第6話 勝手な期待
いやぁ……参った……。
眠い夏休み前補習が終わり、帰宅しようと靴を下駄箱から出している。
俺は、昇降口にいる。
外を見ると、大雨である。
予報では、雨が降る時間帯は夜中と予想されていたため、俺は傘を持っていなかった。
さすがに、ここから俺ん家に行くのは荷が重い。
ここから駅まで走って五分。そこから電車で最寄りまで三十分。
最寄りから家まで二十分。もちろん走ってだ。
音楽系のMVもビックリの濡れ具合になるだろう。
……こういう時に便利なのが、黛と蜜柑の家なのである。
高梨高校から徒歩五分。走れば二分ほど。
黛に、とりあえず雨だから避難したいと連絡。
光の速さでOKの返信が来た。
俺は、カバンを頭に乗せて、できる限り全力で黛と蜜柑の家に向かった。
すぐに、家に到着した俺は、シャワーを浴びて、それからソファで携帯をいじっていた。
基本的に黛と蜜柑は、部屋でゲームやらインドア趣味をしているので、こうしてダラダラしているのが、ここに来た時の普通になっているんだ。
……まあ、弥生とかいると変わったりするけどな。
周囲を巻き込んで、むちゃくちゃにするしなあいつ。
十九時頃、インターホンが鳴った。
いつもだったら、すぐに黛か蜜柑のどちらかが降りてくるが、降りてこないので俺が出るために立ち上がる。
「FPSとかをやっていると、ヘッドホンとかで気が付かないから、代わりに出てくれ。必要だったら呼んでくれよな」と黛に言われていたりもする。
俺に信頼を置いてくれてる嬉しさ半分、適当だなぁと思う半分……ってところだ。
玄関を開けると、なんと未来が息を切らしていた。
走って来たのだろう。
前がすごい濡れている。
部活終わりなのか、体操着を抱えて疲れていそうだ。
いい感じに透けてるが、その体育着で隠れていて見えない。
別に下心はないぞ? 男として確認したまでだ。
「あれ? あんたまた来てたの? 好きだねほんとに」
「ん? まあな。居心地いいし」
「私も好き。ここはあったかいし……じゃなくて! 早く入れて! というかタオル出来ればくださいって蜜柑ちゃんにお願いして! 風邪ひくじゃん!」
「ああ……悪い悪い」
俺は未来を玄関で待つように言って、それから急いで、二階にある蜜柑の部屋をノックする。
「はい? 何かありましたか?」
とドアを開きながら、俺に尋ねてくれるのは、首にヘッドホンをしている蜜柑。
パソコンの画面にはイケメンが二人。
「また乙女ゲーやってたのか……」
「えへへ……夢女子の日常ですよ……イケメンになった気分になれるので……」
乙女ゲーを男視点でやる女。
中村蜜柑。
「お前乙女ゲー男視点でやるのやめろな……。んで、未来がびしょ濡れなんだ。タオル持って行ってやってくれ。タオルの場所わかんねえし、あとは任せた」
「はい! 喜んで」
と言うと、蜜柑はゆっくり階段を降りていった。
「ふー。助かったよほんと」
タオルと黛から着替えを借りたあと、リビングで、安堵の表情を見せながら、帰り支度をする未来。
「おいこの雨で帰るのか? 傘ぐらいは貸せるけどよ……」
黛が、少し呆れた表情で、未来に尋ねる。
「まあね。自分のおうちが一番だし、そんなに迷惑かけられないよ」
未来がそう言いながら、リュックを背負った。
「あー……申し訳ないんですけど……お二人共……」
蜜柑が、携帯の画面を見せてくる。
そこには、俺たちが使っている電車の運休についての案内がされていた。
「……」
「……」
俺と未来は電車通学なので帰れない。
これはつまり……。
「「……今日……お世話になります…」」
俺たちは、揃ってそう言った。
急に、俺と黛と蜜柑と未来で、突発お泊まり会が始まった。
俺と未来と蜜柑は、テーブルの椅子に座りながら、テレビの有名トークバラエティを見ている。
毎回思うけど、台座に叩きつけられる棍棒の先に付いてる自分の顔を見て、なんにも思わないのか不思議なんだよなぁ、この人。
