無知の罪 ( 5/5 )

「あ。わたくし、『ほまれの王座』と申しまして」

「一階のエレベーター前の掲示もごらんになってませんか。この団地は、セールス・勧誘、一切おことわりなんですよ」

「いえ、少し、聖書のお話をさせていだだこうとお伺いしております」

「勧誘でしょうが」


「いえ、聖書のお話をさせていただくまでですので」

「べつの方にも言いましたがね、この団地には車椅子や、九十代でひとり暮らししてる人もいるんですよ」


「そうですか。ぜひ、そんなかたにも聖書の福音をお伝えできればと」


「呼び鈴を鳴らされて玄関に出ようとして転んで骨折とかして、最悪誰も気づけなくても、おたくは責任取れるとおっしゃるんですか?」


「はあ。ですが、宅配便はどちらのお宅にも届きますネ。せっかくお目にかかれたんですから、少しでもお話させていただけないものでしょうか」


「宅配便なら、俺は俺の足……俺の歩きで1分で受けとれるが、あなた方につかまったらそんなもんじゃすまないでしょう」


「はあ」


「ポスティングするなとまでは、俺は言ってませんよ。ご検討いただけないんであれば、おたくの団体と直談します。お立ち退きください」


「では、これをどうぞお受けとりくださいー」


 その男は、藤野にリーフレットをさし出した。

 藤野でなくてもこれは……「結構です」って言いたい。

 ていうか、芋が冷めちまうだろうがよ……しかし、加勢するにも相手は一匹――いや、ひとり。いなくなってくれるまで傍観した。


 ていうか、眺めながら、意識はさつき殿のお腹にいっていた。

 その子は、ほんとに俺をイヤがってない?



「いけませんねえ」


 エレベーターのドアが閉まり降下していく音を聞きながら、ぽそりとさつきは言った。


「へへ、福留ちゃんとさっちゃんが見てるからってカッコつけちゃ、いけませんねえ」と藤野。


 俺はさっきの路上の接触で、結果的に死守した帽子を手に持っていた。右の腕がなにげに疼く。

 錠前から鍵を抜いて、藤野がドアを開けた。

 あがったすぐ脇が藤野の部屋のようだ。


「これでもずいぶんミニマルにしたんだぜー」


 柱の角の立ち机の下に、アコースティックギターがタンスにもたれるように立てかかっている。


 洗面台も借りたが、藤野がレンチンしたおしぼりを持ってきてくれた。

 ベッドを背に、藤野は腰をおろした。


「聞いてよ福ちゃんー、さっきの勧誘、前んときは俺、明けで爆睡してたのヨォ?」


 コレは……『おまえもクリスチャンのくせに』って言われかねないのを承知でだな。


「私怨もあったか」

「平穏な祝日だよ? 母ちゃんたちだって声かけずに寝かしといてくれるってーのに、なんであんなやつらの呼び鈴に……ううっ」

「それはいけま――おっと。ンなンだよキミたちは、さっきから『いけませんねえ』『いけませんねえ』って」

「最近、俺たちのあいだでブームなんだよ。いけませんねえ。」


「たわむれとるなぁ」


「ふざけてんだもん、なー?」


「はいお茶でーす、ぃしょ。福留くん、安心してね。フツーの緑茶よ、さっきのスーパーで売ってる」


「え?」


 意味のわかってない俺に、藤野が口を挟んだ。

「御倉総神山で三年前から販売してるブレンド茶は知ってる?」


「そんなのあるのか」


「それとは別って意味ょん」

 とさつきが湯呑みを置きながら言った。


 それ飲むと、なにか体にいいことあるんだね。


「あのへんのアイテム一式は、高所得の会員ご用達でショ。俺なんて機関誌代ぐらいしか払ってないもんネ」と藤野は言った。


「おいも、いただきまぁす」

 とさつきが、焼きいもに手をつける。


 四条宅に一方通行で藤野が通ってんでもないのは、まあわかった。

 藤野の真似して、俺も芋を皮ごとかじってみた。美味。


 就職の話なんかをした。

 もともとそういう方面に関心薄だったこと、興味なくても現に世間にニーズはあること。バイトでモノを相手にしてた反動もありそうなこと。といって営業職だとかには適性がないって思ってること。


「じゃあ福留くんはそういう資格持ってたりするんだ、福祉系の」

「いや、俺が先に取ってたのはクルマの免許だけで」


「ふーん」


「ほんとなんとなくじゃああったけどね、一応本免許も一発クリアしたよ。ソッチのやつは、会社の募集要項に取得支援制度ってあったから、それ使うつもり」


 面接で、履歴書の資格欄に担当の人の目が奪われてるのを、俺は見逃さなかった。役立つ場面があるんなら、ペーパーでいるのはヤバいな。もうちょい乗り回さないと。


「若い女の子のスタッフはいるの?」


「いるね。同期の予定にも」

 さつきが突いてくる予感はした。


「芽ばえるかな。いないと見せかけて、とっくにいるか」

「俺は三年前に大失恋してるから」


「――えっ」


「な、n…」と藤野も声をつまらせた。


「そんな相手が現れようものなら、前の女を忘れさせてくれなんて言わんよう気をつけないとフられっかにゃーはっはイ」


 なにか言いかけ、

「福ちゃんはどっか淡泊なんだよな。断食系には見えんけど」と藤野はずらしたようだった。


「かわいいなって思うコはいるよ。けどなんかよ、そこどまりなんだ」

「ほー。そいなら、俺も安心かな」


「そら安心だよ、おまぃにそそられたこたねーしー? かわいいのは四条だけじゃねえから」


 藤野の手をたたく音が響き、さつきはおでこを赤くさせ、俺は自己ウケして。笑いくずれた。

 なんてへんな日なんだろう。


 四条と中川を引き合わせたら面白かっただろうな、うん。

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