第8話 兄と妹

 ジュールシーにたどり着いたジョゼフィーヌはまずリージモン家の屋敷に身を落ち着ける。

 幼い頃に暮らしていたことがあるので勝手は良く知っていた。

 女中頭をしているマーサが出迎える。

「お嬢様。なんと美しくおなりになって」

 幼い頃のお転婆ぶりを思い出し、変貌ぶりに感涙を浮かべた。

 オルブライトが放任主義なことをいいことに、当時のジョゼフィーヌは同年配の子供を引き連れて町中を駆け回っている。

 ちなみにオルブライト自身も若い頃は身分を隠して隣国ゼルクードで傭兵暮らしをしているのであまり他人のことは言えない。

 突拍子もないことをするという意味ではよく似た親子だった。

 ジョゼフィーヌは旅装を解き湯あみをして身を清めるとあまり仰々しくないドレスに着替える。

 家宰から自分宛ての封書の束を受け取ると直属の八人の部下と共に書斎を占拠して目を通し始めた。

 スコティアに赴く前に各地の部下に今後はジュールシーへと手紙を送るように命じてある。

 公に送れる者はこの屋敷を、そうでない者は表向きは各地の薬草を扱っている商家を宛先としていた。

 セルジュー王国とキタイの戦況を知らせる手紙は貪るように目を通す。王国にはあまり芳しくない戦況だった。

「ラウールは功を焦ったみたいね。スワロウゲート要塞に籠っていればいいのに、わざわざ打って出て一千ほどの死傷者を出したようよ」

 迎撃の総指揮をかって出たガイダル侯爵は会戦に応じて少なからぬ兵を失ったと書いてある。

「まさか総崩れになったのですか?」

「被害は出したけれど踏みとどまったみたい。痩せても枯れてもガイダル家をまとめる当主よ。そこまで脆くはないわ。まあ、キタイも将軍が複数いて連携がうまくいっていないようね」

 そんな話をしていると部屋の外が騒がしくなった。

 オーク材の重厚な扉が開いて、上背のある男が入ってくる。ジョゼフィーヌと同じ金髪を短く刈った眉目秀麗な三十歳ほどの武人がテーブルの上に散らばる手紙の束から妹へと視線を移す。

「ジョゼフィーヌ。こんなところで何をしているんだ?」

「お兄様。ご挨拶ね。ここは私の家でもあるのよ」

 キャメロンはやれやれという表情をした。ジョゼフィーヌの部下たちに向いて部屋を出るように命ずる。

「待って。彼らは私の部下よ」

 制止したジョゼフィーヌは改めて部下たちに席を外すように依頼した。

 片眉を上げたがキャメロンは文句を言わず、他の者が出て行くのを待ってから口を開く。

「一応、父上からこの屋敷を預かっているのは私のはずだがね」

「昨日まではね。今日からは私がここの主よ」

 驚く兄にジョゼフィーヌは状況を説明をした。

「そうか。父上はついに目障りだったスコティアを陥落させたのか。さすがは父上だ。それで手が足りないから私に戻れというのだな」

「ここにお兄様あての手紙を預かっています」

「そうか。後で目を通そう。しかし、お前が私の代わりに宮廷に出仕するのは難しいかもしれないぞ」

「それは私が女だから?」

「いや、若いからだ。お前はまだ貴族会議に出席する年齢にも足りていない。ましてや国政に直接携わる十二人委員会への出席は原則三十歳以上からだ」

「ガイダル家の御曹司二人も私とそう年齢は変わらないはずですけど」

 それを聞いたキャメロンは渋い顔をする。

「そう、それだ。あの二人は規則を破るのは自分たちだけの特権だと思っている。他人が同等の処置を受けるのは喜ばないだろう」

「判断するのは陛下ですわ。それこそ兄上の代わりにガイダル家の息のかかった貴族が十二人委員会の席を占めるのは喜ばないと思いますけど。それに辺境伯である父の代理なのですから本人の資格は問題にならないはずです。あの二人とは事情が異なります」

 ガイダル家は当主のラウールの他に息子のシモンとゼクトの二人も委員会に送り込んでいた。もちろん自分たちの勢威を示すためである。

 思案顔をするキャメロンにジョゼフィーヌはさりげなく追撃を行った。

「スワロウゲートの北方で損害を出したラウールは自分の頭の上の蠅を追うので手一杯のはず。私がお兄様の後を襲うのに表立って反対はしないでしょう。父上の戦果を知ればなおさらね」

「おい。待て。なんでお前がそれを知っている。俺だってつい先ほど聞いたばかりだぞ」

 驚きながらもキャメロンの視線はテーブルの上に散らばった手紙に向かう。

「情報収集は兵法の基本ですわよ」

 澄ました顔で告げる妹に対してキャメロンは容儀を改めた。

「これは忠告だ。お前の才は認めるが、宮廷では無闇にひけらかさない方がいい。小娘と侮る相手が自分の知らないことを知っていると分かったら、尊敬するよりも恐れの方が先立つだろう。それはやがて憎悪へと変わる。ここはそういう場所なのだ」

 ジョゼフィーヌは兄の言葉を噛みしめる。陰謀渦巻く宮廷で過ごしてきた者の言葉にはそうさせるだけの重みがあった。

「確かにお兄様のいうとおりですね。憎悪と侮りのどちらを受けた方がいいかは難しいところですが、言動には気を付けることにします。ただ、才能の片鱗は注意深くではあっても示さなくてはなりません。私は陛下の信頼を勝ち得なければなりませんから」

「そんなことをしなくても我が家の辺境伯としての忠節は十分に理解されていると思うが」

 ジョゼフィーヌは兄の耳に口を寄せる。

「それだけでは足りません。この国に跋扈する権臣を除く剣たりえることを納得してもらい、断を下して頂く必要があります」

 大胆な発言にキャメロンは目を見開いた。

「それは……、確かに彼らの専横は目に余る。とはいえ……」

 戦場では豪胆なキャメロンも言葉を濁らせる。

 ジョセフィーヌは兄の腕に手を添えた。

「ガイダル家がこのまま臣下の地位に留まることはないでしょう。今や封土は王家の直轄領の二倍に及び、元帥杖を得て中央軍も指揮下に置いています。一方で奢侈に慣れ傲岸不遜、望みは止まることを知りません。いずれ至尊の地位まで欲するでしょう。ただ王家に忠節を誓う家もあります。となれば内戦は必至」

 国を二つに分けた内戦を回避するにはガイダル家を処断する必要があると父親に語ったことと同様の説明をする。

「今は非常のときです。放っておけば堤が切れて向こうから我が家にも濁流が押し寄せてきます。ならば対岸に先に穴を開けるべきです」

「多くの人が苦しむことになるぞ」

「動かなければ、もっと多くの人に惨劇が起きます。……いえ、正直に言いましょう。私の判断にエゴが含まれるのは否定しません。でも、私は私の大切な人をまず守る責任があります。全てを救えるなら救いましょう。しかし、それは夢物語です。それに、私はこの激動の時代に産まれて無為に死ぬのに耐えられません。そう考えるのは間違っているでしょうか?」

 まっすぐ射貫くような視線にキャメロンは俄に答えを出すことができなかった。

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