それにしても視聴者から募集する、「○○な瞬間」とか「○○だった事」シリーズはどれも面白いなぁ……。
俺も何か送ってみようかな。
学校で付けられた不名誉すぎるあだ名……とかの時に……。
「にしても未来さん、薫くんいなくて残念でしたね」
「ええっ! どどどどうして!」
「だって、薫くんいたら一緒に寝させてあげるように協力してあげたんですけど……ね?」
「うう……今から呼ぼう……」
薫がいないことを悲しむ、未来と蜜柑。
「今からは無理に決まってるだろ。雨すげえし」
俺は未来に呆れながら話しかけた。
「うっさい。あんたなんていても嬉しくもなんともないし」
「お前薫以外の男には冷たいよな……」
「なに? 黛くんには優しいよ」
「あ、確かに。なんでだ?」
「……なんとなく」
「なんじゃそりゃ理由になってねえよ」
「うるさいなぁ……なんかこう……嫌いになる要素がないというか……」
少し考え込んで、言葉を考える未来。
すると、四人分のカルボナーラを持ってきた黛が、机の前にやってきた。
盛り付けはかなり雑だが、においはめちゃくちゃいい。
「ぼくなんて欠点、掃いて捨てるほどあるぞ。低身長とかオタクとかな」
「それでも大抵の女の子よりは大っきいしなぁ……遺伝とかで仕方の無いことだし……」
黛は未来をフォローしようとするも、未来にはあまりかみ合わず、空振り。
少しガクってして、少し微笑んでから、カルボナーラを盛り付けた皿をみなの目の前に置いていく。
すると蜜柑が、恐らく……と続けた。
「恐らく……直せる黛さんの欠点は、口が少し悪いくらいじゃないかと思いますよ」
確かに、無理やりひねり出す黛の欠点、と言えばそれくらいだ。
本当に非の打ち所がない。
「そうか? 他にもある気がするけど。いただきまーす」
黛は、箸でスパゲッティを食べはじめた。
「まあ……それくらいだよな。言い方少し悪いけど、両親がいないと、心とか体とが強くなんのかな」
俺はそう言った後、いただきますとカルボナーラをフォークに巻いてから頬張る。
「放任主義だったからな。『金と家だけやるから、後は自由にやれよ!』って小学校の入学式の時に言われた気がするぞ」
「やべえな」
「まあそのおかげで、今のパーフェクト黛くんがいるんだし結果オーライでしょ」
と未来。
「そうですね。ほんとに頼りになりますよ黛さんは」
と蜜柑。
黛はばつが悪くなったようで、
「ああもう。食うのに集中しろー。自分語りはあんま好きじゃないし、結構力作なんだそれ。ぼくよりカルボナーラを褒めろバカタレ」
とやけくそにカルボナーラを啜った。
二十一時頃。俺はトイレに行こうとしたところ、トイレの隣にある風呂場から男の声と女の声がするのが聞こえた。
「また大きくなったのか? それ」
「嫌ですねぇ? どーこ見てるんですか? 黛さん?」
……黛と蜜柑、アイツらまさか二人で風呂入ってんのか⁈
俺は好奇心に負け、なぜか空いている風呂場の前まで向かってしまった。
……いや確かに仲がいいし、家族同然みたいな所もあるかもしれないが、さすがにそれはないだろ……。
どうすればいい……ここはすぐさま退散……。
「なーんてな」
という声とともに、唐突に風呂場のドアが開く。
そこには、黛の声を真似した風呂上がりの蜜柑がいた。
もちろんタオルは巻いてるぞ。安心しろ。あっでも谷間が……。
ゴホン、とはいえ刺激が強いがな……こんなに完璧なプロポーションを持っている女の子はあまりいない。
女優にでもなったら、一躍有名人だろうなぁ。
「まあこんなことも出来るって訳だ。風呂場の前に大きな人影が見えたから、進だと思って、少しいたずらをしてみたぞ」
と黛の声を使い、ドヤ顔で言った。
「そういやお前そうだったわ……ほんとにどんな声でもできるんだな……」
「進。お手」
「若葉か、というかそんなことしねえぞ若葉は」
「進! 今日の僕は変じゃないか? お嬢様といても失礼じゃ無いか?」
「おお、薫だ」
「女湯大好き! JKの残り湯ごくごく!」
