第129話『遠吠えの残響』

 アルマーノ大森林の北の一角にて、獣の遠吠えが響き渡った。

 北で戦いを繰り広げていたエンリーテは、魚介のキメラベリウスが停止したのを見た。乱戦の最中に視線を南に向け、戦意喪失したかのように呆けた。急な事態に動転してスライムのキメラも止まり、一時的に戦闘が中断された。


「おい、何やってるじゃん! 早くこいつぶっ殺すじゃん!」

「……ダメ、ダメだ。ダメだよ、カイメラ」

「はぁ? あの女がどうし……」

「カイメラ、死ぬ、死んじゃう!! はやく、助けなきゃ!!」


 ベリウスは声を荒げ、一心不乱に這って動き出した。スライムのキメラは突然の事態に驚き、ベリウスを目で追った。その隙をエンリーテは逃さなかった。


「――――騎士失格だが、状況が状況だ。その隙、討たさせてもらう!」


 一瞬でスライムのキメラに接近し、飛ぶ斬撃で粘液の身体を半分に裂いた。片方の粘液は地面に落ち、もう片方の粘液は落下の途中で微かに揺れ動く。エンリーテは動きがある方の粘液に狙いを絞り、義手を前に突き出した。


「機構、解放」


 その言葉で作り物の手が前腕の下にスライドし、腕全体の装甲が縦に割れた。露出した基部の中には橙色の魔石が煌めき、エンリーテが魔力を込めると眩い光を放ち始めた。ひと呼吸の間で発射されたのは極太の光線だった。


「へ?」


 光線の直撃を受け、スライムのキメラの粘液が蒸発した。その後方にある木々は焼け焦げ、土の段差には大穴が空いた。球体の本体はギリギリで回避行動を取っており、再度変身しようとした。だがそんな暇は一片もなかった。


「捉えた」


 鋭く白刃を突き出し、スライムのキメラの命を絶つ。神速の刺突によって発生した風が止み、浮き上がった黒衣のマントがゆっくりと地面に落ちる。

 エンリーテは残心を終えて立ち上がり、変形した義手の形状を元に戻した。同時にバシュッと音が鳴り、肘付近から輝きを失った魔石が排出された。


「……基本的な発射機構はグレスト・グリーベンの主砲と同じか。この時代に三百年先の技術があるというのは、まぁ何とも恐ろしいものだな」


 剣を鞘に戻そうとするが、キメラの本体は串刺し状態となっていた。エンリーテは死骸を手に持ち、南の方角を眺めて物思いにふけった。



 同時刻、アルマーノ大森林の西では男の叫びが響いていた。

 地面に倒れ伏すのは虫のキメラシメールで、その体表は氷で覆われている。関節という関節が氷の鎖で固定され、暴れるほどに動きが制限されていった。


「くそがぁ!! 早くこれをどかしやがれ!!」


 激高するシメールを見下ろすのはイルンだ。その表情には疲れが見えるが、身体に怪我は無かった。一切の油断なくシメールの足止めを行っていた。


「……そんなに騒がないで下さい。今度は顔を氷で覆われたいんですか」

 

 挑発な的な発言をするが、それは自らを強く見せるためだ。拘束こそ成功させたが、イルンの実力ではシメールを倒しきれなかった。まだ余力も手札もあると、そう思わせて反撃の意思を削ぐ気でいた。だがシメールは意に介さなかった。


「それどころじゃねぇんだよ! 特別に見逃してやるからこれを外せ!!」

「…………いきなり焦り出しましたね。何かあったんですか?」

「うるせぇ、くそっ! このガキがっ! ふざけやがって!!」


 戦いの勝因となったのは氷の鎖……ではない。事実開戦当初はシメールが圧倒していた。水魔法の耐性がある魔物で攻撃を防ぎ、木々を破壊して退路を塞いでいった。戦況が大きく変化したのはイルンが『片目の眼帯を外した』時からだった。


「この『魔眼』があれば、クー師匠の傍で戦えます」


 イルンの片目は発光し、瞳には幾何学的な模様が浮かんでいた。

 魔眼とは目に術式を組み込み、視線一つで魔法の発動を可能とする技術だ。失明のリスクがあるので敬遠されているが、エルフの国の力を借りられるのならば話は別だ。失敗を恐れることなく自己の強化が可能だった。


(…………こっちの目は元々視力が下がっていましたから、万が一失明しても割り切れました。悩んで決断したかいはありましたね)


 付与した魔法は『視界に捉えた対象一体の時間を一瞬止める』というものだ。効果は本当に瞬きの間だが、戦闘時にはとても有効だ。相手の攻撃時に発動すれば回避までの余裕を得られる上、自分の攻撃の命中力を底上げできる。


(…………でももう、これ以上は戦えなさそうです)


 背後にあった木に背を預け、大きなため息をついた時のことだった。

 先ほど獣の遠吠えが聞こえた方角から、化け物の絶叫が響いてきた。


「――――■■■■■■■■!!?!??」


 警戒して身構えると、周辺の監視を行っていたアイが戻ってきた。その口から発せられたのは、謎の化け物がエルフの国に接近しているという情報だった。


「――報告します。もはや南の防衛線は崩壊とのことです。エルフの国の民は大空洞から退避し、我々のいる西へ避難中とグリーベル様から連絡がありました」

「南の防衛線が崩壊って、クー師匠はどうなったんですか?」

「――回答します。クー様はカイメラと戦闘後、消息が不明となったそうです。逃げてきたエルフの兵の話では、化け物と戦うカイメラが目撃されたそうです」

「…………化け物と戦う? なんでカイメラさんが?」


 その化け物こそがエルフの国を滅ぼす存在だ、そうイルンは考えた。だが敵の主力であるカイメラが戦っているとなると話が別だ。化け物はいったいどこから現れ、何故エルフの国へと向かっているのかと疑問を浮かべた。


「おい、今ので分かっただろ! オレはここで止まっているわけにはいかねぇんだ!! 早くカイメラを助けに行かなきゃならねぇんだよ!!」


 シメールはこれまで以上に暴れて氷を破壊した。もはやイルンとアイのことなど眼中になく、仲間を助けに行こうと必死にもがいていた。

 イルンは自分の役目と異様な状況について思案し、判断を決めた。

 まず暴れるシメールを封じ込め、次に自由に動けるアイにお願いした。


「勝手に持ち場を離れて他の人を危険に晒すことはできません。シメールはここで抑えますので、アイさんはエルフの国に向かって下さい」

「――了解です。全力で避難してきたエルフを誘導します」

「もしクー師匠に会えたら、できるだけ力を貸してあげて下さい」

「――了解です。アイは自分ができることをやってみせます」


 両手を膝前に置いて深く会釈し、アイは森の奥に消えていった。

 際限なく鳴り響くのは、化け物が発する恐ろしき咆哮だ。イルンは音の方角を見据え、胸中に湧く不安に耐え、自らの使命を全うすると誓った。


「…………クー師匠、信じています」

 外した眼帯を握りしめ、愛する人の無事を願った。

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