第130話『九死に得た一生』

 ■はひたらすに叫び続けた。身体中が痛くてしかたなかった。

 ■は何もかもを食い散らかした。腹が減って減って死にそうだった。

 ■は暴威の限りを尽くして暴れ回った。視界のものすべてが煩わしかった。


 ずいぶんと前にこんな経験をした気がする。真っ白な部屋に閉じ込められ、羨望の眼差しで外を見つめ、身体の奥底から湧く痛みに悶え苦しんだ。


 あの時の■はすべてを壊したかった。でもあの時の■には力がなかった。今は自分の手と足でどこまでも進むことができる。行く手を阻むモノは全部破壊できる。ここまで開放的な気分になったのはいつ以来だろうか、■は歓喜に打ち震えた。


「■■■■■■■■!!!!」


 立ちふさがる大樹を鷲掴みし、太い幹を潰して吞み込んだ。目の前をウロチョロする生き物に狙いを定め、無数の触手で捕まえ身体を喰い千切った。口に喉に腹へと血の味が通って幸福感が感じられた。だがそこで邪魔が入った。


「――――クーくん!! いい加減に、目を覚ましなさい!!」


 何者かが視界の端を飛び、■に向かって殴り掛かってきた。触手で叩き落とそうとするが、何者かの動きはとてもすばしっこかった。


(…………猫か? にゃあにゃあうるさいな)


 仕方ないので相手してやった。身体からツタを何十本も生やし、先端部に細く尖らせた宝石の毛を生え揃えさせ、猫じゃらしみたいに振るった。

 猫は■の猫じゃらしに目を向け、無我夢中に遊んだ。必死に跳び回って腕を振り、時折悲鳴にも似た喜びの声を上げた。■も楽しくなってきた。


「がっ、あぐっ!? こんな、ものぉ!!」


 猫の爪で猫じゃらしが切断された。でもまだまだ数があった。

 数を倍に増やしてやると、猫の鳴き声がさっきより大きくなった。


「クーくん!! エルフの国の匂いが近づいているわ! これ以上は本当にダメよ!! せめて止まりなさい! お願いだから止まってよ!!」

「■■■■■■■■???」

「あたしを仲間にするんでしょ!!? 素敵な未来を見せてくれるんでしょ!! だったら、そんなものに負けちゃだめじゃないの!!!」

「■■■■■■■■!??」


 猫じゃらしを避け、猫が急接近してきた。■は両手で抱きしめようとし、手を大きく大きく大きく大きく変化させた。猫の身体はすっぽり手中に収まり、中がじんわり温かくなった。■は撫で潰すように力を込めて体温を堪能した。


「…………クーくん、お願い……お願いよ……」


 一瞬聞き覚えのある声がし、手の力を緩めた。瞬間チクリとした痛みが走り、握り込んだ手が血しぶきを上げて裂けた。猫は大暴れして■の手から逃れ、夢中になって遊んでいた猫じゃらしには目もくれず走った。


「……あーあ、これがあたしがしてきたことへの罰なのかしらね」

「■■■■?」

「何人も殺して自分だけ未来を夢見るなんて、虫の良い話だもんね」


 猫の目には涙が浮かんでいた。とても辛そうな顔をしていた。猫は腹を殴られても止まらず、片腕を失っても諦めず、誰かの名を呼んで飛び掛かってくる。顔の近くに迫られたので怖くなり、魔物の口を複数生やして四肢に噛み付いた。


「…………きゃっ!? あっ、は、ははは…………」


 猫は血まみれになった身体を動かし、笑った。肌に突き立った牙など意に介さず、■に向かって手を伸ばした。そして優しい声で言った。


「……こんな格好悪いところ……誰にも見せちゃダメよ。あなたは、世界を救う英雄になるんだから……。最初の一歩で、躓いちゃダメ……」

「■■■■■???」

「……もしかしてあたしの名前を忘れちゃった? 本当に……仕方が……ないわね。じゃあ……特別に…………もう一度だけ教えてあげるわ」


 ボロボロの手を握りしめ、猫は慈しみの表情を険しくさせた。そして力の限り拳を引き絞り、■の顔面目掛けて容赦のない拳を打ち込んできた。


「覚えておきなさい、あたしの名は――――」

 頬に鈍い痛みが走り、『俺』の視界は真っ白になった。



 …………目を覚ますと、俺は横たわった状態で倒れていた。

 視界の先に見えるのは薄い雲の先に見える星空だ。とても綺麗で、いつかのように流れ星が瞬いた。それを掴もうと手を伸ばし、腹の辺りが重いことに気が付いた。何故か俺の上にはカイメラが横たわって乗っていた。


