いつにない顔 ( 4/4 )

 台所の洗い桶に、箸とともに弁当箱を浸した。


タクちゃん、おかえり」


「ただいま。洋子ようこ伯母ちゃん、朝はごめんね」俺は言った。


 俺あてに届く郵便物や宅配物は、みんなここん家に配達される。

 だから、町名番地のあとには'尾形オガタ様方'がつくって仕組み。


「なんともないならいいのよ。心あらずだったねえ」

「はは、きっと朝だけ。ありがとう、ごっそさまでした」


「お昼近くに、お母さんが来てたんだよ。議員さんのチラシを置いてったわ」


「あ、そう」


 義伯父ちゃんに見せてから捨てるかきめるんだろう。

「懲りないな」


 最低月一やってくる実の母親。まもなく養育費を渡す必要もなくなるぜ。せいぜい、すとれーと水で割らずに成育したことに感謝するこったな。


 俺が会いたがらないからではあるが、高熱で寝こもうがなんだろうが放置されてる。

 コロワクの副反応ゆえ自業自得だヴァカめ――ぐらいに思ってんだろうよ。

 今度親と顔を突き合わせるのは、どっちかが……俺かやつらのどっちかが死んだときかもしれない。



 伯母ちゃんが化学物質過敏症だとかで、人体への負荷を抑えた洗剤使ってるから、洗ってもらってる衣類は実のとこ香料臭くないのが気に入ってる。


「そういえば、このうちも家の中じゃマスクしなかったね」

 と俺は、襖の柱に手をかけて伯母ちゃんに話しかけた。


「そりゃそうよ。咳とかやばいならまだしもよ、効果のほどなんて、ちょっと考えればお母さんじゃなくたってわかるもの」

 と干し物をたたみながら、俺を見て伯母ちゃんは言った。


「うん。おとなりの奥さんもしないんだろうか」と俺。


「はずしてたでしょうよ、ごみ出しのときにしてなかったんだもん。郵便受けもね」

「知らなかった」


 隣の泉谷いずたにさんは清掃パートや児童見守り隊の活動なんかをしてて、ノーマスク姿を見かけたことがない。

 俺がここに移り住んだころにはすでにひとり暮らしになっていた。

 通話手段がいまだに黒電話オンリーなのは知ってる。


「形だけの遮断でも、気持ちのものだと思うのよね。うつさない、うつされないっていう。そんな願いの意思表示だわよ」


「うん、うつしたくない――うつされたくないね」

 俺は伯母ちゃんの考えにきわめて近い。


 マイクロ飛沫、煙霧質……呼びかたいろいろのようだが。

 二メートル離れたところに歩速で移動、そしてそこに停滞する“そいつ”を吸いこむのって、容易にシミュレートできやしないか?

 長時間同じのを着けてりゃ不衛生なのだってわかりきってる。俺は午後になっても替えないほうだけどな、もったいないから。

 とにかく俺、ビンビン……いやピンピンしてるよ。


 洗面台で鼻の穴をすっきりさせたついでに、鏡の自分を見た。いつも髭剃るの、えれえかったる……。俺だめ。おれゎもうだめ。髪の毛の色いじるとか以前に、髭のばしたいンじゃ……。剃るけど。

 左右反転像の、見ようによっちゃあイケてるこいつは――

 母親似と言われるが、父親の血も、等しく引いてるのがわかる。


 ため息が出た。


「真友」

 オレたちハ、こんどイツアエルノダロウ。

 故人と夢で会うのは、俺があいつらの息子だからっていう……わけわからねー特異な立場だからなのか? 俺たちふたりのあいだのことだから、そうは思えないし思いたくないンだな。

