第8話ももおじ家の怪談~猫大蛇~

「もも姫、フローリングで寝そべって、何をしておられるのです?」


“お腹が冷えますぞ”と、瞳で訴えるももおじ。


「何を言うておる、今の季節は夏である故、こうして体を冷やさぬことには、やる気が起きぬ」

「クーラーでキンキンに冷やしているこの部屋で?」

「猫には猫の冷やし方があるのだよ」

「……左様で」


 ももおじはそう答えてから、手を止めていた洗濯物を畳む作業を再開した。


 一枚一枚丁寧に畳む姿を、退屈そうに体を伸ばしながら見つめていたもも姫は、何気なく瞳を時計へと向ける。


 時間はもうすぐ午前零時を回ろうとしており、このままでは仕事で疲れているであろう彼の体を、休ませられないことが分かったようで。


 もも姫は背中をフローリングにつけるや否や、思い付いた考えを口にする。


「ももおじよ、その仕事が終わり次第、わらわとここで夜を共に過ごさぬか?」

「何をオッシャいます、そこで一緒に寝ようものなら、すぐに風邪をひいてしまいます」


“人間は猫程体温が高いわけではありません”


 ももおじは瞳でそう訴えて、畳んだ衣服をそれぞれの置き場に仕舞い始めた。


 しかし、提案したもも姫も負けてはいない。


 彼を隣に寝かせるにはどうすればよいか、知恵を絞り続けた結果。


 明後日が休みであることに気付いたもも姫は、反撃を開始した。


「よいではないか、確か仕事が休み故、のんびり起きても誰も文句は言わぬ」

「ええ、明後日は休みでございます。

しかしながら、先程も申しましたように、風邪を引くと厄介なことになります故、今夜は布団に寝かせて頂きます」

「布団は暑苦しくていかん!」


 洗濯物を仕舞い終わったももおじに抵抗するかのように、切羽詰まった声で叫ぶもも姫。


「なぁ、ももおじ……」


 もも姫は瞳に涙を浮かべて口を開いた。


「わらわと一緒に寝るのはそんなに嫌か?」

「嫌ではなく、寝相が……いえ、滅相もございません」


 ももおじは、もも姫の困惑した視線にたじたじになり、ついには寝れば確実に体が冷えるフローリングを睨みながら、渋々承知する。


 その姿を見たもも姫は、満面の笑みを浮かべ、寝る用意を促した。


 やがて、寝巻きに着替えたももおじに、さも嬉しそうな反応ヒョウジョウを見せたもも姫は、更にテンションを上げながら声をかける。


「苦しゅうない、チコう寄れ」

「はい、それでは……」


 ももおじは遠慮がちに、気持ち良さそうに体を伸ばしたもも姫の隣に寝そべった。


“ひっ、冷たい!”という声を無視し、もも姫は満足な表情カオで、夢の中へと入っていく。


 そして次の日。


 もも姫は、ももおじ特製の美味しいご飯を、今か今かと待っていた。


 しかし、いつもと微妙に態度が違うことに気付いたのか、暫く様子をみようと机の下でお行儀よく腰を下ろす。


 やがて、ももおじがご飯片手に腰を屈めながら

「お待たせ致しました」

と、いつもの声掛けと同時に猫柄の平皿をもも姫の前に差し出した。


(良かった、特に変わった様子は微塵もない)


“わらわの気のせいだな”と、内心で一息吐いたもも姫は、満面の笑みを浮かべた顔を上げて、その場に凍りつく。


 なんと、愛しのももおじの優しさを醸し出している両瞼リョウメに、隈が出来ているではないか!?


 端から見て“これから歌舞伎にでも出演するのか?”と訊ねたくなる程、その大きな隈は存在感が溢れている。


 何故そんなものが出来たのか知りたいが、頭が混乱していて、問いかける言葉が見つからなかった。


「あ……あ……」


 兎に角、声と共にゆっくりと右前足を伸ばすもも姫。


 何とか事態を把握してもらわねば、最悪この姿でお勤めに行く羽目になる。


「姫様、だっこですか?」

「だっこじゃない、その巨大な隈はなんなのじゃ?」


 やっと、ももおじの瞼でいい感じで存在感をアピールしている隈のことを知らせたもも姫は、ホッと胸を撫で下ろした。


 彼女の両目は、怒ってもいないのに吊り上がっている。


「あ、ああ……この隈のことですか?」

「そ、そうじゃ!」

「実は……私、見てはいけないものを見てしまって、朝方まで眠れなかったのでございます」

「見ては……いけないものとな?」

「左様でございます」


 ニッコリ笑って、場を明るくしようとするももおじ。


 しかし、どうしても目の下の隈が痛々しく感じ、まともに目を合わせられずにいた。


「ももおじよ、隠したままではお勤めとやらに支障が出る故、わらわがその話を今ここで聞いてやろうではないか」

「何と、お優しい!」


 ももおじは、もも姫の優しさに触れ、思わず涙が溢れたが、それを堪える為に既にコップに汲んでおいた水を一気に喉に流し込み、恐る恐る口を開く。


「時刻は丑三つ時-今で言う午前2時頃-だったでしょうか?