「おお! 俺だ……っておい! そんなコアな趣味はねえよ!」
「私が入ったお風呂入りたいんですよね!」
ずうずうとニヤつきながら、蜜柑は尋ねてくる。
「嫌だ! というか俺は先に風呂入らせてもらってるんだわ!」
「全く……根性なしね……バカじゃない?」
「弥生をオチに使ってんじゃねえよ! つーかさっさと服着ろ! 風邪ひくぞ!」
「あはは! 今日もキレキレですね。さすが進さん」
「少しは休憩させてくれよ……とりあえず俺はトイレに行くからな」
「ああ、はい。付き合わせてしまって申し訳ありません。それと黛さんが何やら夜更かしして遊ぶそうですよ」
「そうか。まあ明日休みだしな。待ってろって伝えてくれ」
「了解しました!」
俺は元気よく返事をする蜜柑を見てから、トイレに向かった。
……蜜柑はたまにサディストになるから困ったものだ……。
俺にはマゾの才能でもあるのかよ。
「はいまたぼくの勝ちー。せめて五十手までは耐えてくれよなー三人なんだし」
黛は、腕を組み、不満そうに言う。
リビングにて、黛VS蜜柑未来俺で、将棋をしているのだが、これで五局目。
全く勝てる気がしない。
普段から、薫と将棋をしているがこれほどまでに強いとは思わなかった。
こちらが四苦八苦して考えた手を、ほぼノータイムでじゃんじゃん返してくる。心が折れそうだ。
「薫くんって凄かったたんだね……あんなに善戦してたんだもん」
お手上げーとソファーに身を任せながら、横たわる未来。
「中学生の頃からやってますからね。未だに薫くんが勝ったことはないんですか?」
蜜柑が黛に尋ねる。
「ぼくがあいつに負けているところは、顔と身長と学力だけだ。今のところな。すぐ抜かれそうな気もするけど」
のそのそと上の階に行く階段まで歩きながら、黛は答えた。
いや、顔はトントンな気がするが……まあ好みによるかな。
でもさすがに、薫の顔が好きという女子、および男子は黛より多いだろう。
「……女の子的にはやっぱり薫みたいな顔の方が好きなのか?」
俺は、未来に尋ねる。
「うーん。黛くんもかっこいいけど……多分身長とか性格の違いかな……。私ぐらいの身長だと、黛は同じくらいだしあんまり異性として見れないかも……。それとちょっと取っ付きにくいし……いじるれる所もなさそうだし……」
と答える未来は、未来なりに言葉を選びながら答えてるように見えた。
「まあ……養いたいか養われたいかの差だろ。多分」
そう言いながら、黛は階段を降りてきて、とんでもなく厚い本を手に持ちながら、いくつかの紙などを左手に持っていた。
「薫は見てるとなんとなく不安になるだろ? 未来的にはそれがドストライクなんじゃないか?」
黛は、少し表情を困らせながら言った。
「それだ!」
黛の説明に、未来は目を見開いて同意した。
確かに、薫を見ていると、不安になるのはよくわかる。
薫は、人とのコミュニケーションを取る時に、一枚壁をはさみがちだ。
俺や黛に対しては特にないが、初対面の人とは話すことは出来ても、敬語を使って関心がないように話している気がする。
まるで、自分に関心が向くことを、極端に嫌がってるみたいに。
「それはともかくこれをやるぞ」
黛は、先程持ってきた厚い本を、どんとテーブルの上に置いた。
「TRPGルールブック?」
俺は、黛に尋ねた。
「ああ。これをやろうと思う」
俺は、説明と思われるところを探して読み上げる。
「なになに……『サイコロなどを使って遊ぶ対話式のロールプレイングゲーム』か」
「そうですよ。たまーにお二人が来る前の、一年生の頃の夏休みとかにやってたんですけどね。かなりご無沙汰かも知れません」
懐かしそうに、TRPGをやるためのグッズを眺める蜜柑。
「それでなんでやろうとしたのさこれを?」
未来は黛に問いかける。
「いい質問だな未来くん」
待ってましたと言わんばかりに、ドヤ顔で黛は話を続ける。
「ぼくは蜜柑とはもちろん、進ともかなり親睦を深めてるところはある。進とは一緒に執事もやったしな。ただ……」
