第一章 初仕事

第3話

視界一面、灰色の海だった。

緩やかに寄せてくる波だけが、泡立って白いような。砂浜に打ち上げられたゴミすらも、どこか灰色がかっているようだった。

一定のようでどこかズレた波の音を聞きながら、私は憂鬱な気分に浸っていた。

「どうよ、ゆう。」

隣の自称死神は楽しそうだ。けれど、私は地元である北国の海がそこまで好きで無かった。

という言葉が、ここまで似合う場所があるだろうか。

「暗いね、優。海は嫌いだったかな?」

「好きではありませんね」

「うわ、場所選しくじった。」

「人選しくじったみたいに言わないでください。」

私の言葉に合わせて、と勝手に背中の翼が動いた。

あぁ、もう。邪魔くさいな。

『どれほど飛べるかやってみようよ』と栗花落さんにここまで連れてこられた訳だが、どうしよう、まったく楽しく無い。

そして、翼が邪魔で仕方ない。

大翼は私の気持ちに反して動くし、色もどこかくすんでいるように感じる。

栗花落さんによると大翼は人によって色が違うという。私の翼は、この灰色の海に一雫だけ青を足した様な、薄ぼんやりと暗い青だった。

「邪魔ならしまえるよ?」

「そういうことは早く言ってください。」

私は上体をひねって翼を引っ張った。反動で収納されないかと思ったのだ。

ちょっと引っ張られた感じがしたけど、ばさらとまた羽ばたいただけだった。

「それじゃダメだよ。___こう、喉元に指を置いて。」

栗花落さんは、その首に巡る蔦のような模様に指先を当てた。

、でも、、でも思ってみて」

言われるまま、私はそっと喉元に人差し指の先を当てた。

「……?」

ぶわりと、喉元が温かくなった。対照的に背中はヒヤリとして、わずかに感じていた重みが溶けるようにわからなくなった。

そっと顔だけ振り返る。

私の大翼は、最初から存在して無かったように消えていた。

「便利な翼……」

「出したくなったら同じことして、かな。」

「わかりました」

「慣れたら感覚で閉じたり開いたりできるよ」

ばさらと、栗花落さんの背に大翼が開いた。

そして、嵐のような灰色が大きく一度羽ばたいたかと思うと、溶けるように消えた。

「便利……」

「うん、それしか言わないね」

同じことしか言わない私に、栗花落さんは苦笑した。

「翼のある無しに関わらず、この首の模様があれば使だよ。」

編みレースのチョーカーのような蔦模様。使というのも気になるが、まずはそれを聞こうと思った。

「私にもあるんですか?」

「後で鏡見てみな」

首筋でさっき温かくなった箇所をなぞる。言われてみれば、それは首をぐるりと一周していたかもしれない。

「大翼と一緒で、その模様も人によって微妙に違う。色の傾向は決まっていて、死神は青で、天使は赤だ。」

「その天使っていうのは……」

「誕生日に自殺以外の方法で死んだ人のことを天使、って言う。」

栗花落さんはぐぅっと体を伸ばした。パキパキと不穏な音が聞こえるが、大丈夫だろうか。

「事故死、病死、老衰、他殺。死に自分の意思がなければいいんだ。」

私は言った。

「恨まれて刺されても?」

「誕生日に死んだのなら、天使。」

「死刑は?」

その問いに、栗花落さんは微妙な顔をした。

「……昔は、そういう人もいたよ。けれど、誕生日に重なることってあまり無いでしょ」

言われてみればそうかもしれない。私はこくりと頷いた。

「天使は何をするんですか?」

「基本は死神と一緒、死者の魂を追いかけてに収める」

「箱?」

栗花落さんは「これぐらいの……」と手をわちゃわちゃと動かした。示されたサイズはあまり大きくない。

「良い例えないかな……こう、ケーキの箱?」

「___あ、英和辞典くらいの」

「あー、うん?……まぁ、そのくらいだね。」

私は両手を出すと、手のひらの上に四角箱があると想像した。英和辞典を二冊重ねたぐらい。色はダンボールカラーの茶色だ。

栗花落さんは腕を組み、眉を寄せた。

「白くて、よくわからない素材の……けれど、ダンボールみたいに組み立てられる箱、かな。」

相槌を打つ。

「そこに魂を入れると」

「そう。魂を捕まえると勝手にその箱が現れるから。」

「……どこから?」

私がなんとなく聞くと、栗花落さんは硬直した。

「なんかこう、……空気から?」

「………空気から」

絶妙な沈黙がその場に満ちた。漫画とかでよくある『・・・てんてんてん』というやつだ。

無言が続く……私はそう思った。けれど、栗花落さんは沈黙を打ち破った。

彼は砂浜からバッと立ち上がった。ばさら、と灰色の大翼が広がる。

「まぁ多分、実際に見た方が早いから!」

「そういうものですか」

「そういうものだよ!ほら、」

差し伸べられた手。私はそれをたどって栗花落さんの顔を見上げた。優しげに細められた瞳。黄色のフリンジイヤリングが、彼の左耳で揺れていた。

「初仕事行こっか、優。」

そう強く思いながら私はその手を掴んだ。立ち上がると同時に、ばさらと灰青の翼が広がっていく。

ふわりと爪先が宙に浮いた。

「そうそう、上手だ。」

グッと、引かれるままに翼を羽ばたかせる。体が軽いような、少し不思議な感覚。死神になったというのは受け入れたく無いが、何故かこの感覚は好きになれそうだった。

良い気分のまま、私は栗花落さんに気になったことを聞いた。

「私たちの仕事に、ノルマってありますか」

と、そうすると彼は苦笑して。


「無いよ。俺らの時間は、無限だから。」

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