第9話 過去

 八月の初頭。

 イベントが特にない、この時期であるが、今日は、家ではなく、駅前のカフェに、黛と若葉と惰性で集まり、適当に昼時を過ごしている。

 まあ集まったはいいもの、お互いに独立してやりたいことをやっているだけである。

 若葉は、黛の様子をチラチラ確認しながら、スマホを壁にしている。たぶん、黛の顔が見たいだけだろう。

 グループの連絡から惰性で集まったとはいえ、黛と若葉の二人きりにしてやるのがいいと、俺は思ったので、俺はいいやと連絡したところ若葉は個人連絡があり、「きんちょうするからきて、やくめでしょ」と懇願されたため、俺もここに来たという裏話がある。

 当の本人黛は、表紙が痛々しいライトノベルを周りの目を気にせず読んでいる。

 透明なカバーをあえて付けているあたり、本を大切にする姿勢と、どうにかして表紙を見える状態で読みたいというのが伺える。

 恥ずかしいので、やめて欲しい。

 カフェに集まり三十分。特に会話もなく、時間が経っていく。

 突然、電話の音が鳴る。

 俺の携帯からだ。

 相手は親友の、弥生。

「俺です」

「私よ。今どこにいるの?」

「……駅前のカフェだけど」

「メンバーは変わらずかしら。若葉ちゃんと黛がいればいいのだけど」

「そうだな。黛と若葉と俺だ」

「そう。融通きくメンバーで助かったわ」

「嫌な予感するんだが」

 俺は、この小鳥居弥生と知り合ってから、俺を経由して何かをしようとする時、大抵面倒なことになるということを、学習している。

 なので、ここのカフェという、桃源郷から逃れたくは無いのだ。

 なんとか断れないものか……。

「外は暑いわ。うちに来なさい」

 正論だ。

 だが断る。

 魔法カード発動!

「黛がいるし……」

「父様は不在よ」

 うっ、武さんがいるなら、黛と仲が悪いので、行かない理由になると思ったんだが……無効化されてしまった。

「別に暑くないし……」

 半分嘘である。

 体感気温三十度。

 暑いは暑いが、風が吹いているので、そんなに暑くない。

 だけど、もちろん室内の方が良いに決まっている。

 しかし、この手札を切るしかない。

「ここの方が涼しいし広いし、人の目も少ないわ」

「ああ、もう……OKわかった。おまえの本心を伺おう」

 多分、引き下がる気とかないだろうしな……こいつ。

「薫がいなくて暇だから来て。私はこの日差しの中、カフェまで行きたくないの」

「……ちょいまち」

「ええ、待つわ」

 ここまでの会話の内容を説明すると、黛と若葉はキメ顔で親指を上に立てた。

 黛はともかく、若葉もノリノリである。

 弥生に、すぐ行くとだけ伝えたあと、俺たちは小鳥居邸に向かうのであった。

 

 小鳥居邸に辿り着くと、この前武さんの隣にいた、老いたグレーヘアの執事が、門の前で待っていた。

「お待ちしておりました。中野様と橘様、それと……黛」

 慣れた動作でなめらかに礼をする執事。

「私、凪徹と申します。いつも黛がお世話になっております」

「え?」

 俺と若葉は、口を揃えて目をぱちくりさせながら見合った。そしてその後、黛を見た。

 おそらく、俺と若葉が考えていることは、このおじいさんの苗字が、黛と同じ「凪」ということについてだろう。

 すると、黛が少し笑いながら、

「そうなんだよな。この人ぼくの爺さんなんだよな」

 頭を掻きながら説明した。

「ええええ! じゃあ、あの時なんで黛を庇わなかったんですか!?」

 俺は、驚愕のあまり、自分の聞きたいことを口走ってしまった。

 この前というのは、俺と黛が執事になってバイトした時、武さんが黛に酷い態度をとった時のことである。

 武さんの後ろに、この人がいたのを、俺は覚えていた。

「あの時……ああ、あれかな。すみません……今は執事でありますので……とりあえず、弥生様のところまでご案内致します。外はお暑いので、お話は移動しながらでも。ではどうぞお入りください」

 