 御倉のやつらをうらやましく思うときは、ごくごくたまにあった。真友はマスクしてたって意味なかったんだから。



 もとは結婚したイトコの使ってた、この部屋。住みついてしばらくは落ちつかなくて、個別に真友を通すことがついになかった。

 ラジオの電源を入れる。


「"キリスト・御仏とともに。この番組はみなさまの道しるべ、御倉総神山の提供でお送り"――」


 速攻チューニングダイヤルを回し電源を切った。


「くっそ。15時前かよ」


 ベッドへ体を投げたとたん、鈍い音をともなって、窓枠で打った頭に痛覚とジョリ感が来た。あぁ、ああ。ふんぞっても――うつ伏せっても うずくまっても――ろくなことがねえ。起きあがって首を振る。

 ベッドの上方を頭にして横たわった。


「うたた寝のあいだだけでもいいから。会いたい。糸デンワでもいい。おまえは……ここにいないの? 元気でやってるんなら」


 目を塞いでる腕を離せば、天井があった。


 幸せにしてるならいい。


 ここに、物理的に遺っているもの。

 二枚のバレンタインのカード。どっちも葉っぱの形をしている。

 手編みの帽子が入った袋。『寒くなったらかぶってね』って、四月になってから受けとった。


 それから自分の機種変前のスマートフォン、プラス未使用純正バッテリー……以下割愛。

 置いてる写真立ては、昔の仲間に交じったレアめのショットだ。


 思えば、中三のときだけでもあいつの誕生日とホワイトデーにそれらしきものを渡しててよかった、なにもしないよりは。一応よろこんでくれてた。


 半月ちょっとのあいだ通学手段が自転車に切り替わったにすぎなかったような、あの子の高校生活。

 俺が死んだら この記憶はどこへ行く


 あたりまえだが、その年も俺の誕生日は四月二一日だった。

 曜日は水曜だった。

 週末に会えなくなると――――月曜になっても会えないと、俺も思わなかった。


 悠長に脳内で、連休の計画なぞおっ立ててたんだ。

 たしかに鼻をぐずらせてた。

 『とうとう花粉症かも』って本人は言っていて、俺もそのくらいに思ってしまった。

 汗の吹いた額が目に焼きついている。

 環境の変化が近因の汗ではなかった。


 『帰るぞ』って教室で声をかけたら――顔をあげ、何秒間か不思議そうに俺を見て『卓ちゃんだよね』って言った。

 それに対して『眠いの?』ぐらいしか口に出さなかったのは、せめてもの救いだ。


 みんなコロナウイルスのせいにできれば、どんなにか。


 わァってんの。罪悪感 ≧[大なりイコール] 喪失感なのは。



「いいよ、いいよ、それくらい。私にやらせなさい」


 飲んだコップを洗おうとすると、伯母ちゃんが分け入った。


「おねがいします。いや、にんじんジュースだからすぐ落とさなきゃって思って」

「今夜はカレーにするのよ。米粉のカレールーなんてあったから、合わせてみる」


「うほほー。カレー。まってまジュル」

 なんでもおいしいけど、伯母ちゃんの料理の中じゃ、俺はロールキャベツとシチューが好きだ。

 母親の姉妹なのにはちがいないけど、最初のうちこそ異郷の味覚……ってったらいいのか、そんなんだった。


 家を飛び出してかくまってもらったとき、義伯父さん、それから伯母さんが一肌脱いでくれてなかったら、いまの俺はこうしてない。


 本当に、感謝はしてるんだ。


    ୦


 夜、神社の参道の夢を見た。



 追憶が生む夢。見ようって思って見れるもんでもないけれど。

 こういう夢ならわりとちょくちょく見る……。三が日はよけたんだったね、二度目で、最後の初詣。オミクジ二本とも大吉だった。



 真友が俺を指差し、声をたてた。


「あーっ、笑った。あっハッハ、笑ってる」


 巨大なみたらし団子のような焼きまんじゅうを、ただンマンマしてるだけでいきなりそれ……。


「なあんだよう」


 俺は口をとがらせ、顔をつき出してみせた。

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