黛は、未来に少し近づきさらに続ける。
「未来」
「う、うん」
「お前はぼくのことが少しだけ苦手だろ?」
「えっ! そんなことは……」
誤魔化そうとする未来。すぐさま黛は、
「はい嘘つかない」
「うん……ちょっとだけ……ほかの子に比べると……ちょっとだけ……」
申し訳なさそうに答える未来。
「ふんふん。おっけーおっけー」
それを噛み締めるように頷き、TRPGの本を未来の目の前に持ってくる。
「そんな未来と仲良くなるためにこれやるんだよ。その方が薫との関係をアシストしやすいしな」
「えっ? ああ……うん……ありがと……」
……黛。恐るべし。
圧倒的抱擁力。
未来も、これは参ったという表情で、両手を足の上でモジモジさせている。
「とにかく、蜜柑にゲームマスターっていう進行役任せるから、進と未来とぼくがプレイヤーになる。あとは蜜柑の言う通りに進めてくれ」
そう言うと蜜柑は、紙を俺たち三人の前に差し出した。
「これはキャラシートと言ってな、能力とか設定とかをここに書き込んでいくんだ。決め方はまあ……ルルブ読みながら適当にやってくれ。分からなかったら、ぼくに聞いてくれよ」
と黛は言う。
どうやらある基準値まで、能力を割り振っていくらしい。
職業から年齢教養や、知識、速さなど細かいところまで決められるみたいだ。
俺は、ルールブックを読みながら、キャラシートというキャラ設定みたいなものを決める紙を埋めていると、未来がボソッと言った。
「うーん。難しいなあ。なんかこうピンと来ないというか……」
未来はキャラシートを埋める手が止まっていた。
「ねえ、あんたの見せて。参考にするから」
と未来は、俺に手を出してくる。
「まあ、いいけどさ」
俺は、ほぼ埋まっているキャラシートを差し出した。
「ふむふむ」
結構夢中で読んでくれてる。
その横顔を見ていると、俺は、未来が髪を珍しく下ろしていることに気がついた。
結構新鮮な気がする。
普段の活発な感じの一つ結びとは違って大人っぽい雰囲気だ。
……こいつも黙っていれば可愛いんだけどな。
未来は読み終わると、もう一度見直してから直ぐに、
「って……これあんたそのまんまじゃない!」
と言いながら、俺の顔の前に紙を差し出した。
「まあ……その方がなんだ……ロールプレイ? しやすいらしいからな」
「た、確かに……自然体でできるかも……」
と悩んでいるところに蜜柑が、
「確かに、最初はほぼ自分を再現すると楽ですよ。あと推奨技能を伝えるのを忘れていましたので、ここにまとめておいたので、参考にしてくださいね」
と言いながら、また紙を机の上に出てきた。
そこには目星や聞き耳など、さっきキャラシートを埋めているときに見た技能が書いてあった。
「蜜柑、推奨技能ってなんだ?」
「えーっと、今からやるシナリオでよく使ったりする技能をまとめてあります。端的に言うと、これの技能を取ればシナリオを進めやすいってことですね」
「なるほど」
「進さんのキャラはまあ……問題なさそうですね。黛さんは……」
「ほいほい。これだ」
「……」
蜜柑は、黛のキャラシートを見る。
「……やる気ありますか?」
「めっちゃある」
「乗馬99ってなんですか、黛さん」
詳しく聞かなくてもわかる。
役に立たんやつやん。
「ああ、楽しそうだろ?」
「せめて運転にしてください!」
「舞台次第で使うかもだろ、鎌倉時代とか」
「舞台は現代日本です」
「わかったわかった。じゃあ弓に99振り直しよろしいか?」
「中世から帰ってきてくださいよ」
「現代に召喚された那須与一って設定はどうだ?」
「聖杯戦争じゃないんですよ。世界の危機なんですよ。未曾有の恐怖迫ってきてるんですよ。ふざけてると全滅どころか地球焦土と化しますよ」
俺は「えっ。そんなシナリオなの」とツッコミを入れそうになる。
それは、そこらへんの鬱系アニメよりやばいんじゃないだろうか……いやいい勝負か?
