第109話『心の整理』

 グリーベルが言う通り、一連の話は未来世界の崩壊に繋がるものだ。より真実を知るために他の話を聞こうとするが、ここでイルンが手を挙げた。


「……話を遮ってすいません。でも、少し休憩にしませんか?」


 イルンの顔には酷い疲れがあった。よくよく考えればタラノスでの逃走劇から水明の迷宮での戦闘、さらにアルマーノ大森林での遭難と窮地の連続だった。近くカイメラとの再戦が控えているため、早急な休息が必要だった。


『グリーベル、この屋敷に空いている部屋はあるのか?』


 そう聞くとグリーベルはハンドベルを取り出して鳴らした。間を置かず聞こえたは扉のノック音で、一体の自動人形が中に入ってきた。


「ヤヤ、二階の角部屋に空きがあっただろう。そこに案内してやれ」

「――了解です。ではこちらへ」


 その自動人形の名には覚えがあった。緑の勇者が模倣して作ったという自動人形の名がヤヤだったはずだ。心なしか見た目も酷似しているが、完成度は比べるまでもなかった。グリーベルの方が何段も上だった。


 俺たちはヤヤに連れられて空き部屋へ移動した。中の広さは地下ということもあって狭く、所どころに部品か何かが入った箱が置かれている。一応備え付けのベッドは綺麗だったが、休憩するのには難儀しそうな空間だ。


『えっと、ここがグリーベルが言った部屋で合ってるんだよな?』

「――肯定します。他の部屋はありません」

『……研究室があの有様ならこうもなるか』

「――肯定します。不手際を謝罪します」


 アイと違って返事は簡素簡潔で、機械と話す感じがあった。

 俺とイルンが中に入ると、ヤヤは踵を返して去っていった。


「……何というか、アイさんとは違う感じでしたね」

『イルンもそう思ったか。やっぱアイの方が制作時期が後なのかもな』

「色々と不思議ですよね。それにしてもどうやって人の感情を……あふ」

『今は休むのが先だな。ベッドはイルンが使うといい』


 横になるよう促すとイルンはベッド前に立った。そして紺色のローブを外し、革製のジャケットを脱ぎ、上着に手を付けたところで固まった。


「…………あの、クー師匠。できればその……外に出てくれませんか?」


 薄っすら頬を赤らめて言われ、ハッとなった。どうもこの形態だと人としての常識や認識が欠如するらしく、当たり前のことに思い至らなかった。


 慌てて部屋の外に出るとそこにはアイがいた。エンリーテ捜索を別の自動人形に頼んだ帰りとのことで、イルン用の寝巻を持ってきてくれていた。アイはイルンに声を掛けて寝巻を渡し、扉が閉まったところで俺に向き直った。


「――質問します。何故魔物相手なのに素肌を晒すことを嫌がるのですか?」

『まぁ今はこんな見た目だけど、ちょっと前までは人の姿だったんだ。だからイルンの反応は当然ってわけだ』

「――質問します。魔物は魔物で人は人、別の存在ではないのですか?」

『大事なのは心なんじゃないか? 互いに寄り添う心があれば魔物とだって話し合える、理解できる。俺にとってはアイも一人の人間だ』


 そう言うとアイは黙った。俺の発言を反芻して理解しようとしているのか、それとも別のことを考えているのか、真意はよく分からない。

 黙ったまま廊下で待機していると、イルンが扉を薄く開けて「どうぞ」と言った。俺は部屋に入ろうとし、一度アイの方へと振り返った。


『俺も今日は休む。案内してくれたヤヤにも感謝を伝えてくれ』

「――了解です。ではお休みなさい、クー様」

『あぁ、お休みなさいだ』


 アイは深く頭を下げ、扉を閉めるまでそこに立っていた。

 部屋の中に入ると白い寝巻を着たイルンがいた。俺が奥に行くとベッドの上に移動し、心細そうに枕をギュッと抱えて言った。


「クー師匠、寝る前に少しだけお話してもいいですか」

『構わないぞ。俺は……どこで聞こうか』

「ボクの隣でいいです。むしろ傍にいて下さい」


 言われるままベッドに弾み乗った。何も言わず待っていると、イルンは胸の内を話してくれた。あの場でグリーベルの話を遮った一番の理由は疲れじゃなく、語られた内容に恐怖を感じたからとのことだった。


「……レイスって人のこと、正直よく分かってなかったんです。でも白いキメラに原初の魔物、人の死を凄く身近に感じて、急に怖くなったんです」


 どれだけ優秀な魔法を使えようが、俺たちに付き添う根気があろうが、イルンは普通の女の子だ。もっと心の機微に気を遣ってやるべきだった。


『俺も少し焦り過ぎてた。ごめんな、イルン』

「……クー師匠は悪くないです。ボクが弱かっただけの話ですから」

『イルンは全然弱くないだろ。カイメラから助けてくれた時のアレ、本当に驚いたぞ。いつの間に使えるようになったんだ?』


 威力や放射の継続力は足りてなかったが、あの時撃ったのは確かに水レーザーだった。魔法陣の強化に魔力の出力調整、並々ならぬ努力あっての賜物だ。

 イルンはここ数日陰で行っていたトレーニングのこと、マルティアからの助言っを取り入れたこと、水レーザーの実戦使用が初だったことを話してくれた。


「……クー師匠たちの隣に並ぶには、もっと強くならなきゃダメなんです。誰も失わないように、後悔しないように頑張らなきゃいけないんです」


 焦りと恐怖に支配されたその顔は、少しだけ青の勇者に似ていた。

 俺はどう声を掛けるべきか逡巡し、湧き出た思いを口にしてみた。


『――――俺はどこにも行かない。ずっとここにいる。イルンが心配だって言うなら、安心できるまで声を掛けてやる。だから今日はゆっくり休め』


 人の姿じゃないせいで締まらなかったが、イルンは安堵してくれた。ベッドに寝そべらせるとまぶたが落ち、ものの数秒でウトウトし始めた。


「…………クー師匠、ボク……もっと頑張ります」

『あぁ、ちゃんと見てる。だから今はお休みなさいだ』

「…………はい、お休み……なさい……です」


 消え入る声で言い、イルンは完全な眠りについた。

 俺は守るべき寝顔を見つめ、今日の出来事を思い返した。


(…………一度も負けないって決めたのに負けた。カイメラじゃなきゃ俺はあそこで死んでいて、イルンすら危険に晒すところだった)


 魔力が無かったのは言い訳にならない。攻撃手段は微かにでも残っていたのだから、もっと戦術を練るべきだった。生きるためにあがくべきだったのだ。

 俺は無意識のうちに緩んでいた気を引き締め、声に出して心に誓った。


『――――例え誰かを殺すことになっても、俺は俺の仲間を守ってみせる』

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