フローリングで仰向けに寝ていた私は、寝返りを打とうと、体を動かしました。

しかし、何故か動かず、それどころか段々と重たくなっていったのでございます」

「そ、それで?」

「どうしようもないと思うと同時に、何とかしなければという焦りが沸き上がり、辛うじて動かせた頭を、ほんの少し上げたのです。

その目線の先には……」

「目線の先には?」


 ゴクリと唾を呑み込んで、自分の内にある恐怖を抑え込もうとするもも姫。


“間を置かず早く話せ”とツブらな瞳で訴えるもも姫に答えるかのように、ももおじの少々青白い唇が、再びゆっくりと動き出した。


「そこには見たこともない白く浮き上がった大蛇が、ランランと輝いた瞳で私を睨み、尚且つ長い舌をチラチラと見せて、今にも食べようとしていた」

「ギャァァァァ😵」

「すみません、もも姫様」


“驚かすつもりはなかったのですが”と、困惑しながらも頭を下げるももおじ。


 方や悲鳴を上げたまま、その場に固まったもも姫はというと、ゆっくりとではあるが“続きを”と口を動かす。


「そ、それでは……コホン」


 喉の調子を整え、再び話し出すももおじ。


 目の隈がなければ、もっと怖い雰囲気を作り出せたかもしれないという感情オモイは、心に仕舞っておこうと誓うもも姫であった。


「私は咄嗟に金縛りに遭っている体を無理矢理動かす為、左腕に意識を集中しました。

そして、“ポンッ”とフローリングを打ち、その勢いで大蛇目がけて平手打ちを放ったのでございます!」「そ、それで……大蛇は?」

「その大蛇は、私の突然の攻撃に恐れ戦き、尻尾を巻いて逃げていきました」

「そ、そうか……一件落着だな!」

「ところが!」

「まだあるのか?」

「はい、実はこの話には続きがございまして」


 話す気満々のももおじを見て、もも姫は半ば呆れた表情を浮かべ

「では、続きを」

と、早口で促す。


「取り敢えずこれで平穏な時が取り戻せたと思った私は、ふーっと安堵の溜め息を吐き、再びフローリングに身を任せ、眠りに就きました」

「……」

「その刹那、今度は私の顔に生暖かい風が、一定のリズムで吹き下ろしてきたのです!」

「そ、そそ……それで、どうした?」


“もうこうなったらとことん付き合うしかない”


 もも姫はそう心に決め、半ばやけっぱちで合いの手を入れた。


「またあの大蛇かと思い、ウッスらと目を開けましたところ、そこには誰も居なかったので」

「もう良い!

早よ会社とやらへ行け!!」

「分かりました、この正体は今夜」

「たわけ、これ以上聞きとうないわ!」

「ははあ!」


“行って参ります!”と、満足気にこの場を去るももおじを、焦燥しきった顔で見送るもも姫。


 その直後、何故か彼女の顔面が真っ赤に染まった。


 そして、目を白黒させたかと思うと、もも姫は早口で喋り出す。


「わらわとしたことが……やってしもうた。

まさか、真夜中でもあの癖が出ているとは」


“何という失態!”と、大声で嘆いた彼女は、辺りに誰もいないことを確認し、取り乱した気持ちを抑えようと、前足で何度も頭を撫で続けた。


 そう、ももおじが見た大蛇の正体は、夜中に美味しそうな食べ物を想像していた、もも姫の姿だったのである。


 実は、彼女には好物を目の前にしたり、食べてみたいものが頭をヨギった瞬間トキ、円らな瞳を爛々ランランと輝かせながら、細く可愛い舌をチロチロと、素早く動かす癖があったのだ。


 ももおじには、ことあるごとに“大蛇のようですね”と微笑みを浮かべながら、そう指摘された思い出が、もも姫には度々ある。


「と、兎に角、この癖を早く直さなくては、また同じ失態を繰り返すことになるぞ」


 もも姫は、再び真っ赤になりつつある顔で反省すると、早足でその場をあとにした。


 ただ、あの生温かい風の正体は、ももおじが語らなかったので、永遠の謎のままとなっている。


お仕舞い


※こちらはYouTuber「スマホサイズの保護猫」という動画を作成している、ももおじさんの許可を得て作った物語です。

若様のお姉さんにあたるもも姫も今年6月で無事1歳を迎えました。

興味がある方は少しだけ覗いてみて下さい。


令和5(2023)年7月1日22:10~令和5(2023)年7月29日8:17作成












  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る