第57話『イルン』

 そこにいたのは青の勇者……イルンで間違いなかった。再会の嬉しさと別れの悲しみがこみ上げてくるが、ここは奥歯を噛みしめてこらえた。

 クーという名を伝えると「良い名前ですね!」と言ってもらった。素性の確認ついでに「荷馬車の護衛をしていたのか」と聞くと、イルンは「はい!」と返事して諸々の事情を話してくれた。


「実は先月十四歳になりまして、村の外に出る許可をもらったんです。お前は優秀な魔法使いになれるからって背を押してもらって、村長さんの紹介で護衛任務を受ける形になったんです。……結果は散々でしたが」


 イルンは苦笑を浮かべ、すぐに両手の拳を握って奮起した。次こそは上手くやってみせると息巻く様は、いかにも向上心旺盛な若者だ。そこに俺が知っている青の勇者の面影は欠片もなかった。


(……当たり前といえば当たり前か、三百年も経てば人の性格も思想も変化する。ここにいるのはイルン・フェリスタで、青の勇者じゃない)


 寂しさはあったが、いつまでも故人のことばかり考えるべきではない。

 懐かしき思い出を心にしまい込み、『イルン』として向き合うと決めた。


「俺の魔法がどうとかって言ってたが、そんなに凄いものなのか」

「もちろんです! さっき詠唱せずに魔法を放ってましたよね? 手元に何か光の輪っかみたいなのを出してましたが、あれは何ですか?」

「輪っか……って、魔法陣のことか。あれが普通じゃないのか」

「少なくてもボクは初めて見ました。もう一度見せてもらっても構いませんか?」


 特に断る理由もないので手元に魔法陣を出現させた。イルンはグイと身を乗り出し、魔法陣の線を指でなぞったり真下からのぞき込んだりした。

 ふと髪の毛に泥がついていたので払おうとすると、イルンは飛び退いた。何故か顔が真っ赤で、身振り手振りが挙動不審だった。よく考えれば相手は年頃の少女で、触れるなら事前に声を掛けるべきだったと反省した。


「悪かった。人との交流が希薄で無神経なことをしてしまったな」

「い、いえ、問題ありません。どこか汚れていましたか?」

「髪のこの辺りに泥がついてるぞ」

「えっと……、どの辺りでしょうか?」


 イルンは前髪を指先でイジり、俺の目の前まで歩いてきた。

 頬はほんのり赤く、上目遣いな瞳がちょっとだけ潤んでいた。


(……熱でもあるのか? それとも失礼な態度を取ったから申し訳なく思っているって感じか? ……いきなり悪いことをしてしまったな)


 パパッと泥を払うと、イルンは笑顔で感謝を述べた。そのままゆっくりと後退していき、三角帽子の広いつばを指で引っ張って顔を覆い隠した。


「…………や、やっぱり凄く格好良いです」


 何か呟いた気がしたが、吹き付ける風のせいで分からなかった。何となく気まずさを感じていると、ハリンソが手を振って俺たちを呼んだ。


「――――準備が完了しました。荷馬車に乗って下さい!」

 俺が返事をして歩き出すと、イルンも背を追い掛ける形で走り出した。



 ハリンソの目的地までは数日掛かるらしく、途中で農村に寄ると教えられた。基本は荷台で過ごす気でいたが、ここで問題が起きた。

 なんと荷馬車の乗り心地は最悪で、居眠り一つできなかったのだ。小石を踏むたびに底板が跳ね上がり、背中に肘とぶつけまくった。これならまだ歩いている方がマシで、俺はさっさと街道に降りた。


(…………荷馬車の旅って結構憧れてたんだが、現実はこんなもんか)

 内心でガッカリしてると、イルンも荷台から降りてきた。


「荷馬車の乗り心地、あまり良くなかったですか?」

「まぁそんな感じだな。馬車ってのはどれもこんな感じなのか」

「ボクが知る限りはそうですね。大きな町とかならもっと良いのがあるかもですが」

「……そっか、まぁそんなもんだよな」


 三百年という時はあまりにも長い。時代間の技術差は相当なものだ。乗り物の話題ついでに飛行船の存在を尋ねると、イルンは疑問符を浮かべた。


「…………帆船を空に飛ばす? どこで見たんですか?」

「あぁ、いや。絶対あるって確証はないんだ。見たのはだいぶ前だし、場所もおぼろげだ。寝ぼけて鳥か何かをそれっぽいものと勘違いしたのかもしれない」

「…………なるほど、でも面白い話ではありますね」


 研究者気質なのか、イルンは飛行船に興味を示した。試しに「魔法なら再現可能じゃないのか」と聞くと、「可能ではあると思います」と即答された。


「ただ飛行魔法って習得者が少ないんですよ。身体全体を浮かせる力、自由自在に飛ぶための力、着地時の衝撃を和らげる力と、大量の魔力を消費します」

「それを帆船に適応するとなると、何人ぐらいの魔法使いが必要なんだ?」

「たぶんですが、高名な魔法使い数十人規模の大仕事になるかと。それでも稼働時間は数十分程度で、飛行距離も大したことないと思います」

「……俺的にはもっとお手軽なイメージだったんだがな」


 魔術時代でも飛行船は運用されていた。ならば少量の魔力で長時間の航行を可能にする技術が発明されたことになる。今まで深く考えたことはなかったが、『飛行船の父』と呼ばれた人物の功績は想像を超えて凄かった。


(戦艦の名がグリーベンで、設計を行ったのは……グリーベルとかだったか)


 最初に飛行船が造船された年代はいつだったか、よく思い出せなかった。こうしている間にも世界のどこかで発明中かもしれないし、完成は五年十年ほど先の未来かもしれない。我が身の勉強不足を後悔した。


(……リーフェとの会話で何か、すぐ対処できそうな問題はないか?)


 森での出会いから大空洞での別れまで、一通りの出来事を振り返ってみた。

 一つ一つの会話を注意深く思い返していると、イルンが「あの」と言った。


「その、クーさんはリーフェさんっていう女の人を探しているんですよね?」

「あぁ、今のところ見た目以外の手掛かりはないがな」

「……リーフェさんは、えっと。恋人だったりするんですか?」

「違う。友達であり相棒でもある、家族みたいな存在だ」


 これ以上ない答えだったが、何故かイルンは面食らった。

 どうしたのかと思うが、理由を聞いても答えてくれなかった。

 会話が途切れたので片腕をイノシシ魔物にし、一通り性能チェックした。するとイルンは興味を示し、「それって変化魔法ですか?」と尋ねてきた。


「まぁ、おおよそそんな感じだ。あの時は水と氷の魔法を使ったが、全身を魔物化して戦うのが俺の戦闘スタイルだ」

「全身を魔物化……、なんだかキメラみたいですね」

「…………まぁ近くはあるな」


 素性がバレたのかと思うが、イルンは気づいていなかった。キメラに会ったことがあるのか聞くと、直接目にしたことはないと言われた。


「でも噂はよく耳にします。ボクじゃ万が一にも勝ち目ありません」

「……俺がキメラだったらどうする?」

「どうなんでしょう。少し怖い気もしますし、こんなに会話ができるなら怖がる必要もない気がします。難しい答えです」


 そんなこんな会話していると、ハリンソが急に荷馬車を停止させた。どうしたのかと前の方まで歩いて行くと、遠方の空が指差された。


「…………あれは」

 目に映るのは黒く立ち昇る煙と、空を飛ぶ複数体の魔物だった。

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