第8話 すれちがい

 夏休みが始まり、もう八月も直前、俺と何人の友達は中村家に集まって、宿題をやっていた。

 真面目な薫が言うに「七月中に宿題は終わらせて、各自受験教科を自習するべきです」とのこと。

 俺は、黛や若葉のおかげでかなり成績が伸びてきた。

 英文もスラスラ読める。

 弥生はまあ、ほんとに勉強ができないんだと思う。

 蜜柑が、頭を抱えていた。

 俺はというと、黛が言うに、そろそろ俺が、弥生に教える側に回っても問題ないそうだ。そこまで学力が伸びてきたということだ。

 そして未来。

 驚くべきことに、さすがに黛や若葉、薫には劣るが、そこそこ高い学力レベルに到達するようになっていた。

 俺も勉強内容を見ていたが、ハイレベルな問題を解けるようになっていた。

 薫曰く、中学の範囲の知識が一個もなかったらしく、そこを教えたらバリバリ出来るようになったらしい。

 中学の頃の記憶がおぼろげだと言っていたし……中学の勉強の知識がないのも仕方ないのか?

 

 そんな感じで俺らは、ある程度宿題を終わらせて、みんな揃って中村家でだらだらしていた。

 俺は、薫と黛とゲームをしていると、珍しく弥生から水が出された。

 俺と薫と黛の分だ。

「はい。どうぞ」

「サンキュ。珍しいな」

「お嬢様がに水を運ばせるなど……一生の不覚です……」

 俺たち三人は、出された水を飲み干す。

「気にしないで……それより……三人ともおやすみなさい」

 そう言うと弥生は、悪い笑顔すると、次の瞬間、俺たちはとんでもない眠気に襲われた。

 隣にいる薫は、もう寝てしまっている。

 何しやがった……弥生……。

 俺は朦朧とした意識の中、黛が「これ、そういう流れ?」と言ったことを聞いた。

 そして眠る直前。

「なんで黛には睡眠薬効かないのよ……」

「眠くないからな。仕方ないだろ」

 という会話が聞こえた。

 なんで睡眠薬なんて持ってんだよ……。


 俺は、畳の匂いがして飛び起きる。

 部屋には誰もいないが、三つの布団が置いてあった。

 かなり広めな畳の部屋。大人数で宴会でもできそうだ。

 窓を見ると、海が一望できた。

 ……確か俺は、弥生から受け取った水を飲んで……。

 と考えていると、仕切られている襖が開く。

「お、やっぱり起きたか。おはよう進。十四時間位寝ていたな」

 そこには、私服の薫がいた。

 私服と言っても、結構フォーマルな格好だった。

「というか僕もさっき起きたばっかりなんだが……」

「なあ、それよりここどこなんだ……?」

 それを聞くと薫は、顔を青くして、それから口を開いた。

「……僕、改めて女が怖くなった」

「は?」

「お嬢様だけでなく、中村様や若葉、未来さんもグルとは……」

「だからどこなんだよ……」

「中村蜜柑様のお父様である、中村秀一様が一部を所有するリゾート。そしてここは中村グループが貸し切った旅館だ……」

「え」

「僕たちは無理やり連れてこられたんだ。寝て起きたらリゾートドッキリを仕掛けたいがために」

「……」

 俺は改めて理解した。

 お金持ってる家の女の子って怖い。

 

「仕方ないじゃない。今日ここに来ることに意味があるのだし」

 と弁明する弥生。

「お前、俺らが優しくなけりゃ、これは誘拐だぞ」

 俺はシャワーを浴び、スッキリしたと思いきや、弥生の言い分にムカムカしていた。

「ご両親の許可は取ってるし、着替えも貰ってるわ。問題ないはずよ」

「本人の許可を取ってくれ」

 はぁーとため息をつく。

 部屋には、俺と弥生と薫がいる。ほかの面子は、もう海にいるらしい。

 この部屋にみんな泊まっているらしく、荷物はほかの四人分のもしっかりある。

「で、なんで来たんだ?」

「それは、この子に聞きなさい」

 と弥生は言いながら、薫を見る。

「お嬢様、僕の意思ではありません。むしろ僕は来たくありませんでした。またあの時の黛みたいになったら……病院に……」

「大丈夫よ、今回は進が付いていてくれるわ。もちろん私もね」

 病院? 不穏すぎる単語だ。

 拗れないうちにさっさと聞き出してしまおう。

「なあ、何すればいいんだ?」

「……今日、薫のお兄さんのお墓参りに、私と薫とあなたで行くの。命日だから」

 は? なんで俺まで、付属品みたいについていくことになってんだ。

「なんで俺もついていく必要が……」

 弥生は少し俯きながら話す。

「昔の事情でね。薫はどうしてもお墓の前に来ると、倒れちゃうの。気圧されるって感じ」

 また昔の事情。

 薫って孤児なだけじゃないのか?

「それでね、私はお兄さんには会ったことないからわからないけど……少し雰囲気が、似てるんでしょ? 進がお兄さんに」

「えっ? そうなのか?」

 薫に視線を向けると、薫はうんうんと頷く。

「だから一緒に来れば、もしかしたら、ちゃんとお墓参り出来るんじゃないかなーって思ったのよ」

「なるほどな……」

 少し疑問点は残る。

 だが人のためだ。

「いいぜ。墓参り。一緒に行ってやる」

「本当か! ありがとう!」

 喜びをあらわにする薫。

「よかったわ。さあ、私達も海に行きましょう。お墓参りに行く前に、テンションをあげましょう。みんなが待ってるしね」

 そそくさと準備する弥生を、

「待ってください、お嬢様も何か話があるとか……というか、僕も言いたいことがあります。その、僕に薬の話はやめてほしいとあれほど言ったじゃないですか……」

 と言って、薫は引き留めた。

「それは……本当にごめんなさい。でも、こうまでしないとあなたは一生足踏みしたままよ? だから今はいいの。ここでは話しにくいことだし。さぁ行・く・わ・よ」

 俺は、墓参り以外何もわからないまま、笑顔の弥生にグイグイ押され、海に繰り出すのだった。


 俺は、海の近くの更衣室で着替えて、浜辺に出た。

 どうやら弥生は、着替え終わっていたらしく、先に待っていた。

 上着を着ているので……水着は見れなかった。残念。

「あれ? 薫は?」

「あれよ」

 弥生が指さした先に、とぼとぼ歩いてくる薫。

「おい、どうしたんだよ」

「なあ。僕って女の子に見えるのか?」

「うん? まあ見える。むしろ、めちゃくちゃ女の子に見える」

「……うぅ……」

 下を向き続けている。

「さっき男用の水着を着たら、ライフセーバーさんに、上を隠せとパーカーを貰った。女の子だから前を隠せと……」

 さすさすと自分の胸をさわる薫。

「……」

 俺は頭を抱えた。

 恐ろしい男だ。

 ないであろう胸をあるものとする男、薫。

「ふふふ! いつかなると思ってたけど、ホントになるとは思わなかったわー」 

 大爆笑の弥生。

 笑い方が、この前の黛そっくりである。

 向こうが悪魔なら、こいつは魔女だろうか。

 すると、海がある方向から、若葉と未来がこっちに来た。

「薫くんも来たんだ! 水着……似合ってるよ……」

 早速、未来は、薫を褒めちぎる。

「あ……ありがとう。未来さんの水着も……いいと思うぞ」

 未来の水着は、赤のフリルが付いている水着だ。

 かなり気合が入っている。

 照れあう二人。

 まじで未来は、薫を我が物にしつつある。

「ねえ、黛と蜜柑ちゃん知らない?」

 水着の上に、パーカーを着た若葉が、皆に尋ねる。

 ペンギンっぽいパーカーを着ている。

「黛と中村様なら、さっきかき氷を海の家で食べてたぞ」

 と答える薫。

「あら? おかしいわね。さっき蜜柑なら、更衣室に入ってくる時に話したわよ。何やらお父さんと二人で泳ぐんだとか」

 と言う弥生。

 なんか少し笑っているような……。

 多分こいつ、こういう笑い方をするとき、ろくなこと考えてないぞ。

「そんな訳ないですよお嬢様。ほら、二人とも出てきましたよ」

 薫は、遠くのかき氷屋から出てきた、黛と蜜柑を指差す。

 その時、

「あら? 皆さんお揃いですか?」

 と海の家から逆方向から、蜜柑と金髪の男の人が話しかけてきた。

「え? 中村様と……」

 薫が尋ねる。

「ふむふむ。皆、ピチピチの若者って感じがしていいねえ!」

 がはは、と笑いながら、そのまま自己紹介してくれる。

「俺は蜜柑の親父。中村秀一だ! よろしく!」

 ……マジかよ。

 蜜柑とは、まるで正反対だ。

 金色の髪に豪快な口調。

 そしてかなりアクティブに見える。

 筋肉ムキムキだし。

「お久しぶりです、秀一さん」

「おう! また成長しやがったなー? こりゃ武もいいもん食わしてんだろなぁ!」

 弥生は、面識があるらしい。

 そういえば、黛の隣にいた女、誰なんだ?

 あっけに取られていたので、黛と蜜柑? がいた方向を向くと、今度はさらに奥の店を見ると二人で焼きそばを食べていた。

「あれ? やっぱり蜜柑ちゃんだよね……進……」

 気がついていた未来が、尋ねてくる。

「おい。本気で腹パンしてくれ。夢か確かめる」

 俺は、未来に言った。

「おっけー」

 未来は、あっさり承諾してくれる。

「デジャブ……?」

 薫は独り言のように言った。

 そして、未来が、俺に対して腹パンの姿勢になる。

 パンチが飛んできた。俺の腹に向かって飛んでくる。

 そして、薫が独り言を続ける。

「あの時は女装したり、ランジェリーショップに行ったりで大変だった……」

 そう薫は呟くと、未来の拳の発射点が、

「え! じょじょじょじょそう!」

 と叫びながら逸れまくり、俺の顔面に飛んでくる。

「ブフォァ!」

「あ」

 ……なんてことだ……。

 幸い、黛ほど強くなくてよかった。

 未来に頼んで正解だ。

「薫くん女装したの?」

 ぶっ倒れる俺そっちのけで、すごい勢いで薫に詰め寄る未来。

「おおおおおおい! 未来このやろう……」

「顔面を殴っちゃった! いや、そんなことはどうでもいいの。今は薫くんの女装の方が大事」

「そんなことではないだろ! 俺の顔の骨の方が大事だろうが!」

 とりあえず痛かった。

 黛と蜜柑は向こうにもいる。

 つまり……。

「ドッペルゲンガーってやつ?」

 若葉が、ぼそっと呟く。

「ドッペルゲンガーってまずいんじゃない?」

 弥生が、怖い顔をしながら答える。

「ドッペルゲンガーに、その本人が会うと死ぬらしいわよ」

「「え!!!!」」

 そうだ。

 ドッペルゲンガーは、死の予兆でもある。

 未来や薫、俺は驚愕である。

「おおい! 見るな我が娘よ! 死ぬのだけはダメだ!」

 蜜柑の目を塞ぐ、蜜柑父。

「待って。そんなものあるわけない。何か仕掛けがあるはず」

 と冷静な若葉。

「じゃあどうすればいいの若葉ちゃん!」

 若葉の肩をガバッと掴み尋ねる未来。

「簡単なこと」

 ふっーと息を吸って、若葉は言った。

「尾行だよ。うん。一度言ってみたかったんだ。尾行って」

「またデジャブ……」

 また、薫は独り言のように呟いた。

 この前も尾行して、ろくでもないことになっている。

 俺はため息を漏らすが、薫はまたテンションが上がったようだった。

「尾行! いいですね! 見ててください中村様! 必ずドッペルゲンガーの尻尾掴んでみます!」

「は、はい! お願いします!」

 決意を固める薫を見て、微笑む蜜柑。

「薫行くよ」

「はい! 若葉調査員!」

 二人はウキウキで、海の家に居る黛と蜜柑? の元に向かっていった。

 去り際に薫は、

「お嬢様達はお二人と遊んであげていてください! 絶対向こうの蜜柑さんには会わせませんから!」

 と言った。

「はーい」

 優しく手を振り、二人を見送る弥生。

 こうして俺たちは、蜜柑ドッペルゲンガー事件の手がかりを探すこととなった。


 蜜柑の安全は、やけに意気投合していた中村父と未来に任せて、お話しましょ、と弥生に誘われ、俺たちは砂浜を歩いていた。あの二人は、快活なところが共通していたらしく、気が合ったようだ。

