忖度tea (4)

 太助は水筒を肩にさげ、ソリの綱を握って、友達との待ちあわせ場所に行こうとしている。


「卓史っちゃんも、心ゆくまで食べてね」

 というが早いか、あっという間に姿は小さくなっていった。


 俺は食べかけの果物を、ひとつ平らげた。


「ああー、喉うるおった」


 きゅうりに似た形で、なすのような色したこれ、絶妙にウマくて。名前は聞いたが、ど忘れしてる。原産地ーはどこじゃらほい。


 それにしても、畑の隅に立つ俺たちは――


「ふたりっきりじゃん」

「ね。ふたりきり」


 うなじから真友の髪をそーっと後ろに払う。両脇に手をさし入れて、それなりの気あいで彼女を持ちあげた。


「軽いなー」


 まるで俺が筋肉野郎だ。

 真友のことを『○みたい』『〜がはえてるみたい』って言うと猿真似になるとの噂につき――天使みたいだ。いかがでしょうか。


 降り立った真友は俺の小鼻に触れて、ひとさし指に移り乗ったてんとう虫に笑う。


 キスをした。

 俺は膝立ちになって、真友の体に顔を押し当てる。

 真友が両手で、俺の頭をなぞる。

 変わらない。おまえのにおい。


「なんだろう」

「んん?」


「おまえのこともイタダキタイが。欲情がかきたたない。おまえもせがんでこん」


 声もなく笑うのがわかった、と同時に俺の頭がわしゃしゃッて撫でくられた。


「俺健全なんだから。ムラムラがマッチしたらあらためてなんだぞ」


 言いながらゆっくり立ちあがった。俺の腕のつけ根のあたりに真友が手をそえて、もう一度俺たちはキスした。


 こんなにこのままでいたいのにな。

 きょうのおまえの、太助を思わせるハーフアップした髪とは関係ないな。

 暗ーい現実な日々とも関係なく。あくまでもこの夢は俺にとって、思い出の続きなのだから。

 さすがに公園なんかじゃハメはずせなかったあのころ。

 ドコカの生命体が空から監視してるって気配は……ないがな、ここに。もし視られてるなら、見せつけるまでだ。

 少々おままごとな気分だからかなぁ。


「見わたしてると、花がかすみ草みたい」


 咲きこぼれる小さな白い花を見ながら、俺の腕の中で真友は言った。

 もしかして、ホワイトデーに渡したものにつけた花を思い出している?