そんな殺伐としてるのか……TRPGって……。
「わかったわかった。じゃあライフル99な、現代に召喚された……」
「シモ・ヘイヘって言わないでくださいね。銃刀法違反ですよ」
「……じゃあ心理学と言いくるめに振り分けます……」
「それでいいんです! よしよし」
なんだかよく分からないが、黛はふざけた設定のキャラを作っていたらしい。
「……素直に自分を再現することにしよう……世界滅びるのやだし……」
そのやり取りを見ていた未来は、世界を守るために普通の女子高生になることを選択した。
深夜、進たちは街のいちばん高い丘の電波塔の下に辿り着いた。
メンバーは進、黛、未来。そして、街で敵対している外神を呼び寄せるために行動している組織から狙われていて、人より圧倒的に多い魔力を誇っている少女。
この少女は何か記憶を失っているようで、丁度三人に助けられた少し前の記憶が無いらしい。
その四人の目の前には組織のリーダーである、アザトスの化身と名乗る男が立っていた。
「……来たね。待っていたよ」
男はそう言うと竹刀を取り出す。
「ここに死体がひとつでも転がっているとね、悪いものを呼び寄せちゃうからね。君たちにはちょっと、怪我してもらってからその子を渡してもらうよ」
と竹刀を少女に向ける。
「絶対に渡さない……この子があなたに洗脳されて、呪文を唱えたら……外神が現れてしまうことを私は知ってる……そんなことはさせない!」
と未来は少女を抱きかかえる。
そう。この少女は、これから答えが書かれるであろう白紙の紙。
ここに書いたもの、つまり彼女に唱えさせた呪文こそが世界を左右する、そのように竹刀を持っている男が言っていたのだ。
「……三対一だぞ? 降参しないのか?」
「……君たち普通の高校生に負けるわけが無い……とはいえ黛くん、君は少し頭が切れすぎるから普通ではないかな。君は一番にぼくに屈するだろうね。とにかくここを通すわけには行かないよ。何せ私には未来が見えるからね」
黛の問いかけにも応じない男。
「戦うしかない……何とかしてこの子を上まで連れていかないと……」
進の言う通り、この電波塔には途中に足場がある。
ここがこの街で一番高いところだ。
ここで正しい呪文を唱えればいい。
「いくぞ……」
と言うと男は、少女を抱きかかえながら守る未来に、すごい速度で切りかかる。
男の竹刀が振りかざされるが、横から疾風のごとく飛び込んだ黛が、すかさず体で受け止める。
当たりどころが悪かったのか、鈍い声を黛は上げるが、なんとか持ちこたえて、男の腹に蹴りを入れる。
「ぐっ……喰らえ!」
男はそのまま勢いよく上に吹っ飛ぶが、体勢を立て直し着地。
蹴りは横腹に直撃。
黛の表情からも渾身の一撃なのが見て取れた。
かなり歯を食いしばった一蹴りだった。
「ぐっ……そんな蹴りが出せたのなら言ってくれれば良かったのに……」
男は腹を抑えている。
「うおおおおお!」
進がそこにすかさず接近し、パンチを入れ込む。
先程、黛が蹴りを入れた腹に、拳がめり込む。
「……ぐは……」
男はそのまま動けなくなり、倒れた。
「……気絶してるのか?」
進は恐る恐る近づき、確認する。
もし意識があったら不意をつかれてしまうだろうから、本当に慎重に意識を確かめる。
「気絶してるみたいだ」
「今のうちに!」
「うん!」
進が気絶してるのを確認したあと、黛が未来に指示を飛ばし、少女と未来は電波塔を登る。
あとから続いて、黛と進が追いかける。
「ふう……着いた……」
少女は呼吸を整える。
「いい? ここから読んでね。間違えないように」
未来は優しく読むところを指さした、その瞬間。
「……う……ぐが……」
少しすると少女は血を吐いた。
「えっ……」
三人は息を飲む。
……次の瞬間、少女の腹の中から腕が伸びてきた。
それも何十、何百もの腕が。
「危ない!」
咄嗟に反応できた黛が、進と未来の前に飛び出す。
「黛!」