 中に入り、また馬鹿長い廊下を歩きながら、徹さんはお話をしてくれた。

 教師をしていたらしく定年後、まだ働く活力があるという意志を、小鳥居家と中村家と凪家の集まりの時に話したところ、その才能と活力を買われ、小鳥居家に雇われたらしい。

 黛と徹さんは似ている。

 自信満々という訳でもなく冷徹でもなく、余裕がある。怒ったりとか、しなそうだ。

 そんな気がする。

 見た目も、どこか顔のパーツが似ている。

 特に、目の形がそっくりだ。ただ、目の角度は、黛はちょっとつり目で、徹さんはたれ目といった感じだ。

 俺たちは、弥生の部屋の扉の前に着き、そこで止まると、徹さんは、体の向きを変えずに話を変えた。

「それはそうと、自分語りはこの辺りで、先程の橘様のご質問にお答えしましょう」

 徹さんは、俺たちがいる後ろを向き、黛を見ながら話を続けた。

「私は一度、庇ってはいますよ。ただ、その時にそこの黛に『そんなものは必要ない。武さんには、どこか性悪になりきれないところが見え隠れしていて、恥ずかしさから優しさを見せることが出来ない不器用な人だとぼくは思ってるし、一度やったら後には引けないと思っているんだろう。とにかく、気にしないで欲しいな』と聞いただけのことですから。まったく。頑固なところは私の息子と変わらんな?」

 徹さんは、少しニヤッと笑い、黛を見る。

「黛……」

 俺も黛の方を見る。

 珍しく照れている。赤らめた頬、指でぽりぽりしていた。

 隣にいる若葉も「黛……かっこよすぎ……」と、夢女子よろしく顔を隠しながら、そっぽを向いていた。

「若葉、漏れてる漏れてる」

 俺は、若葉にツッコミを入れる。

「う、うるさい! 黛がかっこいいのが悪いの! あっ!」

 若葉が口を滑らせて、顔を赤らめて、咄嗟に黛と目が合うと、それを見た黛はバツが悪そうにして、

「ああ! もう! ほらいつまで話してるんだ! はいりまーす!」

 珍しく恥ずかしそうに、黛は大きな声で、弥生の部屋のドアを開けた。

 

