第11話 対陣

 ジョゼフィーヌが王都の屋敷に落ち着いた頃、リラダンはスワロウテール要塞に到着している。

 スワロウテール要塞はセルジュー王国の北辺に存在する急峻な山脈の間にある。

 この谷間以外の部分は山並みが続き大軍は行軍できないし、さらにその西側は呪いの森と呼ばれる場所が、人間の侵入を拒んでいる。

 呪いの森には魔物が出ると言われていた。

 時おり誰もいないはずなのに山火事が起きることもあり、火を吐く魔物が居るのではないかと恐れられている。

 実際に多数の行方不明者を出していた。

 リラダンと少年はゆっくりと門へ近づいていく。要塞には様々な土木工事を施してあった。

 比較的備えの薄いセルジュー王国側ですら高い石積みの城壁が見る者の心を押しつぶさんばかりにそびえ立っている。

 リラダンはオルブライト発給の通行証明書を示して門を通り抜けた。

 要塞内の雰囲気は明るくない。

 聞けば北方の平原での会戦で味方が大きな被害を受けたとのことだった。

 ガイダル侯爵は直率してきた中央軍の他に要塞守備兵を引き抜いて参戦させたため、僚友の中にも死者、負傷者、行方不明者が出ていると聞く。

「リラダン殿が加わっていればこんなことは無かったのでしょうが」

 そういう兵士はお世辞で言っているわけでは無さそうだった。

 神箭の名と顔は広く知れ渡っており、若い兵士たちの目には憧れが含まれている。

「あちらの子供は?」

 連れている子供を見て不思議そうな顔をした。

「ああ。俺の従卒だ。辺境伯領も人手が足りなくてな。物見に行くのに一人前はやれんと見習いを押し付けられたよ。リージモン辺境伯はスコティアを攻略されたのでな」

 衝撃的な吉報は兵士たちに熱狂を巻き起こし、子供への疑念を忘れさせる。

 これでキタイからの圧力が和らぐという戦略的な視点を持つ者は少なくとも、ただ単に戦勝というだけで、気分が浮き立った。

「国王陛下万歳!」

「セルジュー王国に栄光あれ!」

 熱狂が伝播していく中をリラダンは進み、緩い坂を登りきると視界が開ける。

 先ほど通ったような高い城壁とその向こうの原野を見下ろすことができた。

 リラダンはゆっくりと道を下っていく。

 その間、少年はフードを目深に被って下を見ていた。

 事前に顔を見られると誰か知っている人間が居て捕まるかもしれないと言い含められている。

 実際はスワロウテール要塞の備えを知られないようにとの配慮だった。

 子供だが利発そうではあるし、意味が分からず見ているだけのものも尋問する者次第では重要な情報を与えかねない。

 リラダン自身は少々念の入れすぎと思わなくもないが、ジョゼフィーヌから注意されていれば疎かにはしないのだった。

 キタイ側の門の通過は面倒かと構えていたが、戦勝の報とリラダンの武名のお陰か、意外とあっさりと許可される。

 谷は少しずつ広くなり、その先に野戦陣地が構築されていた。

 ここから少し北にある川までが王国領である。

 領内に侵攻された形で両軍は対峙していた。

 陣地にもスコティア攻略の知らせは先に届いており、リラダンは熱狂の中を迎えられる。

 ガイダル侯や首脳部はともかく、下級の兵からすれば味方の勝利は純粋に喜ばしい。

 首脳部もやっかみや焦りがあったとしても表に出すことは控えていた。

 要塞駐留軍の指揮官を務める友人ボールスの陣を訪ねて客となったリラダンは長旅の疲れを癒すことにする。

 夜には途中で買い求めた酒をボールスと酌み交わした。

 ボールスは豪放磊落な性質で、あけっぴろげに戦況を評する。

「ま、今まで押されていたが、お前さんのところの大将のお陰でなんとかなりそうだ。キタイの連中もスコティアが落ちたとなれば、迂回して後方を突かれる恐れがあるからな」

「さすがにそれだけの余裕はリージモン辺境伯にもない。それと言っておくが俺の主君はジョゼフィーヌ様だ」

「長駆侵攻される恐れがあるというだけで浮足立つだろうよ」

 ボールスは大きな笑みを浮かべた。

「それで……ジョゼフィーヌ様というのは別嬪か?」

「おい。その言い方はよせ」

「なんだよ。客観的事実を聞いているだけだぞ」

「聞いてどうする?」

「別嬪なら鞍替えしてもいいかなと思っただけだ。ここにいてもうだつが上がらないし、かといって中央軍はエリート意識が鼻につくしな」

「なら、容貌は関係ないだろう。我が主は素晴らしい方だぞ」

「言われんでもそんなことは分かる。お前さんが辺境伯から乗り換えようってんだからな。ただまあ、俺には夢がある。美女を守って瀕死の重傷を負うんだ。美女の涙に溺れそうになりながら、あの世に旅立つんだ。いい死にざまだろ?」

 リラダンは呆れた顔で友人の顔を見る。

 ボールスは陶然としていたが目蓋を開いた。

「で、どうだ?」

「俺は仕える主の容色をどうこう言いたくない」

「かあ~。相変わらずクソ真面目な奴だな。まあ、いいや。今度一目見せろ。遠くからでいい」

「約束はできんが王都の屋敷を訪ねて来い。遠目でよければ会わせてやる。間違ってもジョゼフィーヌ様に無礼な口をきくなよ」

 二人の話題が変わり昔話を始める。

 その様子を窺っていた兵士が宵闇の中に消えた。

 翌日、早朝に陣触れがあり、全軍の八割が陣地の前に隊列を敷く。

 スコティアでの戦勝の報を聞いたガイダル侯がキタイ側が動揺しているはずの今こそと決戦を挑んでのことだった。

 深紅の戦闘旗を中軍に掲げ、隊列を組んでキタイの陣地へと進んでいく。

 その様子を見送ったリラダンは軍団から離れたところをゆっくりと馬を走らす。

 昨夜のうちにキタイ側の布陣はボールスから聞き出していた。

 味方の左翼のさらに外側をゆっくりと騎行する。

 セルジュー王国軍が近づいてもキタイ軍は陣地から出てこなかった。

 陣地を巡っての戦いとなると防御側が有利となる。

 野戦に応じないとなればにらみ合いをするしか無かった。

 キタイ軍の右翼後方に控えるアザートの陣に近づいていったリラダンは弓に矢をつがえると引き絞る。

 陣頭に翻る緑地に赤い竜の図案の旗を上げ下げし止めてある紐を狙って放った。

 普通なら届くはずのない距離を飛んだ矢は見事に紐を切り、旗はするすると落ちていく。

 しばらくその場に留まっていたリラダンだったが、反応がないと肩をすくめて引き返し始めた。

 その直前、馬の左側にしがみついていた少年がそっと地面に降り立ったのに誰も気づかない。

 日暮れが近づくとセルジュー王国軍は陣地に引き返した。

 大胆な示威行為はリラダンの武名をさらに上げる。

 同時に士気が増々高まった。

 夕闇が迫る中、灌木の間を縫ってアザートの陣に近づく影がある。

 その影はそっと開けられた木戸の間から陣の中へと吸い込まれていった。


 

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