第12話 親友以上、恋人未満

 九月一日。高梨高校、二学期、始業式。

 俺、橘進は、昨日のある一件のことを考えていたせいで眠れず、電車で何度も睡魔に襲われたが、「乗り過ごしたらどうしよう」という一心で、眠らないように、それでいて、周りに迷惑がかからないギリギリの音量で音楽を聴いていた。

 もし迷惑だったら……と思いながら、眠い目をこすり、通学路である仙川駅の商店街を目指し、駅からふらふらと歩き出していた。

 その昨日の一件、というのは、弥生との喧嘩についてである。

 あのまま口論を続けてたら、解決していたとは……もちろん言えないが、雨が降ってきたこと。

 加えて、傘を持っていない俺たちに、傘を貸してくれた、薫や未来、林田が声をかけてくることがなければ、ある程度のところまで、お互いの気持ちを理解することができたかもしれない。

 しかし、喧嘩は恐らく、頭に血が上ったときにありがちな、「本当は思っていないことをその時の感情に任せて言ってしまった」というところで、恐らく終わってしまっている。

 そんな弥生と、元の関係に戻ることはできるのだろうか。

 俺はそんなことを思っていたが、その裏側ではどこか、「俺は悪くない」という自分を正当化する思考がある。

 もちろんあの時、素直に告白を受け取っておけば、幸せに終われたかもしれない。

 あそこで、俺が我慢しておけば、何も起こらなかったかもしれない。

 俺が悪いから素直に謝ろう。いや、謝りたいという気持ちもある。

 だが、弥生を正面にしたときに、そんなに素直になれる気がしないのだ。

 つくづく手先は器用だが、感情のコントロールは不器用だと思う。

 

 そんなことを考えながら、駅からの通学路の途中にある、交差点の信号に捕まった。

 時計を見ると八時五分だった。この時間なら、遅刻することは無いし、今日は始業式が終わったら、課題テストがあり、そのあと文化祭の準備があるんだっけ。

 去年は参加していないし、今年こそは文化祭に参加したいという気持ちがある。

 あ……。そういえばうちのクラスの文化祭委員は、弥生と薫だったような。

 弥生に関しては、実行委員長だったような……。

 このタイミングで弥生との関係が悪くなるの、明らかにタイミングが悪いな……。

 このまま弥生と仲直りできなかったらどうしようかな……ほんと。

 そんなことを考えていると、いきなり後ろから、がっと、肩を組まれ、視界の外から見覚えのある顔がひょっこり顔を出す。

「よお、進。青だぞ」

「あ、林田」

 俺は、林田に連れられながら歩き出す。

「って、うわ! 目の下隈すげえぞ!」

「ああ、寝てねえんだ」

「どうしたー? 祭りの後、徹夜で宿題か?」

「まあそんなとこ。なんとか終わったよ」

「そうかそうか! 俺もちなみに全然終わってないから安心しろ。終わってなくても平気だって。どうせ進も終わってねーだろ? な?」

「だから俺は終わってるつーの! 信用しろ!」

「へへ、めんごめんご」

 そう言うと林田は、俺の前を歩きだし、顔だけ少しこちらに向けて様子を窺ってくる。

 気がつくと、周りを見ると道が狭くなっていて、車道に面している通学路屈指の危険ゾーンに差し掛かっていた。

 恐らく林田は、俺たちの進行方向とは、逆にくる人たちに気を使い、俺と並列で歩いていたのを、直列にしたんだろう。

 こういう細かい気遣いを見ると、蜜柑を必死に引き留めた理由と優しさ、それに気がつけた理由が何となくわかる気がする。

「そろそろ文化祭だな」

「そうねえー。進って五組だっけ?」

「うん。そう」

「うお! いいなあ! あの薫くんと弥生ちゃんがいるんだから、なんか見た目でごり押してくるような出し物してくれよ!」

「って、例えば?」

「メイド喫茶とか」

「ああ、悪くねえな……」

 薫と弥生のメイド服姿……良い。

 まあ薫は、男だが。

「というか、うちの学校は都内では屈指の美女が集まる高校だぞ。去年はしくじったが、今年こそはなんとか女の子と回りてえもんさ」

「……ちなみに去年はどうだったんだ?」

「クラスの童貞ども、通称D5(ディーファイブ)と仕事して、演劇の裏方して終わり」

「なんだよD5って……っていうか、全然いいじゃねえか」

「はい? じゃあそういう進はどうだったんだ?」

「まず、参加していない」

「は?」

「まず、参加して、いない」

「いや、そんな詳細に分節に区切らなくてもわかるわ」

「まあ……いろいろあったんだよ」

「んー? はは。それは大変なこった」

 深くは聞いてこないんだな。

 本当に優しい男だと思う。

 どういう教育を受けたらそんなガンジーみたいになれるのか、俺は知りたい。知りたいって欲なんて誰にでもあるし、濁されたら気持ち悪いからな、普通は。

 校門の前につき、昇降口につく。

「んじゃ、俺、こっちの靴箱だから」

「おう。じゃあな」

 俺は会話が終わるとまた睡魔に襲われ、上履きを履くときにふらふらしてしまったが、何とか持ちこたえ、教室に向かった。



 つまらないわけでもなく、たまに興味がある話を中途半端にする校長の話は、下手につまらない話を聞くよりも、頭を使うので余計に疲れる気がする。

 そんな校長の話を体育館で聞いた後、課題テストを受けた。

 俺は、黛と蜜柑の家でちょいちょい勉強をするようになってから、成績は平均よりやや上ぐらいにはなった。

 しかし、今回はコンディションがコンディションなので、手応え的には平均ぐらいだろう。

 カンニングと疑われない程度で、回りの様子もうかがっていたが、何人か眠そうな生徒も見受けられた。

 きっと夏休みで、生活習慣が乱れたんだろうなあ……。

 そして時は進み、今は文化祭のあれこれを決めるホームルームをしている。

 弥生が前に立ち、みんなに意見を聞いている。弥生の隣には、チョークとメモ帳を持った薫がいる。

「はい、みんなの意見が欲しいの。とにかく、できる限りの人が楽しめる文化祭にするために協力してね」

 弥生はパンパンと手をたたき、みんなの注目を集めた。

「まず、出し物についてだけど、何かやりたいものはある?」

「はいはい! メイド喫茶!」

「はーい! お化け屋敷したーい!」

「おいおい、縁日だろ!」

「楽したいんで展示はどうでしょうか」

 矢継ぎ早に発される意見を、薫は一つも聞き漏らさずに黒板に書き留めていく。

「うーん」

 弥生は、やりたい出し物が書いてある黒板を見つめて、腕を組んだ。

「ほかには何かないかしら?」

 弥生は、みんなに視線を送る。

 俺は弥生と目があってしまった。咄嗟に気まずくなり、俺は目をそらす。

 弥生も、すぐに黒板に目を向けなおした。

「ないなら、ここから投票で決めちゃうわね。今日中に候補をいくつか決めないといけないし。十分くらい、時間あげるから、それぞれ考えるようにお願いね」

 そう言うと弥生は、薫を引き連れて、どこかに行ってしまった。

「ねえ」

「ん? なんだ未来か」

 ちょうど前の席にいる未来が振り返る。

 未来はいつもと変わらず、盛りポニテの活発な感じだ。

 こいつはきっと、薫と最高の夏休みを送ったことだろう。

「アンタはどれがいいの?」

「俺か?」

 未来は、黒板を指差して、俺に意見を聞いてきた。

 メイド喫茶、お化け屋敷、縁日、展示、ラムネ屋、アトラクション……いろいろ書いてある。

「アンタなら……そうね……。あの端に書いてある中華カフェかな」

 よく見ると、黒板の端のほうに中華カフェと書いてあった。

「なんでそう思ったんだ?」

 俺は未来に尋ねた。

「弥生さんのチャイナドレス見たいでしょ?」

「う、まあそうだが……」

「あれ、思ったより反応薄いね。メイドのほうが好みだった?」

「いや……」

 単純に、今は弥生のことが好きとかではなく、見たいのには見たいのだが、喧嘩している状態で弥生のチャイナドレスなど想像することもできない。

 何とか会話を切り返すために、未来に、薫のチャイナドレスは見たいかどうかを聞いてみるか。

「お前はどうなんだ。薫のチャイナドレス。見たいだろ」

「え! まあまあまあまあ! うん。お団子髪にしてもらいたいね。うん」

「お前それ女物だぞ。薫は男だ」

「あ、確かに」

「しっかりしてくれよ」

「いやいや、でも男の子のチャイナドレス? 漢服かな? ってすこし地味だし……それに……」

「それに……?」

 未来は、少し周りを確認してから、俺に小声で言った。

「夏休み、結構いろいろなところに行ったんだけど、なんだか私より女の子って言うか……。食べる量とか、口調とかは男の子なんだけど……」

「趣味か?」

「そうそう。ゲーセンでもぬいぐるみとか欲しがるし、その割にプリクラはだめだ! とかいうし、衣装屋さんでも最初にメイド服に手を出すし……。立ち振る舞いも、咄嗟の時とかは、女の子って言うか……」

「なるほどな……」

 確かに、薫は女の子っぽい仕草をすることが多い。

 弥生も何やら意味ありげなことを言ってたし……出会ってから約半年たった今でも、薫に関しては謎が多い。

「嫌ってわけじゃないし、むしろ可愛いから見ていたいんだけど……やっぱり気になるよね? 私、一応彼女だし、訳があったら教えてくれてもいいと思うんだけど。進も気が付いていたんだよね?」

「まあな。なんなら、俺は男だから余計に目に留まるぞ」

「だよねえ……あっ。弥生さん来たね」

 そういったところで、弥生と薫が帰ってきた。

「えっと、それではみんなの意見を聞くわ。やりたいところに手を挙げて頂戴ね」

 そう言うと弥生は、順にみんなに意見を聞いていく。

 俺は結局、未来が楽しそうに薫のチャイナドレスを想像していたのを思い、中華カフェに手を挙げた。

 結局、中華カフェとメイド喫茶の頂上決戦になり、微妙な票差で中華カフェに決定した。

「じゃあ、中華カフェでいいかしらね。メイド喫茶が良かった人はごめんなさい。でも二組がメイド喫茶獲得に命燃やしてるらしいって、連絡があったから、ある意味、助かったわ。それじゃあ、今日は終わり、帰っていいです。お疲れさまでした」

 弥生は話をまとめると、また廊下に出ていった。

 職員室に提出しに行くんだろう。

 俺もさっさと帰ろう。早く寝たいしな。

 俺は荷物をまとめて、まるで高校一年の時のように、誰よりも早く帰路についた。


 

 始業式から一週間が経過し、文化祭はあと少しまで迫っていた。

 俺は、文化祭の準備を、クラスのみんなとしていると、何も問題なく、未来や薫の周りの友達と普通に関われるようになっていた。

 一学期までは未来と薫と弥生以外にクラスで話す人なんていなかったから、これは大きな進歩だ。名前はほとんどわかんないけど。

 俺は持ち前の器用さで、女子に引っ張られ、クラスの装飾係や看板係に抜擢された。

 決して、キャッキャッウフフな展開はなかったが、器用というだけでここまで仲良くなれるとは思ってもいなかった。

 一方、弥生とは全く話しておらず、一度ドア付近をすれ違ったが、特に何もすることもなかった。

 そして文化祭前日、準備日である九月の金曜日。

 俺の仕事である、看板のデザインや装飾の小物とかは作り終えていたので、俺は暇をしていた。

 居場所がなかった俺は、また廊下で弥生のことを考えていた。

 めんどくさい彼氏並に、弥生のことを考えているが、それでもあの時、弥生がなぜ、唐突に告白をしてきたのかの理由がわからなかった。

「おい」

「うお! なんだ!」

 ボーっとしながら廊下にいると、薫が小袋を持って、俺の目の前に立っていた。

 薫のほうが、少し背が小さいので、少しだけ上目遣いで、こっちを見てくる。

「お嬢様が忙しくて、僕一人じゃ人手が足りないから、買い出し手伝ってくれ」

 相変わらずの女の子と間違えてしまうようなアルトボイス。

 少し下から上目遣いで見つめてくる薫は、本当に可愛らしい。

 男だけど。

「ああ……いいぞ。暇だったしな」

「ありがとう。外出許可証はもらっている。行こう」

 そう言うと薫は、楽しそうに、昇降口に向かって歩き出した。


 高梨高校の目の前には、鳥中というホームセンターがあり、基本的にここに来れば何でも揃う。

 フードコートもあり、放課後には学生で賑わっているらしい。ちなみに俺は行ったことは無い。

 ちらほら高梨生の姿も見える。

 大きさも高梨高校より少し小さいぐらいで、住宅街の真ん中にあるには大きすぎるぐらいだろう。

「んで、何を買うんだ?」

「えーっと、カフェで使うメニューの材料だな」

 薫は、メモを見せてくれた。

 ミニラーメンやミニ餃子やチャイティーなど、様々なメニューの材料が並んでいる。

 確かに、これは一人だと厳しいかも。

「俺ここ初めてなんだけど、薫は分かるのか?」

「ああ、黛とよく買い出しに来るんだ」

「そっか、黛と蜜柑の家、近いもんな」

 俺は、薫に連れられるまま、カートを押していく。

 次々、カートには商品が入れられていく。

 だんだん、カートを押す手が重くなっていく。

「次は……割りばしと紙皿だな。確かこっちだ」

 薫は、カートを先導してくれる。

 俺は、その先導に従ってカートを押すが、カートの重さに体を持っていかれる。

「あ、やべ」

「あ! 進!」

 ガシャーンと大きな音を立てて、俺は体をショーケースの角にぶつけてしまった。

 幸い、商品には当たらなかったが、もし卵とかを崩していたと考えると顔面蒼白ものだ。

 割れて卵黄が黄色い絵の具をこぼしたみたいになっていただろう。

「進、大丈夫だったか?」

「ああ悪い。うまく曲がれなくてな」

 そこまで強くぶつかったわけではないので、体に痛いところはない。

「そうか、あと少し頑張れるか?」

「うん。いけるいける。任せとけ」

 俺がそう言うと、薫はまた元気よくカートに商品を詰めていった。


「いやあ、鳥中側から台車を貸してくれるとは思わなかったな」

「そうだな! へへへ……」

 俺たちは、二台の台車を使い、大量に買った材料を学校に運搬していた。

 なんと親切なことに、鳥中の店員のお姉さんが、俺たちの制服を見て、台車を貸し出してくれたのだ。

 やはり人に親切にするのは大切だな。

 薫は台車に夢中なようで、ずっと目をキラキラさせながら台車を見ている。

 きっと乗りたいとか思ってるんだろうな……。

 わかるぞ、その気持ち。

 この年になっても、地元から数駅のところの遊園地のゴーカートに乗りたいし、乗り物はいつになっても男のロマンだ。

「なあ、進! 今度うちの家にもこれを買おうと思うんだ!」

「おお、いいな。 買ってどうするんだ?」

「これは貸出だからできないが、広いうちの庭なら、これにエンジンとハンドルを付けて、爆走しても怒られないだろ?」

「……向上心すげえな……」

「へへへ、そうだ、若葉にも手伝ってもらおう。機械に若葉は強いからな」

「機械に強いのか若葉は……」

「ああ、パソコンも自作だって言ってたぞ」

「マジで!」

「ついでに学校図書室の本のリストも、何やらソフトでまとめて、一括管理できるようにしたらしい。司書の先生が一生留年して、ここに残り続けてほしいって渇望してたぞ」

「留年してほしいってどんだけだよ……というか一体どこまでギャップがすごいんだあいつは……」

「まあ、進もそのガタイで手先が器用っていうのも大分ギャップだけどな」

「それはまあ……確かになあ」

 若葉のギャップと能力の高さに感心しながら歩いていると、俺たちは、学校前の信号に捕まってしまった。

「なあ、進」

「うん?」

 薫はさっきまでの明るく楽しそうな表情とは変わって、憂いそうな表情で、俺を見ていた。

「最近、お嬢様と何かあったか?」

「えっ」

 まさか薫に、弥生と何かあったかと聞かれるなんて、思ってもいなかった。

「どうしてそんなことを聞いたんだ?」

「うん。えっと、夏休み明けてからなんだが、学校では変わりないんだけど、家だと最近、すぐにお部屋に行ってしまうんだ。夏休み前までは寝る前まで、部屋でゲームをしたりしていたんだが……なんだか様子がおかしくてな」

「それは単純に疲れているわけではなくて?」

「それもある気がするが、この程度の……文化祭委員の仕事程度で疲れるようなお嬢様じゃない……と思う。それに最近、進もたまにボーっとしてるし……関係あるかなと思ったんだ。あんまりお嬢様と話していないみたいだしな。だから進は、何か知らないか? 頼む。知ってるなら教えてくれ」

「ああ……」

 俺は薫の願いを叶えるべく、弥生と喧嘩したことについて話そうとした。

 しかし、それでいいのか?

