第13話 事件

 ジョゼフィーヌはゼクターの町の有力者に積極的に顔を見せて回る。

 それぐらいは地方都市に赴任した貴族の子弟なら珍しいことではなかった。

 違ったのは屋外劇場に一般市民を集めての公演である。

 各地を武者修行する若き騎士が、悪しき怪物と戦い生贄にされそうになっていた美姫を救いだす筋立てであった。

 地方を巡業する二流どころの劇団によるものだったが、娯楽に飢えている庶民は熱狂する。

 キタイとの戦時中に、と非難する声もなくは無かったが、背後で支える市民の慰撫も必要との正論でジョゼフィーヌは押し切った。

 全額私費で実施しているので、それ以上は文句のつけようもない。

 あからさまな人気取りではあったが、市民の評判は良かった。

 そして、ジョゼフィーヌがルドゼー主教を訪問する日を迎える。

 時間がかかったのは事務市長も忙しい仕事の合間をぬってでも同行したいと主張したからだった。

 主教の説得に関しては役に立てることはないが、ジョゼフィーヌの人となりを紹介するぐらいのことはできる腹積もりである。

 事務市長はルドゼー司教とはかなり親しいつもりでいた。

 自画自賛には全く心を動かさないだろうが、第三者の自分であれば多少は良い印象を与えられるかもしれないと思っている。

 ただルドゼー主教は頭が良い人にありがちだが、他人の評価は信用しない面があった。

 普段の友誼がどれほどの効果があるかは試してみなければ分からない。

 市長が忙しかったのはゼクターの町の西方の村で起きている事件の調査に追われていたからだった。

 夜間に子ヤギが居なくなったり、不審火が出たりということが頻発している。

 村人が交代で見回りをすると何も起きず、手が足らず見回りができない日にあざ笑うかのように事件が発生した。

 キタイの息がかかったものの暗躍ではないかとの流言飛語も流れている。


 信徒が遠巻きにする中、ジョゼフィーヌは教会の入口でルドゼー司教の出迎えを受けた。

 事件はそのときに起きる。

 教会で雑用をしている大男がいきなり薪割りに使用している斧を手にジョゼフィーヌに襲い掛かってきた。

 書記として同行していたニールが間に割って入り腕で刃を受ける。

 血しぶきがあがり腕を斬り落とされたかに見えたが、斧は皮膚を傷つけたものの骨で止まっていた。

 大男の鳩尾には銅色の権標の先端が叩き込まれている。

 ぱっと大男の腕の下に潜り込み動きを止めたのは十騎長のエイダだった。

 権標を握ったエイダが素っ頓狂な声を上げる。

「うへえ。ゲロがかかっちゃったよ」

 間抜けな発言が皆の呪縛を解き、あわあわと動き始めた。

 大男はジョゼフィーヌの部下たちに拘束され、ニールは傷の手当てを受け、エイダは顔と手を洗い服を拭く。

 司教館に腰を落ち着けた事務市長を介しての紹介が終わり、ジョゼフィーヌに対してルドゼー司教は丁寧に詫びた。

「教会の者があのような不始末をしでかし、大変申し訳ありません」

「いえ、本件に関しては司教殿も被害者でしょうし、私は気にしておりません。ニールの手当てもしていただきましてありがとうございます」

 にこやかに返事をするジョゼフィーヌに対してルドゼー司教は黙って頭を下げる。

 疑問を呈したのは事務市長だった。

「私が首を突っ込むことではありませんが、どういうことなのです。お二人だけで納得されていて、私だけ話が見えないのですが」

 広い額の下の左眉を上げてルドゼー司教が事務市長の顔を見る。

「おや、実務能力に長け、知能も優れている君でも分からないか。まあ、そういう世界に生きていないと縁遠く想像も難しいのだろう。簡単なことさ。私には長官殿を害する理由が無いし、もしあったならもっと上手くやっている。動機と能力の二点において私は黒幕として相応しくないと長官殿は判断されたのさ」

「私がそのように考えること見越して、悪戯をされた可能性はゼロではないですけど、私を御存じない方がそのような危険を冒すとも思えないですしね」

 二人は笑みをかわした。

 お互いに自分と同水準の会話が成り立つ相手を得たことに心地よさを覚えている。

 ルドゼー司教が切り出した。

「あの下男ですが、いつ頃解放していただけるでしょうか?」

「遅くとも明後日には」

 開放する前提で話が進んでいることに事務市長は混乱する。

「仮にも長官を襲った実行犯ですぞ。処罰は免れ得ないと思いますが」

 ジョゼフィーヌは小首を傾げた。

「あの下男が事件を起こしたときですが、目が虚ろでした。あれはある種のキノコ、マジックマッシュルームと呼ばれるものを食べさせられて暗示をかけられたときによくある症状です。責任を問うても仕方ないでしょう」

「ああ。あの食べるとふわふわと気分が良くなって前後不覚になるというキノコですか?」

「そう。何度も布告を出して所持を禁止しているけど、なかなか成果は上げていないようね。もうちょっと北の冷涼な気候じゃないと育たないはずなのだけど、誰かが持ち込んだようね」

「長官殿は、そんなことにも詳しいとは」

 ジョゼフィーヌは肩をすくめる。

「戦いあるところ、マジックマッシュルームありってね。戦場に身を置く恐怖から逃れるために兵士が使うことがあります。以前、辺境伯領に持ち込んだ傭兵が居て、根絶するのにリージモン伯も苦労していましたから」

 事務市長は表情を改めた。

「ゼクターにそのようなものを持ち込んだのが誰か至急調べさせます。そうすれば、あの大男にキノコを与えた者にたどり着けるかもしれません」

 もしジョゼフィーヌが大怪我をしていれば、治安維持も担っている事務市長はその責任を問われることになったはずだ。

 まだ見ぬ不届き者に敵愾心を燃やす。

 ルドゼー司教も事務市長を励ました。

「私からもよろしく頼むよ。教会の下働きの者を実行犯に仕立てるとは、これはバルバド聖教会に対する挑戦と同じことだからね。私も信者に話をして捜査に協力させようじゃないか」

 事務市長が慌ただしく出て行くと、ジョゼフィーヌはルドゼー司教に向き直り容を改める。

「これからお互いに忙しくなりそうですわね。今日はご挨拶だけのつもりでしたが、一つお願い事をしてもよろしいでしょうか?」

「王都の大司教に就任してくれという話かな。今日の事件に関して負い目はあるが、それとこれとは話が違う。長官殿の頼みと言えどもお受けできませんな」

 ジョゼフィーヌは笑みを浮かべた。

「私も実際にお会いして、司教殿は大司教の地位にふさわしいと考えています。再考いただけませんか?」

「最初にこの話を長官殿にお持ちいただけていたのなら、話は違ったのかもしれません。しかし、残念ですが話がこのようになった後ではそう簡単にはまいりません。国王陛下の叙任権を否定してしまいましたのでね」

「それは困りましたわね」

「まったくですな」

 ルドゼー司教は大笑する。

 まったく困った様子はなく、挑むような目でジョゼフィーヌの顔を窺った。


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