「なあ、お前なんか知ってるだろ。ドッペルゲンガーなのかほんとに」

「私はほんとに知らないわよ。ドッペルゲンガーのことはね」 

 ……本当っぽいな。

「そんなことより、薫の女装ってどういうことよ。ドッペルゲンガーより断然興味あるわ」

「……しゃーねーな。お前が好きそうだし話してやるよ」

 俺は、この前の事件。

 通称「ランジェリーの変」の概要を、説明してやった。

 そして案の定……。

「あははははははははは! 何それ! なんで呼んでくれなかったのよ!」

「お前がいるとあの時の黛と、天然ボケの薫の世話で、俺の負担が増えるから呼ぶわけないだろ」

「そうね。私だったら女なのを生かして、一緒にアダルトな下着を、薫に着させてたと思うわ」

「マジで呼ばなくてよかったわ……」

 悪魔黛と、魔女弥生。

 今の状態で、黛がまた悪魔になったら、もう手がつけられないだろう。

「というか、黛のそんな姿を聞いたのは久々ね」

「そうか。やっぱり久々なんだな」

「うん。小学校から中学までの頃の黛は、優しかったけれど、あんなに人をいじる余裕はなかったわ。蜜柑を立ち直らせるために必死だった」

 弥生は、水に足だけ入り、ぴちゃぴちゃと歩きながら、足で水を優しく蹴る。

「まあ中学卒業するあたりでは、もうあの黛だったけどね。でもあなたも薫も、若葉ちゃんも、あなたと未来さんと出会って、少し変わった気がするわ」

「……変わったか……俺から見たら、同じなんけどな」

 四月に出会った俺と、昔からの知り合いの弥生。

 認識の違いというやつだ。

「若葉ちゃんは特に変わったわよ。あの子は高校一年の頃からいるけど、薫やあなたと出会ってから、気軽に話せる人が増えた。そのおかげか圧倒的に明るくなって、周りの力を借りながらだけど、積極的になってるわ。黛に好かれるために頑張ってる」

 ……やっぱりか。

 若葉に関しては、俺でもわかる。

 最初は目も合わせてくれなかったのに、今ではよく話す仲だ。

 そんな若葉が、黛とフォークダンスを踊り、プレゼントまでしたのだ。

 すごい努力量だ。

「薫も感情が戻ってきてるわ。あなた達と絡むようになってからね。感謝してるわ。まあ、戻らないところもあるけどね」

「……薫の……目のことか?」

「……なーんだ。知ってたの?」

「あんな目をしてる奴を、俺は他に見た事があるからな」

「ふーん」

 俺は中学の頃を思い出していた。

 俺も、薫と同じような、光のない目を見たことがある。

 やっぱり、薫は昔、感情を失ってしまうほどのことがあったのだろう。

「なあ、ほんとに薫に何があったんだ? 教えてくれよ」

「無理よ。あの子の信頼に関わる。未来ちゃんの為にも、あなたが持ってる薫のイメージを壊さない為にも……言えないわ」

 弥生は歩いてきて、元々敷いてあっただろう蜜柑の軽い荷物が置いてある、レジャーシートに寝っ転がりながら言った。

 そんな深刻なことなのか?

 ここまで隠すほどのことなのか?

 俺の中の薫のイメージ。

 弥生の前だと完璧執事だけど、ほかの奴らと居ると経験不足から天然になる、優しくてかわいいやつ。

 弟みたいな感じだろう。

 黛が兄で、俺が真ん中、薫が弟って何度も思った。

 俺は一人っ子だから、兄弟が欲しかったから、そんなことを思ってしまう。

 だか、引っかかるところもある。

 前に水族館に行った時の薫は、少女のように可愛かった。

 だかたまに見せる表情は、俺が見ても、なにか底知れぬ恐怖を覚える。

 まるで人を殺したような、そんな表情だ。

 顔が整っているせいか、より恐怖が際立つ。

 ……まあ、杞憂ならいいんだがな……。

 

 

 薫のことについて、考え込んでいると、どこからか弥生は、何やらオイルを取り出して、

「これ、私の全身にあまりなく塗ってくれたら……話してもいいわよ?」

 と微笑んで言い放った。

 すると弥生は、上着を脱ぎ、そして上着の下に、着ていた黒いビキニの紐を外し、うつ伏せになる。

「おいおいおい! 無理だろ! 公衆の面前だぞ!」

 周りには、普通に観光客がいる。

 こんな所で……こんなことをするのは……恥ずかしすぎる。

 俺がもし手を滑らせたら、警察沙汰だ。

「大丈夫よ。逆にこれさえ塗れば話すのよ? かつてないチャンスじゃない」

 ほれほれーとオイル見せびらかす弥生。

 くっ……仕方ない。

 理性を保てなくなり、鼻血さえ出さないようにやればいい。

 無だ! 俺は仏だ!

「い、行くぞ……」

 俺は、オイルを弥生の背中に垂らす。

「やんっ」

「おいい! 黙れ! 喘ぐな!」

「無理よ。冷たいもの。ベタベタしてるし、なんだかいやらしいわ。どうするの? ギブ?」

「あ、甘く見るなよ小鳥居弥生……」

 俺は、そのまま弥生の綺麗な背中に塗りたくっていく。 

 死ぬほど柔らかくて、サラサラしていた。

 塗っている最中ずっと、

「あんっ、や、んっ……あん……もう……初めてなのにぃ! 強い……深いっ……!」

 とかなんとか、ずっと言っていたが、俺はなんとか背中を塗り終えた。

「これでいいだろ?」

 満身創痍である。

 すると、弥生は次のようにのたまった。

「まだよ。前。終わってないわ。あまりなくって言ったでしょ?」

 ……は?

 ……まえ?

 するとあろう事か、胸を手で隠したまま、仰向けになりやがった。

「うぎゃああああああああああぁぁぁ!!!!」

「あら? 絶叫してどうしたの?」

「このスケベオイル魔女!」

「なんとでも言いなさい。薫のこと聞きたくないのかしら?」

「はーっ……もういい……降参だ。他人の目が痛いしな……」

 さっきから、チラチラ視線を感じるし、もう無理だ。

 俺の社会的地位が死滅する。

「そう」

 弥生は、落ち着いたトーンで言うと、水着を着た。

 その時、電話がかかってきた。

「俺だ」

「こちら若葉。問題が解決した。海の家に全員集合するように」

 若葉はそれだけ言って、電話は切れてしまった。かなり声のトーンは低かった。

 なんだよ、無愛想だな。

「とりあえず行くわよ。ドッペルゲンガーの正体を掴みに行くわ」

 弥生は上着を着て、立ち上がった。

「あ、ああ」

 俺たちはそのまま、海の家に向かった。


 海の家に着くと薫と若葉がいて、薫は膨れて怒っている若葉をなだめていた。

「よお。なんで怒ってんだ?」

「……はあ……今からその元凶が来る。……ほらきた」

 ……若葉が指差す先には、左から黛、蜜柑、蜜柑、中村父。

 ……蜜柑が二人いるな。

「なあ若葉。俺には、蜜柑が二人居るように見えるぞ」

「目が節穴すぎ。身長を見て」

「身長……あっー!」

 さっきかき氷屋にいた黛の方にいる蜜柑は、黛と身長差がしっかりあった。

 蜜柑は確か、黛より断然身長高かったはずだから……。

 わからんくなってきた。

 四人が近づいてくると、小さい方の蜜柑が、

「わりぃ! 弥生お嬢様の提案がバカ面白くなりそうだからついやっちまったぜ!」

 と蜜柑の姿で、すごい男口調を話し出した。

「ええ! 蜜柑の口が悪くなってる?!」

「うるせえぞ。俺の口が悪いのは、産声をあげた瞬間からだバーカ」

 と俺は、口が悪い蜜柑に、顔を寄せられる。

 うん。蜜柑と同じ顔だ。

「まあいい」

 顔を離して、口が悪い蜜柑は、自己紹介をしてくれた。

「俺は中村林檎。蜜柑の姉貴だ。よろしく頼むぜ」

 とニッと笑って、俺にガッと握手してきた。

 というか、一人称俺かよ……。

「うん……あ、よろしくお願いします……」

 脳の回転が間に合ってないぞ……俺は……。

「と、とにかく説明してください! どっからどうだったんですか?」

 と薫。

 俺も説明をしてくれないと、頭がパンクしたままだ。

「ぼくが説明してやろう」

 と黛。

「まずお前らが初めて出会った秀一さんと、一緒にいたのは本物の蜜柑……ではなく林檎さんだ」

「マジかよ……蜜柑にしか見えなかったぞ」

 俺は独り言のように、頭を抱えながら言った。

 ただいま思うと、あの時の林檎さんは、ほとんど話していなかった。

 もしかすると、俺たちが勝手に蜜柑だと勘違いしているせいで、ドッペルゲンガーと思ってしまっただけかもしれない。

「それだけ、私達が似てるってことですね」

「おうよ! 違うのは性格と身長ぐらいだしな」

 蜜柑の前で、背伸びをする林檎さん。

 ちょっぴり可愛いな。

 そういえば、年はいくつなんだろうか。

 そんなことを考えていると、でだ、と黛が話を続けた。

「そんときに気がついてれば、お前らを嵌めること無かったんだが……その後、秀一さんから連絡があってな、林檎さんを知らない奴らが、蜜柑と林檎をドッペルゲンガーって勝手に勘違いしてるから、弄ってやろうって文面が来てな。あとは、ぼくと蜜柑がプラプラしながら、それとなく林檎さんと蜜柑を対面させて……」

「俺と蜜柑がぶっ倒れるフリをしてやったんだ! そしたら……ぷぷ……この子たち……」

 笑いを堪えながら林檎さんが、薫と若葉を指差す。

「だって! びっくりしたもん! 中村様が二人とも死んだ! って思ったもん!」

 バンバンと机を叩きながら、顔を真っ赤にしながら抗議する薫。

「してやられた。でもドッペルゲンガーはやっぱりいなかった。よかった」

 安心した表情の若葉。

「若葉が思ったより早く気がついてそうだったからな、ぼくが中村蜜柑の死亡時間を早めた訳だ。なかなかやるじゃないか、若葉」

 そう言いながら、若葉を褒める黛。

 うつむいて恥ずかしそうにしながら「ぅん……ありがと……」と呟いた。

 またギャップである。

 黛のアメとムチだ。

 まあ、人の死亡時間を早めたのを褒めてるの、すげー不謹慎だけど。

「ほんとはお互いに引き込まれるように、海に沈んでバットエンドの予定だったんだがな! ボートも手配したのになぁ!」

 がははと笑いながら、答える秀一さん。

「アイルビーバック……って言いながら溺死したかったぜ全くよお!」

 秀一さんと林檎さんは、肩を組む。

「と、とりあえず部屋に戻りませんか? 僕は疲れてしまいました……」

 薫は、疲れ切った表情をしながら呟く。

「そうね。はしゃぎすぎたし戻りましょう」

 弥生が、薫の顔を覗き込み微笑む。

「なら、さっさと料理人に準備させねえとな!」

 何やら、電話をかける秀一さん。

 俺も疲れた。

 弥生から、セクハラも受けたしな。

 俺らは中村家の個性の強さを噛み締めながら、部屋に戻るのだった。


「橘! もっと食いやがれ! 目指せ身長190センチだ!」

「はい! 兄貴!」

「俺も負けねえからなぁ? いつかは橘の身長を抜いてやるんだぜ!」

 がははと笑いながら、俺と秀一さんと林檎さんは、寿司をバクバクと食べていた。

 そう。

 中村林檎と中村秀一と仲良くなってしまった。

 いやね。

 豪快な人だけどね。

 めっちゃ優しいんだわ。

 俺の好きな食べ物、全部当てられるんだわ。

「若葉ちゃんもほらほら! 女の子だからこそ食うんだよ! それともなんだ? 好きな男でもいんのか?」

 林檎さんは、若葉にも突っかかる。

「あ……うん……だから女の子らしくしないと……」

 顔を赤くする若葉。

 妙なとこで正直だな。

「そうかそうか」

 林檎さんは、そう言いながら電話を取り、

「おーい黛。料理長の長島さんに、パフェ作ってくれと頼んでくれ。かわいいかわいい若葉ちゃんのためだぞ。うんと盛れよ!」

 と言った。

 若葉は「特盛パフェ……」と目をキラキラさせる。

 弥生や薫や蜜柑、未来もこの雰囲気に飲まれてるのか、テンションが高い。

 黛は、料理長に駆り出されたらしい。

 さっきから出てくる和食は黛の物らしいが、本気で手間とお金をかけさせたら、凄いものが作れるみたいだ。

 ただの家事大好き男子高校生とは思えない。

 荒々しく騒ぎながらも、中村姉父それぞれの人の特徴を、ちゃんと捉えてる。

 多分、俺もこの中村姉父に惹かれたのはこの理由だろう。

「やべ! ここ未成年しかいねえじゃねえかよ! 橘、一緒に風呂入ろうぜ! 酒カスのおっさんの付き合いは出来るか? エモエモタイムといこうぜ!」

 俺は、もうこの人のテンションに取り憑かれてるのか、

「はい! 行きます!」

 と満更でもない感じで、ひょいひょいと着いていくのだった。

 