 もしここで弥生との喧嘩について話したら、きっと薫は弥生に気を回すだろう。

 そうしたら未来は、また薫とあまり関われなくなってしまうかもしれない。

 弥生もこいつらが付き合っているって言ったときや、夏祭りの時の言動からもわかるが、きっと薫と未来には、できる限り一緒にいて欲しいと思っているはずだ。

 ここまで頑張ってきた未来のためにも、弥生の思いを踏みにじらないためにも、俺は何も知らないと、嘘をつくのが一番の正解だろう。

「……ごめん。なんも知らねえわ」

「そうか。すまないな。唐突にこんなことを聞いて。あっ、青だぞ」

「ホントだ。あと少しだ薫。頑張ろうぜ」

「うん!」

 そうだ、これでいい。

 これは、俺と弥生の問題だ。

 ほかの人に話して、下手に気を使ってもらうのは、きっと迷惑だろう。

 俺が、何とかしなければ。

 

 

 そして、放課後。

 俺達のクラスは、ほとんどの仕事を終わらせて、暇をしていた。

 帰るものも居れば、ほかのクラスの様子を見に行こーと、言っている人もいる。

「なあ、進」

「なんだ?」

 相変わらずのアルトボイスで話しかけてくるのは薫だ。

「二組に行ってみないか? 未来は部活のリハーサルがあるらしくて、お嬢様はお仕事で今は不在だから暇なんだ。どうだ?」

「そうだな。俺もメイド喫茶に命を燃やしてる二組を見てみたい」

「やった! 決定だ! ならすぐに行こう!」

 薫は、元気よく快活に声を上げた。

 

 

 二組に着くと、まだ準備が終わっていないようで、皆忙しそうにしていた。

「よう進。お前のほうは終わったのか?」

 黛は大量にクリームの入った袋を重そうに抱えながら、いつものように余裕のある口調で話しかけてきた。

 黒のエプロンに身を包み、頭にはバンダナをしている。

 恐らく料理の上手さを買われて、明日の料理の準備をしているのだろう。

「そうだ終わったんだよ。それで様子を見に来たんだ。なんか手伝うことはあるか?」

「ああ……。ぼくは気にするな。それよりほかのやつらを手伝ってくれ。装飾担当が大変そうなんだ。ほらそこ」

 黛は、教室の窓際でせっせと作業している集団を顎で指した。

 そこには若葉もいて、前日にもかかわらず装飾道具を作っているようだ。

「おっけー。任せとけ」

「頼まれたらでいいぞ。薫もな」

「うん。わかった」

「黛も頑張って!」

「ああ、ありがとう薫」

 俺たちは、黛に言われた通りに窓際の集団に声をかけた。

 集団といっても、若葉と活発そうな女の子と、少しヤンキーっぽいやつの三人だった。

 見た目だとまっっったく関係性がないように見えるし、若葉とヤンキーが一緒にいるというだけで、なんだか面白い。

 ツッコミを入れようか悩んでいると、その前に若葉は、俺たちに気が付いたようで、俺の顔を見るとすぐさま、

「進! 薫! よく来てくれた! 私もこの二人もどうしようもないくらいに不器用なの! 助けて!」

 と言ってきた。

 俺は、若葉に近づく。

「おおそうか……。とりあえずどうすればいいんだ?」

「とりあえず……。この入り口の装飾の組み立てをしてほしいの。何とかならないかな?」

 若葉は、ぐちゃぐちゃ積み立てられた木の塊を指差した。

「……どうしたらこうなるのかを聞きたいが……とりあえず分かった」

「ありがとう進! 薫は大地とひなたと、こっちのデザインを考えるのを手伝って! あ、そういえば進は二人と初対面だっけ?」

「悲しいことに、俺は基本的にうちのクラスメイト以外、全員初対面だが」

「文化祭前日に悲しいこと言わないで。はい、二人とも進に自己紹介よろしく」

 若葉は、俺の悲しい告白を華麗に受け流し、後ろにいる二人に自己紹介をするように促した。

「あいよ! 二年二組! 菊池大地! 軽音楽部です! よろしく! ほい次!」

「はいはい! 同じく二年二組! 久米ひなた! 若葉ちゃんと同じ剣道部です! よろしく!」

 ヤンキーっぽい男の子の菊池と、活発そうな女の子の久米は、元気よく挨拶してくれた。

「橘進だ。よろしく」

 俺は、二人に軽く会釈しながら挨拶した。



「そんで……どうしようか。どうしようもないな……」

 俺は、若葉と積み上げられた木の塊を、改めてまじまじと見ていた。

「脳内ではうまく立つはずだったんだけど、どうしても立たなくて……それになんだか地味だし……」

「まあ、一回立たせてみるとするか」

「うん。あ、作業道具はこれね」

 若葉は、工具箱を重そうに手渡してくれた。

 俺は工具箱を覗き、木の塊を一つ一つ確認しながらきれいな形にしていく。

 確認していくと、思ったより木の形には問題なく、作られた凸凹を、うまく組み立てていくことができた。

 そして、割とあっさりと骨組みが完成した。

「……できたな……」

 俺は、若葉をちらっと見る。

「……ちょっと手を見せてくれないかな進」

「えっ? まあいいけど」

 若葉は俺が手を差し出すと、それをまじまじと見た。

 なんだか、少しくすぐったい。

「んで……なんだ?」

「いや……。なんか手に妖精でも住んでるのかと思ってね」

「なわけないだろ。俺の数少ない長所だ」

「ぐぬ……。こんな不器用じゃ、黛を手伝うなんて一生無理だよ……」

 若葉は、かなり落ち込んでしまっているようだった。

 しかし、少し不器用なだけでここまで落ち込むのはおかしいよな。

 黛を手伝うことなんて、本人に「手伝ってほしいことある?」と聞けば、一発のはずなのに……。

「なあ、若葉。そこまでして黛を手伝いたいのはなんでだ? そこまで落ち込まなくてもいいだろ」

「ん? ああ……。それはね、最近気が付いたんだけど、黛って人に頼ることを極端に嫌がるみたいなんだよね。進もそれを感じたことは無い?」

 俺はさっき、黛が大量のケーキを運んでいるのにもかかわらず、自分のことより周りに気を回すように言ったことを思い出した。

 思い出してみれば、結構無理しているよな。あれ。

「言われてみれば……」

「でしょ? 何か手伝うことはあるかーって聞いても、頼ろうとしないし、困ってても人に頼ろうとしないんだよね。こっちから先に、これやってあげるねーみたいな頼み方しないと頼ってくれないんだ。気が付いたのは最近だけど、一年生の頃もそんな感じがしたし……」

「でも、人に頼らないっていうのはいいことじゃないか?」

「そうなんだけど……。うーん……今はまあいっか……。とりあえず、あとはこの装飾に色塗りをするんだけど、それは別の人がやってくれるから、薫たちのほうを見に行こうか」

「ああ、そうだな」

 俺は、なぜ黛が人に頼らないということに対して、若葉がここまで悩んでいるのかわからなかった。



 俺はそのあと、あふれ出るおせっかい精神からか、ありとあらゆる二組の仕事を手伝い、そのおかげかは分からないが、二組の教室は、あっという間にメイド喫茶に生まれ変わっていた。

 さすがに疲れたので、教室の後ろ端で座って休憩していると、目の前にジュースが差し出された。

 見上げてみると久米がジュースを持って、俺が受け取るのを待っていた。

「お疲れ様、進くん」

「ああ、ありがとう」

「隣、いいかな?」

「うん」

「どうもー」

 久米は、よいしょと言いながら座ると教室をのんびりと眺め始めた。

 かくいう俺は「何の会話をすればいいのだろう」「そもそも話すべきなのか? 会話は別にしたくない可能性も……」などなど、コミュ障を飛行機の発射前のごとく加速させていき、少しづつ背中に汗がにじみ出ていくのを感じていたが、会話の切り口を開けてくれたのは、久米のほうだった。

「ねえ、若葉と仲いいの?」

「え? うん。仲はいいけど」

「へえー。最初は全然話せなかったでしょ?」

「そうだね。何話したらいいのかわかんなくて……」

「それで多分、進くんはおせっかいだから、あれやこれやと若葉に話しかけているうちに仲良くなったでしょ?」

「まあ、大体そんな感じ。その、なんでわかったんだ?」

「私、若葉と剣道部で同じだったんだけどね……。私って年の離れた弟がいて、面倒見はいい方なの。だから、うまく人と話せない若葉に寄り添ってるうちに、話せるようになったんだよね。だから一緒かなあって」

「そっか。そうだったのか」

 俺は、若葉にもこんなにいい友達がいたんだなあと思考を回していると、脳の奥に「若葉が剣道部」という情報が湧いて出てきた。

「って、若葉が剣道部?」

「あれ? いまさら?」

 そういえば、自己紹介の時も軽く流していたが、あの本読みでゲームが好きで隠れオタクの若葉が剣道部というのは、普段の俺だったら確実にツッコミを入れていたはずなのに、どうして気が付かなかったんだろう。

「夏休みに見学に来てね、『ここで強くなれますか?』ってめっちゃ真剣な顔で部長に聞いててね。真剣すぎてなんだかおかしくって……。それでなんだかんだ入部したって訳」

「あいついつの間に……」

「まあ、週に二回しかないし、うちの剣道部は緩めだからね。それでも運動神経はピカイチ! あっという間に部でも、結構やれる方にはなってきたんだよ」

「そうなのか。ああ、びっくりした」

「あはは。あ、そういえば……」

 久米は周りを見回してから、俺に耳打ちをするように小さい声で言った。

「若葉が、黛のことが好きなのは知ってる?」

「ああ、知ってるよ」

 俺も小さい声で返答した。

「やっぱりね。黛とも仲良さそうだったし」

「久米さんも黛と仲いいのか?」

「うん。クラスが一年の頃同じでね。あ、ちなみにあのカリアゲヤンキーも一緒」

 久米は、菊池を指さした。

「蜜柑くんが最初に、黛を若葉が目で追ってるって気が付いて、そこから何とかして若葉を応援しようって言ったのが、若葉との友達の始まりなんだ」

「だから全く共通点なさそうに見えたのか」

「うん? あはは! そうだよね! ぱっと見て、菊池と若葉が仲良しなんて思わないもんね! オオカミと羊だもん!」

 久米は少し笑いを抑えてから、また話を続けた。

「まあ、見た目に寄らずあいつも優しいからね。ほかのみんなもノリがよくて、優しくて、ほんといいクラスだよ」

 久米は、改めてクラスを見回していた。

 久米は、本当に心の底から高校生活を楽しんでいるようで、あたたかな表情をしていた。

 そんな久米を見ていると、俺は弥生とケンカしたままで本当にいいのだろうかと、また思ってしまった。

 その時、後ろのドアから顔を出している蜜柑が目に入った。

「おーい」

 久米は、ゆったりと蜜柑に手を振った。

「あ! 進さん! と久米さん? 珍しいコンビですね」

 蜜柑は、そのまま話しながらこちらに寄ってきた。

「あ、そうそう! 進さん! よければ……」

「演劇部の手伝いだな?」

「ふにゃ? エスパーかなんかですか?」

「いや、なんとなく」

 ここまで、散々あれやこれやと頼まれまくったからな。

 さすがに今日は、そういう日だという認識はできている。

「とりあえず、ありがとうございます。あと、できれば絵が描ける人もほしいんですけど……」

 蜜柑は久米のほうをちらっと見て、申し訳なさそうに苦笑いした。

「はいはい。私、久米ひなたは不器用です。うんちみたいな絵しか描けません」

「わあ! ごめんなさいごめんなさい!」

「えへへ。別にいいよ、蜜柑くん。そうだ。おーい! そこの執事くん!」

 久米は、黒板に描かれた絵を見ている薫を呼んだ。

「はい! 久米さんなにかな?」

 薫はすぐさま寄ってきた。

 そのあと久米と蜜柑は、薫に事の経緯を話した。

「ああ、そういうことでしたか。なら、それなりにお力になれるかと」

「ありがとうございます! 助かりますよ!」

 蜜柑は、笑顔で薫に感謝を伝えた。

「はいはい。じゃあ時間ももったいないし、三人ともいってらっしゃい」

 久米は、そういうと俺が飲み干したジュースを取り上げて立ち上がった。

 やべ、ありがとう言わないと……。

「久米さん。ジュースごちそうさま」

「別にいいよー! これからも若葉をよろしくね!」

 俺は親指を上に立て、グッドサインを作った。

 そして俺と蜜柑と薫の三人で、演劇部に向かった。



 高梨高校の校舎は大きく、道路側から正門を見て右が東棟、左が西棟になっている。

 西棟は体育館につながっており、部室も西棟にある。

 東棟は三階、西棟は四階まであるが、四階はほかの階に比べて小さい。

 俺が入学した一年前に改装工事が終わったようで、とても端正で、整っている。

 しかも屋上は解放されており、そこで昼食もとることが可能だ。

 演劇部の部室は三階にあり、視聴覚室も同じ階にあり、そこでよく練習している光景をよく見かける。

 俺たち三人は、教室のある東棟から西棟につながる三階の渡り廊下を通り、演劇部の部室へ到着した。

 見渡すとかなりの人数が動いており、皆それぞれ作業をしている。

 よく見ると林田の姿も見えたが、何やら照明の動きを演者と確認しているようだった。

 しかし、こんなに人数いたっけなあ……。

 俺は一年の頃、学校のことについてあまり興味がなかったので、各部の人数を把握していない。

 二年になってから色々話を聞くようにもなったが、それでも俺の情報量はコップ一杯にも満たないほどだろう。

「さてと、とりあえずこの線入れが終わってる背景がいくつかあるので、お二人にお任せしちゃいます」

 蜜柑は、背景に使うと思われる板を指さした。

「はい、任されました」

 薫が落ち着いて返事をすると、蜜柑はグットサインを作って、演者たちの中に入っていった。

「よし、やるか薫」

「うん」

 俺と薫は、近くにあったペンキを使い、背景制作に取り掛かった。

 それはそうと、改めて思うが、蜜柑は本当に容姿端麗だ。

 女の子にしてはとても高身長で、スタイルも抜群である。

 あんな子に言い寄る男がいないという理由は、いつも近くに黛がいるからだと未来は言っていたが、それだけでなく、あの誰に対しても明るく接する蜜柑は、もしかすると明るすぎるのかもしれないなあ。

 誰もが、蜜柑を好きな人が多いから諦める、ってなっていそうなくらいだ。

 そういえば、未来の学年の評判はどうなのだろう。

 出会いは最悪だったし、そのあとも変な共同戦線を組み、なぜか俺だけ目標を成し遂げられずにいるし、そんな未来に全くと言っていいほど恋愛感情はない。

 しかも、薫というとんでも美少年の彼氏付きだ。

 ん? そうだ、こんな時は彼氏に聞いてやればいいんだ。

 せっかく一緒に作業をしているんだしな。

「薫」

「ん? なんだ?」

「お前、未来の評判とか聞かないか?」

「未来の評判か?」

「うん。なんとなく、でもいいぞ。学校の男にはどう思われてるかとかでも」

「そうだなぁ」

 薫は、手を止めずに少し眼球を上に向けて、考えているようだった。

「男子からの評判はいいとお嬢様から聞いたな。美人でスタイルもなかなかで、ギャルっぽい見た目に反して、結構まじめだって。ギャップ萌えっていうのか? そういうやつらしい」

「ふーん……」

「ただ……」

「ただ?」

 大抵「ただ」という枕詞は、少し言いにくいことを言うときに言いがちである。

 俺は、少し注意しながら耳を傾けた。

「最近、部活で少し、のけ者にされているらしい」

「え? それはなんでだよ」

「わ、わからん。すべてお嬢様に聞いたことだ。それ以上、僕が尋ねても話してくれなかった」

 あの弥生お嬢様は、どこまで世話焼きなんだ全く……。

 薫が幸せになるなら何でもします! と言わんばかりだ。

「じゃあ薫が聞いてみたらどうだ? 未来の部活のことを……」

「そ、そうなんだが……」

「何か都合の悪いことでも……あるのか?」

「……」

 薫は、完成した空の背景を見つめて、停止してしまった。

 座り込んでいる薫は、少し悲しいような表情をしていて、なんだか良心が痛むなあ……。

 とりあえず、別にいいとだけ言っておくか……。

 俺は、薫に別にいいと言いかけた時、俺と同じくらい背丈の、前髪が重い男が薫の近くに立った。

「人のことを聞くと、自らのことを話せと言われそうで怖いから、話せない。自分が周りを傷つけているのを認めるのが嫌だ。そうですよね?」

 その男が言うと、薫はばっと顔を上げ、すぐさま立ち上がった。

「三島! なんでお前がここに……」

「私、演劇部の脚本担当なので様子を見に来たんです。そしたらあなたがいたので声をかけた。それだけのことです」

「……そうか……」

 薫はそっぽを向き、ばつが悪そうにしている。

 三島と呼ばれていた男は、こちらを向き、少しお辞儀をしながら挨拶してくれた。

「演劇部兼、剣道部、文芸部の三島 有機です。橘さんですね。お話は中野先輩と凪先輩から聞いています」

「お、おう。橘だ」

 とても落ち着き払っていて、余裕がある雰囲気だ。

 これは初めて、黛と出会った時とよく似ている。

 こいつも多分、何でもできるタイプだ。

 というか、礼儀正しすぎて少し緊張する。

「その言葉の使い方、間違ってますよ、先輩」なんて言われそうだ。

 それにしても、薫はさっきから、なんでばつが悪そうにしているんだろうか……。

「なあ、薫とはどんな関係だ? 見た感じ知り合いっぽいが……」

「ああ……」

 三島は薫を一瞥し、話を続ける。

「薫さんが中学入学するまで施設で一緒だったんです。それから偶然……」

「おい、偶然じゃないだろ」

 薫は少し怒っているようで、いつもより声に力が入っていた。

「……。小鳥居先輩にお話を聞かせていただいて、こちらに入学したんです。とても良い高校だと聞いたもので」

 三島は、変わらないトーンで自らの経歴を話してくれた。

 薫と同じ施設にいたということは、弥生が何度もぼかしている、薫の過去についても知っているということなのか?

