第76話『三人の旅立ち』

 交易の町コルニスタから旅立つ日がきた。

 天気は快晴で風も少なく、気温は少し肌寒いぐらい過ごしやすい。俺とイルンは早朝の内に町を出る手続きを済ませ、市壁の門前でマルティアを待った。


 最初は金の旅船を待ち合わせ場所にする予定だったが、途中でやめた。ソレーユたちや酒場の夫婦との会話など、団欒の時を邪魔したくなかったからだ。


「クー師匠、マルティアさん遅いですね」

「積もる話があるんだろう。このまま待っていればいいさ」


 マルティアは五年近くこの地で過ごしている。もはや第二の故郷といっても差し支えなく、後ろ髪を引かれるような葛藤があって当然だ。

 集合時間から少し経つと、路地の曲がり角からマルティアが現れた。周囲にいるのは金の旅船のメンバーだけでなく、町の住民が十数人ほどいた。


「無事に戻ってくんだぞ、マルティア。おめぇがいねぇと華が足りねぇからな」

「悪い奴に騙されぬよう、気を付けるんじゃぞ」

「面白い土産話を聞かせてね。待ってるからね」

「マルティアおねえちゃん、きをつけてねー」


 無精ひげの男性に魔導具屋の主人に痩せた主婦の女性に幼い女の子と、マルティアの知り合いはバリエーション豊かである。全員が全員別れを惜しみ、マルティアがコルニスタに無事戻ってくるよう心から願っていた。温かな空気感だった。

 声掛けが一巡すると、マルティアの前には金の旅船の夫婦が立った。


「……マルティア、怪我や病気には気をつけんさいよ」

「えぇ、奥様。重ね重ねになりますが、本当にありがとうございます」

「部屋はそのままにしとくからな。必ず戻ってこい」

「はい、旦那様。与えられた時間を無駄にせぬよう、頑張って参ります」


 三人一緒に熱い抱擁をし、十秒ほどで身を離した。

 マルティアは一歩下がってお辞儀し、背を向けて歩き出した。


 金の旅船の夫婦は寄り添って涙を浮かべ、ソレーユたちはどこか達観した顔で手を振り、知り合いの住民たちは声を上げて見送ってくれる。マルティアは一度だけ目元を指で拭うが、振り返ることなく俺たちの元まで来た。


「さ、お待たせしましたわね。行きましょうか」

 そう言うマルティアの顔に悲しさはなかった。さすがの切り替えだ。


「マルティア、忘れ物はないのか?」

「わたくしがそんなへまをすると思いますか? この通り準備万全です」

「さすがだな。じゃあ皆を不安にさせないよう、胸を張って旅立つか」

「えぇ、そうですわね」


 俺たちは並んで街道を進んだ。しばらく見送りの声が聞こえていたが、丘を一つ越えたところで静かになった。こうして新たな旅立ちが始まった。



 …………コルニスタから離れて三時間ほど経った。

 俺たちは街道の道脇にある林へ入り、なるべく開けた場所に移動した。目的は休憩だけでなく、今後に向けた色々な準備のためだ。


「クー師匠、こっちはいつでも行けます」

「分かった。それじゃあ装着は任せるぞ」


 俺は人型から変身し、久しぶりに二角銀狼となった。そして商業街で購入した魔物用の鞍を背に装着し、姿勢を落として地面に伏せた。騎乗者となったのはイルンで、林の中を人馬一体状態で思いっきり駆け回ってみせた。


『――――速度を上げるぞ! 振り落とされるなよ!』


 黒鱗のワイバーンを使わずにどう道程を短縮するか、議論の末にこの形となった。魔物に騎乗して旅をする者は一定数いるため、この状態ならまず危険視されない。常時魔物形態なので奇襲に対応しやすい利点もあった。


『どうだ、イルン。乗り心地は悪くないか?』

「はい、大丈夫です。でも師匠の背に乗るのは抵抗がありますね」

『あんまり悠長にしているとコタロウに会えなくなるし、イルブレス王国に着くのも遅れる。イルンの気持ちも分かるが、こういうのは適材適所だ』

「分かりました。なるべくすぐ慣れてみせます」


 そう言い、イルンは紺色のローブの袖をまくり上げた。続けて腰のベルトに着けていた杖を二つ取り出し、腕当てに付けた。試射として水弾が一発放たれるが、その威力は前回の比ではない。的となった木に深いくぼみができていた。


「射出速度良し、命中精度良し、威力良し、これなら戦えます」


 今から行うのは三人の実力把握をかねた模擬戦だ。俺とイルンの陣営とマルティア一人の二対一で戦闘を行う。『直撃を受ければ戦闘終了』というルールだが、致命傷を負わせない程度に全力を出す取り決めにしていた。


(…………これから先、俺たちの戦いはもっと苛烈になる。どんな状況にも対応できるよう、戦闘の経験は積めるだけ積むべきだ)


 模擬戦に関しては二日前から予定しており、イルンと策を練ってきた。それはマルティアも同じはずで、どんな手を使ってくるか気になった。


 騎乗しながらマルティア戦の動きを確認していると、近くの茂みが揺れ動いた。現れたのは周辺に人避けの魔法を張っていたマルティアで、二角銀狼の姿となった俺をどこか懐かしそうな眼差しで見つめた。

 

「――――懐かしい姿ですわね。期せず再戦というわけですか」


 マルティアの装いは酒場の給仕服とは違う。身に纏っているのは黒色系のドレスだが、あれは様々な魔法が織り込まれた魔導具だ。優美な見た目に反して動きやすく、鉄の刃や低威力の魔法なら弾く防御力を誇っている。


『そういえば初めて戦った時はこの姿だったな。あの時の使い魔は元気か?』

 そう聞くとマルティアは微笑んだ。ちょうど呼び出すところだったそうだ。


「わたくしたちもこの数年でだいぶ強くなりましたわ。その姿のあなたならば、使い魔の力だけで倒せると断言しておきましょう」

『使い魔の力だけって、あのちっこいのがそんな強くなったのか?』

「それは今からのお楽しみです。では始めましょうか」


 そう言い、マルティアは自分の両隣に魔法陣を展開した。いつぞやのように詠唱を紡ぎ、目を覆うほどの閃光を辺り一帯に放ち、使い魔を二体召喚した。


「…………なっ」


 姿を見せたのは銀翼の鷹と金色のポメラニアン……ではなかった。

 重量感のある足音を響かせるのは成人男性の倍の体躯を持つ獣で、体毛は金色に光り輝いている。顔立ちは知性を感じる凛々しさで、首元のたてがみからは濃密な魔力の波動を感じる。一目見ただけでかなりの強さと分かった。


『――――久しいな、マルティア。我らの力が必要か』

 俺たちの前に君臨したのは、まさに『黄金の獅子』だった。

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