 露天風呂に浸かると、さすがに落ち着いたようで、ゆったりと酒を飲みながら夜空を見ている。

「さすがに落ち着くんですね」

「ん? まあな。言ったろ? エモエモタイムって。俺もたまには真面目だぜ?」

「……なんて言うか……器用なんすね」

「まあな。というか、お前になんとなく蜜柑のことを話したくなってな」

「蜜柑のこと?」

「おう。この歳になるとな、身内以外で高校生やってるやつと、こうやって対面で話せるやつなんて希少なんだぜ? まさか半日で俺だけじゃなくて、林檎とも仲良くなるなんてお前すげえよ。お前こそ、それは誇るべき才能だぜ?」

 この通り、中村秀一、そして中村林檎は、恐ろしいくらいに俺達の長所を見極め、気持ちいいくらいに褒めてくる。

 なのに、嫌味がないのが凄いところだ。

「でだ。蜜柑のこと、どんなやつだと思う?」

「うーん。そうっすねえ……」

 考える。

 そういえば、あんまり話すというよりかは、俺らの傍で静かに見守ってて……一人で退屈してると、話しかけてくれるくらいで……あんまり直接話すことは無い気がする。

 いつも、人に譲る感じ。

 でも、耐えきれなくて、黛に甘えたりしてる。

 俺が出した結論は……。

「まあ…いい妹って感じです」

「なるほどな。もっと詳しく言えるか?」

「はい。いい姉って感じはしないんですよ。悪い意味ではなくて……こう……見栄張って、頼りになるように、なろうとしてるけど、結局甘えちゃう……みたいな……」

 少し悪い感じに言ってしまった。

 すると、秀一さんは少し驚いたあと……。

「がははははは! マジかよ! そこまでよーーーく見てんだなお前は!」

「ええええええ!」

 どういうことなんだ?

「驚くなよ? 黛と蜜柑が、一緒に暮らし始めたのは、小学校五年生の頃だ。それから今年まで、毎年同じ質問を、黛にしてたんだけどよ」

 少し酒を飲んでから、秀一さんは噛み締めるように答えた。

「お前は、黛と同じ答えに、たったの半年でたどり着いちまった」

「……!」

 黛と同じ答え。

 ……もしかして俺って人を見る目……ある?

「まあ黛はもっとはっきり言うから、確か……『見栄っ張りの甘えん坊』って言ってたかな。それは、ともかく!」

 秀一さんは、風呂から立ち上がり、

「お前が凄いってのは分かった! ただ黛もすげえのは、俺も知ってる。でも多分蜜柑も高校に入って変わったんだ! だから俺はこういう結論出す!」

 こう、言った。

「蜜柑は! 少し! 小悪魔になった!」


 風呂から出ると宴は終わっていた。

 なんとなく、携帯を見ると弥生から連絡があり、三十分後玄関、とだけ書かれていた。

 そういや宴で忘れていたが……墓参りか……薫の兄の……。

 まあ墓参りに付き合うだけだ。

 どうってことないさ。

 三十分後、玄関に着くと弥生と薫が居た。

「偉いわね。ちゃーんと来て」

「どーってことないさ。ここからどれくらいなんだ」

「十分ぐらいよ。さあ、行きましょう」

 弥生と薫は、緊張した面持ちだった。

 さらに、薫は全く話さなくなっていた。

 ……墓参りだぞ?

 そんなビビることもないのにな。

 

 てくてく歩いていると墓の影が見えた。

 すると弥生が、

「進。ちょっと」

 と薫を置いて、それから少し離れて、耳貸しなさいと言われたので、俺は屈んで弥生に耳を貸す。

「もしあの子が……暴れそうになったら……お願い」

「ちょっと待て、なんで暴れるんだ。それだけ聞かせろ」

「嫌って言ったでしょ。おっぱいにオイル塗ってくれなかったし……」

 弥生は誤魔化そうとしていると、俺は思ったので、少し強めに俺は弥生を問い詰めることにした。

「真面目なんだ。ぼかしまくっててもいい。理由がないと調子狂うからほんと」

 弥生は、かなり驚いたようだった。

 強めに言い過ぎたかな……。

 しかし、すぐに表情が戻り、弥生は真剣な顔で言った。

「トラウマよ」

「……っ……そうか」

 トラウマか。

 俺だってトラウマの一つや二つある。

 そのトラウマのせいで、俺は高校の一年がなくなったからな。

 今はそれだけ聞ければ十分だ。少し気になるが、こんなに真剣な表情をしている弥生は初めてかもしれない。

「ありがとよ。弥生」

「良いわよ別に。さ、薫のところに戻るわよ」

 弥生がそう言った後、俺たちは薫と合流し、おれから、墓場の入口まで辿り着くと薫が、

「お嬢様……進……手を握っておいてくれませんか……?」

 そんな薫の表情は、青ざめていた。

 弥生は、何も言わずに薫の手を握る。

 俺も薫の手を握る。

「じゃあ……行きますよ……」

 と薫は、歩を進めだした。

 薫兄の墓らしき場所に着く。

 出雲日向と書いてある。

「うっ……」

 薫と握っている腕が、薫の腹に引き寄せられる。

 すごい力だ。

 弥生は、思いっきり引っ張られ体勢を崩しそうになるが、俺がなんとか支えた。

「あ、ありがとう……それより薫の背中を撫でてあげて……」

 何もわからなかったので、弥生の言われた通りに動く。

「はぁはぁ……すまん進……」

「いいんだ別に……」

「早く済ませるからな……」

 薫は握っていた両手を離して、線香を出して、震える手で火をつけた。

 そして手を合わせ、合掌。

 かなり震えていたが、問題なさそうに目を開く。

「……初めて……兄さんの墓参りが出来た……」

 初めて?

 そんなトラウマなのか……。

 考えるだけで恐ろしいな……。

 すると薫の視線が、線香の煙に向けられる。

 次の瞬間、それの薫の向けられている視線の先に、気が付いた弥生が、

「あっ……だめよ……それを見たら!」

 と薫の目を塞ごうとした。

 しかし、遅かった。

「やめろ!」

 薫は叫びながら、弥生と俺を突き飛ばす。

 俺の方が突き飛ばされるタイミングが早かったので、弥生のことは庇えず、弥生は墓石に軽く叩きつけられる。

「薫!」

 弥生からドカッと鈍い音が響く、腰を打ったらしい。

 すぐに立ち上がっていたので、多分、大事ではないんだろう。

 俺はというと、すごい力で塀に叩きつけられていた。

「バカ痛え……」

 痛みに耐え、薫を見ると腹を、右手で引っ掻きまくっていた。

「やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ! 僕の腹にお菓子をくっつけるな!」

 ……それは、もう今までの薫じゃなかった。

 そして俺は、呟いていた。

「お前は……誰だ……?」

 ……ダメだ。

 ……元に戻さないと。

 俺はそう思った。

 あいつの自傷行為を止めさせないと……!

 また、咲みたいになったら……。二度と会えなくなるかもしれない。

「薫! 大丈夫! おくす……お菓子は付いてないから! 誰も盗らないから!」

 弥生はそう言いながら、必死に薫を抱きしめるも、すぐに振り払われる。

 でも薫は、弥生をかなり優しく振り払っていた。

 弥生は、もうぼろぼろ泣いていた。

「またやっちゃった……わたしのせいだ……」

 弥生は、もう満身創痍になっていた。

 でも、弥生に対しては優しく突き飛ばしている辺り、なんとか薫としての意識はありそうだ。

 俺は最大限の力で、薫を抑える。俺も事象があって、少しこういう自暴自棄になってるやつにトラウマがある。少し体がこわばるが、今はそんなことを言っている暇はない。

「ぐっ……! 落ち着け!」

「やめろやめろ! ぼくに触れるな! ぼくに触れていいのは、兄さんだけなんだ!!」

 薫はかなりの力で、俺を振り払おうとしてくる。

 ……触れていいのは兄さんだけか……。

 もしかすると……。

 俺は優しく問いかける。

「なあ。お前の兄さんについて教えてくれよ」

「やめろ! 離れろって言っているだろ!」

 思いっきり、腕を噛まれる。

 激痛が走る。

 だが、構わず、俺は薫に話しかけることを続ける。

「お前。兄さんのこと好きだったんだろ? なあ? だって俺に似てるんだろ?」

 ……少しずつ、ふつふつと別の感情が湧いてくる。

「やめろ! 今はもう居ないんだ! 僕のせいで兄さんは死んだ! 僕が殺したも同然だ!」

 ……ああ、ダメだ……。

「なあいいだろ? 少しぐらい教えてくれても……」

 ……悪い、弥生……。

「いやだ! 殺してしまった大切な人の話なんてしたくない!」

 ……限界だ。

 

 

 パンッッ!

 

 

 俺は、薫の顔を引っぱたいていた。

 そして胸ぐらを掴み、叱る。

「おい! 墓の前で眠ってる張本人殺してしまったとか言うんじゃねえよ! 俺はよく知らねえけどさ、お前はそんなことするやつじゃないってのはわかってるんだよ! お前のせいで、涙でぐちゃぐちゃになってるやつがそこに居んだよ! だから……うだうだ言ってねえで、さっさと今の薫に戻ってくれ……頼むからさ……弥生のためにも……」

 すると薫の力が抜けていった。表情も、すっと穏やかになる。

 そして……薫は涙を流しながら、

「ありがとう……兄さん……」

 と言い、倒れてしまった。

 俺は、緊張感と高まったボルテージを急速冷却させるべく、倒れ込むように座り込んで空を見上げた。

 ……そして座り込んでいた弥生がこっちに来て、肩に寄りかかって来た。

 そして、一言。

「ありがとう。多分、正解よ」

 俺達はその後も、かなりの時間、こうしていた気がする。


 帰り際。

 もう何も話してくれなそうだったので、俺が薫をおんぶしながら戻っていると、弥生が話しかけてきてくれた。

「実はね。去年、黛とも来てるのよ。ここにね」

「……そうなのか……その時はどうだった?」

 首を横に振った。

「ダメだった。黛がなんとか収めようとしたけどだめ。ただただ、黛は薫の暴力をひたすらに受け止めて、薫が力尽きて収まったわ。凄かったわ黛の気迫。もちろん黛は全身怪我。薫はずーっと黛に付きっきりで看病してた。それでも黛は、薫を嫌いにならなかった。もちろん暴れた理由も聞かなかった」

 すごいな黛……。

 噛まれただけでも激痛だったのに……。

 俺は耐えきれずに、薫に手をあげてしまったけど、黛はそこまで薫にされても、薫に対して何もしなかったのか……すごいな。

「でも見ててわかったわ。薫に足りないもの」

「足りないもの?」

 弥生は、歩みを止めて言った。

「薫を叱ることよ。私も黛も、決して薫を叱ろうとはしなかった。薫はどこか、脆そうなところあるから。それに黛が怒ったところとか、一回も見たこと無いしね。優しすぎたのが敗因かしら」

「なんで叱ることが必要だったんだ?」

「これは推測なんだけど……多分……初めての事だったからよ。叱られるのが。その叱られる感情と暴れる感情が戦って、叱られる感情が勝った。まあ……引っぱたくのはやりすぎな気もするけどね……?」

 やれやれとした表情で弥生は、俺に近づいてくる。

「悪かったって、こいつが起きたら俺も謝るからさ……」

「それがいいわ。あとね」

 弥生の顔が迫る。

 そして、頬にキスをされた。

 ……は?

 なんでこのタイミングなんだよ。

 え? もうそんな関係でしたっけ弥生さん?

