第4話 寛容
ジョゼフィーヌが父親と議論をしている書斎から少し離れた広間では多くの人が打ちひしがれて座り込んでいる。
武装解除されて広間に集められていたスコティアの有力者とキタイの士官たちは、部屋の左右に別れてそろぞれグループを作っていた。
特にキタイの士官たちの落胆が大きい。
本国からスコティアを守るために派遣されていたはずなのに、気が付けばほとんど抵抗らしい抵抗をしめすこともできずにリージモンの軍門に下っていた。
スコティアの城頭に備えている自慢の防衛兵器も火を噴くことなく終わっている。
何度もセルジュー王国軍を撃退した兵器も城内に侵入した敵には使いようが無かった。
まるでいいところが無く敗れたのは二線級の軍団だが、それでもキタイの正規兵である。日頃我が物顔で町を闊歩していただけにスコティアの有力者の視線が痛かった。
時おり、監視しているリージモン家の兵士たちの方に密やかな視線を向ける。
これから自分たちを待ち受ける運命が気になって仕方ない。
今のところは兵士たちは規律正しく警備をしており、上官の目を盗んで勝手に金品を奪ったり、有力者一族の若い女性を別室に拉致していくようなことは無かった。
しかし、安心することはできない。
支配者となったオルブライトが勝者の権利を行使するまでのしばしの猶予を与えられているにすぎないと俘虜の立場の人々は考えていた。
噂に聞く人柄からすれば、身代金を払えば生命と身体は保障されるかもしれない。
ただ、スコティアの町の人々は他所に財産を持つ者は少なかった。
不意に広間の扉が開け放たれる。
人々の視線が向かった先には大柄な勇将と眼光鋭い初老の武人、そして場違いに若い女性の姿があった。
監視をしていた兵士たちが一斉に姿勢を正したことから、直接その顔を知らないものにも勇将がリージモン辺境伯オルブライトと知れる。
自分たちの運命の鍵を握る人物が何を言い出すのか、広間の人々は固唾を飲んで見守った。
人々の予想に反して若い娘が前に進み出ると一人の名を読ぶ。
ざわざわと見渡していた視線はやがて一人の少年の顔に突き刺さる。
まだ十歳にもならない幼い男の子は今にも泣きだしそうな顔をして立ち尽くしていた。
もう一度名を呼ばれると意を決したように前へと進み出る。
すぐ近くにいた男が歓心を買うつもりなのか、親切のつもりなのかは不明だが、男の子を跪かせた。
虜囚たちが驚くことに若い女性は自らもしゃがみ込む。
その発言はさらに皆を困惑させた。
「ねえ。家に帰りたい?」
少年は驚きながらも素直に頷く。
「私の頼みを聞いてくれるなら解放してあげるし、安全なところまで送り届けてあげるわ。どうする?」
「な、なにをすればいいのですか?」
「それは向こうでお話ししましょう。ついていらっしゃい」
さっさと立ち上がると扉に向かう。恭しく戸を開ける兵士に頷くと振り返って少年に向かって笑みを浮かべた。
少年はその笑顔に魅了される。
この先にどのような未来が待ち受けているか分からないが、この優しそうなお姉さんの手を取ることが最善と感じられた。
弾けるように立ち上がると若い女性に従って広間の外に出て行く。
残された人々には嫌な予感がした。
あの女性が何者で、わざわざあの少年一人を選び出したのかの理由は分からない。ただ、リージモン辺境伯はその行動を了承していた。
寵姫の気まぐれに一人だけを許し、残りには過酷な運命が待ち受けているのではないかと身を固くする。
過酷な労役や身体への辱めを思いうかべ、うめき声やすすり泣きの声が上がった。
それを制するようにリージモン伯爵がよく通る声で告げる。
「町の住民には全員即時帰宅を許す」
信じられない言葉に一様にポカンと口を開けていた。
「何かを奪われたり、危害を加えられたというものは申し出るがいい。調べて犯人は処分する」
自分たちの幸運が信じられず、何かの罠ではないかと疑って住民たちは相変わらず黙ったままでいる。
オルブライトは唇の端を釣り上げた。
「緊張のあまり一時的に耳が聞こえなくなったのかね?」
扉を開け放つように命じて道を開けるとオルブライトは腕を広げて促す。
一人の男が恐る恐るその前に進み出た。安堵したところを面白半分にいきなり斬り捨てられるのではないかとびくびくしていたが、無事に広間の外へと通り過ぎて出て行く。
それを見て一人また一人と立ち上がった。
どうやら夢ではないらしいと気が付くと喜びの声を上げながら住民たちは出て行く。
オルブライトは残った十名ほどのキタイの士官たちに向き直った。
「諸君らは無条件で解放するわけにはいかない。身代金の算段ができる者は申し出たまえ。届き次第解放しよう」
一行の指揮官やその部下は安堵の表情を浮かべる。
金で解放されるなら安いものだ。
オルブライトは部下を招き寄せると階級ごとの金額と期日を示し、各人に割り当てるとともにそれまで抑留することを命じた。
部屋を出ると町の広場へと向かう。
そこでは武将解除されて監視されているキタイの一般兵たちが居た。
急襲制圧された指揮官に投降するように命ぜられたため、五百ほど駐留していた兵士の九割以上が生き残って拘束されている。
数倍のリージモン軍と戦い全滅せずに済んだことは喜ばしかったが、未来については楽観視できなかった。
一般兵の給与は安く熟練工の稼ぎの七掛けほどしかない。
当然身代金を払えるはずもなかった。
その場合は鎖につながれて鉱山あたりで死ぬまでこき使われるのが通常の運命である。
親兄弟や妻子の顔を二度と見ることができない。
絶望感が全身を苛んだ。
石畳を睨む兵士たちに即席の演説台に乗ったオルブライトの言葉の続きが響く。
「諸君らは数回に分けて解放だ。先に解放した集団がたてる砂塵がスコティアから見えなくなれば次の集団が出発することとする。もし、再び我が配下が発見した場合はもう投降は認めないからそのつもりで。道中の身を守るための小剣は五人に一振りの割合で返還する。以上だ」
鎧や兜、盾に武器などは放棄しなければならないにしても、ほぼ無条件での解放に兵士たちは沸き立つ。
余興の為に味方同士で死ぬまで殴り合いをさせられたり、過酷な労役を課されることなく解き放たれるのは破格の厚情だった。
中には両膝を地面についてオルブライトを伏し拝む者も出る。
「戦士諸君。戦の勝敗は時の運だ。この境遇を恥じることはない。できればもう二度と戦場で相まみえることがないことを祈っているが、ままならないのが人生だ。その時まで壮健なれ」
オルブライトの堂々たる態度と言葉は兵士たちに強烈な印象を残す。
帰国した五百名近くの口が広げる勇将の華麗な用兵と寛大な処置は、その後キタイの国内を経てセルジュー王国内にも瞬く間に広がったのだった。
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