進は叫ぶが、黛がその腹から伸びてくる無数の腕に飲み込まれていく。
「くそっ……二人とも……あとは任せた……みんなのために犠牲になれて、ぼくはうれしか——」
言い終わる前に、黛はコポコポと溺れるような音を出しながら、少女の腹に飲み込まれ消えた。
少女は、それを自分自身でも見ていたようで、圧倒的恐怖に襲われている。
進や未来も恐怖に襲われているが、未来はしっかりと自我を保ち、少女に語りかける。
「ねえ! どうしてそんな……そんなことになってるの!」
「……思い出……したの。全部……この世界崩壊を終わらせる方法……」
少女は苦しみながらも続ける。
「あの男はこの結末を見てた……予知してたの……だから……直前で……ここで呪文を唱える方法ではなく……私にここに来たら……覚醒するように腕の塊を入れられたの……ぐっ……」
「じゃあどうすれば……」
正気をなんとか取り戻した進は、少女に尋ねた。
「殺して……私を……」
「えっ……」
未来と進は、唾を飲み込み直した。
「私を殺せば覚醒は止まる……だから早く……楽にさせて……」
「そんなこと……出来るわけないじゃない!」
泣きじゃくりながら、目元に葉からこぼれ落ちる水のような涙を浮かべながら、未来は叫んだ。
この少女と、この事件が解決したら、色んなところに行こうと約束した。
組織から必死に逃げながら、ほとんど楽しいことも出来なかったからこそ、その約束を叶えたいと未来は思っていた。
それなのに……少女を殺さないと世界が滅びてしまう。
「殺せるわけ……」
「はやく……しないと……また腕が……お姉ちゃんたちを……世界を壊しちゃう……怪物になっちゃうから……しぬより……世界を壊すのが……怖いから……かいぶつになって殺せなくなる前に……ころして……」
未来は、どこからともなく拳銃を取りだした。
それを進に渡す。
「お前……これどこで……」
「……組織のビルで……拾ったの……いざと言う時……使うかなって……」
そして未来は、泣いている顔を進に向けて、話を続ける。
「私はこの子が怪物になっても生きることを望んでる! でも! ……それはこの子にとっても私にとってもダメなことだから……進……無責任だと思うけど……選んで……世界を取るか……この子が生きるのを取るか……」
進は目をつぶった。
ほんの少しの間だけ思考を巡らせる。
「……ごめん。俺が変わってやれればよかったのにな。天国で……待っててくれ……いつか黛も一緒に……どこかに行こうな……」
そう言ったのち、進は引き金に手をかける。
進が引き金を引き切るのと同時に、少女は飛びっきりの笑顔で、二人に笑って見せた。
……撃たれたあと、少女は少しずつ月に吸い込まれるように、消えていった。
そしていつの間にか下に倒れていた男は消え、いつも通りの風が拳銃を握りしめ呆然とする進と、泣き叫ぶ未来を慰めるように吹いた。
少女の太陽のような微笑みが、進と未来の脳裏に刻まれていた。
「……こんな感じでしょうか?」
蜜柑はシナリオを読み切ったようだ。
「うう……」
未来は、もうそれはもう洪水のように泣いていた。
「まあ何はともあれお疲れ様だ。ぼくは死んだけど」
黛は、未来をなだめるように背中を叩きながら言った。
「だってー!! こんな重いとは思わなかったんだもーん!」
と蜜柑に抱きつく未来。
まあ、無理もないよなぁ……俺もここまで重いとは思わなかった。
「なあ蜜柑、クトュルフ神話TRPGってのは、毎回こんなに重いのか?」
「……ええと……ネタバレすると、もう少し早く少女を助ける選択肢を取っていれば呪文を唱えるルートが取れましたね。そうすれば、もっと軽い結末になっていたはずです。確か……黛さんがビルの戦闘でファンブルを出してなかったら、ワンチャンありました」
「だってよ黛」
俺は黛を見る。
「さすがのぼくでもサイコロの目と川の流れは思い通りにならないからな、しゃーねーよ。出目で物事が変わる。そういうもんだ」
