第5話 同族嫌悪

 林間学校終了から二日後。

 夏休み初日の朝。

 俺は今、風邪で休んだ薫に、通知表を渡すために、小鳥居家のリビングみたいな場所にいる。

 隣には黛。

 前には腕を組んで、俺たち二人を、楽しそうに見ている弥生。

 俺達は今。

 執事になろうとしていた。

 

「なんでだよ! どうしてお前の使用人として労働しなきゃなんねえんだよ!」

「いいじゃない、別に。薫が林間学校からずっと風邪で治らないから人手不足なの。それに黛は楽しそうよ」

 弥生の指差す先には、黛の執事姿があった。

 細身だし似合っている。なんだって顔がいいからな。

 ちなみに、俺も執事服を着ている。

 なぜかサイズはぴったりだ。

「なあ、バイト代の代わりにこれくれ」

 黛は、自分の来ている執事服を指さしながら言った。

「いいわよ。なんならバイト代もあげるわ」

「マジかよ! めっちゃ労働するぜ! さあ早くぼくに仕事をくれ!」

 珍しく、黛のテンションが上がっている。

 黛は、弥生に執事服をもらうらしい。

 コスプレ好きなのかな。

「これよ。黛は、見るのは二回目ね」

 俺と黛は、仕事一覧の紙を受け取る。

 そこにはこう書いてあった。


「午前、洗濯(一週間分、五人分)

 掃除(ちなみに我が家は、うちの高校と同じくらいの大きさよ。広すぎてウケるわね)

 調理(黛がやること。進はポンコツ野郎)

 午後、掃除終わり次第乾いた洗濯物の取り込み(頑張って)

 私を楽しませる(ちょくちょく邪魔するわ。主に進を❤)」


 以上だ。

「なあツッコミどころが多すぎるんだが! なんだこの星は! なんだウケるって!」

「ウケるじゃない、だって。量多すぎおかしいわ。ぷぷ」

「お前の神経がおかしいわ! というか、俺はポンコツ野郎じゃねえよ!」

「あら不服?」

「ああ不服だ。極み付けはなんだ! 主に進を❤じゃねえんだよ!」

「これは愛よ。愛は重いのよ」

「はあ……適当言ってるだろ、お前」

「ええ。その通り」

 はぁはぁ……。

 こいつといると疲れる。

 たまにボケの渋滞が起きる。ツッコミが追い付かない。

「おい黛。さっさと終わらせて帰る……あれ?」

 黛がいねえ。逃げたのか?

 そんなことを考えていると、弥生が窓の外を指さしながら、話し出した。

「黛なら『これなら中村本家より楽だぜ! 執事服もーらい!』って言いながら、大層楽しそうに倉庫に掃除道具取りに行ったわ」

「そうか蜜柑もお嬢様だったな……くそ。やるしかねえか……」

 俺は、弥生を睨んだ後、仕方なく、黛を追って倉庫に向かうのだった。


 何やら黛は、掃除が好きなようなので、俺は洗濯をすることにした。

 弥生から貰った家の見取り図を辿り、洗濯物がまとめてあるところに着く。

 ドアを開けると、山盛りになった洗濯物があった。

 ここは洗面台などがある場所のようだが、鏡すべてにカーテンがかけられているのが、なんだか不思議だなと思った。

 というか……マジでエベレストだなこりゃ……とんでもない量だぞ。

 まず運搬だけで、一時間ぐらいかかった。

 その後、四台もある洗濯機に、洗濯物をぶち込んでいると、黛が駆け込んできて、

「馬鹿野郎! この執事素人!」

「え?」

 おらおらおらと、俺が放り込んだ洗濯物がサルベージされる。

「おい! 何すんだよ!」

「柄物と白いものを別ける! 色移りするだろ! タオルバスタオルも別! 汚れがひどいものは、こっちに置いておいて、後でまとめて手洗いしたあと、洗濯機にぶち込む! いいな! ぼくは地下室の掃除に行くから!」

 と叫びながら、すごい速度で全ての洗濯物を仕分けしてくれた。

「これが終わったら庭に行ってくれ。そこの掃除だけ終わってないからな」

「ん? ああ……」

 ちょっと待て。その言い方だと、もう屋敷内の掃除は終わってるみたいじゃねえか?