 部屋を開けると、小柄な一つ結びの髪をした女の子が飛び込んできた。

 黛のとこに。

「黛様! お久しぶりです! 大好き!」

 それは、弥生の妹の小鳥居まゆだった。そのまま黛の胸に飛び込んだまま離れない。

 ちなみに、弥生は奥のベッドに座っている。

 微笑を浮かべながら、手を振ってきた。

 俺も振り返す。

「なっ!」

 次の瞬間、黛とまゆを見た若葉が、額に豆鉄砲でも撃たれたように後退した。

 そういや……こいつら……若葉とまゆちゃんを会わせたら、やばそうとか思ってたり思ってなかったような……。

 するとまゆは、少しだけ顔をこっちに向けて、本当に軽い挨拶をしてきた。

「こんにちは進さん。相変わらず身長だけは、なんとかツリーのようにお高いですね。それと……」

 俺に、毒を吐きながら挨拶してくるまゆは、若葉の方に目を向ける。

 すると、若葉からまゆに近づき、黛の腕を引っ張って、まゆから黛を離しながら、若葉は挨拶をした。

「初めまして。中野若葉って言うの。よろしくね」

 敵意。

 明らかな敵意である。

 あの若葉が、ガンを飛ばしている。

 若葉の顔は、笑っているが笑っていない。

 明らかな「アンタ、黛のなんなの?」状態である。

 さすがに中学生であるまゆも、若葉の様子に気がついたようで、みるみる表情を変えていく。

「中野さんですね? よろしくお願いしますねー」

「それで、とにかく黛から離れてくれないかな? そんなに圧迫したら痛そうだよ?」

 確かにまゆは、全体重を黛に預けてる気がするが……しかし黛は気にしていない様子で、話し始めた。

「平気だ平気。ちゃんと食ってるか? 軽いくらいだ」

「食べてます! 黛様のためにも現在進行形で成長期である私は、もりもりご飯を食べております!」

 そう言いながら、まゆはさらに黛に抱きつく。

 それを見た若葉は、少し冷や汗をかきながら対抗する。

「……す、少し馴れ馴れしいんじゃないかな? 私は黛とほぼ毎日会ってるんだけど? まゆちゃんはどうなのかな?」

「ふん。私、黛様に出会ってから約四年間。こうして好意を伝え続けてきましたの。あなたこそ、直接的に好意を伝えたことはあるのですかあ?」

「えっ……それは……」

「ないのですね? まったく、そんな小さい体をしているのに、良く私と黛様の間に入ろうとしましたね」

 身長に関してなら、まゆちゃんの方が目に見えて大きい。多分155センチぐらいだろうか。

「……それに関してなら、あなたもあんまり胸がないみたいだけど?」

 胸に関してなら、若葉の圧勝である。

 詳細な大きさは、よく分からないが、比較的貧相な弥生よりはある。

 絶対。

 俺は思考しながら、未だにベッドに居る弥生の胸に目をやって比較する。

「はっ……こ、これは成長期で……」

 とまゆちゃんは顔を引きつらせながら、一生懸命反論する。

 ……舌戦は続く。

 俺は、二人の紛争地域になっている黛が、こっちを見ながら口をパクパクしていることに気がついた。

 なになに……?

 な、ん、と、か、し、ろ。だそうだ。

 ……無理である。

 まゆちゃんは、俺に無関心どころか、嫌悪感を抱いているはずだ。

 女子中学生という生物は、嫌いなものはとことん嫌うはずである。

 それは高校生でも同じであり、薫や弥生など、美形に囲まれて育ったまゆちゃんにとって、俺はたぶん……デカいアサリぐらいにしか思われてないんじゃないか?

 俺は、胸の前で人差し指と人差し指を斜めで重ねて、バツを作った。

 この超局地的恋愛大戦に、首を突っ込む気にはなりません。

 そんな感じで、俺や黛が困っていると、弥生がやっとこさ重い腰を上げた。

「ねえまゆ? 黛とやりたいゲームを買ってきたんでしょ? なんてゲームだったかしら?」

「そうです! 新作の梨鉄を買ってきたんです! 黛様ツイッターでやりたいと呟いていらっしゃいましたよね!」

 梨太郎鉄道。電車で日本中を走らせる、すごろく的なゲームだ。

 お嬢様の口から、梨鉄という庶民的なワードが出てくるのは、ギャップがありすぎて少し面白い。

 普段、真面目なアナウンサーが、ギャグとか言ってるようなもんである。

「本当か! ぼくはあれ手に入らなかったんだぞ! 平日発売だったもんで、朝から並べなくてなぁ……ダウンロード版もあったんだがなんとなく、買った! って感じがないのがいやで、まだ買ってなかったんだよな……」 

 と黛は言う。

「解るわ。ゲームパッケージの裏によくあるゲームの内容とか、紹介文とか見るのも楽しいのよね。セカイを塗り替えなイカ! とか、世界観がわかる説明が載っているのが、私はかなり好きなのよ」

 と弥生は腕を組み、頷きながら言う。

「なんでお前そんな詳しいんだよ……」

 と俺はツッコむ。

 弥生は、そのまま俺を向いて、話を続けた。

「ゲームは好きよ。部屋から出なくても楽しめるのは良いわよね。今は暑いし……まあとにかく、黛の使用権を梨鉄で決めてもいいんじゃないかしら? 若葉ちゃんもゲーム好きでしょ?」

 弥生は、若葉に首を少し傾げながら尋ねる。

「そうだね。ということでまゆちゃん。決戦といこうか」

「ふっ、CPU対戦で身につけたプレイスキル……見せる時がきたようですね……ふふふ……」

「あれ? 弥生? ぼくを売ったか今。おいちょっと待て、若葉、まゆ、お前らそんなに力あったか? ちょっと待て弥生を少し叱らないといけないから止まってくれ! おーーーい!」