 真っ赤になる顔。

 止まらない鼓動。

 思考停止。

 立ち尽くす俺に弥生は、

「それしたあげた代わりに、今日のことは誰にも言わないようにね? よろしく。ありがとう。かっこよかったわよ」

 と言いながら、弥生は先に旅館に入っていった。


 俺は旅館に戻った後、死んだように眠ってしまっていた。

 そして朝の四時頃、携帯が鳴ったので、周りが起きないように目覚め、急いで電話に出た。

「誰だよ朝から……」

「私よ」

 弥生だった。

「なんですか」

「今すぐ一階の温泉に来なさい。お風呂を挟んでお話があるの。お互いの声が聞こえる距離に男湯と女湯があるから。大切な話よ」

「……? おう」

 よろしくね、と弥生が言うと、電話はすぐに切れてしまった。

 

 俺がもしかして、昨日のキスの事かも、と気がつくのは風呂に入ってからである。

 ……やりにくいな……。

 でも来た以上、戻る訳にもいかないしな。

 そして体を洗い、湯船に浸かると、同じ湯船で、誰かがこう言った。

「邪魔してるわよ」

 ……。

 弥生だった。

 前は隠しているが、堂々と何故か同じ風呂にいる。

「おおおおおおい! 何でお前がいんだよ!」

「あなたほんとマヌケね。ここは、本当は混浴。男湯と女湯の間にあるの。それで男湯と混浴の暖簾の位置を、ちょっくら動かしたってわけ。昨日確認してなかったのかしら」

「くそっ! 出るぞ俺は!」

 昨日キスされたのに、混浴とか気まずさマックスだ。

「待ちなさい。どうしても行くなら、抱きついて止めるわよ。男湯と女湯を入れ替えなかっただけ、救われたと思いなさい」

「……あーもう! 確かにそうですね!」

 仕方なく、弥生いる方向とは逆を向き、離れる。

「話ってなんだよ」

「そうね。改めてお礼を言おうと思ってね。ありがとう。本当に助かったわ」

「いいんだよ別に。俺もよくわかってないしな。というか大丈夫かよ、混浴とはいえ他のやつ来たらまずいぞ」

「そんなこんな早朝からお風呂にいる人とか、黛かおっさんしかいないわ……よ……」

 その時、脱衣場に影が見えた。

「え……? 嘘でしょ? さすがに予想外よ。貸切だし入ってくる人なんて……。あ、待って入ってくるわ!」

「ほら言ったろうが! とにかくどこ隠れる場所……ねえよ! 無さすぎだろ!」 

 開けすぎていて、隠れる場所など見当たらなかった。

「というか混浴なの分かって、あの人も入ってきてるんだろ?」

「バカ言わないで! 男湯の暖簾のままよ!」

「バカはお前だ! くそ! 入ってくる時に戻しとけばよかったわ! 気がついてないから無理だったけどさ!」

 すると弥生が、俺の背中側に回ってきて、

「とにかくここに隠れさせなさい! アンタなら見られてもなんとも思わないし!」

「なんでだよ! 俺も男だよ!」

「でも、根性無しじゃない、こういう時だと」

「なんだと? 俺だっ……」

 その時、脱衣場の扉が空いて一人の男が入ってきた。

「なんだ。進くんかね」

 小鳥居武だった。

「な……なんであなたがいるんですか?」

「なに。中村家と仲がいいわけだ。ここにいてもわけないだろう。まあ、あの黛がいるから、一緒に居ようとは思わないがね」

 ……また悪態を……。

 と思ってると、後ろにいる弥生が、小声で俺に言った。

「とにかく早く追っ払って頂戴。あなたと話したいことはまだあるの」

 ……そう言えば……薫は、弥生というお嬢様がいるのに、未来と付き合えるのだろうか?

 この武さんは雇い主兼、親だ。

 聞いておいた方がいいのかもしれない。

 すまん弥生、と思いながら、俺の私利私欲のために、武さんに質問をする。

「武さん。薫のことなんですが……聞きたいことがあります」

「なんだね? 聞こうじゃないか。体を洗いながらでもいいかい?」

「はい。いいですよ」

 そう言うと、武さんはシャワーの前に座った。

 ちょっと! と弥生から、とても小さい声で聞こえたが、無視する。

「薫が……恋愛することに関して……どう思いますか……?」

「ほう……」

 武さんは考え始めた。シャンプーをしながら。

 後ろの弥生は、少し驚いたようだ。

 湯船が少し揺れる。

「あの子が恋愛をするのか。なかなか成長したじゃないか。いい事だ。親として……応援するべきだと思う。彼は……少し不幸すぎたからね、愛する喜びぐらいは経験するべきだと思うよ」

 武さんは言うと少し上を向いて、少し笑った。

 後ろをちらっと確認すると、弥生は少し怒っているのか、眉間にシワを寄せていた。

「不器用ね。少しくらい素直に言ってもいいのに」

 と弥生はボソッとつぶやいた。怒っているよりかは、素直にならないことに不満らしい。

 少しすると、武さんはこっちに向き直った。

「そうそう。私も君に聞きたいことがある。等価交換といこう」

「なんですか?」

 そのまま武さんは、俺が入っているお風呂と、同じお風呂に入る。距離はかなり遠い。

「弥生のことをどう思っている?」

 俺と弥生は、同時に背筋が伸びる。

「なっ……なんでそんなことを聞くんですか?」

 まさか……後ろの弥生がバレているのか? 

「なに、恋愛的な意味ではない。最近、弥生は学校をさらに楽しんでいるように見えてね。私と面識があるのが、黛と中村家と君しかいない。黛はまあ、口開けば口論だし、中村家はなんだかめんどくさくなりそうでな。うるさくて。君が弥生についてのことを一番尋ねやすい。さあ答えてもらおうか」

「……」

 今、こうやって面倒なことになってても、どんなにこき使われても、いじられても、弥生を嫌いになることは無かった。

 そして昨日のキス……。

 もしかして、俺は今……。

 弥生が好きなのかもしれない。

 だが……。

「……少し特別な憎めないやつ……です」

「ふむ」

 少し、今度は腕を組んで考える武さん。

「……わかった」

 そうすると立ち上がり、

「深くは聞かないでおくよ。君も思春期だ。貴重な話をありがとう。感謝するよ。さて、長風呂は苦手でね。先に失礼するよ」

 と言って武さんは、風呂場から出ていった。

 

 少し経ってから、弥生を見ると少しだけ顔が赤くなっていた。

 そのまま背中合わせのまま、

「根性無しねやっぱり」

 と弥生は、苦笑しながら言った。

「うるせえ。というか俺はむしろ、薫の恋愛についての話を聞きたくてな」

「あら奇遇ね。私もよ。早く未来ちゃんとくっついてもらわないと」

「あ、お前知ってんのか」

「私、腐ってもあの子の主なんだけど」

「そうでした」

「とにかく、私は薫の恋を応援するわ。あなたも手伝うように」

「わかってるよ。一肌脱いでやる」

「今、お互い裸だけどね?」

「黙れ小娘」

「ふふっ。さあ、先に上がりなさい。そろそろお父様も着替え終わったところでしょうし。着替え終わったら教えて。ちなみに、そのまま脱衣場に居たり、カメラ置いたりしてもいいわよ?」

「しねえよ……犯罪じゃねえかよ……」

 俺はそう言いながら、弥生がいる温泉をあとにした。


 そして朝食を終えると、今日は各自、自由行動になった。

 黛と蜜柑は約束をしていたらしく、市街地の食べ歩きに、朝早くから行ってしまった。

 そして俺達のお膳立ての前に、未来が薫を誘っていたらしく、海に行ってしまっていた。

 若葉と弥生はどこにいるんだろうか、と探しながら歩いていると、およおよしてる若葉がロビーを歩いていた。

「あっ……進」

「よお若葉。お前も一人か」

「うん……ご飯食べてお風呂入ったら黛、蜜柑ちゃんとどっか行っちゃうし……というかそれ……」

 若葉が、俺の腕を指差す。

 そういえば、俺の腕には、包帯が巻いてある。

 薫が噛んだ跡だ。

 朝までは消毒だけで、強がっていたんだが、海風が当たるので、さすがに我慢できずに、林檎さんに包帯を巻いてもらった。

 何やら医大を卒業してから、中村一家の会社に入ったらしい。

「別にたいしたことないぞ。気にすんな。というか、今から合流すればいいじゃねえか。連絡とかしてさ」

「連絡出来ても合流できる気がしないし……今日は大人しくしてようかな……」

「……そうか……明日頑張ろうな」

「うん」

 笑顔で返事をしてくれる若葉。

 確かに、若葉も劇的に変わっているな。

 このまま、黛と上手くいくといいのだが……。

「よう! お二人共!」

「うわっ!」

 後ろから肩を組まれる。

 秀一さんだった。

 弥生もいる。

 弥生は、いつもの微笑みを維持しながら、手を振ってくる。

「ホームセンターに行くぞ! 花火とバーベキューをやるから、その材料を買いに行くぞ!」

「……花火……バーベキュー……」

 目をキラキラさせる若葉。

「黛といい感じになれるかもな! 若葉ちゃん!」

「……う、うるさい! 早く行きましょう。ほら」

 そう言いながら、秀一さんを引っ張る若葉。

 まさに、親と子である。

 いろいろ違うけど。

「ほら、俺達も行くぞ」

「ええ。どんな打ち上げ花火がいいかしらね」

 俺と弥生も、やることが無い暇人だったので、ついて行くことになった。

 

 ホームセンターに到着。

 かなり大きくガーデニングからペット用品、日常品まで幅広くあった。

「すぅーふぅー。ホームセンターの匂いだ。落ち着く」

「わかる。なんか落ち着くよな」

 若葉と俺は、ホームセンターの匂いを少し堪能していた。

「よし! 俺と若葉ちゃんはバーベキューの物を買ってくるぜ! 進と弥生ちゃんは花火な! いくらでも持ってこいよ! そんじゃ!」

 そう言うと、若葉と秀一さんは、ショッピングカートを爆走させながら、食品コーナーに一直線だった。

「花火ねえ。お前何が好き?」

「爆竹とか?」

「魔除けかよ」

「ツッコミの癖すごくない? でもちょうどいいじゃない爆竹。昨日墓参り行ったんだし、幽霊さんが憑いてるかもしれないじゃない」

「素直に塩振ればいいだろ」

「だめよ。食べ物を粗末にしちゃダメってお母さんが……」

「地球温暖化促進はダメって、世界中で高々と叫ばれてるんだけど」

「あら? 一本取られたわね。またキスしてあげるわよ」

 目をつぶって、唇をお淑やかに突き出す。

 ……昨日のキスが思い出されてどきどきする。

「……け、結構。要らないです」

「そんな! 私ショックよ! あの時の赤面は嘘だったの? 一緒にお風呂にも入って、一夜を共にしたのに! あんなこともこんなところもくっつけて……」

「バカ! 声でけぇよ!」

「そんなことより花火よ。話そらさないで」 

「お前の雑なボケから始まったんだよ! この何も生まれない会話は!」

「その雑なボケを拾う、あなたもあなたよ」

「くっ……」

 そんなこと言っている間に、花火売り場に到着。

 手持ち花火や小型のロケット花火が、ズラーッと並んでいる。

「あら? これが花火なの?」

「そうだ。懐かしいなぁー線香花火」

「……? 私こんな花火知らないわよ。もっとおっきいたまたまのはずよ」

「たまは一回な! というか、ほんとに言ってるのか? てもちはなび! 知らないのか?」

「知らないし……何がおかしいのよ。お母様がたまたまを打ち上げてたわよ。なんか装置みたいなので」

 どーん、とジェスチャー付きで教えてくれる。

 まさかこのお嬢様……手持ち花火をご存知ないのか?

