少しかがんでいるし、ちょうど帰ってくる背の高い海外の観光客は、かなり窮屈そうにしていた。
しかし、私、中野若葉は、身長が150センチなので、むしろ少し安心するほどだった。なんか、体がぎりぎり入る、狭いところって安心するよね。
ただ、さらに奥に行くと、もっと天井が低くなっていて、私でも屈むくらいの高さだった。
最深部には、小さい鳥居があった。
いったん引き返し、第二岩屋に向かう。さっきまでいた洞窟は、第一岩屋というらしい。もっと調べてくればよかったかも。
第二岩屋は、天井が低いということはなく、するすると進むことが出来た。
さらに奥に進むと、ドラゴンの像があった。
竜神伝説というものがある、ということぐらいしか知らなかったし、黛も詳しいわけではなさそうだった。しかし、前にいる観光客がしっかりと礼拝するような動作をしていたため、なんとなく、黛と礼拝することにした。
「なあ、礼拝するとき何考えてた?」
礼拝した後、洞窟の出口に向かっている最中、黛が訪ねてきた。
「え? まあ、礼拝しなきゃって考えてた」
「だよな」
「むしろ空気を読む方に必死だったよ、私」
「あれだよな。身の丈に合ってないことっていうか、ほかの人の真似とか空気を読むって意外と必死になるよな」
「わかるー。エネルギー使うよね」
「条約改正に必死だった日本人は、多分こんな感じだったんだろうな。西洋の文化システムに合わせるためにあれやこれやと……」
身の丈に合ってないことか……。
私が好きになったのは、私と趣味や考え方が似ている黛だったからよかったけど、もしめっちゃスポーツとかアウトドアとかラップとか好き! って人だったら、合わせるために、かなりエネルギー使いそうだなー。
「ねえねえ、黛は疲れることってしたくない?」
「したくない」
「うわ、即答」
思ったより即答だった。
「疲れることっていうか、親切にされたり、人に何かされるのは、基本的にはいやなんだ。お返しをしないといけないだろ? ぼくはそれにエネルギーを思ったより使うんだ。そういうことはぼくにとって、疲れることなんだ。ほら、こんな風に、ぼくって自分勝手だからさ、それなのに人に親切にされたりとか、ガラじゃないんだよ」
「え? じゃあ今日お出かけに誘ったのは……」
じゃあ、こうやってデート……ではなく、お出かけに誘うのはいけなかったってコト?
プレミした?
「ああ、別に自然に遊びに誘ってくれたりするのはいいんだ。誘ってくれてるわけだしな」
「あ、ああ! そっか!」
ああ。よかった。
「あとは、親切にされること以外だと、人に怒ったりとかはしたくないかな」
「え? なんでなんで?」
「まあ……例えば、ぼくがもし若葉に怒ったりしたら、ぼくのこと嫌いになっちゃうかもしれないだろ?」
「え? それはないけど……全然好きだし……」
「え?」
「え?」
……? 私なにか変なこと言ったかな?
うーん。私のログには、何もないな。
黛はきょとんとしている。
「まあ、とにかく嫌われたくないから、ぼくから何か、ぼくを嫌いになりそうなことはしないってこと。あと親切にされるのも、お返しをしないといけない気がして嫌ってこと。もし良かれと思って返した恩が、その人にとっては仇だったりしたら、嫌われるしな」
「へー……」
……黛は、結構友達がいるって思ってたけど、とにかく人に嫌われることを怖がってるんだ……。
いつも余裕そうに振る舞っているから、少し意外だったかもしれない。とにかくやっぱり黛は、人に親切にされることがあんまり好きじゃないことが知れてよかった。
私たちは、洞窟を出た。
洞窟から出ると、波が強くなっているようで、橋の真ん中あたりが濡れていた。恐らく、海水が波になってここまで届いたのだろう。波が届くためか、洞窟に入るための順番待ちの列が、橋の真ん中で切られていた。濡れないように配慮しているのかな?
