第2話 俺はお姉さんの名前と年齢を知る。
お姉さんは、え? っていう戸惑う顔を浮かべたのち、「あ、そっか。あの暗がりだし……うん、それもしょうがないよね」と一人納得する。
で、一体だれなのかという疑問の答えは?
俺がそのアンサーを待っていると、お姉さんは椅子から立ち上がる。すると手を前で合わせて居ずまいを正すと、お辞儀をしながらこう言うのだった。
「さきほどは助けてくれてありがとうございました。あなたのおかげで今の私がいます。本当にありがとうございました」
「え? 俺が助けた…………あっ」
暴漢に襲われていた女性――なのか。
あのときは、暴漢に対する怒りと恐怖の綯い交ぜになった感情に支配され、被害者である女性を一切、気にすることがなかった。
そうか。この女性がそうなのか。
助かって良かっ――
いや、待て。俺は確か、暴漢に殴られてそのあと意識を失ったはずだ。そんな俺が彼女を助けられたわけがない。
「ちょっと待ってください。俺、暴漢に殴られて気絶して、だから病院にいるんですよね? 結局あなたのことを助けられなかったと思うんですが」
「ううん。ちゃんと助けてくれましたよ。……実はあのあと暴漢は逃げたんです。あなたが動かなくなったのを、どうやら死んだと思ったみたいで、怖くなったのか逃げたんです。私もあなたが死んでしまったのかと焦ったのだけど、ちゃんと息はしていて、それで救急車を呼んだんです」
「そういうことですか。救急車を呼んでくれてありがとうございます。……でも結果的には良かったですけど……ださいですよね、俺」
「え? なんでですか?」
お姉さんが首を傾げる。
「だって、正義のヒーローみたいに助けに入って返り討ちにあったんですよ? ださすぎるでしょ。もしも暴漢が逃げなかったら、あなたは再び襲われていたかもしれない。だから本当にださくて……」
「そんなことはないです!」
お姉さんの幾分張り上げた声が病室に響く。見れば、お姉さんは俺を叱るかのように、表情を真剣なものに変えていた。
「えっと、なんかごめんなさい」
なんとなく謝ってしまう俺。
「別に謝る必要はないです。ないですけど、自分をそんなに卑下するのは止めてください。あなたの勇気ある行動のおかげで、その〝結果的に良かった〟を手に入れることができたんですから、ね」
「そう、ですね。そう思うことにします」
「そう思ってください」
「はい」そこで俺はある疑問を抱く。お姉さんの顔が別の意味でもとても綺麗だったからだ。「そういえば、殴られていましたよね? でも顔が綺麗というか……」
「ああ、あれなんですけど、あの人地面を殴っていたんです。でも凄く怖かったんですよ。もしも当たったらどうしようって」
「そうだったんですか。良かった。綺麗な顔が綺麗なままで」
「え……?」
俺は、サッと下を向く。
一体、何を口走っているのだろうか。事実だが、明らかに余計なシャレだったろう。俺らしくもない。普通に生活していれば絶対に知り合うこともない、綺麗なお姉さんとの会話に緊張しているからかもしれない。
「す、すいませんっ。余計なことを言いました」
俺は謝罪しながら顔を上げる。
そこには顔を赤くして、瞳を揺動させているお姉さんがいた。
「そ、そういえば、ご両親に連絡しなくていいの? キミ、その制服からして高校生でしょ? ちゃんとご両親に連絡したほうがいいかなって思うのだけど」
お姉さんの口調がため口になっている。〝あなた〟も〝キミ〟となり、他人行儀がなくなっているが、俺はそっちのほうが良かった。
見る限り、お姉さんの年齢は二三から二五。俺より六つ以上離れている人に敬語を使われるのは、どうにも落ち着かなかったから。
「母は九州にいて一緒に住んでいないです。連絡したところで心配掛けるだけで俺のところには来れないし、だから大丈夫です」
「そうなんだ。じゃあ、一人暮らし?」
「はい。アパート借りてます」
「偉いんだね」
「偉い、ですか?」
「うん。その年で親元を離れて一人で暮らすなんて、なかなかできることじゃないと思う。偉い偉い」
「別にそんなことはないですよ」
俺はそう述べるに留めた。俺が一人暮らしをしているのは複雑な理由からだが、お姉さんに説明する必要もない。今後はもう会うこともないだろうから。余計な情報を与えずに、思い出の一ページになってくれればそれでいい。
「あら、目が覚めたの? だったら教えてくれれば良かったのに」
部屋に年配の看護師が入ってくる。
「ご、ごめんなさい。忘れてました」
申し訳なさそうに頭を下げるお姉さん。
「ふふ、別にいいのよ。弟さんが目を覚まして嬉しかったのよね。先生を呼んでくるわね。検査でも特に問題はなかったし痛くないんであれば、もう少し安静にしたら帰ってもいいと思うけどね」
そこで看護師が俺の耳元に口を寄せてくる。
(お姉さん、すごい美人ね。しかも巨乳っ。メロンでも入っているのかしら。そんな感じのエッチな女子アナかと思っちゃったわ。あなたが心配で泣いていたけど、ちゃんと愛されているわよ)
そして、また廊下へと戻っていく、余計な話が多い看護師。
内緒にしておけとばかりに話されたが――お姉さんが俺のために泣いてくれたのか。お姉さんの顔をよく見れば涙の痕がなくもないが……。
そんな俺の視線に慌てた素振りを見せるお姉さん。
どうしたのかと思えば、
「ご、ごめんなさい。親族の方ですかって聞かれたとき、はい、姉ですって答えちゃって。看護師さんが弟さんとか言うからびっくりしたよね」
「ちょっと。でもありがとうございます。ずっと一緒にいてくれたみたいで」
「それは当たり前だよ。だってキミは私の人生の恩人だから。姉の振りをしなくてもそばにはいたよ」
俺は思わず、苦笑してしまう。
「人生の恩人って、さすがに言い過ぎじゃないですか」
「そんなことないよ。キミが助けてくれなくてあのまま暴漢に好きなようにされていたら、最悪自殺だって考えたかもしれないし」
俺は男だ。女性が男性に襲われたときの恐怖を一生知ることはない。
想像はできる。それはとても恐ろしくこの世の地獄だろう。が、所詮、男である俺の思考の範疇でだ。であれば、女性であるお姉さんが口にした〝最悪自殺〟は決して大げさではないはずだ。
「じゃあ、命の恩人で」
「どっちも同じじゃない? 命あっての人生だし」
「それはそうですね。じゃあ俺が、えっとお姉さんの、命あっての人生の恩人ってことで」
「ふふ、そう、キミが命あっての人生の恩人」お姉さんがにこやかな顔を浮かべ、そして続ける。「お姉さんって言われるとそれこそ、キミの実のお姉さんみたいだから、ちゃんと自己紹介しておくね」
「あ、はい」
自己紹介の必要性に疑問を抱いたが、それでも知れるなら知りたいお姉さんの情報。俺はそれを今から耳にする。
「私の名前は
知り合ったばかり――。まるでその先があるかのような言い方だ。
それはさておき、俺は谷川さんに言われた通り自己紹介をする。
「俺の名前は
ゲームだって好きなのに、敢えて読書って答えた。そう答えたほうが印象がいいかなと思ったからだ。印象なんて気にする必要もないのに、でも少しくらいはよく思われたいという、要するにカッコつけだった。
待てよ。思われてどうするんだ?
俺と谷川さんの間でこれから何か始まるわけでもないのに――。
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