 どんだけ金持ちなんだこいつ。

「手持ち花火知ってる?」

「だから知らないわよ」

「……はぁ……。ひっさびさにお前が、お嬢様だったってのを思い出したわ……」

「なによ! 知らなくてもいいじゃない! お嬢様だもん!」

「開き直んな! お前金目的で誘拐されても知らねえぞ!」

「ふん、札束ビンタで追い払うわよ。それで? これは綺麗なの?」

 そうだな。

 ……花火は綺麗だ。

 しかし、ここで言うとつまらん。

 初めて手持ち花火をするやつに、結果を教えたら反応が薄くなってしまうかもしれん。

「どうだかな? やってみなくちゃわかんねえぞ」

「ふーん」

 弥生は、ちょっとだけ口をまげて不満そうな顔をする。

 手持ち花火の袋を手に取る。

 ぶつぶつと、丁寧にパッケージを読み込み始めた。

 そして、片っ端から花火をかごに入れていく。

「はい。まあこんなもんでしょ。さあ、秀一さんと若葉ちゃんと合流しましょう」

 少しだけ楽しそうな弥生。

「なんだ? 楽しみなのか?」

「当たり前よ。初めてだもの。エッチだって初めては緊張するでしょ?」

「お前、経験あるの……?」

「林檎さんが言ってたのよ」

 そう言った瞬間に、少し弥生はそっぽを向いた。

 一瞬、何かを考えたように見えた。

 俺は、気にせず話を続ける。

「あの人か……絶対に襲われたくないな……」

「でも蜜柑の顔と体よ? 悪くないんじゃない?」

「それでも嫌だ。生きていられるかわからん」

「じゃあ……私だったら……?」

「……っ」

 また弥生の顔が接近する。

 息遣いがわかるくらいには近い。

「私は……きっと優しいわよ……?」

 今朝の風呂が思い出されて、真っ赤になる俺。

 さりげなく弥生は、包帯が巻いてあるところを心配そうに見ていたが、そんなことより、もう体が沸騰している。

 思春期の男子高校生には刺激が強い。

「ばか! やめろやめろ! 頭おかしくなるだろまた」

「あらつまらない。クソゴミカス童貞ね」

「静かにしてください小鳥居さん。泣いちゃいますよ」

「はーい。でね、林檎さんとエッチする時は、ちゃんと貞操守りなさいよ?」

「静かにしてください。蹴りますよ」

「……ふふっ。やっぱり進って面白ーい」

 俺はこの買い物の間、弥生を意識せざるを得なかったのは言うまでもない。

 

 

 そして夕食。

 夕食は、一階のバイキングだった。

 どれも素晴らしい出来栄えだった。

 どれにしようか目移りしてしまう。

 俺がトレイを持って、悩んでいると、薫が話しかけてきた。

「なあ……進」

「なんだ?」

「お嬢様が突然好きな子には……えっと……ちゃんと好きって言いなさいって言われたんだ……」

「うん。俺もそう思うぞ。早く好きって言ったらどうだ?」

「え? 進も、もしかして僕の好きな人いるって知ってたのか?」

「まあ」

「……誰かわかるのか……?」

「さあ?」

 俺はそう言いながら、未来をガン見する。

 薫は気がついたみたいで、

「な! 気がついてるじゃないか!」

 と言いながら、薫は至近距離で指を刺してきた。

「悪い悪い! まぁいいんじゃないか? 弥生も応援してるんだから……はっきりと好きって言っても。別にお嬢様がいるから、彼女作っちゃいけないってわけじゃないだろ?」

 もしかするといけない事かもしれないが、弥生が未来と薫が、早くくっついて欲しいって言ってたし、平気だろう。

「……変じゃないか? 僕なんかでいいのか……僕なんかに愛せるだろうか……」

「ああ、大丈夫だ。兄さんにも墓参り出来たんだしよ、勇気出して行ってこいよな。第一、お前も一般男子だろ。お前は自由だ」

 すると、ぐっと薫の表情に力が入った。

 気合を入れているようだ。

「一般男子……か……! ありがとう進。僕なりに頑張ることにする!」

 と薫は言うと、近くの皿を取って、すごい量のカレーを取り、席に戻って行った。

 頑張れよ。薫。

 という俺も、頑張るべきなのかもしれないんだけど。

 

 

 そして夕食が食べ終わり、花火をやりに、海辺に俺達は向かった。

「花火か、誰が選んだんだ?」

 と黛は言った。

「私よ。しっかり裏面読み込んだから平気よ」

 弥生は、バンバンと手持ち花火の袋を叩く。

「……なあ。この花火、『手首炎上! 手持ち爆発花火!』って書いてあるけど」

 と黛は、怪訝な顔をして言う。

「なによもう。そうだ。黛、とにかく花火味はそこの進くんに任せましょ」

 と弥生は、俺を見ながら言った。

「そうだな。ほら持てよ。行くぞー進」

 黛は、俺に無理やり花火を持たせ、点火しようとする。

「コラコラ! バケツすら準備してねえのに、手首炎上花火俺に体験させようとすんな! 人の安全を確認するのに人使うんじゃねえよ! というか花火味とかいうワードなんてねえからな!」

 はあ……こいつら二人は、本当に疲れる。

 口がいくらあっても足りない。

 俺は、バケツを五つ適当な場所に置いて、ろうそくを付けた。

「ぼくは吹き出し花火が好きだから、若葉のとこに行ってくるよ。あとはよろしくー」

 黛はそう言いながら、若葉と中村家のところに向かってしまった。

 ばいばーいと黛を、弥生が見送り終わると、興味深く俺が持ってる花火を見ながら話し始めた。

「……それで? あなたが持って来てるのは何よ。ほとんど花火、向こうに取られてるじゃない。というかなんで一緒にやらないのよ」

 そう。俺が持ってきたのは、線香花火。

 騒がしいあいつらから、少し離れたのは、線香花火が楽しめないから。

 すぐに火花が落ちるのは困るし、線香花火特有の音が聞こえないのも困る。

「線香花火だ。俺はこれが一番好き」

「……なんで好きなの?」

「……まあそれはいいだろ別に。いいから見てろって」

 理由を言うのは、少し恥ずかしい。

 俺はろうそくに線香花火の先を付け、点火する。

 先端の火の玉が、ゆっくりとオレンジになり、グラグラとしてる。

「何よこれ。音も小さいし派手でもなんでもないじゃない」

「こっからだ。五感を研ぎ澄ませよ」

 弥生が興味深く、線香花火を見つめている。

 オレンジ色に照らされて、弥生の綺麗な顔が、優しく明るくなる。

 それを見ると、俺の心臓が高鳴る。

 すると、俺の心臓のように、線香花火がぱちぱちと音を含みながら、優しく炸裂する。

「へえ……こんなのもあるのね……」 

「そうだ。俺はこれが好きなんだ。花火だけじゃなくてな、海の音とか風の音とかもぜーんぶ合わせて線香花火だと俺は思ってる」

「……なによ。それ」

 と弥生がそう言うと、線香花火が落ちる。

「……なんだか切ないわね」

「派手だけじゃないんだぜ花火って」

「私もやってみるわ。手伝って」

「手伝うもんでもねえけどな。ほらろうそくに先端をつけろよ」

「こ、こう?」

 恐る恐る、線香花火を先端とは逆に、ろうそくに向ける弥生。

「ちげえよ」

 俺は、弥生の手を後ろから握り、線香花火をひっくり返す。

「……あら? 大胆ね」

「あっ……悪い……」

 手を離す俺。

 すると、また手を引かれ、

「……たまには根性見せたら? あなたがリードするの。ね?」

 と言われながら、首を軽く横に傾けながら、弥生は微笑んでくる。

「お、おう……何だ急に……」

 そのまま線香花火に火をつける。

「今日は……やさよいだから」

「なんだそれ」

「やさしい弥生の略」

「……そういう酒あるよな。ほら、点火だ」

 俺と弥生の手で、持っている線香花火に火がつく。

 またグラグラと、火の玉が揺れる。

「……緊張するわね」

「抑えとくから動くなよ。すぐ終わっちゃうから……」

「うん……」

 俺と弥生は黙り、そのまま小さい音を立てながら、ぱちぱちと優しく炸裂する。

「……私……これ好きかも」

「な? やって良かっただろ?」

「ええ……ただ……寿命が短いのがね……」

「その時の環境要因とか、持ち手側の性格とかが出るんだ。俺からしてみれば長生きだな……この線香花火は」

「……気まぐれな花火ね。私そっくり」

 と弥生が言うと、線香花火が落ちる。

「あら? ……まあ、仕方ないわね……もう一度よ。今度は私一人でやるわ」

 すぐさま線香花火に、火をつける弥生。

 そのままちょこんと座り込み、線香花火を見つめる。

 俺も隣で、線香花火に火をつける。

 また線香花火は、グラグラとし、ぱちぱちしながら炸裂。

「ねえ。これが先に落ちた方が、隠し事をひとつ言うってのは?」

 と弥生。

「なるほど。面白いな、乗ったぜ」

 こいつには、聞きたいことがあるからな。

 薫の過去のことだ。

 昨日はこいつの策略にはめられたが、この勝負は経験の差があるので、俺が有利だ。

 お互い真剣になる。

 ……沈黙。

 海の音や風の音に混じって、黛や蜜柑たちが楽しく手持ち花火を振り回したりして遊んでいて、賑やかな声が聞こえてくる。

 火傷しないといいんだがなぁ。

 そういえば、未来と薫はどこなんだろう。

 花火をする時は一緒にいたはずだが……。

 まあ、二人でいるのならいいか。

「あ、あなたやってるわよ」

「え?」

 俺の方が先に、線香花火の火は落ちていた。

 ……線香花火、向いてないのかなぁ俺。

「さあ、隠し事を言いなさい」

 やべ、何も考えてねえよ。

 負けると思ってなかったからな。

「早く言いなさい。なに? もしかして隠し事なんてないの?」

 ……確かに、こいつに言うべき隠していることなんてない気がする。

「うーーーん。あ……ひとつある」

 そうだ。

 一つだけあるじゃないか。

 俺は向き直りもせずに、海に向かって。言った。


「好きだ。弥生」


「え……?」

 弥生は驚いているが、線香花火は落ちなかった。

「そう……。本当に好きなのね……私のこと……」

「返事……貰えるか……?」

 多分、俺の人生最大級に、俺の顔が赤いだろう。

 だか、暗いから見えてはいないはずだ。

 弥生の表情は、線香花火のおかげで見える。

 そして弥生は、優しく微笑みながら、

「薫が……立派になるまでは……誰とも付き合わないって決めてるの……だから……今は……ごめんなさい」

 線香花火から目を離さず、弥生は言った。

 ああ……さよなら。

 俺の恋心。

 俺は、確かに弥生が好きだった。

 弥生を……女の子として……。

 弥生は、俺の事を友達としてしか、見てくれていなかったという事だ……。

 だが……受け入れなければ。

「そうか……ありがとう」

「別に嫌いじゃ……ないわよ……だから……その……こ……」

 少し弥生の言葉が詰まる。

 少しつらそうに見えたので、助け舟を出すべき……かな……。

 こいつは、俺のことを傷つけないようにしようとしてるんだろうしな。

「そうだ。親友だ」

「えっ」

 その瞬間、弥生の線香花火が……消えた。

 落ちたわけじゃない。

 消えた。

 少し呆気に取られるが、そのまま続ける俺。

「俺の告白で気まずくなるとかごめんだからな。これからは恋愛とか一切無しにした、親友だ」

「……ええ……そうね……。これからも、親友でいましょう」

 そんな弥生の表情は、暗くて見えなかったが、声にはいつもの力がなかった気がした。

「ねえ、そろそろ向こう行きましょ。ほかの花火も見たいわ。バケツとか持って、合流しておいて頂戴。もう一個だけやったら行くわ」

「そうか。じゃあ待ってるからな!」

 俺はバケツを持って、元気よくみんなの所に行く。

 空元気でも、明るくいこう。

 失恋とか、いつか忘れるさ。

 移動した後、俺が手持ち花火を複数本使い終えると、後から弥生も来て、楽しそうに様々な花火を楽しんでいた。

 


「……どうしたの? 全然食べてない」

 若葉が、俺の顔を覗き込む。

「ぼくの味付けがダメだったか?」

 正面に座っている黛が、尋ねてくる。

 今日も、黛は朝早くから朝食を作っていたらしい。

 ご苦労なこった。

 ああ、おはようございます、皆さん。

 俺、橘進。

 恋愛弱者だ。

 又の名を、非モテの鉄人。

「気にすんな。ここの飯がうますぎて胃もたれしてるだけだ。ちょっと食い過ぎてるかも」

 腹をさすって、黛にアピール。

 まあ失恋して、お腹痛くなってるんですけどね。

「そうか。今日は最終日だ。今日休憩して、明日元気に帰れるようにするのもいいかもな」

 黛は、心配そうな顔をして言った。

「そうだけどなぁーお土産とか買いてえしなぁ……」

 ……正直昨日は空元気だったし、いっそ昼寝でもしたい気分だ。

 

 