「あそこらへん濡れてるな」
「そうだね」
黛も、橋が濡れていることに気が付いたようだった。
「濡れないように早く渡っちゃおうか——」
波が来る前に早く渡ろう、そう伝えようとしたとき。
ばっしゃーん。
と大きな音がしたと思った次の瞬間、私たちは不運にも、高波のしぶきを盛大に浴びた。
「……」
「……」
橋の上の強風は楽しんでいた黛も、これにはさすがにだんまりである。
気分はシャチのショーの最前列! というわけにはいかないのだ。
だってべたべただし、しょっぱいし、仕方ないね。
「……どうしよっか、黛」
「ああ……」
服もびしょびしょなのでもちろん寒い。
帰り道で風邪をひいてしまうかもしれない。
「ねえ! 大丈夫かい?」
突然、懐かしい気持ちになる女の人の声が聞こえた。
聞こえた方向に顔を向けると、いかにも地元の人、という感じのお姉さんが心配そうな表情で立っていた。
「ええ、まあびしょびしょですけど……」
黛は、元気なさそうに答えた。
「そうでしょそうでしょ! 見ちゃったもん。ばっしゃーんって」
お姉さんは近寄ってきて、ハンカチで私たちの顔を拭いてくれる。
「私、ここを戻った先でお店やってるの。服とかシャワーとか貸してあげるから、よかったら来ない?」
「え? いいんですか?」
こんなに都合のいいことはないと思った。
ありがたく、その提案を受け入れようそうしよう!
「いえ、申し訳ないですが、大丈夫です」
「え?」
「え?」
私とお姉さんは黛の発言に驚く。
黛から信じられない言葉が発せられた。しかも割と無表情だ。
「いやいや、少年よ、このままじゃ風邪を……」
「そうかもしれませんけど……申し訳なくて……」
お姉さんは腰に手を当てながら、困った表情をしながら黛に話す。
……そっか。
黛は、さっきも人に親切にされるのがいやって言ってたっけ。
確かに、服を借りたとして、私たちが返せるものなんてないかもしれない。
でもこのままだと風邪をひいてしまうかもしれないし、それに黛には少しくらい人を頼ってもらわないと、もし私が、黛に何か親切にしようとしたときに断られてしまうかもしれない。
それにまた別の人に親切にしてもらったときに、今の雰囲気みたいに気まずい感じになってしまうかもしれない。
なら、ここは私が黛を何とか言いくるめよう。
「黛」
「ああ、なんだ?」
「黛はいいかもしれないけどね、私もびしゃびしゃなの」
「あ……」
「わかった? 黛の人に迷惑をかけたくないって考えは好きだけど、こうやって助けてくれようとしてるし、ここで断ったら私も黛も風邪ひいちゃうよ?」
「むう……」
黛は、意外と頑固である。
普段ゆったりしてるくせに、無駄に自分の意思は固いのだ。
ちょっとむかむかしてきた。
「ああ、もう! 黛は人を頼ること覚えて! 若葉怒るよ! 狭い橋でこうやって立ち止まってるだけでも、他の人に迷惑なんだから!」
「ああ、うん……すまん……」
黛は驚いたようにしたあと、なんだか小さくなってしまった。
周りを見渡すと少しざわざわしていた。「彼氏くん怒られてる」とかなんとか聞こえる。
あ、ちょっとやりすぎてしまったかも……。
「あ、えっと……黛……? ごめんね?」
「いや、ぼくが頑固なのが悪かった」
黛は、私に少し頭を下げた。
そのまま、黛はお姉さんの方に向き直る。
「お姉さん。すみません。少し時間を取らせてしまって……」
「え? いいのいいの! で? 来るんだね?」
「はい。お世話になります」
黛は、お姉さんにも深々と頭を下げた。
「よしよし! よかったね、お嬢さん」
「うん! じゃなくてはい! お世話になります!」
こうして私たちは、お姉さんのお店でお世話になることになった。
私たちは、お姉さんのお店でシャワーを浴びた。
……もちろんバラバラにだよ? 一緒に入りたかったけどね?