「お前が掃除してる間に、ぼくはご飯を作る。そしたら業務終了だ。あとは弥生とお前が好きなだけ遊べばいい」

「お前、家事のプロかよ。どんな速度だよ」

 作業開始が九時で、今が十一時なので、二時間で屋敷の掃除を終わらせたことになる。

 驚きの速さだ。

「なんだ。これくらいすぐ終わるだろ。じゃ、後よろしく〜」

 俺の脳内で、黛のスペックが上がっていく。

 家事もすごい速度で出来る、面倒見のいい男。

 若葉は、とてもいい男を好きになったんだな。

 なかなかこんなに、いい男はいないだろう。

 その後、俺が洗濯を終え、庭の掃除をしようした時、上の階からスーパーボールが飛んできた。

「いて。なんだよもう!」

「ここよ。私よ」

 上を見ると、手を振る弥生がいた。

「ご飯出来たみたいよ。早く来なさい」

「お、おう」

 俺は頭をさすりながら、食卓に向かった。

 食卓には、ステーキがあった。

 高級店で出てきそう感じだ。じゅーって鳴っている。美味そう。

 白米やスープまでついている。昼に食べるには、もったいないくらいだ。

「やっぱり、黛に任してよかったわ」

 と座りながら弥生が言う。

「ステーキはぼくが焼いたけど、その他のご飯の炊飯や、このスープはお手伝いさんがやってくれたよ。レシピも貰った」

 黛。ご満悦。腰に手を当てて胸を張り渾身のドヤ顔。

「黛って雑用好きなのか」

「好きだな。暇つぶしになるだろう」

 どうやら黛にとって、雑用と暇つぶしはイコールらしい。

 すると、奥の部屋から少し歳をとっている、黛と少し髪型が似ているグレーヘアの執事が入ってきて、その後ろから、二十代くらいの男の人が入ってきた。

 髪は長く、一つに結んでいる。薫と同じ髪型だ。

 その瞬間、黛は顔をしかめて、不機嫌そうに言った。

「げ。なあぼくは客間で食べる。また後で」

「おいおい。みんなで食おうぜ。なんで急に態度変えんだよ」

 突然、黛が悪態をつく。

 みんなで食べてもいいじゃないか。

 すると男の人が、

「久しぶりだなクソガキ」

 と黛に声をかけた。

「なんで普段仕事のことしか出来ない、単細胞がここにいんだよ」

 うわぁ。バチバチだ。

 黛とこの男。明らかに仲が悪い。

 すると、男がこっちに視線をやり、

「君が進くんだね。いつも弥生や薫と仲良くしてくれてありがとう。仕事はもういいから、ゆっくりして行きたまえ。私は小鳥居 武。よろしく」

 と表情が掴めない、声のトーンで言った。

 というか若すぎだろ。例えば、十八で弥生が生まれたとしても、三十五歳前後。

 ただ、二十代くらいにしか見えない。

 それと弥生もだけど、この武さんも何考えてるのか分からない。

 表情があまり変わらず、声のトーンも変わらない。

「とにかく、お前はここで食べていくといい」

「はいはい」

 心底不快そうな声で、武さんに返事をする黛。

「ほら、たまには仲良くしなさい二人とも」

 と弥生が二人を仲裁する。

 渋々黛は座り、いただきますとステーキを食べ始めた。

「進くん、このステーキは誰が作ったのかね?」

 と武さんは、俺に聞いてくる。

「黛ですよ。上手いんで早く食った方がいいですよ」

「そうか……」

 するとゆっくりと席に座り、スープだけを飲んでから、

「ごちそうさま」

 と言いやがった。しかも黛に向かって。

「ああ。美味かっただろ?」

「もちろん。うちの料理は美味しいからな」

 おいおい。黛も食ってもねえのに美味かっただろ? とか、皮肉たっぷりだ。

 さすがに俺も口を挟む。

「すみません。武さん。それは無いんじゃないですか?」

