第15話 俺は心優さんから中編小説のネタを仕入れる。
と、思った矢先、心優さんの顔が俺の顔の横にくる。
一緒に寝ていたときもそうだが、これまた距離が近くて心が乱される。
すると、一緒に布団で寝たときにも嗅覚を喜ばせたシャンプーかトリートメントのいい香りが鼻をくすぐる。
――本当にいい匂いだ。若干、甘い香りも混じっているが、これもシャンプーやトリートメントの匂いなのだろうか。何か、綺麗なお姉さん特有の匂い物質でも出ているのではと思ってしまうほど、甘美でとろけそうだった。
俺は「え、えっと……」と言葉を詰まらせながら、心優さんをちらりと見る。
シャワー後だからなのか、あるいは最初からそうなのか、艶があってモチモチしてそうなほっぺたが目に入る。
ぷにぷにしたい欲求が発露したそのとき、心優さんが垂れた髪の毛を耳の後ろに掛けながら首を傾げて「えっと、なぁに?」
ズキュゥゥンっと俺の胸が撃ち抜かれる。
年上お姉さんのその仕草はやばい。色っぽいにも程がある。しかもこんな真近で見せてきた。
その仕草をする心理の一つに、相手の話をしっかり聞きたいというものもあるらしいが、多分、それだけのことなのだと思う。なのに、なんなのだ? この破壊力は。
ダサいパジャマも一緒に視界に入れば、もっと冷静でいられたはずなのに。
俺の心臓は突発的な色気攻撃に耐えられずに、バクバクと過呼吸に陥っていた。
俺は極力自然に左手で頬を支えるようにすると、顔の向きをやや右に向ける。
これで心優さんの視線からは逃れることはできた。
「が、学校の部活の課題で夏休みに中編小説を書くんですけど、少し進めておこうかと思いまして」
「へえ、そういえば書いたりもするって言ってたもんね。ジャンルは何? やっぱり私が今読んでるみたいな異世界ファンタジー?」
「異世界ファンタジーは一学期の課題で書きましたので、今度はSFに挑戦しようと思ってます」
「SFってスターウォーズとかそういうのだよね? えーすごーい。私、絶対に書けない自信ある」
「いや、あんなスケールの大きいSFは俺だって書けませんよ。〝少し不思議〟と書いてもSFと言うんですが、多分、日常のちょっとした不思議を題材にして書くと思います」
「日常のちょっとした不思議かぁ。なんかあるかな?」
そこで心優さんが俺から離れる。
良かった――はずなのに、名残惜しく思っているこの複雑な心境を説明する言葉を俺はまだ知らない。
当の心優さんは腕を組んで斜め上のほうを見ている。
もしかして、日常のちょっとした不思議を考えてくれているのだろうか。
「あ、はいはいーいっ。あった。日常のちょっとした不思議」
心優さんが手を上げている。
「どうぞ、心優さん」と、俺は心優さんに発言を促す。
「朝にスマホの充電を満タンにしたはずなのに、会社から帰るときに残量が十パーセント以下になってること。えー、早くない!? みたいな」
俺はズルっと椅子から落ちそうになる。
「それはバッテリーの寿命だと思いますよ」
「えっ? スマホのバッテリーに寿命とかあるの?」
えええええっ!? 嘘??
「ありますよ、もちろん。ところで今のスマホ、何年使ってるんですか?」
「三年とちょっと、かな」
「やっぱりバッテリーの寿命ですよ。交換をおススメしますよ。何なら俺がやりましょうか?」
「え、できるの? 蒼太君」
「はい。ネットでバッテリーと交換道具一式で二千円くらいで売ってますので、それを買います。交換方法もネットで紹介しているのでそれを見ながらですね。一回、自分のスマホでバッテリー交換しているので見なくてもできるかもしれませんが、一応」
心優さんの俺を見詰める目がきらきらと輝いている。
それはまるで俺のことを尊敬しているかのようだった。
「すごいっ。蒼太君、バッテリーの交換もできるの? じゃあ、お願いしちゃおうかな。バッテリーと交換道具代、それに工賃合わせて二万円払うね。安いかな?」
工賃払い過ぎっ。
というか、もらうつもりはさらさらない。
「いや、工賃とかいりませんから。バッテリーと交換道具代の二千円だけ払ってもらえればいいですよ」
「蒼太君」
「はい?」
「なんでキミってそんなに優しいのっ」
俺の左手をぎゅっと両手で握りしめてくる心優さん。
心優さんの御手手の熱が、俺の左手を温める。外で握ったときにも感じた至高の柔らかさはやっぱりクセになるようで――
すべすべ、ぷにぷに、なでなで、すべすべ、ぷにぷに、なでなで。
すべすべ、ぷにぷに、なでなで、すべすべ、ぷにぷに、なでなで。
「ぁ……、そ、蒼汰君、だからそんなことしちゃダメだって……ん……」
「え? あっ! す、すいませんっ、また無意識に左手のやつが……すいませんっ」
「うん、大丈夫。あと勘違いしてほしくないんだけど、そうやってされるの嫌だってわけじゃないからね。ただその……へ、変な気持ちになりそうだから……」
変な気持ち。
十中八九、エッチなアレだろうが、そこに言及するつもりはない。
その変な気持ちの先にあるステージに進むのは、さすがに躊躇われたからだ。
別に性欲がないわけではない。むしろ旺盛だと思っている。
なのに、こんなにも綺麗でスタイルのいい心優さんに対してそういった気持ちが強まらないのは、なぜなのだろうか。
今の俺にはその理由が分からなかった。
「あーっと、日常のちょっとした不思議ですけど、ほかに何かありますかっ?」
俺は気まずい雰囲気を声の大きさで霧散させる。
「え? ほかにかぁ。……あっ、あれあれ、子供ころからずっと不思議に思っていたことがあるんだけど、言っていい?」
「いいですよ。聞かせてもらえますか?」
「使っていたものが、ほかのことをしている間になくなっていたことってない? 絶対にそこに置いたはずなのになくなっていて、置いたつもりのないところからあとで出てくるとか。あれってすごい不思議だなぁって今でも思う」
「確かにそういうことありますね。間違いなくここあったはずなのに、思いもよらぬところから出てくるんですよね」
「うん。え? 勝手に移動した? みたいな。……ダメかな?」
自信なさそうに聞いてくる心優さん。
だが――。
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