お姉さんの話によると、結構私たちのようにびしゃびしゃになる人たちが多いらしい。
そんな人たちをよく助けているそうだ。
お姉さんのお店は、お土産屋さんのようで、江ノ島に由来したお土産がいろいろ置いてあった。
シャワーからあがると、私は置いておいた着替えを着た。
なんと、タンクトップタイプの下着まで置いてあった。よくびしゃびしゃな人たちを助けてるって言ってたけど、ここまで手厚いと、さすがに申し訳なくなる。
というか貸すための服とはいえ、めっちゃセンスある。
秋でもこれ一枚でいい、白のちょっと大人っぽい長そでワンピース。私だとここまで大人びたものは買わないし、買えないなあ……。
ちょっと鏡の前でポーズを取ってしまう。
いや、本当に着ていいのこれ。
……黛に強く、あんな風に言ったのを後悔しそうなので、感謝の気持ちだけ忘れずに、申し訳なさ忘れない程度にはちょびっとだけ。助けてくれることは当たり前じゃないからね。
そのまま、お店の二階にあるお姉さんの家族の部屋らしきところに向かった。しっかり畳だ。
黛は、先にシャワーを譲ってくれたのだが、なぜかさっぱりした様子で、先に味噌汁を飲んでいるようだった。
「あれ黛、シャワー浴びたの?」
「ああ、隣の料亭の人が風呂入る順番待ってたら、風邪ひくからうちのを使えってな。断るわけにもいかないだろ?」
「そっか、よかったね」
「うん」
黛は、なんだか嬉しそうだった。
「あらお嬢さん、お湯加減は平気だった?」
「はい! 大丈夫です! 服まで借りちゃって……ありがとうございました! こんなにかわいい服……もったいないです」
「ふふ、いいのよ。なんならあげちゃう。いいわよ持って行って。二人の服、もう出ていった、娘の服だし」
「え?」
黛は結構驚いていた。多分、普通にお嫁さんに行っただけだと思うけどね。言い方的に。
黛は、いろいろ考えられるから、複雑に捉えてしまったんだろう。
「ああ、出ていったってあれよ? ふつうに結婚したのよ?」
「ああ、なんだ良かったです……」
黛は、ほっとした表情で、息を吐いた。
私は、ちょっと黛を見て、笑う。
「ということだから、二人とも着ていっちゃって。おばさんこんな服はもう着れないの。着やせする服しか着れないからさ」
「じゃあ、遠慮なくもらっちゃいます! 何から何までありがとうございます!」
「じゃあ、ぼくもありがたくもらいます。ホント、何から何まですみません!」
私たちは改めて、お姉さんの頭を下げた。
「いいのいいの! 似合ってるよ二人とも! あ、そうだ。お嬢さんにもお味噌汁。出しますわね! あったまるよー」
「わーい! いただきます!」
お姉さんの味噌汁にはシラスが入っていて、塩味がとても効いていておいしかった。
お姉さんは店番があるそうで、下の階に行ってしまった。
好きなタイミングで帰っていいらしいので、すこし休んでいくことにした。
黛と畳の上に、机を挟んで座っている。
「……」
黛は、自分の服をまじまじと見る。
黒のジーンズに白のTシャツ。
「どうしたの?」
「いや、これ娘のって言ってたよな」
「うん、そうだね」
「そうだよな……筋トレでもしようかな……」
黛、もしかして、女性用の服がめっちゃぴったりなのを気にしてる?
