第12話 ゼクター市長
王都ジュルーシーからゼクターの町へは馬車で七日ほどの道のりである。
ジョゼフィーヌとしては距離の稼げる騎行で構わないのだが、長官として赴任するとなればそうもいかない。
立派な馬車に乗せられて、それならばと部下のニール相手に口述筆記させていた。ニールは揺れる馬車でも綺麗な字が書けるという特技を持っている。
「戦場への塩の供給量を絞るように伝えて」
「キタイへの供給分ですね」
「いいえ。両方よ。塩分が減ると人は元気がなくなるわ」
「ジョゼフィーヌ様が押さえている以外のルートから供給される分がありますがよろしいのですか?」
「別に干し上げるつもりはないから。一般兵への配給が少なくなれば十分よ。厭戦気分がみなぎればいいの」
「後ほど手配します」
ジョゼフィーヌは馬車の背もたれに深く身を預け、無意識に左手で右手の指輪に触れた。
他にも考えなければならないことはいくらでもある。
まずはリージモン領の軍備強化だ。食料の備蓄を増やさなければならないし、矢も今ある量など戦が始まればすぐに底を突く。
食料はもうすぐ小麦の収穫期を迎えるからいいとして、矢をどうするか?
購入するとなると矢は高かった。
百本の代金で平均的な家族四人が一か月暮らせる。
ジョゼフィーヌは目をつむり様々な数字と格闘した。
城塞都市スコティアもサントロワ城もその性格上、自前で矢を生産する設備がある。まだ半年以上の時間的余裕はあるはずだ。やはり完成品を購入するのではなく、原材料を手配して増産に当たらせよう。
それから、ジョゼフィーヌはキタイ領の西方に盤踞する遊牧民族に想いをはせた。
族長に就任してから急速に力をつけたアザート。やはり、この男が鍵を握っている。
スコティアの地を抑えることができたことで、アザートの本拠地への道が開けていた。アザートを味方に付けることまでは無理でも中立の立場を取らせることができれば、リージモン領への圧力はぐっと減る。
リラダンは上手く少年を送り届けてくれただろうか?
まずはキタイ軍内部での間隙を広げて……。
ジョゼフィーヌは頭を振った。
将来の展望を予想するには不確定要素が多すぎることから思考するのをやめる。情報が足りない中考えても時間を空費するだけだ。
少なくともリラダンが帰還して報告を受けてからにしよう。
ニールに声をかける。
「ゼクターの町の事務市長へは手紙を送ってくれたわね?」
「はい。ジョゼフィーヌ様の到着前にはお手元に届くようにしてあります」
通常時にゼクターの町の行政を司っている事務市長は実務を行う役人のトップであった。
形式上、その上に坐することになるジョゼフィーヌとしては、下手に感情を刺激しないように事前に懐柔する書面を送っている。
箔をつけるために王都から派遣されてくる若い貴族を上に戴くのには慣れているだろうが、それだけに鬱屈した気持ちを抱いているかもしれなかった。
屋敷から外にほとんど出ない深窓の令嬢と違って、直接間接に平民と接する機会があるジョゼフィーヌはその辺りの機微をよく知っている。
自分がもっと身分の高い家に生まれていればという負の感情を心の奥底に抱いている者がいることは肌身にしみていた。
王族や貴族ならばこそ讒言で命を落とすこともある。高位の者には高位の者なりに悩みや葛藤があるのだが、それを平民相手に主張するような無駄なことはしない。
多少気の利いた貴族ならば、事務市長に高価な贈り物を送るところだが、ジョゼフィーヌは彼女らしい方法を取る。
事務市長の実績を列挙し、その手腕を褒めたたえるとともに、経験の足りぬ若輩者として近くで学ばせて欲しいと書き送っていた。
十二人委員会委員への就任に当たって実務経験を積むためと称してどこかに派遣されるのはジョゼフィーヌの想定内である。
いくつか予想している都市の中でゼクターは有力候補だった。
ジョゼフィーヌは商売の拠点をゼクターにも設けており配下も配置してある。その者から事務市長が手柄として誇っている事績の報告を受けていた。
本人が評価されたいことと他人が評価することに乖離が生じることはある。
他人から見えないところで汗をかいた仕事を褒められるのは嬉しいものだ。
その本人が望むところを称える書簡に事務市長は大いに気をよくする。
さらに添えてあった贈り物にも細やかな神経を使ってあった。
事務市長の息子への誕生日の贈り物との名目で、脚に車輪のついた騎士の玩具を送っている。オルブライトをモデルにしたもので金獅子の旗を手にしていた。
スコティア攻略の報が知れ渡っている今、男の子にはうってつけのものだった。
目玉が飛び出すほどの高価な贈答品でもなく、子供が喜びそうなもの。
父親としての面目を施せるし、金の力にものを言わせた感じも薄い。なにより、家族にまで関心を持ってくれているということは事務市長を感動させた。
それでも、周囲に気が利く部下がいるだけで、どんな高慢ちきな令嬢がやってくるかと身構えていれば、実際に会ってみると本人は気さくで華やかな美人である。
「頼りにしていますわ」
そんな言葉をかけられて、事務市長とジョゼフィーヌの対面はごく穏やかな雰囲気で終始した。
さらには、奥さまへと甘い菓子の手土産まで渡される。
息子と妻からの評価が急上昇すれば事務市長のジョゼフィーヌへの評価が悪くなろうはずがなかった。
そうなれば何かしら恩を返したくなるのは人情というものである。
翌日、長官室を訪れた事務市長は忠告をした。
「長官閣下は当地のルドゼー司教どのを訪問されるおつもりですか?」
「そうね。二三日のうちには訪ねるつもりでした」
「王都の大司教へ転任を断っているという話は当然御存じでいらっしゃいますね?」
「ええ。もちろん」
「あー、ルドゼー司教どのは少し偏屈なところがありますが、住民にはとても慕われています。あまり重い罰を下されますと、長官閣下に対して良からぬ感情を抱く者が……」
「あら。私を恨んで害そうということかしら?」
事務市長は両手を広げて振る。
「いえ、決してそのような不逞なことはせぬと信じておりますが、血の気の多い者というのは困ったものでして」
「特に信仰が絡むとなると厄介なものね」
「仰せのとおりです。この地におけるバルバド聖教会の信者は元々はそれほど多くはありませんでした。ルドゼー司教が就任されてからというもの、個人的に司教を尊敬する者の入信が続いています。今ではかなりの信者を獲得してまして」
「そう。ルドゼー殿がゼクターに留まるのを望む者も多いのね。覚えておくわ。でも、これは政治よ。王の叙任権を否定することは認められないわ」
忠告には感謝しつつもジョゼフィーヌはきっぱりと言い切った。
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