第128話『陽炎』※カイメラ視点
…………化け物に変貌するクーくんを、あたしは見ていた。
現れたのは無数の魔物の肉体を生やした肉塊で、身動きのたびに気味の悪い水音が鳴っている。元の姿の原型はなく、どこに顔があるのかすら分からない。散々同種を見てきたあたしですら恐怖を感じる風貌で、呆然と立ち尽くしてしまった。
「カイメラ、もう仕事は終わりました。そこのキメラは暴走を始め、一帯にいる生き物すべてを殺し尽くします。エルフの国はもう終わりです」
子どもを諭すような声だった。あたしは口を振るわせて言った。
「何言ってるのよ。あたしは用済みなんでしょ?」
「確かにこの役目はカイメラに任せるつもりでした……が、今は話が別です。この男がこうなった以上、あなたの拠り所は我々の下しかありません」
「……裏切りを見逃すってわけ。ずいぶんと心が広いわね」
「あなたも本心では分かっているはずです。一度こうなったキメラは元に戻りません。心無き暴食の肉塊となり、不吉と絶望を撒き散らします」
そんなことあるわけない。と、声を荒げて反論しようとした。
しかし『さっきまでクーくんだったモノ』が蠢き、奇声を発し始めた。魔物の牙が無数に生えたツタを振り回し、体表の至るところに眼球を浮き出させ、何本も腕を伸ばしてきた。あたしはとっさに回避し、近場の地面に転がった。
「クーくん!! あたしのことが分からないの!?」
「■■!!? ■■■■、■■■■■■■!!!」
「カイメラよ!! クーくんの仲間の……っ!!?」
返ってきたのは無慈悲な攻撃の連鎖だ。
肉塊の表面が縦に割れ、風に炎に雷に水の魔法が放たれる。反応が遅れたあたしを守ったのは仮面の男性……序列一位を務める『クライン』だった。
「カイメラ、あなたには使い道があります。このまま組織に戻るなら今回の失態は不問にします。記憶を取り戻せるように掛け合ってあげましょう」
「まぁ、あなたならそれぐらいはできるでしょうね。一応……本当に一応聞くんだけど、クーくんはどうなるの? 組織の方で回収してくれるの?」
「するわけないでしょう。この化け物はここで終わりです」
「…………そう、分かったわ」
あたしは髪をかき上げ、身体についた土を払った。次いで腕を組んで肩を伸ばし、首を数回鳴らして息を吸い、腹の奥底から声を捻り出して遠吠えした。
「――――――――!!!!」
この遠吠えは大切な後輩、シメールとベリウスに向けたものだ。組織の命令を無視してでもここから逃げろと、あたしはここで終わりだと伝えるための合図だ。
「……カイメラ、今のは何ですか」
「あら、馴れ馴れしく話かけないでちょうだい。あたしはもう組織を抜けたの。過去じゃなくて未来を目指す。そんな彼について行くことに決めたのよ」
「その男はいなくなったと説明しましたが」
「敵の言葉なんて信用に値しないわ。大人しく去るなら良し、邪魔するなら玉砕覚悟で戦うわ。あんたにこき使われるぐらいなら、ここで死んでやる!」
全身の毛を逆立てて威嚇し、明確な拒絶を示した。
クラインは無感情に立ち、仮面に片手を添えて首を横に振った。あたしに対する興味が失せたようにため息をし、自らが生み出した影に消えていった。
「残念です。本当に残念ですよ、カイメラ」
最後にそんな言葉が聞こえた。気配が消えると同時に響いてきたのは、周辺の大地を破壊し尽くす音だった。クーくんはあたしを無視し、エルフの国がある方向に移動していた。進路上の生き物はすべて捕食されていった。
「…………本能的に生き物を狙っているのね。そういえば一度だけ、似た景色を見たことがあったっけ。あれはあたしがキメラになった時だったかしら」
あたしを抱いて死んだ女性の後ろには、ズタズタに破壊された町並みがあった。誰も彼もが死に絶え、悲鳴の一つも聞こえない。温かさを残すのは壁や床に飛び散った血のりだけ、地獄の具現化とも言うべき凄惨さだった。
「きっとあの時のあたしは、暴虐の限りを尽くしたんでしょうね」
助けてと言った人を潰し、泣きわめく赤子を殺したはずだ。
「逃げれば良かったのに、何であたしを抱きしめたのかしら」
死に際の顔は優しかった。だからあたしは人でいることができた。
「…………じゃあ今度は、あたしがもらったモノを託す番よね」
世界を救うと言い切った彼に、同じ過ちは犯させたくなかった。
あたしは今、あの女性と同じ場所に立っている。命を賭けてクーくんに声を掛け続け、無理矢理にでも正気に戻させる。その過程で死ぬことがあったとしても、満足して死にきれる。とても有意義で素敵な生き様だと思えた。
「こんな様子じゃ。あたしが何をしたかクーくんは思い出せないでしょうね」
「■■■■?!! ■■■■■■!!??」
「仲間になるって言ったのに、薄情に逃げ出したって勘違いされちゃうかも」
「■■?!! ■■■■!?! ■■■■!!」
これが英雄譚の一幕になるなら、あたしの名は語られない。
世界を救う輝かしい英雄たちの中で、たったの一夜だけ存在した陽炎の英雄。人を殺す獣のキメラよりもずっと甘美な響きだ。改めてクーくんの手を取って良かった。あたしは確かにここにいて、世界を救う一端を担えるのだ。
「まっ、もちろん死ぬ気はないけどね。これはただの仮定のお話」
自分に言い聞かせ、準備運動代わりにトントンと地面を跳ねた。
「……クーくんたちって、集団の名前を決めたりしているのかしら。まぁ考えても分からないから、ここは適当につけてみましょうか」
余力を確かめ、全身に気合を込める。クーくんの攻撃はどれも脅威だが、あたしなら回避して接近できる。限界まで肉薄して目を覚ましてあげられる。
「――――救世の一党、獣のカイメラ。ここに参るにゃん」
大切な人を救うため、あたしは獅子奮迅に駆け出した。
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