「ああ、えっと別に黛くらいの大きさの男の子もいいと思うよ! うんうん!」
「そうか……」
黛は、服を見るのをやめて、畳に横になった。
「若葉」
「うん? なにかな?」
黛は、天井を見たまま話し始めた。
「ぼく、若葉に怒られただろ? さっき」
「え! いや怒ってるとかそんなんじゃ……」
「いや、怒ってたね」
「はい……怒ってました……なんだこの頑固黛って思ってました……」
私がそう言うと、黛は少し笑った。
苦笑いって感じの笑い方だった。
「だよな。いやなんというかさ、ちょっとだけ、母さんに怒られたらこんな感じなんだろうなって思ってな」
「え? 怒られたことないの?」
「もし今まで生きてたら、そりゃ怒られてたかもしれないけど」
「あ、なんかごめんすみません私はしらすです……」
「はは、ちょっと意地悪しただけだ。気にしないで。んで、まず放任みたいなもんだったから。まあ、話とかはよくしてたけど、ぼくが一人でいるのが好きってのもあって、放任してくれてた。息子公認、放任主義ってやつだ」
黛は、そう言いながら起き上がった。
「だからなんか……怒られて、嬉しかった。母さんに怒られてるみたいで」
「……M?」
「かもしれん」
「マジかよ……」
黛は私の目を見て、口元だけほんのり笑いながら話している。
「まあとにかく、若葉が母さんみたいに見えて、なんか懐かしかったってことだ。なんていうか、無償の愛情みたいなものを感じた。本当にぼくのことを考えて言ってくれてるんだって思ったさ」
……これは憶測かもしれない。
黛は、両親から愛されてはいたのだろう。ただほかの人より、ほっとかれていただけで、本人もそれを良しとしていた。
でもやはり、早くに両親を失ったのは事実。
母や父というものは、基本的に見返りも求めず、愛してくれるものである。親切にしてくれるものである。もちろん見返りなんて求めずに親切にしたり、お人よしだったりする人もいるだろうが、両親というのは、無性に愛してくれるということに関して、代表的な例に該当すると考えていいだろう。
もしかすると……黛の見返りをしないといけないから、親切にされたくないっていうのは、そういう両親からの無償の愛を、返済不要な愛を、十分に受け取れていないからかもしれない。無償の愛を受け取ったことがないからこそ、何かを返さないといけないと思ってしまっているのかもしれない。
まあ、本人にこの憶測を伝えると、「そんなことはない!」って怒られてしまいそうだし、そんな無責任で失礼な憶測はよくないかもしれない。いや、よくないことだ。
あと、返済不要とは言ったけど、親孝行とかもあるしね。
それに、もしかすると親から𠮟られたことも、黛はないのかもしれない。
だから、叱り方とかも、わからないのかもね。
「黛が良ければなんだけどさ」
「うん」
「私で良ければ、いつでも頼ってくれていいよ」
「……ああ。出来るだけそうするよ」
黛は、穏やかな表情で答えた。
いつもの余裕そうな黛だ。
「若葉もできたら、ぼくを怒ってくれ」
「え! ……M?」
「かもしれんなあ」
とんでもなく真面目な顔で、黛は答えたので……。
「……あはは」
「あはは!」
私たちは、なんだかおかしくなって、少しの間笑いあっていた。
私たちは、お姉さんへのお返しとして、お土産をいくつか買った。
お店を出る前に、お姉さんにお礼を言って、帰りにイルミネーションを見るためにサルエム・コッキング苑に向かった。
中に入る前からイルミネーションがちらついており、シーキャンドルと言われている展望台は、外から見えている状態でもきれいだった。
特に待つことなく、中に入ることが出来た。花畑にイルミネーションが映って、光っているように見えるのは、とても幻想的だった。
私が写真を撮っている間、黛は、特に何も興奮することなく、ぼんやりとイルミネーションを眺めているようだった。
「黛は写真撮らないの?」
私は、黛に尋ねた。
「ああ、あんまりこういうものの良さがわからないんだよな。インドアだから」
黛は、少しだけ微笑みながら答えていたような気がした。まあ、別にめんどくさいとか、楽しんでないとかではなさそうだ。
「そっか……」
「ああでも……」
黛は、そういうとポケットからスマホを取り出し、私に向けた。
「はいチーズ」
「え? あ、うん」
私は、その場でなんとなくポーズを取った。
「イルミネーションには興味ないけど、若葉が楽しんでいるなら、それでいいよ」
