太助 ( 2/5 )

 あれだけ一緒にいたつもりで、俺は濃厚接触者ですらなかった。


 一日での家族葬と聞き、生きてた真友の最後の姿に会うには、家の人にともなって安置室に行くしかなかった。


 中川のおじさんと約束したセレモニーホールの駐車場まで、急ぐでもなくひとりチャリを走らせた。

 ひと月くらい前にも、このホールの前を真友とふたりで通った。こんな用事で中に入ることがあるとは、思ってもいやしない。


「五月病か? やつれちゃってまー」


 おじさんにそう言われた。


「え。そ、そかな」


 ヒジで鼻頭を覆う。なんの修練だ、って思いは地平線下に、だれひとり『やつれ』たとまで言わない。


「真友のほうが全然そのまんまだぞオ。俺と同じでな」


 おじさん、俺は悶々としてただけで。苦しんでない。死んで、ない。


「納めてる袋が顔の部分だけでも透明で、よかったっちゃよかったよ」


 袋……


「俺たちでさえ最期まで会えなかったんだ、全身すっぽりなんて勘弁してくれって、なあ」


 病棟の受付で門前払いだった子もいるらしい。

 同窓会の幹事会が有志によるお香典を集め、俺は会計の菊地きくちのところにだけ直接出かけて、よろしく言ってきてたのだった。


 皆嘘だって思ってるよ。


 二週間。細かくは、十三日間会わなかった真友。


 おまえは自分で気にしてた、しかめ眉ですらない。


 おじさんが用足しに行ったのをいいことに、口にしてみた。


「なんでそんな顔してんの」


 いい夢でも見てたか、ん? くすぐるかしたら――

「ごめん。思わず言っちゃったよ。なんならこの蓋」


 破壊して 実行したいけど。


 廊下の足音が近づいてきて、ノックはなしにドアがあく。ホールの人ではなく、もどってきたおじさんのほうだ。



「卓坊は学校挟んで反対側なんだろ、いま」


 おじさんの声が、壁に反射した。


「伯母夫婦のところに」

「お母さんからも聞いたよ。新年早々、ちょうどわれわれが法事で家空けてたときだったんだってな、家出をしたの」


 息を呑んで、うなずく。


「わざわざありがとう」

「こちらこそ、ありがとうございました」


「せっかく高校も一緒になったのに、残念だ。おりいって、卓ちゃん、ここだけで話す」


「はい」


「真友には、赤ちゃんがいた」


 柩を見た。が、体をとっさに向き直せなかった。


「らしい。うちのやつが、書きつけやら、日記に残してあるのを見つけてね。様子がちがうのは気づいてたが、それで納得したと」

「おじさん」


 なぜ僕に話しているの


「相手がだれなのかは、つきとめられない」


 相手の男……


「ただ、書いてあることから察するに、五ヶ月目に入ってた……なんて聞かされたって、君にはピンとこないな? 俺はそういうのあんまり知らない」


 その子の父親……


「ごめんよ。行こうか。卓ちゃん――行こう」


 バレてる……と思った。


 俺は、中川のおじさんに言わなかった。


 自分をかばうためなのか、おじさん、おばさんをこれ以上傷つけないようにするためなのか、それはわからない。


    ୦


 ただリュックに着替えやら詰めこんだだけの、俺は準備の悪い男だった。


 『結ばれた』って述べれば簡潔だし美しいだろう。

 だが、俺主観ではそっちのほうがえげつないんだ。彼女の体の内側の襞が俺のをつかまえたのは、このとききりだった。敷くためのバスタオルを取ってきて、ついでに電気を落とした真友は、ある意味準備のいい……女だった。



 呼び鈴を押したとき、出てきた真友はリボンタイと第一ボタンをはずし、ひじの下まで腕をまくっていた。カーディガンは着ていない。


「なあに……重たそうなのしょってー」


 俺は真友の胸もとを指差した。


「おまえ、なんか色っぽいぞ。物騒じゃないかよ」


 季節はずれの陽気では……まぁ、あった。


「帰ってきたばっかだもん、塾から。ベッシーに草あげてたの。入んな入んな」

「ほんとにあがるよ?」


 妙な念の押しかたをした。


「うん。お腹すいてる? うどんならすぐだよ」


 リビングの続きの空間で、うさぎが生牧草を食んでいる。俺もここでうどんをいただいた。


「おかか風味。ンま」


 この時間に、ふたりだけの屋根の下。

 真友はみかんともう一人前のうどんを持ってくると、俺の向かいへ九〇度移した座椅子で一緒に食べはじめた。

 ニマニマと俺を見る。


「じょうずに食べるね」

「なんなんー」


 からかってるみたいじゃあないけど、それこのあいだ、年あけ前にも言った。

 スープを飲み干した。

 ここから北西微西方向に移動距離で七分ほど行った地点での、事情を話す。


「マスクを買うんだったら、小遣いを渡さないとよ。正常な生活できないじゃん……おいら、限界も限界灘」

「まじに、どうしようと思ってるの」


「近場の親戚に相談してみる」


「うちじゃだめかな。卓ちゃん」


「おじさんたちいないし、疲れて帰ってくるだろ? それに……身内の恥さらしだ」


「ねえ」


 擦り膝で寄ってきた真友が、俺のおでこを猫のように頭突いた。


「あたしたち、受験ですべったら、別れわかれになっちゃうね」

「すべりどめが有効なの、ふたりとも落ちたときだけ……だったりするか。ははは」


 真友は食い入るような目になった。


「俺だけ落ちたら、迷わず第一志望行けよな」

「やめてよ」


「まーゆ、いままでは義務教育だった、てぇだけじゃんよ。な」


 顔に手をのばす。


「もともと背伸びはしてないんだ、まだ合否もきまっちょらん……」


 唇を触れ合わせた。


「入るとこがちがったって、俺、補うんだから。な」

「卓――ひゃ……っ」


 フェチだかなんだか知らんけど、俺は真友の膝裏を、特に立ち姿勢なときに撫でるのが好きで。このときの真友は、反射的に俺の肩につかまった。


 俺たちに、沈黙に耐えられないってことはもともとなかったよな。勉強中とかでなくても、何十分間でも無言でいられる。ひどくいまは話し足りないのを感じているけど。


「もうすこししたら、親戚にショートメッセージ入れるよ」

「卓ちゃん。いますぐよそぅ」


「ま? 真友ー……」

 泣いてやしないよな。普通でいてくれ。


「おいて……かないで。ねえ」


 ケージの中のうさぎだけが近くにいた。うさぎって動物はかなり近眼らしい。空は飛ばないほうが無難だ。


「おいてくんじゃないよ、俺は勝手にここに寄って、あげてもらって」

「外寒い」


 真友のこめかみの髪をそっとかきあげた。俺の全身は小刻みに、本当に震えてた。


 そうだな――寒いな。


 ここでこうしていなければどこで震えてたんだかな。

「うさぎ見してもらって、うどんごちになって」


「卓史」


 たくさん頬擦りをした。




 頭を冷やしてたら深夜になったって口実にした。


 イトコのサトちゃんが、伯母さんや俺たちの隣区に住んでいる。まず理ちゃんに連絡をつけた、あの朝だった。



 合格発表もすんだころ、ひさしぶりな真友の部屋で接吻を超えるセックス未満のことをしたが、そういうのは……そういうのも、そこでとどまったきりになった。



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