第5話 御曹司

 スコティアでオルブライトが虜囚の解放を宣言している頃、セルジュー王国の王都ジュルーシーは常と変わらない殷賑さを見せている。

 ガイダル侯が精兵一万と共に北方のスワロウゲート要塞に出陣していたが、王都の住民はそれほど危機感を抱いていなかった。

 スワロウゲート要塞は堅固であるし、ガイダル候も人格はともかく用兵には熟練している。

 キタイとは昨年来ギクシャクとして小競り合いが続いているが、いずれも寄せ手が被害を出して撤退していた。

 今回は規模が大きいとはいえ、セルジュー王国は防御する側である。

 いずれはキタイが撤退することになるだろうと高をくくっていた。

 永遠の都ジュールシーの繁栄はいつまでも続くと信じて疑っていない。

 庶民がそう考えるのも無理は無かった。

 総指揮官として出征しているガイダル候の息子のシモンとゼクトの二人は、国王から直接諮問を受ける十二人委員会のメンバーある。

 しかし、会議のない日はいつも遊び歩いていたし、重要な議題のない日は会議を欠席することもしばしばだった。

 その兄弟も決して仲が良いわけではない。

 ガイダル家の勢威に対する挑戦と見做せば声を揃えて反撃するが、そうでないときは自分をより偉大に見せようと競っていた。

 本日は長男のシモンは城外に狩りに出かけている。

 日没まで鹿狩りやその後の宴会を楽しみ、ほろ酔い加減で町に戻ってきた。

 そこでひと悶着が起きる。

 戦時ということもありジュールシーの城門も夜間の通行は事前の届出が必要だったが、シモンの一行はそんな面倒なことはしていない。

 むしろ余人が守らねばならぬことでも自分たちは特別扱いをされるべきだと考えていた。

 城門守衛の隊長は役目と有力者相手の対応の狭間で精一杯の努力をし、部下に城門を開けるように指示しながら苦言を呈する。

「今回はお通り頂いて構いませんが、次回からは事前の届出を……」

 しかし、その反応は職務に忠実であろうとする姿勢が報われないものだった。

 シモンの部下が居丈高に怒鳴りつける。

「貴様。誰に向かってものを言っている。まさか、こちらにおわす方をどなたか分からぬわけでは無かろう」

「はっ。しかし、夜間通行の監視強化は国王陛下直々のご命令であります」

 露払いの先導者は無言で手にした銅色の権標をさかしまに持ち替えて柄を振り下ろした。

 権標は先端に小さな斧のついた木の棒であり、有力者の身分を象徴する。

 表面は位に応じて塗装されていた。

 隊長は顔を殴られて口の端から血を流す。

 怒りがこみあげたが両手を固く握りしめて耐えた。

 家では三人の子供と妻が待っている。

 何事も無かったかのように笑いさざめきながら通り過ぎる一行の背を見送ることしかできなかった。

 足止めを食らっていた数人が一緒に通り抜けようとするのを制止し門を閉めさせる。

 ぶつくさと文句をいいながら城門脇の小屋に向かう者たちは侮蔑の表情を浮かべていた。

 これからむさくるしい小屋で一晩過ごさなければならないので無理もない。

 俺をそんな目で見るな。

 怒鳴りつけたくなる気持ちをぐっとこらえ、隊長は城門の向うに消えたシモンへ冷たい怒りの視線を向けるのだった。

 シモンが城門でトラブルを起こしているころ、弟にあたるゼクトは取り巻きを連れて観劇から帰ろうとしている。

 売り出し中の若い女優の肩を抱き、馬車に連れ込もうとした。

 必死になって身をよじる娘の耳に口を寄せる。

「いくらいい男の前だからといって、そんなにつれなくすることはないだろう」

 ふっと酒臭い息を吐きかけながら、空いた手で前髪をかきあげた。

 確かに歴代美貌の女性を妻としてしてきたガイダル家の血筋だけあって目鼻立ち自体は整っている。

 しかし、連夜の酒宴と乱れた生活により、肌は荒れ少々肉がつきすぎであった。

 兄のシモンは弟のいないところでは、太っちょと呼んでいる。

 ちなみにゼクトは兄を陰で、鼻曲がりと言っていた。狩りの際の落馬が原因でわずかに鼻が歪んでいるのを陰であざ笑っている。

 実に仲の良い兄弟だった。

 娘は化粧で肌荒れを隠したゼクトに対して必死に説く。

「私など身分卑しきものがお側に侍るなど恐れおおうございます」

 なんとか肩にかかった手を外して劇場内に逃げようとした娘の前をゼクトの部下が阻んだ。

「もう舞台に立てなくなってもいいのかな?」

 決して大きくないはないがねっとりと耳朶に絡みつく声は娘を呆然とさせる。

 大貴族の意に反すればどうなるかを知らないわけではない。

 また端役に逆戻りか、下手をすると首を言い渡されるかもしれなかった。

 ようやく台詞のある役をもらえるようになってきて、これからという時に将来の道が閉ざされかねないというのはあまりに惜しい。

 だが、故郷の期待を一身に背負って出てきた娘には残してきた想い人がいる。

 逡巡する娘にゼクトの部下は囁き声を送り込んだ。

「なに。若様のお屋敷で少し歌と踊りを披露するだけだ」

 さらに今回の講演で準主役を務めた女優の名を告げる。

「どうして急に抜擢されたか分かるかい?」

 娘の脳裏に煌びやかな衣装を着て舞台の中央に立つ自分の姿が浮かんだ。

「さあ、さあ。若様をお待たせするものじゃないよ」

 ついに甘言に乗りそうになってしまう。

 だが、すんでのところでゼクトの評判を思い出した。

「失礼します」

 部下の脇をすり抜けると、スカートの裾をつまみ必死になって階段を駆け上り、娘は劇場の中に消える。

「ふむ。下賤の者は人を見る目がない」

 ゼクトはフンと鼻から息を吐くと馬車に乗り込んだ。

 部下たちはそれぞれステップに足をかけたり、別の馬車に乗り込んだりする。

 ゼクトは短く馴染の娼館の名を告げた。 

 娼館で歓迎されたゼクトは機嫌を直す。

 飲食をしながら左右に侍る女たちの肩を抱き馬鹿笑いをしていた。

 妓女を指名し部屋を移動する際に、部下を一人招き寄せ耳元に囁く。

「今すぐ伝えてこい」

 部下は貧乏くじを引いたことを呪いながら表面上は恭しく命を受けた。

 ゼクトが別室に消えるとにやにや笑いを浮かべた他の部下たちは、命令を受けた男をからかった。

「お気の毒にな。俺たちが楽しんでいる間に使い走りとは」

「ちぇ。馬鹿な娘だぜ。ゼクト様の誘いを断らなければ。くそっ」

「そう言うなって。いつかはおこぼれに預かれるだろうさ」

 相手を見繕いはじめる僚友たちに羨望の視線を向ける。

 仕方なく娼館を出て、劇場へと向かうのだった。 

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