 何故こんな状況になったのか分からなかった。声を掛けてもカイメラは反応を示さなかった。俺は身体を起こし、信じられない光景を目にした。


「…………カイメラ、腹が」


 カイメラの腹には大きな穴ができていた。傷口からは血が溢れていて、手で抑えても止まらなかった。身体は驚くほど冷たく、所どころ傷だらけだった。


 いったい何が、と考えて思い出した。

 俺は仮面を着けた謎の男性に白いキメラの肉を埋め込まれ、自我を失って暴走した。カイメラは俺を止めるために戦い、こんな姿になった。取り返しのつかないことをしたと自責し、嗚咽を漏らした時のことだった。


「こーらっ、男の子がそんな簡単に泣かないの」


 カイメラは急に顔を上げ、頭頂部にチョップしてきた。

 瀕死の重傷なのに起き、困惑する俺の顔を見て微笑した。


「あのね? あたしたちはキメラよ。本体が無事なら死なないわ」

「……あ」

「ちゃんと記憶を取り戻したようね。一応聞いておくけど、あたしのことは覚えてる? 自分が何をして、ここがどこだか分かる?」


 カイメラの名を呼び、散々暴れ回ったことを口にした。それから周囲を見回し、自分のいる場所を把握しようとした。一帯は高い岸壁で囲まれ、真上には崩れた岩の天井が見える。もしや、という呟きに返事があった。


「えぇ、お察しの通りよ。ここはたぶんエルフの国って奴ね」

「じゃあ俺、あの岩盤の天井を突き破って落ちてきたのか?」

「えぇ、とんでもない力で地面を砕き掘っていたわよ。まぁでもエルフはすでに避難していたみたいで、崩落地点に血の匂いは無いわ」

「……そうか、それは良かった」


 最悪の事態を回避できたと知り、心から安堵した。

 カイメラに感謝を告げると、「貸し一つね」と言われた。


「…………いや、一つでいいのか?」

「今回は特別にサービスしてあげる」

「分かった。じゃあ甘えさせてもらう」


 立ち上がろうとすると、手に木の幹の感触があった。


「…………ここは、大樹の上か。族長にも後で謝らなきゃな」


 あれだけ生い茂っていた葉と枝は所どころ落石で折れ曲がっている。大通りも散々な有様で、家々も何軒か破壊されている。すべて俺の責任だ。


「エルフの国を救いに来たのに、結果的に俺が一番被害を出したな」

「責任は全部あのキモ仮面に押し付けましょ。クーくんは……っとと」


 カイメラも起き上がろうとするが、フラついた。対する俺はびっくりするほど調子を取り戻していた。恐らく白いキメラの肉で暴走したついでに、疲労や部位の損傷が回復したのだろう。魔力も万全の状態に戻っていた。


(これが白いキメラ、原初の魔物の力か)


 化け物になった感覚を思い返し、身震いした。さっさと下に降りようとすると、カイメラが空を見上げていた。視線の先には七色の光が煌めいていた。


「何だあれ、星じゃないよな」


 ふと脳裏に浮かぶ光景があった。

 それはタラノスでの出来事で、俺はあの輝きに苦しめられた。最初はよく似た別の何かかと思ったが、見れば見るほど同じ発光色だと理解した。


「……エルフの国の崩壊、キメラの襲撃、それに……」


 マルティアは勇者伝説の一文に『廃墟となったエルフの国で涙を流すコタロウ』があると言った。何故エルフの国の位置をコタロウが知ったのか、事前にキメラの襲撃を止められなかったのか、今まで理由が分からなかった。だが、


「……勇者コタロウの傍には、宰相のレイス・ローレイルがいる。レイスはキメラの組織と繋がっていて、エルフの国の位置を知ることができる」


 点と点が、パズルのピースとピースが繋がった気がした。

 もし『エルフの国を滅ぼしたのが勇者コタロウ』なら、すべての辻褄が合う。歴史書に詳細が載っていなかったのは、勇者がエルフを滅ぼした汚点を闇に葬るためだ。恐らくこの戦いすべてが、何者かの台本通りに進んでいたのだ。


「……カイメラたちは、最初から捨て石だった」


 答え合わせをするかのように、空に浮かぶ七色の光が強まった。

 俺は片腕を天に掲げ、魔力を最高最大にまで高めて叫んだ。


「――――青の勇者!! 俺に力を貸せ!!!」

 今、エルフの国を滅ぼす七色の狂星が落ちてくる。

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