 薫の焦りようや、三島の発言的にも、三島は、確実に薫の過去について知っていると考えていいのだろうか……。

「なにやら、橘先輩」

「うん? どうかしたか?」

 俺が考えていると、突然三島が目を細めた。

「恐らくですが、小鳥居先輩とも仲がいいと睨みました」

「うん。まあそうだが……」

 現在、絶賛不仲中だがな……。

「そして、やんわりと薫さんの事情を知っていると思うのですが、どうでしょうか」

「あ、ああ……まあその通りやんわりと……」

 俺は、三島にあれやこれやと言い当てられて、困惑していると、その時、薫が割り込むように、俺と三島の間に入ってきた。

「そこまでだ三島」

「……? なぜですか」

「これ以上僕についての話はするな。お嬢様にも言われているはずだ」

「そうやってまた小鳥居先輩を盾にするんですか」

「なに……?」

 薫は、いつにもなく取り乱していた。

 というかこいつら、何でそんなに仲が悪いんだよ!

 さっきから聞いてみれば、三島が嫌味っぽく話しているみたいだが、俺に対してはそうでもなかったどころか、礼儀正しすぎてこっちまで少し緊張するレベルだったし……蜜柑からの三島の評判もすこぶるよさそうだったし……。

 いやいや、とにかく止めないと……。

「なあ、二人とも少し抑えないと……」

「進は黙っててくれ」

 薫は、くらい濁った眼を使い、血気迫る眼力で睨みつけてきた。

 ……これは……俺にはどうすることもできません。

 周りの人たちも、こちらの口論に釘付けになっている。

 誰か……助けてくれぇ……。

「そんな髪をしているからですよ。さっさと切ったらどうですか? 女々しいあなたはあまり好きではないんです」

「お前の好みに合わせるぐらいなら、お嬢様が喜ぶ髪型に僕はする。それだけだ」

「まだ甘やかされているんですか。強かったあなたはどこへ行ったんですか」

「黙れ! 僕の居場所はここなんだ! お前はもう関係ないんだ!」

「そうですか。未だにあの過去を振り切れずにいるんですね。また施設にいた時のように戻っても知りませんよ」

「なるわけがない! 僕はもう変わったんだ!」

「それは変わったんじゃないです。幸せの前借りです。いつかその借金があなたにまた帰ってきますよ……」

「三島くん」

 二人の口論に、突然待ったをかけたのは蜜柑だった。

 眉が少し八の字になっていて、心配そうにしていた。

 蜜柑は三島の肩をつかんだ。

「よくわかりませんけど、そこまでにしておいてください。ただでさえ時間がないんですから」

 三島は少し蜜柑を見つめた後、コクっと頷くと、

「すみませんでした。少し本音が出すぎました。これからもその幸せを失わないように努めて下さい」

 と重そうな前髪をゆっくり払いながら、薫に一言告げ、その後、周りの部員たちにも謝罪をし始めた。

「薫さんも少し頭を冷やしてきてください。若葉ちゃんとでも、話してくるといいんじゃないですか?」

 蜜柑は、少し落ち着いた様子の薫に笑顔で伝えた。

「そ、そうですね。すみません。手伝いに来たのに」

「いいんです。あと少しなので、私と進さんでやっちゃいます」

 蜜柑はそう言うと、こっちを向いてウインクしてきた。

 たぶん、合わせろってことだな。

「そうだ。行ってこい」

「うん。ありがとう進、中村様」

 薫はそのままドアを開け、こちらに一礼してから、そのまま部室を後にした。

「さて、残りやっちゃいますか!」

「おう」

 蜜柑は、薫が少しだけ残した最後の一枚の背景に、色を塗り始めた。

「いや……あそこまで仲悪いとは思いませんでしたよ」

 蜜柑は、やれやれ驚いたといった口調で言った。

「えっ」

「仲悪いとは言えども、普段あんなに落ち着いてる三島くんが、あそこまで薫さんにかみつくなんて……って思いまして。びっくりです」

「そうなのか……」

 確かに、三島の薫に対しての態度は、気分のいいものではなかったが、俺や蜜柑に対してはすごい丁寧な物言いだったし、若葉や黛にも敬意を払っているようだったし、なんなら口論の後、部員に謝罪して回るという誠実ぶりだ。

 それなのにどうして三島は薫に対して、あそこまで悪態をついたんだろうか……。

 結論はその場で出なさそうだったので、一旦考えるのをやめて、俺は黙々と背景に色を塗っていく。

 俺は、結構図工的なものが好きだったこともあり、意外と背景の色塗りを楽しんでいた。

 しかし、五分くらい経った頃だろうか、隣にいる蜜柑が頭を抱え始めた。

「むう……」

 蜜柑はむすっとしていた。整った顔立ちをしているが、頬を膨らませている。

「どうした?」

「むいてない」

「へ?」

「むいてないです! こういう雑用! 私! あー! やーめた!」

 蜜柑は、筆をペンキに乱雑に放り込み、そのままペンキの缶ごと俺に押し付けてきた。

「ええ……。おいおい、別に下手ってわけじゃねえだろ? やろうぜ俺と」

「やです! はみ出しのないようにちまちま塗るの、向いてないし、イライラします! 進さんやっておいてください! やってくれませんか⁈」

蜜柑は半ベソで見つめてくる。いつも穏やかな蜜柑がこんなにも、まるで小学生みたいな駄々のこね方をするなんて思わなかった。結構子供っぽいところもあるんだなあ。

 でも弥生のように裏の顔とか、そういうのじゃなくて、意図的に裏表使い分けているっていう感じはしない。

 きっとこれも、蜜柑の素の姿の一部なんだろう。

「そうか、ならやっておくよ。お前は演技の練習とかで忙しいだろうしな、休憩してな」

「え……ふ、ふーんだ。ならオレンジジュースでも飲みに自販にでも行ってきます! お願いしますね! 本当に!」

  蜜柑は、少し焦ったように口を開けてから、腕も組み、少し赤面しながらずかずかとその場を後にした。

  恐らく、自分でも結構なわがままを言っていることに気がついたんだろうな……。まあ、俺は弥生で散々慣れているからいいんだけどな……。

 最近はその、弥生のわがままもないけど。



「うーん……」

 俺は演劇部の手伝いを終え、伸びをしながら廊下を歩き、教室に荷物を取りに行こうとしていた。

 時刻は午後六時。

 帰宅部だと、ここまで学校に残っているのは珍しいよなあ。

 夕焼けもなく、本格的に夜になろうとしているときの校舎って、なんかワクワクする。

 少しテンションが上がっていると、何やら二人の話し声が、五組の隣の四組から聞こえてきた。

「最近、お前が好きな小鳥居さん、橘って男といい感じらしいぜ」

 身長の高いほうの男は、どうやら弥生のことが好きらしいな。

 というか……む、俺の話か……。

 少し聞き耳を立ててみるか……。

「ああ、あの冴えないノッポか。体育祭でなんかごちゃごちゃしてたやつ」

「そうそう。なんで小鳥居さんなんかと仲いいんだろうな? 橘のどこがいいんだか」

「しかも、去年の文化祭、ずる休みしてるらしいぜ。中学のダチから聞いたんだけどさ、橘がなんかキョロキョロしながら他校の文化祭にいたらしいぜ」

「うわマジかよ! もしかしてストーカーでもしてんのかな! きめぇ……。そんなのが小鳥居さんと釣り合うわけねえじゃん」

 ……酷い言われようだな。

 まあ言ってることはあってるし……ここは聞いてないふりを……と柱の壁を背にして、会話を聞きながら思っていると、凛とした声が廊下から四組に響いた。

「あら、ずいぶんな物言いじゃない」

 あれ? 弥生じゃないか。

 弥生? 何でここに……。

 というかあいつもまだ残ってたんだな。

 ご苦労なこった。

 弥生は、そのまま四組の教室に入っていった。

「げ、小鳥居さん……。聞いてたの?」

「ええ、まあただ言いたいのは……」

 弥生は身長の高い方の男に近づき、そのままその男子生徒のネクタイをグイっと引っ張り、睨みつけた。

「そんな口きいてる暇があったら、直接、私に気持ちを伝えたらどう? 進の悪口言ってないで……ね?」

「え、えええ!」

 えええ! はこっちのセリフだ! 

 俺以外に、あんな豚を見るような目をするなんて……。

 トラウマになっても知らないぞ……。

「もちろん、あなたみたいな男に告白されても、お断りだけどね」

「え……」

「それじゃ」

 弥生は、少しその男を突き飛ばすと、すたすたと教室から出ていき、去っていった。

「やべぇ……あんな裏の顔があったなんてな。お前やめといたほうがいいぜ、あの女」

 身長の低いほうの男は、もう一人の身長の高いほうの男に助言していた。

 まあどうやら弥生は、俺や黛たち以外にはやはり、本性を露わにしていないらしいな。

「……」

「おいどうした?」

「好きだ」

「え?」

「うおおおおおおおおおお! 好きだ!」

「え?」

「まさか完璧超人で性格もよくて美人だと思いきや、裏の顔があるなんて! これは……俺が中学の頃にプレイしたアマモグの綾辻さんと一緒じゃないか!」

「へ?」

 身長低男は、完全に困惑していた。

 アマモグと言えば、そういえば若葉と黛が、今度やりたいとか夏休みに話してたような……。

 いやいや、そんなことより……。

 恋する少年。

 その先は地獄だぞ。

「うおおおおおおおおおお! 待ってろ小鳥居さん! 絶対に振り向かせてみせる!」

「おい待て! どこ行くんだよ! おーい!」

 身長高低コンビは、そのままどこかに走り去ってしまった。

 俺は隠れるのをやめ、そのまま歩いて五組に入り、荷物を持ち、教室を出て帰路についた。

 ……。

 そういえば突然のことであっけに取られていたが、弥生は俺のことをかばっていたよな。

 あんなに俺とケンカして、顔も見たくないとまで言ったのに、どうしてなんだろう。

 小鳥居 弥生。

 わからない。

 


 そして文化祭当日がやってきた。

 俺は、特に何も髪をセットするわけでもなく、教科書が入っていない、いつもより軽い鞄を持って家を出た。

 教室に着き、俺は周りの生徒に仕事がないかと尋ねたが、どうやら装飾で大活躍だったから、クラスのシフトには組み込まれていないという。

 ありがたいにはありがたいのだが、特に誰と回るとか、そういう約束を取り付けているわけでもなく、見に行くと約束した出し物も、演劇部だけだったので、暇になりそう……と考えながらも、善意を断るわけにもいかないので、素直に受け入れることにした。

 文化祭開園、一時間前。

 中華風のコスプレをした女の子や、エプロン姿の男子、チャイナ服を着た、少しふざけた女装した男たちが入ってきた。

 皆テンションが上がっており、なんだか俺もテンションが上がってきた。

 ……次の瞬間、とんでもなく美麗な中華風のコスプレをした女の子二人組が目に入った。

 まあ……片方は女の子じゃなくて、薫なんだけどな。

「おはよう薫、未来」

「おう、おはよう進」

「おっはー」

 未来は、赤を基調にしたチャイナドレスで、薫は黒を基調にしたチャイナドレスを着ていた。

 柄はおそろいで、腰から入った切れ目から見えている足は何とも……。

「って……薫も女性用なんだな……」

「ああ。なんだか男性用はしっくりこないって、未来がな」

「うん……しっくりこなくてさ……」

 未来はどこか落胆した様子だった。

「ど、どうした未来?」

「う、うん……」

 未来は、俺にしか聞こえないように、俺の耳元でぼそっと呟いた。

「なんだか薫くんの彼女は私のはずなのに……私より足細いしかわいいし……。彼女としてどうなのって感じ……」

「ああ……そういうこと……お前も似合ってるから気にすんなよ……」

「どっちのほうが似合ってる?」

「どっちって?」

「薫くんと私」

「……」

 改めて、薫と未来を見比べる。

「ねえ」

「いった!」

 二人を見比べていると、どうも俺の感性は何度思考を繰り返しても、薫に魅力の軍配が上がるように仕組まれているようで、無意識の間に俺は、薫の足を見つめていたようだった。

 未来はそれに憤怒したようで、俺の足をガシガシ踏んでいる。

 薫も、俺が足を見てたことに気が付いているようで、顔の横から垂れている髪の毛をいじりながらもじもじしていた。

「薫くんの足ばっかり見ない! 何? BL?」

「なわけないだろ!」

 いや疑われても仕方ないというか、どこからどう見ても女の子っていうか……。

「薫が女に見えたんだ! 仕方ないだろ!」

「なっ! ばか! どっか行っちゃえ!」

「ええ……」

 なんだか昔にもこんな風に言われたような……。

 まあいいか。

 未来の暴虐武人ぶりに辟易していると、薫が助け船を出してくれた。

「えーと……。あ、進。二組を見に行ったらどうだ? なんだかみんなきちっとした格好をしていて可愛かった気がするぞ。さっき廊下ですれ違ったんだ」

「お、おう……。行ってくるわ……」

 俺は、クラスからはじき出されるように廊下に出た。

 ……朝から疲れたなあ……。



 俺は、薫に言われた通り、二組に到着。

 教室の中を覗くと、皆男子は執事、女子はメイドになっていた。

 それぞれ、教室内の机を移動させているようだった。

 男子は、皆それぞれの意匠を凝らしているようで、ジャケットを着ていたり着ていなかったりしているようだった。中には、大胆に胸元を開けている男子もいた。どこのホストかな?

 女子はミニスカートだったり、ロングスカートだったり、こちらも負けじと意匠を凝らしているようだった。

 いいなあ……。

 チャイナドレスもよかったが……メイドも……。

「こんにちは進さん」

「うわあ!」

 ぼーっと教室を廊下側の壁で眺めていると、後ろから、突然執事服姿の蜜柑が現れた。

 さすがレディプリンス。

 執事服をしっかりと着こなしている。

 どうやらカラーコンタクトをしているようで、緑と赤のオッドアイになっていた。

「なんだ蜜柑か」

「私だけじゃないですよ」

 蜜柑は右下に視線を向けると、ロングスカートのメイド服に身を包んだ若葉が、俺を見上げていた。

「おはよう、進」

「うん、おはよう」

「ねえ、また男子代表ってことで進に聞くけど、変じゃないかな?」

 若葉は、ワンピース型のメイド服にヘットドレス、さらにカラコンを入れているようで、緑と赤のオッドアイになっている……若葉の小ささにばっちり合うようになっていてなんというか……。

「最高だ。うん。マジで」

「そう……ならよかった……」

「良かったですね若葉ちゃん!」

 若葉は、ぱあっと明るい表情になり、蜜柑はそんなかわいい若葉をなでていた。

 くそう! 俺ももっと美少女に産まれていたら、若葉みたいにこんな服装ができて、蜜柑みたいに美少女の頭をなでることができたのか!

 というか何で俺の周りは美形しかいないんだ? 俺がばかみたいじゃないか!

「ああ、人生辞めたい」

「へ?」

「うん?」

 何で俺がこんなことを言ってるのか、二人にはわからないようだった。

 わからなくていいぞ。お前たちは幸せに生きてくれ。

 そう思っていると、前の扉からゆっくりと黛が入ってきた。

 若葉が何やら、黛の動きを気にしているようなので、黛を呼んでやることにした。

「おーい黛」

「ん? なんだいたのか進。お、蜜柑もばっちり決まってるしいいな……若葉も……」

 黛は俺、蜜柑、と視線を動かした後、若葉に目線を移す。

 黛は固まり、静止した。

「来ましたね……」

 蜜柑がぼそっと呟いた。

 そのほかのクラスの生徒も、何やらこちらを見てざわざわしている。

「来たか……」「ふっ。黛の事前研究は済ませておいて正解だったな」「ちょっとストーカー気味だったけどね」「計画通り……」などの声が教室のあちこちで聞こえる。

 一体、何なんだ?