「……ねえ。起きてるでしょ。食べてすぐ寝たら豚になるよ」

 若葉に、ゆさゆさされて起こされる。

「んにゃ……?」

 俺は、秀一さんにわがまま言って、誰もいない、何もない隣の部屋を使わせてもらい、昼寝をしていた。

 まあ、この旅館貸切なんだけどな。ありがたいことに。

「相談。誰もいないし」

「……おう。かかってこいや」

 よっと体を起こす。

 俺は、若葉が正座でこっちに向いているのを見て、俺もきちんと体を起こし正座で相対する。

「最近……黛と二人っきりになれないの」

 明らかに元気がない若葉。

「……それは若葉の努力が……ってわけでもないよな。俺に聞くってことは、そう思ってないってことだよな?」 

「うん……。頑張っているつもり。でも最近、黛と蜜柑ちゃん……気のせいかもだけど……さらに一緒にいる気がして……」

「うーん……若葉は、一年の頃から中村の家に出入りしてるんだよな?」

「うん。夏ぐらいからだった」

「その頃と比べてどうだ? 蜜柑と黛の一緒にいる時間……伸びてるか?」

 真剣に考える若葉。

「伸びてる……多分だけどね。それに黛、最近家に居ない気がするの」

「ああ、確かに出かけることが増えたよなあいつ。薫とか、クラスのヤツらと遊んでるらしいな」

「黛は、一年の頃は家にいる時間が多かった……つまり蜜柑ちゃんと、必然的に一緒にいる時間が確保出来ていた。でも今、黛は家にいないことが多いから……」

「黛との時間を確保するために一緒にいるってことか? 蜜柑が相当な甘えん坊ってことになるが……」

「うん……」

 少し考えたあと、若葉は少し俯きながら言った。

「……蜜柑ちゃんから黛と一緒にいる時間……取っちゃったダメだよね……」

「は?」

「だって! 黛と蜜柑ちゃんは昔から一緒に……」

「そんなの、関係ねえよ」

 俺は、少しだけ怒っていた。

「え?」

 若葉は努力してきたんだ。

 昔からの付き合いが長いだけで、それを無駄にされてたまるか。

 ……高一の頃の俺みたいに……努力を無駄にして欲しくないからな。

「そんなの平等じゃねえよ。付き合いが長いからなんだ。努力して、蹴落としてでも好きなもんは掴み取るんだよ。もし向こうがなんか言ってきても、向こうの努力が足りなかったってこと。黛は、黛をより幸せにしてくれる人を待ってるはずだ」

 まあ俺も、人のことは言えないんですけどね。

 俺は若葉の肩を持ち、話を続けた。

「黛が、ちゃんと努力を評価してくれない鈍いやつに見えるか?」

「……見えない……」

「まあ、少しは恋愛には、疎いとこが黛にはあるかもしれないけど、若葉。お前も恋愛に慣れてないのは同じなんだぞ。安心してぶつかってこい」

 若葉はうんうんと頷き、

「分かった! 黛と一緒にどっか行きたいって直接伝えてくる……!」

 と言うと、若葉はタタタと飛び出して行った。

 蜜柑もやっぱり黛のことが好きなんだろうか……。

「足、攣った……」

 うーん。考えても仕方ないし、俺もなんか誰か引っ張ってどこかに行くとしようかな。

 

 やる気もなかったので、シャキッとするために温泉に入り、部屋に戻ると、蜜柑が一人でスマホを見ながらそわそわしていた。

「どうした蜜柑」

「あ、進さん。それが黛さんからの返信が来なくてですね……」

「ああ、若葉と一緒に服買いに行ってるってよ。さっき若葉から連絡があった」

 さっき若葉から黛誘えた! 服買ってくる! と連絡があった。

「そう……ですか……」

 ついでに「言い忘れた、ありがと」とも送られてきたっけな。

「……うーんどうしましょうか……」

「たまには二人で回らねえか? 飯とか、土産とか。若葉も黛のために、頑張ってるんだしよ。応援してやらないと」

 若葉も頑張ってると言ったとき、少しだけ蜜柑の目が死んでたような気が……疲れてんのかな。

 その時、襖がすごい勢いで開き、

「じゃあ俺とお嬢様もセットな! モテモテじゃねえかお前! 良かったな!」

 その蜜柑と変わりない声で、言葉を乱雑に吐く、蜜柑姉こと林檎さん。と弥生。

「あら、進もいたのね。ちょうどいいわ。たくさんの方が楽しいじゃない?」

 話しかけてくる弥生。

「おう。そうだな」

 少し気まずいが、こいつは気にしてないみたいだし、俺もいつも通り行くか。

 親友……だもんな。

「ほら、蜜柑も行くぞ」

「うぅ……はい! お供します!」

 少し落ち込んでいた蜜柑が、すぐに立ち上がり、いつもの調子に戻ったようだった。

 

 ということで市街地に出た俺たちだが、すぐに林檎さんが、蜜柑を連れて街の奥に消えていってしまった。

 よって、昨日振られた男と振った女の二人きりになってしまった。

「……」

 気まずいとかいうレベルではない。

 少しでも会話すると、昨日のことの話になりそうで、俺は恐怖していた。

「ねえ、どこか行くところあるの?」

 弥生が尋ねてくる。

 こいつは……何も変わらなそうだな……。

「特にねえし、突然呼ばれたから目的もねえな。林檎さんには置いてかれるしよ」

「そう。なら私の浴衣選んでくれるかしら? 大体、夏の終わりにあるじゃない? お祭りが。ねえ、いいでしょ?」

 少し距離を詰められながら、俺は弥生に頼まれる。

 俺は二つ返事でOKを出して、浴衣がある店に行った。

 

 店は街の外れにあり、あまり人通りはなく、落ち着いていた。

 店に入ると、カラフルな浴衣が目に入る。

「あなた誕生日いつ?」

 弥生が尋ねてくる。

「もう過ぎてるぞ。五月二十一日生まれだ」

「……何もかもタイミングが悪いわね……」

 弥生は、かなり悲しそうな顔をしていた。

「なんだよ」

「なんでもないわ。とにかく、なんかひとつ浴衣買ってあげるわ」

「いや、いいわ。祭りとか行かないし……高いだろ」

「ふーん……じゃあ若葉ちゃんが、ここで黛と選んだとかいう浴衣、見なくていいのね」

「なに……」

 若葉の浴衣か。

 ぜひとも見たいものだ。

「なら買おうかな。お前も俺の分も選んでくれよ」

「もちろんよ。一番似合うものを選んであげるから」

 ウィンクをして、うきうきで店内に入っていく弥生。

「やっぱりあなたは紺とか青系かしら。男の子だし、シンプルの方がいいわよね?」

「そう……だな……」

 ……少しやっぱりやりにくい。

 親友だ! とは言ったものの、なんだかんだ俺は振られているんだ。

「ねえ……やっぱり……やりにくいかしら?」

「……っ」

 弥生が、すごい心配している表情で、顔を覗き込んでくる。

 こんなこいつの表情を見るのは、初めてな気がする。

「ああ……悪い……」

「まったく……あなたがヘタレなのは知ってるわ。だからといってそんなになよなよされると……はっきりいってうざいわ」

「……すまん」

「体育祭の時のあなたみたいに戻りなさい。そっちの方が断然いいわ」

 と言いながら、弥生は浴衣を差し出してくる。

 紺色のシンプルなデザインで、上の半分の布が水色になっている。

「夏祭りが勝負よ。私も色々と頑張りたいから、あなたのセンスで私を良くしてくれないかしら?」

 ……こいつは、たぶん自分なりに俺を元気付けようとしてるんだ。

 親友だって言ったのは、こっちなんだ。

 俺が引き摺って、なよなよするのは……かっこ悪いな。

「任せとけ、お前に一番似合うものを探してやるよ」

「そうよ。その調子」

 俺は、弥生に一番似合う浴衣探し出すのに、小一時間かかった。

 浴衣が決まったと思ったら、帯や小物も選び出し、小物や帯が決まったら、浴衣に小物が似合わないから、また浴衣を選んだりと無限ループに入りかけたが、なんだかんだ決定した。

「お前……俺に決めさせるとか言いながら、全てを突っぱねるのやめろや……」

「だって仕方ないじゃない。ガチってハマる組み合わせがなかなかなかったのよ。でもなんだかんだ、あなたの意見を聞いたじゃない」

「まあ……そうだな……」

 弥生が選んだのは、黒の浴衣で上の半分の布が灰色になってる。

 頭の髪飾りは薄ピンクの花柄で、帯は灰色だ。

 落ち着いていて、弥生らしさが出ていると思う。

「お前結局、自分で浴衣は選んだしな……なんでそれなんだ?」

「……あら? あなたの浴衣に合わせたつもりなのだけど……ペアルックってやつかしら」

 ……確かに弥生の浴衣と、俺の浴衣は色違いだ。

「なんでそれ選んだんだよ!」

「わからないのかしら。ダメよそんなんじゃ」

「わからねえよ。俺はお前に振られてるんだから、合わせる意味はねえだろ」

「……いつかわかるわ」

 いつかわかるわ、そういう弥生は少しトーンが低かった気がした。

「うざ。ホームズでももっと早く言うだろ」

「じゃあ言い直すわ。すぐわかるわ。さあ、早く蜜柑と林檎さんと合流しましょ」

 弥生は、蜜柑に電話をかけた。

 

 俺たちは、その後、蜜柑と林檎さんと合流した。

「お? 浴衣買ったんだなお前ら。いいじゃねえかよ」

 林檎さんは、合流してすぐに、俺らから袋を奪い取り中身を確認する。

「いい色だな。おっ、きたきた」

「え? 何が来たんですか?」

「ほれ」

 と林檎さんが指さす先から、車が走ってきて俺たちの前で止まった。

「中村様。荷物を受け取りに参りました」

 若いメイドが、車から降りてきた。

 メイド服を着ているが、どこか和風を感じるメイド服だった。

 すると、俺たちの荷物を全て詰め込むと、一礼して颯爽と行ってしまった。

「そういえば、俺以外みんなお嬢様だったな……」

 俺は改めて、まじまじと今ここにいる、蜜柑と林檎さんと弥生を見る。

「そう言えばそうですね!」

「ここにいる三人で、どんだけ金あんだろうな!」

 と笑い合う中村姉妹。

「そうだ! 弥生ちゃん。この色男借りていいか? 合コン絶対勝利、男を落とす香水を選びてえんだ」

 と林檎さんに、俺はグイッと腕を引っ張られる。

「ええ、いいですよ」

 と弥生が言うと、またグイグイ引っ張られ、林檎さんに連行される。

「ちょ、そんな引っ張んないでくださいよ」

「ほら行くぞ。黛は朴念仁のフリしてる捻くれたやつだから参考になんねえし、薫ちゃんは女の子っぽいからお前しかいねえんだよ」

 俺は、昨日の秀一さんとの風呂での会話を思い出した。

 やっぱり親子なんだなぁ……この人たち。

 

 

「さあ着いたぞ!」

「これはなかなか……」

 入ってみるのはいいものの、さすがに少しは匂いがきつい。

 男の俺には、辛いものがある。

「わりぃ、無理はすんなよ」

「まぁ大丈夫です。さ、選びましょ」

 と俺はそう言いながら、ずかずかと店内に入っていく林檎さんについて行く。

「色んなのがありますね。なに? ぱるふぁむ?」

「パルファム濃度が濃いのが、長く続くやつな。この系統がいいな」

 と言いながら、香水を手に取り、サンプルを嗅ぎ始める林檎さん。

「これとかどうだ? レモンだぜレモン。私が好きなバンドの曲名なんだ」

「へえ」

 俺もサンプルを嗅ぐと、レモンの匂いが薄ーくした。

「いい匂いですね」

「そうだな。でもいい匂いじゃなくて、俺に似合う匂いを選んでくれよ?」

 俺も、片っ端からサンプルを嗅ぐ。

 林檎さんは、やっぱりりんごの香りがいいのだろうか。

 いやでも破天荒の感じだから、もっと刺激的なやつの方がいいのかな……。

「おっ、これ蜜柑が使ってるやつだな。予備欲しいとか言ってたし、買っておくか」

 林檎さんは、オレンジ色のパッケージの香水に手をかけた。

「それ、蜜柑がよく使ってる香水なんすね」

「ああ、黛が選んでくれたんだと。大事そうにしてるぜあいつ」

「へー……」

 ふと、秀一さんとの話を思い出し、林檎さんにも、蜜柑をどう思ってるのか尋ねてみることにした。

「突然なんすけど、蜜柑ってどんなやつなんですか?」

「……おお、少し興味あるのか?」

「いや、前に秀一さんと蜜柑について話したので……林檎さんはどう思ってるのかなと」

 ……上を向き、そのあと持っている香水を見て、少し微笑んだ。

「甘えん坊だな。やっぱり」

 と答えた。

「あいつは死んじまったばば……おっと、おっかさんにずっとべったりでな。何かにもたれかかってねえと生きられない弱っちい子だった」

 そしてこっちを向いて、林檎さんは、話を続ける。

「何かにすがることで生きることしか出来ねぇんだあいつ。母ちゃんや黛に、昔っから甘やかされて生きてんだ。昔はあんなに明るくなかったんだぜ? 母ちゃんが死んでから、母ちゃんみたいに明るくなったな。その前は……若葉ちゃんみたいだったかな! なんか若葉ちゃん見てると懐かしいんだわ!」

