第3話 俺は心優さんと一緒にタクシーに乗る。


 先生に「家で安静にしていれば大丈夫」とのお墨付きをもらい、俺は病院の外へと出た。

 

 時刻は深夜の二三時三〇分。それを知ったのは自己紹介のあとで、まさかそんな時間だとは、と俺は驚いた。しかし、二一時過ぎに気を失って病院に運ばれたことを考えれば、頷ける時間でもあった。


 遅れて病院から出てくるお姉さんこと、谷川心優さん。


「タクシー、あと五分で来るみたい」


「そうですか。ありがとうございます」


「それと支払い、全部私がしても良かったのに。いいの? 本当に半分で」


 そう、病院からの請求金額は俺と谷川さんで折半したのだ。本来、俺が支払うべきところだったのだが、谷川さんがどうしても払いたいと言って聞かないので、じゃあ半分でと俺が強引に決めたのだ。


「はい。大丈夫です。財布も温かかったので」


「でも半分払って寒くなっちゃったでしょ? 高校生で一人暮らしだからそんなにお金だって持ってないよね? だからねえ、やっぱり――」


「大丈夫です」


 俺はきっぱりと断る。

 

 これ以上、谷川さんに迷惑を掛けることはできない。二時間半近くもの間、ずっと俺のそばにいてくれたのだ。それだけでありがたかったし、なによりも嬉しかった。これ以上の優しさは俺の心を惑わせる。


 谷川さんは俺の決意が揺らがないと思ったのか、「うぅぅ」と唸りながらも、全額支払いを諦めてくれた。


「ここからだと、磯山君の家のほうが近いのかな? 私は角北かどきた区だけど、磯山君は?」


角西かどにし区です。だから多分、お姉さ、谷川さんの家のほうが近いと思いますよ」


「そっか。じゃあ、私の家からでいいのかな?」


「はい。さきに谷川さんが降りて、俺はそのあとで大丈夫です」


 地元の病院とはいえ、歩いて帰るには距離があった。だからタクシーを呼んだのだが、今ルートが決まったようだ。

 

 ところで谷川さんの挙動が若干おかしい。口元を押さえて何か考え事をしているかと思いきや、俺のほうをちらちらと見て、何か言いたげに口を開く。でも何も言葉を吐かずにまた口元を押さえる。


 一体、なんだろうか。だから俺のほうから聞いてみた。


「あの、どうかしました? 何か俺に言いたいことでも?」


「えっ? あ、うん。あの、ね――」


 そのとき、病院の駐車場に一台の車が入ってくる。タクシーのようだ。

 五分も経っていないが、時間帯が時間帯だから、道路が空いていたのかもしれない。

 

 ところで谷川さんの話が聞けなかったが、タクシーの中で話してくれるだろう。俺と谷川さんはタクシーに乗り込むと、まずは谷川さんの家に向かった。



 ◇



 ルームミラー越しにちらちらと後部座席を見てくる運転手。

 

 こんな時間にタクシーに乗る、俺と谷川さんの関係が気になってしょうがないといった感じだ。俺としてはこんなときこそ、姉と弟のふりでもして、運転手にいらぬ憶測をさせないようにしたほうがいいと思ったのだが、谷川さんはずっと俯いたままだった。


 結局、俺と谷川さんは一言もしゃべらずに目的地についた。

 

 窓越しに覗けば、横文字が似合いそうなオートロック式の小奇麗なアパート。女性の一人暮らしならオートロック式は必須だろう、と思ったところで、俺は谷川さんが一人暮らしかどうか知らないことに気づいた。


 こんなにも綺麗な人だ。一緒に住んでいる彼氏がいても不思議ではない。あるいは友達と一緒かもしれない。なんにせよ、ここで彼女とはお別れだ。ちゃんと挨拶をしておこう。


「谷川さん。色々とありがとうございました。またどこかで俺のこと見かけたら、声でも掛けてやってください」


 ……反応がない。窓のほうに顔を向けている谷川さんの顔をうかがうことができないが、何か変なことでも言っただろうか。

 

 谷川さんがいるほうの後部座席のドアが開く。


「……しっ。……めた」


 谷川さんが何か呟いた。でも声が小さくてよく聞き取れなかった。


「谷川さん?」


「運転手さん、ちょっと待っててください」


 俺の呼びかけを無視するように、谷川さんはそうはっきりと運転手に告げると、アパートに走り出す。


 ぽかんとする俺。待っててということは戻ってくるのかとアパートの入口を見ていると、谷川さんは本当に戻ってきた。なにやら物がパンパンに詰まったボストンバッグのようなものを肩から下げて。


 谷川さんはまたタクシーに乗り込むと、「行ってください。次の目的地まで」と運転手に指示を出す。すると運転手は怪訝な表情を浮かべながらも、タクシーを発進させた。

 

 俺の脳は未だに混乱の直中にある。半開きだった口がようやく動き出す。


「あ、あの、谷川さん? 今のアパートが谷川さんの家ですよね?」


「うん、そうよ。だから部屋に行って必要な物を持ってきたの」


「必要な物……って、なんですか?」


「洗面用具とか着替えとかその他、宿泊に必要な物」


「どこかに泊まるんですか? でもなんで……」


「例の暴漢。絶対、私の家知ってる」


「え?」


「駅から家に帰るとき、なんどか誰かにつけられてるなって感じたことがあったの。怖くて足早に逃げるようにアパートの中に入って、外を見ると誰もいなくって。多分その誰かは、私のそんな当たり前の行動に腹を立てたのだと思う。なんで自分を避けるんだって」


 ようやく話が読めてきた。

 

「つまりその誰かがあの暴漢で、避けられたという逆恨みから暴行に及んだと、そう考えているんですね」


「うん。絶対に間違いない。だからあの家にはいられない。だって暴漢は逃げたんだよ? 磯山君が死んでいないと分かれば、また私へのストーカー行為を始めるかもしれない」


 それは充分にあり得る可能性だ。


 ストーカーの執着は常軌を逸していると考えたほうがいい。さすがに、俺を本当に殺していたとなればストーキングどころではないとなるが、実際には俺は死んでいない。それが分かれば、谷川さんの懸念はかなり高い確率で現実となる気がした。


「確かにどこか別のところで宿泊したほうがいいですね。あの家にいるのはあまりにも危険です。一度、谷川さんのことを襲っていることから、やけくそになってもっとエスカレートする恐れだってありますから」


「でしょ? だから私は避難先としてしかないの」


「ええ、そうでしょう、そうでしょう。絶対、そうしたほうがいいと思いま――」


 タクシーが止まる。

 タクシーが去っていく。


 俺の横には、一緒にタクシーから降りてきた谷川さんがいた。


 えええええええええええっ!?

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