第6話 別れの朝

 一晩休んだジョゼフィーヌは父親と朝食を共にする。

 戦後処理に忙しくほとんど寝ていないオルブライトであったが、その相貌に疲れは微塵も見せていない。

「サントロワの城に騎兵百を戻す。足手まといにはならんから一緒に行け」

 本拠地サントロワ城をほぼガラ空きにしてスコティア攻略に投入したため、三分の一の兵力は戻す予定だった。

 歩兵を伴っては王都ジュールシーへの到着が遅くなると拒絶されるため、騎兵だけでもという提案である。

 旺盛な食欲で料理を平らげていたジョゼフィーヌは唇を尖らせた。

「私の部下だけでもなんとかなるのですが。むしろ目立たない方がいいと思いますけど」

「宮廷に出仕するとなれば、ジュルーシーの屋敷にいる二百名の統括もお前の仕事だ。今のうちから慣れる練習と思えばいいだろう。部下の人数が多くなって手に負えなくなると組織の力は激減するぞ」

「一応今でもそれぐらいの人数は使っていますよ。父上。各地に派遣して情報収集をさせていますが」

 オルブライトは驚く。

「そんなに多くか。最近は金の無心もないが、給金はどうしている?」

「普段は商業活動に従事させて、そこから利潤を上げて給金も払っています。今回キタイが大量動員をかける前に食料も集積しようとしたのでだいぶ儲けさせてもらいました」

 紅茶に蜂蜜をたっぷりと入れ一口飲むと、澄ました顔でジョゼフィーヌは告げた。

「やはり産地が違うと蜂蜜の味が違いますね。サントロワで採取した方が香りが良い気がします」

 オルブライトが話の続きを促した。

「それで?」

「まあ、賄賂を贈ったり、横流し品を購入するのも費用はかかりますが、一応全体としては利益を上げています」

「では、ここを奇襲する際に使ったキタイの軍旗や軍装、指令書用紙は本物なのか⁈」

「もちろんです。戦時で警戒しているのに偽造品なんか使ったら露見する危険性が高くなります」

 スコティアが簡単に陥落したのは、キタイ軍に扮したリージモンの精鋭五十名を緊急の軍使と偽って司令部に入り込ませることに成功したからだった。

 城壁を挟んで対峙したら数倍の兵力をもってしても攻略はできないし、下手をすれば防衛兵器によって壊滅的な損害を受けたはずだ。

 個人としては正々堂々とした戦いを好むオルブライトではあるが、集団を率いる立場でもあり知略をもって勝利を得ることを否定はしない。

 だが、武を尊しとする辺境伯領では多くの者は個人的な強さを尊敬する。

 ジョゼフィーヌの才を認めながらもオルブライトが自領に留めず好きにさせているのは、親心でもあり、正確にその才能の限界を見極めているとも言えた。

 それでも今回の戦果は華々しい。

 オルブライトとしては手元に留めて自分の帷幕にあって補佐させることも考えてしまう。

 ただ、ジョゼフィーヌが昨夜説いたことも理解できた。

 セルジュー王国で国王と功臣一族で争えば内戦となる。その機にキタイが侵攻してくれば王国はひとたまりもない。

 なんとか内戦になる前に片方を除かなくてはならなかった。

 陛下の宮廷に出仕し信頼を築いて、内乱になる前にガイダル侯爵家を膺懲する。

 ジョゼフィーヌの策は忠節を旨とするオルブライトの気質にも合っていた。仮に王国の安定のためという名目があったとしても陛下を弑逆するという案であれば決して賛成はしていない。場合によっては自らの娘といえども断罪しなければならないだろう。

 そういう意味ではジョゼフィーヌの分析は双方にとって幸福だった。

 もちろんジョゼフィーヌは父親へ逆の提案をした際の反応ぐらいは予測済みだ。とはいえ、陛下が最終的には勝利するという分析にその要素は入っていない。

 純粋にアルフォンス四世が有利と考えていた。

 昨夜のうちに父親にその理由を告げている。

「ガイダル家は陛下を市井に育ち物事を知らぬと侮っています。その逆に陛下はガイダル家を容易ならぬ強敵と認識されておられる様子。恐れながら陛下が英邁かどうかは未知数ですが、対するガイダル家の大半ははっきり言って暗愚です。当主のラウールは愚かではありませんが判断力に欠けるのに対し、少なくとも陛下は果断です。戦いは激動の連続。ダイナミックな決断を下せるほうが勝利を収めるでしょう」

 オルブライトは無邪気に料理を楽しむ娘と凛とした分析を示す娘の落差に戸惑いを覚えた。

 しかし、もうすぐ賽は振られる。

 手元を離れた矢は一人で飛び続けるしかない。見事ガイダル侯爵の胸を射貫くか、切り払われて地面に落ちるかはジョゼフィーヌの器量次第だった。

 そして、それは王国に暮らす多くの人々の生死に直結しかねない。

 オルブライトは思わず声を出してしまった。

「私に何かできることはないかね?」

「もちろん、ありますわ。西方辺境伯の名を燦然と輝かしキタイの目をくぎ付けにしてくださいませ。その間は計を練ることができます」

 オルブライトは笑い出す。

「城塞都市スコティア攻略は父への贈り物かと思っていたが、それすらもお前の計画の一部にすぎぬのか。よかろう。お前の兄と共にキタイを引き付けてやる」

「父上。申し訳ありません。囮にするような真似をして」

「気にするな。大敵を前に奮戦するは武人の本懐よ。それにお前の目指す未来は本質的に多くの人を救う。むしろ我が浅慮を恥じねばならぬところだ」

 朝食を終えると副官のエイギールがやって来た。

「お嬢様の部下の方々、帰還する騎兵の準備は整っております」

 親子は別れの抱擁を交わす。

 このような湿っぽい姿は余人には見せられない。

 外に出ると馬上の人となった娘にオルブライトは激励の言葉をかけた。

「ジョゼフィーヌ。行け。そなたの果たすべき役割があるところへ」

 それに対してにこりと笑みを返すと、ジョゼフィーヌは先導の騎兵に従って馬を走らせる。

 当人たちはまだ知る由も無いが、これがオルブライトがジョゼフィーヌと呼びかけた最後の日となった。

 その日の午後、町の長老三名が司令部を訪れる。この町一番の美貌の娘を伴っていた。

 寛大な処置に感謝した長老が娘を説き伏せて夜伽に差し出しにきたという事情を聞いてオルブライトは破顔する。

「折角の申し出だが気持ちだけ受け取っておこう」

 断られて長老はうろたえた。

「何故ですか?」

「これから忙しくなるからな。美人に現を抜かす暇なぞないだろう。それにな」

 オルブライトは内心でこの展開を読み釘を刺していった娘に驚きつつ、心持ち声を潜める。

「婚約者のいる若い女性を召し上げたと知られたらな、我が娘が一生口をきいてくれなくなりそうだ。父親の身としてはそれが一番辛い」

 許嫁の下に無事に返した話はすぐに町中に広まり、オルブライトの声望は増々高まることとなった。

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