 とりあえず黛に事情を……。

「なあ、若葉」

 黛は、俺が黛に話しかける前に、若葉に問いかけた。

「な、なに?」

 若葉は、あまりにも黛に見つめられすぎたせいか、不安そうな顔をして黛の次の一言を待っている。

「……」

 黛は少し唾を飲み込んだ後、噛みしめるように言った。

「あとで、写真撮らせてくれないか?」

 ……。 

 黛さん? 

 黛のイメージが一気に壊れた。

 確かに黛は広範囲なオタクだということは理解していたつもりだが、こんな直接「写真撮らせてくれないか?」と真顔で言う人だとは思わなかった。

 これは黛のクラスメイトもドン引き……と思いきや、クラスメイトは若葉に対して、勇気を分け与えるかの如く、視線を送っていた。

 もしかして、クラス全員この展開を予想してメイド喫茶にして、黛と若葉をくっつけるつもりだった?

 ……。

 俺は蜜柑に視線を送ると、蜜柑は笑顔でグットサインをした。

 二組……怖え……。

「うん……もちろん」

 若葉は、照れながら了承すると、黛は「そうか。うれしいぞ。と、とりあえずぼくはもう少し実行委員会の手伝いがあるから、また連絡する」とだけ言って、立ち去ってしまった。

 黛の足音が聞こえなくなると、クラスメイト全員がわっと歓声を上げ、若葉に近寄ってきた。

「よかったな! 若葉ちゃん」「やったね」などなど、若葉を称賛する声は少しの間止まなかった。

 少しの間、若葉は顔を真っ赤にしながら「ありがと……」と何度も何度もつぶやいていた。

 久米がいいクラスで、ノリがいいといっていた理由がめちゃくちゃよくわかった。

 また少し経ち、二組の賑わいも収まり、またクラスの作業が再開されると、頃合いを見計らっていたのか「今いいですか?」と、一人の長身の男が後ろの扉から姿を現した。

「先輩。ちょっといいですか」

 三島だった。

 三島は、俺と若葉にも軽くお辞儀をして、挨拶してくれる。

「はい。いいですけど」

「ありがとうございます。橘先輩、若葉先輩、もしかしてお話し中でしたか?」

 三島は申し訳なさそうな声で、尋ねてきた。

 って、若葉まだ顔真っ赤じゃん……。

 俺が三島に返答する。

「いや、今終わったとこだ」

「そうでしたか。ならよかった。では」

 三島は、そう言うと蜜柑を連れて、教室を後にした。

 ……。

 とりあえず、顔真っ赤な若葉を急速冷却させるするか……。

「おーい若葉さーん」

 俺は、若葉の目の前で手をブンブンと振る。

「はっ……」

 気が付いたようで、深呼吸をする若葉。

「平気か?」

「うん! 幸せ! 夢みたい……」

 写真撮らせてって言われて、夢みたいっていう少女。

 うーん、恋は盲目。

 俺には、若葉の前にいた男は、変態にしか見えなかった。

 若葉は両親を頬に当て、ニヤついていた。

「これからメイド服で登校しようかな……黛ってやっぱりメイド萌えみたいだし……」

「やっぱりってどういうことだ?」

「黛ってたまにメイドカフェに行ってるみたいでね。ツイッターでよく呟いてたの。それにアニメとかでも、メイドさんとか執事とかが出てくるとテンション上がってたし……」

「そうか……ってメイド服着てくるとか……お前そこまでやるのか……」

「黛の気を引けるなら……もうなんでもやる……」

 若葉は上を向き、ぐっと拳を握り、決意を固めてしまった。

「なんか……もう……頑張れ……」

 恋ってホントわからん。



 自分のクラスでぼんやりと、きっちり整備されている机を見ながら、弥生は何をしているのだろうなどと考えながらいると、九時のチャイムが鳴り響いた。

 つまり、文化祭一日目の開始だ。

 俺は、クラスで接客の準備をしているクラスメイトを横目に、特に目的もなく廊下に出た。

 廊下に出た瞬間、いつもの静謐な廊下とは違い、活気にあふれていた。

 そしてあたりを見渡すと、楽しそうな友達同士とみられる集団がそこらにいた。

 ……俺は今ボッチである。

 いつもなら、真っ先にいじりに来てくれる弥生は喧嘩中。

 未来と薫、あと恐らく黛と若葉も一緒にいるだろうし、蜜柑は演劇部にいるし……。

 あれ? 俺ってやっぱり友達少ない?

 文化祭とはいえ、こういう場で一人ってのもしんどいし、図書室にでも行ってひっそりと過ごそうかな……。

 そんなことを思っていると、突然後ろから肩を組まれた。

「わかるぞ……落胆する気持ちも……俺もそうだぜ……」

「うお! 林田!」

 少し赤みがかった、茶色の髪の爽やかメガネ。

 だけど、どこか残念な雰囲気な男、林田。

「良ければ回らねえか一緒に……」

 林田は、なんだかしみじみと、俺と悲しみを共有するかの如く言った。

「ああ……。救われたぜ……」

 こうして意気投合した俺たちは、ずんずんと文化祭の渦中へと入っていった 。


 林田とは、様々な教室を回った。

 焼きそばやフランクフルト、お化け屋敷やミニアトラクション……。

 中にはかなり並ぶ時間がかかるものもあったが、地元トークで盛り上がった。

 こうして、午前中が終わろうとしている中、俺たちは楽しく文化祭を楽しめていた。

 今はぶらぶらと、二人で一階を歩いている。

 なんだか、ザ・青春って感じがして楽しい!

 でも、なんだか物足りないような……。

 うーん。

「足りん」

「へ? どうした林田」

「俺たちに足りないもの。なんだと思う?」

 俺たちに足りないもの? 

 ここまでノンストップで文化祭を楽しんできたから……。

「休憩とかか?」

「……はあ」

 林田は、ため息をついた。

「な、なんだよ」

「これだから最近の若者は」

「同い年なんすけど」

「ちっちゃいことをうだうだ言うなよ? わかるだろ? もっと欲望に忠実になれ。周りを見ろ」

「周り……」

 周りを見てみると、あちこちでがやがや活気のある様子が目に入った。

 よく見ると、男女のカップルのちらほら見える。

「女子か?」

「正解! 文化祭の奇跡……あり得ると思うんだ俺はよお!」

「いやでも、今更この学校にそんながつがつした女も……」

「ちっちっちっ。甘いね」

「というと?」

「他校の生徒がいるだろ? そいつらならワンちゃんあるだろ?」

「あるとしても……ナンパでもしないと無理だぞ……」

「そのナンパをやるんだよ!」

「は?」

「俺が見本を見せてやるから、な?」

「そ、そうか……」

「見てろよ? えーと……」

 林田は、真剣にキョロキョロし始めた。

「よく聞け、こういうのはな、真面目な奴が狙い目だ。お、あんな感じの地味目な服を着てる女の子がドンピシャだ」

 そのまま林田は意気揚々と、その地味目な女の子に話しかけた。

「やあ、お嬢さん。よければ俺と文化祭を回らないかい?」

「えっ! って……」

「あ」

「あ」

 林田は、元気な笑顔を徐々に引きつらせ、顔を青く変化させていった。

 林田がとても良い声で声をかけたのは、新任でうちのクラスの副担任の国語教師の谷田先生だった。

 確かに、谷田先生は若い先生でかなりの美人だが……。

 これはさよなら林田案件だな……。

「林田くん」

「はい」

「あなたみたいな素敵な人に、ナンパされて、気持ちは嬉しい」

「はい!」

「でもね。私も彼氏いないからとはいえ、生徒に手を出して、生活できなくなる方が困るの」

「……」

「生徒指導室」

「はい」

 林田は、まるで連行されるかの如く、谷田先生に連れていかれた。

 というか、谷田先生の反応的に、谷田先生も出会いに飢えているのかな。

 もしかすると、二人は似た者同士なのかもしれない。


 林田が連行されてから、またひとりになった。そして蜜柑の演劇がそろそろ始まるということに気が付いた。

 時間も丁度良かったので、俺は演劇がある、視聴覚室に向かった。

 到着すると一年生であろう、小さいかわいらしい部員が「進さんですね。蜜柑さんから話は聞いてましたよ。来てくださってありがとうございます」と丁寧にあいさつをしてくれて、中に案内してくれた。

 席はほとんど埋まりかけていて、俺はぎりぎりで立ち見を逃れた。

 すぐに次のお客さんが俺の隣に座ったが、俺はそいつの顔に見覚えがあった。

「三島か?」

「こんにちは」

 全くこの前と変わらないトーンで、三島は話している。

「見に来てくださったんですね」

「蜜柑に言われたからな」

「そうですか」

 ……なんだか会話の内容を考えるのに一苦労しそうだ。

 でも、こいつには聞きたいことがあったんだ。

 薫の過去のこと。

 弥生がひたすらに隠している、薫の過去について。

 俺は少しでも聞きたいんだ。知りたいんだ。

「なあ三島」

「なんですか」

「薫について、少し聞きたい」

「……別にいいですが、小鳥居先輩に止められているところは話せません。薫さんのためにもです」

「むう……」

 やはりそうか……。

 弥生があそこまで伏せようとぐらいだ。

 そう簡単には話してもらえないか。

「ですが」

「え?」

「あなたに個人的に薫さんについて、話したいことがあるので、それだけ聞いていただければなと」

「いいのか?」

「ええ。小鳥居先輩の裏の顔と仲良しになれる人なんて、そうそういません。私ですら少し苦手ですので」

「……わからんでもない。というかやっぱりあいつ猫かぶってたんだな」

「ええ。知らなかったのですか」

「初めて会った時にはもう裏の顔でね」

「なるほど。まあ、それでは話しますね」

 三島は、少し息を吸い込んでから話し始めた。

「薫さんは、人間では無いのです」

「え? いやちょっと待て……」

 いきなりぶっ込んできたな! なんなんだ急に!

「すみません。一旦最後まで話させてください」

「……ああ、悪い。続けてくれ」

「これは例えですけど、というのも、家庭環境のせいです。薫さんは手間のかからない子供でしたが、人間でないような悪魔のような両親に育てられ……いや、両親を見て、育った薫さんは悪魔のような子供になりました。施設にいる時も、私は何度もこの人を怖いと思いました。何度も本当にこの人は、私より一年先に生まれただけの人なのかと思いました。頭が良く、冷徹で、世の中の全てを嫌っているような人。ひたすらに本を読み、人と話さず、勉学や運動を黙々と一人でこなす。感情が無いようにも思えました。ただ……」

 三島は少し上を見て、何かを思い出すように目を閉じて、そのまま話を続けた。

「たまに見せる、私が薫さんを賞賛すると見せる、少年のような笑顔はとても綺麗でした。恐らく、この顔は、薫さんの兄さんに褒められているうちに、自然と身についた、薫さん唯一の人間の部分でしょう。そして、中学に入る前、薫さんは施設を出て、引き取られました。私は薫さんを尊敬していました。様々な才能を薫さんは持っていたからです。薫さんがいなければ、私は目標もなく、無気力だったかもしれません。私の目標になった薫さんは、ある意味、私を救ってくれたんです。そんな薫さんが入学した高校に、私も入りたいと思いました。そんな時、小鳥居先輩と施設の人から、薫さんが通っている高校の話を聞き、ここに入学することを決めました。そして、薫さんと再会しました」

 三島は目を開き、一呼吸置いたあと、眉間に少しだけ皺を寄せて、また話を続けた。

「しかし、薫さんは人間でも悪魔でもなく、道化になっていました。優しさが欲しいあまりに、自分を偽って居たのです。そのため私は、今の薫さんが少し嫌いです」

 三島は、そのままこちらに目を向けた。

 話は終わりということだろうか。

「……三つ聞きたいことがある」

「なんでしょうか」

「一つは、三島がなんで施設に入っていたのかについてだ」

「……知りません。ただ、施設の人によると、どうやら施設の入口に捨てられていたそうです。まだ物心が付いてなかったので、記憶が全く無いですけどね。ちなみに名前は捨てられていた時に、紙が入っていて、そこに三島有機って書かれていたそうです。はい、次お願いします」

「二つ目、薫はなんで施設に入ったのかについて、教えてくれ」

「……まあ、両親の都合とだけ。物心つく前に施設に入れられていた私とは違い、薫さんの場合は、なぜ施設に入ったかを完全に理解した上で、施設に入りました。確か、小学校高学年の頃だったかと。具体的な理由は小鳥居先輩に止められているので、御容赦を。次、お願いします」

「三つ目だ。これが一番聞きたいことだ」

 緊張する。

 素直に答えてくれるかもわからない。

 でも、今までのこいつの性格だと、嘘をつく様なやつでは無いことは明らかだ。

 ひとつも言葉に詰まる様子もなかった。

 だから、落ち着いて聞こう。

「なぜ、今の薫を嫌う? 尊敬していましたって言っていたよな」

「……これはとてもくだらない理由なのですが」

 三島は話し始めてから、初めて言葉を詰まらせた。

「私のわがままです」

「はい? 急に私的な理由だな」

「そうですが、それ以外にないのです。例えば橘先輩が、目標にしてたもの、信頼していたものに、裏切られたらどうですか?」

「えっと……。嫌だ」

 俺は、弥生と喧嘩していることだとか、咲に突き放されたこととかを思い出した。

 そうでなくとも、人に裏切られたら万人が嫌と言うだろう。

「ですよね。だから今の弱々しい、女々しい薫さんがあまり好きじゃないのです。まあ、こうは言っていますけど、今は一応、薫さんの代わりに、蜜柑先輩、という目標が出来たので、本当にただのどうでもいい、わがままですけどね」

「え? なんで蜜柑が目標になったんだ?」

「あの人は素直な人です。感情がすぐに表に出て、行動にもすぐに出てしまいます。そんな素直な蜜柑先輩を尊敬しているし……言ってしまえば好きなんです」

「な! そんなド直球に! それは蜜柑を女としてってことか?」

「まあ、場合によっては」

 三島は、少し苦笑しながら答えた。

 さすがに少しは照れているようで、声が少し上ずっていた。

 でも、表情はほとんど動かない。

 本当に素直に全てを話すんだなこいつ……。

「……そろそろ開演ですね」

 三島は腕時計を見て、舞台の方を向いた。

「最後に、一言。わがままを聞いてもらっても?」

「えっ? ま、まあ無理難題じゃなければ……」

「ふふっ。嬉しいです。では……」

 三島は突然一粒、涙をこぼしながら、ゆっくりと言った。

「薫さんを、よろしくお願いします。先輩なら、薫さんを人間にできるかもしれません」

 ……全く意味がわからない。

 しかし、これを言うということは、これから先、薫がぶつかるだろう壁のようなものを予見しているのかなと思った。

 そういえば、薫と弥生に、俺は薫のお兄さんに似てるって言われたっけ。

 ……本当に、俺が何とかできるのであれば。

 今は、何が出来るのか分からないけど。

 俺は求められれば、誰にでも手を差し伸べると決めたから。

 三島も求めてるんだ。

 救いの手を。

「何をすればいいかはわからん! でも、救いを求められたら、俺は無条件でその手をすくい上げてやる。だから、任せてくれ。俺は誰も見捨てない」

 できる限り感情を込めて、噛み締めるように言った。

 三島は「ありがとうございます」と言って、それ以降、目を合わせることは無かった。

 劇は、魔女となった蜜柑が悪役と思いきや、どんどんと人にとっての悪である天使を蜜柑が倒していくという、勧善懲悪の話であった。

 蜜柑の演技は素晴らしく、客席にいる人たちは、まるで息をしていないくらいには蜜柑に引き付けられていた。

 蜜柑は役に入り込んでいて、三島が目標にする理由もわかった気がした。

 そして、終盤の蜜柑の「私は手に入れたいことに貪欲に、どんな手を使ってでも、手に入れる。そう決めたのよ」というセリフが、一番印象に残った。



 俺はその後、蜜柑の演劇を見たのちに、のどが渇いたので、一階にあるPTAが主催の無料のドリンクをもらいに行こうと思い立ち、一階に向かった。

 昇降口近くでやっているそうだったので、俺は降りてきた階段を左に曲がる。

 すると、昇降口前に少し人だかりができているようだった。

 なにやら、必死に呼びかけているような声が聞こえるな。

 って……この声は未来か? 一体何があったんだ?