 そのまま若葉とまゆは、黛を引きずりながらガンを飛ばしあっている状態を維持して、廊下の遥か彼方へ消えていった。

「徹さん。お疲れ様です。今日はもう好きにしていただいて結構ですと、お父様が言っていましたよ」

「左様でございますか。ではそのように」

 弥生は言うと、徹さんは俺に一礼をして、どこかに行ってしまった。

 俺は、弥生から何やら嫌な雰囲気を感じ、少し離れると、弥生は少し眉毛をピクピクさせながら話しかけてくる。

 どうやら、少し怒っているようだ。

「というか、さっき若葉ちゃんが胸の話題を出した時、失礼なこと考えてなかったかしら?」

「うわぁ! なんも考えてねえよ!」

「私の顔の下の方の部位を凝視しながら、明らかになにかを思案していた気がしたけど」

「なんも考えてねえよ! で、なんで俺らを呼んだんだよ!」

「うーん、そうね、黛と若葉ちゃんに関しては、あの展開が見たかったってだけで呼んだわ。非常に愉快だったわ。予想通りね。ふふ……」

「お前、自らの快楽のために人を使うことに躊躇ねえよな……」

「いいじゃない梨鉄あるし。楽しいのよ梨鉄」

「知ってるっつーの! ん? 黛と若葉に関しては、って言ったよな? 俺はなんでだ?」

「そうそう、あなたを呼んだのには理由があってね」

「おう」

「買い物に行きましょう。服が欲しいわ、選んで頂戴」

「はあ? それまたなんで……」 

「薫が、未来ちゃんと未来ちゃんの服を買いに行ってるの。ずるいじゃないあの二人だけ」

「嫉妬かよ! 徹さんに頼めばいいじゃねえか! というかあいつらはカレカノだから、当然だろ!」

「……はぁ……」

 弥生は、ため息をついたあとに、俺には聞こえない声で俯きながら、ボソボソ呟いた。

「……だから……選んで欲しいだけなのに」

「聞こえん、声もっと張りやがれ」

「聞こえないように言ったの。ほら拒否権はないわ。私はこれを見越して、外出の準備もしてるの。付いてきなさい」

「まったく……わかりましたよお嬢様」

 というわけで俺は、弥生の気まぐれお買い物、に付き合うことになったのである。

 

 

「お前むちゃくちゃだよな」

「なにが?」

「外は暑いからとか言いながら家に呼んでおいて、外に連れ出すやつがどこにいんだよ」

「ふふふ、そうね。矛盾してるわね」

 そんなわけで、弥生お嬢様のわがままを聞いてやってるというわけだ。

 やれやれ。

「暇なのよ、ピアノ弾いたり、バイオリン弾いたり、お茶立てたり、ゲームしたり、やれることは全部やったけど、飽きちゃって」

「……ちゃんとお嬢様的な習い事はしてたのな……」

「ええ。まあ。でも勉強はできないけどね」

 弥生は、くすくす笑う。

 小鳥居家のお手伝いさんに、車で送られ、そこから歩いている。

 ちなみにどの辺にいるのか、まったくわからない。携帯みりゃ、わかるだろうし、いつも使っている電車の路線もここから見えるから、その路線のどこかの駅というのはわかるのだが。

「というかお手伝いさんとかはいいのか、お前についていなくて」

「どうしてそう思うのかしら?」

「お前お嬢様だろ? もっと箱入り娘みたいなもんだと思ってたけど」

「実は薫が執事になるって言ってなかったら、私に執事なんてついてなかったわ。お父さんには、執事はついてたし、お手伝いさんは何人かいるけどね。それに特に外出制限とかもないし……」

「割と、ガチガチのお嬢様というわけじゃなかったんだな」

「まあね。トップのお嬢様に比べたらお金もないわよ。医者の父とファッションブランド経営している母なら、そんなもんよ。伝統があるわけでもないし」

「あれ? お前の母ちゃんファッションブランド経営してんのか、見たことねえけど、忙しいのか?」

「世間に必要とされてるしね。家にはあんまりいないわ。でも尊敬してるし、お母様は好きよ。もちろんお父様もね。あ、ここよ」

 そこは少し有名な高めのブランド店があった。

 外装はきれいで、窓はほとんどガラスでできていて、中もよく見える。


 中に入り、すぐさま弥生は立ち止まって動かなくなった。

 俺は、どうかしたのかと思い、弥生のほうを見る。

 俺が、弥生に向いたのに気が付いたのか、弥生はこちらを見ると、子供のような目でこっちを見た。

 何ていうか、いつもの完璧お嬢様って雰囲気ではなく、何かを期待してる子供のような眼をしている。

 少し見つめあっていると、弥生が視線を背け、ため息をついた。

「……ねえ」

「はい?」

「選んでほしいって言ったわよね?」

「ああ!」

 リードしろってことかよ!

 めんどくさ!