「どういうことかね」

 武さんは、素っ気なく言った。

「食べてやってください。黛が作ったんですよ。大人としてどうなんですか」

「俺はこいつが嫌いなんだ。だから食べない」

 俺は、高ぶる気持ちを抑えることで、精一杯だった。

「いいか。俺は努力もしないで、あっさりなんでもこなす、そんなスカした野郎が大嫌いだ」 

「そんなのただの嫉妬じゃないですか……」

「嫉妬して何が悪い。なあ弥生?」

「そうですねーお父様ー」

 弥生は手際よくステーキを切りながら、少し怒りながら武さんに返答した。

 黛は、気にせずステーキを食べ進めている。

 それを見た武さんは、

「これ食べてくれ。お前のじゃ、物足りないからな」

 と黛が武さんのために作ったステーキを、黛に差し出した。

 もう、我慢できない。

 駆け出してタックルの一つでもかましてやろうと、立ち上がったところを後ろからすごい力で止められた。

 執事服。一つ結び。凛とした表情。どこか恐怖を与えてくる眼。

「お父さんに何をするつもりだ」

 出雲 薫。

「俺はあなたがわからない。何故黛をそこまで嫌うんですか」

 と俺は、武さんに言った。

 武さんは、少し考えてから。

「恐らく、私と、どこか似ている、からかな。あと、ひねくれている。だから嫌う。そして」

 武さんは、少し咳払いしながら言った。

「そしてさらに、こいつは大人に気を使うからな」

 と言い放った。

 ぶん殴りたいが、薫の力が強く振り払えなかった。

 黛は、特に何も感じてないようだ。

 弥生はいつの間にかポーカーフェイス。表情が掴めない。

 武はくるりと振り返り、歳をとった執事を連れ、どこかに行ってしまった。

 くそ。なんだよ。

 小鳥居武。

 俺には優しく接しているのに、黛に対してはいじめもいいところだ。

 大人げないぞ!


 その後、俺は弥生に、部屋に呼ばれた。

 俺はというと、なんと弥生お嬢様の部屋に来ていた。

「なんというか、割と一般女子だな」

 意外にも、特に高そうなものはなかった。可愛い化粧道具が沢山置いてあって、ベッドには、ペンギンのキャラクターのぬいぐるみ。

「そうね。はい、そこ座って。それと、はい。紅茶。沸騰した頭を冷やしなさい」

「サンキュ」

 まず、俺は弥生に言われた通り、席に座る。

 それから、俺は弥生から紅茶を貰い、それを飲み干す。

 冷たくて上手い。程よく甘いしな。

「でね。進には説明しとこうと思って。お父様のこと嫌いなままでいられたくないし」

 と困った顔をしながら言った。

 弥生は、お父さんを嫌いにならないで欲しいみたいだ。

 そりゃそうだろう。父親だしな。

「ああ。頼む。マジで腹が立ってるからな」

 弥生は、ベッドに腰掛けると話し始めた。

「単純に言うとね、嫉妬よ」

「嫉妬ね……」

「まあ、嫉妬もあるのだけどね。薫も関係してるの。薫はね、才能をお父様に買われて、ここに引き取られた孤児なのよ」

「えっ? 薫が孤児?」 

 やっぱり、薫が孤児なのか。

 噂は本当だった。

 事情ってそういうことなのか……。

 動揺して考えてしまっていた俺を見て、弥生は「大丈夫?」と言ってきた。

「あ、ああ。続けてくれ」

「薫はね、最初はお父様を尊敬していたの。でも」

 弥生は下を向く。

「その尊敬の対象……どちらかというと、興味の対象かしら? それが中学の後半ぐらいから黛になったの。本人から聞いたことは無いけど、何となくわかるわ。だって何しても、黛の方がお父様より優れていたし、黛はうちのお父様にも気を使っていたから、バカにされた気分だったんでしょうね」

