第95話『逃走劇』

 顔を隠したコタロスの正体を弟子のココナも見破った。思い溢れる声で「騎士団長!」と名が呼ばれるが、騎士団長は仮面に手を添えて告げた。


「残念だが、わたしは騎士団長などではない」

「えっ?」

「ギウ?」

「――――わたしは亡国の騎士、『エンリーテ』だ。覚えておくといい」


 一瞬人違いかと思うが、目の前にいるのは騎士団長だ。何か素性を名乗れない事情があるのかと考え、『エンリーテ』の名で呼ぶことにした。


「なんでキメラを守ろうとするんです。あなたは人間でしょう」

 警戒しつつ問うコタロウに対し、騎士団……エンリーテが応えた。


「いやなに、彼は友人でね。見逃してくれると助かるのだが、どうかな?」

「見逃せるわけないでしょう! キメラは普通の魔物じゃない、滅すべき敵です!」

「交渉決裂か、では実力行使でこの場をしのぐとしよう」


 再度コタロウが切り掛かるが、エンリーテは軽い手さばきで斬撃をいなした。返しの刃でコタロウを退かせ、隙をついて背後へ回り込んだ。


「っ!!? どこへ行った!!」

「一回」

 エンリーテは剣を虚空に滑らし、コタロウの後頭部手前で刃を止めた。


「……このっ! こいつ、いつの間に!!」

「二回」

 反撃を紙一重で回避し、コタロウの胸の前に刃の先端を突きつけた。


「――なっ!? なんで、攻撃が当たらなっ」

「三回だ」

 斜め方向の斬撃を受け止めて弾き、柄の末端を顎に打ち込んだ。


 勇者の称号を持つ者が追い詰められる様を見て、民衆は恐れおののく。蜘蛛の子を散らして逃げていき、護衛の騎士たちが前に出てくる。

 ココナは剣を構えず走り出し、涙声でエンリーテに話しかけた。だがその接近はエンリーテ自身の斬撃で阻まれ、容易く地面に転がされた。


「言っている意味が分からないな。見ての通りわたしは素性不明の剣士だ」

「待って下さい! わたしはココナです。あなたの弟子の――――」

「ここでそれを言う意味を理解するがいい。再会を喜ぶ気持ちは分かるが、周囲の者にどう見られるか、一度冷静になるべきだ」


 エンリーテは涙目のココナに切り掛かった。感情がグチャグチャなココナは早々に体勢を崩され、重い膝蹴りでリーフェの傍に飛ばされた。


「君の使命は歌姫の護衛だろう。今度こそ役目を果たすといい」


 それだけ言い残し、エンリーテは球体の俺を小脇に抱えて走った。念話魔法を使って会話しようとするが、神剣の効力で魔法が使えなかった。


「ギウギウ、ギウガウギウ!」

「リーフェ嬢のことは諦めたまえ。今はこの場から逃げるのが先決だ」

「……ギウギウ、ガウギウ!」

「言っている意味が分からんな。だから一方的に話させてもらう。君がこの地に来るまでに集めた仲間は二人か? それ以上いるのか?」

「ギウ! ガウ!」

「そうか、二人か。ならばすぐ逃走に移れるな」


 エンリーテは屋根に跳び移り、狭い路地裏に降りて走り、水路を行く小舟を足場に跳び、細い塀を駆け抜けた。このまま逃げ切れそうだと安堵するが、そこら中から馬が疾走する地鳴り音が聞こえてきた。


「敵はキメラとその仲間だ!! 絶対に逃がすな!!」

「隊長! 東の居住区に目撃情報があります!」

「よぉし! 三班と四班は迂回、一班と二班は前進だ!!」


 追走してきたのはこの町の警備隊だ。いくら広い面積があってもタラノスは所詮孤島、逃げ切るのは難しい。見つかった状態では隠れてやり過ごすこともできず、どうするべきか悩んだ時だった。


「――――クー師匠! こっちです! こっちに来て下さい!」


 路地裏にフードを深く被ったイルンがいた。ギウガウ口調でエンリーテに呼びかけを行うと、イルンが仲間だと分かって進路を変えた。

 合流した先には井戸があり、そこに飛び込むように言われた。各所の井戸は地下に築かれた水明の迷宮に繋がっているとのことだった。


「マルティアさんは先に降りて逃走経路を探しています。お早く!」

「ではわたしはここまでだな。少しばかり時間稼ぎするとしよう」

「その、ダメです! 『命令』だから合流しろと言ってました!」

「……なるほど、命令か。では従わないわけにもいかぬな」


 エンリーテはやれやれと息をつき、俺とイルンを先に逃がした。直後追っ手の警備隊が追い付き、激しい戦闘の音がしばらく鳴り響いた。

 本当に合流できるのか不安になっていると、音が止んだタイミングでエンリーテが降りてきた。地上からは「一旦退くぞ」と声が聞こえた。


 ちゃぷちゃぷと迷宮内に溜まった水に揺られていると、眩い光に照らされた。通路から現れたのは散歩状態の金ポメを連れたマルティアだった。


「まったく、やんちゃなのは相変わらずですわね。騎士団長」

「今のわたしはエンリーテです。どうかそうお呼び下さい」

「エンリーテ? 懐かしい名ですわね。有名な亡国の騎士物語の主人公ですか」

「よくお気づきになられました。さすがの彗眼です」


 エンリーテは水から飛び出し、マルティアの前で恭しく片膝をついた。三百年もの時間差があってもエンリーテの忠誠心は本物のようだ。

 水から上がる頃には念話魔法も使えるようになるが、変身はできなかった。だがそれは『神剣を受けたアレスの肉体のみ』で、他の形態にはなれた。


『イルン、マルティア、悪い。俺のせいで迷惑を掛けた』

「見つけた相手が相手ですし仕方がありませんわ。それで一つ気になるのですが、リーフェはクーのことを覚えていましたか?」

『……いや、覚えていなかったな』

「思った通りですわね。幸いなのはわたくしとイルンが仲間とバレなかったことでしょう。冒険者組合内で行動を共にしなくて正解でした」


 敵と認識されてなければ交渉の余地はある。まだ最悪の状況ではなかった。

 地面に降りて井戸から差し込む光を見ていると、エンリーテが話しかけてきた。


「リーフェ嬢が心配かね?」

『……そう、ですね』

「今は無事を確かめられて良かったと思うといい。確実な一歩を掴めたのだから、感動の再会は次の機会に取っておくべきだ」


 欲を出すと何もかも失うと忠告された。まだ割り切れない思いがあったが、俺は井戸から目線を外した。まっすぐ前を見て弾んでいった。

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