太助 ( 4/5 )
元号が『令和』に変わった、二〇一九年。中二の初夏。中二だから……僕十四歳。
コロナパンデミックはまだ始まっていない。
のちのち、四年後に藤野から聞かされて知ったことでは、この年の夏に、PCRの技術を発明したアメリカの生物化学者が亡くなっている。
気にもとめてなかったが、前年の二〇一八年には在イスラエルアメリカ大使館がテルアビブから『エルサレム』に移転している。
イスラエルの国は、一九四八年に独立宣言をした。それまで、千九百年近くのあいだ、ユダヤの民は国土を持たなかった。
そうした事象に、聖典ソースの意味づけをなす存在が世の中にはある。
俺の親だとかが属する宗教もしかり。
映画が終わって、首を回しながら廊下をロビーに向かう。3Dメガネで、耳が痛くなっちまった。
すぐ後ろで、女の声が呼んだ。
「たっくちゃぁん」
「なんだよ……おどかすなよ」
息を切らす真友の顔があった。
その真友の、口が動いた。
「ベンチで食べかけてるトコで、大笑いしてたでしょ。聞き覚えのある声だと思ったら」
「よくわかったな……」
「あんだけツボってたの、卓ちゃんしかいないよ」
「こんなことってあるんだな」
俺に見せたチケットの半券によれば、左へ隔てたすぐ後ろの列に真友はいたようだった。
「ストーキングじゃないもん。購入済みの画面――」スマホを出しそうな仕草の真友に、
「いいよ、俺は見せるのめんどい」と言ってとめた。
「卓ちゃんはひとり?」
「ひとりで来たよ」
「変わってるなあ」
「おまえはなに、連れをさし置いて俺に声かけたとか?」
「最初からひとりよ。泣けるシーンで泣きやすいでしょ」
「泣いたの」
「んーん、全然泣かなかった」
「おまえだって変わってるよ。俺は前作見てなかったから、ストーリーが見えないとこあった」
「あたしは二作目も、TVで途中からちょっとしか見てないや。四年生だったよね、―壷の上に林檎が載って在る驚嘆―」
「そうそう。んで去年あたりから気になって。
真友は目を閉じ、息を吸いこむ。
「あんな真っ暗闇なんだね。どこにいるのかわからなくなった」
「なんか俺いま、遠足とか林間学校の気分」
「うん、いつもとちがうんだもんね。でも、ほかにまわりにだれもいない」
「こんなとこであれだ、そのへんどっか――あ。金。俺持ちあわせがないわ、ははは。見るのだけが目的で来てしまったからのう」
「いくらか貸せるよ」
「俺に貸したら返ってこないって思わなきゃダメヨ? おいら、まっすぐ引きあげるよ」
「じゃあ、一駅歩いてかない? あたしも運賃すこし浮くし」
「そう……だな。そんくらい、ぶらつくのもいいかもな」
ふたりで改札口前のコンコースを抜けて、西口を左折する。
真友がめかしこんでなくてよかった。
異性との交際、という意味で『つきあう』って言葉を使うのは、どーも苦手。
それでもあえて言うと、俺たちがつきあいはじめたのはこのときがきっかけだったって思う。
『好きだ』とも、言ったことがない。
だって、好きも嫌いもなくね?
そんな屁理屈も手伝って、言わずじまいだった。
「あたしもいまは帰宅部だからね。うちにいても、これといってやることがない」
「もどればいいじゃん、バレー部に」
「やだ、あんな鬼顧問のとこ。卓ちゃんは知らないからそうやって言うんだよ、さらっとー」
「けどけど、走るのはいまも速いんだろ? 去年のリレーのアンカー、正直、俺見とれてた」
「そうなの?」
「ビリだったのを、みるみる抜いて一着だもん。そらほわーッとなるわな」
「へへ。なんていうか、取り柄っていうか、逃げ足疾いのよ」
「ウソつけー。その脚で、なんべん蹴りこまれたか知んねー」
本当いうと、体育の時間……おまえのブルマから覗けてるもんがあって何人かの男が『中川がはみパン』ってどよめいたとき、俺は拳を握ってたぞ。すかさず自分から教えてやれなかったってことが、俺はなによりくやしかった。
「暴力はいけなかったよねぇ。あ、ねえねぇ、二人三脚したよね。あみだできまって」
「ま、相方が福留クンってことで、戦果はふるわなかったな」
真友が、足をとめた。
「『タラヨウ』だって……」
真友は植えこみのしげみの中の、金属の説明板に目を落とす。
「郵便局のシンボルツリーです。葉の裏に……先のとがったもので字を書くと……」
「ふん? 字を書くとその跡が黒く残るので、古代インドで手紙や文章を書くのに用いたタラジュ? の葉になぞらえてその名が……ふーん、面白いな」
「『はがきの木』かー。花がいっぱいついてる。地味にかわいい」
と真友は、黄色っぽい花のその樹木にスマホを向けた。
俺は枝に手をのばした。「これか。なんかツルツルした葉っぱだな」
根元からちぎって取った一枚を渡す。
真友は「ねえ、このまんま直に願いごと書けば、緑の短冊だね」と木を見やった。
「ははは、書ききれねーし。あ、試し書きあるよここ」
『幼なじみ』っていえばそうなんだろう。でも、近所を駆けずってたやつらは、年がバラバラだってみんな幼なじみだ。
中学にあがると、とたんに俺らは外で遊ばなくなった。男は男、女は女でグループで固まることが多くなった。
真友も学校だと俺を名字にくんづけで呼ぶことが増えて、俺はめっきり女子を下の名前で呼ばなくなってた。
最寄り駅へ帰着した。俺は改札出たところのフリーペーパーを引き抜く。
駅前の景色が、なんだかひと回り小さい。
「こういう日に一枚でも宝くじ買ったら、どかんと当たるかもしれないなァ」
売り場を眺めながら言ってると、真友が俺の背中をトトンとつついた。
「ねぇ、『休憩 ¥5,100―』だって。入る?」
「おのれきさまァー」
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