「なら言えよ! めんどくさい!」

「なんかすごい見てくるし気が付いてると思ったの! ほら恥ずかしいし早くリードしなさい」

「はあ……わかりましたよ」

 仕方なく俺は、弥生の前を歩く。

「んで、どんな服がほしいんだ?」

「だから選んでほしいって言ってるのよ」

「いやいや、こういうのがほしいとか言ってくれないとわからんだろ」

「……してほしいの……」

「え?」

 弥生の声は小さく聞こえなかったので聞き返す。

「あなたの好みにしてほしいの! いいから!」

 弥生は、顔を赤くしながら、少しだけ声を大きくして、上目遣いで言った。

「お……おお……」

 かつて、こんなに弥生がデレることがあっただろうか。

 早くこいつにも、彼氏の一つでもできてほしいもんだが……こいつ自身が、薫のためにも今はいいと言っていたから、まだ作る気はないんだろうな。

 とにかく、今こいつは薫があんまりそばにいなくて、寂しさを感じていたのだろう。

「よし! わかった! 俺真面目に選ぶよ! 全身そろえればいいんだな!」

 そんな弥生を、元気づけるべく、俺はやる気を出した。

「ええ。本当にあなたの好きにしてくれればいいわ。私はここにいるから、私を見たかったり、服が決まったら教えなさい」

 弥生は、そう言うと店内の椅子にちょこんと座った。

 そのあと俺は、四苦八苦しながら、全身コーデを完成させるべく、脳をフル回転させて思案した。

 弥生のきれいな黒髪に合うようなシャツを探したり、普段スカートしか履いていないから、たまにはジーパンとかどうだろうと考えた。

 俺は、妹や姉はいないから、本当に大変だった。

 弥生はというと、こちらをずっと見ていた。

 必死になっている姿を見て、楽しんでいるのだろうか……少し笑っているようにも見えた。

 そして何とか全身コーデを完成させ、弥生に渡す。

「ふーん……」

 俺が選んだのは、黒のシャツにショートデニム。そしてミニショルダーバッグを選択。

 はっきり言って、ショートデニムを選ぶのには、勇気が必要だった。

 だって「足出してください」って言っているようなもんだろ!

 挑戦的過ぎたか……と考えていると、弥生がさっと試着室に入っていった。

 そして、少し経ってから出てきた。

「どうかしら……? あなたの理想通りになっているかしら?」

 弥生は、少しくるっと回って見せた。

「おお……」

 我ながら完璧である。

 普段、黒を基調とした服を着ている弥生が、足を出しているせいか、かなり明るく見える。

 あと、少し幼くも見えた。

「ああ! 理想通りだ!」

「そ、そう……ならこれは買いね。すみません店員さん。このまま着ていきたいのだけど」

 弥生は、店員さんに尋ねると店員さんは「はい」と返事をして、弥生の服をまとめて袋に詰め始めた。

 店員さんが頑張っている間に、弥生は首を傾げて、何かを考え出した。

 そして、弥生は、店員さんに服の入った袋を受け取ってから話し出した。

「さあ、次はどこに行こうかしら……」

「え? まだいくの?」

 俺は、てっきり服を買っておしまいだと思っていた。

「だって新しい服を買ったのよ? どこか回りたいじゃない」

「まあな……」

「うーんそうね……あれ、食べ放題に行きたいわ。甘いものたくさん食べたい」

「なるほどな……」

 確かに、俺も服選びにめちゃくちゃ頭を使ったから、糖分が足りていない気がする。

「おっけー。行こう」

「え? てっきり嫌がるもんだと思ってたけれど……」

「たまには、お前も薫みたいに遊びに出たいだろ? あと服選びで頭使いすぎて糖分が足りん」

「……そうね、行きましょ! さあ早く!」

 するとパァっと表情が明るくなった弥生は、俺の腕を引っ張って外に連れだした。

「……」

 すると、弥生は止まり少し無言で考えた後にこちらに向き、

「で? どこにあるのかしら?」

 と尋ねてきた。

「いや知らないのかよ!」

「当たり前よ! 行ったことないもの!」

「ああもう! 調べるから待ってろ!」

 なんだかんだで俺たちは、ケータイで調べた、一駅先のスイーツバイキングに向かった。



「はあ……」

 俺は、疲れ切っていた。

 弥生は、楽しそうにたどり着いたスイーツバイキングで、ケーキを堪能している。

「んー……おいし。って何疲れてるのよ」

「お前が改めて、世間知らずお嬢さんだってことに、気がつく出来事がいっぱいあって、困ってたんです」

「だって食べ放題なのに、店員さんが運んでこないなんて思わないでしょ?」

「フツーはセルフなんだけどな……」

 このお嬢様、明らかにセルフサービスであろう雰囲気を醸し出している店に来たのにも関わらず、結構通る声で、どや顔で店員さんを呼びやがりまして、俺たちは周りのカップル、及び女子たちに冷ややかな目で見られたのである。

