第35話 テラス先生の黒歴史 その1
「…女性Vtuberって強いんですねぇ。
もう僕の4分の3くらい登録者いますし。
夢でも見てるかのような気分です」
フタリさんとヒトエさんのデビューから1週間、かつてのバイト先にて。
残酷な現実が映ったパソコンの画面を前に、僕は深いため息を吐く。
弟がこの場にいれば、「ところがどっこい…夢じゃありません…!」と、某博打漫画のような語りと顔芸をかましていたことだろう。
笑いすぎてお腹あたりが攣ったのを思い出しつつ、僕は背後でコーヒーを嗜むヒトエさんに目を向けた。
「オレの場合、あのゲームがあって親しみやすかったからじゃねーか?
でなきゃ、こんな新人のぺーぺーが伸びるわきゃねーだろ」
「まるで徳川家康みたいですね」
「アレだろ?『織田信長と羽柴秀吉が頑張って作った餅をただ食った徳川家康』って、徳川家康を貶すためだけに作られたみてーなたとえ話」
「説明に性格の悪さ滲んでますよ」
「お前ほどじゃねーって」
失礼な。弟ほどじゃない。
そんなことを言えば、事態が面倒な方向に進むのは目に見えているので、僕は沈黙することで話題を切り上げる。
と。そんな会話を交わしていた僕たちの間から、これでもかとピアスを耳に付けた女性が顔を出し、画面を覗き込んだ。
「うぉわぁっ!?」
「生徒会長もこういうのやるんだ。
いいな。楽しそう」
がたた、と音を立てて椅子から転げ落ちるヒトエさん。
ソレに対して心配を向けることもなく、画面をまじまじと見つめる彼女に、僕は表情を引き攣らせた。
「……えっと、あなたパリに居たんじゃ…?」
「帰ってきた。いえーい」
「抑揚のない声で言わないでください。何考えてんのかわかんなくて逆に怖い」
もうお分かりだろう。
僕たちの間に突如として顔を出した彼女は、美術部のやべーヤツこと、「ヨイヤミ フチロ」その人である。
現代画家として活動しており、ここ数ヶ月はパリで感性を磨いていると聞いたが、何故にここにいるのか。
僕たちが首を捻ると、フチロさんはスマホを取り出し、動画アプリを起動させた。
「おすすめに流れてきた。
私抜きで楽しそうで羨ましい」
「……まさかとは思いますけど、その文句を言うためだけに帰ってきたんで?」
「うん」
「そんな簡単に帰って来れんの…?
向こうに行ってたの、なんか『企画に起用するから絵を描いてくれ』って依頼があったとか言ってなかったか…?」
「そうなんですか?感性を磨くためだとか聞いてましたけど」
「うん。さぷらーいず」
そんな抑揚のない声で言われても。
まさかとは思うけど、仕事ほっぽってこっち来たとかないよな?
僕の不安に応えるように、フチロさんは「大丈夫」と手を前に突き出し、ピースサインを僕に向けた。
「仕事は仕上げてきた。
…でも、帰ろうとしたら向こうの人らにめちゃくちゃ邪魔された。
振り切るの面倒くさかった」
「邪魔される理由考えましょう?
相手さんの話聞きました?」
待って。別の問題が起きてそうなんだけど。
詳細を聞くも、彼女は露骨に不機嫌を表情に乗せ、首を横に振った。
「そんなの知らない。私が帰りたいと思ったら帰らせるのが普通」
「や、そりゃそうだけどよ…。
せめて話くらいは聞いとけよな…」
「あとあと面倒なことになっても知りませんからね?」
「大丈夫。勝手に巻き込む」
「おいこら」
僕はお前の保護者じゃないんだが。
事態が混迷を極めてないことを祈りつつ、僕はチラチラと画面に目を向けるフチロさんに問いかける。
「Vtuber、興味あるんですか?」
「あんまり。でも、楽しいことはしたい。
二人が楽しそうだから、ちょっとやりたい」
「……どっちかの動画でゲストとして出してみます?」
「じゃ、オレんとこでいいか?
スケジュールに余裕あるし、恋のライバル的な話題とか盛り上がりそうだし」
「わーい」
……あれっ?これ、僕の黒歴史が赤裸々に語られてしまうパターンでは?