 俺は気になり、人だかりの後ろから少し背伸びをして、中央の様子を見てみると、なんと薫が倒れていた。

 どうにかしないと、と思い「すみません、少しいいですか」と言いながら、人混みをかき分け、未来に近づく。

 未来は俺を見るなり、

「進! どうしよう! 薫くんが……」

 と涙目になりながら訴えかけてきた。

「ああ、えっと」

 俺は近寄り、薫の様子を確認する。

 どうやらしっかり呼吸はしているし、命に関わるほどではなさそうだ。

「薫。薫! 聞こえるか?」

「うう……」

 どうやら俺の声は聞こえた様で、薫は少し目を開いてくれた。

「未来、何でこうなったんだ?」

「うーんと……私がトイレに行ってる間にどうやら写真を撮ってもらえないかと聞かれたみたいで……そのあと倒れちゃったみたいで……」

「そ、そうか……」

 やっぱり薫は、倒れるくらい写真が苦手なんだな……。

「一応、救急車を呼んだ方がいいか?」

「そうだね。私が呼ぶから、ちょっと薫くんをお願い」

「ああ」

 未来は俺に薫を任して、携帯を取り出し、救急に連絡をしようとする。

 すると薫は、未来の腕をつかんだ。

 その動作はゆっくりとしていて、いまある力をすべて使ってしまうような雰囲気を感じた。

「未来……大丈夫だからやめてくれ……」

「えっ……でももし何あったら……」

「大丈夫だから……少し横になればきっと平気だ……それに……もし救急車を呼んだら、実行委員長であるお嬢様が責任を負う可能性がある……」

「う、うん。わかった。ほんとに平気なんだね?」

「ああ」

 薫は未来にぎこちなく微笑んで、少しの間見つめあっていた。

 俺はしばらくの間、あっけに取られていたが、少ししてから薫を保健室に連れて行かないといけないと思い、床で少しだけ体を起こしている薫を持ち上げる体制になった。

「とりあえず保健室に運ぼう」

「う、うん。あ、すみませんが道を開けてもらえませんか!」

 未来は、周りの人に声をかけてくれた。周りの人は、すぐに道を開けてくれた。

 軽い。軽すぎる。

 俺は、薫を持ち上げると異様な軽さに気が付いた。

 感覚的には、50キログラムもないような……。

 薫は確か、身長が170センチはあったから……少し軽すぎるよな……。

 少し気にはなるが……今はとにかく、運ぶことに集中しよう。



 保健室につき、養護教諭の先生がいたので、ベッドを開けてもらうと、未来と養護教諭の先生は、文化祭担当の先生と実行委員長である弥生を呼びに行った。

「薫、大丈夫か?」

「ああ、すまないな。運んでもらって」

「気にするな。むしろ軽すぎてびっくりだ。もっと食べたほうがいい」

「はは、そうだな。好きな食べ物がヘルシーなものだからかな」

 ベッドに横になっている薫は、思ったより元気そうだった。

「……何が好きなんだ?」

「豆腐だ。よく白米の代わりに、三パックセットの奴を平らげるぐらいには好きだ」

「渋いな……。で、一応お前にも聞いておくけど、倒れた理由は未来が言ってた通りなんだな?」

「……」

 俺が尋ねると、薫は申し訳なさそうにそっぽを向いた。

 少しすると、薫がこちらを向き直した。

「そうだ。僕はまた周りの人を不幸にしてしまって……」

「いやいやいや! そこまで大げさにとらえんなって! これぐらい平気さ」

「……そうか」

 薫は少し笑ったあと、少しだけ悔しそうな表情をしていた。

 それから少しすると保健室のドアが開き、未来と弥生が入ってきた。

「お嬢様……」

「よかった。思ったより平気そうね」

「ええ。未来と進のおかげですよ」

「そう」

 弥生は薫に駆け寄ると、よく様子を確認しているようだった。

 そういえば……弥生をここまで近くで見るのは久々だったような……。

 それに……弥生も少し顔色が悪いような……。

「とにかく今日は帰りなさい。未来ちゃんもごめんなさいね。せっかくの文化祭なのに」

「いや、薫くんの体のほうが大事だから……気にしないで」

 二人が、薫の体調を気にする会話をしていると、薫がベッドから降りようとした。

「ああ! だめだめ! 薫、横になってなさい」

「……やです」

「え? でも」

 弥生の薫をもう一度寝かそうとする手を、薫は優しくどかし、薫はしっかりと立ち上がった。

「少しびっくりしただけですから。あと少しで一日目の文化祭も終わります。だから少し無理してでも、未来と一緒にいたいんです。お嬢様がそうやって言っていたんじゃないですか。未来と一緒に居なさいって」

「薫……」

 弥生は、かなり心配そうにしていた。

「そう。なら行きなさい。無理はしないように」

「ありがとうございます!」

 薫は、嬉しそうな表情で弥生に頭を下げた。

 ……たまには男らしいところもあるじゃないか、薫。

 弥生は、未来のほうを向いた。

「ってことだから、何かあったらよろしくね未来ちゃん」

「うん……ありがとう」

 そのまま未来と薫は、保健室を後にした。

 それとほぼ入れ違いになる様に、養護教諭の先生と文化祭担当の先生が来たので、俺は今あったことを、弥生を含めて、三人に話した。

 

 そして先生にも説明を終え、先生はどこかに行ってしまい、弥生と二人きりになった。

 俺は恐る恐る、弥生のほうを向くと、弥生は、今にも倒れそうになりながら頭を押さえていた。

 次の瞬間、弥生は重力に従って、床に体が向かっていった。

 俺は、ギリギリのところで、何とか弥生を支えることが出来た。

「大丈夫かよ!」

「ええ……」

 弥生の体は小さくて柔らかかった。

 それだけでなく、かなり体温が上がっているようで、よく見ると目が充血していた。

 これは完全に風邪だ。

 そういえば……薫がなんだか様子がおかしいような……みたいなことを言っていたな……。

 やっぱり、睡眠不足か、無理をしているのだろう。

「おいおい。お前のほうがベッドで寝るべきだろ。こんなん絶対風邪だっ……」

 風邪だと言いかけると、弥生は支えている俺を突き放した。

「離して」

「なんでだよ! 絶対に無理してるだろ? このままじゃ……」

「私が休んだら……きっと薫も休むわ。看病するって言って聞かないはずよ」

「っ……そうなったら、未来と薫は文化祭を一緒に回れなくなってしまうから、無理してるってことかよ……」

「そういうこと。察しがいいのね。だから薫には言わないで。薫が幸せならそれでいいの」

 弥生は、そのままドアまで歩き、ドアに手をかけ、扉を開ける。

「というか、話しかけないで。顔、見たくないから」

「なっ……」

 確かに、夏祭りの終わりの時、顔を見たくないとは言ったが……。

「……たくなっちゃうでしょ」

 弥生は少し小さい声で何かを付け加えたようだったが、俺には聞こえなかった。

「おい、いまなんて言ったんだよ」

「聞こえないように言ったの。とにかく、今は話しかけないで」

 弥生はそのまま、保健室を後にした。

 ……このままじゃ弥生は、絶対に無理をする。

 でもこの関係のままじゃ……どうしようもない。

 俺はどうすればいいんだ……。

 その日は、そのまま、一日目の文化祭は終わった。

 

 文化祭二日目。

 高校の文化祭は、二日目には行ってないところや、前日に売り切れになってしまって、行けなかった飲食店を回るのが普通だ。

 そういえば初日はバタバタしていて、黛のクラスに行けていなかったっけ……。

 他に行くあてもないし、少し顔を出してみようかな……。

 そう思った俺は、二年二組の教室に向かった。

 黛のクラスに着くと、二日目が始まってから、まだ時間だ経っていないというのもあり、中にスムーズに通された。

 看板には「学校や家庭、仕事の悩みもお聞きします!」と書かれている。

 カウンセリングもやっているのか……。

「お帰りなさいませ! ご主人様!」

 ショートボブの、すごい萌え声のメイドさんが案内してくれる。

 教室内は普段とガラリ変わり、とてもメルヘンチックな装飾が施されており、執事やメイド姿の生徒が、ゆったりと仕事をしているのが見えた。

「こちらにどうぞ、はい、お冷になります」

 そう言ったメイドさんは、俺を席に座らせて、お水を出してくれた。

 何となくお水に手を出して、口に注ぎ、少し周りを見ようかなと思って、顔を上げると、案内してくれたメイドさんがじっとしているということに気がついた。

 顔を見るとメイドさんは、少し引きつった顔でこちらを見ていた。

「あのなぁ、進」

「えっ」

 俺は驚愕した。

 完璧美少女と思っていたメイドさんから、低音ボイスが発声されたのだ。

「そろそろ気がついてくれ。しんどい」

「ああ、お前!」

 よく見ると、メイドさんは黛だということが、俺には分かった。

 特に変装はしていなかったが、メイドさんが萌え声で話しているという先入観に、俺は支配され、黛だと全く気が付かなかった。

「なんでそんな格好してんだよ!」

「ああ……実はこのクラス女子が一人少なくてな。用意した衣装の個数を間違えたせいで、一人男がメイド服を着なきゃならないといけなくなったんだけど、ジャンケンに負けてしまってな。仕方なくメイドさんになったということだ」

「それはご愁傷さま……」 

「まあ、ぼくになんかデレデレする馬鹿な男どもを見るのは、楽しいからいいんだけどな!」

「捻れた楽しみ方だな! というか声はどうしたんだよ? 声帯でも取り替えたか?」

「ああ、蜜柑に発声練習してもらってな。萌え声なら、なんとか出せるようになったんだよ」

「そこまでお前を動かす原動力はどこから来てんだよ、全く……」

「まあいい、そんでお兄さん注文は?」

「えっと……」

 俺は落ち着いてメニューを見る。

 ショートケーキからパフェ、コーヒーもいくつかあって、もちろんパンケーキにはメイドさんのサービス付きと、文化祭のカフェにしては豊富な品揃えだ。

 ただ、俺はメイドカフェなど行ったことがないし、無難にショートケーキとカフェオレを頼むことにした。

 注文を裏に伝えに行った黛は、少し裏にいる生徒と話をしていたようだった。

 その後、黛は戻ってきて、直ぐに俺の席の前にドカッと座ってきた。

 その拍子に少し、スカートの中のスパッツが見えたが、需要なし。

「なんだか、お客さんそんな来なそうだし、話してていいらしい」

「そうか、助かる。暇だったからな」

「スマホゲームのひとつでもすればいいのによ」

「俺は対人ゲームが好きだからな。どうしても家でやるゲームが好みなんだ」

「そうかぁ、ぼくも最近、若葉と少しはやるんだが、画面酔いが酷くてなぁ。格闘ゲームは出来るんだけど」

「慣れないとしんどいよな」

 そんな他愛もない、極めて男子高校生がしそうな会話をしていると、正真正銘、若葉がショートケーキとカフェオレを持ってきてくれた。

 若葉は、昨日と同じく、ロングスカートのメイド服を着ている。

「お待たせ、ご主人様」

「おろ? 黛みたいにキャピキャピしないのか若葉は」

「タメ口だけど、ご主人様って敬称をつけて呼ぶのに、テンションが上がる男子も結構いる。この前メイド喫茶にロケハンに行った時に一定数いた」

「お前も本気も本気だな……」

「当たり前」

 淡々とそう言うと、若葉も俺の前に座った。

「進、何か悩み事ある? あるでしょ?」

「え」

 不意に、今一番考えるべき事柄を若葉に指摘され、驚き、飲もうとしていたカフェオレを口につける前に止めてしまった。

「やっぱりあるんだ、顔に出てたよ」

「そうなのか? 進」

 黛は心配そうにこちらを見た。

「まあ……」

 俺は、こいつらに弥生との事を相談したいと思ったが、今話してしまうときっと若葉と黛、特に黛は文化祭そっちのけで、俺と弥生に気を回してしまうだろう。

「あるにはある。だが、今話すことじゃない」

「そうか」

 黛は理解したようで、いつもの穏やかな表情に戻ったが、若葉は納得していないようだった。

「私はいつも進に助けられてるの。話だけでもいいから聞かせて欲しい」

 若葉は、真剣な面持ちで、少し身を乗り出して切り込んできた。

 確かに俺は、未だに弥生が、なぜあの時告白して来たのかが理解できない。

 こいつらにそのことを話せば、弥生の行動が理解出来るかもしれない。

「わかった話すよ」

「やった!」

「いいのか?」

 黛は、頬杖を付きながら尋ねてくる。

「ああ、悪いが巻き込まれてくれ」

「……」

 黛は一瞬、不満そうな表情をした。しかし、すぐに穏やかな表情に戻り、

「ふふ、そういうことなら遠慮なく」

 黛はそう言いながら、ニコッと笑った。

 俺はまず、弥生に告白したことを話した。

 そして、フラれたことを話した。

 その後、色々あって何故か、弥生が告白し返してきたことを話し、俺は一度振っている相手に、告白してくるという弥生の無神経さに、少しイラッときて、その後口論になり仲違いした、と伝えた。

「なるほどね」

「なるほどな、というか、お前よく好きな女とそんなに正面からバチバチに喧嘩できるよな。嫌われたらどうすんだ」

 黛が、少し肩を上げながら、呆れたように呟いた。

「う、確かにそうかもしれん……」

 今更だが、少しだけ後悔してきた……。

「と、とにかくそういう事だ。俺は何がいけなかったんだと思う?」

 こうして話しながらも、俺は弥生との関わりについて振り返っていたが、俺に悪かったと思う点は、ほとんど思いつかない。

 強いて言うなら、夏祭りの終わりの弥生との仲違いが始まる直前の口論では、確かに言いすぎた気はするが、だいたい、あの口論は無神経な弥生の態度が原因のものだ。

 と俺は思っている。だからこそ、二人の意見が聞きたいんだ。

「今の話だけだとわからんが、きっと弥生にとっては、何かそれが良いことだったんじゃないか?」

「え?」

 黛は、上を向いて考えつつ話しているようだった。

「進は弥生に告白してるんだろ? だったら告白し返すのが良いって、弥生は考えるかもしれないだろ?」

「うーん」

 確かにそうかもしれない。

 しかし、普通一度振っている相手に、告白し直すってことはするだろうか?

「普通するか? 振った相手に告白し直すなんて」

「確かに……しないかもしれん。世間知らずのお嬢様の弥生でも、さすがにしないよなぁ……」

 黛は、眉間に皺を寄せた。

「進、よいちゃんになんか言わなかった?」

 若葉がふわふわした疑問を投げかけてきた。

「なんかってなんだ?」

「なんて言うんだろ、進って割とおっちょこちょいなところがあって、謝りたいからって言って一年間もかけて人を追いかけちゃうぐらいにお人好しでしょ? 集中すると、周り見えなくなるでしょ?」

「む、まあ否定はしないが……」

「だからうっかりなんか言っちゃったんじゃない? よいちゃんそうさせた一言、みたいなやつ。女の子は、意外と言われたこととか、しっかり覚えてることが多いし」

「……うわ、割とありえるけど……」

 さすがに全部の言葉を覚えてるほど、俺は記憶力が良くない。

 頭にスーパーコンピュータが、四台ぐらいあれば覚えられたのかな……。

「くそー! わからん!」

 俺は頭を抱えた。

 本当にわからん。

「もうよいちゃんに直接聞くしかないよ、進」

「若葉の言う通りだ。結局本人のことは本人が一番わかるはずだ」

「ああそうかよ、くそ!」

 ヤケになりながら、俺は、残り少しのショートケーキを一口で平らげた。

 確かに、若葉の言う通りだ。

 こうしちゃいられない。

 早く弥生に、話を聞きに行きたい!

「弥生はどこにいる? 二人はわかるか? 体調を崩してたみたいだし、ついでに会いに行きたい」

「私わかんないなぁ、黛わかる?」

「……」

 黛は俺を見つめながら、静止していた。

「黛? おーい」

 若葉は、黛の視界に入り込む。

 黛は若葉の顔を見てハッとしたようで、すぐにまた動きだした。

「あっ悪い。いや、少し気がついたことがあってな。それでなんだっけ……」

「弥生の居場所についてだ」

 俺は、黛に改めて尋ねた。

「そうか、なら企画室かな。放送室が文化祭の間は、企画室になってるはずだ」

「おっけー、行ってくる」

 俺はすぐさま立ち上がり、教室を後にしようとする。

 あっ、やべ。

「ご馳走様でした!」

 帰り際に、俺は二人に挨拶をした。

 とても美味しいケーキとカフェオレだった。

「「行ってらっしゃいませ! ご主人様!」」

 二人は大きな声で、俺を送り出してくれた。

 なんだか、頑張れる気がするぞ!

 

 俺はすぐさま企画室になっている、放送室に向かった。

 人が多かったし、急ぐ必要もなかったので、少し焦りながらもできる限りゆっくり、人をかき分けながら進んだ。

 企画室につくと、何やら仕事をしている弥生の姿があった。

 椅子に座っており、背筋をピンと伸ばしており、背丈が高く見える。昨日とは打って変わり顔色もいい。

 話しかけようとしたが、ほかの生徒と話しているのが見えたので、近くの料理部のコーヒーを飲みながら、少し時間をつぶしてから、声をかけようと思い、家庭科室に向かった。

 俺は、廊下から、弥生に話しかけるチャンスを窺っていた。

 弥生は、表の姿の優等生な雰囲気を、これでもかと醸し出しており、ほかの生徒にせわしなく、指示を出していた。

 こうしてみると、まったく調子の悪い様子は見えない。席からは立っているところは見えず、座りながら、あれやこれやと資料に目を通していた。

 その後少し暇をつぶした後、弥生が一人になったので話しかけようと思い、企画室に入った。

 俺が企画室に入ると、弥生はすぐに俺に気が付いたようで、向こうから話しかけてきた。

「あら、進。調子はどうかしら?」

「あ、ああ……良くも悪くもねえよ……」

 なんだ? 急に馴れ馴れしく話しかけてきたぞ?