 ……何かに縋ることでしか、生きられなかった蜜柑。

 それが母が死んでからから、母から黛に甘える対象を変えたってことかな。

 つまり、蜜柑には黛が必要……ってことか。

 それでも、若葉には頑張ってもらわないといけない。

 あんなに頑張っているからな。

 ここまでの努力を、無駄にしてほしくない。

「というか若葉みたいだったって本当ですか? まったく想像できませんよ俺」

 そういえば、黛も、蜜柑は若葉に似てたって言ってた気がする。

「だろうな。俺も明るくなってびっくりしたぜ! 母ちゃんに本当にそっくりだ」

「林檎さんは……お母さんとどんな感じだったんですか?」

「……俺は親父に面倒を見てもらったからな。俺を見てたらわかるだろ?」

「……いや、そのまんま過ぎて、逆にちょっと面白いっていうか……」

 蜜柑は母に。

 林檎さんは、秀一さんに。

 それが、この姉妹の違いなんだなあ。

「だからよ。蜜柑には厳しくしてやってくれよ?」

「えっ? 厳しくって……」

「多分、お前は叱れる人間だろ」

「まあ……そうですね」

「黛や……弥生ちゃんは多分叱れないから、よろしく頼むぜ」

 俺は、薫と弥生との墓の前であったことを思い出した。

 そしてなんとなく考えながら、目に付いたひまわりの香水を手に取った。

「これ、どうっすか。ひまわり」

「へえ……明るくていいじゃねえか。夏もまだまだこれからだしよ、これにするわ」

 林檎さんはサンキュ! と言いながらレジに向かっていった。

 ふと、外を見るともう夕暮れだった。

 

 旅館に戻ると、最後の晩飯が部屋に並んでいた。

 海鮮メインの豪勢な夕食だ。

 弥生の親父さん以外は集合し、秀一さんと林檎さんは、お酒をがぶがぶ飲んでいたが、まったくベロベロになる様子はない。

 本当にお酒が強いんだろう。

 黛も、最終日くらいみんなと食卓を共にしなさいと、料理長に言われたらしく若葉と楽しく話しながら、ご飯を食べている。

 みんな旅館の浴衣を着て、のびのびと最終日の夜を楽しんでいるようだ。

 

 黛が「ちょっとお茶買ってくる」と立ち上がると、若葉も「ついてく」と立ち上がったその時、すぐそばにあるお酒の瓶を、黛が足でひっかけてしまった。

 若葉が、咄嗟に瓶を支えると、中に入っていたお酒が、若葉の旅館の浴衣にかかる。

「あ、悪い若葉! 大丈夫か?」

「う、うん……」

「あ! 悪い! 俺が蓋を閉めなかったばっかりに……」

 黛と秀一さんが、若葉の顔を覗き込みながら尋ねる。

 すると若葉が、

「えぃ!」

 と黛を押し倒した。

「えへへーなんか暑くなってきちゃったー」

「若葉? どうかしたのか?」

 黛が、抱きついて離れない若葉を、よしよしと撫でる。

 若葉の顔をよく見ると、赤くなっていた。

「ねえ進、もしかして若葉ちゃん……酔っ払ってない?」

「へ? そんな服にかかったぐらいで酔っ払うわけ……」

 若葉から目を離さず、俺と弥生は話した。

 その次の瞬間、若葉は、黛の浴衣の中に入りこみ、黛の胸の辺りから顔を出して、黛の首を舐め始めた。

「っ……ちょ……若葉!」

「えへへ。黛かわいい」

 若葉のぺろぺろは、止まらなかった。

 首だけにとどまらず、耳までぺろぺろし始め、挙句の果てには、

「えい!」

「ほにゃ!」

 黛の耳を甘噛みした。

 黛は抵抗していたが、力が入ってなさそうだった。

「……若葉が肉食系に……」

 と俺は、若葉を見ながら言った。

「あはは! 若葉ちゃんが酔っ払うと、すごい積極的になるなんて」

 楽しそうな弥生。

 すると薫が近寄って、

「おい若葉! 黛が困っているだろ! やめなさい! こら!」

 若葉の頭を、薫は両手でがっちりと止める。

 すると、ぱっと手で払い、

「じゃまするな! まゆずみのからださわる! なめるの!」

 と黛にしがみついた。

「ううん、あちゅい……」

 若葉は、黛の中で浴衣を緩め始めた。

 なんだか、妙に色っぽい。

「あー! ダメです若葉ちゃん!」

 蜜柑が若葉を止めようとするも、

「あっちいけ! まゆずみはいまはわたしのもの!」

 そう言いながら若葉は、蜜柑をにらみつける始末である。

 蜜柑は少し歯を食いしばって、たじろぐ。

 当の本人、黛はというと、さすがに珍しく参ってる様子である。

 あんなに余裕のない黛は初めてみた。

 ついに若葉の浴衣が完全に脱げ、下着も丸見えである。

 よく見ると、若葉の胸はやっぱりかなりある。

 身長が小さいので、かなり大きく見えるってのもありそうだ。

「さ、さすがに……刺激が強いな……」

 と黛は、顔を赤くしながら言う。

「てめえずるいぞ」

 と俺は、複雑な気持ちで黛に言った。

「なあ、どうすればいいんだこれ」

「知らん。勝手にしろ」

「なんで怒ってるんだ」

「怒ってない。憤慨してる」

「怒ってるやん」

 と黛と、くだらない会話をしていると、

「あー……黛、若葉ちゃんと少し横になってやってやれ。水も飲ませりゃ少し良くなるはずだ。その調子だと離れないだろ」

 秀一さんが、水のペットボトルを差し出しながらそう言った。

「ありがとうございます。ほら隣の部屋行くぞ若葉」

「えー……いまからまゆずみにおっぱいさわらせようとしたのに!」

 若葉は下着まで外そうとする。

 俺は、黛に対して憤慨していた。

 なんだその羨ましすぎる状況は。

 下着姿の女の子が、服の中ですりついてくるとか、並の男子高校生じゃ欲望に忠実になってしまうに決まっている。

 まあ黛だから、ほかの平均男子よりは焦ってはいないようだけど。

「はいはい、ほら行くぞ」

「ねえはやくさわって。さわらないといかない」

「いいから。行くぞ」

「やだ」

「……」

 黛と若葉は、睨み合った。

 若葉はぷくーと頬を膨らましている。

 すると黛が、俺の方を向いてから、

「すまん。進」

 と悲しそうな表情する。

 その後、すぐに黛は若葉の耳に息を吹きかけた。

「うお! 何してんだお前!」

「落ち着きなさいヘタレ。あなたじゃ無理よ」

「そうだよ非モテの鉄人さん。アンタじゃ無理」

 未来と弥生に、俺は抑えられる。

 若葉は顔が真っ赤になり、思考ショートして、停止したようだった。

「さあ、布団敷きましたよ」

 と蜜柑と薫は、協力して、隣の部屋に、黛と若葉のために布団を用意してくれた。

 隣の部屋に、黛は若葉を抱き抱えたまま入り、扉を閉めた。

 

 そのあと二時間ぐらい経ったあと、さすがに気になったので、しっかりとノックをして、返事がないのを確認すると、扉を開けて黛と若葉の様子を確認すると、二人ともすやすや、ほぼ抱き合った状態で寝ていた。

 風紀委員だったら、速攻でたたき起こしているだろうが、俺は生憎根性無しなので、幸せそうな若葉の顔だけを見て、扉を閉めた。

 ちなみに二人とも、しっかり浴衣は着ていたぞ。

 安心したまえ。健全だから。

 

 その三十分後ぐらいに、黛が起きてきた。

「うっかり寝てしまった……」

「まったく……若葉があんなことになるなんてな」

「ああ、本当にびっくりだ」

 そう言いながら、黛はベランダに出ていった。

 部屋には俺と黛、そして隣の部屋には、寝ている若葉しかいなかった。

 みんな、お土産購入に行ったらしい。

「なあ、若葉ってぼくのことをどう思ってるのか、知ってるか?」

「え?」

 俺は、若葉が黛のことを好きなことは知っている。

 しかも、あそこまでべろべろになって黛にべったりだったところを見ると、黛も気がついていてもおかしくないはずだ。

 しかし、若葉には口止めされてるし……一旦聞き返すことにした。

「なんでそんなこと聞くんだよ」

「ほんとに怒らないか? 言っても」

「ん? 多分今なら平気だ」

 あんだけイチャイチャしてたんだ。

 もう大抵の事じゃ驚かないだろう。

「若葉と布団に入ったら……若葉が着物を着たんだよ。そしたら……その……口にキスをされた」

「……」

 まあ。

 驚きませんよ。

 この程度ではね。

「殴っていいか?」

「お前のパンチとか痛くないだろ」

「……そういやお前、体は頑丈な人だったな……俺の手がもたねえわ」

「それとさ……初めてこう……なんかうまく言えねえけど……」

 少し躊躇うような動きをしてから、咳払いをして、それから黛は続けた。

「若葉が……可愛く見えたというか……そんな感じだ。上手く言えない。だからぼくも、あんなことが出来たのかもしれん。耳にフーとかな」

 黛は、少しぶすーとしながら、ベランダの柵を使って方杖を付いた。

「……そうか……まあ若葉は可愛いよな。ちっこくて」

 俺は、黛にそう言った。

 黛は、少し顔が赤くなっていた。

 照れているらしい。

 それを見て俺は、ベランダから外を見ながら思った。

 若葉さん。

 怪我の功名ですよ。

 酔っ払って正解ですよ。

 黛さん、若葉さんに惚れ始めてますよと。

「好きなの?」

 俺は、めちゃくちゃにやにやしながら、黛に尋ねた。

「えっ! まあ、うん……嫌いではないぞ!」

「ふーん」

「なんだその含みのあるふーんは!」

「別に」

「なんだなんだ! お前だって弥生の事……」

「ああ、それなあ……」

 終わったんですよね。

 その関係。

「そうだお前も一緒だ! だから人のことをそういう風にからかうな! まったく……ふふっ」

 黛はぷいっとそっぽを向いたあと、その後すぐにいつもの穏やかな表情に戻ったようだった。 

 

 俺は、とりあえず風呂に入ろうと、枕元にまとめてあるスーツケースに、着替えを取りに行った。

 すると俺のスーツケースの取手のところに、なにか紙が結ばれていた。

 ……手紙……なのか?

 俺は、一応部屋に俺以外はいないことを確認し、手紙を開いた。

『今日の正子。女湯の隣の混浴風呂で待っている。Nより 』

 と書かれていた。

 ……これ大丈夫なのか?

 罠とか置いてたりしてねえかな……。

 というかNって誰だよ。

 それはそれとして、実は真面目に考えても、イニシャルNに該当するヤツらが多いんだよな……。

 凪も当てはまるし、中野も当てはまる上に、中村に関しては三人もいるわけで……。

 推理小説もびっくりの偶然だ。

 まあ、この部屋で全員が寝ることになるはずだから、そこで一旦寝ている人物はNから外れるから……正子になったら寝ている人を確認しておかねえと……。

 

 俺は、その手紙を手元に収めてから、お土産を買いに旅館の近くの店に向かった。

 お土産売り場に向かう途中に、考えていて、ひとつ気がついたことがあった。

 恐らく、黛では無いということだ。

 黛は、男だからわざわざ混浴風呂に誘う必要がない。

 まず、黛の性格なら直接言ってくるだろう。

 というか今更だが、混浴に誘うって相当やばいことをしているような!