 なるほどな。

 武さんは黛のことをクソガキと言っているし、黛を気に入っていないのはよく分かった。

 武さんから見たら、黛は子供だ。

 そんな黛に気を使われるのは、少し嫌かもしれない。

 ただ、努力していないというのは、どうかと思うけどな。

「話が下手でごめんなさいね。まあとにかく、いろいろ積もり積もったものがあったのでしょう。とにかく二人の仲は悪いわ」

「なるほどな」

 弥生は頷いてから続ける。

「でもいつもはいい人なのよ。黛の両親とは仲良しだったし。お父様はお医者さんで、忙しい仕事から帰ってきても、私たちのことを気遣ってくれるから……優しいところは黛と似ているわね。黛に比べて、お父様はだいぶ不器用だけど」

 ……黛に対する嫉妬。

「それに、あの人は私と同じで、勉強ができたりするタイプじゃないの。要領がいいのはお母様の方。私も、お母様みたいになれたらいいのに……」

 弥生はそこまで言うと、扉の方を見て、少ししてから、口を開いた。

「はい。お話はおしまい。薫、聞いてないで入りなさい」

「え!」

 その瞬間、ドアが開き、薫が飛び込んできた。その後ろには、腹抱えて笑ってる黛がいた。

「こら! 黛が騒ぐから気が付かれただろう! それに人を強引に部屋に入れるとはどういうことだ!」

「一言も喋ってないぞ。ぼくは。いやー滑稽だね」

「ぐぬぬぬぬ」

 黛を睨む薫。ただ、怒っているというよりも、黛とのコミュニケーションを楽しんでいるようだった。

「そういや風邪はどうした」

 俺は、薫が風邪だったことを思い出し、尋ねた。

「ああ、治ってはいたんだが……今日の朝起きれなくてな……生活リズムが乱れてしまって……」

 ぽりぽりと頭をかいて、少しだけ恥ずかしそうに薫は言った。

 そして思い出したように、薫が弥生に話しかける。

「そうだ。お嬢様に相談があります。その話をしに来たんです」

「そう。いいわ。聞いてあげる」

「という事だから出ていってくれないか? 悪い」

 と薫が、俺と黛に目配せする。

 俺たちは、そのまま素直に部屋を出た。

 扉が閉められると、黛が話しかけてきた。

「お前は聞き耳立てなくていいのか?」

「興味はあるが、プライベートだろ。そんなに性格悪くねえよ」

「そう、ぼくは性格悪いからききまーす」

「はいはい……」

 

 

 その後、少しの間、俺は廊下で立って待っていて、黛は聞き耳を立てているようだった。

 またしばらくすると、黛が少し驚いたような表情をした。

「うーん? おい進。この話は別に、お前に相談してもいい事だと思うぞ。いや、むしろお前だからいいのかもしれん」

「どうゆうことすか」

「未来と契約を結んだんだろ? 聞いたぞ未来から」

 そうだ。あの日、俺と未来はお互いの恋愛を実らせるために同盟、共同戦線を結んだ。

 まあ、今ではただの友達のような気もするが、俺は未来のことを応援している。

「で、なんで俺には言うべきなんだ?」

「簡単なことだ。ぼくも薫と知り合って三年ぐらいになるが初めてのことだ。……あいつは多分今、恋をしている」

「それくらい普通のことだろ? なんで俺には言えるんだよ」

「……未来に恋してる。多分、薫は弥生と、恋愛相談をしてた」

「え……」

 マジかよ。

 あの未来がついに、恋愛成就への一歩を踏み出しやがった。

「じゃあ、林間学校時に何かあったとか……?」

「というか絶対そうだろ。他に何がある」

「なんもねえな。林間学校だ。絶対。違いねえ」

 未来。ついに執事の心を動かしたのか。

 俺も負けてられない。

 弥生に、少しでも俺に振り向いてもらわないと。

「ただ、それが全面的に薫の意思なのかは……」

「ん?」

「いやなんでもない」

 

 