 顔も見たくなかったんじゃなかったのか?

 確かにあんなことを言ったのに、尋ねに来るのは無神経かもしれないが、動かないと解決しないと俺は思ったから、俺はここにきているんだ。

 はぐらかされる前に、本題に入ろう。

「文化祭はどうかしら? 楽しめてるかしら?」

「えっ、ああ、まあな……」

 俺が本題に入ろうしたが、弥生は間髪入れずに話しかけてくる。

 ……なんだ? 本当に何も思ってないのか? 

 俺は少し考えながら、弥生の顔を窺った。すると、何か悪いことを考えている、いつもの悪い微笑みを浮かべていた。

 これは……俺があきらめてどこかに行くのをまってやがるな……。

 こうなった弥生には勝てた試しがない。一回仕切りなおすか?

 ここで無理やり押しても、きっと良い結果にはならないだろう。

「すまん、仕事の邪魔だったな」

「そうね、まだまだやらなきゃいけないことがあるのよ。こちらこそごめんなさいね」

「ああ、じゃあな」

 俺は颯爽とその場を後にしようとしたが、部屋を出る寸前で、弥生が昨日保健室で体調が悪くて、ぶっ倒れかけたことを思い出した。俺は、顔色がいいとはいえ、弥生の体調が気になり、素早く切り返す。

「あ! そういえば弥生!」

 俺は、とっさに振り向いたためバランスが取れず、振り返って弥生の前まで駆け寄ろうとすると、ドアの淵に足が引っ掛かった。

 そのまま見事に転倒。

「進さん! 大丈夫ですか?」

 弥生が駆け寄ってくる。

「ああ、平気だ。とにかく、体調は平気なんだな?」

「……え、ええ、平気よ」

 弥生は、倒れて立ち上がろうとする俺を見ながら言った。

「ならいい、じゃあな。がんばれよ」

 俺はいててと腕を抑えながら、企画室を後にした。

 

 結局、なにも前進せずにここまで来てしまった……。

 これじゃ去年となんも変わんねえ! 何なら都内の文化祭を歩き回ってたほうが有意義だった気がしないでもない。

 彼女作ってあーだこーだしてぇ! とか思ってたが、今年もどうやらだめらしい。

 小学校や中学校の頃は、それなりにモテていたと思ってたんだがなあ……。

 渡り廊下を通り、西棟をふらふらと歩き、俺は逃げるように体育館にたどり着いた。

 体育館では、さっきまで吹奏楽部の演奏があったようで、生徒のほかに、保護者らしき人たちともすれ違った。

「あれ? 進さん?」

 呼び止められたので、俺は声のした方向をしっかりとみると、少し視線を落とした先に蜜柑がいた。

 少し大きめの制服を着て、下から見上げるようにしてこちらを見ている。

「なんだ蜜柑か……どうした?」

「いえ、そこにいたので話しかけちゃいました」

「そうか」

 周りを見る。

 蜜柑はきっと、若葉に気を使って、黛と一緒にいないようにしているのだろう。

 蜜柑と仲がよさそうな、林田は連行されてからどうなったかは知らないし、あの性格だと、恐らく男友達もたくさんいるだろう。

 きっとあいつは男に好かれて、女には「いい人」止まりなタイプだ。たぶん。

 三島も蜜柑のことが好き、みたいなことは言っていたが、めちゃくちゃ真面目だろうし、器用なタイプではなさそうに見えるから、きっと声をかけるなんてことはしていないだろう。

 つまり、今蜜柑は一人である。

 俺も一人。

「良ければ一緒に回らねえか?」

 せめてもの、自分をボッチから救うために、友達を救う。

 という建前の元、ボッチを回避!

「はい。暇ですし」

「おお、よかった……」

「あはは、ボッチ同士、仲良く回りましょう!」

「おう、助かったぜほんと」

 こうして蜜柑を連れて、もう全体の半分以上の時間が過ぎた文化祭を回ることとなった。

 

「それで? 今日は予定ないのか?」

 俺は、昨日回れなかった場所を回るわけでもなく、なんとなく蜜柑の様子を見ながら、お互い特に意思もなく校内を回っていた。

「今日は三年生の公演の日なんですよ。もう引退なので三年生だけで劇を作りたいってことで、私たちの出番はないんです」

「そうなのか。もう公演は終わっちまってるんだよな?」

「そうですね。残念ながら。素晴らしい公演でしたよ」

「まあ終わっちまったものは仕方がない。来年のお前らの演技に期待するとするか」

「えへへ、ありがとうございます」

 話しながら歩いていると、いつの間にか校庭に出てきていた。

 校庭の真ん中にはステージがあり、それを囲むように模擬店が展開されている。

「何か食べるか」

「そうですね。私もお腹がすきました」

「何があんのかなあ」

 俺は、文化祭前日にもらったパンフレットを開いた。

 蜜柑も、少し背伸びして覗いてくる。

「えっと、おお! 綿あめあるじゃないですか! これがいいです!」

 まったくおなかにたまらなそうな、綿あめに目を輝かせる蜜柑を見て、お腹がすいているんじゃなかったのかと、俺は思った。

「そうだな。綿あめ行くか」

「やった! ありがとうございます!」

 そしてパンフレットに書かれている地点へ、俺たちはまた歩みを進め始めた。


「最近どうですか?」

 結構顔を合わせている、蜜柑が急に「最近どう?」なんて言ってきたので少し驚いたが、俺は特に深く考えずに返答する。

「どうもこうもねえよ。ちょっと一つだけ厄介ごとを抱えてるぐらいだ」

「そうですか。私ならいつでも相談に乗りますからね」

「うん。いざとなったら頼るかもな」

 そんな話をしていると、後ろから急に声をかけられた。

「進くんと蜜柑ちゃんかな」

 俺たちはその声に振り向くと、そこには黛の祖父の徹さんがいた。

「ああ! お久しぶりです」

「お久しぶりです。徹さん」

「うんうん。お久しぶり」

 いつもの執事姿とは違い、ダンディなおじさんって感じだ。敬語じゃないのもいいなあ……。

 徹さんは、俺の顔を見た後、蜜柑の上のほうを向いた。

 そのまま視点を下げ、蜜柑の顔をそのままじっと見つめた後、もう一度俺のほうを見て、少し上を向いて静止した。どうやら何か考えているようである。

 俺と蜜柑はキョトンとしてしまい、お互いに見つめ合う。

 そしてそのまま、何かを理解したようで「なるほど……」と小さくつぶやいた。

 こう見ると黛にそっくりだ。

「すまないね、進くん。こっちのほうのことで少し考えてしまった」

「いえいえ、気にしないでください」

「……それで、黛がどこにいるのか知りたいのだけど……連絡はしているのだが、どうやら携帯を見ていないようでね」

「なら教室に行ってみるといいですよ。多分面白いものも見れます」

「そうか。ありがとう。蜜柑ちゃんも頑張ってくれよ」

「はい! ご迷惑おかけします」

 そういうと徹さんは、すたすたとパンフレットとにらめっこしながら、校舎のほうへ歩いて行った。

 なんだか、少し蜜柑と徹さんの会話に違和感があるように感じるが……気のせいだろう。


 そのまま少し行くと綿あめが売っている模擬店にたどり着いた。

「あ、蜜柑先輩だ!」

「ほんとだ! 昨日はよかったです!」

「はい! ありがとうございます!」

 一年生と思われる女子二人が、蜜柑に挨拶をしている。

「蜜柑先輩が演じてた……あれ? なんでしたっけ?」

「あれ? なんて名前だったっけ?」

 女子二人は蜜柑が演じていた、役名を忘れているらしい。

 どうやら二人は困っているようだったので、俺が助け舟を出してやることにした。たしか……。

「魔女のカーミラな」

「そうそう、カーミラとしての演技素敵でした!」

「ありがとうございます! えへへ、なんだか恥ずかしいですね」

 蜜柑はポリポリと頬を掻いた。


 その後、綿あめを受け取ると、俺たちは校庭の端のベンチに向かい、そこに腰かけた。

「いただきます」

 蜜柑は、お淑やかに綿あめをちぎって食べるものかと思いきや、いきなり大口をあけて、綿あめにかぶりついた。

「お嬢様なのに、ちぎって食べたりしないんだな」

「えっ! ああ、そうですね!」

 蜜柑は、少し焦っているような表情をうかべた。

 なんだか勝手に、俺のイメージを押し付けたようで、少し申し訳なくなった。

「まあ、別にいいと思うけどな」

「ははは……」

 俺も、一口綿あめをほうばる。

 甘くてふわふわしていて美味しい。

 元々甘いものは好きなんだが、綿あめは他にあまり似たような雰囲気のお菓子がないような気がする。麩菓子が近いかな?

「あーんでもしますか?」

「え?」

「別に深い意味はありませんよー! とにかく! えい!」

 蜜柑は、俺の口にわたあめを放り込んできた。

「ん!」

「あはは!」

 少しあーんのエイムというのか、狙いがズレ、口の周りがベタベタになった。

「美味しいですか?」

「ああ、くそベタベタする」

「なら良かったです!」

「人の話を聞けよ! 全く……」

 

 そのまま、口がベタベタした状態で綿あめを食べきった俺は、近くの水道まで行き、口の周りを洗った。

 戻ってくると蜜柑は、誰かと電話をしているようだった。

 とりあえず隣に座り、電話が終わるのを待った。

 電話が終わると、蜜柑は荷物を持ち、

「すみません、演劇部の方で呼ばれてしまったので、失礼します」

 と俺に告げた。

「おう。楽しかったぜ、ありがとうな」

「はい! こちらこそ!」

 蜜柑は、軽く一礼をしてから、その場をあとにした。

 

 俺はそろそろ閉会も近いので、俺は教室に戻ることにした。

 教室には、一人か二人くらいのお客さんがいて、暇そうにしている生徒も多かった。

 適当に空いている席に座る。

「進」

 いつもの中性的な声で、俺を呼ぶその声の主は薫だった。

 チャイナドレスに身を包み、少し露出が多く、本当に女の子にしか見えない。

「薫か、って本当に女の子にしか見えないなほんと」

 綺麗な細い足、細くて少し丸みを帯びた胴……。そこら辺の女の子より遥かにレベルが高い。

「そうか、なら少し腰のあたりの裾でも捲ってみるか?」

「うわ! やめろ! 別にいい!」

「なんだなんだー面白くない」

 薫は、にやっとしながら俺をからかってきた。

 裾に手をかける薫に、少しだけ興奮してしまった。

 いけないいけない。

「というか女装してて嫌じゃないのか?」

「ん? 別に? お嬢様は似合うと言ってくれたし、僕も可愛い格好は好きだぞ」

「もしかして……あれか?」

「あれ?」

「BL」

「それは無いな。なんたって僕には未来という彼女がいるからな」

「そうか、それなら良かった」

「……もしかして」

 薫は二、三歩引き下がると体をくねらせて身を守るような動きをした。

「僕のことをそういう風に見てたのか!」

「ちげ!  ……いや違く無いかもしれないが! 大丈夫だ! 俺はちゃんと女の子が好きだぞ!」

「そうか。てっきり進がBLかと」

「なわけないだろ」

 ……そういえば、未来はどこに行ったのだろうか。

 こんなに可愛い彼氏を置いて、どこに行ったんだろう。

「未来はどこに行ったんだ?」

「チア部の発表があるらしいぞ」

「お前見に行かなくていいのか?」

「昨日も見たし、シフトがあったからなあ」

 別に少しぐらいさぼってもいいと思うのだが、まあこの生真面目さも素直さも、薫のいいところでもある。

 いつかこれが、悪い方向に向いてしまわないか心配ではあるが、その時は弥生や黛が何とかしてくれるだろう。

「そういえば、何か飲むか? 少しだけならお茶が余ってたはずだけど」

 薫は、胸元に抱えていたメニューを俺に差し出して、お茶のページを開き、いくつかのお茶を順々に指差していった。

「じゃあジャスミンティーかな」

「了解」

 薫は、そのまま教室の端にあるジャスミンティーのボトルをティーカップに注ぎ、それをこちらに持ってきた。

「あ」

 薫は机の近くに来ると、隣の机に脚をひっかけた。

「うお!」

 薫は、そのまま俺の胸元に飛び込んできた。

 お茶がこぼれてしまったが、それどころじゃない。

 薫の柔らかい体が、ほとんど全体重をかけて、俺に圧をかけてくる。

 なんだかいい匂いもして、おかしくなりそうだ。

 俺は必死に、こいつは男こいつは男、と自分の脳に訴えかけ、理性を保った。

「す、すまん! 何か拭くものを持ってくる!」

「あ、ああ」

 いやあ、びっくりした。

 これはいわゆる、ラッキースケベってやつなのかなあ。

 でもどうしても脳の奥の奥で、ある一言がよぎるんだよなあ……。

 だが男だ、って。

「いやあ、ラッキーだったな進」

「ああ、って林田か」

 林田はいつも通り、裏表のなさそうな快活で明るい表情をしていた。

 林田は、廊下側から、教室の中にいる俺のところまで歩いてきて、俺のいるテーブルに置かれている椅子に座った。

「もしかして二人きりがよかったか? 薫ちゃんと」

「馬鹿にすんな」

「はは、すまんすまん」

「まったく……」

「四組に帰る途中だったからな、ちらっとおもろいもんが見えたもんで」

「おもろいもんね……」

「よかったな! 俺が薫くんの彼氏さんじゃなくて」

「ほんとだわ……」

 未来だったら、もうそれはそれは蹴られるだけで済むか、怪しいところだ。

 俺はぐでーっと机に伸びた。

「進。ほら拭いてやるから……」

 薫は、すぐに拭きものを持ってきた。申し訳なさそうな顔をしている。

「自分でやるから貸してくれ」

「でも……」

「こっちの気持ちも考えてくれ」

 いやほんとに頼んます。気が気でないんです。

「んんん? 明らかに悪いのは僕だぞ?」

 薫は、腕を組み考え込んでしまった。

「と、とにかくタオル貸してくれ。それで全然いいから」

「そうか……」

 俺は、薫から拭きものを受け取ると服を拭く。

「本当にすまん……」

「別に気にすんなよ。いつもの薫に戻ってくれよ。未来が悲しむぞ」

「そう、だな! 明るくいくぞ!」

 薫はぐっと握りこぶしを作り、笑った。

「そうだぜ薫くん! 明るくいかないとな!」

 林田も、薫を元気づけた。

「……すまん」

「へ?」

 薫は林田の顔を見て、怪訝な顔をした。

「誰?」

 ……林田はガクッと肩を落とした。

「四組の林田だ! 覚えてないのか? 一年のころ! 学年集会で少しぶつかったろ! それに、夏祭りのときもちょっとだけ一緒になっただろ!」

「いや、一年のそれ、よくおぼえてんな林田」

 そんなことまで覚えているとか、すごい記憶力だ。

 将来、営業とかしたら、すごそうだ。

「すまん。僕は全く覚えていない」

「そんな! 俺は一期一会、一朝一夕、一長一短、酒池肉林! 一度かかわった人との記憶は絶対に忘れないと心に決めてんだ! くそ! 悲しいぜ!」

 なんだかすごい勢いで、いろいろと間違えている気がするが、本当に林田はコミュ力の塊だ。

 この記憶力と明るさ。おそらくこいつは真正の人たらしなのだろう。

 蜜柑を引き留めた時も、この明るさがとても役に立ったのだろう。

 というか酒池肉林はまずくね?