「ここ、なに育ててるの?」

「そばの原種って聞いてるよ。太助に持たせたのも、そば茶なの」


「蕎麦……これが。こっから飲食物の原料だのが穫れるんかい」


 真友の手に指を引っかけた。「ベンチにもどるんでいい?」


「抱きあげてこーか」

「いいよ、実践しなくて。どうせなら膝マクラして」


 ぽっかりと土になってるところまでもどった。水筒をもう一本置いたベンチがひとつ、真ん中へんにある。そこに俺たちはかけた。


「太助と三人そろったら、川の字になって寝そべろーぜ。持ち主に叱られるかな?」

「あはは。共有地だよぉ」


 真友の右手を取って、みずみずしい手を、その指先まで包みほぐす。


 十五年だろうと――何十年だろうと

 俺の知ってる真友は、その世界でのあなたの在りかたでした。

 あなたのその人生には、結構な頻度で変わった男児が登場してきました。

 ああ。この人はこうなのだ。俺がおっさんや爺ちゃんになっても。そうにちがいないよ。

 俺の肺臓が 永久に動きを休めても

 この俺は? どうなのか。

 そんなことを考えるのは、いつも'起きて'からあとだった。


「つもる話はあるっちゃーあるだな。のんべんだらりやってるなりに」


 語れば'「魔」の'十三日間の初日からになりそうだ。あんな長い、日一日はなかった。


「ん。たくさんたくさん話そ。でも、卓ちゃんが覚えてられるかは別よ」

「そうやってまた、意味ありげに言うんだな。俺はもう学校行きたくないよ。クラスのやつとワクチンの件で応酬してたのはタノシかったけど」


「ワクチンのって」


「その後俺のところにも接種券が来たから、片っぱしから打って、そのたんびに」


「――社会に出てない卓ちゃんのところにまで、案内が来たの」


 その天然めいた反応に、なにか胸がざわついた。


「世界で七割近くの人が、一度はワクチン打ってるよ。大人も子供も」

「七割近く。すごいんだねー」


 やっぱり噛みあってない。


「日本だけなら八割だよ。知らないの?」

「知ってないよ」


 真友の前にかがんだ。

 すこしにらめっこのようになった。


「ひとっつ、確かめさせてくれよ。中川真友ちゃん。あんた、自分が弔われたのも知ってないんか」


『風が気持ちいい』と言い、

 いつものように 『またね』って言ったんだ。


「だろうなぁーとは感じてる」

「――真友」


「信じてたよ。卓史くんに会えるの」


 俺は信じてなかったよ。どこにもおまえがいないなんて。


 半身座りあげたベンチで、抱きしめた腕に力をこめた。

 見ろ。会えてるじゃんか。やっとだけど。

 やっと………… だけど。



 ときどき波のように飛びたつ、小鳥の集団が地面をついばんでいる。

 もうひと頑張りすれば足の指も使って数えられるほどにかさねた、この、言いあらわせない時。


 同じ回数だけ、ウイルスの遺伝情報にアプローチした製剤を体に取りこんできたこと。

 その門を通らないと会えない可能性を感じてたことも、話して聞かせたって思う。

 高校受験や入学のころ、真友が自覚したのは「来てもよさそうなもの」が来ないのと食欲増進のみで、体は特段しんどくなかったと。疑って聞くかは、俺しだいらしい。


 聞けば聞いただけ、心が楽になる気もする。会ってとっくに安堵してた気もする。

 現実で生きてると、助けを求めて呼んでるときがある。見守っててほしいんじゃないのに虫がいいよ。


 俺が建てたわけではないお墓の前で、俺は二度だけ手を合わせたこと。二度目のとき、示しあわせたかのように昔の仲間と行き合ったこと。


 修学旅行は、見どころはあったがクソつまらなかったこと。


「まいんちコロコロといろんなニュースだ。TVでも、SNSのトレンドでも」


 東ヨーロッパの戦争のこと、元総理銃殺のこと。

 いまや自分が選挙の有権者であることやなんかも、無意味かもしれないが聞いてもらった。


「あのメンバーも、またひとり消えちまった」


 吹いては凪ぐかすかな風に、ため息を溶けこます。


「おまえもいなくなったけどな」


 静かに、真友も俺を見る。


「矛盾してるな……矛盾って言葉の言い換えがないか調べてみるよ、目ぇ覚めたらな」


 橋に目をやって、俺は言った。


「ここいらには字引きがなさそうだから。矛盾って字は、『矛』と『盾』だろ」

「うん。ここだと……」


 組んだ手のひらを前にのばし、足を浮かす真友。


「一面、畑なんだもんね。卓ちゃん、あたしたちが座ってるこのベンチー」


 箱ベンチの座面を真友は撫でた。


「ここが蓋になってるの。きっとお宝が入ってるんだ」

「え。開けたらトンデモナイことになる伝説の箱じゃねえのか。見てないの、おまえ」


「うん、まだ。どうせなら、先に卓ちゃんに教えようと思った」


「どれ」


 肩へ水筒を引っさげた。

 蓋は、簡単に指がかかって手前に浮いた。


 なにも考えずに持ちあげる。

 蓋の内側一面に張られた鏡が、空と、俺たちを映す。

 鏡の中の真友と目が合った。


「'レコードプレーヤー'? これは……でも」


 パッと見そんなふうに見えた内部だったが、"トーンアーム"のような棒は円盤の真ん中から出ていた。


「オルゴールの音ね。大きいなぁ」


 音量ではなく、本体のことを真友ちゃんは言っている。


 金属のその円盤がゆっくり回り、箱が旋律を奏でた。かねての町内放送もどきの調べと、それはハモって、この世界の大気に呑まれる心地がしてきた。


「おまえが持ってたやつとちがうな、あのミシン糸の芯みたいな形のと…………見たことない」


 しゃがんでひととおり眺めまわす。

 思い出すよな。あのオルゴールじゃ、左半分のステージの上で磁石の台座に乗ったバレリーナが踊ってたんだ。そうだろ? 真友。

 あれを見て、俺は玉乗りのピエロを連想していた。


「櫛みたいな『歯』が見えない」

「マルいのの下にあるんじゃないか? この円盤のプツプツがあるから、音が弾き出されるんだよな」


「うん」


 箱のふちに手をついて腰をあげる。側面や後ろ側も見てみるが、2wayあるいはそれ以上にして見た目はただただひらたい直方体、樹脂のようなものでできた箱である。


「ぜんまいはどこについてるんだろうな。ま、いっか」

「耳で聞けてるし」


「この音、聞いてたい」



 手の届きそうな

 雲が浮かんでるけど  雨は 雪は降るんかな


 この夢から覚めたら、そこの日付が何月の何日なのか。そんなこともわからない頭で、俺は考えた。

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