第19話 俺は心優さんの下着が汚いとは全く思っていない。


「ただいまー」


 心優さんが帰ってきたようだ。

 

 この部屋を出てから一時間半は経っている。心優さんの自宅まで四十分だと仮定すると、帰ってくるのが少し遅かったような気がするが、やっぱり迷ったのだろうか。歩き、あるいは帰りの車で。


「おかえりなさい。遅かったですね」


「ごめんなさい。アパートのほうに戻ったら戻ったて、なんか部屋のほうが色々気になっちゃって。同棲――じ、じゃなくって居候を続けるのにするのに必要な物、持ってきちゃった」


「え? そうだったんですか。でもそれは危なかったんじゃ……」


「うん。だから周囲をちゃんと確認して、絶対に大丈夫だと確信してから部屋に入ったよ。それで十分くらいで部屋から出た」


 やはり万が一のことも考えて本当はアパートに戻ってほしくなかったが、今更言ったところでしょうがないだろう。


「まあ、それだけ短い時間なら、例の暴漢に鉢合わせの可能性も少ないでしょうからね。でも今後はあまり戻るのはちょっと」


「うん、そうだよね」心優さんの顔に怯えの色が乗る。「どこかにいるかもしれないって思うと怖くて、改めてあの部屋には長居できないなって思った」


「それを聞いたら、こうやって心優さんが無事に戻ってことを神に感謝したくなってきました」


「ふふ、それはちょっと大げさだよ。……でも、嬉しい。蒼太君が私のこと、心配してくれてるんだって思うと」


「それはしますよ。だって――」


「だって、なに?」


 心優さんが一歩前に出て、俺の目を見ながら〝だって〟の次の言葉を催促する。


〝だって〟のあと、俺はなんて言おうとしていたのだろうか。

 

 綺麗なお姉さんだから?

 一緒に住んでるから?

 大切な人だから?

 好きだから?


 どれが正解なのかも分からなくて、俺はしどろもどろになりながら結局、こう答えていた。


「だ、だって、心優さんだからですよっ」


「え? それ、答えになっていない」


「そ、そんなことより、洗濯物を干しておきましたよ。あんな感じで大丈夫ですかね? 極力、心優さんの下着は外から見えないようにしておいたんですが」


 心優さんの下着チェックのあと、俺は洗濯物を外にどう干すかで悩んだ。別に俺のだけであれば、悩む要素は何一つない。しかし、心優さんの下着となれば別だ。


 いかにも若い女性が付けていそう下着が、外から丸見えでは大問題だろう。

 まずは下着泥棒の懸念がある。二階だからといって安心できるかといえばそうでもない。何らかの棒を使えば充分に下からでも届くからだ。


 あとは、この部屋に若い女性が住んでいることが分かってしまう懸念もある。もちろん玄関から心優さんが出入りしていれば、このアパートの人間には知るところになるかもしれないが、あえて外の人間にまで知らせる必要などあるはずもない。


 この二つの懸念を払しょくするためにネットで見つけたのが、下着をバスタオルで囲んで干す方法だった。日の当たりは悪くなるが、部屋干しするよりかはマシだろう。


「あ、うんうんっ。あれなら大丈夫だよ。私ね、実は不安だったの。もしかして私の下着、丸見えで干していたらどうしようって。だから安心した」


「良かったです。部屋干し前提で了承したのかも、とも思っていたので」


「どっちでもいいけど、洗濯物は日光の下で乾かすのが一番だよね。……でも、嫌じゃなかった?」


 心優さんが探るように問いかけてくる。


「嫌って、何がですか?」


「私の下着を干したこと。だって、洗濯したといっても使用していた下着だし、やっぱり汚いでしょ? だからそんな汚い下着をつかんで干すの嫌じゃなかったかなって」


 ……は?

 何を言っているんだ、心優さんは?

 心優さんの下着が汚い……?

 つかんで干すの嫌……?

 そんなこと――


「そんなこと思うわけないじゃないですかっ! だって心優さんの下着ですよっ? 洗ってないから汚いとかそういう次元で話していい物じゃないんですよっ。洗ってあろうとなかろうと俺は全く気にしませんっ。これからもどんどんじゃんじゃん、下着干すの俺に頼んでください。一つづつしっかりつかんで丁寧に真心込めて干させてもらいますんでっ!」


「もう、蒼太君は……」心優さんが恥じらいからなのか、頬に朱色を乗せる。やがてそれは、はにかんだ笑みとなり「私の下着に触れていいのは蒼太君だけだよ? これからもお願いするね」


「了解しましたっ!」


 こうして俺は堂々と心優さんの下着を洗い、干し、触れる権利を得たのだった。



 ◇



 心優さんの車は軽のハイトワゴンだった。

 

 色は水色で、純正仕様のまま。内装は少しいじっているのか、カラフルなステアリングカバーが付いていたり、シートに黄色と白のチェック柄のクッションが置かれていた。うん、いかにも若い女性が乗っているという感じで好印象だ。


「蒼太君、ドア開いてるから助手席に乗っていいよ」


 そう言って運転席に乗り込む心優さん。

 

 俺は助手席に座るとシートベルトを着用。すると柑橘系芳香剤の香りが漂ってくる。いい匂いなのだが、心優さんの甘い香水の匂いが相殺されるので、個人的にはいらないなと思った。


 なんとなく俺は後ろを見る。

 そしてぎょっとした。


 後部座席に間抜けな顔をした人形が二体、座っていたからだ。

 どちらも赤ちゃんほどの大きさで、金太郎みたいな前掛けを付けている。その前掛けにはどでかく『交通安全』と書かれていた。


 その人形達の後ろ、つまりリアガラスの内側には十個ほどのお守りがくっ付いている。目を凝らして見ると、どれもこれも交通安全系のお守りであることが分かった。


 更には、後部座席の両サイドに小さなのぼりがたっているのだが、そこにも『交通安全』の文字が載っていた。


 一言で言えば、異様――だった。


「えっと、16号沿いの、ホームセンター……と。よし、これでナビの設定はオッケー。じゃあ、行こっか」


「はい。あ、あの、その前に――っ」


「なぁに? もしかしてトイレ?」


「いや、違くて。後ろのこれなんですけど、すごいですね。こんなに交通安全って祈願するものなのでしょうか?」


「ああ、これね。事故は起こしたくないし起こされたくないでしょ。だから色々買って並べてるの。おかげ今のところ無事故だし今後も大丈夫だと思う。だから蒼太君も安心してね」


「は、はい」


 と答えたものの、俺は胸の奥底で不安がうごめくのを見逃すことはできなかった。

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