 その上、駅では、どや顔で「電車ね、簡単よ。切符を買うんでしょ」と、駅で切符を買うまではよかったのだが、なんとそれを駅員さんに手渡ししやがった。田舎か。

 ガチガチのお嬢様じゃないとは、なんだったのだろうか。

「その上、駅の自動改札すら知らなかったしな……」

「仕方ないわ、田舎でしか切符を買ったことがなかったの。私が教科書で学んだのは電車学Aまでよ、近代以降は学んでないの」

「そんな教科はないです。……じゃあ、あの連なる自動改札機をなんだと思ったんだよ……」

「……あれはピッするやつ専用だと思ったのよ。切符は通らないのかなーと」

「ピッってやるのは知ってるのな……」

「そう、ピッするやつで思い出したわ。帰りはピッしたいわ。ピッ。どうすればいいのかしら」

「そうか……じゃあカード作ろうな……手伝ってやるから」

「やったわ。これで今どき女子ね」

「今どき、ジジババでも結構持ってるけどな……」

 そんなことを言いながら、俺はダラダラとショートケーキを食っていた。

 ちなみに、俺は甘いものには目がない。

 ここのバイキングも、一年の頃、学校帰りにむしゃくしゃした時、よく来たものだ。

 そして俺は、次のモンブランに手をつけようとしたとき、弥生が突然こんなことを言ってきた。

「それ、食べさせてあげるわ」

「え?」

「いいから……」

 俺のモンブランを、ガッと弥生のスプーンで取ると、弥生は身を乗り出し、俺の口目指してスプーンを進めてくる。

「ん!」

 スプーンが俺の口内に突入。のどに当たり、むせた。

「ゴホッゴホッ……」

「どうかしら、おいしい?」

「痛え」

「味覚に痛えなんてないわよ。辛さは別かもだけど」

「主に触覚が反応しました」

「そう。そんなことはどうでもいいわ。そのモンブラン、私にもあーんさせなさい」

「へ?」

 突然の発言に、耳を疑った。

 あの弥生が、俺にあーんを求めている?

「いいから。早く」

 俺は頭が真っ白になり、気が付いたらモンブランをスプーンに取り、弥生の口に放り込んでいた。

「ん。ありがと。おいしいわ」

 ……何かがおかしい……。

 何でこいつは、こんなに今日はデレまくっているんだ?

 俺は、いっそのこと聞いてみるかと思い弥生に尋ねた。

「なあ、どうしたんだ? こんな……俺をいじるでもなくなんか……甘えるようなことして」

 そういうと弥生は、ピタッと動きを止め、スプーンを置いた。

「……まあ……そうね……暇だったし、最近薫があんまり家にいないし……まあ私が未来ちゃんを優先してって命令しているからなんだけど……少し寂しかったのかもしれないわ……気を遣わせたらごめんなさい。気にしなくていいわ」