黛はやれやれといった感じで答えた。
「とにかく……良かったですね! またみんなの仲が深まった気がします!」
「そうだな」
黛と蜜柑は、お互い笑い合いながら心から喜んでいるようだった。
「そうそう! 私、皆さんの感想がもっと……ってあれ?」
蜜柑がそう言ったあと、抱きつかれていた未来を見た。
俺をつられてみてみると、未来は眠ってしまっているようだった。
……時計を見ると午前四時。
ほぼ朝だ……。
「……感想は明日だな」
「そうだな。ぼくも眠いし」
「そうですね……とりあえず感想は明日で……未来さんは私が運びますね。進さんは、そこの奥のタンスにタオルケットがありますから、申し訳ないですが適当に使って寝てもらってもいいですか?」
蜜柑は未来をひょいっと持ち上げながら、目でタンスを指す。
「おう。お構いなく」
「そんじゃ、おやすみまた明日なみんな」
「おやすみなさい! 良い夜を!」
「おやすみー」
就寝の挨拶を済ましたので、俺はタンスからタオルケットを取り出す。
……いやぁ……今日はよく寝れそうだ。
昼、リビングで目が覚めると、黛がコーヒーを飲みながらスマホをいじっていた。
寝起きとは思えない程、ぱっちりと目が開いており、黛の朝の強さがすぐに分かる。まあ、もう昼なんだけどな。
こっちに気がつくとおはよう、と切り出し、
「そこのポットにお湯が入ってる。ポットが置いてある下の棚に色々入ってるから好きなのを飲めよ」
とポットを指さす。
さんきゅ、と俺は言ったあと棚を引き、中を覗く。中には紅茶コーヒー緑茶など様々な種類の飲み物が入っていた。
一際、目を引くのは無糖コーヒーのスティックの数だ。
百本あるかないかぐらいだろう。
俺は、少し背伸びをして無糖コーヒーを選択。
コップに入れたあと、お湯を注いでスプーンで混ぜる。
俺は注ぎ終わったコーヒーを持って、黛の前に座った。
コーヒーを一口、口に含む。
その瞬間、苦味が舌の上を走った。
しかし、表情に出すことは出来るだけしたくなかったので、そのままできる限り表情を変えずに前を向き、黛の表情を伺った。
優しい微笑みを浮かべながら、黛はさっき覗いた隣の棚を指さし、
「そこに砂糖とミルクがあるぞ」
と言った。
「くそ……バレてたか……」
黛は、ニヤニヤ笑っている。
俺が、背伸びしているのがバレバレだった。
黛は、本当に人の考えていることが、手に取るようにわかるみたいだ。
昨日未来が、黛のことが苦手だというのも、バッチリ見抜いていたのもあり、ますます黛という存在が特別なように思えてくる。
神様かもしれんなこいつ。
砂糖を選び、コーヒーに入れる。
……特に話すことも無いな……。
俺は、沈黙が苦手なタイプだ。
どうにかして会話を捻出しないと、相手に嫌だと思われているような気がしてムズムズする。
黛は一切気にせず、スマホをいじっている。
どっしりと構えているようにも見える。
そういえば、俺は黛とサシで話したことはあまりない。
というのも、俺は学校での友人は、よく蜜柑の家で会う面子ぐらいなので、一人でいることが多いが、黛は常に、周りに一人は人がいるのだ。
俺が一番よく見るのは、蜜柑か若葉のどちらか。
クラスも同じだし、当然である。
ついでに蜜柑とは、家も一緒なので、一人でいることなど滅多に無さそうだ。
たまには会話をしない、という時間を作ってやってもいいのかもしれない。
……それでも実は、黛には聞いてみたいことがある。
蜜柑の昔についてと、黛についてだ。
蜜柑は母を、黛は両親を同時に失っている訳だが、蜜柑はかなり性格に変化があり、黛にはあまり変化はないと聞いているが、その理由を聞いていなかった。
俺が聞くか聞かまいかを悩んでいると、窓から外を見ていた黛は、ノールックで「なにか聞きたいことでもあるのか」と言った。
「ああ……というかなんでわかるんだよ」
突然、黛はこっちに顔を向けて、
「問題。古典、助動詞、べしの意味を全て答えよ」