黛はそう言うと、こちらに近寄ってきて、撮ってくれた写真を見せてくれた。
左奥にはライトアップされているシーキャンドル。左の背景にはイルミネーションに照らされた花畑。そして右側には私が映っていた。結構盛れてるような気がする。
「……あ、ありがと……」
「いえいえ」
……というかなんですか、今のイケメンムーブ。
もしかして、私のことがほんとに好きに……いやいや、黛は意外と人の機嫌を取るためにそういうことをするから……そんなことは……。
「若葉? どうした?」
「え? ああ、いやなんでもないよぉ」
顔がにやけて、力が抜けているせいか、変な声が出てしまう。
「どうする? もう帰るか? 若葉は割とここから家遠いだろうし」
「えっと……」
まあ、もうちょっと見ていきたい気もするし、ここは少しわがままを言っちゃおうかな。
「いや、もう少しここで一緒にいたい。だめかな?」
「え? ああ、まあ……うん、若葉がそう言うなら……いいけどさ」
黛は、なぜか私から目線を、首をくるっと回して大きく外してしまった。
「もうちょっと奥まで行ってみていい?」
「ああ、行ってみようか」
そうして私たちは、イルミネーションを楽しんだ。
すっかり暗くなり、江ノ島駅に帰るために、私たちは行きにも渡った橋を歩いている。
行きとは違い、風は穏やかで、とても気持ちがよかった。
そして帰りは江ノ島駅から、藤沢駅までは江ノ電だ。
電車の中では今日買ったお土産の話とか、今日私がとった写真とかを見せて盛り上がった。もちろんマナーを守りながらね。
そして藤沢駅に着く。ここで黛とは、別の電車に乗ることになる。
周りには、結構多くの人がいた。駅のホームから、それぞれ乗り換えのために一旦改札に向かう。
「ちょっと待って黛」
私は、黛を引き留める。
私はまだ、今日の目的のすべて達成してはいないのだ。
私の気持ちを一旦伝える。そして、改めて私のことを、蜜柑ちゃんのことを、黛に考えてもらいたいのだ。
「なんだ? 忘れ物でもしたのか?」
「……まあそんなところ」
周りの人は改札から出てしまい、もうホームに残っているのは、私と黛だけだった。
緊張する。
ここで勢い余って告白してしまうと、蜜柑ちゃんと黛と私の関係が壊れてしまう。
私だけ抜け駆けなんて、そんなのは絶対に嫌だ。私が耐えられない。
そうなったら私は一生、夏目漱石の「こころ」の「先生」のように、罪の意識を背負ったまま、苦しみながら生きていくことになるだろう。
さあ、勇気を出して。深呼吸。
「黛」
「なにかな」
「私ね。黛のことが好きなの」
「……」
「もちろん、異性として。ラブってコト」
「……ああ、そうか」
黛はちょっと照れてるようだった。良かった、なんか冗談半分に捉えられなくて。
「若葉」
「ああ、待って!」
「ええ! なんでだ! 普通返答するだろう!」
黛は、珍しく焦っていた。
「違うの! 焦らないで!」
「焦ってるのはどっちだ! いやどっちもだろ!」
「いや、私は冷静だよ」
「えぇ……そうか……でなんだよ」
黛は、少し落ち着いてから、私に話を進めるように言ってきた。
「改めて、私の気持ちをはっきり伝えたうえで、黛にはね、いろいろ考えてもらいたいんだ」
「なんだそ……いや、まあいい、続けてくれ」
「蜜柑ちゃん、いるじゃん」
「そうだな」
「私はね。蜜柑ちゃんがいたから、こうやって黛とお出かけするところまで来られたの」
私は言葉を間違えないように、気を付けながらゆっくり話す。
でも、不思議とすらすらと言葉が出てきた。だって何度も考えていたことだもん。
「そんな中、蜜柑ちゃんと黛を見てるとね、蜜柑ちゃんって、私のために黛と私をくっつけるように手助けしてくれていたけど、蜜柑ちゃんも黛のことが必要なんじゃないかって思ったの。要するに、蜜柑ちゃんも実は、黛のことが好きなんじゃないかってね。それで、クラスの雰囲気も、あんな感じだから、言い出せてないんじゃないかって思ったの」
黛が理解しているのかを確かめるように、私は少し間を置いた。
「……なるほどな」
黛は、まるで芥川龍之介のように、顎に手を当てながら、頷いた。
それを見た私は、話を続けた。
「うん。だからね、もし蜜柑ちゃんも黛のことが好きだったとしたら、黛には改めて考えてもらいたいの。黛が、蜜柑ちゃんを必要とするのか、私を必要とするのか。どれくらい時間がかかってもいい」
「ふむふむ……」
