無知の罪 ( 4/5 )

 横断歩道を渡り脇道に入ると『すこや家の庭』の隣町の街区表示が目についた。傾きかけた日ざしがあったかい。

 歩きながら俺は、藤野の顔は見ないで切り出した。


「職域接種のことは、また確認し忘れた……」

「うん」


「一学期に、『人口動態』を見ろっておまえに言われて、本当いうと、見てビビったん」


 藤野は俺に答えた。「身内にうるさい信者がいて、言説は多少知ってるってふうに、あのとき言ってたね」


「タダでも打たないっておまえは言ってたね。あらためて見てみたん。身近でそういう亡くなりかたした人、俺知らないから――」


 さつきは藤野の隣できょとんとしていた。「福留くん、鼻声だなぁ」


「ピンとこないっていうか、他人ごとみたいに思ってはいるけれども。んご」

「数字としては、われわれの学年層が幼稚園児だったころの巨大地震をはるかに超えた、戦後最多の減少」


「んー……」

 堂々めぐりのディスカッションは避けてるつもりだ。


 このことについては、結局俺の思考が及ばないんだ。だって、俺はやっぱり現実感を持てない。

 量産の液体の小ビンの一部に、即効きのアタリが仕込まれてると。ンなロシアンルーレットな。そういった、不安論法が実銃ジツジュウのトリガーになることは、ありえはしないか?


「総人口からしたらわずかともいえそうだが、俺は多い、ととらえたものだったからね。数字としてはな」


 横でさつきは、「はじまった年の夏には一件だけ因果関係認めて、それもすぐ取り消してたんだよね」


「そうなんだ」ちょっと息をとめて、棒読みのように俺は答えた。


 同じような、白っぽい建物が立ちならぶ。

 その景色の中を、俺たちは歩いていく。


「俺のホジッたぐらいな見識だと、もろもろの'関連"統計"'グラフにはおタメごかしのタネがあるようだ。人口動態はもっとも手が込んでないと思ってるのさ」

 と、諸データを指してチート級の裏ワザみたいに藤野は言う。


 おまえはIQが高いんじゃねえのか。それでどっか壊れ……てんのは俺かもなんだよな。ンーム。


  古人云

   売蔘者両眼

   用薬者一眼

   服薬者無眼


 って改行ナシで、近世の人が言ってた。『蔘』はちょうせんにんじん。

 薬を服む者は目がねェってことだね。


 とにかく俺は、ピンピンしてるよ。


「最近自分をいじめるなって、さつき殿に言われてる。仮にイジッてるんだとしたって、俺の意思に基づいてるさね。でも、人様で実験するとなれば……話はちがってくる」

御倉総神山みくらそうしんざん主催の『ワクチン抗議デモ』は、見に行ったよ」


「行ったのー? 福ちゃんが」


「二年以上も前のことだけどもよ。悪いが、毒気にやられて帰ったよ。俺は見て確かめたものを信じるから、なにかあればって思ったが」


「『悪いが』って言うことはなくない? ぽくナイ」

 と藤野。


「苦悩してるのもいるかもしれないからさ」と俺は言った。


 行列の中にチラッ……と大きく黒字で掲げられてるケタちがいな数字を見たような……気がするんだよな。公表されてる人数じゃあなくて。


 聞きわけのない街のバカども目がけ、恍惚感むき出しでナンダーカンダー言ってる態を、とくと拝んだ日だった。あんなもんに追従するくらいなら、俺は救えない羊でいてやっていい、って腹を固めただけ。


 藤野は、「んー……俺は、二度ばかり行った。二度目はひとりで見てただけで、途中で引き揚げた」


「ふむ?」見てただけ? 引きあげた?


「どーゆうわけか、何人も面白い人に会ってさ。集合の日時と場所だけ押さえてて、行進のスタート地点はわかってないんだよ。告知はされてるのに」

「は?」


「個性はまちまちだったね、手のかかった横断幕持参の人もいれば、家事の合い間に訪れたような感じの人もいたりで」と、さつきがさし挟んだ。


「ん、教団外部の人もかなりいたと見る」

「誘導する者はいたんか」

「いまがどうだかは聞いてないけど。拡声器でリーダーがひとり声かけしてたようだった。結論から言わせてもらうと、どうせ動くならステージさ」

「ステージって。演奏して歌う――」


「うん。あり? 『歌って演奏』する……どっちなんじゃアァ。俺今夜眠れなくなりそう」


「てめえが正当だっつう前提でモノ言わないでも、歌は歌。ってか」


「そうね。道路の使用許可がなくてもできることをやりたいっかな」


 言いつつ藤野は、片腕を何回転半か外側に大きく回して、掲げてみせた。

 なんだろ、藤野が『息抜き』してるように見えた。

 いまの風車みたいなポーズ、たしかほんとにギターを鳴らしながらじゃなかったっけ。


「おまえは、ボーカル担当なのか?」

「おうよ。アンド、ギター」


「そんな気がした」


 活動の無期限休止を望んだりして、悪かった。

 あいつ、真友は……

 競技で走るとき、ただ走っただけだ。それを勇姿にとらえたのは、俺含む周囲の人間だ。

 藤野は、そういうところがたぶん同類なんだ。真友と。


「オリジナルの曲を作るのは結構ムズいよ。作るだけならサラサラできるけどね。そこの八階だよ、福留ちゃん。11号棟な」


 藤野は手前から二番目の建物を指差した。そして、

「自転車駐める前に、試運転してみ。帰るときになって漕げなかったらヒサンよ」と言った。


 小さく一周して、確認した。


「ここの12号棟に堀本が住んでるよ」「ふーん」


 エレベーターに乗る。

 低速だ。

 同じ形を繰り返す共用廊下の手すり壁と、すきまから広がる遠景。


 藤野が言う。「浄水器を取り付けるとか、コスパ的に難しいけど、こだわりたいことはいろいろなんだよね」


「先立つものぁ、ゼニよの」

「活水器を団地の元栓に……なんてなことも考えたけど、自治会に提案もせずアイデアだおれさっ。いけませんねえ」


 八階でおりて右に行くと、廊下にスーツの男性がいる。隣室の玄関先から移動してきた様子でインターホンを押そうとしていた。


「なんでしょう?」


 藤野んちのようだ。表札を確かめた。

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