「わかった。とにかく林田くんが良い人ってのは伝わってきたぞ。これからもよろしくな」

「おう!」

 林田の明るさに気が付いた薫は、林田とは仲良くなれると思ったのか、少しうれしそうな表情をしていた。

「あ、そうそう、進、蜜柑を見なかったか? 一緒に回る予定だったんだけど、今日急に予定できましたマジですみませんって連絡来たんだけどさ……」

「へ? いや俺、蜜柑と回ってたけど?」

「はい? ……ったくあの優柔不断お嬢様……まあいいや。ありがとよ」

 林田は頭を掻きながら言う。

「あ、薫くん、注文いい?」

「いいぞ」

「じゃあ、せっかくだし俺も進と同じのもらおうかな。薫くん」

「おっけ~」

 そういうと薫は、またジャスミンティーを淹れに向かった。

 

 

 少し三人で話した後、なんだか外の廊下が騒がしくなってきた。

 どうやらチア部の発表が終わったらしい。

 帰ってくる生徒が、増えてきた。

「あ、来た来た」

 薫は廊下のほうを見ると、ドアのあたりに未来が立っていた。

「お、彼女さんのご登場だね。さ、彼氏くん、行った行った」

 林田は、薫にアイコンタクトで合図しながら、薫を送り出した。

「そうだな。行ってこい彼氏」

 俺も便乗して、薫を送り出す。

「ああ、行ってくる……。あ、そうだ。進」

 薫は俺の耳を借りようと、手招きするが、話す直前で、林田に申し訳ないと思ったのか、少しためらった。

 しかし、林田はすぐに気がついたようだった。

「おいおい気にすんなよ。隠し事の一つや二つ、誰にだってあるだろ?」

「お前なあ、そんなにいいヤツだから彼女できないんだぞ」

「進だって彼女出来てないだろ」

「うわ、めっちゃブーメランだ。しかも誰も幸せにならない」

「ははは! 共倒れだな!」

 楽しそうに林田は言う。

「まったく……ほら薫」

 俺は薫に耳を近づける。

「ああ……えっと、進。お嬢様には会ったか?」

「ん? ああ、会ったぞ」

「朝から、なんだか体調がすぐれないようだったんだ。途中から登校するから、気にせず行ってきてって言われて、それでも心配で、一度僕が見に行った時には、大丈夫そうだったんだが、できたら様子を見に行ってほしい。お嬢様は僕の前だと無理してしまうから、進に見に行ってもらいたいんだ」

「ああ、全然いいぞ」

 まだなんだかんだで、弥生に聞きたいことを聞けていないからな……。

 でも、体調は明らかによかったような気がしたけど。

「ありがとう」

 薫はそのまま林田に一礼した後、未来とどこかに行ってしまった。

「ってことで俺もやることできたから行くわ。じゃあな林田。後夜祭までに何か起こすこと期待してるぜ」

「おいおい、俺を誰だと思ってやがる進くん。一日目に先生にナンパして爆死した男だぜ」

「はは」

 ぬかしおる。

「乾いた笑いやめろ」

「まあ、とにかく頑張れよ」

「おうよ! じゃあな!」

 俺は席を立ち、弥生を探しに校舎内に足を進めるのであった。

 

 その後は、弥生探しに四苦八苦。

 咲を探すのも結局出来なかったし、俺は女の子一人も見つけることが出来ないのかと、少しショックを受けつつも、逆に言えば、一年近くも謝りたいがために、女の子を追い続けるという、半ストーカーみたいな行為を続けたという自信があり、一生懸命校舎を見て回った。

 校舎にもう保護者や地域の人の姿はなく、だいぶ校舎に人がいなくなり、見通しを良くなってきたのにもかかわらず、まだ見つからない。

 そして俺は、また企画室に向かった。

 一度来た時には、弥生の姿はいなかったが、今なら文化祭実行委員が反省会とか軽く片付けをしているかもしれないし、いるかもしれない。

 俺は企画室の中を覗くと、予想通り反省会をしているようだった。

 外からはよく見えなかったが、少しすると、後夜祭だ〜と企画室から外に出ていく生徒たちが何人かいた。

 俺は、その集団の中に弥生がいないか確認していたが、二人組の女生徒が声をかけてくれた。

「あの、なにか用ですか? ずっとこちらを見ていましたけど……」

「ああ、聞きたいことがあるんですけど、小鳥居弥生って今どこにいますか?」

「弥生先輩ですか? 今日は来てないですよ、なにやら体調を崩したみたいで……」

「えっ、本当に休みなのか? 俺、確かに昼頃会ったはずだけど……」

「? いえ朝からいませんでした。朝礼でもいませんでしたね」

 おかしい。

 確かに俺は昼頃、弥生に会っているはずだ。

 というか、何だこの違和感は……全てが少しずつ、ずれているような……。

「あれ? でも私は会ったけど?」

 隣にいる女生徒が、少し考えながら呟いた。

「そうなの?」

「うん。この人が言ってるみたいに、私は昼間お話したよ」

「そっか、なら途中から来たのかな? えっと先輩ですよね? 何か聞いてませんかね?」

 そういえば、弥生は途中から来るらしいって薫が言ってたよな……。

「確かに途中から来るらしいって言ってたな……」

「じゃあどこかにいるはず……って、これじゃあ最初の質問の答えになっていませんね、すみません!」

 女生徒は、勢いよく頭を下げた。

「いやいいっていいって。ありがとうな。助かったよ」

「いえお力添え出来ず申し訳ないです。良ければ後夜祭楽しんでいってくださいね。出し物もありますので……」

「ああ。行くよ。楽しみにしてる」

「それでは」

 二人組の女生徒は、そのままゆっくり廊下を進んでいった。

 とにかく、よく分からないし後夜祭とやらにいってみるとするか……。

 結局、もう今日は、弥生と会うことは出来ないのかな。

 

 閉会式。

 生徒たちは整列し、先生の話を聞いている。

 後夜祭が迫っているからか、普段はメリハリがしっかりしている生徒も少しウズウズしているようで、いつもよりは私語が多かった。

 俺は俺で、今回の文化祭のことを思い出していたが、蜜柑の演劇を見て、弥生を探していた覚えしかない。

 しかも弥生の情報はなぜか交錯しており、様々な意見がある。

 弥生の態度についても、何やらおかしなところがいくつかあった。

 顔も見たくないと昨日は話していたのに、今日になってまるで別人になったように態度を変えてきた。

 体調のほうも、完全にと言っていいほど回復しているように見えた。

 あれ、やっぱり何かがおかしいよな。

 ……ああもう! まったく何がおかしいかわからん! 

 何かがおかしいのはわかっているのに、あと少しが出てこねえ!

 はあ、いったん落ち着こう。

 

 そうして頭をクールダウンさせるべく、後夜祭が始まった後も、校庭の端っこの階段に座り込んで、ぼーっとしていた。

 ちらちら視界に入る、キャンプファイヤーがまぶしい。

 そうしていると、適当に歩いていた蜜柑が、こちらに気が付いたようで、近づいてきた。

「こんにちは。一人なんですか?」

「まあな。少し考え事だ」

「そうですか。なら少し黙ってたほうがいいですかね?」

「まあ、どっちでもいいや」

 そうして俺は、文化祭の記憶を思い出す。

 林田が連行されたり、薫がぶっ倒れたり、メイドとイチャイチャ? したり蜜柑と一緒に回ったりとかいろいろしたなあ。

「あれ? 蜜柑くん? 何でここにいるの?」

「ああ、先輩」

 蜜柑は、少し身長が小さめの女の子に話しかけられていた。

 先輩と言っているあたり、演劇部の先輩なのだろう。

「さっき、校門で蜜柑くんを見たけど……」

「ああ、多分姉さんですね。すごく似てるでしょう?」

「え! 嘘! そっくりだね」

「えへへ、身長をよく見ていただけるとわかると思いますよ。姉さんのほうが小さいので」

「なるほど。ありがとね蜜柑くん」

「いえいえ、三年生なんですから、最後まで楽しんでくださいね」

 そういうと先輩は、どこかに行ってしまった。

 まあ、特に何も当たり障りのない会話だったな。

 そういえば蜜柑には、身長以外瓜二つの姉ちゃんがいるんだよな。

 それでドッペルゲンガー事件が夏に勃発したんだっけ。

 ……身長?

 その瞬間、すべてつながった。

 今まであったすべての違和感は、結論への一本道になっていく。

 そして、これは誰も悪くない。

 ただ、これを話して解き明かしたところで、本当にいいのだろうかと思ってしまうだろう。

 これは優しい嘘。

 みんなが、みんなを幸せにしようとしている嘘。

 だが、話すべきなのか? この結論を。

 気が付くふりをすれば、何もなく穏便に済む。

「あ、始まりますよ。黛さんたちの演奏」

「え? ってああ!」

 ステージの上にはギターを持った若葉、ベースを持った黛、ドラムの菊池、とマイクを前に、ギター持った薫がいた。

「あいつらいつの間に練習を……」

「実は去年もやってたんですけどね。ボーカルは私でしたけど」

「そうなのか?」

「そういえば進さんは去年参加してませんでしたね! あはは」

「笑ってんじゃねえよ……」

 無邪気に言う蜜柑に、俺は苦笑いをした。

 そして四人の演奏が始まった。

 俺がライブ慣れをしていないせいか、最初は爆音に聞こえたが、徐々に音量にも慣れていき、どんどん四人が作る世界観に、飲み込まれていった。

 四人とも、とても息があっていた。

 というか若葉のギターがうますぎる。ギターのほうを見ることがほとんどなく、少しリズムに乗っている動きを見せている。

 そして何より、薫の歌がうまい。

 もともと中性的な声をしているので、高音もとてもきれいだった。

 感情がこもりすぎているように感じた。

 そのためか観客もノリノリであった。

 そして「彼は罰すら与えてはくれないのさ、この僕の愚かさに」という歌詞が、特に印象に残った。

 

 演奏が終わった後も、拍手は止まらなかった。

「皆さん、ありがとうございました。今回は少しわがままを言わせていただいて、いいところを見せたいという思いから、この三人と一曲やらせてもらいました! 楽器隊の三人、そして聞いてくださった皆さんも、レスポンスありがとうございました!」

 と薫が言うと「おお!」と観客が、これでもかと沸いた。

 そして俺は、さっきたどり着いた結論を話さないといけない理由ができた。

 この演奏を、素晴らしい今日のことを、本当の弥生に伝えてやらないといけないという理由が。

 その後、いろいろな出し物が終わった後、キャンプファイヤ―を中心にフォークダンスが始まった。

 この学校フォークダンス好きすぎるだろ。またするのか。

「蜜柑」

「はい」

 俺は、出し物を一緒に見ていた蜜柑に話しかける。

「踊ってくれませんか。俺と」

「ふふふ、はい、喜んで」

 俺が立ち上がると、蜜柑も立ち上がり、階段を降り、正面で向き合う。

 ……。

 やっぱりな。

 そのまま、中央に置かれた火を囲むように生徒たちは踊り始めた。

 俺たちもその流れで一緒に踊る。

「おお、うまくなりましたね」

「まあな、二回目だしな」

「まあ、身長差があまりないのも大きそうですね」

「……そうだ身長差は大事だよな」

「?」

 さあ、答え合わせの時間だ。

「蜜柑。今日俺と会うのは何回目だ?」

「え? 二回目ですかね。昼に一緒に回ったじゃないですか。忘れちゃったんですか?」

「そうだな、でも、なんだか昼の蜜柑は身長が低かった気がしたけど」

「え? そんなことはないですよ。見間違えじゃないですか?」

「じゃあ、昼間、何を食べたか言ってみてくれないか」

「……」

「今日、本物の弥生は、学校に来ていない。文化祭二日目に、来ていないんだ」

 蜜柑は、少しずつ踊るのを止めていった。

 そして蜜柑は、一言つぶやいた。

「……そこまでわかっているのであれば、今こんなところで踊っている暇はないんじゃないですかね? まったく」



「いつ分かったんですか。私が弥生さんのふりをしていて、お姉ちゃんが私のふりをしていたの」

 踊ることをやめた俺たちは、ただ立っていた。

 そして、俺は、今日、学校に弥生はいなかったという事実を、蜜柑に説明することにした。

「そうだな。まず気が付いたのは、弥生の体調が悪かったという点だ。そしてどうしても、弥生は学校に来たがっていた。なぜなら、弥生が休むと、看病をするために薫も休んでしまう。そんな薫を、弥生は道連れに休みたくなかった」

「そうですね」

「そして、今日。俺が一回目に弥生に会った。だがその時の弥生の中身は、蜜柑だったんだろ?」

「そうです。どこで気が付きました?」

「お前が声と姿も似せられるっていう、特技があったことを思い出したら、すべて繋がったんだよ。もしかすると、蜜柑の変装かもしれないってな。それと座高が思ったより高かった気がしたこととか、馴れ馴れしかったこととかな。そして何より、俺がこけたときにお前、進さんって呼んじゃっただろ?」

「うっわ! ばれてた! これはやらかしてしまいましたね」

 蜜柑は、あちゃーと頭に手を当てた。

「あとな……これは言いにくいことなんだが……」

「はい」

「俺と弥生、喧嘩してんだよ」

「え?」

「だからその……あんなに仲良く話してくるのは、まずおかしいんだよな……」

「ええ! 言ってくれれば不仲の演技したのに! ひどいです、私の努力はどうなるんですか!」

「ははは……」

 そして俺は、呼吸を整えて話を続ける。

「そして、昼に会った蜜柑。これはあんたの姉さんだな」

「そうです。一応聞きましょうか。わかった理由を」

「俺は蜜柑の恰好をしている人は、全員蜜柑だと思ってた。まあ一見、当たり前なことで、間違えてはいないんだけど、あんたの姉さんは別だ。似ているから、蜜柑の顔をしていても、蜜柑じゃない可能性がある。それに林檎さんは、保護者として来ている可能性だってある。そして、昼の蜜柑は身長が小さかった気がしたことに、気が付いた。そして今踊って、こうやって向かい合ったときに、俺の仮説は確信に変わった。やっぱり今のお前は昼より、身長が大きいということに。それに、今思うと、仕草で少しずつ、あのやんちゃ姉さんの、片鱗見えてたけどな」

 綿菓子にかぶりついたり「最近どう?」とか聞いてくるあたり、林檎さんの片鱗はあった。

 それに、弥生に成り代われるのは、蜜柑だけだ。

 林檎さんは、別に蜜柑と違って、声も見た目もそっくりにすることなんて、できないだろう。

 そこまで言うと、蜜柑はやれやれと、肩を落とした。

「はあ、やっぱりそうでしたか……。無駄なことはしないでくれって言ったんですけどね。進さんと文化祭回ってるって、連絡来たときは驚きましたよ」

「ってことだ。そういうことで俺は、弥生に伝えなきゃいけないことがある」

「はい。薫さんの演奏のことですか」

「ああ。それと今日のこともな。こんな楽しくて素晴らしいこと……文化祭二日目をあいつだけ楽しめないのはよくない。俺はあいつを一人にするわけにはいかない」

「今、一緒に踊ろうとしてた私より、絶対に大事ですね。それは」

「まあな。というかお前、俺のことなんとも思ってないだろ」

「当たり前です」

 蜜柑は、胸を張る。

「少しはオブラートに包め」

「すみません。さ、油売ってないで、早く行ってきてください。まあ買ってるのも私ですけど。弥生さんは、私の家の、私の部屋で安静にしているはずなので。薫さんに、いろいろしてるのが、ばれないように、弥生さんはわざわざうちまで来たんですから、ちゃんとお話ししてあげてくださいね?」

「ああ、ありがとう」

 俺は薫の演奏のこと、そして、弥生に改めてなぜ告白をしてきたことについて、話をするために蜜柑の家へ走った。

 

 中村家……蜜柑の家に着いたが……。

「しまった……」

 鍵がない。

 いや、当たり前なんですけどね? 他人の家なんで。

 ここまで来たら、ワンチャン空いてるかな? とか思うじゃないですか。

 今めっちゃ主人公してるじゃないですか、自分。

 主人公補正とか、ないですか?

 いやマジでどうすんの、ラフメイカーでもするかな。窓ガラス割って入るしかないか?

