第9話 俺は心優さんと同じ布団で寝る。
この布団、干したのはいつだったっけか。
多分、一週間前だったような気がするが、違うかもしれない。ではシーツを洗ったのはいつだったかと問われると半年以上前と断言できる俺だった。
つまり、この布団はきたない。
もちろん、自分の布団であるので俺は全く気にしないが、心優さんは違うだろう。
他人の、しかも昨日知り合ったばかりの綺麗好きでも何でもない、むしろ汗臭い男子の布団である。俺がもしも心優さんの立場だったら、眉をひそめて「汚な……」と吐き捨てるレベルだ。
そんな布団を〝使っていいですよ〟と言っていたのか、俺は。
で、実際に使うらしい。心優さんは。しかも俺込みで。
「蒼太君、どうかしたの? 布団……早く入ろ?」
「えっ? あ、は、はい。……あのっ、本当に――いえ、なんでもありません」
やっぱり一人で寝てくださいと言っても聞いてはくれないだろう。そんな気がする。俺はある種、覚悟を決めるような心境で掛布団をめくり、敷布団に横になる。
その間、ずっと壁を向いていた。
見れるわけもない。
俺がさきに横になっている布団に、心優さんが入り込んでくる瞬間なんて。たとえダサいパジャマだとしても綺麗なお姉さんは綺麗なお姉さんであり、大きなおっぱいは大きなおっぱいである。
そんな心優さんが布団に入ってくるのが分かった。
マジか。マジで入ってきたのか。もしかしてドッキリじゃないだろうな。振り返ったらマイク持ったおっさんが布団にいて「大、成、功っ!」みたいな。
いや、一般人の俺にそんなドッキリしかけて誰得だよ。
マイナス方向への現実逃避は止めろ、俺。このありのままの状況を受け入れればいい。おっさんより心優さんのほうが一億倍いいに決まってるだろ。
ガサ……。
間違いない。今、正に、心優さんが俺のとなりに横になった。
シャンプーのいい匂いがする。さきまではあまり意識しなかったが、密接距離に心優さんがきたことによって俺の嗅覚が過敏になったようだ。
こんないい匂いのするシャンプーは持っていないから、心優さんが自宅から持ってきたものだろう。ああ、でも本当にいい匂いだ。まるで心優さんそのものから発せられている香りかのようで、俺のドギマギがぐんっと上昇する。
やばい。何か喋らないと理性がひび割れてしまう。
「心優さん」
「……なに、蒼太君」
当たり前だが、声が近い。
これはもはや密接距離の近接相(〇~一五センチ)であり、最も親しい人だけが入るのを許される距離である。つまり俺がここで振り返ってしまえば心優さんを抱きしめることになるわけで、この一線だけは絶対に超えてはならない。
俺を俺のまま保つために。
「布団、臭くないですか? 多分、全然洗ってないですから」
「臭くないよ。でも匂いはする。多分、蒼太君の」
「そうですか。俺の布団ですしね。でもやっぱり狭いですよね。大丈夫ですか」
「うん。大丈夫。寝返りうったら落ちそうだけど、うたないようにがんばる」
がんばって、どうにかなるものなのだろうか。
……ああ、でも、どうするんだよ、これ。体もがっちがちに硬くて、全然、寝れそうな気がしないんだけど。
早々に会話が途切れて焦り出す俺。そんな俺に助け船を出すかのように、「蒼太君は、明日何時に起きるの?」と心優さんから話を振ってきてくれた。
「俺ですか? 俺は七時に起きますね。で、七時二〇分に家をでます」
「え? 早くない? ちゃんと朝ご飯食べてるの?」
「いえ。朝は抜いてます。なんか面倒くさくて」
「それはよくないと思う。朝ご飯って、一日の活動に備えるためのエネルギー補給みたいなものだから」
「それ、なんとなく分かります。でも、やっぱり面倒くさいから、いいかなってなっちゃいます」
「めんどくさくても、ちゃんと朝ご飯は食べたほうがいいよ。だから明日は私が作ってあげる」
