第72話『王女様は看板娘』※日常回

 マルティアが勤めている酒場、金の旅船は今日も大盛況だ。店内には肉体労働帰りの男たちや冒険者がひしめき、あちこちで馬鹿笑いが聞こえている。


 俺はマルティアの取り巻きをしていた亜麻色の髪の女性『ソレーユ』に声を掛け、空いているカウンター席に案内してもらった。そこはちょうど俺がやけ酒をしていた場所であり、席に座ると同時に数人の客が好機の目を向けてきた。


「……おいあれ、酒飲みの白髪頭だぞ」

「あぁ? あのガキがやべぇ度数の酒を何本も飲んだのか? 冗談だろ?」

「いやいや、俺も見たぜ。酔った様子もなく店を出て行くところもな」

「店の酒を飲み干されそうだったからマルティアにひっぱたかれたんだろ?」


 そんな事実はない。いつの間にか噂に尾ひれがついているようだ。

 実際のところ高価な酒を多く飲みはしたが、瓶五つとかだったはずだ。アルコールが効かない身体なので美味しさが分からず、金貨を無駄に消費してしまった後悔があった。今後は付き合い以外で飲むことはないと決めていた。


「えっと、クー師匠ってお酒好きなんですか?」

「ただ飲めるだけだな。あまり美味しさは分からなかった」

「この辺りの成人年齢は十五歳ですし、ボクもあと一年で飲めるようになります。一杯ぐらいは試したいので、お付き合いしていただけますか?」

「もちろんいいぞ。酔ったイルンと話すのも面白そうだ」


 そんなこんな会話してるとマルティアがメニュー表を持ってきた。イルンの分と合わせて看板料理の鶏肉煮込みを頼み、飲み物としてミルクを選んだ。


「あら、今日はお酒を飲まないのですか?」

「……マルティアもか。あの時のことは自分でも情けないと思っているんだ。あまりいじらないでくれると助かる」

「ふふっ、分かりましたわ。料理は十五分ほどで出来上がりますのでお待ちください。特別に大き目の肉を用意するように言っておきますので」


 藤色の綺麗な長髪を揺らし、マルティアはカウンター席から去った。

 その後もテーブル席を回って注文を聞いたり、死角からきたスカートのめくりの手を捻り上げたりと、酒場の空気に馴染んだ働きだ。それでいて生まれ持っての高貴さは失われておらず、王族としての気品が感じられた。


(初めて会った時はわがままな印象だったけど、今のマルティアは頼れる姉御だな。経験が人を作るとは言うが、こんなに変わるもんか)


 十八歳に成長していることを含め、リーフェが知ったらさぞ驚くだろう。その時のやり取りを想像して苦笑し、運ばれたミルクのカップを傾けた。つまみとして何か頼もうかと思っていると、客席から意外な声が聞こえてきた。


「おーい、マルティア王女様! 酒お代わりだ!」

「ヒュー! 王女様、今日も綺麗だぜぇ!」

「王女様、こっちの注文も取ってくれや!」


 聞き間違いかと思ったが、確実に『王女様』と言っていた。

 マルティアが自分の素性を言いふらすことはなさそうで、はてと首を傾げた。当のマルティアは恥ずかしさに耐えるような顔で騒ぐ客の前に移動し、流れる動作で首筋をトンと打って気絶させていった。


「――――三名様、お帰りですわ。どなたか文句がある方はいらっしゃいます?」


 ニッコリとした笑顔を受け、近場の客は高速で首を横に振った。事の経緯が気になったので料理の配膳ついでに尋ねると、渋い顔と共に説明してくれた。


「…………この地に訪れてまだ一年目の話ですわ。あの時はソレーユたちとも合流しておらず、状況が理解できず情緒不安定でした。それでも面倒を見てくれた酒場のお二人を手伝おうと仕事に励んだのですが、手痛い失敗の連続だったのです」


 酒を床にぶちまけたり、転んでゴミを散らばしたりしたそうだ。追撃として客から冷やかしを受け、ついに我慢の限界を迎えた。わんわん大泣きして「わたくしは王女ですわよ! 王女なんですの!」と喚き散らしたと教えてくれた。


「……このわたくしが床に突っ伏して泣く様を想像して下さいませ。あの時はまだ十三歳でしたが、見るに堪えない光景なのは分かるはずです」

「それは……まぁ、仕方ない部分もあるんじゃないんか?」

「それからほどなくしてソレーユたちが見つかったのですが、しばらく王女様呼びが抜けなかったのです。なのであだ名として定着したわけですわ」

「なるほど、大体の理由は分かった」


 せっかくの機会なので数年分の話を聞かせてもらった。

 仕事に慣れてきた頃に同じ境遇の者を探す旅に出たことや、冒険者として金を稼いでいた時期があったこと、手掛かり探しついでにゆく先々の町で行商人と仲良くなったことなど、たくさんの思い出を語ってくれた。その時である。


「あの、すいません。クー師匠とマルティアさんって同じ故郷の出身なんですか?」

 ポツリと出たイルンの疑問に俺とマルティアは顔を見合せて答えた。


「まぁそんな感じだな。マルティアがこんな小さな頃から知ってるぞ」

「それを言いましたらあなたはこんな、ですわよ。ピョンピョンと辺りを跳ねまわったり、わたくしの使い魔を蹴散らしたこともありましたわね」

「え、昔のクー師匠って結構やんちゃだったんですね」

「いやちが……くもないか。あの時はだいぶ好き放題やってたな」

「おかげでわたくしはリーフェと仲良くなれましたけどね。初めて見た時から普通の魔物とは違う気がしましたので、今の姿の方がしっくりきますわ」


 違いない、と言って笑った。気安くあの頃の話ができるのが嬉しかった。

 トイレに立ったイルンを見送っていると、マルティアが耳打ちした。その内容は『イルンに未来の話をしていないのか』というもので、俺は小さく頷いた。


「……イルンの名はイルン・フェリスタだ。マルティアならこれで分かるだろ」

「あの子が青の勇者ですか。未熟とはいえ伝説の勇者を仲間として迎え、あまつさえ師匠となるとは、ずいぶん思い切ったことをしますわね」

「たぶん俺がイルンと会うところまでは運命だったんだ。この地に来た経緯も含めて、マルティアには話しておくべきことがたくさんある」

「……それは人がいないところでしましょう。誰が聞いているか分かりませんし」


 そう言ってマルティアは離れるが、途中で呼び止めた。酒の話題のせいで忘れていたが、今日はイルンにプレゼントする魔導具について話をしにきていたのだ。


「目に関する魔導具ですか、ならちょうどいい店がありますわ。魔導具のお店の主人が常連さんなので、わたくしから話を通しておきます」

「それは本当に助かる。酒場で働いているだけあって顔が広いな」

「この町に住んでいる人の顔なら基本覚えてますわ。魔導具屋の主人は店にツケがありますので、適正価格で商売するように釘を刺しておきます」


 この時代は値切り交渉が基本、慣れていない者はぼったくられやすいのだとか。ついでにどんな品がいいか意見を聞いていると、イルンが隣に戻ってきた。マルティアは一度裏に行き、鶏肉煮込み料理を置いて去っていった。


「クー師匠、この料理美味しいですね」

「あぁ、ちゃんと味がある。良い出汁を使ってるんだな」


 はふはふと具材を頬張るイルンが可愛かった。

 俺はマルティアから受けたアドバイスを脳裏で反芻し、これだという品を決めた。喜ばれるか微妙な顔をされるか、期待と不安半々で一日を終えた。





――――――――――――


 これで日常回は終わりです。金曜日から五章スタートとなります。

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