 そんな時だ。

「どうやらお困りのようだね?」

「そ、その声は」

 少し大げさな声に、俺は大げさに振りむくと、黛と徹さんが歩いてきた。

「なんでいるんですか……」

「まあ、それはなあ、おじいちゃん?」

「そうだなあ、孫よ」

 二人は、わざとらしく目を合わせた。

「わかってたんですか?」

「私は弥生ちゃんが何やら、薫くんに見つからないように、林檎に車で運ばれているのを見たんだ」

 と徹さんが話す。

「ぼくは、蜜柑が何やら変装道具を持ち出しててな。それが弥生っぽい髪だったりサイズだったりしてたってのと、林檎さんが蜜柑の制服持ち出しててな。そして進から弥生が体調不良の話を聞いた。そしたら全てが繋がった。多分、蜜柑は弥生のふりしてて、林檎さんが蜜柑のふりしてるって。しかもそれは、薫に迷惑をかけたくない、そんな弥生のわがままに、蜜柑たちは付き合ったんだってな。そんで、ほれ」

「うお!」

 一息で言い切った黛が、投げてきたのは、家の鍵だった。

 というかそんな情報だけで、俺がここまで来るってのを予測して、蜜柑がカギを渡し忘れるところまで読んでたのか……。とんでもないぞこの親子。

「多分ぼくらは、邪魔になるから外にいるよ。話は昼頃に聞いているからな。後は好きにしな」

「ああ、マジでありがとう。徹さんもありがとうございます」

「いいんだ。早く行きなさい」

 俺は、黛と徹さんに感謝をしつつ、家の中に入る。

 そして、二階にある蜜柑の部屋を開ける。

 女の子の部屋だし、少し緊張するが、そんなことを言っている場合ではない。

「まったく、ノックぐらいしなさい」

 弥生だった。

 ベッドに座っている。

 顔色はよく、体調は良くなっているようだった。

「蜜柑から連絡がなかったら、パジャマで会うところだったのよ」

「すまん。それで体調は」

「ほぼ全快よ。それで、ばれちゃったのね」

「ああ。とにかくなんで、こんなことをしたか聞かせてくれ」

「簡単なことよ。私が風邪で休むなら薫も休むでしょ。そんなの嫌。だから無理を言って入れ替わってもらったの。何とか辻褄合わせながらね。薫にさえばれなければって思っていたけど、あなたにばれるとこうなるのね、お人よしバカねホント」

「うるせえ、こちらとら、お前に楽しい楽しい文化祭二日目の話をしに来てやったのに」

「そう、なら話してちょうだい」

 弥生は、ベッドに俺のほうを向いて座った。

「薫、黛と若葉と菊池と一緒にバンド演奏してたぜ。盛り上がってた」

「そう、よかったわ成功して。私と未来ちゃんにいいところを見せたいって言ってたし、本当によかったわ」

「ああ、あとはな……」

 俺は、俺が見たすべての楽しかった文化祭の思い出を話した。

 弥生は、二日目楽しめてないんだ。

 一生懸命話してやらないとな。

 

 

 弥生は楽しそうに聞いてくれた。

「……こんなもんかな」

「まだあるでしょ。話したいことは」

「……」

 そうだ。

 まだ、俺と弥生の考えの交換ができてない。

 あの時の告白の理由について、聞かないといけない。

「夏祭りの終わりの時。俺に告白してきたのはなんでだ。絶対に理由があるはずだ」

 弥生はベッドに座り直し、俺を見つめる。

 その目をそらした後、弥生は口を開いた。

「私は、あなたが私のことを好きということは知ってたわ。だから告白し返した……。ただその先の理由を聞きたいんでしょ? もっと奥深くまで」

「ああ」

 切なそうに言う弥生に、俺は返事をする。

「そう。まあ、一つは薫のためよ」

「え?」

「ふふ。想像もしなかったでしょ? でもまあ聞いて、今回の入れ替わりにも関係してくるわ。薫は私のことが大事なの。昨日の夜から薫は、私が調子悪いと気が付いてから『お嬢様がその調子なら僕も休みますから』って言ってた。この私に対する過保護みたいなものを、何とかしたいって思ってた。だから……薫には、別に私より大切な人を作ってあげようとしたの。私以外に、大切な人が出来れば、私に対しての過保護が、少しはなくなるかなって思ったのよ」

「……もしかして……やたら未来と薫の関係に協力的だったのはそのためか?」

「そうよ。まあそんな事しなくても、未来ちゃんは結構積極的だったし、薫も早い段階で、未来ちゃんを少し好きになったから、トントン拍子で進んだわ。それで次に、ほかにも、私が薫に心配されないようにする方法を探したの。そしたらすぐ見つかったわ。薫の代わりに、私を守ってくれる人を見つければいい。その候補があなた」

 弥生は、俺を鮮やかに柔らかに指差した。

「……」

 淡々と話す弥生。

 俺は今、夏休みに弥生に言ったことを思い出した。

「だからいつでも何でも言ってくれ」

 俺は軽率に、とんでもないことを言ったのかもしれない。

 若葉の言った通り、弥生をそうさせてしまった一言を、俺が言った、というのは正解だったな。

「ただね。二つ予想外なことがあったの」

「ああ……なんだ」

「あなたから告白されたことよ」

「え?」

「早すぎたの。薫が正式に、未来ちゃんと付き合い始めて、少し落ち着いてから、私はあなたに告白しようとしてた。だけど、その前にあなたが告白してきたの。それじゃあダメだった」

「じゃあなんであの時……俺が告白してくるとき断ったんだよ。なんでダメだったんだよ! 早すぎたとしても、もう少し具体的な理由がないと理不尽だろ? それになんで薫と未来が付き合ってからじゃないといけなかったんだよ」

 俺は少し怒っていた。

 なぜ薫と未来が、付き合ってからじゃないといけなかったのか。

 なんだか理不尽に感じたからだ。

「薫より先に私が付き合い始めたら、あの子は私より先に一人になるわ」

「薫が一人になるからって……そんな過保護になる理由があるのかよ」

「あるわ。あなたも薄々気が付いているはず。あの子は普通の子じゃないわ。彼を一人にしちゃいけないの。昨日だって、少し一人になったら……倒れちゃったでしょ」

「……」

 わかっている。

 薫は何となく、普通じゃないことがわかる。

 カメラや鏡が苦手なこと。

 まるで仕草が女の子なこと。

 お兄ちゃんの墓の前で取り乱したこと。

 目が少し、濁っていること。

 薫はきっと昔、何かあったんだ。

 でも何度も頼んでも、弥生は薫のことを話そうとはしない。

「わかった。とりあえずはそれでいい。お前は薫を一人にしたくなかった。薫が未来と付き合うまでは、薫を一人にさせないために、俺と付き合うことができなかった。だけど俺の告白が早かったから、一度断った。タイミングが悪かった。こうだな」

「物分かりがよくて助かるわ。すれ違っちゃったの。それで私が焦っちゃった」

「それでなんで、また告白しなおしてきたのか、これについての理由はまだあるんだろ。さっき二つって言ってたし」

「ええ、そうね。じゃあ、二つ目ね」

 弥生は俺を見た。

 その後少しだけ苦笑いをしながら話した。

「これはあなたが私が考えていた優しい人とは違う、優しい人だったからよ」

「……どういうことだ?」

「私はあなたが何もかも受け入れてくれる優しい人だと思った。だから多少理不尽でも受け入れてくれる。私のわがままなら受け入れてくれるって思ったの。でも少し違った」

 弥生は、蜜柑の机の上にある、黛と蜜柑が、二人で写っている小さい頃の写真を見た。

 ただ、黛の姿には、ほとんど変化はなかった。

 今と、ほとんど変わっていないようだ。

「あなたは何もかも受け入れる優しさじゃなくて、ダメなものはダメだって教えてくれる、導いてくれる優しさを持っていた。黛も似たような優しさを持っているけど、黛は何でもかんでも受け入れるから、誰も突き放さない。そこが大きな違いね。だから、進の優しさを、私は見誤ったってこと」

 確かに黛は、誰かを突き放したりはしなさそうだ。

「確かに、黛はそんな雰囲気あるな。でもまあ理不尽はだめだろ。当たり前だ。少しだけ傷ついたんだからな」

「ごめんなさい。謝るわ」

 弥生は、深々と頭を下げた。

「薫の幸せのためだけに、周りと、進と乱暴に付き合ってしまったこと。自分勝手になっていたこと。本当にごめんなさい」

「そうか……俺も早めに話を付けられなくてすまん」

 弥生は、弥生なりの考えがあったんだ。

 だけど、こいつは多分、不器用だ。

 でもお人好しで、薫のことを考えてる。

 こいつも一生懸命だったんだ。

 咲を探してた頃の俺みたいに。

「私こそ、意地になってごめんなさい。あなたの幸せのことを全く考えてなかったわ。薫のことを考えすぎて、何も見えていなかった」

「これは許すとか許さないとかそういうのじゃないだろ。多分。もうお互い謝るのはなしだ」

 

 その後、少しの間お互いに考えを整理しているのか、無言で時間が過ぎていった。

 弥生は、薫に弥生の心配をしなくていいように、俺と付き合おうとした。

 弥生を一人にするのは嫌だ。

 そう薫は考えているから、俺が弥生についていれば安心だと、薫が思ってくれるって、弥生は考えたんだ。

 そして、弥生は俺の性格を図り違えて、勘違いした。

 少し理不尽でもいいから、俺に告白し返してきたが、弥生が言うに、俺は何でもかんでも受け入れるタイプのお人よしではなかったらしい。

 お互いに意見を交し、理解はした。

 しかし、まだ一つ課題があった。

「それでどうしようか。俺たちの関係。一応……りょ、両想いだろ?」

 少し恥ずかしいが……。

 この微妙な関係をどうするかだ。

 俺としては、弥生には、薫のことを第一に考えてもらいたい。

 ここまで、薫のことを思っているなら尚更だ。

「そうね。それについて私も考えてたわ」

「……えーと……」

 俺は、今でも弥生が好きなのか、そうでないのかわからなかった。

 喧嘩別れをして、今でもこんなに近いように感じるのに、出会った時のような恋愛感情……っていうのかな、そういう少しドキッとするような、背中に汗をかいてしまうような緊張感はない。

 なんというか、今は話していて、息ができなくなるくらいに、弥生のことが好きと言うわけでは、ないような気がする。

「私から、単刀直入に言うわ。改めて考えたけど、残念ながら、私じゃ、きっとをあなたを不幸にするわ」

「……そんなことは……」

 俺はそんなことはない、弥生と出会ってから色々遊んだりしてくれて、暇しなくて助かっていた、と言おうとした。

 しかし、弥生はすぐさま遮った。

「現に、今そうじゃない」

「……」

 言い返せなかった。

 俺は、別にいくらでも不幸にされてもいい。

 でも多分、弥生がそれを良しとしないんだ。

「それとやっぱり、私はあなたと付き合えない。これは私が原因。だって私、不器用だし、要領悪いから、薫を見守りながら、進と付き合うなんて無理。キャパオーバーよ。あと未来ちゃんがしっかり、薫の大切な人になれるかどうかなんて、まだわからないしね。それに未来ちゃんが薫を受け止めきれるかわからない。だから、いつでも私が、薫を受け止められるようにしてあげないと……」

 弥生はいつもの余裕のある、微笑むような目つきから、真剣な目つきに変わった。

「つまりは、薫をもう少し見守ってから、自分のことをする。そう決めたってことよ」

 弥生は、しっかりとした口調で言った。

 確固たる意志を感じた。弥生は、俺から目線を外すことはなかった。いつもなら、何見つめてるの? 惚れた? とでも言いそうだが、そうじゃないところからも、真剣に俺と対話をしているのが感じ取れる。

「そうか……なら」

 そう。

 これでいい。

「親友だ。改めてそういうことにしよう」

「そうね。進の告白した後の関係に元通り。それがいいわ」

 弥生は少し考えてから、また口を開いた。

「なら、『弥生は親友』って言って」

「は? なんだいきなり⁉︎」

「言って。言ってくれたら、私も言うから」

 弥生の目には、少し涙が浮かんでいた。

 弥生の顔は真剣だった。

 多分、これは弥生なりの、確認であり、覚悟なんだろう。

 もう、俺とは恋愛しない。そのことに対しての。

 失恋をしてるのは、俺も弥生も同じだ。

 弥生の気持ちを、覚悟を、受け止めなければいけない。

 俺はしっかりと息を吸い、伝える。

「弥生は親友」

 俺が言うと、弥生も目を瞑ってから、また目を開き、ゆっくりと言った。

「進は親友」

 弥生はにこっと笑って、手を差し出した。

 俺は、しっかりとその差し出された手を握り返す。

「これからもお節介を続けなさいね、親友」

「当たり前だ。俺はそれだけが生きがいだ」

「それは困るわ。それだけが生きがいなんて。あなたにも、もっと幸せになれる方法を見つけてもらわないと困るわ。だって、人助けていつか死にそうじゃない? それだと」

「はは。そうだないつか死んでそうだ。というか、もっと幸せになる方法ってなんだよ?」

「ええ。例えば……咲さんともう一度出会えました、とかね」

「……ははは、そうだな、あきらめずにのんびり探し続けてもいいのかもな」

「そうよ。あきらめないって思うだけならタダよ。大体、目標があるからって行動を起こす必要なんてないじゃない。大抵の人間は、目標を立てるだけ。現実的な目標とかじゃない限り、その目的に向かっての行動なんて起こさないわ」

 そうだ。あきらめないだけならタダだ。直接探さなくてもいいし、気が向いたら行動すればいい。

 のんびり咲を探すという思いだけでも持っていれば、いつかまた、会えるかもしれないからな。

 手を離すと、弥生は立ち上がった。

「帰るわ。おかげで元気になったし」

「そうか。あ、そうだ」

「何よ」

 一つ聞きたいことがあった。

 少し意地の悪い質問だが、今のこの雰囲気を和ませるには、もしかするといいかもしれない。

「俺のことは、どれくらい好きだったんだ?」

「……」

 弥生は、まっすぐ俺を見つめてきた。

 気まずくなって、恥ずかしくなって、俺は目をそらす。さすがにこの質問は踏み込みすぎたのかもしれない。

「な、なんてな! まあ薫のために俺と付き合おうとしてただけだし、実際そんなに好きじゃなかったんだろ?」

「そうね。じゃあ今からどれくらい好きだったか教えるわ」

「あ、ああ」

「ただ……」

 弥生は、机の引き出しにあったガムテープを手に取る。

「勘違いしないでもらいたいし、明日からはちゃんと親友だってことだけ約束してくれるかしら」

「……? ああ、それはさっき約束したからな」

「じゃあ」

 弥生はにこっと笑った。

 次の瞬間、すごい勢いで接近された。

「っ……!」

 そしてガムテープで口をふさがれた。

 そのまま壁に押し倒される。ガムテープを放り投げると、弥生の両手は、俺の顔のすぐ横の壁にダン! と叩きつけられた。そして弥生は、俺の太ももの上に馬乗りになる。

 チュ。

 へ?

 そのままガムテープ越しにキスをされた。

 しかも、結構激しめのやつ。

 顔を抑えられて、思いっきりされた。

 離れようとしても離せない。

 いい匂いがする。

 呼吸が乱れてる。

 弥生の指が耳や首に伸びてくる。

 弥生は、声が漏れている。

 接吻音が口から聞こえる。

 俺は、頭が真っ白になった。

 どのくらい好きか教えるって……。

 え?

 俺のことめっちゃ好きだったってことですか?

 弥生は、顔を離す。

 少しだけだが、弥生は泣きそうになっていたように思える。

 

「ふぅ……。これくらい好きだったわ。私、人を見る目だけはあるのよ。やっぱりあなたは素敵な人でした。じゃあね。明日からは親友よ。今更抱かせてくれとかなしだから。よろしくね」

 弥生は、俺の首に回していた手を壁に付け、手で壁を押し返し立ち上がると、さらっと手を振り、部屋を後にした。

 ……なにがなんだかわからない。

 本当に、これでよかったのかもわからない。

 未だに、薫に関しても何もわからない。

 でも、今はこれでいいと思う。

 弥生と仲直りが出来た。俺はそれだけで本当に嬉しかった。

 そして、咲をあきらめない決心もついた。

 ……と放心しつつ、部屋の壁に身を任せながら考えていた。

 

 次の日。

 昨日、俺は放心状態のまま、しかもガムテープを口につけたまま黛に発見され、あと一歩で警察沙汰になるところを何とか免れ、なんだかんだ救出された後、何とか帰宅し、心にぽっかり穴が開いたような感じのまま、文化祭の後片付けをしていた。

 今は、廊下で段ボールを運んでいる。

「こんにちは」

「うわあ! 弥生!」

 段ボールを運んでいると、弥生がひっこり声をかけてきた。

「うふふ。何を取り乱しているの? 親友よ?」

「クソ! ちゃんと事前にあのその……まごまごされる前に約束結んじまったから、全部俺が悪いじゃねえか!」

 軽率に約束とか言うんじゃなかった! こんなんじゃいつか命をくださいって約束でも、サクッと結んでしまいそうだ。

 ああ、恐ろしい。

 口は禍の元。

 少しだけ、昨日のキスの感覚を思い出してドキドキする。

「そうよ。勝手にドキドキしないでくれるかしら。深呼吸でもしなさい」

「ああ! わかった! ふううううううううう」

「どう?」

「まあ、なんとか」

「そう。少し手伝うわ。段ボール、こっちに少しよこしなさい」

「ああ。助かる」

 俺は、弥生に段ボールを少し渡す。

 そして少しの間、並んで歩いた。

 ゴミ捨て場を目指して。

「なあ、昨日言えなかったこと言ってもいいか?」

「どうぞ」

「俺は改めて人を助けることが好きだ。そう思った」

「そうね」

「ただそれだけだ」

「ふふ。中身なさ過ぎ」

「はいはい……」

 そのあと、弥生は少し悲しいような、でも少し笑いながら言葉を続けた。

「じゃあ私は、いつか来る日のために、薫のことを好きになっておいてほしいって言っておくわ」

「へ?」

「これも人助けよ。やりなさい」

「はあ……人使いが荒いなあ」

「そんな! 私のことが好きだったんでしょ?」

 弥生は、隣からちらっとこっちを見る。

「まあなあ……そうだなあ……」

「なら、お願い親友。あなたを巻き込むことになるかもだけど」

「ああ。任せておけ親友」

 弥生は、少し微笑んだ後、前を向いた。

 そして段ボールを回収しているゴミ捨て場から、出てくる薫を見て、弥生は少しだけ右下を向いた。

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