どこかで期待してたのだろう。俺は無意識にガッツポーズを作っていた。
でも材料はどうするのだろうか。引っ越してきたときに自炊するつもりだったので調理道具などはあるが、冷蔵庫はほぼ空である。
だから俺は聞く。
「材料とかってありましたっけ?」
「ボストンバッグに少しは入れてきたよ。蒼太君がシャワーを浴びているときに冷蔵庫に入れておいた。勝手にごめんね」
なるほど、そういうことか。
「いえ、大丈夫です。どんどん使ってください。無駄に待機電力消費していたんで」
「うん。実は明日、色々買い込んでくる予定なの。本当は家の冷蔵庫に取りにいきたいけど、なんか怖くって」
「ええ、止めたほうがいいいですよ。万が一のこともありますから。でもどうしても行くなら俺も付いていきますよ。今度はちゃんと守ります。一応、男なんで」
暴漢に殴れたときの記憶がよみがえる。
あれだけ俺のほうが攻勢をかけていたのに、カウンター一発でノックアウト。改めて情けないやられ方だった。次はあんな醜態を晒さない自信はある。その自信が発露する理由は多分、心優さんという人間を知ってしまったからだと思う。
心優さんにだけはカッコ悪いところを見せたくはない。
「優しいんだね、蒼太君は。――本当に」
「え? いや、その……はは」
笑うしかない俺。
でも心優さんが相手なら、誰だってそう言うんじゃないか。
心優さんは美人だ。〝超絶〟が付くほどに。でもそれだけじゃなくて年下の俺を引き付ける魅力、単的に言えばかわいらしさがある。その片鱗は今日、一緒に住むようになってから何度か目撃していたはずだ。
あれ、こういう属性ってなんていうんだっけか?
「そういえば、恩返しするって言いながら何もしなかったよね」
「へ? あ、ああ、恩返しですね。恩返し……」
「良かったら今から恩返ししよっか?」
「ええっ! 今からですかっ?」
びっくりして振り返りそうになる。
だが幸いにも硬直効果が効いていて、俺はなんとか踏みとどまった。
「うん。ねえ……蒼太君は何してほしい?」
この状況での恩返しでエッチなことしか思い浮かばない俺は、多分正常だと思う。
だから答えはこれしかない。
「い、いえ、今は大丈夫です。明日朝飯作ってくれるならそれが恩返しですよ。も、もう寝ませんか?」
寝れる気もないくせにどの口が言う。
刹那。「やっぱり蒼太君は私の思った通りの男の子」と俺の背中に心優さんが密着する。「え?」っと驚く間もなく、俺は背中に伝わるある感触に全ての意識を奪われる。
この脅威の柔らか感覚は間違いなくあれだ。俺の背中に心優さんのおっぱいが押し付けられているのだ。
俺の全身がカッと熱くなる。
性欲を喚起するでもなく、ただただ恥ずかしくて体が熱を帯びてくる。童貞でこういう状況に慣れていないからというのもあるが、それにしたってオスとしてどうなんだ、それは。
「あったかい。蒼太君の背中。このまま寝てもいい?」
「は、はいっ。ご自由にどうぞっ」
何言ってんだ、俺は。
そして朝まで覚醒状態確定。こんな状態で寝れるわけがない。
すると三秒後に聞こえてくる寝息。まさかもう寝たのかと顔を上げて少しだけ後ろを見る俺。そのタイミングで、ごろんと寝がえりをうつ心優さんがいた。
寝返りを打って布団から落ちる心優さん。やっぱり寝息を立てて寝ていた。
女性版、のび太かよ。
って、俺の背中で寝るんじゃなかったのか?
あと寝返りうたないようにがんばるって言ってなかったっけ?
「おきゃくさまにはぁ、こちらのせいひんがよろしぃかとぉ。せいぶんとしてぇ、カレー粉がスー……スー……」
そしてもう寝言。いや、レム睡眠来るの早すぎだしカレー粉がすごい気になる。
俺は笑ってしまう。そして思い出した。
どこまでもかわいらしい心優さんは残念系らしい。
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