 すると弥生は、弱々しく笑った。

 俺はその時、弥生をあの場所に連れていきたいと思った。

 俺の過去にあったこと、弥生に話しておくべきかも思った。

 そしてその理由は、それは俺が……とんでもないお人よしだということから……起こってしまったことを、こいつに伝えておくべきかもしれないと思った。

 だってこいつには今、薫がいない。

 薫は未来の彼氏で、暇がない。

 だったら、俺が親友として、こいつのそばにいてやるべきじゃないのか。

 こいつに寂しい思いをさせないためにも。

 俺に、気を使わなくていいという証明を、するべきじゃないか。

 そう思った瞬間、俺は自分のモンブランを流し込み、弥生の手を取り、店のレジに向かっていた。

「ちょ……え? いきなりどうしたのよ?」

 弥生は驚いていたが、俺は振り向かずに言い放った。

「これから、お前が俺に気を使わなくていい証明をしてやるから……ついてこい」



 俺は、地元の駅にいた。

 時刻は十九時。

 高梨高校から、電車で約三十分の俺の最寄りだ。

「ここはあなたの最寄りよね?」

「そうだな。ここから少し歩くぞ? 平気か?」

「平気よ。まだまだいけるわ」

「そうか。じゃあこっちだ」

 俺は弥生を先導して、路地に入る。

 そして少し歩き、大通りに出る。

「それで目的地はどこよ」

「公園だな。よく行ってたとこだな」

「そう。って……ここを登るのかしら……」

「……」

 大通りから少し外れ、横道に入る。

 目の前には、かなりの傾斜の坂があった。

「その上にさ、公園見えるだろ?」

「えーと……ああ、見えるわ」

 俺が指さす先には、暗い中、ほんの少しだけ、公園が草木の隙間から見えた。

「あそこが目的地だ。行くぞ」

 俺たちは、坂を登っていく。

 弥生は、思ったより体力があるようで、あまり息切れすることなく登っていた。

「寂しいとこね」

 公園に着くと、弥生は言った。

 その通り、ここはもう誰も使っていないような公園だ。

 山の一部分を切り取って作られた公園だったが、山の下の大通りに、広い公園が作られてからは、めったに人を見たことがない。

 しかも、あるのはブランコとベンチ、そして小汚いロケットみたいな滑り台だけだ。

 ここは「ロケット公園」と言われている。

「ああ、まあ小さい頃はここで遊んでたり、なんかうまくいかなかったときは……そこだ」

 俺は、ロケット型の滑り台を指さす。

「あそこでボーっとするんだ。あれだ、お気に入りの場所ってやつだ」

 俺は、自然と滑り台に歩みを進めていた。

 弥生もついてきており、登ってくるところを、手をさし伸ばして助ける。

「ほら、いい感じに夜だから……きれいではないかもだが……見てみろ」

「うん」

 弥生は、俺の言われた通り、滑り台の上から山の下を見る。

「へえ……」

 ギラギラ光る夜景というわけでは、決してない。

 しかし都会の中でも、だいぶ田舎な雰囲気のある俺の地元は、光の灯らない畑と下の大通りのマンションや、一軒家の明かりで穏やかに光っていて、駅の方向を見ると高いビルが光り輝いている。

「いいところね。田舎すぎず、かといって都会ってわけでもなくて、バランスが良くて、都会との温度差で風邪をひくこともない」

「ここにいると、もちろん小さいことなんてどうでもよく感じるし、なんとなくゆっくり時間が流れてるように感じるんだよな」

「なにそれ、ばかみたい」

 そういうと弥生は、くすくすと笑う。

 俺は、少し間をおいて、どう話すを考えながら、弥生に話を切り出す。

「それでどこから話そうかな……」

「ええ、好きに話してちょうだい。ゆっくりでいいわ」

「助かる。まず少し昔話になるんだが……」

 

 

 俺が中学生の頃。

 咲、という彼女がいた。髪は肩くらいまではあった。

 咲との出会いは、咲がいじめられていたのを、俺が助けたのがきっかけだ。

 いじめられていたのは、咲は美人なのにも関わらず、陰気っぽいところがあった上に、よく男子にも好かれていたので、他の女子から反感を買ったのが原因……だと俺は思っている。

