第45話『崩れ始めた平穏』

 イルブレス王国の国境付近、とある渓谷の上空に一隻の飛行船が浮かぶ。甲板に佇むのは騎士団長のコタロスで、真下の大地を無感情な眼差しで眺めていた。

 見渡す限りの景色を覆っているのはぶ厚い氷塊だ。初夏という季節を無視する光景で、一帯は真冬がごとき冷気に包まれている。反対の位置には鬱蒼と生い茂る植物群があり、それらに挟まれた地形が酷く荒れ果てている。


「…………これが魔法、勇者同士の戦いか」


 緑の勇者である理事長の足取りを追っていた時、騎士団長は予想外の報告を受けた。一つ目はこの大破壊が渓谷に前触れなく出現したこと、二つ目は『青の勇者イルン』と思わしき人物の死体を発見したというものだ。


 報告者は信頼できる部下の魔術師で、執務室にはリーフェとココナもいた。騎士団長は話し合いの予定を切り上げて二人を調査基地へ送り出し、魔法全盛時代に造船された足の速い魔導飛行船に乗ってこの地まできた。


「わたしは下に降りる。飛行船は周囲を警戒しつつ平地に着陸しろ」

「はっ!」


 部下の敬礼を見届け、騎士団長は甲板から跳び下りた。向かった先は先遣隊の騎士団員が控えるテントで、高高度から軽やかな着地を決めてみせた。

 飛行船の発光信号に気づいていた団員たちはテントから飛び出して現状の説明をした。騎士団長は魔術師たちから詳細な話を聞き、報告書を片手に持ちながら絡みうねった氷塊と植物を見上げた。


「…………これほどの大破壊、誰も気づかなかったというのは本当か?」

「はっ! ここは飛行船の哨戒範囲となっておりますが、前回時点では何の異常もありませんでした。付近の村民含め、関係者ほぼ全員の確認が取れています」

「魔法の力による隠匿か。ここで緑の勇者は戦いを繰り広げ、青の勇者を殺してからイルブレス王国へと戻ってきた。その目的は何だ……?」


 自問自答するように呟き、青の勇者の死体を見分しに向かった。青の勇者の身体はツタに巻かれ、胸元には棘が深々と突き刺さっている。試しに触れるがちゃんと人肌の感触で、死体であっても尋常ではない魔力の波動が感じられた。


「この寒さです。死後どれぐらい経っているかは不明ですが、見ての通り腐敗は進んでいません。胸元の傷以外は綺麗なものです」

「そのようだ。わざわざ見せつけるためにこの状況を作り上げたとも言えるな」

「……緑の勇者がですか? 何の目的のために?」

「さぁな、現時点では何とも言えん」


 そう言い、騎士団長は同行した団員に下がるよう指示した。


「――――勇者たちの思惑を計る。事が済むまでこの場に近づくな」


 殺気を込めた声を放ち、騎士団長は剣を抜き放つ。その刃からは神々しい純白の光が宿っており、虚空を薙ぐたびにフォンと音が鳴る。騎士団長は居合の構えを取り、最も死体に絡まっているツタを一閃で切断した。


「……ま、魔法の植物を一撃で、さすがです」

「この剣自体も魔法時代の遺物だ。何もおかしな話はない。それより青の勇者の死体を飛行船に運び込んでくれ。わたしとてこれが死体と認識しているが、精巧な偽装を施した別物の可能性がある。首都でより詳しく調べる」

「了解です!」


 テキパキと動く部下たちを横目に、騎士団長はもう一度大破壊を眺めた。仮に青の勇者の死体が偽物だったとして、この戦いを実現できるのは勇者のみだ。三百年もの時を不干渉で貫いていた彼女らが、何故これほどの仲たがいをしたのか。


「互いに譲れぬ者があったというところだろうが、それは何だ? 国か人か栄誉か、この不穏な時勢に関わるものか?」

 答える声はない。騎士団長は輝きを放つ剣を鞘にしまった。


 予定通り青の勇者の死体を収容し、国境警備の騎士団員に指示を送った。間違っても部外者を立ち入らせぬこと、怪しい者は現場判断で拘束・尋問を許可すること、増援が来るまで現場を現状維持することを厳命した。

 一度飛行船に戻ろうとすると、遠方から一羽の鳥型魔物が近づいてきた。その首には青い意匠があり、頭上を旋回してから腕に乗ってきた。


「クルゥーク、クルル」

「首都連絡班の使い魔か、ご苦労」


 鳥型魔物の足には文が巻かれており、盗み見を警戒しつつ中身を確認した。そして一通り見たところで文を拳で握り、飛行船に向かって跳躍した。


「――――ただちに飛行船を出航させろ! 急ぎ首都に帰還する!」

「了解ですが、いかがなされました?」

「説明は移動中に行う。動力部が使い物にならなくなっても構わん、全速力だ! 事は一刻を争う!」

「は、はい!」


 飛行船は垂直に浮き上がり、ゴウッと強い風音を響かせて飛んでいく。イルブレス王国の方角に見える空は薄暗く、徐々に嵐が近づいている予感を感じさせる。

 騎士団長は一人艦内に降り、静寂に包まれた通路を歩いた。

 一度立ち止まって外を見つめ、壁を沸き立つ思いのまま殴りつけた。


「――――このわたしが不在の間に勇者コタロウの剣を盗んだだと? 何者かは知らんが、どこまでも苔にしてくれる……!」


 勇者コタロウの剣は王城の宝物庫に封印保管されていた。何者かは青の勇者の死体を撒きえとして用意し、騎士団長という王国最大の警備を排除した。

 不穏な空気を助長するように雨が降ってくる。遠方には雷の閃光が見えた。

 吹き荒れる風で船体が揺れるが、その程度で魔法全盛時代の船は止まらない。


「…………この世界で何が起こっている? 我々が戦っている敵はいったい何だ?」


 騎士団長は親しきすべての者、愛すべき王国の民、未来を担うココナとリーフェとクーの顔を思い浮かべ、ただ無事を願った。だが胸中で渦巻く予感は、百年続く平穏の終わりを告げてきていた。

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