「えっ! えーと……」
確か……黛に語呂合わせで教わったはず……えーと……すいかとめて、だから……。
「推量、意志、可能、当然、命令、適当?」
「それだよ」
黛は真っ直ぐにこっちを見て言った。
「だよな! あってるよな!」
「あ、ごめんそっちはそうじゃない」
「こそあど多すぎて、えらいことになってるぞ。ひとつもわからない」
「すまんすまん。お前の目の動きな」
「目の動き?」
「人間どうしても考える時、上を見るんだよ。理由は知らんけどな。経験的にな」
「はあ……そうなのか……」
「そうなんだよ。んで、話が逸れたな。お前の話を聞いてやろう」
黛は、右肘を机の上に置き、右親指と人差し指と中指で顎を触りながら、どうやら聞く体制になった。俺は先程思ったことを黛に尋ねた。
「……なるほどな」
黛は、コーヒーを飲みきってから、話を続けた。
「確かな確証はないけど、ぼくは蜜柑と比較して親に依存してなかったからな。家に両親が居ないことがほとんどだったし」
「育児放棄とかではないのか?」
「うーん……ぼくがそう思ってないからな。飯とかは置いてあったり、レシピ書いてあるのを作ったりはしてたしな。それに比べて蜜柑は、母親にべったりだった……ような気がするな」
「んで、それがなんで蜜柑は性格に変化があって、お前にはなかったんだよ」
「簡単さ。目的があったか、なかったかの差だよ。蜜柑は母親みたいになろうと頑張ってた。でもその目標が消えたら、なんのために生きてるかわかんないだろ? ぼくには目標なんてなかった。強いて言うなら、誰からも嫌われずに生きることが目標だったけどな」
「そうか……蜜柑の母親はどんな人だったんだ?」
「今の蜜柑そのままだよ。お人好しで世話焼き。今も母親に出来るだけ近づこうと頑張ってる」
「……母親が亡くなる前の蜜柑は、どんな性格だったんだ?」
「内気な甘えん坊だ。滅多に自分から話すことなんてなかったな。例えるなら今の若葉みたいなもんだ」
……そんなに性格に変化があったのか……。
それよりも目標というものは俺にもない。
ゲームでランクインしたいとかそんな目標ならあるが、生涯目指していける目標など、俺にはない。
……今の黛にはあるのだろうか。
「黛は今、目標はあるのか?」
黛は、うーんと上を向きながら少し考えた。
「ない。気がする。高校のうちに一つは考えておきたいけどな。ただ……目標とかではないけど、今は、上手く怒れるようになりてえな」
「どゆこと」
「そのまんまの意味だよ。怒んのが下手なの。怒りすぎちゃうからな。蜜柑に強く叱ってから……少しトラウマなんだよな。あのせいで少しだけの間だが、不仲になっちまった」
少しだけ右下を向いて笑った後、少し間をおいてから、黛は話を続けた。
「もう、周りから人がいなくなるなんて、どんな形でも、ごめんだからな」
黛は両親の死から、ここまで生きてきたけれど、それでも、だからこそ誰かを失うのが怖いんだろうな。
嫌われると、離れていくかもしれないからな。
そんなことより、どうやら俺は人と一体一で会話をしながら、ものを整理するのが苦手なようだ。
話を繋ぐことに必死で、他のことが考えられない。
「お前はなにか目標あるのか?」
また黛が、窓に体を向けながら尋ねてきた。
「あんまり具体的にはないけど、まあ、人を助けたいかな。何としてでも。そのためなら何でもする。なんだか最近そう思うんだ」
黛はそのままコップに手をかけ立ち上がり、背を向け、こちらを見ずに「そう」とだけ答えた。
その表情は、黛にしては珍しくいつものような柔らかさはなく、冷たかった。
それは蔑みとか軽蔑とかではなく、疑いのように感じた。
期待した返答が得られていないようにも見えた。
俺はそのまま起きてきた女子二人と昼飯を食い、帰宅した。
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