僕がソレに気づいた時には遅く、彼女らはノリノリで段取りを組み立てていた。
願わくば、変なこと言いませんように。
神に届くとは思えない祈りを吐き出すように、僕は空にため息をついた。
♦︎♦︎♦︎♦︎
『こんちゃ!視聴者のテメェら!
パンクな方ことフタリ ヒトエと!』
『ゲストのヨイヤミ フチロ』
『今日はタイトルにある通り、学生時代の思い出をコイツと振り返っていこうと思う!』
コメント:数億を生み出せる画家がこんな場末事務所のV配信にゲスト参加しててええん?
コメント:ええんやで(ニッコリ)
コメント:そもそも個人制作のゲームに絵を提供してるやんけ。
コメント:あれ?フチロさん、確か一年はパリに居るとか広報されてなかったっけ?
コメント:なんか企画で、クソデカい絵を描くとか言ってたな。
コメント:確か、まだ四ヶ月くらいしか経ってないよな?
コメント:コメント欄にそこそこフチロ先生のファンいるの草。
一年かかるとか思われてた仕事を四ヶ月で終わらせてきたのか、コイツ。
まぁ、コイツならできるだろうけどさぁ。
そんなことを思いつつ、「企画の絵は終わらせた」と自慢げに語るフチロさんに騒めくコメント欄を目で追う。
多分だけど、描いてる途中でヒトエさんがVtuberになったの知って、急ピッチで終わらせたんだろうなぁ。
そんなことを思ってると、隣で聞いていた嫁が口を開いた。
「ウチも呼んでくれたら良かったのに」
「やめてください。僕の黒歴史だけ晒す気でしょ」
「うん」
否定してくれ頼むから。
あなた、自分の旦那の醜態を全世界に発信してて楽しいですか?
…いや、コイツの場合「楽しい」って悪びれることもなく言うだろうけどさぁ。
「話題はコメント欄からお願いな」と付け足し、質問を見ていくヒトエさん。
スリーサイズはどのくらいか、などとデリカシーの欠落した話題がいくつか見られたが、彼女は気にすることなくコメント欄を見守る。
と。ちょうどいいと思える話題を見つけたのか、ヒトエさんは「お!」と声を上げた。
『これとかいいな。「テラス先生が学生時代にやったやらかし」』
「おい待て誰だそんなコメントしたの」
「ウチ」
「ですよね」
コイツらのことだ。「このタイミングでコメント出せ」とか打ち合わせとかしてたな。
エグい思い出とか飛び出さないといいが、と思っていると。
フチロさんが「やらかしといえば」、と、思い出したように声を上げた。
『店長の娘のお世話する時に、「女の人の方が赤ちゃんは安心する」って眉唾物の情報を鵜呑みにして女装したことあったよね』
『あー…。女装の経緯、まんま「獄中堂々」の作者さんと同じだったよな』
『妹ちゃんが化粧とか服とか選んだって聞いたけど、めちゃくちゃ似合ってたの腹立たなかった?』
『立ったわー。「オレらの努力なんだと思ってんだ」って全員で詰め寄ったよな』
陽ノ矢 テラス:誰か殺してくれ。
コメント:草。
コメント:写真とかある?
テラス嫁:ツイッ○ー載せたわ。
コメント:↑ナイス。
コメント:見てきた。なんだあの美人!?
コメント:なんということでしょう。草臥れた男から一転、包容力のある女性に早変わり。
コメント:果てしなくママ味を感じる…。
コメント:イラストレーターさん。先生のモデル、女装バージョンの作成よろ。
コメント:あの声で女のフリは無理やろ。どうしたん?
テラス嫁:格好さえ女やったらええって思ってたから、声は普通に男やったぞ。
やめてくれ。あの時はどうかしてたんだ。
女装は効果あったけど。なんなら今でもたまに店長の娘さんにリクエストされるけど。
僕の制止などまるでなかったかのように、女装した当時の僕の写真で盛り上がるコメント欄。
早く別の話題を出してくれ。…いや、やっぱ出さないでくれ。
僕のそんな矛盾した祈りなど届くわけがなく、二人は記憶の引き出しを探すように、唸り声をあげた。
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