 その後、四人で客間に戻り、人生ゲームでもやろうかとなったので、廊下を歩いていると、向こうからすごい勢いで走り込んでくる女の子がいた。

「黛様ーーー!」

 と走り込んできた女の子を、黛は腕一本で抑える。

 顔面をガシッと。

「まゆ、危ないからやめなさい」

「だって久々に会えて嬉しいんですもの! この手をどかしてくださいまし!」

「絶対に嫌だ」

 と黛。

 ……何だこの子は……。

 勢いが収まったのを見てから、黛が手を離すと、その女の子の顔が見えた。

 ……弥生の妹だろうか。かなり顔の形が似ているが、髪型は、一つ結びを右肩に垂らしている。

 弥生を幼くした感じで、とても可愛い。

「まゆ。黛だけじゃなくて、進にも一応挨拶しておきなさい」

「はい! お姉様!」

 というと、彼女はこっちに向き直って、

「小鳥居 まゆです! 中学一年生です! 好きな人は黛様です! それ以外の人には興味ありません! 友達でお願いします!」

 とめっちゃ笑顔で挨拶をしてくれた。

 初対面なのに、秒でフラれてるんだよな。

 俺はフラれる才能が溢れてるのだろう。

 ただ、この才能はダヴィンチでも、投げ捨てるレベルだろう。

「お、おう。橘進だ。よろしくな」

 すると、黛のほうをまゆちゃんはすぐに向き、

「デート! しませんか! 水族館のチケットがあるんです!」

 と黛に堂々とチケットを差し出した。

「そうだな……。別にいいけど……人生ゲームはお預けになっちゃうな」

 黛は、薫を見る。

 薫はめっちゃしゅんとしていた。

 どんだけ人生ゲーム楽しみだったんだこいつ。

「フリーターになって楽しむ予定だったけど……まゆ様が仰るのであれば……構いません」

「ってフリーターだと何も楽しめねえだろ。何言ってんだ」

 フリーターだと、お金も思うように稼げない。

 人生ゲームにおいては、お金がないと基本何も出来ないからな。

 大抵の人生も、まあお金が大事だし、そんなもんだけどな。

「だってあのくるくるルーレットいっぱい回せるじゃないか。給料ランダムだしな。楽しいぞ。くるくる」

「お前はルーレットの回転に何を見出してるんだよ……」

 電気でも作んのかな……。

「まあとにかく……黛、お願いできるかしら?」

「うん。任せて」

「そう。じゃあよろしくね」

 と弥生は、黛を送り出す。

「さあ! さあ! 行きましょう!」

 と黛の手を引くまゆちゃん。

 手を振って見送る弥生。

「さ、こっちも準備しましょ」

「は? 何をだよ」

 弥生はそう言いながら、ニヤッとしながら薫に耳打ちした。

 薫は少し飛び跳ねるように喜び、向こうへ駆けていった。

 そして弥生は、こちらに向き直り答えた。

「もちろんついて行くの。まゆのバッグに盗聴器を仕込ませたの。さーて、破天荒なまゆの行動が楽しみね」

「……はあ……邪魔はするなよ。まゆちゃん頑張ってんだから」

 そんな弥生の悪い笑顔を見て、不安になりながらも、俺たちも水族館に行くことになった。

 

 