 まあ、とにかく、これで中村か中野かに絞れたわけだ。

 

 お土産売り場に着くと、未来がカゴにお土産を山積みにしているところが見えた。

 俺は未来に近づいて、話しかける。

「よお……お前……持って帰れんのかよそれ……」

「平気。多分。というかあんたも選びなさいよ。というか私といるべきでは無いんじゃない?」 

「どういうことだよ」

「……はあ……。だからドラマティック失恋野郎とか、非モテの鉄人とか言われるんだよ」

「いやマジでどういうことだよ!」

 どうやら俺は、こいつとは一緒にいない方がいいらしい。

「まあいいや。お土産、一緒に選んであげる。ほら、これとかいいんじゃない?」

「どれどれ」

 それは、どこかで見たことのある羊のストラップだった。

 なんというか……目がでかくてヨダレも垂れてて……。

「きんもーいなこれ」

「なに! 可愛いじゃん!」

「お前の感性がわからん。俺が両親にこれを渡した暁には、精神異常者の認定書を渡されるぞ」

「……はぁいいと思ったのに……」

 結構落ち込みながら、ストラップを元の場所に戻す未来。

 あれ? 結構大ダメージだな……これ。

「まあ、買うよ。一応お前に選んでもらったんだしな……」

「ほんと? ありがとう」

 と表情が明るくなる未来。

 ……そう言えばこいつ……ちょっと咲に似てるんだよな。

 性格とかは、真反対もいい所。

 咲は落ち着いていて……大人っぽい若葉みたいな感じだ。

 でも、ちゃんと表情には、自分の感情を出してくれる。

 そういえば、こいつは知らなかったよな、咲のこと……。

「なあ、今度俺んち来いよ」

「えっ! 別にあんたに抱かれる予定はないんだけど……」

「ちげえよ! 見せたい写真があんだよ。お前にすげー似てるやつ」

「なにそれ! ちょー見たいんですけど! 行きます! 私!」

「お前……死ぬほど簡単だよな……犬かよ。というかさっさと買ってこいよそれ。生鮮食品とか、さっさとしねえと」

「やば! ちょっと買ってくる!」

 慌ただしくレジに未来は向かった。

 

 そして夜。

 俺は無駄に風呂に入ったあと、自然に十一時頃には、消灯となった部屋の中で眠りながら携帯をいじって待機していた。

 そして予定の正子まで十五分のところで起き上がり、混浴風呂に向かった。

 起き上がる時に、みんなの寝ている布団を確認したが、一人しか起きていなかったようだ。

 実は林檎さんもこの部屋で寝たいと言いだし、今この部屋には布団が八つある。

 どうやら林檎さんは、どこかに行ったようだ……。

 これは林檎さんがNの可能性があるな……。

 というか、若葉寝すぎだろ。もう五時間は寝ているぞ……。

 とりあえず、俺は林檎さんがNという予想を胸に、風呂場に向かった。

 混浴に入るのは初めて……じゃなかったな。

 弥生のせいで二回目だ、ちきしょー。

 まあ、さすがに誰もいないだろう。

 フラグなんかではない。

 決して。

 服を脱ぎ、一応、身体を洗い直し湯船に浸かる。

 ……何も声がしない。

 五分ほど待つと、隣の女湯の向こうの扉が空いた音がして、シャワーを浴び、湯船に浸かる音がしたと同時に、予想外の声が飛び込んできた。

「進だね。多分」

「うおっ! お前かよ!」

 若葉だった。

「お前寝てただろ!」

「さすがに寝すぎ。寝たフリに決まってる」

「つまり、あとからついてきたんだなお前は……」

「そういうこと。驚いた?」

「ああ、驚いた。お前はやっぱり頭が切れるな」

「えへへ。ありがとう。そんなことより本題。私、あんまり長く浸かるとのぼせるから」

「おう」

 少しの沈黙。

 俺も少し緊張する。

「この旅行で改めて聞きたかったの。なんで、私をそんなに応援してくれるのかについてね」

「おお……そうか……」

 ちょっと難しいな……。

 俺は若葉が努力をしているのを、その手伝い……少し背中を押しているだけ……だ。

 それに中学の時の、あの時の罪悪感を忘れるためっていうのもある。

 人によくするっていうのは。

 それに、俺は多分……努力している人が好きなんだろうな。

 俺は「えーと」と言ったあと、

「俺は……誰かのために真っ直ぐに進もうとしてる奴が好きだ。だから俺はできる限り応援する。それだけだ。若葉はあんまし積極的に行くような感じじゃないだろ、だからお節介焼いてるってわけ。……めっちゃ上からだなこれ。腹たったらすまんな」

 と素直に述べた。

「これで満足か?」

 と向こうの若葉に尋ねる。

「……そうですね……ありがとう進さん。私の呼び出しに付き合ってもらって」

「良いってことよ」

「それじゃあ、あがるから。ありがとう、進。それと、気づかれたくないから少し時間を置いてから戻ってきて」

「あ、ああ」

 なんだ……?

 なんというか……。

 最後だけ……若葉じゃなかったような……声は若葉なんだが……。

 はっきりいって、別の誰かだったような……そんな気がした。

 その違和感の正体がわからず、少しモヤモヤしながら、十五分ほど時間をあけ、俺は風呂を出た。

 

 戻ると林檎さんは戻ってきていて、俺は蜜柑の隣にある布団に戻った。

 一番遠いところにいる、若葉も寝ているようだ。

 若葉は心無しか、黛に近寄ってる気がする。

 俺は、少し温泉の香りがして、なんだかんだ暖かいような気がしながら、眠りについた。

 

 

 朝起きると、若葉と黛は、早めに起きて荷物をまとめて畳に座り、お茶を飲んでいた。

「おっはー進」

「おはよう進」

「おはよう」

 黛は、さくっとお茶を入れて俺の前に出してくれる。

「サンキュ」

 ずずずっと。

 苦くてうめえ。

 目が覚める。

「そういや若葉、昨日風呂越しで話したよな」

「え? うーんと」

「覚えてねえのか?」

「覚えてない……」

 あんだけ黛にベタベタしてたのに、こうやって朝、違和感なく接してるところを見ても、ほんとうにフラフラだっただろうし、記憶が無いのも無理もないか……。

「どこから覚えてないんだ……?」

 黛が少しだけ頬を赤らめて、若葉に尋ねる。

 やっぱり……気になるよな……。

「ご飯食べてて、気がついたら朝だった。終わり」

 すごい真顔で答える若葉。。

「まあいいや。とりあえずぼくは最後の朝飯を作る。これを食ったら帰宅だからみんなを叩き起して荷物をまとめさせておいてくれ」

 と言いながら、黛は部屋を出ていった。部屋を出ていく前に、黛は少しだけ胸を押さえていた。

 

 

 みんなで最後の朝飯を食べ、帰路につく。

 十時間ぐらいバスに揺られ、休憩を挟みながら小鳥居邸に着いた。

「それじゃあそれぞれ解散ね。秀一さん運転ありがとうございました」

 弥生が秀一さんに頭を下げる。

「良いってことよ! 青春しろよお前ら! じゃあな!」

 と言いながら、秀一さんと林檎さんは、バスに乗りこみ颯爽と去っていく。

「あーそう。解散の前に……薫。言いたいことがあるのよね?」

「は、はい! あります!」

 薫が、みんなから注目を浴びる。

 すると、未来が薫の隣に立つ。

「えーっと……一応言わないといけないと思ってだな……いいか未来?」

「うん」

「僕たち……付き合うことになりました……はい……」

 ……おお……。

 未来……やったのかついに……。

「えええええ! 薫さんすごい!」

「ねえねえ、薫から告ったの? 未来ちゃんから告ったのどっちどっち?」

 ずいずいと、蜜柑と若葉は尋ねる。

「い、一応僕から……お嬢様の後押しや、進や黛の後押しもあって……」

「あれ? 俺なんかしたか?」

 全く心当たりがない。

「ほら花火する前のバイキング……」

「あ! そうか……色々あってすっかり忘れてたわ……」

 あれか。

 ……弥生に振られたショックで、完全に忘れていた。

「ぶっ」

「笑ってんじゃねえよ弥生」

 弥生は、それに気がついたようで笑いを堪えていた。

 お前のせいだぞ全く。

「まあそれでもよかったな。上手くいって」

「そうね」

 俺の隣に来た、弥生と小声で話す。

 弥生も満足しているようだ。

 微笑を、さっきからずっと顔に浮かべている。

「と、とにかく……これから薫くんとそういう関係になりました……ということで……」

 未来が嬉しそうな、恥ずかしそうな感じで言った。

 ある程度騒いだあと、全員は沈黙してしまった。

 まあ興奮しちゃって、帰れる雰囲気でもないしな。

 すると、黛がパンパンと手を叩き、

「はいはい。とりあえず今日は帰って各自休息。さすがに疲れてるだろうしな」

 と黛が帰れる雰囲気じゃなかった場を整えた。

「そうですね。帰りましょう黛さん」

 蜜柑と黛は、帰るために荷物を持った。

「黛。蜜柑ちゃん。また暇があったらおうち行くから……」

「うん。いつでも来い」

「また一緒にゲームしましょ!」

 家に行くと言う若葉に、黛と蜜柑は返事をして、その場をあとにした。

「じゃあ私帰るから。バイバイ」

「おう。頑張れよ若葉」

「うん」

 若葉も、スタスタと大きな荷物を持って帰って行った。

 満足気な笑顔だった。

「未来ちゃんも、遠慮なく薫を呼んでいいわよ。ほかの男の子より自由度は低いけど……そこは勘弁して欲しいわ」

 と言いながら弥生は、未来にウインクをする。

「うん! ありがとう!」

「物分りが良くて助かるわ。私も応援するから薫をよろしくね。……それじゃあ」

 弥生は、小鳥居邸に体を向けた。

 薫は、未来と俺に手を振り、弥生について行った。


「進。ありがとう」

 未来が、残った俺に話しかけてきた。

「良いってことよ。お前が頑張ったから、薫が振り向いたんだぜ。なんなら俺は、なんもしてねえ」

「えへへ」

 照れくさそうに頬をかく未来。

「それはそうと……今度は進の番だよ。弥生さんの気を引けるように頑張らないと」

 ……そうか……。

「なあ」

「うん」

「違うんだ」

「え? 若葉ちゃんのほうが好きなの? でも黛くんがライバルになるよ? それでも……」

「違うんだ」

 俺は、ブンブンと首を振る。

「え? 何が違うの? 次は進の番だから友達として応援を……」

 俺は、未来の発言を手で遮り、呼吸を整える。

「驚くなよ?」

「え? まあ……うん」

 俺は、恥を覚悟で、できるだけ平然を装って言い放った。

「俺、弥生に振られた。この旅行中に」

「……」

 最初、未来は理解出来てない表情をしていたが、徐々に驚愕の表情に変わっていき、最後には、

「ええええええええ!」

 絶叫。

 まあ、是非も無いよね。


 

 

 ────────────

 

「好きだ。弥生」

 

「え?」

 完全に予想外だった。

 進は確かにこの私、小鳥居弥生に告白をしたのだ。

 線香花火を楽しむために付けた賭けが、こんな結果を産むとは思わなかったわ。

 いや、予想してなかったわけではなかったけれど、進がそんなに根性あったとは思わなかった、が正解かしら。予想よりかなり早かったが正解ね。

「そう……。本当に好きなのね……私のこと……」

「返事……貰えるか……?」

 ……罪な男ね。

 ほら、顔真っ赤じゃない。

 少し……可愛いところあるのね。

 けれど、薫を幸せに……あの過去から……あの子が決別できるまでは……私はピエロでいると決めているの。

 薫を一人にしないためにも、今はまだタイミングが良くない。

 進のことが嫌いと言ったら嘘になる……どころか、多分好きなんでしょうね、私。

 だから……。

「薫が……立派になるまでは………誰とも付き合わないって決めてるの……だから……ごめんなさい」

 言ってしまった。

 たぶん、今、進の顔を見たら……泣いちゃうから……少し力を貸しなさい、線香花火くん。

 顔あげられない。

 なんとか断れた……。

 でも……これだと……薫が決別できた時……進のことが好きな理由が、告白する理由がなくなってしまう気がする。

「そうか……ありがとう」

 あ、だめ。

 なんとか……なんとか私の気持ちを暗に伝えないと……。

 離れてしまう気がする。

「別に……嫌いじゃ……ないわよ……だから……その……こ……」

『恋人候補でどうかしら』

 ……言いたい。

 でも口が動かない。

 戦っているの、脳と口が。

 言い訳をするな。

 振った男と付き合うのは筋違いだ。

 言い訳もいいじゃない。

 なんとか進を引き止めるために。

 動いて……私の口……。

「そうだ。親友だ」

 ああ、だめよ。

 それだと……もう無理じゃない……。

 親友じゃいやだ。

 線香花火が消える。

 ……あなたは悪くないのよ。

 力を貸してくれてありがとう。

 これは……私の力不足。

 もう……なんでもいいのよ。

 あれ……なんで泣きそうなのよ私。

 早く進をどこかにやらないと……。

 甘えたくなっちゃいそうだから。

「ねえ、そろそろ向こう行きましょ。ほかの花火も見たいわ。バケツとか持って、合流しておいて頂戴。もう一個だけやったら行くわ」

「そうか。待ってるからな!」

 ……元気、いいわね。

 なによ、全然ヘタレじゃないじゃない。

 私の方が……ヘタレよ。

 私は、線香花火にまた火をつける。

 涙か溢れだしてくる。

 これを薫が見たら……びっくりするでしょうね。

 私も普通の女の子なのよ。

 まったく。

 私は、苛立ちを誤魔化すために、嗚咽を我慢しながら、少しだけ大きな声で、

「あーあ。これで良かったのかしら? 小鳥居弥生? 薫のために、自分を殺して満足かしら? これじゃ、誰かさんと同じじゃない?」

 と言った。

 その瞬間、落涙と一緒に線香花火は落ちてしまった。

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