 それから、咲とは三年間同じクラスだった。

 俺は、咲に何かあるたびに、ひたすらにおせっかいを焼いていた。

 俺が、弥生とかに理不尽に使われても、あんまりなんとも言わないのは、このせいかもしれない。

 卒業式の前日、同じ高校にも入学が決まり、俺は、俺の両親の仕事の都合で、咲の家に泊まっていた。

 そして中学の卒業式が終わり、その後、咲と俺で行った遊園地からの帰り道で、咲の両親と合流し、一緒に帰ることになった。

 咲は、テンションが上がっていたのか、一番前を歩いていた。

 三月二十日の事だった。

 そして、ここの公園のすぐ下のT字路で、咲は車に轢かれかけた。

 俺は、咄嗟に咲に飛び込み、助けようとしたが届かず、このままでは、俺も咲も車に轢かれるという状況になった……のだと思う。

 そして次の瞬間、後ろからだれかに突き飛ばされ、ガッシャーンという音と共に、ハッとして目を開けた。

 俺と咲は、何とか轢かれずに済んだ。

 しかし、咲の両親は、俺たちをかばい、車に直撃。

 病院に運ばれたが、助からなかった。

 咲は軽傷だったが、精神的ショックが大きく、全く話さず食事もとっていないようだった。

 事故現場を目の当たりにしたらしく、両親がめちゃくちゃになっているのを見てしまったらしい。

 俺も検査を受けたが、俺自身は軽傷で済んだ。

 その後、咲と話せる機会をもらったので、咲の病室に行ったとき、咲は俺を見るにこういった。

「なんで私を助けようとしたの?」

 咲が言うに、俺が咲を助けるために、飛び込んでいなかったら、両親は死んでいなかったということだった。

 何も言えなかった。

 その通りだった気がしたからだ。

「もう……会いたくない。結局、私は不幸なんだ。それが進のせいで増えたの。どっか行ってよ」

 どっか行ってよ。

 咲は、泣きながら言った。

 なんとなく、俺にやつあたりしているように感じた。

「そんなこと言うなよ……また……助けてやるからさ……」

 俺は、咲を助けたかった。

 一度できたことだ。

 できるに決まってる。

 そう思っていた。

 そう思っていただけだった。

「だからさ……また二人でどこかに行こ……」

「うるさい!」

 次の瞬間、お見舞いにもらったと思われる花瓶が、目の前に落ちて割れた。

 咲はそれを投げようとしたようだが、力が足りず目の前に落ちたらしい。

「助けるんだったら、完璧にやってよ! 足りないよ! ……どうしてそんなに自信満々なの! もう会いたくないって言ってるでしょ!」

 ……俺は痛感した。

 信頼を得るまでは長いが、失うのは一瞬だ。

 それでも俺は、咲を助けたいという気持ちは、揺らがなかった。

 咲は、自暴自棄になって、その花瓶の破片を拾い上げ、そのまま体のいたるところを、自ら傷つけていった。

 血が噴き出し、それがシーツに垂れるのを目の当たりにした俺は、それからというもの「目の前で自己破壊してる奴」を見るのが、トラウマになった。

 それと同時に、人助けに失敗してしまうかもしれないという意識が、俺を包み込んだ。

 それでも俺は、震える手で咲を助けたいという一心で、咲の自傷を止めようとした。

 そんな咲の腕を抑えながら、俺は咲に伝えたいことがあった。

「……俺は……」

 いつでも待ってるから。

 今は嫌いでも、またいつかできれば仲良くなりたいと伝えたかった。

 そう言おうとしたとき、花瓶の音を聞いた看護師たちが入ってきて、俺は病室から無理やり出された。

 ケンカでもしていると思われたのだろう。

 実際、一方的だったが喧嘩のようなものだった。

 それから何度も面会をしようとしたが断られ、いつの間にか咲はどこかに行ってしまっていた。

 どうしても謝りたかったからだ。

 どうしても助けたかったからだ。

 俺をきっと必要としてくれてたからだ。

 罪悪感があったからだ。

 それらを原動力として、高校一年の間は咲の行方を追っていたが、全く手がかりがなく、あきらめたのが、咲の両親が亡くなってから、ちょうど一年経った時だ。

 そのあと虚無になっていたとこを、黛や弥生に拾われ、今こうやって青春っぽいことをしている。

 そして、咲の両親を殺してしまったと同等のことをした、その罪悪感を消すために、どんなに自分が壊れてもいいから、人助けをしようって意識で支配されているんだ。

 何もせずに、罪悪感で壊れるぐらいなら、ほかの人のために壊れたいのだ。

 ほかの人のために、壊れている時が、一番幸せかもしれない。

 罪悪感を忘れることができるから。

 

 

「というわけだ」

「ふーん……じゃああなたが何となく不幸だったり、おせっかいだったりするのはそのお話のせいってこと?」

「そうだ。でも今は違うんだ。今日のお前を見たら、少し考え方が変わった」

「というと?」

「薫が、未来と付き合い始めてからの弥生は、あんまり元気には見えなかった。少なくとも、今日はそうだった。寂しそうだった」

「あら、まあ……そうかもね」

「まあ、あれだ。頼りたいと思ったら、いつでも呼んでくれ。こっちは一回おせっかいに命かけてんだ、なんでも出来るさ。だから……そう、俺は! 誰にでも手を差し伸べる! だからいつでもなんでも言ってくれ! だいたい、昔にこんなことがあっても、楽しくやれてるのはお前たちのおかげなんだよ。だから、恩返しみたいなもんだからさ。な?」

 そう、これが今、俺にできること。

 弥生の空いた穴を、寂しさをできる限り埋める。

 不器用でもいいから。

 もう失敗しない。

 俺はもう、人を助けるためなら、何もかもを投げだせる。

 全く初対面の人でも、俺となんの関係性もない人に対してもだ。

 それが俺の罪悪感を埋めてくれる。

 忘れさせてくれる。

 そう思った。

 すると、弥生は少し頬を赤らめて。

「うん」

 とだけ、子供っぽく言った。

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