 着いたのは二つ隣の駅の水族館だ。

 昔からあって、最近改装されたらしい。かなり綺麗だ。

 弥生はいつもの黒のワンピースではなく、黒のレディースパンツに白のシャツを入れているシンプルな服装だ。

 こういうのも似合うんだよな。

 まあ顔がいいからというのもあるけど。

 薫は黒の細めのズボンに、ワイシャツに黒ネクタイ。

 インテリ大学生みたいでいい感じだ。


 イヤホンを付けている弥生に付いていくと、黛とまゆの姿が見えた。

 ペンギンのいるエリアみたいで、飼育員さんが世話しなく動いていた。

「とりあえず、このくらいの位置からまゆまゆコンビを観察するわよ。はい、イヤホン」

 弥生は、イヤホンを俺と薫に渡してくる。

 イヤホンを付けると、声がすぐに聞こえてきた。

『黛様はペンギン好きなんですか?』

『まあな。可愛いだろ?』

『黛様のほうが可愛いですよ!』

『は? 何言ってるんだペンギンの方が可愛いだろ』

『いえ! 黛様の方が可愛いです!』

 ……めっちゃ会話の内容うっすいな……。

 幼稚園生の方が、まだ頭を使っているレベルだ。

 黛は、まゆちゃんを少し見つめたあと、

『でも、いちばんかわいいのは、まゆだよなぁーそうだよなー』

 と棒読みで言い放つと、すぐさままゆちゃんは赤くなりフリーズしてしまった。

 そのあと、ぼそっと黛の声で『ちょろ』と聞こえた。

 多分、全人類そう思ってるだろうよ。

「黛はやっぱりまゆお嬢様の扱い方を心得ていますね。流石だ」

「そうね」

 弥生と薫は、感心しているようだった。

 というか、若葉にまゆちゃんを会わせたら、大変なことになりそうだな……。

 黛が二つに分裂しなければいいが……。

 いや、まゆちゃんも若葉も可愛いから、羨ましい限りなんだが。

 

 それから少しすると、飼育員の人が何やら列を作り始めた。

 そこにまゆまゆコンビは並んだ。

『楽しみだ。餌をやるだけじゃなくて、お腹とか触りたいな』

『お腹フェチなんですか?』

『特にフェチとかじゃないな。メイドさんとか男の娘とか好きだぞ。あ、むすめの方な、男の娘って』

 ……ペンギンの餌やり体験か……?

 ペンギンって割と正面から見ると怖いんだよな。歯がギザギザで。

 すると弥生は、意気揚々と薫にむかって、

「薫。黛は男の娘が好きらしいみたいよ。お幸せに」

「なっ! お嬢様! 違います! 僕は黛のことを尊敬してるだけであって、決して好きというわけでは……」

「蜜柑ちゃん喜ぶわよ。BL。ほらほら」

 弥生はノリノリで、両手の人差し指と中指でハートを作る。

「な、中村様はそんな人ではありません! いや……そんな人かもしれません……けど! 僕たちのことはそんなふうには見ていないはずです! きっと! 多分!」

 蜜柑への信頼低すぎるだろ。

 まあ、あの腐女子部屋に住んでるんだから、当然なような気もするが……。

 ここは俺も、薫を少しばかりいじくってやろう。

「薫。話の途中悪いが、黛はメイド萌えらしいな。やったらどうだ?」

「な! 進がボケに回ったら収拾が付かなくなるだろ! いい加減にしろ!」

 いやぁ……あまりに薫が幼く見えて可愛かったので、ついいじめてしまった。

 弟感があるんだよなこいつ。

「ふふっ。ごめんなさいね薫。お詫びにすぐそこのショップがあるから、そこでジンベイザメのぬいぐるみでも買いましょ。好きでしょ?」

 弥生が薫にウインクをしながら言うと、薫の表情はすぐさま明るくなり、

「本当ですか! 行きましょう! はやく!」

 と弥生と俺の手を引いて、グイグイと引っ張る。

 夢中になってる薫を見ながら、俺は、ショップに行くことに夢中になっている薫に聞こえないように、弥生に話しかけた。

「こいつ、趣味とか結構少女趣味なのな」

「そうね。まあ……何となく理由は分かるけど……」

 薫に引かれながら、弥生は少しだけ切ない表情をして、

「まあ薫自身が、女の子だったら楽だったから、でしょうね」

「はい? それはどういう……」

「そのままの意味よ」

 弥生はいつもの自信があり、余裕のある表情を崩して、穏やかな母のような顔になった。

 どういうことだ?

 ……薫は女になりたいようなことがあったってことなのか?

