3章
無知の罪 ( 1/5 )
二月の第三土曜日。
「スモークレッド」って真友が言ってた、その色のニット帽をかぶって、俺はクロスバイクで就職先に向かったのだった。
かぶると消耗しそうでいやだったが、使わなけりゃそれはそれでかわいそうだよな。
三年もかぶらないで、ごめんな。
それから……
いい帽子、編んでもらった。
ありがとう。
役職はおいといて、俺の父親は商社系、中川のおじさんは技術系。同居の尾形の義伯父さんは福祉系。
だれの真似でもないが、進路は義伯父さん寄りになった。
同じいつかくたばるんなら、いっぱしに稼げるくらいになってからでもいいのか。
勤まったらボーナスなんかもらえちゃったりするんだよな。
言ってみりゃ、その足がかりってわけだ。
就職内定の報告をしたら、義伯父ちゃんは俺に本棚を見せて、好きに読むよう言ってくれた。
そして実習の様子を聞いてくれたり、豆アドバイスをしてくれるようになった。
その道を志した理由を聞いてみてないが、義伯父ちゃんは高齢者施設の入所型で仕事している。
ところどころうねった狭いバス通りに、行き先の建物と同じ名前のついたバス停がある。
バス停を前にした敷地に入る。
自転車を置いて、リュックに帽子をしまった。
'すこや家の庭'
この障害者支援施設が、四月から生活支援員として働こうとしているところ。面接で採用がきまってからは月に一、二度、体験実習の延長で顔を出してる。ユニフォームはまだもらってなくって、準じたナリをして行ってる。
三階建ての建物に入り、掃除の人に挨拶して、事務室をノックする。
無愛想な中高年の男性職員さんがいて、きょう俺が一番知りたくて聞きづらかったことをこともなげに言った。
「益子さんは急性心膜炎で入院中だよ」
下の名前で呼ぶのも、ちゃんづけするのも本来NGとされるが、コミュニケーションの一環ということでまかり通ってるってことだった。
先週俺が到着したとき、入口前には、救急車が赤色灯を点滅させてとまっていた。
搬送されたのはさなちゃんだった。
୦
「興味あって応募してくれたわけだからお知りかなと思いますけど、知的障害の方は純粋だといわれています」
「あ、はい。そんっな感じ、ですよね」
サービス利用者さんたちの姿を目で追う。
「『心が洗われる』と形容する人もいますね」
とその時間俺を受け持つ職員さんはつづけた。
「うらはらに老化の進行が早いですから、はた目以上に体がきついことと思います」
「老、化……は」
義伯父ちゃんからも聞いとらん。「まったく知りませんでした」
「純粋とはいっても、働く方ともなればね、業務怠慢などもなきにしもあらずですよ。知恵が働かないのとはちがう」
「ウーン。そうなんですか」
『悪知恵』っていうよりか、それはもう『本能』なんじゃ? って気が……したり。
「障害が軽度の方は、一見して健常者と見分けがつかないことも、多々あります」
ここの利用者さんは、みんな髪を短くしているように見える。理由はなんとなく察せられた。シャンプーがしやすいだろうって思う。
トイレ介助はなかなか大変だ。
生理中の女性にはおおむね女性の職員さんが対応してるようだ。俺は亡き祖父ちゃんの下の世話を親たちと朝夜やってたから、そこらへん抵抗はないんだが。
なにしろここの人たちは……立ちあがったりとかする。
お昼が近づき、
スプーンの向けかたについて指導してもらいながら、彼の食事を手伝う。
「あ……はィイ。正面からヌッと出されたりしたら。キョーフです」
則ちゃんは自分でスプーンを使えるが、食べこぼしが多い。
ガッと柄をつかんだかと思うとすごい勢いでスプーンを口に持ってくが、大部分の食べ物がエプロンや床に落ちる。
それだと食べたことにならないので、ある程度はこっちでスプーンに乗せる必要があった。
そうしていたら、四年前のバレンタインを思い出した。
「わあお。嬉しー。ことしグレードアップすかァ」
「誕生日にはわっからっなイー」
「んなのいいよ、俺だってあげてないじゃん。買ったやつ?」
「うん――」
「ますますホッとした」
「へ? なにそ、ホッとって」
「おまえに怒られたよ、俺の食いかた」
「えっ? て、いつ……」
「ほら、ボロボロに崩しちまって。おまえがおばちゃんと作った、あー」
「――あ……フルーツケーキ? のこと? それ……は。うーん」
「とにかくわざとじゃあなかった」
「忘れて」
いまごろ思い出した。
それでか。真友。
『じょうずに食べるね』
「福留さん。ロビーの自販機のところまで、さなちゃんを見ててもらいたいんですけどォ」
職員の女の子と一緒に、その利用者さんが来た。
「あ。はい」
ブロックパズルから離れ、立ちあがる。
この人とは散歩の時間、すこし一緒に歩いた。
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