第94話『黒衣の乱入者』

 頭の中が真っ白に染まった。身体を蝕む痛みなど忘れてしまった。


 響いてくる歌声に心が震えた。ずっとずっとその声に癒されていたから。


 近づくほどに涙が溢れそうになった。そこにいるのが誰か分かったからだ。


 冒険者組合前の大通りに飛び出し、壁のように築かれた人混みに割って入り、無心で先へ先へと進んでいく。見えてきたのは複数台の馬車で、周囲には護衛の騎士が十数人いる。車列の中央奥に『成長したリーフェ』がいた。


「――――――、――――――、――――――――」


 純白のドレスを身に纏い、馬引きの御者がいる位置に立って民衆に歌を届ける。誰もが声を発することを忘れ、感嘆の息をついて聞き入っている。


 一曲が歌い終わると同時、辺りは拍手喝采に包まれた。

 先導の騎士が何か宣誓するが、欠片も頭に入らなかった。


「なぁおい、あのべっぴんさんが噂の勇者様か?」

「違う違う。あれはイルブレス王国の勝利の女神、かの歌姫様だよ」

「帝国の軍勢を打ち払ったってアレか、どおりで……」


 徐々に徐々にと馬車が近づいてくる。リーフェは憂い気に人々を眺め、一瞬だけこちらを見た。だけど人型のままだったせいか気づかれなかった。


「――――――リーフェ!!!」


 俺は一心に声を張り上げ、人混みの先頭に身体を押し出した。

 リーフェは急に名を呼ばれて驚き、もう一度俺に目線を向けた。


「ずっと探してた。無事で本当に良かった、リーフェ」

「…………あなた、は?」

「クーだよ。リーフェの友達で使い魔の、キメラのクーだ」


 そう言ってさらに歩み寄った瞬間、ゾッと怖気が走った。まるで死が目の前に迫ってくるような感覚で、とっさに横へ跳んだ。

 突如リーフェが乗る馬車の中が光り、扉に斬撃が走った。そこから発射されたのは七色の光で、俺の右腕は一撃で切断された。


「がっ!!?」


 脳裏に浮かんだのはかつて体験した飛ぶ斬撃だ。攻撃の勢いは背後の人々すら切るほどだったが、何故か負傷したのは俺だけだった。

 切断面からは血の一滴もこぼれず、熱で焼かれた痛みが湧く。たまらず大通りの中心部へと移動すると、馬車の中からそいつが現れた。


「――――歌姫リーフェ、こいつはキメラです。下がって下さい」


 背に深紅のマントを装着し、白い鎧を陽光に輝かせる。髪色は転生前の世界を思い出させる黒髪で、可もなく不可もない顔立ちの人物だ。特に名乗りはなかったが、状況的に相手が勇者コタロウと察した。


 コタロウはリーフェを守って立ち、七色に輝く剣を構える。魔物の擬態を見破った審美眼を褒め称える人々の声を聞き、コタロウは悦に浸った顔をした。


「魔除けの魔石があるのにここまで来るのか。そこまで人が喰いたかったのか」

「……そんなこと、しねぇよ。……俺は、ただ」

「狙いは歌姫リーフェか、貴様ら人型のキメラは抹殺の命が下されている。下手なことをされて民が人質にされる前に、ここで切り伏せる」

「っ!?」


 コタロウは問答無用で切り掛かってきた。対処のために負傷した右腕を別の部位に変えようとするが、何度やっても変身が機能しなかった。


(くそっ! これがあの神野郎が贈った剣の力かよ!)


 場所が場所なので戦闘は避けるべきだが、このままでは死ぬだけだ。肩に二角銀狼の頭を生やして暴風を撃とうとするが、どの位置にも人がいた。自分が危険なキメラではないと説得を試みようにも、周囲の怒号が邪魔だった。


「――いいぞ! そこだ! 早くやっちまえ!」

「――やれ勇者!! 魔物なんか切り殺せ!!」

「――そいつは化け物だ!! 今だやれっ!!」


 再生阻害と魔除けの魔石の痛みとやかましさに思考がかき乱される。リーフェは戦いを止めようとしてくれるが、護衛の騎士が行く手を阻んだ。一時退散しようとワイバーンの翼を生やすが、判断は一手遅れだった。


「コタロウ、援護する。こいつはここで叩くぞ」


 馬車の方向から赤い影が飛び出し、尋常じゃない跳躍で俺を飛び超した。現れたのは成長したココナで、翼を狙い鋭い回転切りを繰り出してきた。

 俺は体勢を崩して石畳に落ち、起き上がる前に剣の切っ先を突きつけられた。命乞いの暇もなく心臓を貫かれ掛けるが、寸前で「ココナ!」と叫んだ。


「…………こいつ、何故私の名を?」


 クーと名を告げようとするが、発言はコタロウの斬撃にかき消された。首から上を切り落とされ、ついに変身が維持できなくなってしまった。

 球体となった俺を見て護衛の騎士たちがにじり寄ってくる。ココナは静止を呼びかけるが、真っ先にコタロウがとどめを刺そうと迫ってきた。


(このままじゃ、死ぬ)


 走馬灯のようにイルンとマルティアの顔が浮かぶ。この状況では助けにくるのも難しく、コタロウに敵対心を抱かせる結果になりかねない。どこか他人事のように「あぁ、二人がこの場にいなくて良かった」と思った。


「――――――待って!」


 絶対絶命の最中、リーフェの叫び声が聞こえた。だが虹色の刃は無情に命を絶とうと落ちてきた。死を覚悟して目を閉じるが、痛みはなかった。

 鳴り響いたのはギンッという金属音で、コタロウの神剣が弾かれた。続けざまに戦闘の音が起き、俺を囲んでいた騎士たちが一斉に身を退いた。


「……ギウ?」


 唖然と見上げた視界には、ボロボロの黒いマントが映った。

 突如現れて俺を救ったのは、港で目撃した黒衣の男性だった。


 初見の印象通り男性の片腕は無く、片足も魔導具の義足となっていた。無事な片手には白く発光する剣が握られており、斬撃は速く美しく力強かった。続くコタロウの攻撃を容易く防ぎ、逆に頬を薄く切ってみせた。


 素人目線でも卓越した剣技だが、不思議と懐かしかった。何故身を挺して俺を守ってくれるのか、湧いた疑問の答えは早々に提示された。


「――――ふむ、存外に期待外れだな。これが我が先祖の腕前か」

 黒衣の男性の正体は俺とリーフェの恩人、騎士団長コタロスだった。

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