 ……本当、昔、薫に何があったのかが、つくづく気になる。

 

 

「わぁ……サメさんにペンギンさん、エイさんとイルカさんもいるぞ……」

 飛び跳ねながら、あれやこれやとぬいぐるみを抱きしめる薫。

「私はよくわからないから、好きなのを選びなさい。抱き枕なら郵送もできるし好きなだけ買っていいわよ」

「良いのですか! えへへ、どれにしようかな……」

 ……まじでただの女の子すぎるぞ……。

 薫ってこんなに少女っぽかったっけか……。

「あなたはいいの? 今日のバイト代に追加してあげるわ」

 弥生が、俺に尋ねてくる。

「まあ、そう言うなら……」

 と言っても……俺もあまり好きな海の生き物はいないんだよな。

「せっかくだし、選んでくれよ」

「あら? 私に選んでもらいたいのね? 文句は許さないわよ」

「おう。望むところだ」

 すると、割と真剣な眼差しで弥生は選び始めた。

「好きな水生生物とか居ないの?」

「タラちゃんとか好きだな」

「……決してサザエさんの話をしてる訳では無いのよね?」

「……」

 バレてる。

「ちなみに私はアナゴさんが好きよ」

「乗ってくるのかよ」

「……とにかく真面目に答えなさい。薫が選び終える前には終わらせたいの」

「おお……なんか今日優しいなお前……」

「今日の私は紳士的よ」

「いやふざけてんのか?」

「この金魚の餌とかいるかしら。鰹節みたいでおいしそうだし、あなたこれで生活できそうね」

「ふざけてんな!」

 しかし好きな海の生き物か……。

「ホッキョクグマとかだな。好きなの」

「ふーん。そこそこいい趣味してるわね。いいわ、ちょっとここで待ってて」

 弥生はそう俺に言うと、店の奥のほうへ消えて行った。

 五分ほど待たされると、弥生は薫を引き連れ戻ってきた。

「さ、まゆまゆコンビのとこに行きましょうか」

「あれ? ホッキョクグマは?」

「もう済んだの。行きましょう」

 もう済んだ? 買ったってことか?

「薫ももういいわよね? まだ買う?」

 と弥生は薫に尋ねると、

「はぃ……もう大満足です……明日からはイルカさん抱きしめて寝ます!」

 とめっちゃ笑顔で答えた。少しぎこちないけど。

 かわいいかよ。

 だが男だ。

「さ、黛たちはレストランでお菓子を食べるみたいだし、フードコートに行くわよ」

 弥生は先頭を切って歩き出した。

 俺は、弥生にホッキョクグマのことを聞くタイミングを失い、この後俺もホッキョクグマについては失念してしまい、ホッキョクグマのことを聞くことはなかった。

 

 フードコートに着くと、黛とまゆちゃんはショートケーキを食べていた。

 俺は、さっき買い物する時に外していたイヤホンを付ける。

『先程は何を買われたのですか?』

 まゆちゃんが黛に尋ねた。

 すると黛は、椅子の下においてあった、少し大きめの袋からぬいぐるみを取りだした。

『ペンギンのぬいぐるみだ。二つ』

『あら! 可愛いですわね! 二つも買うだなんて……』

『ああ、もう一つは若葉の分だよ。さっき写真をツイッターに上げたら、メッセージが来てな、買ってきてって頼まれたんだ』

 ちょっと待て……。

 若葉の話はまずいんじゃないか……。

『黛様。若葉さん……とはどなたですか?』

 目の光を消しながら、まゆちゃんは黛に尋ねる。

 少し怖い。

『妹みたいなものだな。お前と一緒だ』

『あら! 妹だなんて……えへへ』

 妹、という単語に反応するまゆちゃん。

 黛の彼女になりたいわけじゃないのか、この子は。

『でも無理だな、お前を妹にするのは』

『えっ……どうして……』

『武さんが、ぼくのことがきらいだからな』

 その瞬間、まゆちゃんの顔が少しだけ暗くなる。

『あれだけ嫌ってますからね、黛様のこと……悪い人ではないんですよ』

『知ってるぞ』

『ごめんなさい。今度私から言っておきますね。黛様と仲良くして欲しいと……』 

 完全に今までの暴走機関車まゆちゃんはおらず、運行を見送っている。

「……まゆ様は辛いとだろうな……お父様のことと、黛のことが両方とも好きなんだから……」

 薫が呟く。

 まゆちゃんが落ち込んだところを見た黛は、全世界の女が落ちそうな微笑みでまゆちゃんを慰めた。

『いいってことよ。ぼくは別にあの人のこと嫌いじゃないからな。それにあんなことぐらい別になんともない』

『でもあそこまで酷いこと……してるのに……』

『そんなことより、あの人は才能もないのになりたいという一心で努力をして、医者になったってことをぼくは知っているからな。何回も浪人して、頑張ってたって親父から聞いたぞ』