「時間をかけるのは、そう簡単に好きっていう気持ちって素直に伝えられないから。今もし、『私は黛のことが好きだけど、蜜柑ちゃんはどう?』なんて、蜜柑ちゃんに聞いても、きっと蜜柑ちゃんは困っちゃうでしょ? きっと素直に『私も好きだから、これからは恋のライバルですね』なんて言えないよ。少なくとも私なら言えない。しかも、それが本音かどうかもわからない」
それに……。
「私は、今まで私に良くしてくれた友達を、傷つけることなんてできないし、ここで抜け駆けして、罪悪感残ったまま、黛と付き合うのは嫌。ここで告白して、もし付き合ったとしても、それはよくないことだよ。だから、とりあえず、私の気持ちは伝えておく。だからもし、蜜柑ちゃんが黛のことが好きだったら、私も黛のことが好きだからこそ、最後は黛に決めてほしいの。私たちのことを、改めて見ててほしいの。まだ、もしかしたらの話だけど、必要としてるのは、黛を取り合ってるのは、私と蜜柑ちゃんなんだから。蜜柑ちゃんが、私と黛の関係を応援してたとしても、応援しているうちに、黛のことがやっぱり好きだって思ってるかもしれないでしょ? いや、蜜柑ちゃんが応援してる側なら譲るべきだ、とかなんて嫌。正々堂々、私はやりたいの」
私は、気が付くと、結構情熱的に、身振り手振りを付けて話していた。
でも、言いたいことは全部言えたかな……。
黛は、私が話を終えたのを察すると、また顎に手を当てた。
「つまり、若葉はぼくのことが好き。蜜柑の本心はわからないけど、なんとなく蜜柑もぼくのことが好きだと、若葉は考えてる。だから気持ちは伝えておくけど、その蜜柑の本心がわかるまでは、若葉はぼくと付き合うつもりはない。もし蜜柑がぼくのことが好きだったとしたら、蜜柑と若葉で正々堂々、ぼくの取り合いをする。それで最後は、ぼくがどっちかを選ぶってことだな?」
「うん。その通り。というか長々言ってたけど、その要約で私の気持ち表現できてるし……」
絶対小説の要約とか、得意なタイプだ。
「オッケーわかった。若葉はぼくのことが好きなんだな」
「え! いや、うん。大好き。本当に」
私は照れずに、しっかりと改めて伝えた。
「ぼくにできることは、蜜柑の本心をできるだけ早く確かめることと、自分自身の気持ちの整理をつけることだな」
「そうだね。ほんと、めんどくさくてごめん」
っていうか、よくよく考えたら私、めっちゃすごいことを言っている。
勝手に、蜜柑ちゃんが黛のことが好きなことが前提に話が進んでるし! ああ! もっと何も考えないし、なにも思いつかない素直な女の子だったらよかったのに! ほんとキッツいなあ!
「というか……ぼくの立場なんだよこれ! どこのラノベ主人公だよ」
黛は頭を抱えた。
「いやほんとごめん……」
「いやいや。いいんだ。若葉が蜜柑のことを考えてくれてるんだ。自分のことだけ考えるなら、この雰囲気のまま付き合っちゃえばいいのに、こんなにめんどくさいことにするのは、若葉の優しさだ。やっぱり若葉は優しいな」
「えへへ」
「もう言うことはないか?」
「うん。満足。いろいろありがとうございます」
私は、両手を前で組んで、そのまま黛に礼をした。
「……じゃあ、そういうことで……。すまないが、先に若葉帰ってくれないか? ちょっとここで、今すぐ考えを整理したい」
「あ、うん。じゃあ、また。明日かな?」
「うん。また明日」
「じゃあね!」
私は黛に手を振り、駆け足で改札を出る。
「ちょっと待って若葉!」
私は黛の声に反応し、止まる。
叫び慣れてない、黛の叫び声だ。
振り返ろうとすると、その前に黛の声が聞こえた。
「ほんとに! 強くなった! 変わったよ! 若葉は! これだけ言いたかった!」
……ああ。
ちょっと泣きそうだ。
いろいろ頑張ってきて、本当によかった。
やっぱり私は変われたんだ。強くなったんだ。
でも泣くわけにはいかない。
まだ、黛とは、結ばれていないから。
「ありがと」
私は、大好きな人に、自分の顔が見えないように、少しだけ振り向いて、答えた。
……どちらかしか、選べないのか。もう誰も、ぼくから、離れてほしくないんだけどなあ……。嫌われたくないんだけどなあ。
こんな自分勝手なのに、誰かに助けてもらうなんて、好きになってもらうなんて、いいんだろうか。誰も叱れないのに、叱られたこともないのに、いいんだろうか。こんなにも自分のみしか考えられないのに、いいのだろうか。
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