 ……そうだったのか。

 だったら確かに、才能の塊である黛に、嫌悪感を抱くのは無理も無い気がする。

 年齢があまりにも離れている子に、尊敬の対象を奪われるのは、確かに少し堪えるかもな……。

『それに……』

 ここでブチッと音を立てて。イヤホンが鳴った。

 びっくりして、薫と俺は少し飛び跳ねる。

 その間、黛は話し続けているようだったが、何も聞こえなかった。

 話が終わったような素振りを見せると、急に薫の電話がなった。

「はい。出雲ですが……」

『よう。こんなもんで満足か?』

 薫の電話から、黛の声がした。

「えええええええ! バレてるし!」

 そう言いながら、薫が飛び跳ねると、まゆちゃんはこちらに気がついてしまったようだった。

「あれ? 薫とお姉様? と……誰でしたっけ?」

「てめぇオラシバくぞコラ」

 俺は、まゆちゃんにメンチを切るものの、なんとも思われてないようだ。

『まあとにかくだ。ぼくは疲れたしもう六時ぐらいだ。そろそろまゆを連れて行ってやってくれ』

 と言う黛からの電話が切れて、黛とまゆちゃんはこっちに向かってくる。

「全く……黛、一体いつから気がついてたんだよ」

「初めからだ。正確には、ペンギンショーの列に並ぶ前だな」

 まじかよ。

 そんな最初から見つけてたのに、泳がせてたのか。

「あらら、最初も最初ね」

「とにかく薫は尾行には向かないな。やかましいし、顔が良すぎて目立つし」

「くっ……一生の不覚だ……」

 と俺の発言に悔しそうに、こぞを噛む薫。

「まあとにかく、黛様、ありがとうございました! またデートしましょ!」

 そう言いながら、まゆちゃんは黛の腕を抱く。

「たまにはいいぞ。そんじゃあな、気をつけて帰れよ。執事服サンキューな弥生」

 黛は俺たちに背を向ける。

「そうそう……進」

 弥生が、俺に話しかけてきた。

「今日は、ありがとう」

 それは、小袋だった。

 小さめの何かを、弥生は買ってくれたらしい。

「ここで開けてもいいか?」

「だーめ。家で開けなさい」 

 といたずらっぽい笑顔で返される。

「家に帰ったら、家族で並べてあげてね? それじゃあまたね」

 そう弥生は言うと、薫とまゆちゃんを引き連れて、俺に背を向けてしまった。

 ……というかまた、こいつの笑顔に見とれてしまった。

 恐るべし、顔の暴力。やっぱり弥生は天使だよな。うん。

 

 そんなことは無かった。

 家に帰るとデカすぎるホッキョクグマのぬいぐるみが置いてあった。

 なぜか、その日のうちに俺の家に届いていたらしい。母によると、小鳥居家と名乗るお手伝いさんが運んで来たらしい。

 横は俺の肩幅より大きくて、身長も俺より少しでかい。180センチぐらいか?

「あの女……今すぐ送り返してやる……」

 あの家なら広いし置くところもあるだろう。

 薫も喜んでくれそうだし。

 イライラしながら、自分の部屋のベッドに、荷物を置くと、バックの中にあった袋を思い出した。

 開けてみっか。

 開けると中には、デフォルメされたホッキョクグマがちょこんと入っていた。

 まさか……家族で並べてって……そういう事か……。

 仕方なーく、その大小ホッキョクグマを並べると……本当に家族みたいな感じになってしまった。

 

 まあ……悪くねえな。

 ありがとよ、弥生。

 

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